CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

一気にスターになってしまうと、まあ色々あるわな

2025年02月17日 | AMERICAN ROCK/POPS

70年代半ばにジム・スタインマンがプロデュースしたブロードウェイ・ミュージカルに出演したミート・ローフ。その歌唱力を買われ、1977年にジムの作詞・作曲によるアルバム、Bat Out Of Hellにてデビューを飾る。

このアルバムが大ヒットし一気に大スターの仲間入り、何しろアメリカだけで通算1,400万枚売れたからね。

ジムはその第二弾のアルバム、Bad For Goodの制作に取りかかかるも、肝心のミート・ローフが仕事のオーバー・ロードや生活における不摂生からなのか声帯を壊した。アルバムはお蔵入りかと思われたが、レコード会社の要望からジムや他の起用したアーティストらのボーカル・コーラスを取り入れてアルバムは1979年に完成。ただミート・ローフのボーカルと比べると悪くはないがやっぱり迫力が足りなかった。

てな事で、1981年にミート・ローフのボーカルによる第2弾のアルバム、Dead Ringerを制作。

ただこのアルバム全英・全米チャートそれぞれ5位・45位とそこそこ売れるも驚異的な前作と比べるとかなり物足りなく感じた。

またこの後ジムとの利益の取り分で揉めたのかこの後二人は暫しの間袂を分つことに。ミート・ローフはジムの手を借りずにアルバムを制作も不発、対して彼が歌う予定であったジムの作品、Total Eclipse Of The HeartとMaking Love Out Of Nothing At Allはボニー・タイラーとエア・サプライらが歌い大ヒットさせ明暗が別れた。

因みにDead Ringerってそっくりさんという意味がある。いまいち売れなかったのは、Bat Out Of Hellの大ヒッチの後すぐにアルバムを出せなかったことが原因なのか、はたまたミート・ローフのそっくりさんが関わったアルバムだと思われたのかな?


摩天楼は本日も曇天なり

2025年02月16日 | AMERICAN ROCK/POPS

本日は社会が直面している様々な問題を独特なフュージョン・サウンドに乗せてシニカルに歌うスティーリー・ダンの1976年の5枚目のアルバム、The Royal Scam(幻想の摩天楼)でも。

 

メンバーがウォルター・ベッカーとドナルド・フェイガンの二人っきりとなって2作目のアルバムで、但し1974年にグループを脱退したデニー・ディアスは本アルバムではゲストとしてギターを弾いているそうな、ライブ公演などバンドとしての活動から解放され彼らの望み通りアルバム制作により注力できる様になった。

ベッカーやディアス以外にもラリー・カールトン、ディーン・パークスのエリオット・ランドールら腕利のセッション・ギタリストを集めギターを中心にサウンドが展開し、非常に歯切れがよくて心地よい。

ただ大都会の摩天楼界隈って一見華やかに見えるもその裏では魔物同士の壮絶な戦いが日々続く。

いくら飯の種とはいえ、どうも安心して住めるところでは無いみたい。


テキサス・ロック炸裂

2025年02月12日 | AMERICAN ROCK/POPS

1973年の前作、Tres Hombresが全米チャート8位の大ブレークしたZZ Top。

ブルースとブギーを基調にしたテキサス出身の3人組ロック・バンドのシンプルで粘っこさ控えめのキレの良い演奏は後味スッキリ。

続くアルバムは1975年の通算4枚目に当たるFandango!。ここでもチャート10位に食い込み人気を確定。

(ワーナー・レーベルからの再発盤。当時はロンドン・レコードと契約していたものの70年代末にワーナーと契約。後の再発盤はワーナーから出る事に)

