CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

神様っているの? いるにはいるけど、地域によって扱われ方が...

2016年05月28日 | 特になし
ジョンが1965年にキリスト教を侮辱したと取れる発言をしたときジョークでこうも言った。
“ジーザスはいいやつ(Jesus was alright)だけど彼の弟子たちが愚鈍で平凡、彼らが教えを台無しにしたと思っている”なんて

そう、ジョークの発言の一部とは言え、少なくともジョンにとってもジーザスは別格だと認識していたのだと思う。

ゴスペルという音楽ジャンルがあるが、もともとプロテスタント系の宗教音楽で、ヨーロッパの賛美歌とアフリカからの移民(主に奴隷)からもたらされた独特のリズムが融合し、後年R&B、ソウル、ジャズそしてロックなどが融合し更なる進化を遂げた。

彼を讃える歌が形を変えてあちこちに。やはりジーザスは別格であると言う証明となる。

1965年Arthur Reynoldsが作ったJesus is just alright

Jesus is just alright with me
Jesus is just alright with me, oh yeah
Jesus is just alright with me
Jesus is just alright
ジーザスは俺にとって完璧な存在

I don’t care what they may say
I don’t care what they may do
I don’t care what they may say
Jesus is just alright, oh yeah
Jesus is just alright
誰が何を言おうと、何をしようと
ジーザスは完璧な存在

多くのアーティストがこの曲を取り上げた。
有名なところでは、1969年バーズがBallard of Easy Riderのアルバムでカバー。シングルでもカットされ全米97位。


さらにドゥービー・ブラザースも1972年に2作目のToulouse Streetでカバー。シングルは35位。


クイーンもファースト・アルバムでJesusなる曲を歌っている。


And I saw Him in the crowd
A lot of people had gathered round Him
The beggers shouted and leapers called Him
The old man said nothing
He just stared about Him
All going down to see the Lord Jesus
All going down to see the Lord Jesus
All going down
群集の中に“彼”を見た
多くの人が“彼”の周りを取り囲む
老人は何も言わない
ただ“彼”を見つめるだけ
すべての人が主ジーザスを見にやってくる
すべての人がやってくる

ジョージ・ハリソンもMy Sweet Lordという神を讃える歌を歌った。
彼の場合は、歌詞にハレルヤとキリスト教で使われる言葉が入って紛らわしいのだが、実際はヒンズー教の神、クリシュナを讃えている。


一方わが国では、春日八郎が1954年に出した“お富さん”がスマッシュヒット!



粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだはずだよ お富さん
生きていたとは お釈迦様でも
知らぬ仏の お富さん
エーサオー 源冶店(げんじだな)

何々!

“生きていたとは お釈迦様でも 知らぬ仏の お富さん”って… 

たとえお釈迦様でもわからなかったという意とことわざの“知らぬが仏”を語呂合わせしているのだろうか?

ジーザスと同等の立場にあるといっていいマイティーな存在のお釈迦様がなんとも軽く扱われているではないか!

そういや、昔小学校の担任の先生が、便所の神様の歳はいくつか? と尋ねたことがあった。
答えは、始終臭いということで49歳だと。

あらゆる用途に対してあらゆる種類の神様が存在するであろうわが国、日本。そして何でもゆるキャラにしてしまう、ゆるキャラ大国、日本。

これからも、広くそして浅く付き合っていくことになろう。

これで、神様三部作終了! いかかでした?

通りすがりの人:相変わらず、つまらん。

The Byrds - Jesus Is Just Alright


The Doobie Brothers - Jesus Is Just Alright


Queen - Jesus

神様っているの?  どうもいないような... それとも?

2016年05月27日 | BEATLES-BADFINGER関連

神って言うのは痛みを測るための一つの概念さ
もう一度言うよ
神って言うのは痛みを測るための一つの概念さ
俺たちの痛みをね
そう痛みを

俺は信じないよ
魔法、占い、聖書、タロット、ヒトラー、ジーザス、
ケネディー、仏陀、マントラ、ジータ(ヒンズーの経典)、
ヨガ、王、エルビス、ジンマーマン(ディラン)それにビートルズ

俺は自分自身を信じるだけ
ヨーコと俺
それが現実ってもんさ
夢は終わった
どう言えばいいって?
夢は終わったのさ

昨日まで、俺は夢織人だった
しかし生まれ変わったのさ
かってはウォーラスだったけど
今はジョンさ
やあ、君たち!
君たちは単に義務的に続けていくみたいだね
だけど夢は終わったのさ

とジョンはGODを歌う。

かってジョンは、キリスト教はいずれ消えてなくなってしまうとか、ジーザスより俺たちのほうが有名だとかノリで言ってしまい袋叩きにあってしまう。

この歌の歌詞も、同じジョンの現実的思考からなのか、信仰の対象をすべて否定しているのであるが、もちろん真相は本人に聞いてみなければ判らないのであるが、個人的には、ジョンは信仰という重いテーマをシリアスに歌ったのではないと思う。

ジョンは神様は信じないと言っているのに、彼を神格化し“ジョンの魂”なんてアルバム・タイトルにつけるから、彼の歌が余計に重苦しさを感じさせるのではないかと…

それまでの、彼の茶目っ気たっぷりで皮肉めいたジョークなどの言動から考えると、言葉尻にそれほど敏感になる必要は無いのではないかと。

当時の音楽界での現人神だったビートルズの解散によって、常にビートルズであらねばならないという精神的な圧迫から開放された安堵感を“軽い気持ち”で歌った、すなわちビートルズとの決別の歌なのではないかと思うのだが…


つまり、信じない人には神は存在しないが、You'll just have to carry onの歌詞通り、信じる人には存在すべきであるということなのか~



神様っているの?

