サッカーに興味のない人は、ピンとこないかもしれないが、イギリスのプレミア・リーグの強豪チーム、アーセナルが、11月29日のアウェイのリーグ戦の為、ロンドンから160キロ離れた対戦相手のホームタウン、NORWICHまで飛行機で向かう予定だとつい最近のネットの記事にあった。
なんでもNORWICHに向かう道路が工事中とのことで、短時間でストレスなしに目的地に行くには、チャーター機で向かった方が良いとの判断とのこと。実際に当日飛行機で向かったかは、その記事に書かれていなかったが、その程度の距離であれば20分弱の飛行で、もし、実際にチャーター機を使用したなら、非常にもったいない気もするが…
話は変わって、ロック・バンドも長距離を移動してツアーを行う場合は、チャーター機で移動する。特に、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、エルトン・ジョンやウィングスなどの大物ミュージシャンが北米大陸をツアーした時、大型ジェットの前での記念撮影した写真が雑誌などによく掲載されていたのを覚えている。
今回紹介するアルバム、LIVE DATES(全米82位、全英はチャートインせず、但し、シルバーのステータスということで、英国では6万以上、10万枚未満の売り上げとなる)の表ジャケットには、中型の双発プロペラ機がジャケットに描かれ、 砂漠、ナツメヤシ、ラクダとピラミッドをバックに飛行し、裏ジャケには都会、ナツメヤシそしてサボテンがバックというイラストが描き込まれている。
世界中を飛行機で旅しながら演奏活動を行っているという印象を受ける。
実際は、READING、 CROYDON、NEW CASTLE とPORTSMOUTHのイギリス4地方都市の公演からの音源が採用されている。NEW CASTLEは少しロンドンから距離があるが、他の町はロンドンからそれほど離れていない距離なので、まさか、アーセナルのように短距離の移動に飛行機は使用するようなことはなかったと思うのだが。
ただ、このアルバムを手にした70年代初めには、そのような現実的な発想は浮かばず、 世界中を巡るライブ活動御苦労さんというイメージ だった。
ジャケのデザインをしたヒプノシスにまんまとやられてしまったのだろうか。
アルバムの中身はウィッシュボーン・アッシュの、スタジオ・アルバム4枚を総括した内容となっており、このアルバムだけで彼らの特徴は十分伝えられていた。とは言え、ボーカルが弱い。やっぱり彼らの魅力は、ベースが中心となって楽曲をコントロールし、それぞれが異なった音色の2本のギターのメロディアスなアンサンブルにあると言える。
そういった意味では、ウィッシュボーン・アッシュは爽快感もしくは清涼感溢れるインスト・バンド(ボーカルはおまけ)だと思う。
Wishbone Ash - Rock ´ N Roll Widow (LIVE DATES 73)
ファースト・アルバムをリアルタイムで聴いてきた人にとっては、クイーンのピークはやっぱり、AT THE NIGHT AT THE OPERAではないだろうか…
そう思う人にとっては、クイーンの初期4作が肝となっていて、そのあたりのライブ音源が出てくるといても立っていられない。
私もそのクチで、2014年に出された、QUEEN II とSHEER HEART ATTACKのライブを収録したLIVE AT RAINBOW 74は、大盤振る舞いでスーパー・デラックス・エディションを購入してしまった。
それから、1年少し時が過ぎて、今年AT THE NIGHT AT THE OPERA 時のライブと称してA NIGHT AT THE ODEONなるものが登場した。
今回も同じようなスーパー・デラックス・エディションなるものが出たのであるが、同映像でDVDとBLUE RAYのディスクを各1枚ずつ収録という無駄なダブり、また、スーパー・デラックス・エディション限定と思っていた、BOHEMIAN RHAPSODYの12インチ・シングル盤が別売されることがわかり、輸入国内仕様盤で2万円以上、輸入盤でも約1万5千円もするこの商品を手にする価値は無いと考え、今回は、約3000円程度で輸入盤(CD+DVD)を入手してみた。
1975年11月15日から始まった最新アルバムのAT THE NIGHT AT THE OPERAと銘打ったツアーの、12月24日ロンドンのハマースミス・オデオン・シアターでのライブではあるが、このCDに関しては、新アルバムからはBOHEMIAN RHAPSODY だけである。
新曲1曲のみの公演だったのか、CDの収録容量の制限があり実際に演奏された新曲がカットされたのか、その辺りの事情はわからないが、これでは、LIVE AT RAINBOW 74のセット・リストとそう変わらない。
YOU’RE MY BEST FRIEND、39や LOVE OF MY LIFEなどの曲もあったのだからこれらをセット・リストに加えて欲しかったところ。
ハマースミス・オデオンの公演はLIVE ON BBC TV AND RADIOとなっていたこともあって、音質は悪くない。後年のアリーナ公演などと比べると会場規模が小さく、直で聴けばかなり迫力があったのでは。
また、映像は70年代の物だったことを考慮すると、TV用ということでまずまずの出来であるが、必ずしもBLUE RAYで見る必要性があるとは思わないのだが…
ファースト・アルバムをある評論家にコテンパンに叩かれて(と言っても、当時そのことを知るのは、セカンド・アルバムのライナー・ノートの記述からだが)その後もグループが存続しスーパー・スターの座に上り詰めた。
そしてオリジナル・メンバーが二人だけになった後も、3年前のロンドン・オリンピックの開会 ・閉会式に置いて主要な場面で演奏するとは、デビュー当時には誰も想像出来なかったであろう。
まさしく伝説のロックバンド
彼の1970年作のヴッチェズ・ブリューには、後に有名となる数多くのフージョン系のミュージシャンが参加している。 ウエザー・リポートのジョー・ザウィヌル、チック・コリア、パーカションのアイアート・モレイラ、後のマハビシュヌ・オーケストラのジョン・マクラフリンやビリー・コブハムらである。

