181123奈良ほか
すでに師も走る月に成って、今年も余すところは20日余。
言われ尽くしていることだが、全くもって光陰は矢の如しである。
むろん矢の速さと等しく歩けるはずもなく、私も遅々とした歩みを続けていて、
過ぎ去った後に悔悟に身を委ねることのくり返しでもあったのだろう。
まあそれは詮方ないこととして覚悟を決めてしまえば、大した痛痒も感じないのが、
凡人であることの証左でもあるとも言える。
今回は先月23日の奈良と27日の北嵯峨の画像を出してみたい。
24日は当尾の里、25日は箕面と勝尾寺に行ったのだか、両日の画像整理は
いまだに手つかずである。
23日の奈良は、もう20年近く続けている、ある団体のオフ会としてのものである。
興福寺の中金堂・東金堂、国宝館拝観。その後に元興寺。道すがら浄教寺と率川神社に
立ち寄ってみた。ソテツは浄教寺境内のものである。
その日、帰りの車中で月があんまりきれいなので、京都駅で降り立って月とタワーを撮影。
27日は北嵯峨の撮影会なので自転車を走らせて行く。
浄住寺から宝厳院。次に直指庵から大覚寺と広沢の池。
上の画像は浄住寺。藤原氏の流れをくむ葉室氏の菩提寺。紅葉は45年ほど前にはもっと
良かったと記憶しているのだが、いつの頃だったか紅葉の巨木を切断したので、寂しい。
下の画像は宝厳院。当日はなんとか見られる染まり具合になっていた。
上の二枚は直指庵。ここの紅葉もまあまあ見られはしたたのだが、良い時の7割くらいだろう。
この庵には50年ほど前に行って、置かれているノートに感想めいた?ことを書いたのだが、
すでに半世紀も前になることに今更ながら驚く。
最後は上が大覚寺の大沢の池。この池は映り込み撮影に良かったのだが、今回は撮影に良い
場所が立ち入り禁止になっていた。
9月の台風21号の被害が甚大だったために修復がいまだできていないからである。
下は遍照寺山の麓にある人造池の広沢の池。中世から月の名所として名高い。
ここの池の水抜きは京都の冬の風物詩の一つではあるが、なんとしたことか27日時点で
水のほとんどを抜いていた。理由は知らない。
23日27日の画像は下にあります。ご覧願います。
ブログにコメントをありがとうございました。おそらくは私の面識のない方だろうとは思いますが、コメントは大歓迎です。
「北円堂の秘密」のご紹介、ありがとうございました。検索して6番まで読み進めました。残りは後日にしたいと思います。
奈良の歴史も面白いですね。面白いという言い方は、ふさわしくはないのかもしれないですが、歴史好きを自認する私にも若い頃から興味を持っていた時代です。「いた」というのは私の加齢などを原因として少しく興味が希薄化しているようにも感じるからです。
とはいえ今年は奈良には10回以上行きました。興福寺あたりも歩き回りました。今年は若草山と二上山にも登りました。
私の奈良に対する興味も、希薄化しているとはいえ、おそらくは終生、尽きないないものかもしれません。
今回はコメントとネット小説のご紹介ありがとうございました。
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)
読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。