CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

スーパー・ジャイアンツって“どでかアイス”のこと?

2017年03月31日 | BRITISH ROCK
スーパー・ジャイアンツってなんだか、コマーシャルによく出てくる“どでかアイス”のように聞こえるが、実はアルバムのタイトル名で、これからからおぼろげにバンドの正体がわかるようにと、当時レコード会社の宣伝部が苦肉の策としてひねり出したものである。

何故なら、レコードのジャケットには、 バンド名もアルバム・タイトルも記載されていない代物だったからである。

クロム・メッキされたジェット戦闘機のような模型を手にしてぼんやりとこちらを眺める素っ裸の少女が映し出されていて、ジャケ裏は草の生えた丘の斜面というそっけないそっけない写真。


当時としてはちょっと刺激のありすぎ、クレームを恐れて別のシンプルなジャケットがつくられた。

アメリカ盤ジャケット、バンド・メンバーのモノクロ写真

これがBLIND FAITH(盲目的信頼)の1969年の作品。

結成したばかりだったので、制作したアルバムには6曲のみ収録、しかもB面は2曲のみで、うち一曲はジンジャー・ベイカーの15分にも及ぶジャム・セッション風の楽曲でタイトルもDO WHAT YOU LIKE(お好きなように)ってB面の穴埋めに使われたような楽曲だった。

どうもやっつけ仕事の感ではあるが、アルバムは全米全英一位を獲得。

何しろ 、バンドを構成しているメンバーそれぞれが前所属バンドですでに名声を博し、無名ではなかったからである。

クリーム解散後、エリック・クラプトンが、活動停止中のトラフィックのスティービー・ウィンウッドと組んで新しいバンドを結成することで意見が一致。

当時クラプトン自身はクリームとは全く別物のグループを作ろうと思っていたが、彼の意図に反し、特別腕の立つドラマーが簡単には見つからないことから、結局クリームのメンバーだったジンジャー・ベイカーを採用、そして、ロック・バンド、ファミリーからリック・グレッチをベーシストに加えて、グループを結成となる。

これでツアーを行うとなると、演奏曲目が足りなくなり結局クリーム時代の曲やトラフィックの楽曲を仕方なしに演奏することになったようだ。

皮肉的な意味も込めてBLIND FAITH(盲目的信頼)と命名したのだが、クラプトンとしては、実際のところクリームの過去の名声によって、ファンから盲目的信頼を受けているように感じ、当初の意図したクリームから目論見から外れたものとなり、グループはツアー終了後解散した。

しかしながら、このアルバムでクラプトンが作った、ゴスペル・タッチのPRESENCE OF THE LOAD(神の存在)は、アメリカ南部のルーツ・ミュージックのような楽曲だったし、ブラインド・フェイスでのリード・ボーカルをスペンサー・デイビス・グループ在籍時代から 英国の天才ボーカリストとして高音部で伸びのあるソウルフルな歌唱で名を馳せたスティービー・ウィンウッドに任せ自身はギター演奏に専念したことから、後日デラニー・アンド・ボニーのサイドマンとして参加したのは自然な成り行きだったのではないかと思う。

個人的には、このアルバム各人の個人的技量により個々の楽曲はよく仕上がっていると思えるものの、やっつけ仕事って感じでやや物足りない。

無名のバンドのデビュー・アルバムだったなら、全米全英1位とはいかなかっただろう。やっぱり過去の実績からの盲目的信頼によって勝ち取った成功とクラプトンは感じていたかも…

助手:商売でもやっぱり信用と実績っていうのがなければ成り立たないですからね〜

博士:その通りじゃ! 我々も早く信用と実績をつけてこのブログを発展させていかねばならんと思っておる。

助手:ちょっとそれは無理な話じゃないかと… 

もしクラプトンがこのブログを書いているなら、盲目的な支持は得られるかもしれませんが、現実は無名の博士が結構いいかげんなこと書いてますからね〜


再発のLP買ってみた。ジャケの表の写真がCD比べて迫力がある。中高生だった当時これを購入するため、レコードショップの出かけ、俺はブラインドフェイスのファンだという顔を無理やり作っても、もしレジに若いおねいさんが座っていたらやっぱり躊躇するね〜。ジャケ裏はオリジナル盤と異なり新しく作成したようで、少し興ざめ。 ジャケットにはMADE IN EUと記載されているが、シュリンクの上からMADE IN NETHERLANDのスティッカーが貼ってある。


貿易業を営んでいるとよくMADE IN EUなる表示が見受けられる。EUという表記は当然旧東欧諸国、チェコ、スロバキヤ、ハンガリーやポーランドなんて国も製造地として含まれ、さらにあの財政破綻寸前のギリシャなんかも入ってくる。MADE IN NETHERLANDのスティッカーが貼ってあるのは少し良心的かな。だけどNETHERLAND製だからと言ってクオリティーの高いという保証はないのだが。

ジョージの新しいボックス その4、MP3で十分?

2017年03月29日 | BEATLES-BADFINGER関連
MP3のダウン・ロード・クーポンが付いてたので、早速ファイルをダウン・ロードしたところ、何かの手違いからか、ALL THINGS MUST PASSの一枚目のLPの楽曲9曲がダウンロード出来なかったと前回述べた。

どこかの誰かが、クレームを入れて差し替えのダウン・ロード・ファイルができるまで気長に待つことにしようと思ったが、やっぱり我慢ができずクレームを入れると、本日新しいダウン・ロードのコードが届いた。

早速新しいコードでダウン・ロードすると、今度は間違いなく全ての曲が入ったファイルが届いた。

博士:めでたし、めでたしじゃ。 やっぱり、せっかく買ったのに一つでも欠けていると、どうも落ち着かん。

まあ、これで夜もぐっすり寝ることができる。

助手:そんな大袈裟な。

博士:そうも言い切れん。もしそれら9曲が足りない場合、最悪ALL THINGS MUST PASSのボックスを開封し、レコードの音源をデジタル化することも考えておったのじゃ。

これで未開封のまま、レコードを大切に保管できるのじゃ。

助手:そんなセコイ…

博士:わしの耳では、320kbsのMP3の音質で十分じゃよ。 同じ音圧でハイレゾか320kbsのMP3音源かをブラインド・テストして聴き分けるのはどうも自信がないからのう〜

というわけで、このボックスセットのレコードは当分一部未開封のまま捨ておかれることに。

なんともったいない。

ほんと、買わなきゃいいのに…




新幹線で博多へGO!

