CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

Ashとなる

2024年07月23日 | Wishbone Ash

オイラのウィシュボーン・アッシュはいったい何処に行っちまったんだ!

その嘆きのアルバムが彼らの1976年のライブ盤を入れれば通算7枚目のアルバム、Locked In。

(摩天楼のスカイラインをバックに.....)

節税のためイギリスを離れてアメリカ上陸後の初アルバムとなった前作There’s The Rubはイーグルスのプロデューサーで有名だったビル・シムジクを起用し英ロック志向の芸風にうまくアメリカン・ロックのフィーリングをうまく融合させたような新境地を生み出し、個人的に非常に気に入った。

それが一体どんな風の吹き回しだったのか、本作にオールマン・ブラザーズなど南部サウンドのミュージシャンのプロデュースで有名だったトム・ダウドを起用。南部ロック特有のダウン・トゥ・アースと言うか泥臭さ溢れるボーカリストがいないウィシュボーン・アッシュでは、やっぱり消化不良を起こす。

それまでのアルバムで一番売れ行きが悪かったアルバムとなり、ウィシュボーン・アッシュの面々もそれを自覚していたのか、それまでほぼ1年に一枚アルバムをコンスタントに出してきた彼らが異例とも言えるその6ヶ月後にプロデューサーをアルバート兄弟を起用しアルバム、New Englandを出した。

このアルバムを境にかっての輝きを取り戻すことなく、人気が下降していくことに。

当時の心境としては、行っちまったのではなく逝っちまってAshになってしまったかな?

それでも、今久々に一聴すると言われるほど悪くない。長い彼らの活動歴の中で当時の彼らにとってこれは必然的なトライだったのだとオイラは理解する。

キリッ。

 


爽やかって感じはないけれど…

2024年04月06日 | Wishbone Ash

先日ウィシュボーン・アッシュのセカンド・アルバム、Pilgrimageを久々に聴いてみて結構良かったので、二匹目のドジョウを狙って本日は1973年の彼らの4枚目のアルバム、Wishbone Fourを取り出してみる。

彼らの4枚目とシンプルに命名されたこのアルバムは、看板のツイン・リードを前面に出したアップ・テンポなロックとゆったりした英国調フォーク・ロックが混ざり合う緩急を付けた構成を持っている。

前作のArgusの様なストーリー性を持ったコンセプト・アルバムでは無く、難しいことは考えずにそれぞれの曲を流れのままに味わって行けばいいのかも。

アメリカン・バンドには決して出せない翳りの様な味わいがそこにある。


ギター・ロック・バンドでも

2024年04月03日 | Wishbone Ash

本日は1971年のウィシュボーン・アッシュのセカンド・アルバム、Pilgrimage(巡礼の旅)。

                          (UK盤で聴いてみた。)

1曲目のVas Disや曲目のThe Pilgrimはプログレとジャズがミックスした様なインスト系ロック(スキャット付き)でクールな展開、そしてブギウギ系ブルース・ロック2曲とフォーク系が3曲(内2曲はインスト)とアルバム全体としてのバランスはうまく取れている様に思える。

シングル・ヒットするような曲は収録されていないものの1枚目のアルバムとの違いを見せようとかなり攻めた感じ。

おかげでデビュー・アルバム(全英29位)よりチャートは全英14位と上昇し、ウィシュボーン・アッシュ此処にあり!なる認知度を得たのではないかと。


Goodbye Baby Hello Friend

2023年04月21日 | Wishbone Ash

ハワード兄弟をプロデューサーに迎え原点回帰を目指した1976年のアルバム、New Englandはアメリカでは全く受けなかったが、”彼等らしさ”が感じられたのか英国ではチャート22位と少々盛り返し次のアルバムに期待した。

そして同じプロデューサで翌年に出たアルバムが、Front Page Newsだった。

むむ~、これはいかん。何かこぢんまりまとめられた感じで英米どっち付かずのサウンドはインパクトに欠けた様に感じた。

一体彼らはアメリカで何をやりたかったのかな?

