CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

癒しのプログレ

2025年01月30日 | PROG ROCK

1972年、ムーディー・ブルースはメンバー・チェンジを経て再結成での7枚目のスタジオ・アルバム、Seventh Sojournをリリースした。

(違いのわからぬ男がSACDで聴いてみる。どう、何か違いわかった? むむ〜....)

通常プログレ・バンドは高い演奏能力をバックにロックだけでなくフォーク、ジャズやクラシックの要素を織り交ぜながら通常のポップスとは異なる大胆な展開の曲作りを披露する。

それ故聴き手も如何なる展開にもついていける様神経を集中させスタンバイするのであるが、このバンドは余り奇を衒う様な事はせず至って保守的な作風だと思う。

特にこのアルバムはオイラがガキだった頃初めて聴いた時にはなんだか地味に思えたのだが、何度もリピートする事によってそのメロディーが浸透するが如くゆっくりと脳内に刷り込まれていき、聴いていても余り疲れないオジンのオイラにとって癒しのサウンドとなった。

因みに、メンバーで存命なのはジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジのみ。マイク・ピンダー、グレアム・エッジとレイ・トーマス、更に第一期メンバーだったデニー・レインとクリント・ワーウイックらはこの世にいない。

パトリック・モラーツ:ちょっとお待ちなせ~ オイラを忘れちゃいない?

ジャスティン:あぁ~ パトリック、久しぶり。でも君は貢献度の低いサブ・メンバーだったからね。

パトリック:それじゃ話が違う。訴えてやる!

てな事でパトリックは裁判で勝訴したものの、彼のUS$500,000の賠償金請求に対してUS$77,175しか得られなかったそうな….

ポリドール・レーベル時代のムーディーズ

あれ?パトリックがいない! ポリドール時代のコンピ・アルバムでは写真が反転され人物を再配置しパトリックの画像が消去されている。

もう癒やしどころじゃないみたい。

 


ロニー・スコット・クラブでのライブ

2025年01月29日 | Jeff Beck, Eric Clapton and etc.

ジェフ・ベックの2003年のスタジオ・アルバム、Jeffをエピック・レーベルから出したものの、その後オン・ライン限定とかアン・オフィシャル的なライブ・アルバムが2枚出たものの新たな創作活動の話は聞こえて来なかった。

そして2008年に突如イーグル・レコードからロンドンにあるジャズ・マン、ロニー・スコットが所有するクラブでのライブ・アルバムが発売された。

通販サイトで速攻でCDを購入。

聴いてみるとジャズ・フュージョン系インストに転向後の集大成のようなアルバムで、ベック先生の更に年季の入ったギター・テクのてんこ盛りで中々心地よく、更に会場がベック先生にしては非常にこじんまりした会場で収録されたのでその場で聴いている様な臨場感もある。

残念だったのはCDには16曲しか収録されておらず、後から分かったのだがその模様を収めたDVDにはゲストの歌手による歌もの3曲とクラプトンと共演した2曲、計5曲がエクストラとして収録されている。悔しい〜

ただ当時我が家にはテレビに直接繋がれたブルーレイ・プレーヤーがあるのみで、テレビの貧弱なスピーカからの音声では鑑賞に耐えられない、いつかまともなシステムを構築してからDVDもしくはブルーレイのメディアを買う!と誓ってからすでに17年あまりが過ぎ去った。

やっぱり新システム構築のための先立つものとかオイラの狭い小部屋での設置スペースなんかを考えると無理筋だったね。

えっ! あんたの低性能な駄耳ならテレビのスピーカで十分だって?

