CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

やっぱりLET IT BEが最終作、さびしい幕切れのI ME MINE

2015年12月30日 | BEATLES-BADFINGER関連
今年もあとわずか。

今年の最後を締めるアルバムとして、ビートルズの最終作LET IT BEでも聴いてみようかと。

アルバム・ジャケットには、メンバーの集合写真は無くバンドが解散されることが象徴されたデザインである各人のポート・レイトが使用された。但し米盤や日本盤は、ある時期までゲート・ホールド式のジャケットを採用し、インナーにはLET IT BEの映画作成時のグループの集合写真を含んだスナップで構成されていた。

メンバー四人の分裂状態を表していたのは、LET IT BEの制作の一つ前のオリジナル・アルバム、THE BEATLES(ホワイトアルバム)で、これまた各人のポート・レートをアルバム・ジャケットに採用した。

この時期から各人が個別に曲の骨格をレコーディングした後、必要ならば他のメンバーの演奏やボーカルをダビングし肉付けする方式で曲を制作することが多くなることで、共同作業が少なくなりグループ解散への方向に進むことになったと思われる。

露骨な個人的制作形態が解散イメージにつながらないようにするため、四人のセッションを映像化することが企画されたれたのだが、グループの一体感を出すつもりが反対にメンバー間のギクシャクぶりを余計に映し出たのと、楽曲の出来がビートルズの作品としてはイマイチだったことから、お蔵入りになった。

名誉挽回のため制作された次作ABBEY ROADは、LET IT BEより先に世に出たのだが、実質的には最後にレコーディングされたアルバムであると一般的には称される.

しかしながら、69年にゲット・バック・セッションに登場したもののアルバム収録は見合わせられた、ジョージ作のI ME MINEをLET IT BEに収録するため、この曲の再レコーディングがABBEY ROAD発売後の1970年1月ジョージ・マーチンのプロデュースの下、ジョン抜きで行われたようだ。

アンソロジー3に収録された音源はその時のもので、曲の冒頭で、ジョージが⎡DAVE DEE GROUP(当時イギリスで有名だったポップ・バンド)のリーダー、DAVE DEEはすでにバンドから脱退したが、残りのメンバーは、良い仕事を続けるためEMI NO.2スタジオにやって来る。⎦などとジョンが不参加だったことを他のバンドで比喩したジョークを披露している。

後にフィル・スペクターによるLET IT BEを再プロデュースで、かってレコーディングされた各曲のテープは切り貼りされ、またブラスとストリングスがダビングされ完成した。

I ME MINEも同様に、同じ箇所を繰り返す編集により1分ほど曲の長さが延長され、4月1日にストリングスをダビングすることによって翌日最終のミックス・ダウンが完了した。

ジョージはフィル・スペクターの再プロデュースの作業に立ち会っていたみたいだが、他のメンバーとジョージ・マーチンはその場に居なかったというなんともさびしい幕切れであった。

それでは皆さま、良いお年を!

The Beatles - I Me Mine (Anthology 3 [Disc 2])

たまには童心に返ってアニメは如何?

2015年12月28日 | JAZZ・FUSION
この家には私を除いて、ロックやジャズを楽しんで聴く人はいない。

私の家族の洋楽に関する認識といえば、まあビートルズなんかは、学校の英語もしくは音楽の教材に使われることが多いので多分知っているだろう、またテレビの番組やコマーシャルで洋楽がバックに使用されるときなども、“ああー、これが昔の洋楽のヒット曲なんだな。” と言う程度のものである。

こちらの趣味を彼らに押し付ける気持ちは毛頭ないのだが、私が昔から数多く買い集めたレコードやCDの中から聴いて、“これなかなか良い ね。”なんて言われたら、どう表現すれば良いのか適切な言葉が浮かばないのであるが、 何と同志がここにいるではないか!となんとなく小さな幸せを感じるのである。

とある日、子供が何かの曲をハミングしていたのをフト聞いた。

何とそれはイエスのROUNDABOUTではないか!ロックなんて真剣に一度も聴いたことのない人が、イエスの曲を口ずさむなんて!!

話を聞いてみると、“ジョジョの奇妙な冒険”というアニメのエンディングにそれが使われていて、メロディーを覚えたらしい。

そういえば、この漫画のタイトル、かなり遠い昔に聞いたような微かな記憶が?

早速調べてみると、漫画家の荒木比呂彦氏が1986年から少年漫画雑誌ジャンプに連載していた作品で2004年まで連載され、2005年からは、ウルトラ・ジャンプという、購読対象年齢が上の漫画雑誌に移り、現在も連載中とのことである。

人気があったため、テレビでのアニメやゲーム化もされている。

イエスのROUNDABOUTは、2012年から13年にかけてファースト・シーズンとしてオンエヤーされたシリーズに使用された。この曲をエンディングに使うアニメとは一体どのようなものかと興味が湧き、DVDレコーダーに以前子供が録画してあったものを早速見てみることにした。

話の筋は、特殊な能力を持った主人公が相反する邪悪な組織のメンバーと次々に対戦するという、ゲームにし易い筋でもある。またアニメの登場人物も”ニュー・アニメ”と言うか結構ユニークなタッチで描かれていて、また漫画のコマに出てくる擬音も音声だけでなくアニメの映像として画面に出てくるのである。

それから、この作者が結構音楽好きみたいで、登場人物や話に出てくる固有名詞などに、ロック・ミュージシャンの名前や関連の言葉がそこかしこに出てくるのである。

例えば、主人公と結婚する女性の名前は、スージーQ(スージー・クアトロから拝借)、登場する脇役の名前に、ポコ、トン・ペティ(トムペティ)、ダイヤー、ストレイツナ、サンタナ、ロギンスとメッシーナ、カーズ、ポルナレフ、イギーなどなど。また、面白いところでは、鋼線のベック(ワイヤードのベック)とか鋼線入りのダン(スティーリー・ダンのこと)なんて人が登場しロック好きの御仁はニヤリとする。

じっくり見ていると、結構ユーモアに溢れている箇所もあり完全に子供向けとは言えない内容と思うのだが、いい年をした大人が“ジョジョの奇妙な冒険”よく見ていましたと胸を張っても言うのも少し抵抗が…