2017年03月29日 | JAPANESE
仕事で博多に向かう。


東海道新幹線であれば、平坦な地域を走るため窓越しに風景をまったり鑑賞し、 仕事とはいえつかの間ではあるが旅行風情を楽しむ事が出来るのであるが、山陽新幹線となるとどうもいけない。

何しろトンネルの数が多い。

開けた播州平野以外は、山を打ち抜くトンネルを抜けると川の流れる平坦地にたどり着き景色をじっくり眺めようとすると線路の先は再び山に阻まれて、トンネルに再突入。

姫路、岡山、福山や広島など規模の大きな都市を通過する以外は、継続して車窓から景色を眺めることはできず、トンネル通過の際の轟音だけが耳に残るというフラストレーション。

そんな中、今回新たに発見したのは、福山城って駅のすぐそばに建っていたってこと。

山陽新幹線をしばしば利用する身でありながら、今まで そのことに気がつかなかったみたいだ。

姫路城の場合は、駅から結構離れた場所にあるので車窓からは小さく見えるが、福山城は価格に見えるからか結構迫力があった。
(写真を車窓から取ろうと思ったが、プラット・フォームで新幹線を待っている人達がちょっと邪魔になり、シャッター・チャンスを逃した、残念!)

そして博多といえば、昔は出張するなら泊まりがけで来い!と訪問先の会社の人たちから言われ、夜遅くまで飲み食いに連れて行ってもらった。

そんな記憶も今は昔、最近は少しぐらい帰宅時間が遅くなろうとも、1日で帰ってくる。

年をとると、深酒はやっぱり体にこたえる。

家で好きな音楽を聴くのが今では最も自分にとってはリラックスすることが出来るのである。

というわけで、今回は博多がらみで、甲斐バンドの古いレコード、1975年のセカンドアルバム 、英雄と悪漢を聴いてみる。


シトシト五月雨、プラット・フォーム〜♪♪

あぁ〜、懐かしい〜

あの頃はタフだった。深酒しても朝時間通りに起きることが出来たからね。

ジョージの新しいボックス その3、なんで全部を開封しないの?

2017年03月28日 | BEATLES-BADFINGER関連
GONE TROPPOのチャートアクションが108位とひどいものになりアルバムの制作意欲が衰えてしまったのかどうかはよく分からないが、ジョージはその後自身が出資する映画会社の仕事に力を入れるようになった。

たまたま、ジョージが関わった映画に、ELOのジェフ・リンも参加していたことから懇意となり、ジェフはジョージの新しいアルバムのプロデュースを引き受けた。

そして、1987年に出たそのアルバム、CLOUD 9は全米1位となったシングル、GOT MY MIND SET ON YOUにより アルバム も全米8位と大ヒット。


特筆すべきは、シングル・ヒットした楽曲がジョージのオリジナルではなく、1960年初期、RUDY CLARKが曲を書き、R&BシンガーだったJAMES RAYが歌ったのをカバーと、今までのジョージのアルバムには見受けられない光景だった。

もっとも、JAMES RAYが歌った別の曲、 YOU GOTA MAKE A FOOL SOMEBODY は、62年ごろの若きビートルズがカバーしていたので、全く知らない仲ではなかった。

このアルバムのヒットにより、翌年のTRAVELING WILBUR'S結成へと発展した。

これでジョージ完全復活と思いきや、それ以降は1992年の二枚組LIVE IN JAPAN、2001年のALL THINGS MUST PASSにリマスターを施した30周年記念盤そして2002年のちょっと地味な最後のアルバム、BRAINWASHED、と十数年でたったこれだけの活動だけだったのは、なんとも残念なことであった。


ただ、ビートルズ時代からそうだったが、彼は売れ筋を追求したのではなくいつも彼がその時々にやりたいと思った音楽だけを世に出す姿勢で、昔は苦手な曲があった。

しかしながら、今ではリボルバーやサージャント・ペパーに収録されたインド系の曲や、ソロのサントラ盤、WANDERWALL MUSICも特に退屈もしないで楽しんで聴く事が出来る。

ようやくこの歳になって、なんとかジョージに追いついたってことか。ただし、ジョンのアルバムに収録された、オノ・ヨーコの訳のわからぬ叫び声だけは未だ受け付けないのだが…

あれ! ボックスセットの中には、ALL THINGS MUST PASSと同じサイズの黒い箱がもう一つ。


多分、このボックスの中に特典の二枚のピクチャー・レコードが封入されているのだろう。

綺麗にラップされているし、なんだか開封するのがもったいない感じ。MP3のフォーマットではあるが、すでに添付のダウン・ロード・カードで音源は入手したので、未開封のままボックスに戻すことに。

大枚叩いて購入したのに、開封しないって一体如何言う事?って突っ込まれそうな 気もするが…

まあ貧乏性のコレクターってことでお許し願いたい。

おお〜 忘れていた、ALL THINGS MUST PASSのアルバムも綺麗にラップされているので、このお方も未開封のままボックスにお戻りいただくってことで。

全く懲りない貧乏性…

日曜の午前から午後、音楽を聴いてまったり過ごす

2017年03月26日 | 特になし
今日は朝からどんよりした今にも小雨が来そうな天気であるが、日中の気温は15度前後であまり風もなく気分がいい。

二、三日前まで30度越えで吹き出る汗で連日ギトギトだったシンガポールに住んでいた者にとっては天国である。

シンガポールは国土が非常に狭い国のため、不動産や自家用車を所有するとなると結構バカ高い金額が請求されるが、一般的に衣食住関連の経費は日本より安い。

ただ、長年日本での食事レベルに親しんでいる人間が、毎日現地の食事ばっかりでは満足できない。

そのため 、財布の中身を気にしながらも、日系のスーパーに行ってかなり割高な食品を購入したり、日本食のレストランでこれも割高な定食などを食す。

そういう人間が一時帰国すれば、スーパーのタイム・セールで売っている290円のおにぎり弁当を食ってさえ涙する。

今日の朝食はトースト、ハム、野菜サラダそして目玉焼きを焼いてもらったのだが、目玉焼き一つとってもレベルが違う。

海外の卵は、黄身の弾力があまりなく、卵を割ったときすでに黄身が破れている場合がけっこうある。日本の卵は新鮮で味もレベルが高く、あまy皮を割っても黄身が破れていることはほとんどない。

