きさらぎあやし
春の前あたらしき鬼入れ替えて昏き陽の眼を惑いつつ撃つ
また来たる春と正月如月の逸る心を捨てる新月
樹もはだか風は荒れ吹く夕まぐれ気配を見せよあやかしの者
緩慢に斬る意思一つ捧げ持つ紙魚より遅き鎖付く足
貪欲に鏡の中の深みより出づべき声を待つや今宵も
夜の街張り付く寒の間隙にタワーは妖し翠にあやし
冬眠といつわる惰眠至福なりほどなく長き眠りの無明
あるままの夕日の中の澪標弥勒の袂イカロス行けず
うるわしき二月如月仲春に衣を替えて人の傲慢
あやうさをはらんで過ぎる如月は良きも悪しきも花の聲して
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ちょっと、言葉の冒険をしてみました。自分の歌のありようを考える時、
言葉や思考の領域を広げるためにも冒険は必然です。
成功しているかどうかは別次元の問題です。
画像も少し添付します。花はホトケノザ・ハナニラ・紅梅の順です。
素晴らしく奥深い短歌ですね。
カズさんの歌を師と仰ぎ読み続けて歌の
基礎を築きたいと思います。
「貪欲に鏡の中の深みより
出づべき声を待つや今宵も」
「あやうさをはらんで過ぎる如月は
良きも悪しきも花の聲して」
全部参考にさせて戴きコピーしましたが
上の2首が心を抉ります。
遠く・・近くカズさんの歌影を追いかけます。
何十年の重みを感じながら・・・
小難しい言葉を使って詠むよりは平易な言葉を使った方がいいと私は思います。
でも言葉というのは使わないことにはどうにもならないというのは、難しい言葉だろうが優しい言葉だろうが同じですね。
難しい言葉を使うときはそれなりの理由があるのですが、日本語の言葉の持つ特性を生かし、しかも作者の精神世界と同調するものでなくてはなりませんね。
平易な言葉が良いとは言っても、厳しい条件の中で許されるものだと思います。無条件に平易な言葉が良いというわけでもないですね。
なかなかむつかしいけど、言葉自体と歌自体をいつも真摯に見つめながらの創作でありたい思っています。