でも、まあたまには、いいっか。

2013年から14年にかけて放送されたセカンド・シーズン第一クールのエンディングには、バングルスのヒット曲、WALK LIKE AN EGYPTIANで、第二クールには、パット・メセニーのLAST TRAIN HOMEが使われていた。

ジャケ裏、LAST TRAIN HOMEは3曲めに収録

パット・メセニーという名前は聞いたことがあったが、彼の音楽はそれまで聴いたことがなかった。この素晴らしいジャズ・ギタリストを教えてくれたジョジョにこの場を借りて感謝したい。

彼は1954年生まれのアメリカ人ギタリストで、ブラジルの音楽に影響を受けたジャズを演奏する。

LAST TRAIN HOMEが収録されたアルバム、STILL LIFE (TALKING)はパット・メセニー・グループ名義で1987年に出され、全米チャート86位、ジャズ・チャート1位でゴールド・ディスク獲得。そしてベスト・ジャズ・フュージョンの部門で見事グラミー賞を受賞。

LAST TRAIN HOMEの短縮版
ジョジョの奇妙な冒険スターダストクルセイダースエジプト編ED

土曜の昼下がりにCHASE

2015年12月26日 | AMERICAN ROCK/POPS
60年代末から70年代のブラス・ロックといえば、シカゴを筆頭に、ブラッド・スエット・アンド・ティアーズやタワー・オブ・パワーなど、ジャズやファンクの要素をロックに取り入れニュー・ロックの旗手としてそれぞれ大活躍した。

そこで忘れてはならないグループがある。

それは、トランペット奏者のビル・チェイスが中心となり設立した9人組の、チェイスという名のブラス・ロック・グループである。

シカゴ、ブラッド・スエット・アンド・ティアーズやタワー・オブ・パワーのホーン・セクションは、トランペットにサックスやトロンボーンが組み合わさった、どちらかというと音程的にバランスが取れたアンサンブルであったが、チェイスは、ホーンセクションにトランペットだけの4管編成を採用し、それらが奏でるハイノートのアンサンブルで勝負する独特な特徴を持ったバンドであった。

1972年、ヒット・シングル、GET IT ON(黒い炎)を収録したデビューアルバム、CHASEは全米22位とジャズ系のバンドとしては大健闘。

バンドは、その後2枚のアルバムを出した後、残念ながら飛行機事故による主要メンバーの死去により消滅してしまった。

ところで、70年代は、ロックとジャズやクラッシックとの融合とか、シンセサイザーやメロトロンなど新しい電子楽器を取り入れたり、少し過激な歌詞を採用したり、各バンドが色々と工夫をし、新しいサウンドを次々と出してくれたので、次作ではどのような試みがなされるのか、いつも新譜の発売が楽しみであった。

現在は?と言うと、あまり進んで最近の洋楽を聴かないこともあるのだが、印象に残る曲はほとんどない。今すぐ思いつく曲といえば、恥ずかしながら、テレビなどで散々取り上げられたディズニーのLET IT GO ぐらいである。

テレビの番組でのバック・グラウンドやコマーシャルに使われる楽曲は、昔のヒット曲を使う例が多い。現在の曲の制作に関しては、アイデアがほとんど出尽くしてしまっているため仕方がないといえば仕方がないのだが、どれも同じように聴こえるためだと思えるのだが…  そのため、今流行りの曲よりは、過去の名曲のアレンジを現代風に焼き直してでも使う方が、インパクトがありまた視聴者に印象をより多く残せるという判断であろう。

チェイスのGET IT ON(黒い炎)もちょくちょくテレビのコマーシャルに使われていた。

70年代に聴いたニュー・ロックが今ではクラッシック・ロックと呼ばれ、さらに20年後には化石ロックと称されるかもしれないが、化石となって永遠に生き続けるのである!

などと書き綴り、急にテンションが上がる今年最後の土曜日の昼下がりであった。

Chase - Get It On

クリスマスをうるさく過ごす、ZZ TOP-TEJAS (TEXASの意味)

2015年12月25日 | Southern Rock

忘年会のシーズン、いかがお過ごしでしょうか?

若い頃は、体力に任せて何軒も夜遅くまでハシゴをして飲み歩いたこともあったが、やはりこの歳になると、胃や腸も若い頃と比べると当然の如く劣化しているだろうし、昔のような回復力は望めない。

数十年前の、ヤングと呼ばれたサラリーマン時代には夜中まで飲み歩いていても、翌日朝早く起きて会社に定時に出勤出来たのだが、最近では外で飲み過ぎると、その後どの様にして家にたどり着いたのか記憶が定かではなくなり、朝起きると“あれ、ここはどこ?”と自宅で目を覚ます。

体はふらふら、千鳥足のステップでなんとか電車に乗り、最寄りの駅で間違わずに降り家に無事に辿り着いてるわけなのだが、たぶん他人の目にはそのヨレヨレの姿が非常に滑稽に映っていたことだろう。

帰宅途中に出くわす人々は、一期一会の存在で次の日には、ヨレヨレ姿の男の存在などその記憶からは完全に抹殺されているのだが、醜態をさらしていたかもしれない自身としては、今後お酒は控えよう毎度反省することになるわけである。

それに、翌日の二日酔いからくる頭痛や吐き気は、やはりかなり体にこたえる。

というわけで、今年は出歩かず家でいることにした。

ARRESTED FRO DRIVING WHILE BLIND BY ZZ TOP
酔っ払い運転で逮捕された!

WHEN YOU’RE DRIVING DOWN THE HIGHWAY AT NIGHT
夜、ハイウェイを走っていて、
AND FEELIN’ THAT WILD TURKEY’S BITE
ワイルド・ターキーでも、一口やりたいと思う時
DON’T GIVE JONNEY WALKER A RIDE
ジョニー・ウォーカーだけはダメだぜ
CAUSE JACK BLACK IS RIGHT BY YOU SIDE
なぜって、ジャック・ダニエル(ブラック・ラベル)がそこにあるから。
YOU MIGHT GET TAKEN TO THE JAILHOUSE AND FIND
それから、あんたたぶんブタ箱行きになり、
YOU’VE BEEN ARRESTED FOR DRIVING WHILE BLIND
酔っ払い運転で逮捕されるってことになるぜ。

とアメリカ南部出身のバンド、ZZ TOPは“スコッチなんて飲むんじゃねー、バーボンにしな!だけど飲酒運転はご法度だぜ。”と歌う。

そう、“飲んだら乗るな! 飲むなら家で!”