ドラムのビリー・コブハムはマハビシュヌ・オーケストラで数年活動した後脱退し、1973年の初のソロ・アルバムを出す。それが、1972年のアルバム、スペクトラム(全米26位、ジャズ部門1位)でマイルスやマハビシュヌの影響を受けたバラエティーに富んだフュージョン・ロック系の素晴らしいアルバムに仕上がった。

このアルバムに参加したのは、後にディープ・パープルに参加するギターのトミー・ボーリン、ジェームス・テイラーのバックやこれまたフュージョン系バンド、セクション のベース担当、リー・スカラー、それにキーボードのヤン・ハマーらが中心となってビリー・コブハムをサポートしている。
リッチーのレインボーにいた、オクトパス・ハンドのドラムで有名なコージー・パウエルは、千手観音があたかも叩いているような手数の多いビリー・コブハムのドラミングを意識していたとか、

デビッド・カバーディールがこのアルバムのトミーの演奏を聴いて感動してパープルに彼を勧誘したとか、

ジェフ・ベックがこれを聴いて、その後の活動をインストの方向に 舵を切ったとか、(実際ジェフはこのアルバムのSTRATUSという曲をライブで演奏している。)

まことしやかな話が色々あるようだ。
ハイレゾのなど音に拘る人は別として、幸いジャズ系のCDは輸入盤であれば結構安く手に入るし、わざわざCDを買うまでもと思う人は、ユーチューブなどのネットからタダで聴きことが出来るので、昔みたいにレコードにお金を沢山かけることのない便利な世の中になったと言える。
手数の多いビリー・コブハムのドラミングにトミーのギターとヤン・ハマーのキーボードが絡み、非常に楽しめる。
Billy Cobham - Quadrant 4
70年代に入りクロス・オーバーやフュージョンなどと言う言葉が出てきて、ロックと並行して聴くようになった。
ジョージ・ベンソン、ボブ・ジェームズ、リー・リトナー、ラリー・カールトン、スパイロ・ジャイラ、マイケル・フランクスやジョー・サンプルなどなど、また日本のアーティストでは渡辺貞夫やカシオペアなどである。
“ちょっと、そこのお方! それらのアーティストだけを聴いて、ジャズを聴いていると言うのは片手落ちですよ。もう少し前の年代のアーティストも聴いてみれば~。” なーんてその道の人から言われそうなので、何年か前に奮発してマイルス・デイヴィスの全集なるものを手に入れた。
彼のグループには 、古くはソニー・ロリンズそして80年代はマーカス・ミラーなど数多くのその時代における著名なミュージシャンが参加していてたので、私のようなジャズ初心者にとっては、マイルス・デイヴィスを順に聴いていくことで、多くのジャズ・ミュージシャンを簡単に知ることが出来る。
今日聴いてみたのは、かってマイルスのバンドのメンバーで、マイルスのアルバムKIND OF BLUEのレコーディングにも参加していたジョン・コルトレーンの1960年作GIANT STEPS。

1965年ごろからフリー・ジャズをやりだし、私のような初心者には難解なサウンドになる。やっぱりこのアルバムの前後の時期が一番聴きやすいように思える。
このアルバムでは、個人的には ベースラインに親しみの浮かぶ SPIRALや、バラードのNAIMAなどが特に印象に残る 。
そして、クロス・オーバーなんて言葉がなかった時期からクロス・オーバー・サウンドをやっていた、ハービー・マンの1969年作MENPHIS UNDERGROUND。

彼の作風が、当時のジャズの主流から外れていたので、ハービー・マンなど眼中になかったジャズ・リスナーも結構いたとのことだが、私は非常にリラックスして 聴くことが出来るので、彼は好みのアーティストのひとりである。
音を楽しむと書いて音楽、だから楽しく聴くことが出来れば、ジャンルやアーティストにはあまりこだわらないようになった。
とは言え、リッチーのレインボーいつ聴いても良いですね~

