CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

まさかのマイケル

2024年10月24日 | R&B

昨日発掘したCDの中からこんなのが出てきた。

2008年のマイケル・ジャクソンのコンピ・アルバム、King Of Pop。

(デモ・バージョンのWe Are The Worldは拳の効いた騒々しいコーラスがなくてスッキリ、またマイルスがカバーしたHuman Natureもいい感じ。)

この企画は世界の20数か国においてリスナーによる人気投票によって制作された企画物ベスト・アルバム。それぞれの国によって選曲が異なり、また収録曲の数もそれぞれの国によって異なり、CD2枚組や3枚組などボリューミーな商品も登場。日本盤はCD1枚での必要最低限を押さえたコンパクトな編集で拗さをなくしスッキリ感を演出している。

因みにオイラ的にはマイケル・ジャクソンってアイドル系メガスターとして認知してはいるけれど、レコードを買って聴く存在ではなかった。

現在友人がもう聴かなくなったからと譲ってもらった1979年に出たレコード、Off The Wallを1枚所有しているだけだ。

このアルバムからマイケルはモータウンからエピックに移籍。クインシー・ジョーンズが新たにプロデューサーに加わった事により一皮剥け、世界で通算2000万枚以上売れたアルバムはマイケルをメガ・スターの誕生へと導くことに。その後もThrillerなどメガ・ヒット・アルバムを連発し更なる高みに登って行った。

ただそれと並行して音楽以外でのスキャンダラスな騒動なんかが結構あってオイラとしては少し引いてしまったかな?

そんな状況で、オイラの預かり知らぬ押し入れ内の遺跡から今回マイケルに関するベスト物CDとDVD3点が発掘されたのは今世紀最大の驚き!

まさかうちのカーチャンがマイケルのファンだったとは!

早速CDをPCにリッピングして聴いてみる事に。

オォ~、それまで耳にした事のあるアップ・テンポのヒット曲もいいが、メロディアスなバラードも身に沁みる。

結局聴かず嫌いだったのかもね。

これで今日からオイラもマイケルのファン。


心の詞、Music Of My Mind

2024年09月10日 | R&B

スティービー・ワンダーの1972年も通算14枚目のスタジオ・アルバム、Music Of My Mindは中々の出来だったが日本じゃそれほど話題にならなかった。

実際彼の存在を知ったのは、次作のTalking Bookからだった。近所のレコード屋のアニキがオススメでSuperstition視聴させてくれたけれど、その時買ったのは同じくSuperstitionが収録されたBBAのライブ・アルバムだったっけ。

大ブレイクを果たした次作のTalking BookのようにYour Are The Sunshine Of My LifeやSuperstitionのような大シングル・ヒットは見当たらないが、じっくり聴き込めばその片鱗は十二分に感じさせる充実した作品だと今更ながらわかる。

1970年、スティーヴィーはモータウンとの契約が切れ、契約更新の際今後発表されるアルバムにおける自身でのプロデュース権を勝ち取ったそうな。本作はその第一弾で、更にシンセサイザーを大幅に導入することによって新たな音楽的表現を手に入れることに。

1曲目には7分以上にわたるファンキーでご機嫌なサウンドのLove Having You Around、そしてこれまた8分以上の二部構成を取る2曲目のSuperwomanなどリスナーを最初から引き込んでいく工夫された構成となっている。

レコード会社の思惑に縛られずにアルバムのプロデュース権を得たことによってそれまでスティービーの心の中にずっと抑えられていたその才能が一気に弾け出し、その後ポップス界において破竹の快進撃を成し遂げる事はご存じのこと。

このコラージュもスティービーの意思なんだろうね。


アメリカに来てよかった! 