2016年05月26日 | ELTON JOHN
ズビスパー パパパヤー

やめてケレ やめてケレ
やめてケーレ ゲバゲバ
やめてケレ やめてケレ
ゲバゲバパパヤー

中略

おお 神様 神様 助けてパパヤー

今では、何のこっちゃと思われる方がほとんどではないかと。

これは、あの“左卜全とひまわりキティーズ”が1970年にはなったスマッシュ・ヒット(オリコン10位)となった“老人と子供のポルカ”の一節である。左卜全と言えば、七人の侍に代表される映画や多くのテレビドラマで老人の脇役を勤められ、当時良くお目にかかった俳優である。


ここで、神様 助けてーと歌っているが、私も含めて日本人ほどあらゆる神様や仏様に助けを乞う人種はいないのでは…

神社に参って八百万の神々に助けをお願いしたその足で、お寺に行きお大師様やお不動様、はたまた阿弥陀如来様に助けを請う、さらに家に帰れば、山の神であるかーちゃんに小遣いの増額をお願いするという、二股どころか、頭に浮かぶ全ての神様におすがりする訳である。

このようなことでは、神様や仏様は助ける気持ちなんてまったくおこらないのでは?

“この世には神も仏もいないのか~”なんて叫ぶと、神様が出てきて、”いることはいるのじゃが、助ける気しないもんねー“何て言われるかも知れない。

洋楽に目を移すと、エルトン・ジョンがアルバム、ブルー・ムーブのなかで神について歌っている。

If There’s A God In Heaven(What’s He Waiting for?)

Torn from their families
Mothers go hungry
To feed their children
But children go hungry
There’s so many big men
They’re out making millions
When poverty’s profits
Just blame the children
家族から引き離され
母親たちは飢える
子供の空腹を満たすために
しかしそれでも子供たちは飢える
多くの金持ちがいる
やつらは、大金を得るために出かける
貧困に対して何らかの施しって話になると
子供たちの存在を非難する

If there’s a god in heaven
What’s he waiting for
If he can’t hear the children
Then he must see the war
But it seems to me
That he leads his lambs
To the slaughter house
And not the promised land
もし天国に神がいるなら
一体何を躊躇しているのだろうか?
子供たちの声が聞こえないならば
戦争とやらを見るべきじゃないか
俺が思うには
神は彼の子羊たちを
約束の地にではなく
場に導いているような


とかなり辛らつに歌っている。 存在するのなら何とかしろよ! って感じ?

彼の地では、神に関しては、それを信じるかそうでないかの二者択一であるため、それを個人で決定するには明確でシリアスな思考を持ち合わせる必要があるのかも?

神様との付き合いが幅広くかつ浅い関係を持つ我々一般の日本人では、こうは行かない。

やっぱり、“おお 神様 神様 助けてパパヤー”がしっくりと来るみたいだ。

まあ、“パパヤー”と歌っている時点で、助けてもらうことはまったく期待できないような...

日曜の夜発作的に思ったこと、パープルのベストなるものとは?

2016年05月23日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連
博士:今日はベスト・アルバムについて考察してみようではないか。

レコードの値段が高くて、特定のアーティストのオリジナル・アルバムを揃えていくには難しかった時代、重宝したものじゃ。一枚のアルバムにヒット曲がてんこ盛りで、そのアーティストの楽曲をラジオではなくレコードでとりあえず聴いてみたい人には、まさしく、それ!  じゃった。

また、将来時間をかけてオリジナル・アルバムを揃えようと考えている人にも、入門編としてうってつけじゃったと思う。

助手:今は、アイ・チューンなど楽曲を管理するソフトがあるので、レンタル・ショップでCDを借りてきて、PCにリッピングしさえすれば、自身の好きな曲だけ集めて簡単にベスト・アルバムが編集出来るので、今時ベスト・アルバムが発売されたとしても、以前のように大量の需要は見込めませんね。

博士:その通りじゃ。だから売り手も、最新のリ・マスターやリ・ミックスを音源に施して、既出の音源と差別化をはかったり、未発表テークなどを入れたりと四苦八苦しておるのう~

そこでじゃ、今回は、ディープ・パープルのベスト盤を考察してみたい。

パープルはブートも含めて数多くのベスト盤が企画販売されたが、今回はその目ぼしいところのイシューについて触れてみたいと思うのじゃ。

最初にレコード時代、

1975年にでた、24 Carat Purple


不思議なのはCaratとくれば、宝石などの質量を表すもので、超でかサイズの宝石となる。Karatは金の純度を表し、24 Karatならば純金を意味する。

ジャケットには24 Caratと記載されているのに、ジャケットのデザインは純金のインゴットを模している。

一体どう言うことかのう?