さっき聴いてて、思わずロスティン・ホーリウー(LOST IN HOLYWOOD)と合唱してしまいました。
助手:博士! やっと2枚組の輸入通常盤到着しました。
博士:そうか、CD6枚のデラックス・エディションは、やっぱり予算的に厳しいからのう。
まあ、我々のレベルでは、ライク・ア・ローリング・ストーンの現存する音源(約20曲分)を順にCD一枚分に収録され、制作過程が明らかになったとしてもあまり意味のないように思える。一度通して聴けばお腹いっぱいで、多分もう一度通して聴くことはなかろう。
助手:ディランだけでなく、他のジャンルやアーチストを幅広く聴いていくのであれば、マニアを除いて、2枚組の通常盤で十分と思います。
それはそうと、今回のCD雑音もなくクリアでいい音が出ますね。
博士:最近数多くのハイ・スペックの音源が、ネット配信やハイ・スペックのメディアに収録されたりして販売されていて、CDは時代遅れの規格といわれたりするのじゃが…
今回メディアが通常のCDであっても、どうして、50年前のアウト・テークの音源が聴き応え十分に再現されておるのう。
助手:そうですね。ハイレゾと言っても、通常の音源と違いを際立たせることのできる、D/Aコンバーターやスピーカーを含むある程度のレベルの再生装置が必要ですよね。
博士:この研究所にある安物のスピーカーを使ったオンボロのシステムでブラインド・テストをしても、はっきりとハイレゾ音源の区別が付かんじゃろう…
助手:まあ、それもありますが、博士のたいしたことの無い音楽を聴く感性がかなり影響しているのじゃないかとも思うのですが…
博士:本当のことを、そんなにはっきりと言ってもらうと困るのじゃ~
とにかく、わしの持論としては、
別テイクは、アルバム制作の際にプロデューサーもしくはミュージシャンの意向から、何らかの理由で外されたものじゃから、オリジナル・アルバムに収録された曲がその当時のベストの選択であったといえよう。
だから、オリジナルを十分聴き込んだ上で、アーカイブ音源にトライしていただきたいのじゃ!
と、いつになく威勢良く言っているが、実はディランの楽曲に関しては、特定の曲を除くとあまり聴き込んでおらず、オリジナルとアーカイブ音源の違いがそれほどわからない博士であった。
博士:ビートルズであれば、もうちょっと自信があるのじゃが…
助手:そんなに変わらないと思いますがね~
まあ、特にディランの60年代の音源を聴き込んでいなくとも、博士のようなヘボではない、ロック・ファンの皆様であれば、このアルバムは買いです。
2枚のCD気持ちよく聴き通すこと出来まーす。
2013年、スタジオ・アルバムALL FIRED UPをリリーズした後、最後のオリジナル・メンバーでバンド・リーダーのラスティー・ヤングがPOCOからの引退を発表し、翌年フェアウェル・コンサートを行い活動を停止したと聞いていたが、なんと今年の1月に、POCOがCOLORADO MUSIC HALL OF FAMEに選出され、病気で療養していたドラム のジョージ・グランサムを除いたエピック・レーベル時代のオリジナル・メンバー4人が集まって演奏したとか…
エピック時代のベスト・アルバムといえば、やっぱり1972年の4枚目スタジオ・アルバム、A GOOD FEELIN’ TO KNOW ではないだろうか?
前作から、ジム・メッシーナの代わりに加入したギターのポール・コットンやベースのティモシー・シュミットも数曲を提供し、ポールはニール・ヤングばりの楽曲 を披露し 、ティモシーも独特のハイトーン・ボイスを披露し、彼らのバンド内の存在感も大きくなってきたのであるが、やっぱり主役はリーダーのリッチー・フューレイであった。
アルバムのオープナーにロックン・ロール・スタイルのAND SETTIN’ DOWN、アルバムの締めに美しいコーラスの SWEET LOVIN’、そして 当時のPOCOの代名詞といえるヒット・シングルA GOOD FEELIN’ TO KNOWの3曲を提供している。
このアルバムは今聴いても十分楽しめるし、カントリー・ロックの見本みたいなアルバムではないだろうか?
しかしながら、リッチーの入魂のアルバムは、シングルA GOOD FEELIN’ TO KNOWと同様にはヒットせず、前年に出したFROM INSIDE のチャート・アクション52位を下回る69位だった。
リッチーはこの結果に、失望したのか1973年次作のCRAZY EYESを出した後バンドを脱退することになる。
リッチーのバンド脱退は、かなりのバンドにとって大きなマイナスとなると思われたのだが、ここで予想もしない化学変化が起きた。
今まで、ペダル・スティールなど楽器の演奏でのみバンドに貢献してきたラスティーが急に眠りから覚めたように、ボーカルを取ったり自身の楽曲の提供でリッチー脱退の穴埋めを果たした。
エピックからABCレーベル(後にMCAに買収される)に移籍後、シングルやアルバムを今まで以上にヒットさせるのである。
バンドを脱退すると、普通残ったメンバーとなんらかのわだかまりを持つと思うのだが、元リーダーのリッチーは2000年代に入り、POCOのライブに時折ゲスト出演していたので既にわだかまりはなくなったのではと思っていた。
しかし、ティモシー・シュミットの場合は、1977年に多くの収入が得られるイーグルスに参加するために脱退したのと(もちろんお金のためだけに脱退したのではないと思うけど)、リッチーやティモシーが脱退した後、彼らの力を借りずに、1982年にアルバムLEGENDを全米チャート14位、シングルCRAZY LOVE17位とカントリー・ロック・バンドとしては異例のヒットを出したという自負していたことから、ティモシーとは共演するとは想像していなかったのだが…