確かに。どうも失礼しますた。


まだまだ通過点

2025年01月27日 | BRITISH ROCK

そこそこの成功を収めた前年のコンセプト・アルバム、Eldoradoの作風を継承し更にポップになったのがELOの1975年の5枚目のスタジオ・アルバム、Face The Musicだ。

アルバムは全米8位、アルバムからカットされた2枚のシングル、Evel WomanとStrange Magicもそれぞれ10位と14位とアメリカでの大ブレーク寸前だった。

天邪鬼なオイラとしては、大成功前夜のまだまだ未完成な彼らではあるが何かヒントを掴んだこの頃が大好物。

大成功を一気に成し遂げてしまうと、レコード会社からの圧などもありどうしても次作の制作において冒険をする事なしに無難な方向へと妥協してしまう事が常である。

1977年のダブル・アルバム、Out Of The Blueで頂点を極め、その後のアルバム、DiscoveryやXanaduなんかは売れに売れたが、頂点を極めれば大体その後は下り坂、オイラとしては普通のポップ・アルバムって印象だった。

やっぱり成長過程のアルバムであったFace The Musicを聴いた後、次のアルバムでどんな新しい進化を見せてくれるのかって思うと当時ワクワク感で一杯だったね。


リラックスの勧め、その2

2025年01月26日 | CCR and John Fogerty

本日はCCRの1968年のヒット・シングル、Suzie Qを収録したセルフ・タイトルのデビュー・アルバムでも。

メンバーが西海岸出身も、演奏は泥臭い南部のR&Bをベースにしたシンプルなルーツ・ミュージック。これに当時西海岸で流行りのだったアイアン・バタフライやヴァニラ・ファッジらが多用したサイケデリック調長尺インプロの風味を塗した仕上がりとなっている。

単調と言えば単調なんだけれど、当時東西の大国が睨み合い各地で代理戦争が起こるなど不安定な社会において何か心の拠り所を求めていた若者には緊張を緩和するこの単調なビートに結構ハマったのでは無いかと。

時間に追われる神経をすり減らす現代人も、たまには3分完結ロックではなくこの手のゆったりした展開のロックを聴いて心のリハビリすればいいかも。


リラックスの勧め

2025年01月25日 | AMERICAN ROCK/POPS

売れようが売れまいが、勿論売れた方がいいけれど、流行とは関係なしに我が道を行くライ・クーダー。

1974年の4枚目のオリジナル・アルバム、Paradise And Lunchでも古き良きアメリカのルーツ・ミュージックをベースに独自の世界を形成している。

上手くいかない時だってある。

そんな時はくよくよしたって仕方が無いし、マイペースでゆったりした気分で進むに限るってな気分にしてくれる癒しのミュージック。

ハード・ロックもいいけれど週末はリラックスした気分でこれを聴きながら糖質Zeroの缶酎ハイをグビリ。

あら不思議!鄙びた集合住宅の小部屋での酎ハイがパラダイスのランチ・タイムでのカクテルに….

んなわけねぇ~


やっぱりソロ活動がよろしいみたいで

2025年01月24日 | Jeff Beck, Eric Clapton and etc.

1970年、ジェフ・ベックは新メンバーをリクルートし第二期に当たるジェフ・ベック・グループを始動させる。

ただ残念ながら1971年のRough And Readyと翌年のセルフ・タイトル、Jeff Beck Group(通称オレンジ・アルバム)の2枚を出して解散と短命に終わる。

ジェフによれば自身の思い描いたアルバムの完成度にバンドが到達していないてなことだったらしい。

最初にコージー・パウエルが骨折のためバンドから抜ける事に、そしてボーカルのボブ・テンチとベーシストのクライブ・チャーマンらが解雇され、代わりに元バニラ・ファッジのリズム・セクションのティム・ボカートとカーマイン・アピス、それに新しいボーカリスト、キム・ミルフォードが加入しツアーを行うも、ボーカルの実力の足りなさに解雇されボブ・テンチが再度加入。

ツアーが終了するとボブとキーボードのマックス・ミドルトンが脱退し出入りの激しい事に、結局残ったジェフ、ティムとカーマインの3名によってBBAの結成に至る。

ブッカー・T・アンド・MG’sのメンバーだったスティーブ・クロッパーがプロデュースしたこのオレンジ・アルバム、オイラとしてはジェフのギターは勿論のこと南部志向のブルージーさも漂い中々いいアルバムだったと思うのだが… なんで解散しちゃったのかな?