収録曲は、2期の楽曲のみで、このアルバムの目玉は未発表曲のBlack Night (Live)じゃろう。それから、A面が28分、B面が25分とかなり内側までカットされているので、各面の最後の曲は音質的に厳しかったかもしれないのう。

また、収録時間の制限により、なんとベスト盤から個人的にはパープルのベストと思われるHighway Starがベストの選外となったのじゃ!

Side-A
Woman From Tokyo
Fireball
Strange Kind Of Woman
Never Before
Black Night (Live)
Side-B
Speed King
Smoke On The Water
Child In Time

お次は1977年にでた、Power House


最初と最後の曲が、スタジオ録音のアウト・テーク

他は、Black Night (Live, Made in Japan)と1969年にオーケストラと競演した実験的なライブ・アルバムConcerto for Group and Orchestraにおけるアウト・テークで、後にConcerto for Group and OrchestraのCDがリ・イシューされたときボーナス・トラックとして付いてきた。


ベストというよりはマニア向けアウト・テーク集じゃのう~

Side-A
Painted Horse
Hush
Wring The Neck
Side –B
Child In Time
Black Night (Live, Made in Japan)
Cry Free

そして1978年の、When We Rock, We Rock, And When We Roll, We Roll.


日本でのタイトルは、パープル・ロール! 何か、アメリカのすし屋で出てきそうなネタの名前みたいじゃ…

Woman From Tokyoにライブと記載されていたので、コアなファンは初出のライブ音源かと飛びついたところ、なんと記載の間違いで、実際は既出のスタジオ録音のものじゃった。

ガックリしたファンも多かったのではなかろうか?

但し、アルバム・ジャケットのデザインは日本の誇るイラストレーターの長岡秀星氏作。氏は同年ELOのOut Of Blueのスペーシーなジャケットもデザインしたんじゃよ。ジャケ買いオーケーじゃ!


Side-A
Space Truckin’
Kentucky Woman
Wring The Neck
Burn
Side-B
Woman From Tokyo
Hush
Smoke On The Water(Live)
HighWay Star (Live)

1980年の、2期と3期をまとめたベスト盤、Deepest Purple登場


Side-A
Black Night
Speed King
Fireball
Strange Kind Of Woman
Child In Time
Woman From Tokyo
Side-B
Highway Star
Space Truckin’
Burn
Stormbringers
Damon’s Eye
Smoke On The Water

また、2010年にはDeepest Purple発売の30周年記念CD盤として、下記の4曲が追加されDVDもおまけとして付けられた。


Hush
When A Blind Man Cries
Solder Of Fortune
You Keep On Moving

ここで忘れ去られた4期のYou Keep On Movingが加えられるのじゃ。

アー、良かったのう!

1998年の、バンド設立30周年を記念して30 : Very Best ofがCDで登場


5期再結成時のPerfect Strangerやギターのスティーブ・モーズ加入後のTed The MechanicとAny Flue Kno Thatなど計18曲が収録されているぞ。

Hush
Black Night
Speed King
Child In Time
Strange Kind of Woman
Fireball
Demon’s Eye
Smoke On the Water
Highway Star
When A Blind Man Cries
Never Before
Woman From Tokyo
Burn
Stormbringers
You Keep On Moving
Perfect Stranger
Ted The Mechanic
Any Flue Kno That

CD2枚組みも発売、一期の楽曲やその他も収録し計28曲

そして、ベストの真打登場。

2000年のThe Very Best Of


アメリカのリ・イシュー専門のライノ社がリマスターしたもので、これは前年同じライノ社から出された、パープルのCD4枚組みアンソロージー・ボックス、Shades 1968-1998を下記の一枚に濃縮したもの。2、3と5期の楽曲から編集されている。

しかし破れたボロボロの小包を模したジャケのデザインは感心せんのう~ 

Hush
Kentucky Woman (Single Ver.)
Wring That Neck
Black Night
Speed King (US Ver.)
Child In Time
Strange Kind of Woman
Fireball
Demon’s Eye
Highway Star
Smoke On the Water
Space Truckin’
Woman From Tokyo
Burn
Stormbringers
Knocking At Your Back Door

本日の結論

ベスト盤を調べてみると、ディープ・パープルとは、70年代の全盛期のギランやカバーディールのボーカルにリッチーの壮絶なギターが絡む、すなわち2期と3期の楽曲に代表されるバンドであり、5期の再結成時のPerfect Strangerが記憶に残る程度で、4期はほぼ無かったことになっているのじゃ。1期に関しては、まったくの別物じゃよ。

そして、その後のパープルは、オリジナルやライブを出すものの、ギランも昔のように高音でシャウトする事が出来ず、巡回懐メロ・バンドっていう感じかのう~

助手:おおー! これが、博士の“2期+3期=5期”という、1期も4期も無い法則ですね!