ZZ TOP TEJAS、1976年発売 全米17位

三つ折りジャケット

レコードを入れるスリーブは、ジャケットの上から入れる変形ジャケット

ストーンズのようなロック・サウンド、IT'S ONLY LOVEなかなかよろしー

ZZ Top It's Only Love


クリスマス・イブを静かに過ごす、STRAWBS-BENEDICTUS

2015年12月24日 | PROG ROCK
聖ベネディクトゥス

さすらう人の旅は遥か遠く続き
謙虚である者は常に変わらず
叡智の小径のあるところ
遠くには沈みゆく夕陽の影

昼を祝福
夜を祝福
我らに光を与える太陽を祝福
雷鳴にも祝福を
雨にも祝福を
そして我らに苦痛を与えるすべてのものにも祝福を
……

とすべてを受け入れすべてを讃えよと歌うのは、ストローブスのリーダー、デイブ・カズンである。

かなり宗教臭い歌詞ではあるが、クリスマス・イブを静かに過ごす人たちには、うってつけの曲ではないかと…

物事白黒つけずに、すべてを受け入れへ謙虚であれ。中々難しいことではあるが、その度量があれば心は落ち着き聖人の境地に一歩でも近づけるのではないかと…

自己中で気配りの出来ない其処のあなた!

えー、私のことですか?

そう、いつも謙虚であることが、コンスタントな(安定した)人生を送ることができるのじゃ。

ハハー、仰せの通りでございます。


ストローブス通算4枚目のスタジオ・オリジナル・アルバム、GRAVE THE NEW WORLD 1972年発売、全英11位
キーボード担当だったリック・ウェイクマンは脱退し、すでにイエスに加入してた。
ジャケットの絵に惹かれて、輸入盤を思わず購入した若き日、悔いはなかったなーんて…


三つ折りのジャケットで、インナーは銀色主体の派手なイラスト

Strawbs-Benedictus

何気に出してみました その2、URIAH HEEP-LIVE AT SHEPPERTON 74

2015年12月24日 | BRITISH ROCK
1997年、オリジナル・メンバーのギタリスト、ミック・ボックスがロシアのシベリア州トムスク市で語る。
(彼らはロシアで人気があったので、多分ツアーでトムスク市を訪れたのであろうか? それにしても、冬は非常に寒い内陸部にある地方都市にイギリスのロック・バンドがライブに出かけるとは…)

“いやー、このCDは発売する予定はなかったのだけどね。なぜって、そもそもドイツのミュンヘンで新しいアルバム、WONDERWORLDのレコーディングを行う前に、ファンの前で新しい楽曲を練習するためのライブだったからね。”

“幾らかの楽曲(新曲4曲)は、あちこちのモニターなんかに貼ったコード・シートと歌詞カードを見ながら演奏するぐらいの全く新しいものだったんだ。”

“その時のことはあまりよく覚えてはいないのだが、女性がライブ中ステージの上をストリーキングしたのは覚えているよ。”

今回のライブはアメリカのテレビ局がアメリカでオン・エヤーするため映像と音源を収録していたとのことだったが、バンドはアメリカでの放映を拒否したとのことであった。

それにこのジャケット・デザインはフーのライブのパクリみたいで、かなり手が抜かれている。

本当、全く同じデザイン!

つまり、このアルバムに関しては彼らは全く商売っ気のない感じだったのがよくわかる。発売されたのは、なんと12年後の1986年だったから、せっかく音源が残っていたのでCDにして出してみたらと言う感じだったのでは?

演奏はラフで音質も極上とは言えないが、新曲をライブで演奏しているのと、肩の力の抜けたヒープの演奏は、こちらもリラックスして聴くことが出来るのでヒープのファンとしては悪くはない。

それに、輸入盤ではよくあるのだが、今回ブック・レットが間違って2冊放っていた。この手の商品で、間違って入れられたジャケットを余分に貰って非常に嬉しいとは思わないが、日本盤のCDではありえない、海外の手作業のいい加減さに妙にほっこりするのである。

ブックレットが2冊、得した気分?

ELPにも2枚入っていた。

たまに、CDが2枚間違って入っていることもある。

CDのビニールを取りプラケースを開く前に、少し重い感じがと思ったら、なんとCDが2枚も入っていた! 黄身が二つ入った卵を割った気分。

何気に出してみました、ROLLING STONES-FLOWERS

2015年12月23日 | ROLLING STONES関連
ストーンズの場合は、イギリス出身バンドにもかかわらず、アメリカでの販売権を持っているロンドン・レーベルの方が、イギリスのデッカ・レーベルよりもかなり発言権を持っていたため、ファースト・アルバムから独自の編集でオリジナル・アルバムをどんどんと出していた。

確かに、アメリカが最大のマーケットであったため、いくらストーンズが、彼らのオリジナルの制作コンセプトに従った英盤と同じ選曲を要求しても、アメリカのマーケットでの売上優先を考慮すると中々難しいものがあった。

ビートルズの初期のキャピトル・レーベルによる、アメリカ独自編集盤と同じようなシチュエーションで、米盤と英盤が統一されるのは、1967年12月の8枚目のオリジナル・アルバム、THEIR SATANIC MAJECTIES REQUESTまで待たなければならなかった。

日本盤に関しては、キング・レコードがアメリカのロンドン・レーベル経由での販売権を持っていたので、収録曲はアメリカ盤に準拠したが、ジャ ケットのデザインは日本独自のものを採用していた。それ以外に日本盤独自のベスト・アルバムもしばしば出されたため、ファン泣かせといえる販売手法であった。

日本独自編集ベスト・アルバム、ゴールデン・アルバム

ジャケ裏、ビルのセミアコ・エレキベースはデカい!