2024年06月22日 | R&B

アベレージ・ホワイト・バンドといえば、スコットランド出身のガチ白人ファンク・R&B・バンド。初めて聴いた時はアメリカの黒人バンドかと思った。

かってスコットランドで活動していた面々が1972年にロンドンでアベレージ・ホワイト・バンドを結成し、1973年頃エリック・クラプトンのコンサートのサポート・バンドなどをの下積みを経て、ようやく自身のデビュー・アルバムを出すことに。

そして翌年新たな活動場所を求めてニューヨークに移住という変わり種。

1975年に出したセルフ・タイトルのアルバムはプロデューサーにビー・ジーズの大ヒット・アルバム、Main Courseを担当したR&B系のアリフ・マーディンが起用されなんと全米1位・全英6位と大ブレーク。またシングル・カットされたインスト・ナンバー、Pick Up The Piecesも全米1位に輝く。

あたかも夜の繁華街をクルージングする車から聴こえてきそうな都会的な雰囲気を持つアベレージ・ホワイト・バンドの演奏。

ちなみにその昔オイラもスコットランドに仕事でお邪魔したことがあったけれど、その時は青空の見えぬどんよりした曇に覆われ、また街並みも派手な建物はなく保守的で全体的に灰色のイメージだった。

彼らがそのままイギリスに留まっていれば、場違いって感じでなかなか芽が出ずパブ・バンドで終わっていたかもしれない。


心眼

2024年01月06日 | R&B

1962年、わずか12歳でデビューしたスティービー・ワンダーの1973年の16枚目のオリジナル・アルバム、Innervisionsでも。

まだ20代前半なのに貫禄すら溢れる巧でソウルフルなボーカル、更にキーボードを中心にその他の楽器も操るほぼワンマン・バンドの形でレコーディングし、そして曲も全てが自作曲でバラエティーに富みアルバム・プロデュースも手がける。

もう天才ミュージシャンって言ってもいいね。

ソウル系はそれほど詳しくないオイラでもスティービー・ワンダーの作品は思い出したように時折り聴く。

ただこの歳になっても修行の足りぬオイラは相変わらず煩悩を捨て去る事は出来ず心の目は未だ開かず。


コレはイイね!

2023年10月13日 | R&B

プリンスは1984年の6枚目のプリンス・アンド・ザ・レボルーション名義のスタジオ・アルバム、Purple Rainで頂点に立った。

Purple Rainは彼主演の映画のサントラで、映画自体は鑑賞してはいないがでかいバイクに跨り爆音を轟かして去っていくプリンスの姿をMTVビデオでよく見かけた。

全体的にはそれまでのR&Bやファンク路線ではあるがそれをさらにポップ・ロック化したサウンドは耳によく馴染む。

主題曲の重厚なPurple Rainもいいが、個人的にはアポロニアがプリンスとボーカルを分け合う軽快でポップ色の強いTake Me With Uが何気に心地良くさせてよろし~


早熟だった彼女もここに円熟期を迎えることに

2022年07月10日 | R&B

60年代末、10代半ばで音楽活動を始めた早熟なシンガー・ソング・ライターだったのがジャニス・イアン。

数枚のアルバムを残し一旦活動を休止するものの70年代の半ば、コロンビア・レーベルに移籍して再出発。

1975年の、その彼女のコロンビアからの第二弾のアルバム、Between The Linesはシングル・カットされたAt Seventeenと共に大ヒットし一気に頂点へと。

アコースティック調による軽いジャズ・タッチの楽曲はニューヨーカーらしく洗練されかつ親しみ易いメロディーでリスナーの心をガッチリ捉えた。

同時期のニューヨーク在住の女性シンガー・ソング・ライターといえばやっぱりローラ・ニーロが思う浮かぶ。どちらかと言えば、ジャニスの方がローラより少しばかり分かりやすくポップ寄りですかね…