博士:その通り! 日曜の夜、歯を磨いていたときに発作的に浮かんだのがこの法則じゃ!

と言うわけで、発作的3部作無事に終了しました。

通りすがりの人:相変わらずつまらん!

土曜の夜発作的に思ったこと、When I’m Sixty-Four

2016年05月22日 | BEATLES-BADFINGER関連
When I get older losing my hair
Many years from now
Will you be sending me a Valentine
Birthday greetings bottle of wine
まだずっと先のことだけど、
歳をとって髪の毛が薄くなったとしても、
バレンタイン・プレゼント、
誕生日のカードやワインなんか贈ってくれるかい?

If I’d been out till quarter to three
Would you lock the door
Will you still need me, will you feed me
When I’m Sixty Four
もし夜中の3時前までうろついてたら
扉に鍵をかけるかい?
64歳になったとき、まだ僕を必要としてくれるかい?
食べさせてくれるかい?

You will be older too
And if you say the word
I could stay with you
君もその頃には歳をとっているだろう
もし、その言葉を言ってくれさえすれば
君と一緒にいられるのだけどね

1967年のSgt. Pepper’s Lonely Hearts Club BandのBサイドの2曲目として収録された、ポールの曲、When I’m Sixty-Fourである。

例えば64歳になったとしても、愛してくれるかい? そして、一緒に暮らすために君のその言葉を待っているんだと言う、若い二人の間のラブ・ソングである。

もともと、Strawberry Fields Forever かPenny LaneのシングルのB面に予定されていた曲なのだが、ダブルA面シングルとして両曲がカップリングされたのでSgt. Pepper’sに収録されたとのこと。

曲自体はゆるい感じがするが、ジョージの精神世界をトリップするような、Within you, Without youの後に、クラリネットの伴奏で始まる、ロック・ミュージックとはいえないオールドファッション・スタイルの楽曲で、前曲の緊張感をストーンと和らげる役割を果たす。

Sgt. Pepper’sのBサイドはここから聴き始めると言う人も多くいるのではないか?

今までこの楽曲の歌詞にはそう思い入れはなかったのだが、歳を重ねるごとに64歳と言うフレーズにピンと来るようになった。

そう定年である。

英国では65歳から定年という法令があったので、この歌では、ポールはたとえ定年になっても、末永く一緒に暮らそうと願って歌ったのでは?

しかしながら、時代の流れで長寿社会となると、イギリスでも定年制と言う考えは無くなって来て、働ける歳まで働こうではないかと成ってきたのである。実際法令は改正され、2011年に定年制は廃止された。

わが国日本でも、同様な考えで、60歳を過ぎてもまだまだ現役。

年金(報酬比例分)に関しては、昭和20年代生まれの人は65歳にならずとも、60-63歳辺りから貰えたのだが、現在は一律65歳となっている。

現在の少子化により、将来の労働人口が減ることにより、今後支給年齢も延長され、さらに金額も減少するのではないかと囁かれている。

1966年当時、ポールがこの曲で描いていた一般庶民の定年後の生活、例えばワイト島での夏の別荘生活なんて、今ではいくらレンタルでも難しい時代となっているかも?

そのため、我々、ここ十年以内に定年となる、定年予備軍は将来に備えて規則正しく慎ましやかな生活を送らなければならないのである。

会社の接待だ!なんて言って、夜中の3時前まで外でうろちょろしていれば、ドアに鍵をかけられ外に締め出されること請け合いである。

最悪の場合、さらに退職金を没収された上での定年離婚というリスクが待っている。

なんともさえない時代に突入したものである。

同士諸君! 苦しいことは続くであろうが、それに耐えて何とか生き延びようではないか?

牧歌的なメロディーに、夢のような定年後の生活! なんともうらやましい限り!
サビ部分でのポール、ジョンそしてジョージの絡むコーラスがこの曲にビートルズらしさを与えている。
When I'm Sixty-Four: A Tribute to Lennon & McCartney [HD]

金曜の午後発作的に思ったこと、2件

2016年05月21日 | 特になし
20日お昼にあった都知事の会見みた?

2回目の会見と言うことで、突っ込んだ質問にどのように具的に答えるかに興味があり、ついインターネットによるライブの中継を仕事の手を止めしばし見ていた。

結果的に日本の首都でありかつ世界有数のメガ・シティーである東京の首長の惨めな姿を全世界に知らしめることになり、本当に情けなく感じた。

救いは、日本語のやり取りでだったため、ライブでの放送において海外では大きなインパクトは無いと思うものの、何処かの奇特な方が英語の字幕をつけてその模様を拡散させれば、大恥間違いなし。

しかし翻訳する人も、“厳しい第三者の目”なんてフレーズが何度も登場するので、“あれ! この会見の映像って、同じ短い映像を繋ぎ合わせて何度もリピートしている。”って思ってしまうかも知れない。

常識的にみて、このお方は、自身では多くの支出が政治活動の経費として認められないことを初めから自覚していて、そう簡単にばれる事はないであろうと思い、取り合えず政治活動の経費と計上していたと考えるのが妥当だと思うのだが…

良くある税務署の査察で経費と認められなければ、後で修正申告をするという安易な感覚を持っていたのでは?