一般の印象も私と同じで、アメリカでは全く売れず、出身地のイギリスでも前作より売れなかったそうな。

アメリカで受けようとするなら個人的にはもっと仕掛けを多くしてギンギンに弾けりゃ良かったのにって思う。

てな事で、このアルバムを最後にイギリスに帰る事に…

歌の文句じゃないけれど、

Goodbye USA Hello UK~🎵 って事に。


成功を求めて

2023年03月11日 | Wishbone Ash

1974年、アメリカでの成功を求めてウィッシュボーン・アッシュはイギリスからアメリカに移住。同年イーグルスのプロデューサとして有名なビル・シムジックのプロデュースによるアルバム、There’s The Rubを出す。

アメリカ・マーケットを意識したサウンド作りにより、従来のファンは少し離れて行ったかも… イギリス・アメリカともにチャートの順位を少しばかり落としたのだが、個人的には結構好きなアルバムの一つだ。

ただ問題は1976年の次作、Looked In。何を血迷ったのか、アメリカン・ロック・ゴリゴリのプロデューサー、トム・ダウトがプロデュースを担当。

ウィッシュボーンとトム・ダウトの組み合わせじゃ相性が全く合わないのではと思っていたところ見事ずっこけた。

そのためもう少しソフトな芸風のプロデューサーであるハワード兄弟を起用し原点回帰のサウンドを作りを目指したのが、1976年のアルバム、New Englandである。

4曲目のLoreleiいいですね。

ニュー・イングランドという地名はアメリカ東海岸北部に位置する諸州の地域を表し、このアルバムはアメリカのニュー・イングランドで作ったイングランド・フレイバー溢れるサウンドでございます~って感じですかね?

まあ聴いてみて確かに昔の彼らの様だが、それじゃイギリスからアメリカに移住してきた意味が少しばかり薄れるのではないかと…

因みに、この後さらにもう1枚のスタジオ・アルバムを出したものの、ヒットせず結局イギリスへ出戻る形となった。

当時のイギリスの税率が非常に高かったので、アメリカでの成功と税務対策を兼ねて移住、しかし巨額の税金をむしり取られる程の収入が無いのならやっぱり馴染みのある母国で生活… 分からないでもない。


正統ツイン・リードのお手本

2023年01月29日 | Wishbone Ash

1972年、ウィシュボーン・アッシュが出した3枚目のアルバム、Argusは彼らの傑作アルバムの一つだ。

本作の邦題はギリシャ神話に出てくる“百眼の巨人アーガス”(もしくはアルゴスとも)だがアルバムの世界観とはどうも関係ないみたいだけど…

ただ曲の発想とか展開は英国のバンドにしか無い伝統とか繊細さ、さらにウェットな雰囲気が醸し出され、ガサツなアメリカ・バンドじゃこうはいかない。

2本のギターのハーモナイズされた演奏が心地よい。

この様なところに日本人は惹かれるのかもね。


ライブの日々

2022年11月29日 | Wishbone Ash

1980年にレコードが発売されたものの何故か買いそびれ、そして長きに渡って廃盤扱いになっていたのだが、2010年突如として2枚組紙ジャケCDとして再発された。

今度は買い逃すものかと、すぐに通販サイトでポチッと入手。

これが幻のウィシュボーン・アッシュのライブ・アルバム、Live Dates Vol.2。

水色のスティッカー邪魔!