一つ見落としていたのだが、ティモシー・シュミットは2009年のポコのコンサートにゲストで参加していて、すでにリユニオンを果たしていたようだ。
まあ、部外者の考えることは大概この程度のことである。
とにかく40年の時が過ぎ去り、また一堂に会することは素晴らしいことだと思う。
ちなみに、このHALL OF FAMEの受賞は、POCOと一緒に FIRE FALL、NITTY GRITTY DART BAND 、STEPHAN STILL’S MANASSASらも受賞しているとのこと。
なんとも懐かしい面子ばかりである。
POCO - A Good Feelin' To Know
日本人ほど浅く広く数多くの宗教を信仰する民族はないのではないだろうか?
少なくとも、神社と仏閣の両方をお参りするのが普通で、特にキリスト教を信仰していなくとも、クリスマスやバレンタイン・デーなどキリスト教がらみの行事が国内全体に浸透している。
助けてくれさえすれば、神様でも仏様でも敬い崇めるといった調子である。
ただ、この緩やかな、もしくは都合の良すぎる信仰心があってこそ、海外でよく見られる宗教上の過激な対立が一部の例外を除きほとんど見受けられない利点もある。
ジョージ・ハリソンのビートルズ解散後の、ソロ2作目のLIVING IN THE MATERIAL WORLD (1973年作、全米/全英 1/2位、シングルGIVE ME LOVE 全米/全英 1/8位)は、一作目のALL THINGS MUST PASSと比べて一部のリスナーに宗教臭く敬遠される時もあるが、ビートルズ時代のインド楽器の音色が炸裂する、LOVE YOU TO (REVOLVERに収録) やWITHIN YOU WITHOUT YOU(SGT. PEPPERSに収録)などと比べれば、売れ線狙いのサウンドでインドの香りが控えめに感じる楽曲が中心となっている。
もちろん楽曲の詩に関しては、宗教臭い教条的な表現もあるのだが、そこは英語の詩がダイレクトに伝わらない日本人にとっては特に問題にならないであろう。
インドの神様も、八百万の神様と同じようなものと考えればそれほど違和感も感じないはず。
インドが過去にイギリスの植民地だった関係もあり、イギリスとインドは文化面でも結構深く繋がっているのは理解出来るのだが、西洋人のジョージが日本人にはあまり馴染みのない東洋のインドの宗教に何故これほど深くのめり込んでしまったのかは私としてはあまりピンとこないのである。
まあ反対に、外国人に日本人が持つ独得な宗教観を説明しようとするとよく理解されないのと同じかも。例えば何故そんなに節操もなく多くの神様にすがる訳?といった感じ…
とにかくこのアルバムは、大変好きなアルバムの一つで、ジョージお得意の美しく鳴り響くスライド・ギターもアルバムのあちこちで心地よく聴くことが出来るし、タイトル曲やDON’T LET ME WAIT LONGなどの力強い演奏も聴き応えがある。
強いて言えば、サイド2の楽曲が弱い感じで、シングル・カット出来るようなサイド2の芯になる曲をもう一曲入れれば完璧ではなかっただろうか?
今年も、11月の後半と12月を残すだけとなり、年末年始は恒例の八百万の神様にお願い事を頼む神様の季節となる。
もし初詣のコースの近隣にインドの寺院があれば一緒に廻ってしまいそうな気もしないでもない。助けてくれるのであれば…
George Harrison Living In The Material World
2001年ROOM FOR SQUAREを引っさげてデビューし、売上で4Xプラチナを記録し、その後のアルバムも次々とプラチナ・セラーを達成し、若くして一躍アメリカのポップロックの大スターとなり、また巨額の富を得ることになると周りに集まってくる人間の種類も変わってくるし、それによって人生にも大きな変化が現れてくる。
レコード・デビュー前の無名時代であれば、発言や行動がよほど世間とのズレが無い限り、普通それらは取り立てて問題視されないのだが。
有名になると、一挙一動がマス・メディアによって全土に拡散され、そこから派生したイメージから逃れることは出来ないのである。自身の交友関係や雑誌のインタビューでの発言が大きく取り上げられ批判の対象になったことから、一度休憩せざるを得なかった。
大ブレークした後の自由奔放と周りに映ったライフ・スタイルをやり直そうというような状況で制作されたのが、2012年のBORN AND RAISEDである。が、売り上げはゴールド止まりとなったが、チャート的には全米一を獲得した。今回の曲調は カントリーやフォーク・ロックを含むアメリカン・ルーツ・ミュージックに重点が置かれ、以前のポップな味付けの路線と比べると地味に聴こえたのかもしれない。
このアルバムのタイトルは “生れや育ち”というよりは、“成長する”という意味合いがあると思う。
アルバム6曲目のBORN AND RAISEDではI’LL BE BORN AND RAISEDと未来形で歌い、アルバム最後の曲BORN AND RAISED (REPRISE)ではI’M BORN AND RAISEDと現在形で締められている。 これは彼の成長の過程を表現していると個人的には思うのだが。とは言え、IN THE HALF OF TIME, I’LL BE TWICE MY AGE(半分の時間なのに、倍歳をとってしまう。)と歌っているので成長するのも大変だとも聞こえる気がする。