当時輸入盤ショップに出向き、ジャケのデザインが違うので新譜かと思いきや、同じ内容のものだったり、ベスト盤の種類がやたら多いこともオリジナルとダブりが多くなり、購入するのがなんだか無駄に思えたような…

1967年6月、コンピ・アルバム、FLOWERSは、ベスト・アルバムとは言えない、さらに中途半端なアメリカ編集アルバムであった。

サイドー1は、シングル・ヒットの楽曲に、未発表のテンプテーションズのヒット曲のカバー、MY GIRLとまずまずの選曲だが、サイドー2は2曲が未発表で、後の4曲は英盤のBETWEEN THE BUTTONSとAFTERMATHに収録され、米盤には収録されなかった曲、言い変えれば、アウトテークの趣がある地味な曲だった。

スートンズと名のつくものであれば、取り敢えず出しておけばヒットするだろうという感じで制作されたアルバムだった…

そして結果は読み通り大ヒットし、アメリカのチャート3位に輝いた。さすがはストーンズ!

それから、表ジャケットには、ブライアンだけが葉っぱのない茎が映っており、なんとも彼の将来を暗示したかのようなデザインである。

ブライアン:なんで俺だけ葉っぱが付いてないの?

関係者:いやー、すみません。葉っぱは既に卒業されたと思って…

実はアルバム発売の一ヶ月前の1967年5月、彼は大麻所持容疑で逮捕されている。ジャケのデザインは、多分それ以前に企画されていたと思うので、なんとも間の悪いというか、偶然にしては出来過ぎ…

寒い日の音楽鑑賞

2015年12月19日 | 特になし
今年はエルニィーニョ現象とかで、冬なのに遅い秋のような天候が続いている。

なんて思っていたら、本日は西高東低の冬型の気圧配置となり急に寒くなった。

こんな日は、部屋を暖かくして、ウヰスキーでもやりながら音楽でものんびりと聴くのもよし。

ちょっとジャケットでも並べてみよう。


ご存知、エアロスミスのNINE LIVES、歌詞が無修正で出されたCDの別ジャケット


CCRのベストアルバム第一弾、CREEDENCE GOLD、ジャケは日本独自のデザイン採用。CCRは数多くのシングル・ヒットを出したが、このアルバムはその中からたった8曲のみ収録したアルバムであった。第一弾だけでは中途半端に映ったのか、後日、第二弾のベスト、MORE CREEDENCE GOLDが出されて、14曲のヒット曲が収録される。


エルトンのサントラ盤、FRIENDS。このアルバムの存在を全く知らなかったのだが、その当時は洋画を映画館で見ることが流行っていて、映画好きの同級生がこのアルバムのことを教えてくれた。そういえば、スクリーンやロードショウなる洋画の専門雑誌が当時人気を博し毎月刊行されていたのを思い出す。


ジョージ・ベンソンのBREEZIN'。試験勉強で徹夜をした明け方よく聴いたものだ。このアルバムでフュージョンの世界にはまり込み、しばらくロックはお休みだったような記憶が…


グランド・ファンクのアルバム。タイトル曲のAMERICAN BANDにはまった。初回盤のレコードは、黄色のカラー・レコードだったが買い損ねた。


ハンブル・パイのすざましいライブ盤。スティーブ・マリオットのソウルフルなボーカルにノック・アウトさせられた。


以前に紹介したイタリアン・バンド、イプーの作品。イタリア語で歌われていて、歌詞カードを見なければチンプンカンプンだったが、ストリングスを多用したゴージャスなメロディーにイタリア語が完璧にフィットしていた。ジャケの写真も微笑ましく、好感が持てる。


ジェファーソン・スターシップのアルバム、EARTH。彼らのアルバムの中ではこれが一番好きである。マーチン・バリン、グレース・スリックそしてポール・カントナーらの三者三様のボーカルがバランスよく配置されている。


ジョンのベスト・アルバム、SHEVED FISH。初回盤の緑色のカラー・レコードを所有している。これがあれば、重要な曲は全て聴くことが出来る便利なものであった。


マンフレッド・マン・アースバンドのTHE ROARING SILENCE。ブルース・スプリングスティーンのBLINDED BY THE LIGHTを大胆にカバーし大ヒットし、それによってオリジナルのブルースにも注目が向けられたと記憶している。


最後は、中島みゆきのファースト、私の声が聞こえますか。当時は、熱烈なロックファンと自称し、日本のフォーク・ソングはあまり聴かなかったのだが、これは別口。あなたの声はよく聞こえました。初期の中島みゆきのさらっとした歌い方が好きで、なんとも心地良かった。

と最近ご無沙汰のアルバムにスポットを当ててみた次第。


KC EARTHBOUND について

2015年12月18日 | PROG ROCK
1972年2月から3月にかけて、前作のスタジオ・アルバム、ISLANDSのメンバーでアメリカ・ツアーを行った。

そしてその年の6月、ライブ・アルバムとして纏め上げられ発売された。

このアルバムの評価については色々あり、例えばカセット・テープ・レコーダーで録音されたため、音質が良くないだとか、インプロがジャズ寄り過ぎるだとか言われているかと思えば、演奏が破壊的で非常に迫力があり、音質の悪さという欠点を吹き飛ばしていると言う人もいる。

当時のツアーのセット・リストを見ると、KCのシンボルとして外せない21ST CENTRY SCHIZOID MANを除いては、PICTURE OF A CITY、 FORMENTERA LADY、CIRKUS、LADY OF THE ROADやCADENCE AND CASCADEなど過去のアルバムからの楽曲が公演日によって入れ替わり演奏されている。

このアルバムの収録曲は、5曲でファースト・アルバムから、21ST CENTRY SCHIZOID MAN、4枚目のアルバムISLANDSからTHE SAILAR’S TALE、シングルB面のGROONと今までのKCのイメージと異なるブルージーかつワイルドなジャム・セッションとでも言えるPIOLIAとEARTHBOUND。

個人的には、PIOLIAを外し、GROONを短縮して過去のアルバムから楽曲を2-3曲追加した方が、アルバムとしてはまとまりがあったのではないかと思う。

その当時、グループはツアー終了後解散すると言われていて、ロバート・フィリップもコロシアムのジョン・ハインズマンと組んで新しいグループを立ち上げるとの噂があった。実際は、ジョン・ハインズマンとではなく、ビル・ブラッドフォードやジョン・ウェットンら新メンバーで、1973年1月から始動する。

いつも不思議に思うことは、解散するのであれば、何故ロバートは思い描く新生バンドのイメージと異なるライブ盤をわざわざ出したのか?

