CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

Pretty Things

2024年11月06日 | EURO ROCK

プリティー・シングスというバンドをご存知だろうか?

1963年結成されたR&B系の古参バンドで、60年代末には時流に乗ってサイケデリック調のアルバム数枚を出しそこそこ知名度があった。

70年代になってレコード会社との契約が切れてしまったものの、ジミー・ペイジと旧知の中だったこともあり、ジミーが彼らに救いの手を差し伸べめでたくツェッペリンが持つレーベル、スワン・ソングと契約成立。

本日は彼らの1974年スワン・ソングからの第一弾のアルバム、Silk Torpedoでも。

ワンピースのミニを着用した女水兵らしきカワイ娘ちゃんが魚雷艇から発射された魚雷にちょこんと座っているあり得ない光景に、当時思わずジャケ買いしてしまったオイラであった。

サウンドは基本的にアメリカ向けの70年代ポップ・ロック路線のアルバム。

ちなみにアルバムのテーマ曲でもあるSingapore Silk Torpedoって曲は1954年ごろの古きよき時代のシンガポールに寄港した水兵さんがバーで酔っ払っていたら絹のようなしなやか容姿を持つダイナマイト・レディーに骨抜きにされ撃沈したって与太話で、コレぞ男の世界、ん~マンダム! 更にAtllantaとかBelfast Cowboysなるご当地ソングも2曲収録されていて、クール・ファイブも真っ青。

ただ売り上げとなると全米チャート104位とズッコケてしまい、ペイジさんの面目丸潰れ。

とは言え、このレコードが醸し出す70年代の古き良き時代のまったりしたロックは嫌いではない。


Polnareff’s(ポルナレフ3)

2022年12月29日 | EURO ROCK

日本では60年代のシングル曲だった、ノンノン人形、悲しきマリー、ラブ・ミー・プリーズ・ラブ・ミー(愛の願い)とか70年代のシェリーに口づけやHolidays(愛の休日)なんかでフランス語で歌われる流行歌、フレンチ・ポップスのカテゴリーで一括りにされているミシェル・ポルナレフ。

その彼が日本では1972年(フランスでは1971年にリリースされた)にエピック・レーベルから非常にチャレンジングな3枚目のアルバム、Polnareff’s(ポルナレフ3)が出た。

日本ではSQ方式の4チャンネル仕様で発売された。

インスト曲数を含むロック、ジャズそしてクラッシックが融合したトータルなプログレ・アルバムと言えるのでは…

当時はちょっと難解に思われたのか残念ながらヒットには恵まれなかったがこれが彼の本質でありフレンチ・ポップスの枠は当然超えた作品だったと思う。

Polnareff’s(ポルナレフ3)よろしおます。

因みに日本のレコード会社のポルナレフのマーケティング路線とは異なっていたのか、同年ポルナレフ・ナウ(ポルナレフ4)のタイトルで1969年から1971年のヒット曲をコンパイルしたこれぞフレンチ・ポップス!って感じの日本独自の編集アルバムを発売しフレンチ・ポップスのスターとして彼の日本におけるイメージを強引に確立させた。

 


連休中

2022年05月02日 | EURO ROCK

連休となるとやっぱりこれですかね?

ミッシェル・ポルナレフの1972年の大ヒット曲、Holidays(愛の休日)。

定期テストに向けて一夜漬けを敢行。

シンとした真冬の真夜中、机の上の蛍光灯だけがぼんやりと問題集を照らす。

そしてボリュームを絞ったラジオからこの曲が聞こえてくるとふと手が留まる。

何やらフランス語で歌われているがチンプン・カンプン、かろうじて英語のHolidaysのみが理解できたっけ。

それは今でも変わらない。

 


懐かしいイタリアーノ

2022年02月17日 | EURO ROCK

7年前にこのブログで紹介したソフト路線のイタリアン・ロック・バンド、I Pooh(イ・プー)再登場。

1972年に発売された、彼らの4枚目のオリジナル・アルバム、Alessandra(邦題 ミラノの映像)はジャケに惹かれた。

(裸足の二人が素朴な感じでいいね)