本作は片面がライブ録音もう片面はスタジオ録音の変則仕様ではあるが、ライブとスタジオ録音の境界線はあまり感じられなく同じ様なノリで小気味良く聴ける。

ただ日本じゃそれほど人気がなかったのが残念。


ギター控えめ

2025年02月06日 | AMERICAN ROCK/POPS

本日はラテン・ロックの雄、サンタナの1974年の6枚目のスタジオ・アルバム、Borboletta(邦題、不死蝶)でも。

全12曲中歌物が5曲、残りはインスト・ナンバーの構成でパーカッションがリズムを刻むラテン・タッチのジャズ・フュージョンって印象。更に歌ものには万人受けするようポップさ加えて聴き易い味付けがなされている。

アルバムの前半から中盤にかけては割とあっさりした展開で、最終盤にようやくサンタナのギターが炸裂し盛り上げをみせ、ゲストのアイアート・モレイラの作品でもあり彼のパーカションとチャントをフューチャーしたタイトル曲、Borbolettaでアルバムは静かに幕を閉じる。

ただこのアルバム、デビュー当時の快進撃した頃と比べると売り上げが落ちたそうな。

やっぱりギター控えめが原因だったのかな?


ちょっぴり侘しい気分

2025年02月02日 | AMERICAN ROCK/POPS

今日は日曜日、健康管理を考えてお昼前に小一時間ほどジョグに出掛けた。

オイラの暮らす地域には私鉄の駅があってその周りにはその昔映画館、パチンコ・ホール、ボーリング場、ゲーセンやフィットネス・クラブなんがあって結構活気に満ち栄えていたのだが、時代の変化とともに娯楽の形態も変わり次第にそれらの需要がなくなり消えていった。

また商店街には食料品、衣類や日用雑貨などを扱うさまざまな店があったのだが、近場の大手スーパーが入るショッピング・モールに客を奪い取られ閉店の憂き目に遭い、今や通りは食べ物屋さんかもしくはシャッターが閉まっている感じ。

不況の昨今、新規の店が長続きする保証も無く1−2年の結構早いサイクルで代替わりしているみたい。仕方ないと言えばそうなんだけれど、やっぱり侘しく感じてしまう。

ところで商店街の街灯に設置された小さなスピーカーから有線放送なのかいつもポップ・ソングが流れていて、結構70年代の洋楽ポップスが多いみたい。

本日はフリートウッド・マックの1977年のアルバム、Rumorsに収録されシングル・カットされたスティーヴィー・ニックスが歌うDreamsが聴こえてきた。

そんな商店街にDreamsが流れるってちょっと場違いかなと思うけれど、考えてみたら洋楽好きだった今の年配者にとっては青春時代のヒット曲ってことで、若者の少ない時間帯のオンエアするのはあながち間違ってはいないかも….

ただスティーヴィーのDreamsが商店街に流れると、男女の別れを淡々と歌うその様があらかじめ歌詞の対訳を読んでいるオイラからすると余計に侘しさを感じてしまう....


リラックスの勧め

2025年01月25日 | AMERICAN ROCK/POPS

売れようが売れまいが、勿論売れた方がいいけれど、流行とは関係なしに我が道を行くライ・クーダー。

1974年の4枚目のオリジナル・アルバム、Paradise And Lunchでも古き良きアメリカのルーツ・ミュージックをベースに独自の世界を形成している。

上手くいかない時だってある。

そんな時はくよくよしたって仕方が無いし、マイペースでゆったりした気分で進むに限るってな気分にしてくれる癒しのミュージック。

ハード・ロックもいいけれど週末はリラックスした気分でこれを聴きながら糖質Zeroの缶酎ハイをグビリ。

あら不思議!鄙びた集合住宅の小部屋での酎ハイがパラダイスのランチ・タイムでのカクテルに….