てな事でこれまた短命に終わったBBA後は、ジェフはソロ活動に勤しむことに


本日もグラムでいこう! その2

2025年01月23日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

グラム・ロックと言えばこのバンドも忘れてはならない。

イアン・ハンター率いるモット・ザ・フープルだ。60年代末頃バンドが結成され、アイランド・レーベルのガイ・スティーヴンスのプロデュースで1969年にレコード・デビュー。

実力派で特にライブに人気があったもののレコードの売れ行きが芳しく無く4枚のオリジナル・アルバムを出した後バンドを解散させる決断をするも、デビッド・ボウイーの助けによってバンドはレーベルをコロンビアに変えて再出発。

そして1972年のアルバム、All The Young Dudesがヒットしバンドは復活。

売りはやっぱりイアン・ハンターの語りかける様な迫力のあるボーカルだが、途中で脱退したミック・ラルフスやその後任のギタリスト、アリエル・ベンダー(ルーサー・グロブナー)らのギター・ワークもいい味出ている。

ただ残念ながらコロンビア時代(1972−1974)に3枚のアルバムを出してバンドは解散。

その頃の彼らの活躍をカタログ的に手っ取り早く聴けるのが1976年に出たベスト・アルバム、Greatest Hitsで3枚のオリジナル・アルバムとシングルから選曲されている。

もしこれらのサウンドが気に入れば彼らのオリジナル・アルバムやライブ・アルバムでさらに深掘りするのがおすすめかな。

ドン・マクリーンのAmerican Pieのアンサー・ソングとでも言えるThe Golden Age Of Rock ’N’ Rollはオイラを能天気な気分にさせて本当にご機嫌。


本日もグラムでいこう!

2025年01月22日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

グラム系ルー・リードのお次は同じく1972年に出たT.RexのThe Sliderでも。

(1992年のアメリカ盤再発CD)

レコード取り出して聴いてもいいのだが、ターン・テーブルに乗るまでの儀式が結構面倒くさいので本日はCDにて再生。

T.Rex名義では3枚目のオリジナル・アルバムではあるが、マークが設立した自身のレーベル、T.Rex Wax Co.からの初のアルバムである。

売れていない時はそうでもないが、人気に火が付くとやっぱりレコード会社に美味しいところを持っていかれるって余計に感じ、自身の名義で曲を管理するのは誰しも同じ。

このアルバム、1971年のElectric Warriorより売上やチャートの成績は少しばかり落としたものの、オイラとしてはT.Rexと言えばこのアルバムが一番ですかね。

日本でもよく売れてオリコン・チャート6位、レコードが発売され直ぐに買った様な記憶が。

1曲目のシングル・ヒットしたMetal Guruにドンピシャでハマってしまい何度も何度も繰り返して聴くので中々2曲目に進まない。それと2枚目のシングル、Telegram Samもカッコよかったね。

当時グラム・ロックが流行って多くのバンドが登場したもののブームはあっという間に過ぎ去ったけれどT.Rexだけは別格。

20世紀少年は21世紀になってもオイラの心に生き続ける。


時代は変わる

2025年01月21日 | AMERICAN ROCK/POPS

ルー・リードの1972年の2枚目のソロ・アルバム、Transformerでも久々に聴いてみる事に。

このアルバム、デヴィッド・ボウイとミック・ロンソンによるプロデュースでちょうどZiggy Stardustが出た頃なのでサウンド的には兄弟アルバムのような親近感が味わえる。

因みに本作はトランスジェンダーのことを歌っていて、近頃LGBTなんて言葉やたら耳にするのでそれもこの世の一部なのだと今や違和感は感じなくなっているが、この当時だとカミング・アウトして正面から取り組むには結構勇気がいったのではないかと…

あれから50数年経った今このアルバムを聴いて思うに、昔の非常識は今の常識って。

ディランじゃないけれど、本当に時代は変わるのだと体現したね。


一人じゃダメね

2025年01月20日 | AMERICAN ROCK/POPS

英ロック・バンド、トラフィックから1968年のセカンド・アルバム完成後に脱退したデイブ・メイソン。1970年のトラフィック再結成として出たスタジオ・アルバム、John Barleycorn Must Dieを出した後のセカンド・ツアーに突如舞い戻るも再度脱退。