ふっくらした卵白の中央に弾力のある黄身が立っていて、これぞ目玉焼き。そしてサラダの添え物のレタスも瑞々しく甘みを感じる。

食が満たれ、その後の6−7キロのジョッギングでの 心地よい疲労感から、本当に まったりした幸福感が味わえる。

と言う事で、その延長で思いついたまま、音楽を楽しむ。

最初は、DAVE PIKE の1966年のJAZZ FOR THE JET SET

ビブラフォン専門のDAVE PIKE がマリンバで演奏、さらにゲストのハービー・ハンコックはピアノじゃなくあまり聞いた事のないオルガンのみを本アルバムで
弾くというちょっとイレギュラーな作品。またプロデュースがハービー・マンだったからか、結構ポップ寄りのジャズになったのではないかと…

お次はハービー・ハンコック繋がりで、VSOP THE QUINTET のTEMPEST IN THE COLSSEUM、1977年作、今はなき、田園コロシアムでのライブ。
トランペットにフレディー・ハーバード、ドラムスのトニー・ウィリアムス、ベースのロン・カーター、そしてサックスのウェイン・ショーターと、オールスターで奏でるジャズ・ライブ


そしてJOE SAMPLE の1978年作RAINBOW SEEKER、70年代後期、ロックは死んだと言われていた時、私はこのアルバムで当時ロックからフュージョンに乗り換えた。 またロックに戻ってきたけどね。

ところで、ジョー・サンプルさん、2014年にお亡くなりになっていた。全く知らなかった。

VAN HALEN の1984、1983年6作目。1000万枚販売のダイヤモンド・ディスクとなる彼らのメガヒット作。当時はCDもレコードも持っていなくて、カセットで車の中でよく聴いた。


ROLLING STONES の1969年作LET IT BLEED

解説不要の名作。しかし戦争、暴力、レイプにドラッグと当時の荒れた時代の要素が全て詰まっていて、歌詞カードの翻訳を見るとびっくり! 英語をダイレクトに理解出来る能力を持ち合わせていなくてよかった。

この内容のものを、当時もし日本語で歌ったとしたら、識者と言われる連中から猛烈なクレームが来たのではないかと…

このアルバムは、CDではなくレコードで再生。

1976年の再発廉価版。お値段1600円也。

しんがりはCREAM の1966年のデビュー作FRESH CREAM

これも解説不要かと。

あー楽しかった。

ジョージの新しいボックス その2、こんなの買ってどうするの?

2017年03月25日 | BEATLES-BADFINGER関連
前回、シカゴの四枚組ライブのボックス・セットについてちょっと書いてみた。

外装の箱はボロボロでも、四枚のLPレコードは、その表面に傷らしい箇所は見受けられなく、ターン・テーブルに乗せて音を出しても、雑音は聴こえなかった。

よく、自慢げにレコードが擦り切れるくらい聴き込んだものだというような話を聞くが、実際のところ40−50年ほど前に買ったレコードで比較的よく聴き込んだものでも擦り切れるほどではなく、また中古で買ったレコードでも、そのようなコンディションのものにお目にかかったことはない。

音の悪いレコードは、ほとんどの場合、その所有者の扱い方が雑で、表面に不用意に傷をつけたりカビを生やしたりって感じがする。

まあ、当時シカゴの四枚組ライブのボックスセットを擦り切れるぐらい聴き込みのできる人って、よっぽどのファンであるか暇人と言える。

だから1971年に発売されて箱がボロボロになっていたとしても、レコードにはほとんどダメージがなかったってのは理解できる。

若い頃は、給料も安く趣味にお金を多く投入できないし、結婚すれば、家族の生活費とか、ローンなんかに追い回され稼いだお金はあっという間に消えていき、無駄遣いなんて出来なくなる。

壮年になって、ようやく少しぐらいは趣味の世界にお金を投入できるようになるわけだが、実際のところ今から買い集めたとしても、それらをすべて隅から隅まで聴き込む時間は残されていない。

それじゃ置き場所のとる聴かないレコードを中古屋に持っていっても、二束三文で買い叩かれるのが関の山。

ひどい場合は値段がつかないこともあり、重いレコードをそのまま持って帰ることもそれ以上に気が重くなり、結局ただで引き取ってもらうという悲惨なことにもなりかねない。もちろん中古屋は、それに値段をつけて売りさばくのではあるが…

以前だったら、わざわざ電車に乗ってショップに出かけない限り、レコードは買えなかったのだが、ネットによる通販の普及で、マウスをワン・クリックさせることで購入が成立、商品が届いてから何でこんなの買ったのだろうっていつも後悔する。

まあ買ったものは仕方がない、たとえ聴き込みが出来なくてレコード棚の肥やしとして眠らせているよりは、ブログでレコードの購入の記事をアップことにより、買ったレコードも多少は浮かばれるのではないかと思い、押し売り的ではあるが、前回の続きとなる。

ところで、どう言うわけか、ネット・ショップでの商品説明には登場しなかった、MP3のダウンロードクーポンが付いてたのを発見し、得した気分になる。


早速ダウンロードしてみる。

今回のLPのリマスター音源から作成されたのか、もしくは1年前に出された、CDのボックスセットの音源から取り出されたのか、よく分からないが、320kbsのMP3ステレオ・サウンドの音質は、悪くはない。以前のCDと比べると音圧は少し上がっている。