1974年、テッド・ターナーの代わりにアメリカ人ギタリスト、ローリー・ワイズフィールドが加入し新生ウィシュボーン・アッシュが誕生。その彼らの1976年から1980年までのライブ活動での選りすぐりの演奏が収録されている。

個人的には1974年のアルバム、There’s The Rubに収録されたお気に入りのインスト・ナンバー、F.U.B.B.がどの様に演奏されているのか興味があった。

いやぁ~ いい感じに仕上がっている。

ファンであるなら、一家に1枚のアルバムですかね。

おぉ~っと、2枚組でした。

英国では、イニシャル・プレスの25,000枚はLP1枚にもう1枚おまけのLPが付いてくる2枚組で、それ以降はシングルLP盤になったとか。因みにアメリカ盤はシングルLPとして発売されたそうな。

ローリー加入以前の曲は、Time WasとNo Easy Roadの2曲だけで、Live Dates Vol.1とは被らない選曲となっている。

ヒプノシス制作のLive Dates Vol.1のジャケット、Live Dates Vol.2のデザインと統一感があって楽しめる。

 

 

 


季節は早いものでもう11月

2022年11月02日 | Wishbone Ash

欧米では11月に感謝祭があってメイン・ディシュに七面鳥の丸焼きが振る舞われることも。

一般的に鳥類のV字型をした鎖骨のことをウィシュボーンと呼ぶ。鳥を食した後その鎖骨を引っ張りあい、折れた骨の長い方を掴んだ人に幸運が訪れるという言い伝えが…

車乗りなら、前輪を車体に固定するV字型の上下2本からなるアームを意味するダブル・ウィシュボーンですかね。

しかし、我ら70年代ロック・ファンならやっぱりこの方々。

1969年にバンドが結成され、翌年にセルフ・タイトルのデビュー・アルバム、Wishbone Ashが出た。

なんでも、彼らがディープ・パープルの前座を務めたところ、リッチーがとても気に入って、自分たちのプロデューサー、Martin Birtchに紹介したことがきっかけで、メジャー・デビュー。

ベースのマーチン・ターナーとドラムスのスティーブ・アプトンのリズム・セクションをバックにアンディー・パウエルのフライングVとテッド・ターナーのストラス・キャスターのツインリードが絡み合いながらメロディーを紡いでいき、主にブルース・ロック、ジャズ、プログレ・ロックそしてトラッド・フォークが混ざり合った正に英国からしか出てこないサウンド。

このアルバムのハイライトはやっぱりフェニックス。10分強の長さの曲で華麗なツイン・リードが炸裂する。

やっぱり、アンディのフライングVからウィシュボーンってバンド名を思いついたのかな? 

知らんけど。


Ashは何処へ

2022年02月15日 | Wishbone Ash

気に入ったアーティストでも人気のピークを過ぎるといつしか忘れ去れた存在となる。

たまたま出向いたCDショップで懐かしさを感じ手に取ったのがご無沙汰だった2001年のWishbone Ashのライブ盤、Live Dates 3だった。

マーチン・ターナーにかわりジョン・ウェットンがベースを弾いた1981年のアルバム、Number The Brave辺りまではレコードを買ったりしていたのだが….

ジャケのデザインが1973年の初代Live Datesのように黄色い砂漠の空を飛ぶ飛行機だったことから懐かしさを感じてつい購入。

初代メンバーの生き残りはリード・ギターを弾くアンディ・パウエルのみとなり、トレード・マークだったふさふさした金髪のロン毛は何処へ?

ライブの中身は新曲と旧曲をかってのWishbone Ashのイメージを壊さぬよう丁寧に演奏していて好感が持てた。

そしてその2年後の2003年、おや? ここにもAshさんいらっしゃいました。

1991年に出たStrange Affairというアルバムの再発 CDだった。クレジットを見ると、ドラムス担当のスティーブ・アプトンは残念ながら家庭の事情でバンドから脱退したらしいのだが、初代メンバーだった、アンディー、マーチンそしてテッド・ターナがフロント・ラインに揃い踏み!