2012年に アメリカ北西部、カナダとの国境の位置するモンタナ州の田舎町ボーズマン近郊に居を移したことは、それまでの都会的なライフ・スタイルをやり直し、自身の新たなスタートを切る意味においてよかったのでないかと思う。
John Mayer - Born and Raised
我らがストーンズ教の新作はどのようになっておるのかのう?
助手:2011年から13年にかけて、ネットのダウンロードのみで発売された、アーカイブのライブ音源の映像がDVD/BLUE RAYでシリーズ化され現在販売進行中です。当研究所は、音源は発売当時購入済みですが、DVD/BLUE RAYは予算の関係でスキップしました。
博士:なるほど。ストーンズでも“1”と同じような企画のもの出来ないだろうか?
助手:60年代の、旧DECCA/ABKCOのシングルの音源を調べましたところ、このような感じとなりました。
1963 COME ON UK/USA 21/-位
1963 I WANNA BE YOUR MAN UK/USA 12/-位
1964 NOT FADA AWAY UK/USA 3/48位
1964 TELL ME UK/USA -/24位
1964 IT’S ALL OVER NOW UK/USA 1/26位
1964 TIME IS ON MY SIDE UK/USA -/6位
1964 LITTLE RED ROOSTER UK/USA 1/-位
1964 HEART OF STONE UK/USA -/19位
1964 WHAT A SHAME UK/USA -/124位
1965 THE LAST TIME UK/USA 1/9位
1965 PLAY WITH FIRE UK/USA -/96位
1965 (I CAN’T GET NO) SATISFACTION UK/USA 1/1位
1965 GET OFF OF MY CLOUD UK/USA 1/1位
1965 AS TEARS GO BY UK/USA -/6位
1966 19TH NERVOUS BREAKDOWN UK/USA 2/2位
1966 PAIT IT BLACK UK/USA 1/1位
1966 MOTHER’S LITTLE HELPER UK/USA -/8位
1966 LADY JANE UK/USA -/24位
1966 HAVE YOU SEEN YOUR MOTHER, BABY, STANDING IN THE SHADOW? UK/USA 5/9位
1967 LET’S SPEND THE NIGHT TOGETHER UK/USA 3/55位
1967 RUBY TUESDAY UK/USA 3/1位
1967 WE LOVE YOU UK/USA 8/50位
1967 DANDELION UK/USA 8/14位
1967 IN ANOTHER LAND UK/USA -/87位
1967 SHE’S A RAINBOW UK/USA -/25位
1967 2000 LIGHT YEARS FROM HOME UK/USA -/-位
1968 JUMPIN’ JACK FLASH UK/USA 1/3位
1968 STREET FIGHTING MAN UK/USA -/48位
1969 SYMPATHY FOR THE DEVIL UK/USA -/-位
1969 HONKY TONK WOMEN UK/USA 1/1位
1973 YOU CAN’T ALWAYS GET WHAT YOU WANT UK/USA -/42位
博士:ビートルズのように、1位を獲得したシングルではCDが埋まらないということか…
助手:さすがに毎回1位を連続して獲得するのは、至難の技かと… このリストからわかるのは、一部の鉄板シングルを除いては、イギリスとアメリカのリスナーの好みが結構違うことがよくわかりますね。
博士:なんとなく、アメリカ受けするサウンドをシングルにしている感じがする。1970年、自身のストーンズレーベルを立ち上げてからは、完全にアメリカンバンドになってしまったみたいじゃ。
助手:マーケットの規模を考えるとそうせざる得ないでしょう。
博士:“1”でなくてもいいから、綺麗に修正した当時のビデオクリップと抱き合わせで出してくれないものかのう…
とは言え、CDと比べればプレスされる数量は圧倒的に少ないため、大量生産による価格の低減が不可能なため、新しくプレスされたレコードの価格は高止まりとなり、大体がマニア向けになるのではないか。
かって、多くのレコードがプレスされていた時代の日本では、海外とは異なり、書籍の販売と同じ再販価格と言うシステムでレコードを販売していたので、人気のあるミュージシャンのレコードとマイナーなミュージシャンのものと大体同じ価格のレベルで設定してあったので、マイナー系ミュージシャンのファンは何か得したような感じだったのでは…
ただしマイナー系のレコードは初回のプレスのみで、在庫が売り切れると即廃盤となり、近所のショップで買えない場合は、よく大きなレコード・ショップを何軒も回ったものだ。
今では、新譜のレコードは通販で、また中古もネットオークションで捜すことが出来るので、非常に便利な世の中になった。
ビートルズのレコードは、現在日本ではプレスされていないが、何回も再発されているので、レア盤を除けばネット・オークションや中古ショップなどで、割と簡単に手が入る。
例えば、国内盤アビー・ロードのアルバムは、下記の再発がある。
1969年 AP-8815 アップル・レーベルの赤盤と黒番、丸帯

