おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

181027 西行展 他

2018年11月09日 | その他

181027 西行展 他

少しばかり関係している西行学会が、今年の大会を和歌山市で開催した。

期間は10月27日と28日。国文学のそうそうたる研究者が集う大会でもある。

その開催と機を一にして、和歌山県立博物館では西行生誕900年と銘打った

「西行展」を開催中である。期間は10月13日から11月25日まで。

博物館での、この西行展を見るために、10月27日と28日に一泊で和歌山に

行ってきた。

27日、和歌山に到着してすぐに博物館に直行する。博物館は和歌山城の隣の敷地である。

垂涎の的ともいうべき、非常に貴重な、たくさんの西行関係資料が

展示されていて圧倒される思いであった。非常に充実した、二度と見ることが

叶わないような展観であると思う。

ただ残念なことに、その場で貴重な資料を読むだけの視力が私にはない。

見て回るだけで疲れもする。しかしそれは心地よい疲れだ。

ある程度見てから博物館を辞す。もちん図録は買い込んで、送ってもらう。

博物館を出てからJRを利用して紀三井寺まで行く。次に行く和歌の浦の近くなのだし、

紀三井寺を見逃すという選択肢はない。

紀三井寺は初めて行くお寺である。早咲きの桜があるので、桜の開花情報では

おなじみのお寺だ。えらく急な坂のあることに思いを新たにする。

紀三井寺を一通り見終えてから歩いて和歌の浦に向かう。

和歌の浦は紀三井寺からそれほど遠くない場所にある。

ここにある「玉津島神社」とセットになって、古典和歌の世界では有名すぎる所だ。

この和歌の浦も、もちろん平安時代とはすっかり様相を異にしているのだが、

そのことは置くとしても平安和歌を勉強しているものとしては一度は

尋ねを入れる場所であることは間違いないのだろう。

はじめに「玉津島神社」「塩釜神社」を見てから海の方に向かう。

「片男波」には万葉館もあるのだが海岸沿いを歩いて、和歌の浦港から

雑賀崎の方に向かう。その頃になると日も落ちて、徐々に暗くもなりつつあったので、

見つけたバス停から和歌山市内に戻る。その夜は親しくしていただいているY氏と歓談。

切り上げてから安宿に投宿。

和歌山(紀州)の地名入り西行歌は多い方なのだが、藤原俊成との贈答歌を二首。


     五條三位入道のもとへ、伊勢より濱木綿遣しけるに

  浜木綿にかさなる年ぞあはれなるわかの浦波よにたえずとも
      (藤原俊成歌)(岩波文庫山家集240P聞書集104番)
 

  はまゆふに君がちとせの重なればよに絶ゆまじき和歌の浦波
             (岩波文庫山家集239P聞書集103番)

当日の画像は下にあります。ご覧願います。
 









 

 



181013・14生地ほか

2018年10月16日 | その他

181013.14生地ほか

私の出身地は愛媛県の西の端の三崎半島である。僻地である。

海に近い平地にへばりつくようにして民家があり、いくつかのそういう

集落が合併して「町」になっている。平成の合併により、今の町名は「伊方町」。

原発で有名な町でもある。

1955年頃から人口減少が始まり、以後は過疎化の一途をたどっている。

子供達が学校を卒業したら、まるで習いのように都会に移住するために、

若者がとても少ない。私も義務教育後は故郷を離れたので、故郷を

過疎化に向かわせた一人だ。


すっかり京都市民になっているとはいえ、二親が鬼籍に入った今でも、

折を見ては帰省するようにしている。

とはいえ主な用件はすでに墓参に限られてもいる。それが残念でもある。

今回は彼岸の頃には無理があり、秋祭りの日の帰省となった。

晩秋にしては天気の良い14日、若者たちによって行われる秋祭りをかいま見る。

なつかしい記憶が呼び戻さる。人が時間の帯の上を歩いて過ぎるという事は、

その分だけの堆積した記憶を持つという事なのだが、幼少の頃のこういう類の記憶は、

わけもなく嬉しい。もちろん、嬉しいという感情だけであろう筈はなくて、

我が来し方を振り返りみるのは、複雑なものがある。下の画像は生地でのトワイライト。

10月09日にはカメラグループの皆さんと万博記念公園での撮影会。

そして昨日は、今年はまだ邂逅のないアサギマダラ蝶を求めて近くの公園まで行く。

運よく出会う。なんとなく嬉しい。今年は飛来数が少ないと思うが、ひょっとしたら

台風21号の難を避けるすべを持たずに、多くの個体が命を落としたのではなかろうかと

思ったりする。ことのほか風が強くて、建物の倒壊もあったのだから蝶には過酷

過ぎたのではなかろうか・・・?