なぜなら、経費として、中古の車や身の回りの品、ヤフオクでもそれほど高額でない美術品の落札と、数千万や数億の金額を脱税目的で経費として申告するのではない。 つまり、金額がそれほど大きくないので何とか取り繕えるのではないかと言う非常にセコイものを感じる。


事の発端は、やっぱり一地方自治体の長としての海外視察の費用としてはその額が尋常でなかった事。

本人は当初“法にしたがって適切に処理をしている。”とか“これからもファースト・クラスは使用する。”など強気の台詞を言っていたのだ。

まさか、本人もここから、問題が大きくなるとは想像だにしなかっただろう。

次回の選挙での再選は、100%無理と思うので、のらりくらりと質問をかわして、必要とあらば税務署に出すような修正申告のような形で返金を行ってお茶を濁し、任期満了まで何とか持ちこたえ、巨額の退職金はぜひとも懐に入れたいと考えているような気がする。

ところで、今回インターネットによる会見のライブを見てつくづく思ったのは、昨今のインターネットを含む通信の分野の技術の進歩にはいつもながら感銘を受けるということに尽きる。

私が20代で会社に就職したときには、海外との通信は、エヤーメイル、馬鹿高いKDDの国際電話かテレックスと相場が決まっていた。

入社したときには、新米社員にKDDの国際電話の使用は許可されていなかったため、それ以外の通信手段をうまく使いこなすため英文タイプ学校に行き、タイプライターを習い、その後KDDに行って、テレックスの講習等を受けさせられた。

当時は面倒と思っていたが、おかげさまで、キーボードを見なくともどの文字のキーがどこにあるのか分かるので、今になっても重要なスキルである。

会社がそれらの受講の経費を出してくれたことに関して感謝する次第。しかしながら、キーボードで打てるのはアルファベットだけなので、和文を作成する場合はローマ字入力しか出来ない。

そのため、スマホのラインでメッセージを送る場合は、画面が小さいので押し間違えがある日本語キーボードでの入力にはいつも苦戦。

幸い部分的な入力である程度入力したい単語や文節などを推測してくれる機能があるためで、この機能が無ければちょっとスマホでのメイルのやり取りは無理。

時たま、若い人がスマホを両手で抱えて、両方の親指を高速に動かして神業的に文章を作成している姿を見るとああー時代は変わったと思ったりする。

ああー歳はやっぱり取りたくない。若者のように最新の技術ってやつをうまく使いこなしたい、また某知事のようにあまりセコく生きて行きたくないとも思う今日この頃。

経理担当:この喫茶店のレシートって経費なんですか?

私:あの…、メーカーのXXさんと喫茶店で仕事の打ち合わせをしたときのやつなんですが~

もう一人の従業員:あれ! それって、XXさんが払ったんじゃ無かったですか?

私:XXさんがお土産にってレシートくれた。

私以外の全員:セコー!

なんてことにならないように。

私はいつも自腹を切っています。キリッ!


CHICAGO QUADIOってどうよ?

2016年05月18日 | Chicago

助手:博士!  アメリカのライノ社からシカゴのボックス・セット出るみたいですよ。
なんでも、ブルーレイ9枚組みの4CH再生となっています。

博士:オッー! ファーストから、カーネギー・ホールのライブを除いたところにベスト・アルバムCHICAGO IXを付け足した、CHICAGO X(カリブの旋風)までの9枚までのスタジオ・アルバムが4CH化されるじゃと!

CHICAGO Xと言うとチョコレートがジャケットに使われたやつじゃないか。なんでテリーが在籍した最後のスタジオ・アルバムCHICAGO XI(ジャケットにシカゴの地図が使われたアルバム)が含まれていないのじゃ? 

トイレに行ったにもかかわらず、まだ一物が少し残っている感じでどうもスッキリせんの~

助手:たぶんCHICAGO XIは4CH録音で当時制作されなかったのじゃないですかね?

70年代初めに4CHの再生装置として、日本ビクターが開発したディスクリート方式のCD-4の規格や、ソニーが出したマトリックス方式のSQ規格なんてのもありましたっけ。

博士:それ以外のメーカーによっても、異なった4CHの規格が開発されたものの、結局その統一がなされなかったのじゃ。

だから、当時贔屓のアーティストが出した4CHのレコードを購入しても、所持する再生装置がそのレコード方式と異なっておれば、再生することが出来ないなんて不便だったのう~

助手:結局70年代後半頃には、わざわざ4CHレコード制作のためのマスター・テープの制作は行われなくなり、残念ながら結局4CHの規格は消滅したみたいですね。

博士:そう言えば、ソニーは結構多くのSQ方式4CHのレコード出しておった記憶があるのう~ 

サイモンとガーファンクル(明日にかける橋)やジェフ・ベック(ギター殺人者の凱旋)なんかが出ていたのを思い出した。

ソニーから出たSQレコード

助手:博士はそれらを当時買ったのですか?