アンディのフライングVも健在! 再発盤には3曲ボートラが収録されていてお得感あり。 

てな事で期待を込めて即購入。

確かに70年代当時の哀愁を帯びたあの音色は薄れたものの、アンディとテッドによるツイン・リードによるコラボは健在。

更に調べてみると何と2020年に23枚目のスタジオ・アルバム、Coat Of Arms出してます。

まだまだ健在ってことで… すごいの一言。


FUBB、ファックド(F)アップ(U)ビヨンド(B)ビリーフ(B) “信じられない程、めちゃくちゃだ〜”

2020年09月19日 | Wishbone Ash

連休って事で、本日2本目のアップ。

アメリカの巨大マーケットの開拓と多分税金対策もあったって事で、憧れのプロミス・ランド、アメリカへバンドごと移住。

それが1974年に出たウィッシュボーン・アッシュの5枚目のスタジオ・アルバムTHERE’S THE RUB。

(タイトルは、シェークスピアのハムレットの台詞の一節で、TO SLEEP、PERCHANCE TO DREAM、AY THERE’S THE RUB "眠ることは、多分夢見ること。厄介なことだ。" そしてジャケットには英国発祥のスポーツ、クリケットにおいて投手がウィケットを倒すために投げる赤いボールの一部分をスボンで擦り投球の軌道を変えるテクニックのRUBBINGが示されている)

前年に出た2枚組ライブ盤、Live Datesにて過去の出し物を総ざらえし、新たなバンドの方向性を探るため、プロデューサーに残念なことに、イーグルスのプロデューサだったビル・シムジックに任せ、ギタリスト、テッド・ターナーが脱退したことによって、アンディーとのツインリードの新たなパートナーとしてアメリカ人のギタリスト、ローリー・ワイズフィールドを起用。

レコーディングはクラプトンで有名になったマイアミのクリテリア・スタジオで行われた。新生WISHBONE ASHの出来は英国のトラッドな雰囲気は残しつつアメリカン・フレーバーのふりかけをまぶした様な、少々煮え切らない英米折衷のサウンド・プロダクションが影響したのか思ったより売れなかったみたい。

やっぱりアメリカで成功するには、クリケットがアメリカで全く受け入れられない事例がある様に、英国人捨てなきゃダメって感じですかね?

ビー・ジーズがアルバム、Main Courseをアメリカで制作した時、彼らはそれまでのフォーク・ロック路線からファンキーでソウルフルな作風に乗り換え、そしてディスコにたどり着き大成功を収めた。

また、レオ・セイヤーもアメリカ進出の際に出たアルバム、Endless Flightで完全イメチェン。You Make Me Feel Like Dansingなどのファンキーなナンバーでブレイク。

デビッド・ボウイーしかり、アメリカにおけるダイヤモンド・ドッグ・ツアーにおいてステージが開催ごとに徐々にソウル風に変遷、そして発売されたニュー・アルバムがアメリカンナイズされたYoung Americanでジギーは過去の遺物と相成った。

まあ、何事でも物事を極めるには中途半端はいかんと言う事ですかね。

アルバムに収められた最後の曲のタイトルFUBBがなんとなくメンバー自身も当時迷っていたのを物語っていた様な気もしないではない…

(まさかの1982年ジャーマン・プレス、丁寧にプレスされていて雑味なし)

 


Wishbone Wash?

2018年04月19日 | Wishbone Ash

ウィッシュボーン・アッシュの、2枚組ライブ・アルバム、LIVE DATESを聴いてみる。

それに先がけ、ウィッシュボーン・アッシュをワァシュする。

そうすると、雑音が軽減されてほとんどストレス無しに曲がサクサクと流れ 、あっと言う間に2枚目のレコードのサイドー4の最後の曲、フェニックスへと雪崩れ込む。

リラックスして聴けて、中々よろし〜

てなことで、嬉しいな〜♪ 楽しいな〜♪ おっさんには 学校も〜♪ 試験も何にもない! と今日もせっせとレコードの洗浄に励む 。

しかし、洗って乾かす時間の方が鑑賞する時間よりずっと長いことに気付く。

これはいかん、1日は24時間、時間が勿体無い!

しからば、レコードのジャケットを鑑賞しながらCDに収録された同じ音源を聴くって〜のはどうだろうか?

ほんと、面倒くさい おっさん。


律儀? 節操なし? そして未来は?