他にも少し画像を出しています。いつものようにワントライブをご覧願います。

181013・14生地ほか







 


181002 奈良 

2018年10月04日 | その他

181002 奈良

天気も良いこととて、急遽、奈良行きを決める。自宅発は11時前。

JR奈良駅まで行き、歩いて奈良公園を過ぎて、若草山に登る。

今回は後で三輪の桧原神社に行くために、山中の「うぐいすの滝」には行く

時間の余裕がない。急いで登って急いで下山である。

かつて知ったる若草山なのだが、今回は台風21号と24号の被害はほとんどなかったようだ。

以前に来た時、一年前だったか、若草山の表側にも山中にも根こそぎ倒壊した

たくさんの樹を見て痛ましく思ったのだが、それが見られないのは素直にうれしい。

快晴で青空の下、それなりの登山者が思い思いに過ごしている。

私は山頂の展望台でしばし休息を取り、鹿の写真を撮ったりはしたが、

一気に登り一気に下ったという感じだ。

JR奈良駅まで戻ってから桜井線の巻向駅下車。10月22日に利用した駅である。

駅からは一路「桧原神社」まで歩く。桧原神社は三つ鳥居が建つのみの素朴な神社である。

この神社はあちこちに散在する「元伊勢神宮」の一つでもある。現在の伊勢神宮は

適所を求めて各所に移動したのだが、それが伊勢の地に鎮座する前に7.8か所程度は

移ったのではなかろうか。

今回の目的も二上山の鞍部に夕日が入っている写真を撮るためである。ところがこれが難しい。

厳密には一年に二日の機会しかないのに、何日に夕日が入るかわからない。かつ雲にさえぎられたり、

雨の日などは無理である。

今回もカメラを構えて待ってはいたのだが、天気が良いというのに太陽はいつまでたっても

顔を出さない。またしても見事に空振りである。意のままにならないのは仕方がない。

ただ数分間のみ夕焼けが見られたことで、良しとするべきだろうと思いたい。

はてさて、今後はどうなるのか、またチャレンジする気になるかどうか・・・

10月3日、拙宅近くの「浄住寺」にあるギンモクセイの花を撮影しに行く。ところが花を味わうには

少し遅すぎた。ギンモクセイの大きな二本の樹の花の盛りの頃に見たいものだが、これまでに

一度しか見ていない。まあそれも仕方がない。ブラシノキは天鏡院でのもの。

奈良と他の写真は下にあります。ご覧願います。

181002奈良ほか





 

 

 

 