とは言え、私は、このアルバムをとても気に入っている。

インプロはジャズ寄りではあるが、コルトレーンの後期フリー・ジャズなんかと比べれば非常に解りやすい展開で、その中に於いてボズ・バレルのベースとイアン・ウォレスのドラムはロックしている。壊れた演奏をしているとは思えないのだが。

また、私の駄耳では、音質が多少悪くてもそれほど気にならないのである。

現在みたいに手軽にあらゆるジャンルの音楽を聴くことが出来なかった、70年代当時のリスナーは、スタジオ・アルバムISLANDSと同じメンバーで製作したとは全く思えないこのレコードをいきなり聴けば、あらゆる面でさぞかしビックリしただろうと思う。

全日本人に告ぐ、ヤングセンス74

2015年12月17日 | 特になし
ガサゴソ、ガサゴソ

助手:博士! 年末なので、押入れを掃除していたらこんなの見つかりましたよ~

博士:なんと、“ヤングセンス74、若いミュージック大年鑑”とな!
学校を卒業し、就職して数年後転勤の辞令が降り、実家を離れた時この手の雑誌は全て処分したと思っていたのじゃが、よく残っていたものじゃ。


助手:当時流行だった、最新流行歌の歌詞とギターコード付きの楽譜が掲載されたもので、“あなたもギターを弾いて歌ってみよう!”という企画の雑誌ですね。74年の冬号となっていますから、1973年の和洋両方のヒット曲が掲載されています。

博士:どれどれ、海外ポップスのページは? アート・ガーファンクルの“君に捧げる讃歌(ALL I KNOW)”、ジョージの“ギブ・ミー・ラブ”、ボウイーの“スター・マン”、アルバート・ハモンドの“カリフォルニアの青い空”、ポルナレフの“愛の伝説”、エルトンの“ダニエル”、スティービー・ワンダーの“迷信”それにオノ・ヨーコの“女性上位ばんざい”なんてのもあるのう~

1973年当時活躍したアーチスト達、フランソワーズ・アルディが載っているのがなんとも日本的。

助手:当時、“女性上位ばんざい”をフォーク・ギターで弾き語りするような人いたんですかね~

博士:人の好みはそれぞれじゃから、一人位はいたかもしれんぞ。

それより、この雑誌でインパクトがあったのは、二光通販の広告じゃ。
よく少年雑誌に、いろいろ広告出していたのを思い出す。踵の高さが外から見えないシークレット・シューズなんかもこの会社が広告を出していたんではなかったろうか?

この音楽雑誌には、レプリカのギターの宣伝を乗せておるわい。

“ギブソン最高級ドブ・モデル”トムソン・TGF-351G、現金価格一万五千九百八十也、“ ギブソンの人気フォーク、ドブ(三十万五千円)そっくりに作りました。”となっておる。またエレキでは、すごい!このTSE-451G、現金価格二万一千九百八十也。


しかし、この当時の中高生では、数万円の買い物はなかなか厳しかったはずじゃが? 数千円の小遣いじゃ、レコードや服を買ったりすれば、すぐになくなるからのう。

助手:安心して下さい! “一流メーカー特約完全保証書付き、5-10ヶ月分割払い”と書かれています。


博士:なるほど、初回金四千五百円とその後、毎月一千四百五十円の10回払い、計一万九千円払えば、憧れの三十万五千円もするドブの“コピー”が手に入るわけじゃな?

助手:これなら、小遣いで何とかやり繰り出来ますね。だけど初回の支払いを含めて毎月現金書留で11回も送るなんて、面倒ですね。

博士:現在のカードのリボ払いは何と便利なのか実感するのう~

それと、一流メーカーによる制作と業者は言っているが、一流メーカーであればコピーの制作なんてしないのではないかと、 少し引っかかりを感じないのでもないが、まあこの際細かいことは置いておこう。

助手:それでは、皆さん、オノ・ヨーコの“女性上位ばんざい”弾き語りで演奏お願いします。


男性社会 一千年
爆煙渦巻く  日本国
歴史が示す 無力の徒
男性総辞任の 時が来た
女の本性 見せる時
女魂女力で 女魂女力で
開こう新時代

女性上位ばんざい 女性上位ばんざい… ♪♪

すげー歌詞!

ロック三大ギタリストって?

2015年12月16日 | 特になし
助手:70年代の頃、音楽雑誌によくロック三大ギタリストとして、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックそしてジミー・ペイジの3名が挙がっていましたが、これは日本独自の企画ですよね。

博士:はっきりとした経緯は知らぬが、3人とも歴代のヤードバーズのギタリストで各自演奏の技量も高く、また当時日本で人気が高かったから、それぞれ比較して楽しんでみようとことから始まった企画ではないじゃろうか?

日本人は何故か3という数字を好み、よく三大何々と称して甲乙の付け難い横並びのベスト3を作ってしまうのう…

助手:日本三大祭りとか、三大名園、三大名山などいろいろありますね。

博士:3という数字が安定している感じがするからかもしれぬ。例えば、4本脚の椅子だと、脚の一本の長さが他の三本の脚の長さとぴったりでないと設置した場合必ずガタガタする。三本脚の椅子ならは、各々の脚の長さが少し違っていたとしても必ずガタガタしないで安定して設置できるからのう。

助手:神のギタリスト、エリック、

ジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズに参加、ソロ・ギター冴えまくり

ライブでは、エリックのギターだけでなく、ジャック・ブルースのベースとジンジャー・ベーカーのドラムも結構前面出てきて主張している。

これが、神の手か? SLOW HAND (SLOW HANDの解釈は諸説あるようですが。)

ギターの職人ジェフ

第1期ジェフ・ベック・グループ、ルネ・マグリットの青いリンゴが印象的、学生時代にマグリット展に行ったような。

第2期ジェフ・ベック・グループ、通称オレンジ・アルバムと呼ばれる。

ソロ第二弾、かっこいい演奏

そして独創的なリフやバッキングの天才ジミーと、それぞれの特徴をあぶり出し比較し話題性を高めようと考えた、当時の音楽雑誌のマーケティングの企画ですね。

ZEPII、私はこのアルバムでZEPにはまった。

ZEP III、当時アコースティック・サウンドが不評だったと記憶しているが、私には、心地よく聴こえるのだが?

