助手:急にどうかしました?
博士:歳を取るとこの手の歌には涙する。若かった頃は、単なる歌謡曲の一つに過ぎなかったが、人生半分以上を過ぎると、川と言う存在が何で人生に例えられるのかなんとなく分かるのじゃよ。
助手:そうですね。どの川で流されるのかでも違うし、同じ川でもどのポジションを流れるかでも状況は異なってきます。
人生は川の流れの如く其々異なり、ゴールにつくまで分からないって事ですかね。
博士:オォ~! 久々におちゃらけが無い会話ですばらしぃ~のう
助手:ロックでも同じような曲がありますね。先日イタリアのプログレ・ロック、BANCOを紹介しましたが、其の兄弟分のPFMにすばらしい曲があります。
博士:1973年のPFM海外デビュー盤となった、Photos Of Ghosts(幻の映像)の中にRiver Of Life(人生は川のようなもの)じゃろ。
イタリアで前年にでた、Per Un Amico(邦題、友よ)がこの世界デビュー盤、Photos Of Ghosts(幻の映像)のベースとなっている。
助手:クラッシクのLPかと思えるような出だしがあって、その後バンド演奏が絡みプログレ・ロックへと変貌を遂げ、さらに叙情的でやわらかなボーカルが被さっていく構成ですね。
歌詞のサビの部分に印象的なメロディーが配置されこのフレーズが圧倒的に記憶に残りますね。
人生の川
雨がお前の海の親
地下から染み出し川となる
海までの道のりは長い
台地を横切り
お前の星を追いかけ流れる
やがて都市部を流れ
そこでの前途多難な洗礼を受けるが
其の痛みは忘れろ
雨から生まれまた雨に戻る
やがて旅は終わる
つまり、目的地についてその一生を終え、また雨となって他の新しい人生が始まると言う輪廻転生の世界を語っているのでしょうか?
博士:最後の4行のところが印象的じゃ
Forget Pain
From Rain To Rain
Journey’s End
Is Surely Not Far
人生で負った痛みは忘れなさい。そんな事はやがてすべて無になるのだから。
まあ人生色々、人それぞれ其の時を楽しく生きる、って感じじゃないだろうかのう。
助手:そういや中島みゆきもこの手の歌を歌ってましたね。
博士:1979年にでたアルバム、“親愛なる者へ”に収録された“小石のように”と言う曲じゃな。
助手:川の水ではなく、この曲は川を流れる小石が主人公じゃ。人生色々あるけど、しょげないでゴールの大海原目指そう!いい事あるかも。
ところで博士、我々の現在位置って何処ですかね?
1級河川の大河で悠々と流れているとは思いませんが、小ぶりの2級河川の末席あたりをセコイながらも流れているんじゃないかと。
博士:何寝言を言っとるの。数年前に農業用水に紛れ込んで、いまはため池の奥深くに沈殿しているようなまったく流れの無い人生になっておる。
君!ちょっとテレ東に電話して、このため池の掻い掘りお願いしてもらえんかのう。
あ~はぁ~、川の流れのように~ ♪♪ と行きたいものじゃ。