180922 奈良

2018年09月24日 | その他

180922 奈良

この22日に天気が良さそうだったので急遽、奈良に行ってきた。

彼岸入りして3日目、彼岸の中日は23日、24日は秋の中日だから、

二上山の両岳の鞍部に夕日が近づくことを期待してのものである。

JRを乗り継いで巻向駅下車。夕刻までは間があるので、今回は

「箸墓古墳」の外周を一周してみる。

この古墳は大和政権古墳の中で最も古いものと言われていて、被葬者は

第七代孝霊天皇の皇女であるヤマトトトヒモモソヒメノミコトと言われている。

建てられている宮内庁の説明版では「大市墓」とある。

要するに「伝卑弥呼墓」ある。

ただし卑弥呼の邪馬台国は九州説もあり、定かではない。

話は3世紀の頃の事であり、大変に古いものだが、研究者ではなく門外漢の私でも、

こうして残っているのは大変に貴重で、ありがたいことだと思う。

時刻は16時過ぎ。次には桧原神社にと向かう。山の辺の道に入り、桧原神社の

境内を過ぎて、神社の下の池の周囲に陣取ってカメラの準備をする。

道すがら西の方の空を見ると、黒っぽい雲が覆っていて、今回も期待は

できないのかな・・・と思う。

画像を見て頂いたら分かるように、雲はまあ、なんとかなったけれども残念ながら

位置が大きくずれている。夕陽が二上山の鞍部に入るにはまだまだ日数がかかりそうだ。

また月末頃でも行くことにしたい。


それにしても今年だけで3度か4度は夕陽撮影にチャレンジしたというのに、情けないことに

一度も思ったように撮れていない。

仕方ない。虚仮の一念でチャレンジあるのみだろう。

当日の画像は下に入れています。ご覧願います。

この9月に拙宅近くで撮影したものもリンクを張ります。下の画像は拙宅近くのものです。

180922奈良






180807 六甲高山植物園

2018年08月11日 | その他

180807 六甲高山植物園

立秋になった日の8月7日、JR電車を利用して神戸に行く。

「芦屋駅」着は10時前。南口を出た所で、懇意にしていただいている

神戸在住のY氏が、すでにお待ちかねである。久し振りの邂逅。

挨拶もそこそこに本日の目的地である高山植物園に向って車を走らせる。

私はどこかに行くにしても電車、バスを乗り継いでの移動であり、

足があるということはとてもありがたい。

植物園には11時前着。それから2時間少しいたことになる。

見たかったキレンゲショウマとレンゲショウマを見ることができて、

来た甲斐があったというものだ。それにしてもキレンゲショウマの群生ぶりには驚く。

繁殖力が強い植物のようだ。園内の4か所ほどで群落を作っていた。

ただ花は一杯に開花するという性質の花ではなく、開いても半開という

感じである。それと蕾のうちから傷みだすようで、それが惜しい。

下は2014年に京都府立植物園で撮影したもの。下の花程に開くことは稀なのだろう。

園内ではそこそこ多様な花が咲いていて楽しませていただいたと思う。

ただ、夏の暑い盛りに咲き誇る花は多くは無い。夏の花は夏の花として十分に楽しめたのだが、

次回には春の百花繚乱の季節に来てみたいと思った。


植物園を出てからはレストランのある所に立ち寄って軽食を摂ったり、有馬温泉の

町を見て回ったりして結構快適に過ごす。立ち寄った施設の一つに「六甲枝垂れ」がある。

これは電力を使わずに製氷するという、いわば現在版の「氷室」。

そのために施設内では気温を10度に設定できているという。優れものの施設だと思う。

神戸港だけでなく遠く大阪湾や泉南地方迄見渡せたが、撮影は250ミリでは遠くまで写すのは

非常に厳しい。その厳しさは一眼カメラの欠点でもある。望遠性能の良いレンズや

テレコンを付ければある程度は解決することではあるのだが・・・。

当然のように時間も押してきて、元町の中華街のしゃれた店で食事をとる。

Y氏とも久しぶりの会食である。話は尽きない気もしたのだが、20時過ぎには店を出て、

私は京都へと戻る。ちょっと疲れたのか電車の中ではうたたねをする。帰宅は22時過ぎ。

ともあれ充実した良い一日であった。Y氏に感謝したい。

当日の画像は下にあります。ご覧願います。

180807六甲高山植物園







180715 高野山町石道

2018年07月17日 | その他

180715 高野山町石道

ひどい失敗談なのであり、ブログとしてここに記述するほどのことでも

ないのだが、単純に備忘録として記述してみたい。

7月15日朝、7時半過ぎには自宅を出る。最寄駅から電車を乗り継いで、

南海電鉄「九度山駅」着はほぼ10時半。

駅でマップを確認したりカメラの設定をしたりして15キロほどの踏査の

一歩を踏み出す。

正確には町石道は九度山駅が起点ではなくて、駅から25分ほどの距離にある

「慈尊院」が起点。慈尊院までに、初めて見る町である九度山町を少し散策。

戦国武将の真田幸村で有名な所なのだが、今回が初めてでもあり「真田庵」に立ち寄る。

九度山町には「大石順教尼」の旧跡もあるのだが行かない。この女性のことは