ゴージャスなストリングスにバック・アップされた甘い旋律は当時人気のあったイタリアン・プログレ・バンド、PFMの対極をいく。

この甘〜い旋律は日本人の琴線をかなり刺激したのか、直ぐに廃盤にならずに何度かLP もしくはCDで再発されたみたい。

当時LPを買うお金がイタリアン・バンドまで回らなかったこともあり、丁度FM放送で全曲オン・エヤーする番組があったので、今や死語となったエヤ・チェックでカセットに録音して楽しんだ懐かしい思い出がメロディアスに蘇る…


海外で買ったCD達

2020年12月10日 | EURO ROCK

東南アジアではメロディアスな曲が圧倒的に受ける。

80年代ならオーストラリア出身のAir Supply、90年代ならデンマークから飛び出したMichael Learns To Rockですかね。

(シンガポールで買った1993年発売のセカンドアルバム、Colours)

日本でのライブの会場は数千人規模のホールが精一杯。しかし東南アジアでなら数万人が集まる屋外での公演と言うから凄いの一言。

オォっと、このお方達も忘れてはならない。

ドイツのハードロック・バンド、Scorpionsである。

70年代初めごろから活動を始め人気が出だしたのが80年代で、世界的にソコソコのヒット曲を連発。

彼らはハードなナンバーだけではなくハイトーン・ボーカルによるメロディアスな泣きのバラードも得意としている。

シンガポールに住んでいたとき買った彼らのベスト盤とでも言えるCDを持っているが、The Millennium Collectionと銘打たれたEMI独自企画の東南アジア向けCDでマレーシアでプレスされたものである。

(1999年発売のThe Millennium Collection)

売りは17曲のベスト・ヒット・シングルを収録となっているが、調べたところではそのうちの2曲はシングル・カットされていないみたいだが、まあ看板には偽りのない程度の宣伝文句なので不満はない。

彼らのシングル・カットは比較的メロディアスなバラードが採用されることが多いので、そう言った意味では東南アジア向けのベスト盤と言って差し支えない。

収録曲全17曲、トータル80分弱を一気に聴くのは歳の関係でチート辛いものがあるが、内容は概ね良好。

1991年の彼らの大ヒット曲、Wind Of Changeを聴けば東欧の脱共産化から東西ドイツの統一経てソ連邦の崩壊へと風向きが変わって行った激動のあの頃を思い出す。

あれから30年経つけど世界は大きく変わったのか?

超大国は相変わらずマウント取るためお互い睨み合い、隙あらば!てな状況が続いてるような…


古〜いヤツ、み〜つけた!

2020年09月15日 | EURO ROCK

50年代末頃からと活動歴は古く、1961年レコード会社と契約しバンド名をThe Spotnicksと旧ソ連の人工衛星の名前を借りてレコード・デビューしたスウェーデンのバンド。

エレキのインスト中心の演奏で、ヨーロッパを中心に人気を博す。

折からのエレキ・ブームだった60年代の日本でも1965年シングル・カットされたKarelia(霧のカレリア)が大ヒット。

牧歌的メロディーのインストで間奏に“走れ〜 トロイカ〜 ♪♪”とロシア民謡が挿入される。

現在フィンランドの国境に接してカレリア共和国なるロシア連邦に所属する共和国があり、この地方はかって中世のバルト帝国の領土だったらしい。

バルト帝国がロシア帝国との戦争に敗れ現在のフィンランドおよびカレリア一帯がロシアに併合された。その後フィンランドはロシア革命の混乱に乗じて1917年からロシアから独立するが、カレリア地方は帰ってこなかったてな話がネットのサイトに載っている。

60年代、ちょうど米ソの冷戦時代真っ盛りで、スプートニクスと名付けられたスウェーデンのバンドが、かってスウェーデン(バルト帝国時代)の領土と同名のカレリアなる曲をトロイカのおまけ付きでレコーディングしたと言うのは、何らかの政治的メッセージが込められていたのかな?なん〜て今更ながら感じる。

それはあんたの考えすぎ!

当時の日本人はこの曲を聴いて“走れ〜 トロイカ〜 ほがらかに、鈴の音高く〜♪♪”って親近感を持って朗らかに口ずさんでいたってば!


U2の新しい旅路

2019年07月08日 | EURO ROCK

1987年のThe Joshua Treeと1988年のRattle And Humでアメリカでのルーツ・ミュージックを探し求めた旅は取り敢えずここで終了。 

彼らが望んでいたものが得られたかは別として、両アルバムは大ヒット。

U2は一気に世界のトップバンドの地位に登り詰める。

それではお次もトリロジーという事でその続編といきたいところであるが、いとも簡単に過去の栄光と決別し彼らは全く新しい創作活動に入る。 

そこから生まれたのが、1991年のベルリン録音、Achtung Babyで、ヨーロピアンサウンド特有の何と無く翳りを感じさせるアルバムが完成。

 ...