それから、ボックス・セットに収録されたLPとおまけのピクチャー・ディスクの音源が全てMP3化されたわけであるが、何かの手違いからか、ALL THINGS MUST PASSの一枚目のLPの楽曲9曲がダウンロード出来なかった。どこかの誰かが、クレームを入れて差し替えのダウン・ロード・ファイルができるまで気長に待つとしよう。

それでは残りのダーク・ホース時代のLPを紹介したい。


1976年の アルバム33 1/3である。ダークホース・レーベルは、当時アメリカではA&Mレーベル が配給権を持っていたが、それまでジョージ以外の小物アーティストはレコードを出していたものの、肝心のジョージが中々アルバムを出さないことから、A&Mはついにしびれを切らし、配給権を更新せずワーナー・レーベルから登場した。

アメリカ盤のジャケットは、厚手のゲート・ホールドでさらにタイトルと作者名を銀のエンボス加工と大盤振る舞い。しかしレーベルが期待したほどチャート的には大したことはなかった。全米11位で前作より3ランクダウン。

ところで、このアルバムのロシアで製作されたと思われる海賊盤を持っている。

本当に簡単に破けそうなペラペラの紙質のシングル・ジャケットで、表はオリジナル・ジャケットの内側の写真を、そして裏ジャケはなんとLIVING IN THE MATERIAL WORLDのこれまたうちジャケットに会った晩餐会の写真を使用。レコードのレーベルは、おなじみのあの宗教的な印が使われている。

ロシア人にかかればもうなんでもありっていう世界である


お次は、1979年のセルフタイトル・アルバム。少し地味ではあるが割と好きなアルバムである。全米14位。

右は、発売当時アメリカで買ったやつ。今回のリイシューと比べると、色彩が少し薄いかな?

そして1981年のSOMEWHERE IN ENGLANDと1982年のGONE TROPPOと続く。ただ80年代は新米の薄給サラリーマンとして働き始めた頃で、それまで趣味であったレコードをほとんど全く買わなかったので、これらのアルバムが発売されていたとは知らなかった。

どちらも言っちゃ悪いが、ジャケットのデザインも平凡というか手抜きの感じ。


SOMEWHERE IN ENGLANDは、レコード会社があまりの地味な内容に収録曲とジャケのデザインが発売直前に変更させた。レノンの追悼歌として製作されたシングルALL THOSE YEARSが13位とそこそこヒットしたので、アルバムも11位まで上昇したものの、初めてゴールド・ディスクを逃すことなった。GONE TROPPOに至っては108位とひどいものになった。


ジョージはこの低迷期から果たしてどのように復活するのであろうか?

その3に続く…

シカゴが熱い、カーネギー・ホールのライブ

2017年03月24日 | Chicago

1971年、ロック・バンドがカーネギー・ホールで開かれたライブをレコード化した。

なんとLP四枚組のボックス仕様で、当時の定価が7800円也。


ガキの小遣いでは、到底買えない価格。

まあ、ロック・ファンの大人でもちょっと躊躇する価格。

何しろ1971年のサラリーマンの平均月収が7万円弱の時代、おいそれと買える代物ではなかった。

と言うわけで、レコード会社もそのあたりを考慮し、LP1枚もののダイジェスト盤を発売していた記憶がある。

ジャケットのデザインは、ボックス・セットと同じのシカゴのお馴染みのロゴだけを真ん中に配置したシンプルなものだったが、ジャケットの色は確かボックス・セットの白色ではなく、黄緑色だった記憶がある。

当時は、まだブラス・ロックまでまだ手がまわる状況ではなかったので、ダイジェスト盤でさえ購入しなかった。

それから数年後、ようやくシカゴを聴き始めるのであるが、この四枚組のボックス・アルバムは、レコード会社も収録時間が長すぎるのと、価格面から考えて売れる確信を持てなかったのか、このアルバムのみレコードでの再発はなかったような記憶がある。

そしてCD時代になって、ようやく再発された。

特に2005年には、アメリカの再発もの専門のライノ社から、決定版というべき数多くのボーナス・トラックを含む、CD四枚組のボックス・セットが出て飛びついた。


しかし買ってはみたものの、収録時間が長いことから、少し冗長となる感じがして一通り聴いてその後はCD棚の肥やしとなった。

シカゴのライブとは言えば、個人的には1975年当時日本のみで発売されたLIVE IN JAPANとなる。


カーネギー・ホールは、クラッシック・コンサート向きに設計された構造を持つため、ロックの演奏会には不向きとシカゴのメンバーが言っていた。


反対にLIVE IN JAPANは録音状態も良く、それに当時の最新アルバム、CHICAGO Vからのヒット曲も収録され、またピート・セテラがLOW DOWNなどの日本語バージョンを辿々しく歌っていたり、歌い終わると“ドモ、アリガトー”や大阪弁の“オオキニー”なんて言っていたのが結構微笑ましく思え、こちらを優先的に聴くことになった。

しかし、ついこの前、中古の四枚組のボックスが目に留まりつい買ってしまった。

ボックスの状態は良くないので、白いテープをあて補強。

レコードは丸洗い、そして各インナー・ジャケットもアルコールで消毒。

レコードは先の所有者がほとんど聞いていなかったのか、傷もほとんど見当たらなく、ノイズが全く聞こえない。

CDのように50−60分連続して惰性のごとく聴いていくのではなく、レコードの場合、約20数分で演奏終了し、裏返しもしくは別のレコードに交換する手間が必要で、この作業が集中力を一旦休憩させる時間となり、LPを新たにターン・テーブルに乗せた際、こちらも気持ちをリセット出来、彼らの長時間の熱い演奏を楽しむ事が出来た。

そして、改めてこのアルバムの素晴らしさがやっとわかった気がする。

ところで、シカゴは、後期のAOR路線からは想像がつかないほど、初期には反体制の主張をアルバムで明確に唱えてきた。

このアルバムでも、“若者は選挙に行き国の体制を変えよう、そして選挙制度も変えようじゃないか!”なんて、参考のために各州の選挙のシステムを説明している表がこのアルバムに添付されている。



彼らの主張に賛同するかどうかは別として、バンドそして当時の彼らのファンも本当に熱い連中であったことは間違いないと思う。

何故ならば、当時ロック・バンドとしては誰もやったことのない四枚組のライブ盤は少し冗長さを感じさせまた高額商品だったにもかかわらず、ファンの後押しでアメリカではなんとチャート3位を記録し、プラチナ・ディスクを獲得している。

70年代はロックの力で世の中を変化させようとという、ポジティブな時代であった。

ところでイギリスでは、それまでの三枚のアルバムが全てトップ10になったものの、このアルバムはチャート・インしなかった。アメリカの政治に関してのメッセージにはさほど興味を感じなかったのかも知れない。


キ、キッ、キター! ジョージの新しいボックス その1

2017年03月23日 | BEATLES-BADFINGER関連
助手:博士~ 大変です!