1973年 AP-8815 アップル・レーベルの黒盤、アップル通常帯、フォーエバー・シリーズ
基本的に、初回盤と同じ
1976年 EAS-80560 アップル・レーベルの黒盤、国旗帯

この盤が、通算で一番多くプレスされているのでは?
1978年 EAS-97001 アップル・レーベルの黒盤、プロ・ユース・シリーズ(ハーフ・スピード・カッティング)
この盤は、中古でも高価で取引されているようだ。
1979年 EAS-80560 ピクチャー盤

音が悪いのでプレーヤーで再生するのは不適切で、鑑賞用である。
1979年 EAS-50042 アップル・レーベルの黒盤、ボックス・セット、帯なし
このボックスは所有していない。
1982年 EAS-60021 オデオン・レーベルの黒盤、ボックス・セット、帯なし

アビー・ロードはアップル・レーベルで発売されたのに、この盤はオデオンのレーベルが使用されている。
1992年 TOJP-7083 アップル・レーベルの黒盤、30周年、イギリス国旗帯、デジタル・マスター使用

PPMからSGT. PEPPERSまでがオデオン・レーベル、残りのアルバムはアップル・レーベル
2004年 TOJP-60142 アップル・レーベルの黒盤、日本最終プレス盤、丸帯、デジタル・マスター使用

レーベルのリンゴの色が明るくなっていてその他のデザインも少し違う。PPMからSGT. PEPPERSまでがパーロフォン・レーベル、残りのアルバムはアップル・レーベル
これ以外に、1982年モービル・フィディリティー社向けに、日本でプレスされたボックス・セットがある。
それからTOJP-7083とTOJP-60142のジャケ裏の女性の写真には、二段肘が映っている。


初回盤のAP-8815は肘が一つ。

再発の際、オリジナルの裏ジャケの画像がなかったので、多分英盤もしくは米盤の画像を借りたのであろう。しかし、それらにはバーコードが入っていたため、それを消しさるために肘の部分をトリミングして腕の上部の箇所に貼り付けたのであろう。だから肘が二つもあるのだ。