ブライアン・イーノもプロデュースに関わっていることから、時代は異なるがかってデビッド・ボウイーがアメリカでStation To Stationを録音した後、1977年にイーノが絡んでヨーロッパ録音でLowを制作した事例によく似ている。 

一つのジャンルに拘りその道を極める方向に進むのもありだが、ボウイーやこのバンドの場合、時代を先取りし常に進化しなければならない宿命みたいなのがあるのだろうか....

I Still Haven’t Found What I’m Looking ForやAngel Of Harlemなど耳触りの良い曲が恋しくなる時もあるが、過去の成功に縛られたく無い潔さにクールさを感じるこのアルバムは捨てがたい魅了あり!

 


幻のライブ・アルバム、Polnareff A Tokio

2019年02月19日 | EURO ROCK
先日友人からメイルが入り、家の中を整理していたら昔買った古いレコードいくらかあるので欲しけりゃ貰ってくれという話だった。

早速、出掛けていただいて参りました。

今回の掘り出し物は、ミシェル・ポルナレフの幻のライブ・アルバム、Polnareff A Tokioだね。


(ジャケ表)


(ジャケ裏)


(ゲート・フォールド・ジャケの内側)


(インナーの写真)


(エピック・レーベル、なんとSQのLP!)

1972年11月に東京厚生年金会館で収録されたライブ・アクトで、日本限定の発売で、勿論廃盤となっている。

確かこのアルバムから、火の玉ロックがシングル・カットされたような記憶がある。

この音源を求めようと思うなら、2017年の松に発売されたポルナレフの全集、CD二十三枚組を購入せねばならないようだ。

てな事で、頂き物のLPで当時のポルナレフのライブの雰囲気十分に楽しまして頂きました。

モダ〜ン・ロックのススメ

2018年08月18日 | EURO ROCK
Modernと書けば“現代の”とか“近代的な”って形容詞の意味になる。

モダンとカタカナで書けば思い起こすのが、関西のお好み焼き店のモダン焼きと言うメニュー。

お好み焼きの玉に蒸した中華そばを合体させて焼く炭水化物の塊になんでモダン焼きと命名されたのかは分からぬが、安くて食べ応えがあるので、私にとってはラーメン・ライスにそば飯と並ぶ黄金麺食トリオと言える。

ロックの世界にも、クラッシック・ロックと差別化を図るため、70年代末ごろからモダン・ロックという言葉が出てきた。その後、色々と派生し別のロックということで、Alternative Rock(オルターネティブ・ロック)なんて呼ばれることも。

エイト・ビートに乗ってギター・ヒーローの奏でるソロ、ボーカリストのシャウト、またプレグレ・バンドが披露する超絶テクノ演奏もない。

この手の分野はちょっと苦手で馴染めないと思い込んでいた。

そんな私も修行ということで買ってみたのが、次のアルバム。

1993年発売のアイルランド出身の女性シンガー・ソングライター、Bjorkのソロデビュー・アルバム、Debut。

この風貌で、あのサウンド。ギャップありすぎ。


裏ジャケの写真


ブックレット内の写真、完全にアイドルしてる。

当時音も聴かずに、完全なジャケ買い。

このお嬢さんがいかなる音を出すかと興味津々、期待に満ちて早速CDトレイに載せる。

で、レッツ・スタート・ミュージック!

あら、ぶったまげた! 

想像とは全く違う当時の先端を行く電子ビートに乗せ、今まで聴いた事のない モダ〜ンな香りの充満したポップ・ソングが次々と 。

英国で3位にランク・イン、他のヨーロッパ諸国でもヒットとなる。

果たしてクラッシック・ロックに長年縛られてきたおっさんが、ここに来てモダン・ロックに開眼するだろうか?

モダン焼きが好物だからいけるんじゃね〜と思ってから月日は流れたが、いまだにポジションは変わらない。

しかも歳を重ねると炭水化物を多く取れなくなってきたみたい。

やっぱりお好み焼きは、そば無しのシンプルな豚玉に限る。

でもBjorkのDebut、あれから早25年すぎましたが、今聴きてもいい線いってますよ。

80年代前半のアバって?