博士:何事じゃ! 此処のところブログも更新せずに、昼寝を貪りまったり感を楽しんでおったところなのに。

助手:ジョージ・ハリソンが、なんとアップル・レーベルからダークホース・レーベルまでの全活動期におけるすべてのオリジナル・アルバム13枚をもれなくパックしたLPボックス・セット、博士の宛名で届いていますよ。

博士:何ぃ〜! 注文もしておらんのに、これは、一体どういうことじゃ!

通りすがりの人:何惚けてんの〜 あなたの心はお見通し。

本当は、欲しくて欲しくて堪らなくなってしまって、夢遊病者のように、ついネットショップでクリックしてしまったって感じじゃないの?

まあ、リボ払いにすれば、毎月のカードの決済も精神的にダメージは少なくなるからね。

博士:まさしくその通りじゃ! 右手の人差し指が自動的にクリックするようにプ ログラムされておるのじゃ。

助手:購入の経緯はともかく、せっかく買ったのですから、早速開封の儀といきましょう〜


ダンボールのカバーの上に緩衝材で固定


オレンジの帯付きボックスの登場


ボックスの写真は、角度によって2通りに見える凝った作りで、髭を生やした後期のジョージ。


若かった頃のジョージ、髭なし


内ボックスにLPを収納


ビートルズ時代のジョージの初ソロ・アルバム、サントラ盤、WONDERWALL MUSIC、オリジナル・インナーには若い頃のジョージの写真掲載、1968年作


別にポリ袋を内蔵した白い紙製のインナーがもれなく付いてくる。


さらに、全アルバムのMP3音源のダウン・ロード出来るクーポンも付く。


ジョージのシンセを使った、実験的アルバム、ELECTRONIC SOUND、ポールも興味津々だったとか、1969年作。


ELECTRONIC SOUNDは、ZAPPLE レーベルより発売。博士のお頭と同じピンボケ写真。


1970年作、三枚組アルバム、ALL THINGS MUST PASS、右は当時かなり無理して買った日本盤。東芝音工再発の黒盤6000円也。


あれ? 日本盤の方がボックスのサイズが若干大きい!


1973年作、LIVING IN THE MATERIAL WORLD, 右は東芝音工の黒盤2000円也。当時オン・タイムで、ポールのRED ROSE SPEEDWAYと同時に買った記憶が。今回の再発盤は、ジャケットにコーティングがかかっていて輝いている。日本盤には表面コーティングはされていなかった。


1974年作、DARKHORSE、右が日本盤でここから東芝EMIからの発売となり、そのジャケットの印刷は今回の再発盤と比べて濃い色彩となっていた。
日本盤のジャケットの作りは、当時のアメリカ盤と同じA式。今回の再発盤はE式。


レーベルの色は、当時の日本盤で黒の印刷、今回の再発盤は青みがかっている。


1975年作、アップル・レーベル最後の作品、EXTRA TEXTURE。右が当時の日本盤。日焼けにより、ジャケットの縁が退色している。
英国盤と異なり、アメリカ盤と日本盤は、タイトルが打ち抜き加工となっている。

今回の再発盤の打ち抜き加工は、特にA、RやUの文字に置いて、当時の日本盤より打ち抜きの文字が破れるリスクを冒した丁寧なものとなっている。
また再発盤のジャケットの表面は、英盤と同じつぶつぶのエンボス加工だが、日本盤のジャケットはエンボス加工がなく、そのため宗教的な印を模したマークもエンボス加工ではなく、紫色で印刷されていた。

今回日本盤の紙ジャケCDを買った人は、昔慣れ親しんだ打ち抜き加工のない英盤をベースにしているので、残念と思う人もいるかもしれないが、紙ジャケ・サイズに同じような打ち抜き加工を施すと、簡単に千切れる場合が考えられるので、これは仕方のないことかと。

肝心の音の評価は、開封したばかりでまだ聴いていないので、今すぐにコメントは出来ないが、音に関しては今回マスターテープからのリマスターということなので、聴き疲れしないアナログ独特のサウンドに仕上がっているのではないかと…

助手:まあ、こんなところでしょうか。

博士:オォ〜、よく出来たのう〜 それじゃ、残りのダーク・ホース時代も同じように、引き続き解説しておいてくれ。

わしは、再び昼寝を貪りまったり感を楽しむとするか。

夜空の向こうには一体何が?

2017年03月09日 | 特になし
シンガポールから日本に帰国する際は、たいてい夜行便を使うことにしている。

そのメリットは、帰国する当日目一杯仕事をし、一旦自宅に帰って11時ごろ飛行場に向う。

そして深夜12時をまわった頃の飛行機に飛び乗れば、早朝7時か8時ごろに到着出来るので、仕事をしようと思えば、昼から半日ぐらいは出来る。

夜行便が離陸した時点の空は漆黒の闇に包まれているのだが、日本に近づくに連れて日の出前の空はやがてうっすらと青くなっていく。

そう、夜空の向こうには次の新しい朝が待っているのである。

そんな時に思い浮かべるのが昨年末で解散したSMAPの楽曲、夜空ノムコウ。

彼らのファンではないが、らいおんハート、世界に一つだけの花そして夜空ノムコウだけは知っている。

特に夜空ノムコウは良く出来た楽曲で、詞もメロディーも素晴らしい。

“夜空の向こうには、もう明日が待っている”と歌われるのだが、その場合ポジティブな新しい朝が待っているのか、また変わらない朝を悶々と迎えるのか、色々と解釈が変わるように思えて興味深い。