2017年11月18日 | Wishbone Ash

クラッシック・ロック研究所とは、日本国内のとあるアパートの約6畳程度の小部屋に設立された研究機関である。

所長の博士を中心に助手である研究員が、クラッシック・ロック発展のため新しい発見はないかと日夜研究をしている。

助手:博士大変です!

博士:君の“大変です!”は、大概取るに足りないつまらないことが多いが、今日は一体どうしたと言うのじゃ?

助手:Wishbone AshのLiveアルバム、 Live Dates に収録されているBaby What Do You Want to Me Doと言う曲は2種類あることを発見したのです。

博士:なんと!それは真か?

助手:我が研究所の所有するアイチューンに収録された曲のリストをお菓子を食べながら何気に眺めていると、 6分24秒と7分49秒の長さの曲2種類があるのを発見しました。

博士:でかした!それでは2曲を早速聴いてどう違うのか比較しようじゃないか。

助手:それでは2曲続けてどうぞ!

博士:なるほどなるほど。1分40秒あたりまでは各々2コーラスの歌唱で同じ音源じゃ。

その後始まるのアンディ・パウエルとテッド・ターナーのギター・ソロの掛け合いパートも同じ。

3分10秒辺りから再び歌唱のパート、そして3分54秒からのギター演奏、5分24秒辺りからまたまた始まる歌唱のパートの後ギター演奏に繋がりエンディングを迎えるのが6分24秒版じゃ!

7分49秒版はダメ押しに一回歌唱パートとギター演奏が繰り返されて終わっているのう~

助手:そのようですね。

1973年に買ったレコードに収録されたBaby What Do You Want Me to Doは曲の長さが大体6分30秒ぐらいだった。

で、その後1992年に2枚組みでCD化されたときは、当然かなり収録スペースに余裕があり、一枚目のCDにメンフィスでライブ収録された17分程度の長さのPhoenixがボーナス・トラックとして追加され、この時に7分49秒版のBaby What Do You Want Me Doに差し替えられ、これがその後のリイシューの定番のフォーマットとなったみたいですね。


90年代に買った輸入プラケース2枚組みのCDの裏面、CD1がレコードと異なっていた。

博士:つまり、レコードとして発売されたオリジナルの音源は、レコード再生時の内周における音の歪みを軽減させるため、マスター・テープに収録されていたものを1分25秒分カット編集しレコードに収録されたということかのう~

助手:話がややこしくなったのは2010年に日本独自にSHM-CD規格で紙ジャケ化した時に、1973年のレコード発売時と同じフォーマットを利用したことですね。

それには、ボーナス・トラックは収録されず、またBaby What Do You Want Me to Doも6分24秒版が使用されています。

2010年に購入した紙ジャケSMH-CDのジャケ裏、LPと同じデザインを採用

博士:オリジナルのレコードを完コピしないと気がすまない。日本人の律儀な性格が現れているところかのう~

助手:博士大変です! なんと2013年のプラケに夜SHM-CD規格の再発ではCDはボートラ付きに戻っています!

2013年に出たSMH-CDプラケ仕様の裏面、収録曲元に戻ってる!

博士:紙ジャケ買ったマニアにプラケも再度購入させようという魂胆か!なんとも節操のないことじゃ。

日本人が律儀なのか、はたまた商売のためには節操がなくなるのかと言う議論よりも、こんな小ネタをブログにアップして喜んでいるクラッシック・ロック研究所に果たして未来はあるのか?

まあ、今の若い人、ふた昔前の長尺物ブルース・ナンバー聴くとは思えないからね。

曲の長さが1分30秒ほど違っていてもそれほどインパクト感じないし、途中で寝ちゃうかも?