旧譜のアウト・テークも含まれているが、これがZEPの集大成のアルバムと思う。

だけど、エリックが神で、ジェフが職人って、比喩の格付けに差がありすぎて違和感いっぱいですね。それに、無理やり3人に絞ってしまうと、他のギタリストのファンから、クレーム来ますよね~
ジミ・ヘンは何処? リッチー師匠はなんで三大ギタリストじゃないわけ? マイナーだけどライ・クーダーなんか凄腕だぜとか。

博士:まあギター演奏の技量だけで選んだのでなく、ルックス、当時の人気度やカリスマ性などその他いろいろな要素を考慮し、彼ら3人を選んだのじゃろう~

しかし、やっぱり3人に絞るのは無理があり、100大ギタリストなるカテゴリーを作れば、ほとんどの著名なギタリストは選ばれ丸く収まったのではないかのう… ただし、100名全員掲載となると雑誌のページが足りなくなってしまうのう。

助手:100大に広げれば、ビートルズのギタリストはその中に入れてもらえるでしょうか?

博士:ビートルズは、ギター・バンドではあるが、ギターの演奏だけを売りにしているグループではないから、人気的にはリストアップされても問題ないが、ビミョーなところじゃ。もし、特別枠を設けるならベースが本業のポールを薦めたいとこじゃ。何しろ、TAXMANやHELTER SKELTERなどで、サイケデリック調のソロやメタル・サウンド誕生と言えるくらいの演奏を聴かせたのは、並の実力では出来ないことは確かじゃ。

助手:博士、我々のブログが、三大ブログと呼ばれるのはいつの日でしょうか?

博士:それは無理じゃ。グー・サイト二百万大ブログと言う括りであれば、確かじゃがのう…

助手:それって、ほぼブログ参加総数に近い数字ですよね。

ギター、いや違った。ブログの神様! どうかアクセスが増えるように助けてください!

DELANEY & BONNEY & FRIENDSのご一行様、イギリスに到着!

2015年12月15日 | Southern Rock

早いもので、今年もあと半月でお終い。

歳をとったからなのか、最近時間が過ぎるのが非常に早く感じる。感覚的には、時間は一週間単位で消化され、それが4回繰り返されたらひと月が終わり、“あっ”と言う間に年末となってしまう。

子供の時は、もう少し遅かった様な… 多分、我々の世代は土曜日にも半日ではあったが、学校の授業や事務所での仕事があったからではないかと思う。

今では、学校そして会社においても、もちろん職種にもよるが、基本的に土日の休日は当たり前となった。金曜日の夜が来ればその次の日から2連休となる。休みの前日の夜からリラックスし、結構ルーズに時間を使ってしまうので、何もしていないのに“あっ”という間に一日が終わってしまう、すなわち早く時間が過ぎる感覚に陥るのではないかと、個人的に思っている。

学生時代に、苦手な教科であれば中々終了のチャイムが鳴らない感じだったが、面白おかしく本題から脱線させる教師が担当する授業はあっという間に終了するという感覚だろう。

年も押し詰まった1969年12月、エリック・クラプトンがアメリカからロック軍団DELANEY & BONNEYをイギリスに引き連れてきた。


その彼らのライブ・アクトの記録が1970年発売の、DELANEY & BONNEY & FRIENDS、ON TOURだった。イギリスのロック・バンドでは決して出せないご機嫌なノリのアメリカのロック・サウンドであった。このアルバムのジャケットを見る限り、アメリカの原風景そのものを写していて、これがイギリスでのライブ録音だったことを全く忘れさせる。

エリック・クラプトンのBLIND FAITHのアメリカ公演の際、DELANEY & BONNEYが前座をしていたことから懇意になり、エリックのBLIND FAITHが行き詰まって解散と相成り、DELANEY & BONNEYのバンドにギタリストとして加入したことは、彼にとってDELANEY & BONNEYのサウンドは余程の魅力のあるものであったのだろう。

彼らは、この公演の後、ジョージのALL THINGS MUST PASSのセッションに参加。後にエリックは、DELANEY & BONNEYのバンド・メンバーだった、カール・ラディル、ジム・ゴードンとボビー・ウィットロックらとDEREK & DOMINOSを結成。そしてデイブ・メイソンは、TRAFFICのライブに参加した後、DEREK & DOMINOSにセカンド・ギタリストとして参加することになっていたようだが、結局ソロとなる。

CREAMやBLIND FAITH時代のエリックと比べると、ここでのエリックはアメリカン・ロックの演奏を本当に楽しんでいる様に聴こえるのだが…

これは聴く方にとっても同じで、ロックン・ロールのメドレーなんか聴くとウキウキしてしまい、あっという間に演奏終了。もう一度聴いてみようかとなる。

しかし、歳をとり時間の進行が早く感じられる今日この頃、購入して未聴だったり一回聴いた後ほったらかしにしているレコードやCDが沢山ある中、このCDを再び聴くことが出来るのは果たして何時のことやら?


ポールのPIPES OF PEACE

2015年12月14日 | BEATLES-BADFINGER関連
同じく、2枚組の輸入盤購入。

TUG OF WARの続編と言うよりは、双子のアルバムの片割れとして1983年にPIPES OF PEACEが発売された。

制作スタイルは前作と同じで、各曲3-4分程度に聴きやすいように纏め上げられている。

しかし、聴きやすいと言っても、単純なアレンジを採用しているのではないというのが、コンパニオン・ディスクに収められているデモと最終バージョンを聴き比べるとよくわかる。

非常に綿密なアレンジが施されいるのだが、胃もたれするようなオーバー・プロデュース・サウンドに聴こえさせない、すなわち控え目に聴こえるようによく計算されている。

前作と違う点は、TAKE IT AWAYのようなアップ・テンポの曲がないため、アルバム全体が少し地味に聴こえるかもしれない。(全英4位、全米15位と前作と比べて、チャート・アクションは振るわなかった。)それと、ゲストがスティービー・ワンダーからマイケル・ジャクソンになっていることぐらいだろうか?