人生の半分を過ぎてかなり時間が経過した今、たいてい何事にもピークとか潮時ってものが有り、同じ事を好調を保ったまま継続しハッピーエンドを迎える事は大変難しいと経験している。

SMAPの解散は、色々事情があってのことで、特に熱心なファンでない私が口を挟むべきではないと思う。

しかし、夜空ノムコウを聴くたびに何かもったいない様な気がして、また集合して期間限定であっても活動をすればなん~て思う。

欧米のロック・バンドなんか、解散!とか空中分解したとか言っていても、何年か後にまたオリジナル・メンバー集めて再結成ツアーなんてガンガンやってるからね。

そう、不死身のハードロック、THE WHOの LONG LIVE ROCK。


19の頃は、老いぼれる迄に死んじまいたいぜ~なんていきがっていた彼らも、その後方向転換。

ロックは不死身! 長生きしろよ~って言っている。

THE WHOの生き残りも二人だけとなったけど、未だに元気一杯ステージを飛び回っている。

歳をとり時代も代わり、昔と同じようにはやっていけないけど、気分を変えて出来ることをポジティブにやろうじゃないかと思う今日この頃。

そう! 夜空ノムコウには新しい明日が待っている。

またもジャンク登場!

2017年03月08日 | BRITISH ROCK

今回はレイバンじゃなくてアディダスク ・スニーカー (多分、アディダス ・スニーカーと書くつもりだったのでは?)


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爆安、そして平民の価格とか貴族の品質って言う言葉使いは、多分自動翻訳ソフトを使っているのだろう。

また、指定されたサイトのドメインには、lyと記載されている。

もしこれが国の識別コードであるなら、リビアってことになる。

まさかリビアに拠点を置いてアディダスク ・スニーカーの通販を行うとは常識的に考えられないので、指定されたサイトを誤ってクリックしてしまえば、何らかのトラブルに巻き込まれる事は間違いないだろう。

まあ、もし本当に通販のサイトだとしても、ジャンク物のスニーカーが海外から航空小包で飛んでくることになる。

博士:なに~! ジャンクが飛んで来るとな?

助手:それなら、10CCの1975年のサードアルバム、オリジナル・サウンド・トラックと言うアルバムに、FLYING JUNKって曲収録されてましたよね。

アルバムには、“アイム・ノット・イン・ラブ”とか“人生は野菜スープ”などのヒット・シングルが含まれ、アルバムの大ヒットに貢献し、全英4位、全米15位を獲得。


博士:その通りじゃ。

当時10CCは、マイナー・レーベルのUK RECORDに籍を置いていたが、マイナー・レーベルではアメリカでのプロモーションがいまひとつって思っていたのか、大手のマーキュリー・レーベルに、UK RECORDとの契約を買い取ってもらったみたいじゃ。

なんでもオリジナル・サウンド・トラックは既に完成しており、その音源をマーキュリー・レーベルが聴いて、すぐに契約を実行したようじゃ。

なんと当時の金額でUS$1MILLIONの5年契約を結んだそうじゃ。今のお金に換算すれば数億円と言う大型契約だった。

助手:同じジャンクでも、アディダスク ・スニーカーとはえらい違いですね。

と今回も、ジャンク括りで強引に話をまとめる。

だけど10CCはジャンクではなく本物! 一級品!

ビリー・ジョエルの大ヒット・アルバム、ストレンジャーに収録された“素顔のままで”のコーラス・パートは、“アイム・ノット・イン・ラブ”をかなり参考にしたと、プロデューサーのフィル・ラモーンが言っていた。


お暇なら一度聴き比べてみてはいかが?


それがどうしたって問われると?、何もいえね~

2017年03月07日 | BEATLES-BADFINGER関連
15時間のご無沙汰でした。

ご無沙汰の間隔がだんだん小さくなっていくような…

小さくなるって言うことで、今回はビートルズ関連の小ネタを披露!

まあ既に知っている人から見れば、それがどうした?ってことになるし、知らない人がそれを知って果たしてためになるかといえばなんともいえないのだが…

以前このブログで紹介したことのある、ジョージのダーク・ホース・レーベル所属の男性デュオバンド、スプリンター。

彼らは1974年にファーストアルバム、THE PLACE OF I LOVEをジョージのプロデュースとジョージと気心の知れた仲間によるバックの演奏で素晴らしいアルバムが出来上がった。


少し前、そのスプリンターの音源を求めて、ユー・チューブを彷徨っていると、IF SOMEWHERE AND SOMEHOWと言う曲に遭遇。

あれ?どっかで聴いたような曲!

それもそのはず、大昔中村雅俊(五十嵐刑事)と今は無き松田優作(中野刑事)がコンビを組む1975年日テレの刑事ドラマ、“俺たちの勲章”の副題歌で吉田拓郎が作曲した“いつか街で会ったなら”と言う曲の英語バージョンであった。


早速、調査してみると日本コロンビアから1979年にあのゴダイゴの英語バージョンの“ガンダーラ”とカップリングでシングルが出ていたではないか!


これらの曲は、日本テレビ音楽出版10周年記念として、ゴダイゴのメンバーなんかも参加して制作された、日本コロンビアからコンピ・アルバム、“MY FAVORITE SONGS”にも収録されている。


当時スプリンターは、3枚のLPをダークホース・レーベルから出した後、日本コロンビアと契約を結びちょこちょこと仕事をしていたようで、その絡みでこのレコードに彼らの歌った曲も収録されたようだ。

その少し前の、多分洒落って事で起用されたカローラ・スプリンターのコマーシャルのバックに流れた爽やかコーラスの1977年の楽曲、SUN SHINE ON MEなんかも思い出す。


そこで、新たな発見として、ジョージ・ハリソンと中村雅俊、そしてスプリンターのメンバーが一緒に映っている写真を発見ユーチューブの動画から発見。

動画の画像を切り抜くソフトが無いので残念ながらこの場にアップすることは出来ないが…

では何で、刑事がジョージと一緒に写真に写っているのか?