ライブ盤を聴く、LIVE DATES(ライブの日程)

2015年11月30日 | Wishbone Ash

サッカーに興味のない人は、ピンとこないかもしれないが、イギリスのプレミア・リーグの強豪チーム、アーセナルが、11月29日のアウェイのリーグ戦の為、ロンドンから160キロ離れた対戦相手のホームタウン、NORWICHまで飛行機で向かう予定だとつい最近のネットの記事にあった。

なんでもNORWICHに向かう道路が工事中とのことで、短時間でストレスなしに目的地に行くには、チャーター機で向かった方が良いとの判断とのこと。実際に当日飛行機で向かったかは、その記事に書かれていなかったが、その程度の距離であれば20分弱の飛行で、もし、実際にチャーター機を使用したなら、非常にもったいない気もするが…

話は変わって、ロック・バンドも長距離を移動してツアーを行う場合は、チャーター機で移動する。特に、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、エルトン・ジョンやウィングスなどの大物ミュージシャンが北米大陸をツアーした時、大型ジェットの前での記念撮影した写真が雑誌などによく掲載されていたのを覚えている。

今回紹介するアルバム、LIVE DATES(全米82位、全英はチャートインせず、但し、シルバーのステータスということで、英国では6万以上、10万枚未満の売り上げとなる)の表ジャケットには、中型の双発プロペラ機がジャケットに描かれ、 砂漠、ナツメヤシ、ラクダとピラミッドをバックに飛行し、裏ジャケには都会、ナツメヤシそしてサボテンがバックというイラストが描き込まれている。


世界中を飛行機で旅しながら演奏活動を行っているという印象を受ける。

実際は、READING、 CROYDON、NEW CASTLE とPORTSMOUTHのイギリス4地方都市の公演からの音源が採用されている。NEW CASTLEは少しロンドンから距離があるが、他の町はロンドンからそれほど離れていない距離なので、まさか、アーセナルのように短距離の移動に飛行機は使用するようなことはなかったと思うのだが。

ただ、このアルバムを手にした70年代初めには、そのような現実的な発想は浮かばず、 世界中を巡るライブ活動御苦労さんというイメージ だった。

ジャケのデザインをしたヒプノシスにまんまとやられてしまったのだろうか。

アルバムの中身はウィッシュボーン・アッシュの、スタジオ・アルバム4枚を総括した内容となっており、このアルバムだけで彼らの特徴は十分伝えられていた。とは言え、ボーカルが弱い。やっぱり彼らの魅力は、ベースが中心となって楽曲をコントロールし、それぞれが異なった音色の2本のギターのメロディアスなアンサンブルにあると言える。

そういった意味では、ウィッシュボーン・アッシュは爽快感もしくは清涼感溢れるインスト・バンド(ボーカルはおまけ)だと思う。

Wishbone Ash - Rock ´ N Roll Widow (LIVE DATES 73)


ジョン・ウェットンとウィッシュボーン・アッシュ

2015年09月18日 | Wishbone Ash

プログレ・ハード系のロックにおいて、この人ほど需要の多いベース・プレイヤーは他にいないのではないか? 
ベース・プレイはしっかりしているし、歌もうまい。 人手の足りないバンドにおいて、非常に重宝する存在である。

そう、ジョン・ウェットンのことである。

1970年代初頭から、ベースのセッションもしくはレギュラー・プレイヤーとして多くのアーチストのアルバムに参加していた。

有名なところでは、
1971-72年のロック・バンド、ファミリーに参加
1973年にはジェネシスのメンバーであるピーター・バンクスやブライアン・イーノのソロアルバムに参加。
それを皮切りに、ロキシー・ミュージック関連で1974年頃からブライアン・フェリーやフィル・マンザネラのソロ・アルバムや、ロキシーのライブ・アルバムにも登場。

レギュラー・メンバーとしては、1973-75年にかけて絶頂期のキング・クリムゾンに参加。アルバム・レッドを最後にクリムゾンが解散した1975-76年には、ユーライア・ヒープのメンバーとなる。

その後、1978年にプログレ・バンドのUKを設立。

そして1980年にソロ・デビューし、1982年にスーパー・グループ、エイシアをスタートさせ世界的に大ヒットさせ、今現在においても切れ目のない活動を続けている稀有の存在である。