2018年04月07日 | EURO ROCK
7年間の長き沈黙の後、1981年新生クリムゾンここに誕生!

しかしその裏では、大変なことが起こっていたのであった。

助手:博士〜 大変です!

博士:何事じゃ! せっかくアラベスクのペパーミント・ジャックを楽しんでおるところなのに。

助手:ペパーミント・ジャックどころではありません! 遂に彼女達の日本限定のベスト・アルバム、Greatest Hits なるものが発売されました!

(日本ビクターのレーベル使用、ピンボケですいません)

博士:なんと!既発の4枚のLPから選りすぐりの曲ばかりで、9枚のヒット・シングルは全て収録されているじゃと?

(ジャケ裏の曲目の表記、確かにベストです)

助手:新生クリムゾンのニュー・アルバムなんて目じゃありません! 最強です!

1980年10月に発売されたヒット・シングル、“さわやかメイク・ラブ”も当然収録されていますが、歌詞がぶっ飛んでいます。

博士:オォ〜、オリジナルのタイトルが、Make Love Whatever You Canというやつじゃな。

助手:ぶっちゃけ、“やれるときにやっちゃいな”ってことですよね?

博士:ムム〜。英語で言われればかなり危ないタイトルじゃのう〜 まあ欧米人はそっち方面は結構大らかじゃから、 ストレートな表現になるのかのう〜

助手:そうですね〜 でも、さわやかなメイク・ラブって一体なんなんですかね?

ここでの訳詞は、Make Loveを“恋する”とオブラートに包んだ表現に置き換えていますが、恋するって英語で書くと、一般的にはI am in loveとか fall in loveですからね〜。


(エェ〜、明日まで待てないって、今すぐなんすか?)

中学生が額面通りの翻訳を知ってしまうと、教育委員会が黙っちゃいませんからね〜

博士:確かに、破壊力満点の歌詞じゃの〜 これでは新生クリムゾンも霞んでしまう。

通りすがりの人:そんな事どうでもいいじゃないの。聴いてて楽しけりゃ。

確かに、その通り。

やっぱり、アラベスク、バンザーイ!

再結成お願いします。

歳も歳だし、現在のお顔をお見せするのはちょっと厳しいかと….

それじゃ、唐草模様の風呂敷被って登場すれば?

それもちょっと厳しいかと….

とぼけの奥義A-HAとは?

2018年01月18日 | EURO ROCK
先日アップしたセンター試験の地理のムーミンに関する出題について大いに盛り上がっているようだ。

何しろ、官房長官の定例記者会見でもこの出題に関する質問が出たそうな。

設問ではムーミンの物語の舞台についての解答が必要だったため、作者のトーベ・ヤンソンは確かにフィンランド人だが、厳密に言うとムーミンの舞台は架空のムーミン谷で、必ずしもそこがフィンランドとは言い切れない。

また原作がフィンランド語ではなくスウェーデン語で書かれていたことから、余計に話がややこしくなってしまった。

フィンランド大使館からのコメントとして、ムーミン谷は何処にあったのかの言及は無く、各々の心の中に存在するという回答を出し、更なる混迷を深めている。

そもそもスウェーデンを選択する解答ではなく、この場合ノルウェーかフィンランドのどちらかの選択がメインの問題であるため、最も妥当と考えられるものを必ず一つ選びなさいと指示しておけば、消去法で答えが導き出されると思う。

まあ、揚げ足を取られないよう出題者がもう少し出題内容に何らかの工夫を施したなら、ここまで大きな問題とはならなかったと思う。

色々議論はあるけど、個人的には単なる暗記問題よりは興味深い設問で良かったのではないかと...

ところで北欧諸国といえば、人口は少ないけれど世界的に結構影響を与える一味違う文化や技術を提供してきた。

今はスマホに押されてダメになったけど、一昔前携帯電話といえばノキア(フィンランド)やエリクソン(スウェーデン)なんかが最先端いってたし、車でもボルボとかサーブなんてハイ・グレードな性能且つ一発でわかる独特のデザインを有していた。

本日はバイキングの子孫だったかもしれない一味違う、ノルウェー出身バンド、A-HAはいかが?