トラフィック脱退後は、ジミヘン、ディラン、ジョージ・ハリソンやストーンズらのアルバムにセッション・マンとして参加したりデラニー・アンド・ボニーのツアーに同行としたりと、気の向くままな活動に終始していた。

結構気まぐれな性格だったのか、バンドの一員としての制約を受けるのが嫌だったのかもね。

とは言え、ミュージシャンたるものいつかは自身のリーダー・アルバムを作りたい、でも一人じゃね~

そして1970年遂にアルバム、Alone Togetherでソロ・デビュー。全米22位とアルバムはそこそこ人気を博した。

(1980年、米MCAレーベルからの再発盤です。)

参加した主なミュージシャンは、オォ〜! レオン・ラッセル、カール・レイドル、ジム・ゴードンにボニー・ブラムレットらアメリカ勢とトラフィックのメンバー、ジム・キャパルディ。

なるほど、セッション・マン時代にそれなりに人脈作っていたってことね。


形あるものには寿命あり

2025年01月19日 | ELTON JOHN

本日は大好きなエルトン・ジョンの1973年の6枚目のスタジオ・アルバム、Don’t Shoot Me, I’m Only The Piano Playerでも。

発売の初日に小遣い握りしめて近所のレコード・ショップまで買いに行った思入れのあるアルバム。

本日は手持ちのCDで鑑賞することに。このCD結構古くて1986年に西ドイツでプレスされたヨーロッパ・マーケット初見参のCDで全収録曲が上出来で捨て曲なし、またボートラがないのも清い。ちなみにこのCDの初出は前年にアメリカのMCAレーベルからのもので、CDのプレス工場は日本だったそうな。

(内周と外周の縁の反射皮膜が剥がれ始めている)

プレスされて50年弱となるこのCD、外周と内周のアルミの反射膜に剥がれが発生していて、ポリ・カーボネートで覆われた表面には擦り傷が散見される。と言うことで問題なしに再生できるか久々に通して聴いてみることに。

一般的なCDはデータを盤の内径にあるリード・インと呼ばれるポジションから外側に向けて螺旋状に記録してゆき、リード・アウトのポジションで終了。

即ち現状では記録エリアの反射膜までにはダメージが及んでおらず、また軽微な擦り傷もCDプレーヤーが補正してくれているのか無事再生できた。

とは言え、買った時は一生ものって思っていたんだけれどね….


ノン・ストップ・ハードロック

2025年01月17日 | BRITISH ROCK

コレよ、コレ!

メタルなパープル、アトミック・ブルースのZep、そしてハードとくればThe Who!

本日は彼らの1970年のライブ・アルバム、Live At Leedsでも。

(1980年MCAレーベルから出た再発アメリカ盤であります。)

ロック・オペラ、トミーの後に出たからハードさが余計に際立って余は満足。当時のLPのサイドー1が4曲、裏面に2曲のたった6曲だけ収録と聴くまでは少々物足りなく感じたが、聴いてびっくり!これぞハード・ロックと思えたものだった。

後年、25周年記念としてCD2枚組がでて、CD 1には新たに曲が追加され13曲。またCD2にはトミーがライブで丸ごと収録の大盤振る舞い。ただロートルなオイラはオリジナル盤で迫力満点さを十二分に楽しめるって言うか、CD2枚を全曲ボリューム・マックスで聴く体力がない。

ピートのギターやロジャーのボーカルは勿論の事、トミーで少々抑え気味であったジョンの唸るベースとキースの乱れ打ちをこのアルバムで是非とも倒しんで頂きたい。


アフター・サーヴィスも抜かりなく

2025年01月16日 | JAPANESE

本日はYMOの作品でも。

メンバー達が現状の活動於いて煮詰まってしまったのか1983年に突如バンドの散会宣言を出し、そして最後のスタジオ・アルバム、Serviceを制作する事に。それと同時に散会コンサート・ツアーをスタートさせ、翌年にその模様を収録した武道館ライブ、After Serviceが世に出ることに。