そのソロ・デビューとエイシア結成の狭間となる1981年に、なんと彼はウィッシュボーン・アッシュにも参加していたのである。

それが、ウィッシュボーン・アッシュのスタジオ11作目のNUMBER THE BRAVEだった。
結成当時からのベース/ボーカル担当のマーチン・ターナーが脱退したことからジョン・ウェットンがその代わりとして加入したのだ。

80年代に入り、世の中の音楽の嗜好も変わり、時代の流れに合わせたアルバムの制作という考えから、プロデューサーに当時ポリスをプロデュースしていたナイジェル・グレイを迎えた。

そして完成したアルバムは、初期4枚のアルバムに共通していた、イギリスのトラッド・フォークやブルースなどを、自慢のツイン・リードを生かして独特のロック・サウンドは何処やら、完全に80年代のシンプルかつストレートなサウンドに変身していた。アメリカ向けのファンキーな曲も2曲ほど含まれ、そのうちの1曲が、かってスモーキー・ロビンソンがテンプテーションの為に作ったR&Bの名曲、GET READYをカバーしたのであった。ウィッシュボーン・アッシュ流に2本のギターを絡ませスピード感溢れたサウンドとなった。

ところで、当時アメリカ盤を購入したのだが、2000年代になって紙ジャケCDが出てそれも買ってみたところ、曲順が違うのに気がついた。
紙ジャケは英盤の曲順をフォローしており、1曲目は彼らのオリジナルのLOADEDから始まる。米盤はもちろん、GET READYである。LPレコードのオープナーは非常に重要で退屈な曲が1曲目だと、最後まで聞いてもらえない可能性も出てくる。やっぱり、アメリカで売るなら、1曲目にファンキーなGET READYを持ってくるのは当然といえば当然。


しかしながら、残念なことに時代の流れを掴み損ねたのか、アルバムは全米202位/全英61位と今までのチャート・アクションとしては最低を記録し、これ以降は、彼らの出したアルバムはアメリカではチャート・インすらしなくなったのだ。

やる気満々だったジョン・ウェットンはこのアルバムのために数曲を作ったのだが、結局1曲しか採用されず、バンド内での自身の立ち位置がどうも他のメンバーと対等でないことを察知し、このアルバムのみの参加で脱退するのであった。そしてこの時に作り、ボツになった曲は、改作されエイシアのデビュー・アルバムに使用されたとのこと。

ウィッシュボーン・アッシュといえば、オリジナル・メンバーはギターのアンディ・パウエルのみとなったが、現在でも新譜を出したりライブ活動なども続けているようである。

新譜を出してもチャートインすらしないこのバンドがなぜ現在まで生き延びられたのかというと、初期4枚のアルバムを今でも覚えているオールド・ファンがサポートしているのである。
5枚目のアルバムからサウンドにアメリカ色が強くなり、その後も時代に迎合しようとし色々と変革を試みるのではあるが、デビューから45年経った今でもウィシュボーン・アッシュといえば、PHOENIX、アルバムで言えばARGUSとなるのである。

彼らが新譜を出すと、その内容の比較の対象となるのが初期のアルバムのサウンドなのである。オールド・ファンにとっても、彼らの新譜を購入するのは、新しい楽曲の中に初期のサウンドの痕跡がないだろうかとノスタルジックな気持ちからくるなんらかの期待が生じるからかもしれない。つまりオールド・ファンは全く新しいサウンドを求めているのではなく、45年前の若かった時の記憶を引き出すために当時のサウンドに近いものを求めているのではないだろうか?