博士:いやー、残念ながら買ってないのじゃ。何しろ、実家にあったのは、ビクターのCD-4の再生装置じゃった。何でも、ディスクリート方式のCD-4は、各チャンネルが完全分離されていて、ソニーのSQ規格より立体的に聴こえるという触れ込みだったので、当時家族会議にてビクターの4CHシステムを採用することが決定されたのじゃ。

しかしCD-4のソフトに関しては、非常にしょぼかった。歌謡曲や映画音楽のような4CHレコードはある程度出ていたかもしれなかったが、有名ロック・バンドのものはまったく無かったように記憶しておる。

一方SQ軍団はソニー系列のCBS やEPICレーベル以外に、EMI(ジョンのイマジン)、 HARVEST(ピンクフロイドの狂気)などのレーベルがSQ規格でレコードを制作しておった。

イマジンもSQで制作された。

かくして我が家が所有したCD-4規格のレコードは、ビクターの4CHシステムにおまけで付いてきたクラッシックやイージー・リスニングの音源が収録されたサンプルのレコードのみで、再生のセレクション・スイッチは、常時2CHに固定されてしまったわけじゃ。

助手:シカゴは当時CBSからレコードを出していて、その当時の4CHミックスの録音テープが残っていたってわけですね。

博士:その通りじゃ。ジェフ・ベックも、同じような4CHミックスの録音テープが残っていたから、それをもとにしてSACDの規格にして“ギター殺人者の凱旋”をで出したのう~ 

何でも、EPIC時代のジェフベックグループのスタジオ録音でも4CHの音源があるそうな。

昔からのシカゴ・ファンとしては、昔のSQ規格のような4CHもどきではなく、各段にスペックのあがった最新のマルチ・システムで初期の頃の勇壮なホーン・セクションを一度聴いてみたいものじゃのう~

助手:博士! 今回はだめですよ。これ買っても再生装置が無いですから。

ブルーレイ・ディスク再生のために日本からPS4を持ち込み、100/220Vの変圧器を繋げることは出来ますが、もしAVアンプとマルチ・システム用のスピーカーをここで手配するとなると、220V仕様のAVアンプは将来的に日本では使用出来ないと言う無駄使いになります。

博士:よーく、分かっておる。

しからば、4CHの資金は4Dで獲得じゃ!

と近所のセブン・イレブンに4Dのくじを買いに行く博士の後姿が先ほど見えたのであった。

以前乗っていた車のナンバーが4Dのくじで何回か当選したことがあり、ナンバーを知っている友人などは、当選したかどうかよく電話をかけてきたものだが、そのような時はくじを買うことなどまったく頭に無く、また欲を出して買ったときは、ハズレになるという毎度おなじみの自然の摂理の法則にしたがっていた。

まあ今回も同じような結果になるであろう。

博士:たんすの肥やしになる前提で、ボックス・セットのみを今回購入と言うわけにはいくまいか?

あきらめの悪い博士であった。まったく私とそっくりの性格をしているではないか!


誠実なのか? はたまた茶番なのか? シリーズ その3

2016年05月11日 | SSW

仕事に復帰が決定! と朝のヤフーニュースに出ていた。

何のことは無い。

かなり前に水面下では大筋が合意され、タイミングを図って、露払いのような形でスポーツ紙に前もって小出しに情報をばら撒き、復帰の際に起こるであろう反発を軽減しようという戦略かな?

なんだか茶番のような…

しかし、これは一般社会でもよくある話で、新聞に“大型プロジェクトをA社が受注!”なんて見出しが躍れば、そのプロジェクトに関してはほとんどのことが決定済みで、ニュースを見てA社に売り込みをかけても、トゥー・レイトとなるのが常である。

何!  トゥー・レイト!

それじゃ今回は、キャロルキングの、IT’S TOO LATEで! と強引に話は変わる。

彼女の、1971年オリジナルソロ第二作目の、お化け大ヒットアルバム、つづれおり(TAPESTRY)からのこれまた大ヒット曲にIT’S TOO LATEと言う曲がある。

アルバムは全米第一(10Xプラチナディスク)を獲得、シングルも全米第一位となり、翌年のグラミー賞で、アルバムは2冠(ALBUM OF THE YEAR BEST FEMALE POP VOCAL PERFORMANCE)、個別にはIT’S TOO LATEが RECORD OF YEAR、そして YOU’VE GOT A FRIEND がSONG OF YEARと計4冠を達成。

ミディアム・スロー・テンポのアレンジで、ジャージーに、けだるく、そして淡々と歌われているため、冷静な感覚で男女の仲の終焉を描いているように感じられる。

AND IT’S TO LATE BABY, IT’S TOO LATE
THOUGH WE REALLY DID TRY TO MAKE IT
SOMETHING INSIDE HAS DIED AND I CANT’T HIDE
AND I JUST CANT’ TAKE IT

もう遅い、手遅れ
何とか取り繕うと努力したけどね
心の何かが死に絶えて、隠せはしない
ごまかしきれない

なんて、淡々とした口調でここまで言われてしまうと、俺たち本当にお終いって感じになる。

当時ロック一辺倒だったのだが、この“つづれおり”はその後ジョニ・ミッチェルやカーリー・サイモンなどの女性シンガー・ソングライターにも興味がいくようになったきっかけのアルバムとなった。

それにしても、キャロルの歌は何時聞いても落ち着く、しかし当時中学生だったため、この手の歌詞の内容にはピンと来ず、もっぱらYOU'VE GOT A FRIEND聴いていた記憶が…

ところで、例のスキャンダルの幕引きも、感情的にならずシナリオ通りに淡々と事を運びゲスの茶番劇をお終いにするって算段ですかね~

暇人の午前の呟きでした...