んなわけねぇ~


時代は変わる

2025年01月21日 | AMERICAN ROCK/POPS

ルー・リードの1972年の2枚目のソロ・アルバム、Transformerでも久々に聴いてみる事に。

このアルバム、デヴィッド・ボウイとミック・ロンソンによるプロデュースでちょうどZiggy Stardustが出た頃なのでサウンド的には兄弟アルバムのような親近感が味わえる。

因みに本作はトランスジェンダーのことを歌っていて、近頃LGBTなんて言葉やたら耳にするのでそれもこの世の一部なのだと今や違和感は感じなくなっているが、この当時だとカミング・アウトして正面から取り組むには結構勇気がいったのではないかと…

あれから50数年経った今このアルバムを聴いて思うに、昔の非常識は今の常識って。

ディランじゃないけれど、本当に時代は変わるのだと体現したね。


一人じゃダメね

2025年01月20日 | AMERICAN ROCK/POPS

英ロック・バンド、トラフィックから1968年のセカンド・アルバム完成後に脱退したデイブ・メイソン。1970年のトラフィック再結成として出たスタジオ・アルバム、John Barleycorn Must Dieを出した後のセカンド・ツアーに突如舞い戻るも再度脱退。

トラフィック脱退後は、ジミヘン、ディラン、ジョージ・ハリソンやストーンズらのアルバムにセッション・マンとして参加したりデラニー・アンド・ボニーのツアーに同行としたりと、気の向くままな活動に終始していた。

結構気まぐれな性格だったのか、バンドの一員としての制約を受けるのが嫌だったのかもね。

とは言え、ミュージシャンたるものいつかは自身のリーダー・アルバムを作りたい、でも一人じゃね~

そして1970年遂にアルバム、Alone Togetherでソロ・デビュー。全米22位とアルバムはそこそこ人気を博した。

(1980年、米MCAレーベルからの再発盤です。)

参加した主なミュージシャンは、オォ〜! レオン・ラッセル、カール・レイドル、ジム・ゴードンにボニー・ブラムレットらアメリカ勢とトラフィックのメンバー、ジム・キャパルディ。

なるほど、セッション・マン時代にそれなりに人脈作っていたってことね。


ブラス・ロック誕生

2024年12月31日 | AMERICAN ROCK/POPS

60年代末、コロンビア・レコードからデビューしたブラッド、スウェット・アンド・ティアーズ。

本日は彼らの1968年のセルフ・タイトルのセカンド・アルバム、Blood, Sweat And Tearsでも。

(1978年の再発盤)

BS&Tは、ブルース・プロジェクトを脱退したアル・クーパーが中心となって新しい方向性を求めてバンドを結成しデビューも、1作目の制作後アル・クーパーやランディー・ブレッカーらが脱退。そこでプロデューサーにジェームス・ガルシオを据えそしてパワフルなボーカリストとして、デビット・クレイトン・トーマスが加入し他ことで音楽の方向性が一変。

これが全米1位の大ヒットをもたらす事に。

同じ時期に同じコロンビア・レーベルからデビューしたシカゴとホーン・セクションを駆使したブラス・ロック・バンドとしてよく比較される。しかも本作はシカゴと同じジェームス・ガルシオはプロデューサーを務めている。

ただシカゴの若いロック世代をターゲットにしたサウンドに対して、BS&Tは少々ジャズ寄りで少し上の世代のリスナー向けって印象で棲み分けが出来ていたって感じですかね。


憧れの西海岸?

2024年11月17日 | AMERICAN ROCK/POPS

1971年にアルバム、Piano Manをヒットさせた後、NY出身のビリー・ジョエルはLAに移住して1974年に次作のStreetlife Serenadeを制作した。

NY出身のエリオット・マーフィーもブルース・スプリングスティーンと共にニュー・ディランとかディランズ・チルドレンなど称賛された1973年のファースト・アルバム、Aquashowを出した後、LAに在住しレコーディングを行う。

(ファースト・アルバム、Aquashow)

ゴードン・エドワーズ、リチャード・ティー、ジム・ゴードン、ネッド・ドヒニーにボビー・キンボールらLAの腕利きミュージシャンにサポートされたセカンド・アルバム、Lost Generationは1975年に完成。

(セカンド・アルバム、Lost Generation)