これは、1975年スプリンターが出した第二弾のアルバム、HARDER TO LIVEに纏わる話で、このアルバム、前回とは異なり、ジョージはソロ・プロジェクトで忙しかったのだろうか、一曲を除きジャズ・フージョン系のサックスの奏者で、かってジョージのコンサートのバックを勤めたLA EXPRESSのリーダーでもあったトム・スコットにプロデュースを依頼。


プロデューサーが変わり、ジョージのソロ・アルバムかと思えるような前作のインパクトが無かったためか、世界的にはヒットしなかったが、アルバムでトム・スコットと共同ではあったが唯一ジョージがプロデュース関わった、 “LONELY MAN”が日本では好意を持って迎えられた。

そこで、その楽曲を日本語で歌い翌年の1976年に日本限定のシングルで出す企画が持ち上がり、そこで中村雅俊が登場。

彼の日本語の翻訳で、スプリンターのレコーディングはロンドンで行われた。


その場に立ち会った中村雅俊が、スプリンターのボスであるジョージの屋敷に招待され、その時に採った写真をユー・チューブの動画上で見つけたわけである。

中村雅俊曰く、いくらかの写真はジョージの肖像権の絡みもあるので、当時の雑誌のグラビアなんかを除けばあまり表に出ていないらしい。

しかしジョージの豪邸を訪問した日本人がいるなんて、スゲーね~って。 

しかもジョージのイメージから関連性がまったく想像できないような五十嵐刑事が訪問したギャップなんかも意外。

エッ! それがどうしたって?

いや~、特に無いです。

しかし、スプリンターのことだけは忘れないで欲しい。

特に彼らのファースト・アルバム、THE PLACE OF I LOVEは隠れた名盤と言える。

一昨年に出た紙ジャケ、まだ“何処かの街で”売ってるかもね? 

在庫切れになる前に、ジョージ・ファンなら是非ゲット!


雨の日に思う一期一会

2017年03月06日 | JAPANESE
20時間のご無沙汰でした。

ご無沙汰と言うほど時は過ぎてないのだが…

今日は朝から薄雲は掛かっていたものの、天候は晴れ。

久々に連日の雨による湿気から開放されるのではないかと思いきや、お昼を過ぎてから雲行きが怪しくなり夕方からまたもや雨。

現在は雨は降っていないものの、風は無く湿気でむんむんとするので、思わずエヤコンのスィッチをオンにする。

雨が降ると、遠くに見える高層アパート群も霞んで見えて、まるで街が泣いている様な…

オォーと、どこかで聞いたようなフレーズ。

そう、1980年、伊丹哲也とSIDE BY SIDEによる、ヒット曲“街が泣いていた”。

何でも当時開催された、第11回世界歌謡祭でグランプリを取ったとか。

当時ラジオで、シンプルなミディアム・テンポのロック・サウンドに、伊丹哲也が少し巻き舌調でうなりながら歌う哀愁のメロディーに惹かれて、ただエンディングのところで少しうなり過ぎ!とは思ったものの、ついシングル盤を即効で買いに行ったのを思い出す。

シングル盤は演奏時間は短いのに、レコード・プレーヤーで演奏する際の手間はLPとそう変わらない。そのため、扱いが結構面倒に感じるので、シングル盤をあまり買わないようにしてきた。

このシングル盤、“街が泣いている”は私にしては結構特別なコレクションになる。

ウィキによると、伊丹哲也はその後いくらかのLPやシングルを出したようだが、海外で働き始めた時期に重なったため、このシングル以降の曲は聴いたことがないという一期一会って感じになった。

当時、日本を離れて海外で働くってシチュエーションは、なんとなくこの曲の歌詞と重なり今聴くと感慨深いものがある。

ただ、さよならオレの女(ひと)よ~♪♪と歌うドラマのひとコマの様な状況は残念ながら当時はなかった。

あればかっこよかったんだけどね~

雨に霞む町並みを眺めてふとこの歌を思い出した、な~んて無理やりこじつけた感はあるのだが…


オークションに参加してみる

2017年03月06日 | 特になし
一日間のご無沙汰でした。

ちょっと暇だったので、ヤフオクに海外から参戦してみることにした。

日本にいた時、中古のレコードを購入するときにしばしば利用したことがある。

レコードといえば、原盤から制作された金型でプレスされた初回盤がもっともマスターテープの音源に近いとされる。

再発盤の場合、マスター・テープの劣化した状態で新たにプレスの金型を作ったり、製造コストを減らすためにレコードの材料の重量を減らしたりするようなことがあれば、微妙にオリジナルの音とは異なることがあり、ファンにとっては初回盤が貴重であると評価され高値で取引される。

ビートルズ関連のレコードは、一通り70年代の始めごろから再発盤を買い始めて一応一通り所有しているのであるが、彼らの実質的な活動期は60年代で、その当時の初回盤はプレミア価格が付いていて、それらをオークションで入手するには資金力のあるマニアで無いととてもじゃないが手が出ない。

しかしながら、ビートルズとなると他のアーティスと異なり、レコードの再発がかなり頻繁に行われ、日本盤はもとより英盤、アメリカ盤やその他の各国盤を含めると膨大な種類のアルバムが再発されている。

と言うわけで、私の場合、比較的安価で入手可能な再発盤で、ジャケ違い、レーベル違いそして再発の時期による音質の違いなどを楽しむためにヤフオクを利用。

ヤフオクの場合、文字通り競争入札によって最高値を出した入札者が購入権を得るので、通常の価格が決定されている買い物とは一味違う。

予め、相場価格を予想して入札に挑むわけだが、その商品をどうしても競り落としたい入札者が参加しているときは、お互い熱くなって値段を吊り上げ、結局想定落札価格をオーバーすることもよくある。