Carole King - It's Too Late


誠実なイメージ, その2 イーグルス

2016年05月10日 | West Coast Rock

前回、人気女性タレントに急に舞い降りたスキャンダルにより、テレビ、ラジオやコマーシャルの出演が途絶えたなんて話をブログにアップしたら、偶然かどうか、その夕刻にそのスキャンダルの当事者の片割れが、離婚したという記事がヤフー・ニュースに出ていた。

そして、今朝さらに、その離婚により当事者間の問題も収束に向い、女性タレントの芸能界復帰間近と言うニュースも見た。

所属芸能事務所としては、その屋台骨を支えるエース格のタレントの離脱は、会社経営の根幹に関わる問題で、視聴者やスポンサーからの拒絶反応がそれほどでないと推測されれば、彼らは一刻も早く復帰の道の落としどころをあの手この手で模索することになるのだろう。

昨日、誠実なイメージについて若干触れたのであるが、これは女性タレントが復帰する際に非常に重要な要素となるんじゃないかと~

それじゃこちらも、昨日のポコ繋がりで、イーグルスから一曲。

彼らのヒット曲に“いつわりの瞳”(LYIN’ EYES)と言う曲がある。これは5作目のスタジオ・アルバム、“呪われた夜”(ONE OF THESE NIGHT)、全米1位(4 Xプラチナ・ディスク獲得)からシングル・カットされたもので、これも全米2位と大ヒットした。

年老いた金持ちの恋人だけでは満足出来ず、若い恋人のほうに走るのだが、こちらは金がない。どちら付かずで嘘をつき続けて関係を続けていかなければならないと言う葛藤に陥り、悩み続ける。

そして“君も気づいているとは思うけど、いつわりの瞳を隠す方法なんて無いのさ。”と歌い、客観的な示唆を彼女に投げかける。

ミディアム・テンポのカントリー仕立てのアレンジにさわやかなコーラスをかぶせ、誠実に聴こえるのであるが、実はドロドロな男女関係を歌うという、イーグルスの別の一面の魅力が良く現れた楽曲である。

女性タレントの所属事務所は、これから何とか誠実な雰囲気を醸し出しながら解決していくというかなり困難な作業を成し遂げねば成らない。

“君も気づいているとは思うけど、いつわりの瞳を隠す方法なんて無いのさ。”な~んて、もしイーグルスのように英語で歌うことが出来ればどれほど気が楽であるかと関係者は思っているかもしれない。

暇人の午後の呟きでした...


EAGLES "LYIN' EYES" LIVE 1977


誠実なイメージ POCO

2016年05月09日 | West Coast Rock

個人的にはイーグルスのようなアメリカを代表するロック・バンドであると思っている。

まあ、この意見には賛成しかねる人もかなりいると思う。

何しろイーグルスは、数多くのアルバムやシングルを出し、世界的にヒットを飛ばした。中でも、1976年に出した彼らのグレーテストヒット、1971-1975はあのマイケル・ジャクソンのスリラーに次ぐ累計3000万枚を突破した超ベストセラーアルバムで、ベスト・アルバムとしては、あのビートルズ1を超えた売上げ一位を獲得しているのである。

それに比べると、ポコの最も売れたアルバムは、1978年のスタジオ・アルバム、LEGENDで、全米14位となりゴールド・アルバムに認定。またシングル・カットされたCRAZY LOVEは17位が最高位だったので、比較にならない。

ではどうして、イーグルスと同等だと、個人的にポコに肩入れするのか?

ポコは、1969年バファロー・スプリングフィールドが解散した時、解散間際に参加したジム・メッシーナがリッチー・フュ-レイが意気投合し、言葉は悪いが、おまけのような感じでペダル・スティール奏者のラスティー・ヤングを連れ出し、そしてドラムはラスティーの以前のバンド・メートだったジョージ・グランサムを、ベースには後にイーグルスのメンバーとなる、ランディー・メイズナーをリクルートしポコを結成した。

バンドは大成功を収めることが出来なかったものの、カントリー・ロックのジャンルに新風を吹き込んだと言えよう。

しかし私が彼らに肩入れするのは、ここではない。

バンドのリーダ的存在だったジムが去り、さらにリッチーが去り、補充メンバーのベースのティモシー・シュミットとギターのポール・コットンの加えた4人組になってからメンバー自身が対等な関係となってグループは安定した。