当時制作された最新作、Serviceからはシングル・カットされたSee-Throughのみで過去アルバムからのベスト物とでも言える選曲。

演奏もコンピューター・テクノロジーの進化のお陰で、YMO3人にゲスト・ドラマーのデビット・パーマーを加えた計4人だけの演者にも関わらずスタジオ・アルバムばりの分厚い演奏を聴かせている。

ServiceとAfter Service両方聴いてりゃ当面の欲求は満たされるってことで、彼らのファースト・フィナーレとして相応しかったと思う。

ただ個人的には、せっかくのライブ・アルバムなのでスタジオ録音的な予定調和を目指すのではなく初期ライブでの渡辺香津美が弾く様なフュージョン系ロック・ギターを加えて曲を派手に暴れさせても良かったかな…


Weekend In L.A.

2025年01月15日 | Euro Pop

本日はジョージ・ベンソンの1978年の2枚組みのライブ・アルバムでも。

このアルバムはインスト・ナンバーと歌モノが程良くミックスされた選曲で、ギターが弾けてさらに歌も巧くこなすジョージ・ベンソンの魅力をたっぷり味わえる作品となった。

心地よい風の中をオープン・カーでクルージングするが如くベンソンのギターが爽やかでポップに弾ける。

年中雨が少なくカラッとした穏やかな天候が続くロス・エンジェルスの雰囲気によくマッチしていて、オイラが大昔に短期間ではあったが楽しかったウエスト・ロス・エンジェルスという地区に住んでいた頃を思い出す。

一方この乾燥した気候がいまだに収束の兆しの無い現在進行中のロス近郊の大規模な山火事での被害を拡大させている。

そんな火事の現場からさほど遠くない地区で当時面白おかしく暮らしていた頃の記憶と大変な現状が相まって、こんな時にWeekend In L.A.を聴くのはちょっと複雑な気分。

事態の解消は直ぐには出来る程単純ではないと思うけれど、全ての住民が出来るだけ早くいつもの楽しいロスでの週末を取り戻せる様願うのみ。


なかなか掴みどころの無い奴ら

2025年01月13日 | BRITISH ROCK

1967年、スティーブ・ウィンウッド、ジム・キャパルディ、クリス・ウッドとデイブ・メイスンの4名で結成されたバンド、トラフィック。スティーブの伸びやかなボーカルはもとより、当時の時代を象徴したポップでサイケデリックがかったバンド・メンバーによる自作曲も好評でそこそこヒットしていたが、2枚のオリジナル・アルバムを出してデイブ・メイスンがバンドから脱退。

その後スティーブもバンドから脱退しクラプトンやジンジャー・ベイカーらとスーパー・バンド、ブラインド・フェイス結成も、1枚のアルバムを出して会えなく解散。

スティーブは更にジンジャー・ベイカーの新たなバンド、ジンジャー・ベイカー・エア・フォースに暫し参加した後、トラフィックのメンバーだったジムとクリスのサポートを得てソロ・アルバムを制作する事に。

そしてJohn Barleycorn Must Dieと名付けられソロ・プロジェクトはトラフィック再結成のアルバムに昇格し、1970年に発売された。

(遅ればせながら2019年の再発LPを購入。70年代に聴いた頃にはピンと来なかったけれど、ようやく55年の時を経てオイラが追いついた。)

ジャズ系ジャム、トラッド・フォークにR&Bなど毛色の違った曲が配置され、当時のイギリスのボップやハード路線のロックとは方向性が違うしまたアメリカンナイズされたサウンドでもない。

一体トラフィックというバンドを一言でどう形容すればいいのか….

オイラとしてはシンプルに彼らをプログレ・バンドと呼ぶ。

当時のクリムゾンやイエスらは超絶演奏テクニックよるエッジの効いたサウンドが売りだったが、トラフィックの場合は何となくマッタリした感じの演奏で一発では刺さらない。

ただ何度も繰り返して聴いていくと、あら不思議!そのサウンドにどっぷり浸かってしまう不思議な作用が…