彼らの新譜はここのところご無沙汰であるが、再発された旧譜でも聴いては、ジョン・ウェットンとウィッシュボーン・アッシュには出来るだけ長く活動を続けて欲しいものだと心の中でいつも応援しているのである。

Wishbone Ash - Ged Ready (The Temptations cover)


なに魚の骨! FISHBONE、FISHBONE、FISHBONE… WISHBONE、WISHBONE ASH バンザイ~

2015年08月17日 | Wishbone Ash

助手:博士! 動物ジャケ・シリーズは見事に滑っちゃいましたねー

博士:動物に関する画像といっても、ペットの写真のように人の心を癒すようなものじゃないとダメじゃのう。

助手:ペットと言えば、うちで飼っている、熱帯魚なんてどうですかねー

博士:魚だと、犬や猫のように芸をしないから、いまいちインパクトに欠ける。

助手:ピンク色したやつとか、目だけ青く胴体は骨が見えるシースルーとか、これはこれで、じっと見ていると癒されるのではないかと思うのですが。


博士:なに!魚の骨とな。 FISHBONE、FISHBONE、FISHBONE、FISHBONE… WISHBONE! 
それじゃ、今日はWISHBONE ASHでいってみよう~

3枚目のスタジオ・アルバム、ARGUS、そして4枚目のWISHBONE 4で、イギリスでは着実に実力と人気が付いてきた。そうなると、次はアメリカである。

残念なことに、アメリカのレコーディングを行う前に、ツイン・リードの担当の一人であったテッド・ターナーが脱退してしまった。代わりにアメリカ人のギタリスト、ローリー・ワイズフィールドが加入。そして、イーグルスのプロデューサだったビル・シムジックがプロデュースを引き受け1974年に完成したのが、5枚目のスタジオ・アルバムTHERE’S THE RUBである。

アルバム・タイトルとジャケに、”イギリスからはるばるやって来たよー”というメッセージが込められている。

タイトルは、シェークスピアのハムレットのTO BE OR NOT TO BE(生きるべきが、それとも死ぬべきか)から始まる有名な台詞の一節で、TO SLEEP、PERCHANCE TO DREAM、AY THERE’S THE RUB(眠ることは、多分夢見ること。厄介なことだ。)から取られている。

そしてジャケットは、イギリス発祥のクリケットで、ウィケットを倒すために投げる赤いボールの一部分をスボンで擦り(RUBBING)しボールに巻かれているその箇所の皮を薄くしている。それは、バット・マンに打たれないように投球の軌道を変えるテクニックを示している。

収録されている楽曲について、述べると;

1曲目のSILVER SHOESは、なんとバンジョーの演奏がバックに聞こえ、2曲目のDON’T COME BACKと4曲目のHOMETOWNはファンキーな曲調となってそれぞれがアメリカを意識したものとなっている。

反対に3曲目のPERSEPHONEと5曲目のLADY JAYは、ブリティシュ・トラッド・フォーク系の味わいがある。

そして最終7曲目のF.U.B.B.はイギリスとアメリカを足して2で割ったようなご機嫌なインスト・ナンバーである。

アメリカでは88位と大ヒットには至らなかったが、新生WISHBONE ASHの英米折衷の味は十二分に出せたと思う。ただ、テッド・ターナーが抜けたことから、以前のWISHBONE ASH色が薄れアメリカ寄りのアルバムの出来に不満を持ったファンもいたのではないだろうか?

助手:ところで博士、F.U.B.B.ってどういう意味ですか?

博士:ファックド(F)アップ(U)ビヨンド(B)ビリーフ(B)の略語だよ。要するに、“信じ難いほど、めちゃくちゃだー”という意味。

アクション映画をいつも見ていると、結構悪い意味を持ったスラングが頭に残ってしまうことがよくあるのじゃ。特にFxCKとかSON OF BxTCHなんて、気心の知れた仲間内で冗談で使うのならまだしも、深く考えずに何気に海外で使ってしまうのは、危険じゃ。大げんかになったり、もし会話が録音されていたなら、訴えられる場合もあるのじゃ。

この夏、海外旅行に出かけられる皆様、ご注意のほどを。

どうしてこのようなタイトルがこの曲についたのか、理解できないのですが、F.U.B.B.聴いてみてください。少し長い曲になりますが~

Wishbone Ash - F.U.B.B