ある人は、もう少しうまく立ち回れば商業的な成功を収めたかもしれないと言うが、彼らがやりたかった音楽、すなわち時代の世相を反映した歌詞にキャッチーなメロディーやリズムに乗せて表現したものとは無縁の楽曲を作りそして披露し続けたことである。

と言うわけで、多少地味に聴こえるかもしれないが、そこには何かしらオネスティー(誠実さ)を感じるのである。

そのような一貫した活動が、イーグルスのように大量のレコードが売れずとも、幾ばくかのファンによってバンドが長期にわたって支持され、1969年からラスティーが引退宣言を出した2013年の最終スタジオ・アルバム、ALL FIRED UPまで長きに渡ってポコが活動出来た理由だと思うし、個人的に肩入れする理由でもある。

ついこの間、高感度抜群のイメージを持ち、多数のテレビ番組やコマーシャルに出ていた女性タレントが、彼女に降りかかった問題の対応を誤り、一夜にして業界から消えてしまった。

無理をして作り上げられた見せかけのオネスティー(誠実さ)は、いつか何処かで何かの拍子にあっけなく破綻するものである。

誠実さというものは、やはり無理に作り出さるものではない、自然ににじみ出るものであるといまさらながら思う。

駅の券売機の前で、

ピッ、“切符を劣りください”。ジャラジャラジャラ。

あれ! つり銭が多いぞ。誰かつり銭を取り忘れたみたい。

正直に駅員に届けるのも面倒だし、大金でもないし、余分なつり銭いただいて置こうじゃないか。ラッキー!

オー! ノー! あなた! それじゃ言ってることとやってること違いますよ! 

あの~、正直に、心に問うたつもりなのですが...


Poco- Crazy Love


政治とロック

2016年05月05日 | 特になし
ずっとここのところ、風邪気味で調子が悪くブログの更新も滞っていた。

熱帯地方に住んでいて風邪をひくと言う事は、真夏の日本でそのような状態に陥るのと同じで、外気が30度近い熱帯夜にもかかわらず、エヤコンを入れて寝ることも叶わず、汗をかきながら眠らなければならなかった。

例年通りネット・サーフィンを楽しむ人口が極端に減るゴールデン・ウイークも重なり、当ブログも昨年と同じようにペンペン草がそこかしこに発生する閑散とした状況であったが、いくばくかの方に訪問してもらえたことには、感謝したい。

御礼を兼ねて重く感じるキーボードの前に座り、何か一打ち。

と言うわけで、今日ヤフー・ニュースを眺めていると、ストーンズがトランプ候補の大統領選のキャンペーン活動に彼らの曲を使用しないように申し入れた記事を目にした。

ストーンズのスタート・ミー・アップを使っていたそうな

アメリカの大統領選というと、キャンペーン活動を印象的にするため色々な音楽が使用されている。またミュージシャン達も贔屓の候補をバック・アップするため遊説に帯同したり、コンサートを行うケースも良く見られる。

私が記憶している一番古いケースでは、1972年の大統領選でサイモンとガーファンクルが民主党の候補だったマクガバンを応援していたことだった。


当時は、共和党のリチャード・ニクソンが、圧倒的な人気を誇り有利だと伝えられ、その通りの結果となった訳だが、ウォーター・ゲート事件のスキャンダルにより、ベトナム戦争の終結や中国との国交などの仕事を成し遂げたものの、ニクソンも任期半ばの1974年にホワイト・ハウスをあっけなく去ることになる。

ジョンにかかると米中国交開設の解釈とは、裸でニクソンと毛沢東がダンスすること?

今回のストーンズの要請は、彼らが政治的に中立を保ちたいために仕様中止を求めてきたのか、特定の候補者を応援しているのか定かではないが、ブルース・スプリングスティーンやジャクソン・ブラウンなども結構政治に絡んだ歌を歌ったりして、政治に関心が深いアーティストが結構いるように思える。

ジャクソン・ブラウンのRUNNING ON EMPTYがキャンペーンに許可無く使用されたため、直ちに使用をしないよう候補者に申し入れたとか。


ブルース・スプリングスティーンも、大統領選には関係ないが、地方の議会で好ましくない法律(BATH ROOM LAW)が成立したのを受けてコンサートを中止したとか。

日本でも60年代後半頃から、反戦フォークなどのミュージシャンなども出てきて政府を揶揄していたのであるが、大統領選が国の大イベントとして政治だけでなく文化などにも影響を及ぼすアメリカと比べれば、しょぼいものとなった。

もともと、日本人はノンポリの人の割合が多く、ある程度のレベルで政府が国を運営しているのであれば特に口出しはしない、はたまた誰が政権を取ってもそれほど変わり栄えがしないとあきらめているのであろうか?

それに選挙戦にミュージシャンなんかが出てくるのを良しとしない風潮があるのかもしれない。

私もその点に関しては同感で、あまり政治色の強いミュージシャンは好まないのである。

但し、口でそのように偉そうな事を言っても、私の場合、英語で歌われている洋楽の場合その内容を充分理解出来ず、政治的なメッセージが込められていようがいまいが、メロディーさえよければ問題なしと言う、中途半端なロック・ファンである事を付け加えておきたい。