ちょうど10日前の7月17日に行って以来の法金剛院である。
今回は参加させていただいているカメラグループの撮影会として行った。
私は法金剛院から他にも回りたくて、電動の自転車で行った。
朝9時には法金剛院で待ち合わせての撮影会となっていた。
暑さのことも思ってか、解散は現地で11時。
もちろんそこにはコロナのことも念頭にあって、企画される時に
配慮されていることが伺える。
昨今はまたコロナ感染者が多くなっているので、私自身も
警戒を怠らないようにしたい。
さて、法金剛院。
法金剛院は800年代中葉、清原夏野の別荘を寺に改めたのが
前身という。壮観を誇っていたらしいこのお寺も、1000年代になれば
荒廃したらしくて記録にはない。
中興したのは「待賢門院」。鳥羽天皇中宮でもあり、崇徳天皇や
後白河天皇の母親。絶世の美女だったともいう。
待賢門院が1145年に崩御してからは皇女の上西門院が継承している。
その後は長い歴史の中で、いろいろなことがあったのだが、
現在は唐招提寺派の律宗寺院。
山陰線施設のために敷地を削られ、かつ、門前の丸太町通り拡幅のためにも
敷地を割譲したために現在は広い敷地を誇っているとは言えない。
君こふるなげきのしげき山里は ただ日ぐらしぞともに鳴きける
(待賢門院堀川)
この歌は崩御した待賢門院を偲んでの堀川の歌である。堀川は待賢門院に
仕えていた女房。堀川と言えば下の百人一首80番の歌が有名だ。
長からむ心も知らず黒髪の 乱れて今朝は物をこそ思え
(待賢門院堀川 百人一首80番)
ともあれ、法金剛院を訪ねると、いつも待賢門院時代の盛時を偲ぶという
ことになる。つまりは私が蓮にかこつけて行っても、待賢門院や当時の
歴史に対しての挽歌的な思いをより強く感じる場所だということなのだろう。
いにしへのならの宮この八重ざくら けふここのへににほひぬるかな
(詞花和歌集 29番 伊勢大輔)
上の歌にある「ならのやへのさくら」が待賢門院桜でもあり、この桜を
見ることも、私の春の楽しみごとの一つともなっている。蓮を少し。
法金剛院の後は「待賢門院陵」と「上西門院陵」に参拝。その後は仁和寺を
少し覗いてみる。撮影すべき被写体には遭遇しない。
仁和寺から西に進路を取る。遍照寺山の下に広がる広沢の池を見るが、めぼしい
被写体はない。池の西側でアメリカザリガニを釣っている人がいて、しばし見物。
その後は大覚寺の大沢の池。ここでも被写体はない。蓮も花が開いていない。
紅葉の頃なら少しは見栄えもするのだが今は無理だろう。
以前に撮ったものを数葉。これまでにもたくさんの素晴らしい光景を
見せてもらったのだし、欲を言うことでもない。
大沢の池の古い写真を三枚。
大沢の池を辞してから二尊院前まで。さて、どこに行くか思案する。
結局は「常寂光寺」。少しは良いのがあるだろうと思ったが、それで正解。
常寂光寺からはトロッコ嵐山駅横の御髪神社の池のハスを観る。
なんと満開。蓮は素晴らしいのだが、良い背景がない。それが残念。
御髪神社からは、どこかに寄ることもなく、16時30分、帰宅。
まずまずの一日になったのではなかろうかと思う。
写真的には面白いものが撮れなかったが、それはそれ、
次の機会に期すれば良いだけのことだ。
当日の画像は一番上から入ってください。ワンドライブにリンクしています。