日本ではTVドラマの主題曲に使われたりして当時人気あったのを覚えていて懐かしく感じる。


ザ・ブームの初期ベスト・アルバム

2022年07月01日 | R&B

手元に有る音源のほとんどが洋楽で有るが、和物に関しても気分次第で発作的に買うことも…

本日はホコ天からメジャー・デビューのチャンスを得て1987年に1枚目のアルバムを出したが出たザ・ブームの1992年のベスト・アルバムでも。

その当時は全くその存在を知らなかったが、彼らの大ヒット曲、島唄を聴いて買ってみようと思った。

聴いてみると島唄を始めとする沖縄のイメージだけでなく郷愁を感じさせる日本調フォークに海外のスカやロックのごった煮って感じでバラエティに富んでいて、また初々しさも感じ非常に惹きつけられた。

何度か活動停止と復活を繰り返すも2014年ついに解散。

残念だが、始まりがあればいつか終わりもやってくる。

 


暑っ~!

2022年06月26日 | R&B

まだ6月なのにギラギラ照りつける太陽、気温は30度を軽く超え7月より暑いんじゃね~の!

今からこんな調子で体力を削られていくとなると連日35度を超えるような本番の真夏まで体が持つのかいささか不安になる。

てな事で本日は暑気払いとしてスティービー・ワンダーの熱いファンキーな曲でも。

今の状況を表すが如く1980年通算19枚目のオリジナル・アルバム、Hotter Than July

(あまりに暑くてピアノが燃えてますやん)

(アルバムの最後を飾る曲、Happy Birthdayは凶弾に倒れた公民権運動の象徴だったキング牧師の誕生日を祝ったものだったとか...) 

売上がイマイチだった前年の2枚組サントラ、Journey Through The Secret Life Of Plantsの名誉挽回って事でもないが、素晴らしいアルバムに仕上がった。

もし一回聴いてピンとこなくとも何度か繰り返し聴いていけば自然に馴染んでいく。

今の暑さも出来るだけ物陰でじっとして身体にゆっくりと馴染ませて本番に備えたい。


気分を変えて その3

2022年03月30日 | R&B

しばらくのご無沙汰でした。

この前の日曜日少々暇を持て余していたので、中古レコードを見に某なんちゃらオフと言うショップ覗いて参りました。

数多くのシングル盤、ほとんど日本の歌謡曲が多いのですが、パタパタパタと眺めておりますとシングルのサントラ盤、”いちご白書”Circle Gameをなるものを発見!

再発シングル盤らしく、裏面は別の映画のサントラ、ソルジャー・ブルーが収録。確か騎兵隊とインディアンの登場する西部劇でジョン・フォードの伝統的なそれではなく、お子様にはちょっぴり刺激のあるバイオレンス・シーンが印象的なニュー・シネマだった。 確か当時テレビにスポットで映画公開の広告が出ていたような...

オリジナルはご存じジョニ・ミッチェルの作品ですが、映画のサントラ盤ではバフィー・セント・メリーがアップ・テンポで軽快に歌っていて、映画公開によって日本じゃこっちの音源の方が馴染みがある。

この音源は持っていなくて税込110円だったので買うことに。

更にパタパタを進めていくと、何とバンバンが歌う“いちご白書をもう一度”で手が止まる。

1975年、荒井由美作。お名前は存じ上げませんが、向かって右の方ちょっとヤンキーっぽい感じですかね。

何かのご縁とコレもゲット!

帰って参りますと、晩飯のデザートにイチゴ!

イチゴを頬張りながらシングル盤2枚の鑑賞、正にイチゴ三昧の夜、若かった頃を懐かしんだ次第です。


スコットランドのブルー・アイド・ソウル

2022年01月25日 | R&B

アメリカのミュージシャン顔負けのファンキなーR&Bバンドのアベレージ・ホワイト・バンドがスコットランドから登場したが、彼の地の代表的のブルー・アイド・ソウルって言えばやっぱりこの方々かな?