また苦労して競り落とした商品が届き、実物を見ると思ったよりコンディションが良くない場合、本当にガックリする。

今回、海外のPCからヤフオクに参加できるかどうか試してみた。

高速ブロード・バンドでインターネットに繋がっている限り問題は無く、注意点は時差と落札したときの商品の日本国内での送り先の設定である。

日本とは時差が1時間あるので、入札終了の時刻は記載されている1時間前となる。

人気商品の場合、必ず入札終了前の10分あたりで競争相手が登場し、価格の競り合いとなる。

そのため時差を失念してしまうと入札終了間際の競り合いに参加出来なくなり、到底落札は覚束無くなってしまう。

今回4件のレコードを入札してみることにした。

そのうち2件は、他に入札者がいなかったので、最低価格ですんなり落札。

後の2件は、入札終了の5分前に入札者が急に登場し、此方の指値を上回る価格を提示。

一応中古商品として自身の経験から算出した適正価格で入札していたので、当初はもし落札出来なくともよいと思っていた。

しかし、終了ギリギリにドンと此方を上回る価格が出されたので、ちょっとカチンときて、此方の価格を2回ほど吊り上げて出してみたものの、それでも上回ることが出来なかった。

そこで冷静さを失い、どんどん価格を上げていって最終的に意地で落札したものの、落札価格は予定の2倍となってしまった。

取り合えず、日本発行のクレジット・カードで支払い完了。めでたし、めでたし。

とは言い難い! 

無理に付いて行かずにすんなりギブ・アップして、次の機会を待てばいいものを、ついヒート・アップしてしまった。

なんと愚かな…

これがオークションの恐ろしいところ。

まあ、最後の5分間で、価格を何度も正確に差し替えると言う結構忙しい作業があって、久しぶりにスリルを味わったという言い訳で、無理やり納得。

ところで、もう一つ問題が。

商品の送り先を親戚の家の住所を無断で使ったので、後日親戚の家人は差出人に心当たりの無い正体不明の小包を受け取ることになる。

押し売り通販なんてのもあるから、正体不明の荷物受け取り拒否!な~んて事になれば、ややこしくなること確実。

明日にでも早速連絡しておかないと、汗... 

雨の日の憂鬱

2017年03月05日 | AMERICAN ROCK/POPS
一週間のご無沙汰でした。

と言うか、前回の記事のアップから一週間以上たった。

ちょっと昼寝をしているとあっという間に3月に突入。

暦の上では春。

この地に移住してから、もう少しで1年と月日の経つ。早い!

一般的にシンガポールでは、一年間で11月から2月にかけて気温が低く、3月頃から4月にかけて気温が上昇する感じ。

昨年この地に来た3月末頃は、日中は連日35度ぐらいになり、夜間も30度を越えた非常に寝苦しい夜が続いた。

クーラーは各部屋にあるのだけれど、つけて寝ると風邪引いちゃう可能性が有るので、扇風機を購入し、弱の設定で運転したまま就寝。

現在は、日中は30度以下で、夜間も25度以下と結構過ごし易いのだが、連日雨の天気が結構多く扇風機が無くとも涼しく感じるものの、こう雨の日ばかり続くと結構憂鬱。

雨の日は憂鬱ってくくりで、今日は1971年発売の3作目のスタジオ・アルバム、カーペンターズからポール・ウィリアムス/ロジャー・ニコルス作、カーペンターズが歌うRAINY DAYS AND MONDAYSでも。

Talking to myself and feeling old
独り言を言ってる、歳をとったって感じる
Sometimes I'd like to quit
時々こんなことやめたくなる
Nothing ever seems to fit
まったくフィットしていないって感じる
Hanging around,Nothing to do but frown
うろついたところで、しかめっ面になるだけ
Rainy days and mondays always get me down
雨の日と月曜日っていつも沈んだ気持ちになる

What I've got they used to call the blues
私のやっていることって、巷じゃブルーって言うらしい
Nothing is really wrong
何も間違っているわけじゃ無いけど
Feeling like I don't belong
此処じゃないって感じる
Walking around some kind of lonely clown
孤独なピエロのように歩き回る
Rainy days and mondays always get me down
雨の日と月曜日っていつも沈んだ気持ちになる

Funny but it seems I always wind up here with you
ちょっとおかしいんだけど、いつもあなたと此処で繋がっているような感じ
Nice to know somebody loves me
誰かが愛してくれているって素敵な気持ち
Funny but it seems that it's the only thing to do
ちょっとおかしいんだけど、そうするしかないって感じ
Run and find the one who loves me
走り回って私を愛してくれる人を探すの

What I feel is come and gone before
私の思いが行ったり来たりしたことって以前あるんだけど
No need to talk it out
あえて口に出すってことは無い

We know what it's all about
それがすべてのことだって知っている
Hanging around, nothing to do but frown
うろついたところで、しかめっ面になるだけ
Rainy days and mondays always gets me down
雨の日と月曜日っていつも沈んだ気持ちになる

ところで雨の日続きで開店休業中の扇風機を見るとなんとなく沈んだ気持ちになる。

メード・イン・ECを思わせる外箱だが、中身はもちろん中華製、CELEBRATE FINE LIVINGって箱に印刷しているけど、扇風機で素晴らしい生活を祝うってちょっと大げさ

何故なら、もし来年にでも日本に帰国するとなると、220V仕様の扇風機は此処に置いていかねばならない。

ガレージ・セールすればいいのだが、220V仕様の家電で目ぼしいところでは、無名ブランドの扇風機2台、純正の白黒・カラーのインク・カートリッジの値段の方が本体より高いと言うキャノンの安物のプリンター、これまた安物フィリップスの掃除機、そして使い込んだ無名ブランドのオーブン・トースターなどなど、あまりに品揃えがしょぼすぎる。

キャノンPIXMA、本体を安くしてインク・カートリッジの販売で設けようと言う魂胆丸見え


電気屋で一番安い掃除機を買うって言ったら、オランダの名門フィリップスの掃除機だった。もちろんメード・イン・ECでは無く中華製

同じ雨の日の憂鬱でも格調の高いカーペンターズの歌とはこうも違うのかって話で、そんなの、引越しが決まれば誰かにタダで上げればいいじゃんてなレベルの話ではあるが…