何で知ったのか、すでに定かではないのだが、かなり大昔に知ってはいた。

京都の勧修寺の側にも彼女の史跡がある。ともかくも敬服すべき女性である。

真田幸村や十勇士のことも小学生時代に知って心躍らせたものである。

ざっと九度山の町を見て丹生川にかかる橋を越えて慈尊院。

慈尊院から、その奥に鎮座する丹生官省符神社の石段を上る。

慈尊院公式サイト

慈尊院から丹生官省符神社にと上がる石段の途中に180町石がある。

町石道とは高野山参詣道のことであり、高野山の大門からここ迄一町ごとに180基の

石柱が建っている。一町は約109メートル。町石道の道幅は1.5メートル程度。

司馬遼太郎氏の「街道をゆく」では廃道のようになっていたらしいのだが、

道の手入れをされたのか舗装さえされている。

このルートを高野山開創以来、貴顕や僧侶だけでなく、多くの人が往来した。

大門から慈尊院までは約20キロ以上という。今回は15キロ程度の踏査が目的だ。

今回の踏査で一番に行きたい所は「丹生都比売神社」。町石道からは少し外れた

位置にある。高野山は女人禁制地であり、高野山には入れない西行の妻と娘が

ここに隠棲していたという。この、高野山のふもとの天野の地にある丹生都比売神社

にはかねてより行きたいと思っていた。もちろん簡単に行けるものではないと

いうことも知ってはいたのだが・・・。

そういう思いを持っての今回の山歩きだったのだが、慈尊院から4キロも行かない

内に早々と断念する。理由を無理に上げれば、暑すぎて汗を滴らせながらの登りは

思いのほか時間がかかり、スタミナも奪われる。ベットボトルも1本しか携行して

いなくて、すぐに空になり、残りの道程を水分補給なしで歩くのは無理過ぎる。

かてて加えて風邪気味状態なのか変に咳もする。例によって昨晩の睡眠もよく

取れていないままだ。若い頃なら多少の登りもものともしないのに、この年齢では

ハアハアーと荒い息を吐きながら登るしかない。体力・脚力は年齢相応である。

年はそれだけの分、私の身体に重く降り積もっている。

かくして立ち止まって、行くべきか引き返すべきか自問自答したのだが、

水分補給ができないとどうにもならないのだし、思いを残しつつ引き返す。

結果的にはそれが賢明な選択ではなかったかと思う。

後はもう蛇足なのだが、下山して麓にある道の駅で休憩後に九度山駅から

帰宅する。自宅着は18時前。

かくしてこの日は終ってしまった。

次には秋になってから泊りがけで高野山と丹生都比売神社・粉河寺に参詣したいと

考えている。もちろん歩く行程はできるだけ短くするつもりである。

OneDriveに置いているこの日の画像です。枚数は少しです。

180715町石道

 

 

 

 

 

 

 

 


二上山落日撮影の顛末

2018年03月21日 | その他

二上山落日撮影の顛末

二上山は大阪府と奈良県の府県界にある。

「中将姫伝説」で名高い当麻寺の北西にあたる。標高は雄岳で500メートル程度と、

高くはない。低山ではある。

 

いつの頃からか、この山に興味を持ってきた。おそらくは古代史書や万葉集などの

和歌集を読み漁っていた20代半ば頃からではなかろうか。

ことに壬申の乱前後の歴史、中でも大津皇子の悲劇や実の姉の大来皇女との関連を思う時、

二上山はある憧憬をも伴って私の中に立ち現れてくる。

 ◎ 百づたふ磐余の池に鳴く鴨を けふのみ見てや雲かくりなむ
                 (大津皇子 万葉集第二巻416番)

 ◎ うつそ身の人なる我や明日よりは 二上山をいろ背と吾が見む
                 (大来皇女 万葉集第二巻165番)

ともに絶唱ともいえる歌である。

歴史的なことや歌のことは擱くとしても、もう30年以上も前に見た月刊雑誌「歴史読本」の

表紙を飾っている二上山の夕景を私も見たいし、撮影することができたら良いなという

漠然とした思いがくすぶり続けてきた。

そこでこの春に撮影を試みた。いささかどころではなく、大変に遅いことではある。

春と秋の彼岸頃に雌岳と雄岳の間に夕日は沈むという情報を仕入れ、撮影地は

二上山が正面に見える「千股池」から撮影する。

ところがうまく撮れない。むつかしい。陽が強すぎる。明かるすぎる。空が焼けない。

そのために設定がとてもややこしい。明るすぎると太陽は拡散してしまって丸くは撮れない。

下の画像で1/6400秒の写真である。普通は1/1000秒そこそこできれいな夕陽が撮れる。

設定をいろいろと変えているうちに陽は沈むのが通例。うまく撮れないままに陽は沈んでしまう。

つまりは経験値が決定的に足りない。

同じ夕陽であっても簡単に撮れる場合もあれば、そうではない場合もあるということだ。

かくして、3/2、3/10、3/15日と三度の撮影を試みたが、結果としては雌岳と雄岳の間に沈む

夕陽撮影はできなかったし、うまくも撮れなかった。3/18日頃にもチャレンジと思いは

したのだが、結局は行くことをしなかった。できれば、この秋を期すことにしたい。

一連の画像は下に置いています。

二上山春の落日

180315 弘川寺と二上山

 