そう四人組男性ボーカリストのWet Wet Wet。

80年代半ばあたりからその名を知られ80年代末から90年代に大活躍。

ヨーロッパ出身だからなのか、本場アメリカの同業者と比べると黒っぽさとか泥臭さはさほど感じられず、スタイリッシュで洗練された都会的なボーカルが披露される。

アメリカのミュージシャンかと思えるようなファルセット・ボイスを巧みに使ったAngel Eyesをラジオで初めて聴いた時はかなり印象に残った。

そしてビートルズのカバー、With A Little Help From My Friendsが巷に流れる頃には彼らにさらに興味を持つことに…

さらに時は流れ、1994年ヒュー・グランントが主演を務めた映画のサントラに彼らがカバーしたLove Is All Aroundが起用され大ヒットした。

これがダメ押しとなって、遂にその頃出ていた彼らシングル盤をコンパイルした編集盤、End Of The Part Oneを買ってみることに。

中々良いと思った。結構CDを車に中に持ち込んでよく聴いた。

英国を含むヨーロッパでは結構人気を博した彼らだったが、アメリカや日本では何故かそれ程知られていなくマイナーな存在だったような…


Hip Hopってどうよ?

2022年01月23日 | R&B

Hip Hopのジャンルって私にとっては少々苦手な分野。

日本人アーティストの中でHip Hopで印象深い作品と言えば、個人的にはニューヨーク帰りの佐野元春が1984年に出したアルバム、Visitorに収録されたComplication Shakedownかな?

“システムの中のディスコティック!”って決め台詞にインパクトを感じた思い出が…

Hip Hopって韻を踏んだ歌詞をビートに乗せて早口で語られるのが一般的な印象で、私の程度の英語力では到底付いていくことが出来なく理解不能に陥る。また韻を含んだ歌詞は音としては印象には残るものの、単なる語呂合わせであまり意味の無い内容である事もしばしばで感情移入出来ないことも。

私にとってはメロディーが薄いので壺漬けなしで白飯を食べるような感じでどうも歯応えがないく、オジンにとっては少々厳しいジャンルですかね?

しかし白米だけでもずっと噛んでいると甘みが出てくるので、何度も聴けば案外味が出てくるのかも…

3人組のHip Hopグループ、フージーズの紅一点のボーカル、ローリン・ヒルが1998年にソロアルバム、The Miseducation Of Lauryn Hillなるアルバムを出した。

アルバム・タイトルとジャケのデザインから学校教育に関する内容だと思う。出だしのIntroで教師が出席をとる様子が収録されていて、名前を呼ばれるとHereと答える。

イモトアヤコ流に言うと、ここっ、ここですよ〜

このアルバムがバカ売れで全世界通算売り上げが2000万枚を超え、翌年のグラミー11部門ノミネートされ5部門獲得と大ヒット。

その時流に遅れてはならずと取り敢えず買ってみた。

Hip Hopやゆったりしたソウル調の曲がトータルで約80分ほど収録された大作。

何を語っているのかよく分からない。CDのブックレットには歌詞がびっしり書き込まれているがあまりにもフォントが小さ過ぎて読む気にもなれず少し退屈かな?

ただ音を絞ってバック・グラウンドとしてこのCD再生すれば、個人的には案外心を落ち着かせる気が…

ローリンの女性的な攻撃的に感じさせない歌唱が無音の室内に潤いを与えるのかも知れない。

ちなみに日本でもこのCDミリオン・セラーを記録、Hip Hop音痴の私としては、購入された100万人の方々それぞれにこのCDの楽しみ方ちょっと聞いてみたい気もする。

ローリンさん、天井見上げて一体何を思う?


Be My Babyはフィルの愛の歌

2022年01月13日 | R&B

さっきチラッとインターネットみていると、ロネッツのリード・シンガーだったロニー・スペクターさんがお亡くなりになったと….

享年78歳だったとか。

因みにロニーって彼女の愛称であり、本名はヴェロニカ・ベネットだったとか。そして3人組のボーカル・グループはそのロニーから取ってロネッツと名付けられたそうな。

それじゃ名字のスペクターは一体どこからきたかと言えば、1963年グループが結成されフィル・スペクター率いるレコード会社、フィル・レコードと契約しヒット重ねた後、ロニーとフィルはねんごろの仲となり同棲をし、1967年にロネッツ解散後フィルと結婚したことからスペクター姓を名乗るってな事になったらしい。

ただ何年後かには彼らは離婚したみたいだが….