1985年のファースト・アルバムHunting High And Lowからシングル・カットされ全米一位に輝いたTake on Me。

通常のポップ・サウンドとは一味違う味わいの楽曲で、当時アニメと実写を融合させたユニークなプロモ・ビデオがMTVで盛んにオン・エヤされていたような記憶がある。

助手:記憶力崩壊という割には、よく覚えていますね。

博士:そうじゃのう。ロック関連、食べる事そしてお金に関することは結構覚えておる。

助手:但し借りたお金についてはすぐに忘れますね。もし外国人に借金の支払い督促されたらどうするんですか?

博士:其の時は、適当に相槌を打ち判った振りをしてその場を何とかしのぐのじゃ!


外人:お金早く返してください~、ペラペラ、ペラペラ~

博士:ア・ハァ~、それから?

外人:ペラペラ、ペラペラ~

博士:ア・ハァ~、了解!

これぞ、ノルウェー仕込、とぼけの奥義A-HAの技じゃ!

助手:そんなの無いってば~!


このカレー辛くナイヨ~ インディアン嘘つかない。 ギャァ~辛い! 唐辛子山盛りだよ!

2017年11月05日 | EURO ROCK
海外に住むと、日本ではあまり食べないような食材が数多くある。

特に東南アジアの場合は、年中暑く食欲が落ちて体調不良にもなるので、胃を刺激して食欲を増進させるためかなりの量の唐辛子を食べる。

定番として、緑色した唐辛子の酢漬けもしくは赤唐辛子を刻んで小皿にとって、地場のしょうゆをかけてビリ辛タレを作る。

オカズをそのタレにチョコっと浸して口に入れ、同時にパサ付き気味の御飯も投入って感じの食事になる。

同時投入の御飯により、辛さは若干薄まるがそれでも慣れない人にとっては辛く感じる。

それ以外にも、豚の血を固めた血豆腐とか羊の脳みそ入りのスープなんってのもある。大昔現地の人に連れられて屋台でそれらを始めて食した。

血豆腐は食前に料理の解説が無かったので特に問題はなかったが、脳みそのスープはやっぱりあの特有なひだひだの形状からちょっと躊躇はしたが、無事完食。

ベトナムでは、ホンダのスーパー・カブの荷台に金網つきの木の箱を取り付け運転するオッサンを街中でよく見かける。

木の箱の中身は何ぞと中をのぞくと蛇がウジャ・ウジャ。

日本では一般的ではないか、広義の中華圏では結構蛇を食する。

私の知人は、ベトナムの蛇専門レストランにて、透明な蒸留酒に蛇の血を落としたものを飲んだとか、生きた蛇を捌き取り出した心臓を食べたとか言っていた。

何の解説も無く蛇と判らないようにしっかりと調理された部分だけなら食べてしまうこともあるが、先に蛇料理と言われるとね~

ロックの世界で蛇料理と言われれば思い出すのがこのアルバム・ジャケ。

イタリア出身のプログレ・バンド、PFMが1974年に出したアルバム、その名もCOOK (LIVE IN USA)。

彼らのアメリカ公演を収めたライブ・アルバムで白熱したノリノリの演奏を聴くことが出来る。

ELPが設立したマンティコア・レーベルから海外デビューし、ELP張りにクラッシックの名曲をバイオリンを使ってロック・アレンジで演奏した曲がある。

それはALTA LOMA FIVE TILL NINEと言う曲の最後の締めに登場。

ご存知ロッシーニ作のウイリアム・テル序曲の一節で、アメリカの西部劇、ローン・レンジャーの主題曲にも使用されていた。

ヨーロッパでは格調高い響きを持つバイオリンの演奏が、アメリカ公演ではフィドルに変わった瞬間って感じで大うけ。

しかしながら、プログレ不毛の地アメリカでイタリア人が英語で歌うとなると中々難しいこともあって、1977年のJET LAGを出した後は、元のイタリア語に戻った。

食文化も同じで、外地の人間に地場の食材が受け入れられるには結構時間がかかる。

日本でも、すしや刺身など日本食ブームで特に蛸とか雲丹なんかは海外の人にとっては近年抵抗がなくなってきた食材だと思うが、ポン酢なんかにつけてコリコリした食感を味わうナマコの刺身なんかは、生きている実物を見せるとまだまだ受け入れ難しいのではないかと思う。

それでは今日はこの辺で。

ハイヨー、シルバー!