180310 石光寺と二上山

2018年03月11日 | その他

180310 石光寺と二上山

懸案の二上山の夕陽撮影のことで、再度、葛城市に行ってチャレンジしてみた。

結果は惨憺たるもので、大失敗。何ということだろう。

まず第一に太陽はいまだに二上山の雄岳と雌岳の鞍部に沈まない。

前回に行ったのが3月2日。それから一週間以上立つというのに、沈む位置は

少ししか変わっていない。

昨年の秋は連日行って、一日で長い距離を進んでいたとばかりに記憶に

あったのだが、これはどういうわけなのだろう。春と秋では運行スピードが

ちがうのだろうか?。それとも私の記憶違いだろうか?

しかも、空が赤くならない。焼けないのである。明るいだけだから、ホワイトバランス

などいろいろいじってみたのだが、納得いくものがどうしても撮れない。

太陽の光が強くて、太陽も白くしかならない。うーん。困ったことである。

 

ともあれ、虚仮の一念でまた行ってみることにしたい。次は16日を予定して

いるのだが、うまく撮る技術は今の私にはないだろうと思う。

 

今回も石光寺。良いお寺ではあるのだが、次には他の所に行ってから、

夕陽撮影にと考えている。

画像はすべて石光寺のもの。画像レタッチソフトのJTrimがどうしたわけか

使えなくなったので、早急に代替ソフトを探したい。

特にテキスト入力に優れているソフトを、ご存知の方は教えていただけないだろうか・・・。

この日の画像は少しだけですが下に置いています。

180310 石光寺と二上山

ここの画像は、梅にメジロ、ネコヤナギ、キブシ、ゲンゲ、コダチニンドウの順です。

 

 

 

 

 


180302 二上山と石光寺

2018年03月04日 | その他

2018.03.02 二上山と石光寺

JR桂川駅→京都駅→近鉄京都駅→橿原神宮前駅(乗り換え)→当麻寺駅(下車)

当麻寺駅から徒歩で「ふたかみパーク当麻」→傘堂→二上山雌岳→雄岳→下山

→傘堂→石光寺→千股池→当麻寺駅→桂川駅→帰宅

 

過日といっても一昨日のことなのだが、奈良の二上山と石光寺を訪ねてみた。

一番の目的は二上山の雄岳と雌岳の間に入る夕陽撮影。

もう何年も前から狙っているというのに、そして何度かチャレンジしたというのに、

未だに果たせていない。

それも無理もない。というのは雄岳と雌岳の鞍部に夕日が沈むのは年間で2日、もしくは

4日程度だからだ。太陽の運行状況は常に変化するので厳密に言えば、一年に一日も

ない日もあるのかもしれない。

その数少ないチャンスに雲天や雨天で太陽が見えない日もあるだろう。

それに何月何日に希望通りの位置に、太陽が沈むことがわかっていない。

両彼岸の頃とはわかっていても、具体的なことは皆目わからない。

「日の出・日の入り」のアプリもインしてはいるのだが、この日、3月2日の日の入り

17時55分とあり、実際の日の入り時間である17時25分とは30分の誤差がある。

アプリではものの見事に鞍部に日は沈んではいたが、それも実際とはずれている。

これは二上山の標高による誤差であり、平地であれば18時前の日の入りなのだろう。

このような誤差もあるのでアプリ情報も正確ではないともいえる。

しかも見る位置によっても随分と違うものだ。京都からはもちろん見えないし、

大阪からも見えない。大阪からは朝日である。同じ奈良でも百毫寺あたりと、

あるいは阿倍文殊院あたりから見た日の入りの場所は異なるものだ。

 