ところでロネッツといえばやっぱりその年1963年に出たフィル作のデビュー・シングル、Be My Babyですかね。

印象的なドラムを合図にフィルお得意のコーラスやストリングスなどを使ったウォール・サウンドが躍動し文字通り全く隙の無い大ヒット曲に。

ビートルズのLet It Beを再構築し名声を得たフィルも、その後彼の奇行がしばしばニュースを賑わした。

その彼も奇しくもちょうど一年前の1月に鬼籍に。

ロニーもフィルもあの世に行ってしまったけれど、60年代ヒット・チャートを賑わした彼らの功績は永遠に不滅です。

RIP ロニー


ポップ路線に舵を切る

2021年12月25日 | R&B

ベルリン三部作の後、心機一転ニューヨークに渡って録音された1980年の作品、Scary Monsters。

(洒落たジャケット・デザイン)

一曲目のIt’s No Game(No.1)からエンジン全開。

ロバート・フィリップのクリムゾン・チックなギターをバックに日本人女性が少々無機質な響きで日本語で語りかける。

最初聴いた時は雰囲気からヨーコさんかと思ったけど、声質が違う。ヒロタ・ミチさんて女優の方でちょうど海外で仕事をされていて、紹介でレコーディングに参加されたとか…

更に調べてみると、スパークスのKimono My Houseのアルバムのジャケのモデルにも登場してるお方でした。

(スパークスのKimono My House、右の方がヒロタ・ミチさんとの事)

ベルリン三部作の反動からなのか、このアルバム結構ポップで明るい感じがする。

そしてさらにポップ度を増した次作Let’s Danceに繋がっていく事となる。


ワンダーさんを楽しむには?

2021年10月15日 | R&B

スティービー・ワンダーの創造性のピークとも言える名盤、Songs In The Key Of Lifeが1976年に出た。

レコードではLP2枚組に4曲入りのEPが付く超大作。

70年代当初の盛況は無くなったものの、まだまだロックに関心のあった私は、ジェフ・ベックのワイヤード、イーグルスのホテル・カリフォニア、ボストンのデビューにZeppのプレゼンスなんかに飛びついたわけで….

シングル・カットされたSir. Dukeなんかはラジオで小耳に挟むもワンダーさんのこの名盤の購入まではとても手が回らず、2000年にリマスターされたCDが登場してから購入とかなり出遅れた感はある。

それはさておき、ワンダーさんの場合、しばしば黒人として反体制的な社会的メッセージを歌にさらりと込めることも。

こんな時英語がわからない私は、歌に込められたそれらのメッセージは素直に無視して単に馴染みやすいメロディーやビートに身を委ねる事にしている。

そうこうしているうちに、時間も忘れて100分以上にわたる大作の鑑賞完クリ。

おぉ〜!ワンダーさんが更に身近に。

ガチのファンからはお叱りを受けるかもしれないが…


久々にフィービー・スノウでも

2021年08月24日 | R&B

1974年、シェルター・レーベルからセルフ・タイトルのアルバムでデビューし成功を収めたRB系シンガー・ソング・ライターのフィービー・スノウ。

しかしレーベルとのいざこざでこの1枚のアルバムを残してコロンビア・レーベルに移籍し1976年から78年にかけて4枚のアルバムを出す。

1981年にコロンビア時代の音源とデビュー・アルバムからも2曲収録したベスト・アルバム、The Best Of Phoebe Snowが発売された。

とにかく歌が上手いのが気に入っている。

トータル35分程度のサンプラー的な収録なので、もっと彼女のボーカルを味わいたいお方はオリジナル・アルバムを個々に聴きてみるのがオススメ。

今やオジンとなった私にはCD2枚組の重厚なベスト物よりこのアッサリ目の編集アルバムでオーケ。