AP-8815やEAS-80560で帯なしであれば、比較的中古が安価で手に入るし、プレーヤーがなくとも、レコード・サイズのあの有名なアビー・ロードのジャケットはインテリアとして十分鑑賞に耐えうるであろう。
コロンビア・レーベル時代の3部作が、成功した後イアン・ハンターとミック・ロンソンが脱退し、その後、彼ら二人が中心となって、イアン・ハンターのソロ名義として出されたアルバムを紹介する。
それが、1975年のアルバム、IAN HUNTERで全英21位/全米50位、と、シングルONCE BITTEN TWICE SHYは全英14位とそれぞれランク・インした。
イアン・ハンターとミック・ロンソンのコラボは、残念ながらこれ一枚で終わる。
イアン・ハンターは、その後は完全なソロ活動に専念し、一方ミック・ロンソンは、この後多くのミュージシャンのアルバムのセッションに参加している。
有名なところでは、ジョン・メロンキャンプのアルバム、AMERICAN FOOLのJACK & DIANEやEX-BYRDS、1978年ロジャー・マッギンのソロ・アルバムCARDIFF ROSEなど典型的なアメリカン・サウンドのアーティストをサポートしている。
それから、特に驚いたのは、1972年、まだデビッド・ボウイーのアルバムに参加していた頃、アメリカのカントリー・ロック・バンド、PURE PLAILY LEAGUE のセカンド・アルバムにゲスト参加したり、1975-1976年のディランのローリング・サンダー・レヴューに参加し全米をディランと一緒に回っていたことだ。
このアルバムのアレンジはミック・ロンソンが担当していて、しっとりとしたデビッド・ボウイーが歌うような感じのスローな曲も数曲収録されてはいるが、基本的にアメリカを意識したサウンドで、MOTT THE HOOPLE のサウンドよりは軽い感じのロックン・ロールが中心である。
ミック・ロンソンの二刀流のアレンジがよく表れているアルバムではないかと…
IAN HUNTER - ONCE BITTEN, TWICE SHY
前作、MOTTに続くアルバム、THE HOOPLE が1974年に7枚目のアルバムとして出され、前作と同様に全英11位/全米28位とヒットした。
脱退したキーボードのヴァーデン・アレンの代わりに、サポート・メンバーであったモーガン・フィシャーが正式メンバーとなり、また同じく脱退したギターのミック・ラルフスもEX-SPOOKY TOOTHのギタリスト、エリアル・ベンダーに変わり、5人組となった。
モーガン・フィシャーのピアノも冴え、エリアル・ベンダーのドライブの効いたエネルギシュなギターもハードなMOTT THE HOOPLEのサウンドにはぴったりはまり、更なるバンドの成功が期待された。
しかしながら、イアン・ハンターの作るスローなバラードなどバラエティーに飛んだ楽曲にエリアル・ベンダーのギターが全てマッチするかというと、そうでもない。
結局、エリアル・ベンダーは脱退し、代わりにデヴィド・ボウイーのバックを務めたスパイダースのミック・ロンソンが新たに加入した。
当時のライブでは、“ロックは死んだ”とドン・マクリーンのアメリカン・パイを歌った後、メロディ形式でロックの黄金時代がやってきたとロックンロール黄金時代(THE GOLDEN AGE OF ROCK ‘N’ ROLL)を高らかに歌っていた。
しかし、その後、次作を作る前にイアン・ハンターとミック・ロンソンはバンド内の軋轢からか二人とも脱退し、残りのメンバーがバンド名をMOTTと変更し再出発したが不発に終わった。
MOTT THE HOOPLEの黄金時代は終わる。
いやちょっと待った!
ミック・ラルフスを含むオリジナルのメンバーが揃い、2009年と2013年(この時はドラムはサポート・メンバーが担当)にリユニオン・ツアーを催し健在をアピールした。
そう! 簡単にロックは死なないのである。
Mott the Hoople - The Golden Age of Rock and Roll
前作、ALL THE YOUNG DUDESのヒットにより、息を吹き返したMOTT THE HOOPLEは、翌年の1973年、6枚目のアルバム、THE MOTTを出し快進撃を続け、全英7位/全米35位とさらなる躍進を果たした。
UK盤のジャケット
アイランド/アトランティック時代、結構素晴らしいアルバムを制作したのにもかかわらずヒットはしなかった。レーベルを変えた途端急に売れるようになったのは何故なのか、非常に不思議に感じる。
このアルバムの一曲目のAll THE WAY FROM MEMPHISは、MOTT THE HOOPLEらしいロックナンバーで、自身のギターが、運送中間違って他の場所に送られてしまった事の顛末が歌詞の中心になっているが、サビの部分に急に有名になって少し戸惑っていたのか、自重気味のフレーズが興味を引く。
YOU LOOK LIKE A STAR BUT YOU’RE STILL ON THE DOLE(スターになったように見えるけど、まだ失業手当を受けている。)、YOU CLIMB UP THE MOUNTAINS AND YOU FALL DOWN THE HOLES(山に登った途端、穴に落ちる。)、 YOU’VE GOT TO STAY YOUNG, YOU CAN NEVER GROW OLD(若き青年であるべきだが、決して歳を取って成長しない。)とか YOU LOOK LIKE A STAR BUT YOU REALLY OUT ON PAROLE(スターになったように見えるけど、本当は刑務所から出所したばかり。)
今であれば、“心配しなくでください。大丈夫ですよ、売れてます。”と言ってあげれるのだが。
キーボードのヴァーデン・アレンがデモ制作段階で脱退し、4名となった。またのちにバッド・カンパニーでカバーされたれたREADY FOR LOVEを前作で作曲したミック・ラルフスもこのアルバムを最後に脱退しバッド・カンパニーのメンバーとなる。
Mott the Hoople - All the Way From Memphis
博士:おーそうか。買うまい、買うまいと思ったのじゃが、やっぱり正規で出ると買ってしまうのう。
助手:国会図書館じゃないんだから、 もし不必要と思うのであれば無理に買わなくともいいんじゃないですかねー
博士: 5.1chの再生装置もないし、映像は修正されて綺麗になったのじゃが、特に珍しいビデオ・クリップもなかったのでどうしようかと思ったのじゃが、CDの音源がリミックスされていると聞いて飛びついてしまったのじゃ。
別のアーティストの場合、アレンジの異なる別テイクであれば話は別じゃが、同じ音源からのリミックスやリマスターでは、それほど興味はわかないのじゃよ~
助手:なるほど、昔の音源をスタジオで少しいじくっただけで、大々的に売れるのは、彼ら以外例を見ないですね。
博士:ワシとしては、ビデオ・クリップなどの映像はあまり繰り返して見ない主義なのじゃ。映像を見すぎると、その曲のイメージが映像にリンクし固定してしまい、自身が持っているイメージを損なう可能性もあるからじゃ。