結果論として言えば、この日も大失敗。太陽は雌岳の南に、あっという間に沈んでしまった。

仕方ないので、今週の天気の良い日をみて、改めて行くことにしたい。

さて、どうなることだろう。

 

うまく写真が撮れないことも大きな問題だ。

太陽はすぐに沈んでしまうので、あれこれと設定替えをしないで、

あらかじめ設定しておくことが必要だ。ところが春と秋では太陽の光の強さも

違うし、天気によっても設定を変えなくてはならないし・・・以前に他の場所で

うまく撮れた設定が役立たない。

この設定のことは、なかなか厄介で、難しい。

今の所は必ずうまく撮れるという方法・設定を知らない。研究したい。

 

さて、二上山。

時間もあることだし・・・で、思い切って登山をしてきた。

1月2月は身体を甘やかしてきたので、いきなりの登山では身体が言うことを聞いてくれるか、

試験的な考えも密かにあった。結果としては杞憂だった。

登って降りてくるまでの標準時間が3時間とあったが、2時間40分程で下山できた。

道は途中から勾配のきつい山道。小刻みな歩幅で時間をかけて無理をせずに上る。

下りは、さほどの時間もかからない。登りは1時間40分、下りは1時間まではかかっていない。

ともかく年齢と運動不足直後ということを考えたら及第だろう。

下山後には30年以上ぶりに石光寺を訪ねてみた。

以前に行ったときは寒牡丹が盛りだった。他に大した記憶はないのだが、確かに私の

若い頃の一瞬が象嵌された場所。妙な懐かしさもある。

石光寺には春が来ていた。むろん冬と春は微妙に均衡を保ちつつ混交してあったのだが、

春の魁の匂いを満喫できた思いだ。今週のうちにも、また訪ねることにしたい。

この日の画像は例によってOnedriveに入れています。

興味のある方はご覧願います。スライドショウ再生がお勧めです。

180302二上山と石光寺 

 

 

 

 

 

 

 


180227 奈良行脚

2018年03月01日 | その他

180227 奈良行脚

素晴らしい天気の一日、久しぶりに奈良に向かう。

カメラ同好会の皆さん方のお供をして、よちよちと付いて行ったのだが、

天気が良いということは、気持ちもなんだかよくなるから不思議だ。

奈良は大昔から良く行っている町だ。若いころは京都の自宅から

自転車で10回ほどは往復している。博物館や美術館、奈良公園付近の散策が

多かったように思う。初めて吉野山に登ったのも、自転車での奈良周遊の

途次であった。


それはさておき、奈良公園浮御堂の近くの梅林での撮影会。

梅の花は少なかったのだが、これは仕方がない。人知でどうなるものでもない。

撮影会の流れで万葉植物園に行くも花が咲いていないということで、

素通りして春日大社。

さすがに藤原氏のことを思う。植物の「フジ」や、鹿は藤原氏に関係するもの

である。シカは「神使=しんし」という。ゆえにシカは今でも大切にされている。

斜めに立ちあがっているこの木はなんとか写真になりそうである。

他の写真は削除するために撮影したようなもの。そのことはとても大切なことだ。

たくさんの失敗写真を撮れば、そのことが重要な意味を持つようにも思う。


団体行動をしなくてはならないのだけど、私一人で春日大社から新薬師寺、

そして百毫寺に向かう。かつて知ったる道で迷うこともないのだが、

おそらくは3年ぶりくらいだろう。百毫寺の五色椿はまだまだで、それも残念。

枚数は少ないのですが当日の画像です。

180227奈良

重要な目的があって当麻に行く予定だったのだが、百毫寺から太陽の位置を見ると、

二上山のはるか北に落日することを確信する。二上山の雄岳と雌岳の間、

鞍部に落日するのを撮影したいと何年も前から思ってはいるのだが、

未だに果たせていない。なにしろ厳密に言えば一年で二日しかチャンスがなく、

京都にいてはその日がわからない。だいたいは両彼岸の頃なのだけど、太陽の運行は

毎年変化しており、何月何日という確定したことがわからない。

スマホに「日の入り」のアプリをインしたのだが、これがどうにも当てに

ならない気がする。天気が良くない日も当然に撮れない。

かくして今月は3~5回の奈良行きになりそうだ。

望む写真が撮れれば言うことはないのだが、まあ、運に任せることにしょう。