70年代のポールのバンド・サウンドでのロックが好きな人にとっては、80年代のポップ・ボーカル・スタイルは物足りないと感じるかもしれない。

ポールもそのように思っていたのかもしれないが、後に自身の新バンドを結成しライブ活動を行うようになる。つまり、LET IT BEを制作した時のポールが描いたコンセプトと同じで、レコードを出すだけの一方通行よりは、自身を露出させることの出来るライブで観客の反応を楽しむ双方向性の活動がどうも好みなように思えるのだが…

残念ながら、それぞれの曲の出来は良かったにもかかわらず、ライブ受けする派手な作品が少なかったため、この時期の楽曲をライブで取り上げることはそれほどなかったと思う。

まあ、年齢の関係で大規模な世界ツアーは無理としても、スポットで体力の続く限り今後もライブ活動を行うのではないか…

IDLEWILD SOUTH、45周年記念デラックス・エディション

2015年12月13日 | Southern Rock

例によって、2枚組の輸入盤購入。

今回の、2枚組デラックス・エディションは、IDLEWILD SOUTH(オリジナル音源のリマスター)+セッション時のアウト・テーク3曲+ LUDLOW GARAGE 1970の音源(既発曲8曲)+LUDLOW GARAGE 1970の音源(未発表曲1曲、IN MEMORY OF ELIZABETHREED)からなっていて、4枚組スーパー・デラックス・エディションとの収録曲の違いは、数曲のアウトテークがあるかないか、そしてハイレゾ音源を収録したB-RAY DISCがつくかどうかである。

3CD+B-RAYの4枚組を買おうと思ったが、予算の関係で取りやめと言うよりは、B-RAY DISCの収録されている、5.1chの音源を再生することが出来ないのである。

一応、パナソニックのビデオ・レコーダーとソニーのPS4は所有しているので、2chの音源の再生はなんとかなるが、5.1chの音源となると、AVアンプと5.1ch用のスピーカー・システムが無い。

仮に持っていたとしても、B-RAY DISCに収録されている5.1chの音源の特徴を最大限に引き出すには、それなりのシステムが必要で、それらを完璧な配置で設置するには、部屋のスペースが足りない。少なくとも今の部屋の倍のスペースは必要になると考えている。

数千円余分に出して、B-RAY DISC付きのスーパー・デラックス・エディションを買っても、それを満足して聴けるようにするには、桁の違う機材とリスニング・スペースに関する投資が必要となってくる。まあ郊外の大きな一軒家に住んでいれば、スペースに関しては問題がないが、兎小屋みたいなアパートに住んでいるとなると、如何ともし難いのである。

以前、擬似で5.1chサウンドを味わうことのできるヘッド・フォンを購入したが、映画やゲームをそれで楽しむのであればある程度その目的を果たすことが出来ると思うが、音楽鑑賞となるとやっぱり5.1chのスピーカ・システムでの再生でないと難しいのでは?

1997年に行われた20-bitでのリマスターと比べると、今回のリマスター盤は、音圧(音量)が高目に設定されているので、一聴すると派手に仕上がっているように聴こえるが、前回のリマスター盤も、アンプのボリュームを上げてスピーカーを通して聞けば私の駄耳では違いはわからない。高価な密閉型のヘッド・フォンを用い聴き比べれば、その違いがわかるのかもしれないが…

それよりも、私にとって今回の目玉は、未発表曲(IN MEMORY OF ELIZABETH REED)が収録されたLUDLOW GARAGE 1970の音源である。

LUDLOW GARAGE 1970の音源は、1990年に2枚組CDでポリドール・レーベルからオフィシャルで発売されたものだが、このCDを今まで所有していなかったので、今回購入することになった。

このライブは、あの有名なフィルモア・イースト・ライブの1年前のライブを、LUDLOW GARAGEというライブシアターで収録されたもので、 スタジオ録音に関してはある程度方向性は固まったものの、ライブについてはアドリブの展開をどのように展開するのか試行錯誤していた時期であったと思う。

STATESBORO BLUESなどは、一旦曲が終了したかと思うと再度ジャムセッションのようなアドリブ演奏が続き収録時間は、フィルモア・イースト・ライブの頃の倍となっている。また、MOUNTAIN JAMは45分とレコードであれば1枚分の収録時間となっている。ちょっとダラダラと演奏が続くような感じはあるが、演奏自体は力強く聴き応えはある。ただし、45分間も集中力は続かないので、いつも通りバック・グラウンド・ミュージックという感じで聴いていく。

ちなみに、ブルースの場合は、日本の演歌のように大体の型が決まっているので、同じようアレンジの曲がよく見受けられるのであるが、このライブで演奏されている、WILLIAM WELDON/ROY JORDAN作のI'M GONNAMOVE TO THE OUTSKIRTS OF TOWNは後日、BROTHER & SISTERSのアルバムで聴くことの出来るGREGG ALLMANN作のJELLY JELLY に歌詞は異なるがアレンジは全くそっくりだ。

これらのライブ演奏のアドリブが一年をかけて煮詰められて、フィルモア・イースト・ライブでの完成形に収束されていくのである。

助手:博士! 我々の5.1chリスニング計画はいつ実行に移されるのでしょうか?

博士:5.1ch用のアンプやスピーカーを購入するだけでも莫大な予算が必要じゃが、それよりも、機材の設置やレコードやCDの保管スペースを確保するため、今のリスニングルームの広さを少なくとも倍にする必要があるのう… それに、アパートの上下左右からの騒音に対する苦情をなくすため壁や天井の防音についても検討せねばならないのう…

助手:それじゃ、今世紀中の実現は無理ってことですね。

博士:やはり、ここ数回スキップしておった、ジャンボ宝くじに頼るしか一発逆転する方法は無いのかのう…  早速、当たりくじの多い販売所を調べてみてくれ。

助手:もちろん当たりくじが出たことの無い販売所であれば、当選の確率はゼロですが、著名な販売所は売上枚数が半端でなく、売上枚数の分母が非常に大きくなり当選確率は限りなくゼロとなりますね~ 案外、商店街の大売り出しや銀行の定期預金成約による景品として出されたくじに結構当たりが多く、貰った人もそのことを忘れてしまって、結局無駄になるケースもよくあると聞きます。

博士:難しいところじゃのう… それでは、十億のやつは諦めて、当選確率が少しだけ高い7000万円の方で行ってみようかのう?