助手:なんと! いろいろと面倒くさい性格ですね~
博士:まあ、そう言うわけで取り敢えず、 2000年リマスターの1、2009年リマスター音源使用の1、そして今回のリミックス盤を比較してみようと思う。
助手:2000年盤は、音圧をあげて元気の良い仕上げですね。それに比べて、2009年のものは出来るだけ元の音源を損なわないようなリマスターとなり、音圧も下げられ大人し目に聴こえますね。
博士:今回のリミックス盤は、音圧は2009年盤より上げられ、特に低域の音圧が強調されているように感じるのう。また高域に関してもくっきりと音が聴こえるようなアレンジとなっているように思うのじゃが…
それから、リミックスによって激変した曲は、CAN’T BUY ME LOVE、PAPERBACK WRITER、YELLOW SUBMARINEそしてELEANOR RIGBY辺りであろうか…
特定の音が左右どちらかに偏ったアレンジを、中心付近に置き直し聴き安くする意図がある。これは、1999年の YELLOW SUBMARINE SONGTRACKのSGT. PAPER’S LONELY HEARTS CLUB BANDでなされたリミックスと同じスタイルじゃな。
これらのリミックスは、ヘッドフォンで聴くのであれば、バランスが取れて確かに聴き安い。
反対にオリジナルのアレンジの意図を尊重してそれほど大幅な変更をしていない曲もある。
助手:と言うことは、今回のリミックス盤はアンテナみたいなもので、リスナーの反応を探っているわけですね。もしこの手の編集作業の方針がすんなりと受け入れられれば、既存のオリジナル・アルバムを全てリミックスし、売り出す可能性が大と言うことですね。
博士:言い換えれば、映像がメインに添えられているみたいな発売方法じゃが、実際はビートルズのすべての楽曲をリミックスしてもいいですか?と言うお伺いで、映像がおまけの存在じゃと思う。
助手:リミックスのCDだけを出したのでは、インパクトに欠けるということですね。
博士:デビュ-50周年が終わったばかりで、しかし次の60周年と言うと、まだ遥か彼方なわけで、CDの売り上げが落ちる中、レコード会社としてもそんな悠長なことは言ってれないから、多分最短で数字的に響きの良い55周年辺りでオリジナル・アルバム・リミックス・ボックス・セット特典付きなるものが、ウン万円で出てもおかしくないじゃろうと思う。
ただ、LET IT BEの映画のリマスターは、負の部分の内容を考えると多分すぐには出てこないと思うのじゃ。
助手:なるほど、ビートルズの再発ビジネスはこれからも続くってことですね? なんか1972年の東芝音工のTHE BEATLES FOREVERの再発キャンペーン思い出しますね。
博士:解散しても商売は永遠に続くというすごい企画じゃ!
当時の東芝の担当者もまさかここまで話が展開するとは夢にも思わなかったじゃろう~
ワシなんか、少し距離を置いてスピーカーから出てくる音を聴くのであれば、偏ったオリジナルのアレンジに余程違和感がない限り特にリミックスなんてする必要はないと思うのじゃ。1987年のCDリマスターの音源で十分じゃよ。
助手:博士は全く商売っ気なしの御仁ですね…
クイーンのボックス・セットが届き、猫の小判状態になって1ヶ月以上の時が過ぎた。
箱が金色でできているので、本当に小判状態である。
“やっぱり、限定特別仕様のカラー・レコードを、しばらく針を交換していないオンボロ・ターン・テーブルで試し聴きするのはリスクがある。” と思うのだが、メーカーによるレコード針の適切な交換時期もあんまりあてに出来ない。なぜなら、100円でゲットした中古レコードでも、目視で表面に傷がなければ、中性洗剤でゴシゴシと洗ってやれば雑音が気にならないレベルなる気がする。
せっかく買ったんだから、なんとか聴く事が出来ないかなと思っていたところ、このセットに全曲をMP3のフォーマットでダウン・ロード出来るクーポンが付いてくることを見落としていた。早速ボックスを調べたところ、最初ゴミかと思われた三つ折れになったダウンロードのクーポン紙切れが箱の底から現れた。
早速サイトに接続し、全ての楽曲をゲット。
このボックス・セットの音源は、ブラインド・テストの選考を経て選ばれた、ボブ・ラドウィックの手によるもので、当初オリジナルのマスター・テープからラッカー盤を直接カットするとのことだったが、マスター・テープの劣化があり、劣化を修復し96KHz/24Bitのデジタルマスターを作成し、それを使ってカッティングしたとのこと。そしてそのついでに、320kbitsのMP3音源が作成された。
QUEENの場合、21世紀になってから今日までに、2001年にEMIがリマスターした音源(東芝が2004年と2008年の紙ジャケCDにその音源を使用)と2011年にEMIがユニバーサルの傘下になってからの再リマスター(コンパニオン・ディスクをつけた2枚組CD)と2回あり、今回はその音源とは異なる3回目のリマスターとなる。
2011年のリマスター盤は所有していないので、2001年のリマスター盤をアイ・チューンにAAC 256bitsのフォーマットで取り込み、今回のMP3の音源と聴き比べたところ、今回のリマスターは2001年のリマスターとより音圧(音量?)が高く設定されているような… つまり、アンプのボリューム設定が同じなら少しだけはっきりと聴こえる感じが…
ただし、これが良い音かどうかは各個人によって考えは違うだろうし、子供達が聴くことの出来る高周波をもはや捉える事が出来なくなっている私の駄耳では果たしてどちらがよいかという客観的な判断は出来ない。
ただ、今回MP3の音源をゲットしたことから、クイーンの楽曲を久しぶりに発売順に聴く事が出来て良かった。
そこから得た結論は、クイーンで最も印象に残るアルバムは、やっぱり初期の三作、QUEEN、QUEEN IIとSHEER HEART ATTACKだった。オンタイムで聴いていたので、その思い入れも強かったのかもしれないが、特にQUEENとQUEEN IIのサウンドには当時びっくりした。
ファースト・アルバム、QUEENは、1971年の末ぐらいから開始されていたのだが、レコーディングのやり直しや、レコード会社との契約の遅れなどで、発売されたのは1973年の7月となった。そのため、予定より1年以上も発売が遅れたため、彼らが意図した新しいサウンドは若干時代遅れとなった。多少アレンジが荒くとも1972年にファーストを出すことが出来ていれば、T.REXのTHE SLIDERやMOTT THE HOOPLEのALL THE YOUNG DUDESなどと同年の発売となり、相乗効果でさらに人気のアップが期待できたのではと今更ながら思うのだが。
それから、FLASH GORDONのサントラは、デジタルで聴くに限るとわかった。映画の中のセリフが登場するところで、レコードでよくある“プチパチ”の ノイズを聴くと興ざめするからだ。
MP3音源ゲットにより、ボックス・セットは当面お蔵入り。
新しいターン・テーブル欲しい~
買ってもないのに、宝くじでも当たればな~ と思う1日でした。