ゴールデン・イヤリングのCut、我が家の地味なレコード紹介シリーズ、その七

2017年09月27日 | EURO ROCK

新宿ゴールデン街? いや違った。ゴールデン・ハーフ(古い!)? でもない。

オランダ出身のハードロック・バンド、ゴールデン・イヤリング!

1961年に結成、最新アルバムが2012年で今のところ解散したとは聴いていない4人組のご長寿ロック・バンド!


そして今回紹介するのは、1982年に発売された通算17枚目のアルバム、Cut。


オランダ出身バンドと言えば、古いところではショッキング・ブルー、70年代のプログレ・バンド、フォーカスとかカヤックなんてのを思い浮かべる。

そう言えば、ゴールデン・イヤリングと言えば、70年代に出したセクシーなジャケットのアルバムあったけ。(1973年のMoontan)


何で知ってるアルバム買わなくて、これ買ってしまったのかね?

購入の経緯の記憶がまったく無いので、多分ジャケットのイメージによる衝動買いだろうか?

ところで、このアルバムはアメリカで成功したみたいで、全米24位。またシングル・カットされたTwilight Zoneも堂々10位を獲得。

非英語圏のバンドとしては、アメリカで結構売れたようだ。

と言うことで、ピック・アップした数曲をユーチューブでさらっと聴いてみると、私的には何のことは無い普通のロック・バンドって感じで… 

ゴールデン・イヤリングのファンの皆様、御免なさい。

じゃあ何が彼らの曲をチャート上位に食い込ませたのかと言うと、どうもMTVが絡んでいるようだ。

ちょうど1981年に映像を伴ってテレビでずっと音楽をオン・エヤーすると言う新しい試みが始まった。

彼らのシングルTwilight Zoneは、映画的な展開とダンスが絡むという映像が曲とマッチしたみたいでMTV視聴者にとって新鮮なイメージを与え、それがヒットに繋がったとの事。

な~るほど、そう言う事か。

しかし、私のような古いタイプの人間にとっては、MTVは苦手である。

何故なら映像のイメージが曲に刷り込まれるので、もし自身の持つ曲のイメージと映像がかけ離れていたら二度と見る気は起こらない。

アルバム・タイトルの如くCutするわけにもいかないし、MTVの映像の助けなしにアルバムをなんとか楽しむしかない。

今度日本に帰国した際、ステレオの前に正座して大音量で取り合えず聴いてみようではないか。

爆音で過去の記憶が蘇るかもしれない。


エスプレッソとアメリカン・コーヒー、I POOH

2015年10月17日 | EURO ROCK
二ヶ国語を話せる人は、“バイ・リンガル”、三ヶ国語の場合は、“トリ・リンガル”。

それでは、一ヶ国語しか話せない人は? 

それは“アメリカン”!とよく彼らをジョークで揶揄ることがありました。

実際、アメリカの会社がヨーロッパの会社と商用で交信する場合は現地の言葉ではなく英語で行われます。英語が世界的に共通語もしくは公用語の扱いを受けているので、どうしてもマイナーな言語は使用されません。

同様に英語圏以外からアメリカやイギリスに進出するミュージシャンは、ABBAやA-HAのように英語での歌唱が必須とされます。そうでなければ、歌なしのインスト物となります。

勿論例外もあり、身近なところでは故坂本九氏が歌った“上を向いて歩こう”が全米1位に輝きました。しかし、これは例外中の例外のケースでしょう。

以前紹介した、イタリアのプログレ・ロック・バンド、I POOHもアメリカ進出のため自作の既出曲を英語にて再録しアルバムとして出しました。それが1980年に出したアメリカ向けのアルバム、HURRICANEで、サウンドもアメリカ受けするようにディスコ・タッチや少し軽めのストリングスなどを用いるアレンジとなりました。

全編英語で歌われた楽曲は、残念ながら日本人が持つイタリアのバンドのイメージとは違う平凡なポップ・サウンドのように聴こえました。アメリカ人がそれをどのように捉えたかは定かではありませんが、アルバムがアメリカでチャート・インすらしなかったことから、失敗作となったのは間違いありません。

普段エスプレッソを愛飲している人が、急にアメリカン・コーヒーの味になじむことは難しいことから、一気にアメリカン・ナイズされたサウンドを持ち込むのではなく、ヨーロッパの香りを残しつつ彼の地に徐々に馴染むような感じのカプチーノで最初は攻めていくのがよいのでは?