個人的には出来のいいアルバムだと思うけれど、やっぱり西海岸の開放的な明るさ感じられ何かがちょっと違うかな。

特にエリオットの場合は、ベルベット・アンダーグラウンドのライブ・アルバムに一文を寄稿しているぐらいルー・リードとの太い交流があり、NYのアンダーグラウンド・シーンにおける翳りなどの影響を結構受けている気がする。

残念ながらアルバム・セールスは思った様な結果を残すことができず、結局ビリー・ジョエルと同様にNYに戻り次作を制作することに。

例え西海岸が憧れの地であったとしても、ご両人にとってはNYの水が合っている。

そこが彼らの生活の地なんだな…


振り返っちゃいけない!もう買っちゃったんだから

2024年11月14日 | AMERICAN ROCK/POPS

先日、レコード・メーカーがピクチャー・レコードは黒の通常盤とその音質を比較するべきではないと自白していた事を語ったが、じゃカラー・レコードはどうよ?

これは以前にここでアップした通り、レコードの原料はポリ塩化ビニールが主剤となる合成樹脂で色は透明。塩ビの素材は柔らかいので通常材質の強度を増すために透明な樹脂にカーボンを加える事によって黒盤となる。一般的にカーボンの添加によって強度が増したレコード盤は、低域がタイトに聴こえるそうな。一方カラー・レコードは透明な塩ビ樹脂に適切な顔料を混ぜて合わせる事によって製造され、材質の強度の関係から黒盤と比べて音質がマイルドに聴こえるらしい。

つまり一概にカラー・レコードの音質が悪いというわけではなく、聴く人によって好みが別れるのでないかって意見を述べた。

じゃあこのカラー・レコードはどうなの?と取り出したのがボストンの1978年のセカンド・アルバム、Don’t Look Back。

ファースト・アルバムの大成功で途切れないツアーの合間にレコーディングされ完璧主義者のトム・シュルツにとってはやっつけ仕事感があったかもしれないがこのアルバムも結構売れたね。

今回の盤は2020年に再発専門レーベルのフライデー・ミュージックから発売されたもので、トランズルーセント、ブルー・アンド・ブラック・スワールって記載されていて、半透明なベースに青と黒の顔料が部分的に吹き付けられ飛び跳ねている感じでプレスされている。

(この色のアレンジには全く美意識が感じられないように思うのだが...)

半透明な箇所と青もしくは黒の顔料が混ざってプレスされている箇所は厳密に言えば若干ではあるが材質が異なり、再生に影響があるのでは?

まあ実際のところは音質の差異なんて無視できる仕様なんだろうけれど...

限定盤ということで通常盤よりお値段が少々高いので、オイラとしてはやっぱり視覚による鑑賞一択。

時折思い立ったように盤を取り出し、ターン・テーブルに一旦セットし暫しじっくりと眺めるも再生はせずにまた元のジャケに逆戻りと何とも奇妙な光景で、盤のミント・コンディションを維持しながら将来のアンティーク的な価値が爆上げするのを待つって感じかな?

ただ将来今のレコード・ブームも去り、かってCDがレコードをマーケットから駆逐し始めたCD黄金時代の頃と同様にまたまた中古レコードが2束3文で取り扱われる可能性の方が大かもね。


売り上げ下降、問答無用の契約終了

2024年11月11日 | AMERICAN ROCK/POPS

1971年エピック・レーベルからセルフ・タイトルのアルバムでデビューを果たしたREO スピードワゴン。

70年代の後半頃から人気を確立させ始め、80年代になって大ブレークし、あまりに売れすぎてジャーニーやトトなどと一括りに産業ロックの雄って揶揄されたほど。

1987年のアルバム、Life As We Know Itでその勢いを落とすものの、アルバム・チャートでは28位とマズマズの出来。ただ何があったか定かでは無いが本作の後に70年代の売れなかった頃から全盛期を共にしたギターのゲイリーとドラムスのアランがバンドから脱退。

新規にメンバーが加入し6名で活動を開始し、1990年に出来上がったアルバムが通算13枚目のスタジオ・アルバム、The Earth, A Small Man, His dog And A Chicken。

(何故かルネッサ〜ンス〜 チンのおじさんが...)