助手:博士、私見ではありますが、高額当選の宝くじとは、買ってから当選の発表日まで“もし当たれば何に使うか?”を妄想する楽しみをお金を出して買うことだと思います。私としては、高額当選者の住所氏名を公表しない限り、どうも現実的な出来事とは思えないのですが…

博士:そうかも知れんのう…

と言った博士であったが、誰にも言わずに来週こっそりと買ってみようかと思う博士であった。7000万円のやつを…


ライブ盤を聴く、ウェザー・レポートと免税品

2015年12月11日 | JAZZ・FUSION
私が小学生だった頃、著名な映画スターや野球選手たちが、プライベート・ライフで高い洋酒を飲むなんて聞いたことがよくある。当時、ジョニー・ウォーカーのブラック・ラベルが酒屋さんで買ったら1本が1万円位したと記憶している。これは当時の高額な関税、酒税(物品税?)と為替のレート(1ドルが360円)が高価な原因であった。

そういうわけで、その後、会社に就職し海外に出張するとなると、免税範囲で洋酒やタバコをお土産に目一杯買ったものだ。

洋酒は3本のボトル、そしてタバコは外国タバコ1カートンとマイルド・セブン1カートンであった。機外に出る時は免税品と小さなカバンを抱えるだけだが、その後重いスーツ・ケースを受け取り、さらに酒瓶3本を持って空港から自宅に帰るのは重労働だった。

時は変わり、洋酒の関税撤廃となった今では日本のディスカウント・ストアで洋酒を買うのと、海外の免税店で買うのと価格はそう変わらなくなってしまった。そのため、近年では洋酒を3本抱かえて空港の到着ゲート辺りをうろつく海外から帰国した人をほとんど見かけなくなった。

ジョニー・ウォーカーのブラック・ラベルも今や2200円程度の価格で買うことが出来るので、本当に値打ちがなくなったものだ。重さに耐えて必死になって持ち帰ったあの時の苦労はいったい何だったんだ!

何でこんな話になるのかというと、ウェザー・レポートの最新アルバム、THE LEGENDARY LIVE TAPES: 1978-1981のジャケットを見て遠い昔の話が蘇ったのだ。そのアルバム・ジャケットを、目を凝らしてよく観察してみると、“北ウイング到着:の看板がかかっている。1978-1981の音源なので、多分1978年にちょうど開港した成田空港の玄関口を4人のメンバーが歩いているのだろう。

オオー! キーボードのジョー・ザヴィヌルとベースのジャコ・パストリアスの手にあの懐かしいマールボロのマークの付いた透明なビニール袋を発見!

ホテルの部屋で、リラックッスするためちょっと一杯という感じで買ってきたのだろう。

このアルバムは、当時世界各地で公演した際の未発表ライブ音源を4枚のCDにまとめたもので、28の音源が収録されている。その中で、東京と大阪で収録された音源が16もある。やっぱり、日本の観客はマナーもよく、出す音すべてを漏らさず真剣に聴いてくれるので、演奏する方も気合が入り今回のような未発表の音源にもかかわらず素晴らしいライブ盤が制作出来たのではないかと思う。

ライブと言っても、ところどころ観客の拍手がカットされているのでスタジオ・ライブのような雰囲気ではあるが、音質は非常によく、今までにオフィシャルで発売されなかったのが不思議に思う。

ジョーやサックスのウェイン・ショーターは、マイルス・デイビス・バンドの卒業生で、マイルスのバンドがメンバー・チェンジした時に、彼らはウェザー・レポートを結成した。マイルスは当時、ジャズとロック、ヒップ・ホップやファンク・サウンドを融合させた新しいサウンドをいろいろと模索していた。

この当時のマイルス・バンドの卒業生は、ウェザー・レポートの二人組だけではなく、マハビシュヌ・オーケストラのジョン・マクラフリンやリターン・トゥー・フォーレバーのチック・コリアなどがいた。

ウェザー・レポート、HEAVY WEATHER、1977年作、 全米30位、ジャズ部門1位


マハビシュヌ・オーケストラ、BIRDS OF FIRE, 1973年作、 全米15位


リターン・トゥー・フォーレバー、ROMANTIC WARRIER、1973年作、 全米30位、ジャズ部門1位

マイルス・バンドでの経験を吸収し、その後自身の バンドを結成しそれぞれが成功を収めたのだが、本家のマイルスはどういうわけか彼らほどの成功は収められなかったようだ。マイルスの場合は、誰もがやったことのない最先端のサウンドを追求し過ぎて、ポップ性が薄まり一般受けしなかったのだろうと思う。

マイルス・デイビス、ON THE CORNER、1972年作、マイルスのアルバムで売上最低を記録

ウェザー・レポートのファンであれば、このアルバムは問題なく受け入れられると思うし、それほどのファンでなくとも、彼らのサウンドが、初期の実験的なものではなく、成熟して固まったころの音源であるから、比較的聴きやすいと思う。 渡辺貞夫が演ずるような曲や、ベースとかドラム・ソロなどもありバリエーションに富んでいるし、イエスのRELAYERというアルバムに収録されているSOUND CHASER が好きであれば、このアルバムを聴くにあたって全く問題はないと思う。

イエス、RELAYER、1974年作 全米5位

環境保護に貢献するため、最近プラ・ケースのジャケットから、紙製のものに変更されているが、そのジャケットにCDを収納するためのデザインが全くなっていない。

このアルバムもその例に漏れず、紙製で非常に窮屈なCDポケットが4箇所あり、無理に取り出すと、紙製のジャケットが破れるか、CDに傷がつくかのどちらかである。

取り出しにはご注意を。


博士:週末だから、ウイスキーの水割りでも1杯やりたいんじゃが…

助手:そんな気の利いたものはありませんよ。水道水のオン・ザ・ロックはいかがですか?

博士:それじゃ100%水ではないか!