Pooh - Hurricane

ペパーミント・ジャックのペパーミントってハッカのこと?、アラベスク

2015年06月21日 | EURO ROCK
助手:あれ? 博士、今日は日曜日ですよ。お休みじゃなかったのですか?

博士:ちょっと、古い資料を見ていると新たな発見があったので、調べていたところじゃ。ところで君、1979年8月29日て何があった日か知っておるかね?

助手:そんな古い時代のことはわかりませんが。

博士:なんと、8月29日から3日間に渡って、あの帝国ホテルに於いて、日本で初めての“国際ディスコ会議”なるものが開催されたのじゃよ。

助手:博士、よくご存知で。

博士:古いレコードのライナー・ノートを読んでいると、たまたまそのことがわかったのじゃ。特に昔のライナー・ノートを読むと突っ込みどころ満載で読んでいて楽しいのう。参考になる資料が少ないにもかかわらず、所定の枚数の原稿用紙を埋めていかないとだめだから。直接関係のないネタや空想はたまた妄想を膨らまして書くのじゃ。

読んだこのライナー・ノートはアラベスク-IIというアルバムのもので、なんとアラベスクとは直接関係のない国際ディスコ会議というネタで、2/3 の量の原稿を埋めているのじゃ。おまけにアレンジを担当した人物に関しては、“残念ながら詳しいことはわからない”と堂々と述べておる。なんのためのライナー・ノートなのか? まあ、すごいの一言じゃ。


助手:アラベスクと言えば、1977年に、当時の西ドイツからデビューした女性3人組のディスコ・シンガー・グループですね。なんでも、当時世界的に売れた、ユーロ・ディスコのスター、ボニーMにインスパイヤーされて結成とか? そう言えば、シルバー・コンベンションなんていうのもありましたね。

博士:残念ながら、ボニーMのように世界的なヒットとはならなかったようじゃ。しかしどうゆう訳か、日本では人気が出てその勢いで他のアジア諸国や旧ソ連などで局地的に受け入れられたみたいじゃ。 本国では3枚のオリジナル・アルバムと1枚の編集盤のみが発売されたが、なんと日本では9枚のオリジナルが出たという、日本の御用達ディスコ・サウンドと言えるじゃろ~。

助手:博士~、大変です。オリジナル9枚に、ボーナスCDとDVDが各1枚がついた11枚組の世界初紙ジャケ限定ボックス21,600円で今年の2月に発売されています。博士いかがですか?


博士:値段的にきびしいのう。そもそも、ディスコ・サウンドは苦手ではないが、熱心に聴く方ではないんじゃ。それに、このレコードが当時何故購入されたのか経緯もわからんのじゃ。しかし、これほどのものが商品化されたとは! 日本のディスコ・ファンの勢力も侮れんのう。資金力から言えば、我々は完全に負けておる。

助手:じゃ取り敢えず、聴いてみることにしましょう。

博士:なになに、1曲目はペパーミント・ジャックだと? なかなか、 爽やかでよろし~

助手:博士~、大変です! さらに調べたところ、このアルバムからメイン・ボーカルに当時17歳だったサンドラ・アン・ラウアーが新しく起用され、美形かつ小顔で手足が長いモデル・タイプの美女で、当時日本のアイドルがいないタイプで人気を牽引したとなっています。

博士:それがどうかしたの?

助手:ジャケ裏の写真みてください。メンバーの名前が記載されていないので、誰が誰かは区別できませんが、メンバーのうち2人がタバコを吸っており、あと一人が灰皿を持っています。灰皿を持っている人の容姿が、失礼とは思いましたが、とても17歳には見えないので、たぶん残りの2人のどちらかが サンドラ・アン・ラウアーで、タバコを吸っているものと推測されます。教育委員会からクレームがつくのでは?


博士:それはたぶん、オリオンのココア・シガレットじゃないかのう? わしも大昔買ったことがある。


この商品にはすっきり爽やかな気分にさせるハッカが入っておって、たぶんペパーミント・ジャックのペパーミントの爽やかさを日本人に知らしめるために裏ジャケ採用された写真ではないのかな?

助手:なるほど!さすがは博士ですね。感服しました。

Arabesque - Peppermint Jack