ただアルバム・チャートは全米129位と振るわずズッコケてしまった。

このアルバムを聴いて、作風は親しみやすいバラードやポップなロックとそれまでのアルバムと変わらず、いい出来だと思う。

(ケビン・クローニンをはじめお馴染みの共作としてトム・ケリーやダイアン・ウォーレンなどの外部作曲家の名前もあり、それなりの質は保たれている。)

まあ90年代に入ってリスナーの嗜好も変化していくし、それまでの彼らのブレークが余りに大きすぎたので次のアルバムに求められる要求のレベルも更に高くなり平均点のアルバムじゃ物足りなく感じた事による反動なのかな?

このアルバムの不発により約20年の長きに渡ったエピックとの契約も延長される事なく終了した。

世の中、厳し~


細かい事が気になるオイラ

2024年11月08日 | AMERICAN ROCK/POPS

1982年のフェアウェル・ツアーのアルバム発表後、ドゥビー・ブラザースは解散。

その後完全に健康を回復したリーダーのトム・ジョンストンがレギュラーで復帰し1989年のドゥビー・ブラザースの再結成アルバムがキャピトル・レーベルから出て全米チャート17位と一定の成功を収めた。そしてその2年後の1991年、通算11枚目のスタジオ・アルバム、Brotherhoodが出たもののアルバム・チャートは82位と振るわず、この後キャピトル・レーベルとの契約も打ち切られる事に。

全体的に地味な印象を受けるが、何度も聴き込んでいくと初期の頃のドゥビー・ブラザースの雰囲気は十二分に味わえオイラとしては悪い印象は全く感じない。

そんな事よりもっと気になる事が…

CDの制作工程を区別するSPARSコードが設定され、初期のCD生産の頃は、過去にアナログで録音・ミックスしたマスター・テープをデジタルに変換する方式がAADと記載され、ミックスする段階でデジタルの方式を取ればADD。後に一連の工程が全てデジタルで行われる場合はDDDと記載されるも、その方式が一般的になる90年代にはいつの間にかDDDの表記はわざわざCDに記載される事がなくなった。

因みにこの90年代初期にプレスされたCDには何とDADと記載されている! なぬ〜 この表記初めて見た。

デジタルで録音し、それをアナログでミックスし、デジタル・マスタリングでCDが完成って事ですかね?

一体どのような状況になればDADって工程を選択するのかな? 

誰か教えて!


レコード鑑賞でのメリット

2024年11月07日 | AMERICAN ROCK/POPS

久々にミート・ローフの曲をレトロチックに楽しもうととターン・テーブルにレコードを置く。

ロッキー・ホラー・ショーなどのロック・オペラのステージで頭角を表し、作曲家のジム・ステインマンと組みトッド・ラングレンによってプロデュースされた1977年のロック・オペラ、Bat Out Of Hell(地獄のロック・ライダー)で大ブレーク。

初年度の全米アルバム・チャートは13位止まりだったが、このアルバム毎年売れ続け現在全世界の累計売り上げが4千数百万枚とピンク・フロイドの狂気、AC/DCのBack In BlackやイーグルスのGreatest Hitsらと肩を並べるメガ・ヒットを記録する。ただ何故か日本では人気がなかったね。邦題の地獄って言葉にネガティブな反応があったのかも?

全編で約46分のこのアルバムをCDでも所有しているが、一気に聴くとオジンのオイラは連続するそのパワーに圧倒され疲れてしまう。

レコードを表から裏にひっくり返すのは面倒なんだけれど、その最中に一息入れ新鮮な気分で名バラードのTwo Out Of Three Aint’s Badから楽しめるのはいい感じ。

ちなみにこの曲の邦題は “66%の誘惑”ってなっているが、一体何のこと? 

直訳すれば2/3あれば悪くない、すなわち物事なんでも100%完璧に求め過ぎるより多少不便でも案外馴染んでしまうレトロなオイラのことかな?