CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ジョー・ウォルシュの癒しのソロ・アルバム

2025年02月01日 | West Coast Rock

本日はジョー・ウォルシュの1978年のジェームス・ギャング脱退後の4枚目のアルバム、But Seriously, Folksでも。

イーグルスに加入し、1976年のメガ・ヒット・アルバム、Hotel Cariforniaを出した後、次のアルバムに取り掛かるまでのインターバルを利用して制作された。

ジョー・ウォルシュが起用したバック・ミュージシャン以外にイーグルスのメンバー達もレコーディングに参加。

これまでのジョー・ウォルシュのアルバムと言えば少々暗めの曲も収録されているのだが、このアルバムでは全体的に明るいウエスト・コースト・サウンドに包まれ、それが功を奏したのかアルバムも全米チャート8位に輝きミリオン・セラーを達成。

ただイーグルスのサウンドはこのアルバムとは相反してより翳りを帯びていく事に。


ブート・ライブ?

2024年11月27日 | West Coast Rock

2004年に突然発売されたカントリー・ロック・バンド、ポコのライブ盤、The Last Roundup。

ジャケ・デザインを眺めるといつもの馬の蹄鉄の上にPOCOと記されたお馴染みのロゴがなかったので、当時これってオフィシャルのライブ盤では無いと思ったものの、収録されている殆どの曲が彼らがABCレコードに移籍し発売された3枚のアルバムからされているのをみてつい買ってしまった。この頃の彼らの作品ってあまり売れなかったのだがメンバー4人が安定した演奏を披露し、オイラとしてはこれぞカントリー・ロックのポコって印象で以前のエピック時代の作品より断然いいと思っている。

購入してからアルバムのクレジットを読むと、その当時のプロデューサーだったマーク・ハーマンがABCレコードのためにプロデュースしたと書かれていた。即ちこれってまさしくオフィシャルのライブ音源で何らかの事情でお蔵入りしたものが約27年の時を経てようやく日の目を見たことに。

英文のライナーを読んでみると、1975年ABCレコード移籍第一弾のアルバム、Head Over Heelsが全米チャートで43位とまずまずの成果を収め更なる飛躍をと、1976年にRose Of Cimaronを出すも、旧レーベルのエピックが2年間のライブ・レコーディンを行ったPoco Liveを営業妨害的に同時期に出した。まあ同時期に発売したことで売り上げにその相乗効果が出ればよかったものの、何故かこの新譜はチャート83位と振るわなかった。前作よりポップなキャッチーさが少なめで全体的にカントリー寄りのサウンドが気に入られなかったのかも…

そこでポコの面々は翌年の作品、Indian Summerで何とか挽回を図る事に注力し、レコード会社もIndian Summerツアーでのライブ・レコーディングを企画した。

Indian Summerは57位と少しは前進したものの、ツアー終了後ベースのティモシー・シュミットがランディ・メイズナーの抜けたイーグルスへの加入を決め、またドラムスのジョージ・グランサムも他のバンドに加入するような話も浮かび上がり、残ったラスティー・ヤングとポール・コットンは新しいバンドを結成てな方向性を打ち出していた。

ポコが解散する状態でライブ盤を出すのも何だかな〜って事でお蔵入り。

ところが最終的にはラスティーとポールは新しいメンバー3名を加入させて新生ポコを結成し、1979年に完成したアルバム、Legendが全米14位、シングル・カットされたCrazy Loveも17位と大ブレークし1968年にバンドが結成して以来一番の売り上げを記録。

新生バンドの大躍進によって旧メンバーで録音されたライブ盤はイメージが異なる理由で発売されず忘却の彼方へと….

2000年にラスティー、ポールとジョージの3人が再会し新たにベース奏者が加入しポコとして活動を再開、2002年に13年ぶりのスタジオ・アルバム、Running Horseを出したことから、もういいかなと2004年に蔵出しされたこのライブ盤が発売された。

ただ当の本人達は当時の記録があまり残っておらず、Rose Of Cimaronの最後に登場するストリングスのサウンドなんてあったっけ?てな落ちとなった。


The Byrds を訳すと(改訂版)

2024年11月24日 | West Coast Rock

カタカナで書けば鳥の複数形の意味になるがネットで検索入れてみると、The Byrdsはアメリカのロック・バンド名、もしくは最後のsを取ったByrdは通常人名に使われるとのこと。

元々ジーン・クラーク、ロジャー・マッギンとデヴィッド・クロスビーの3名で結成した前身バンド名がThe Jet Setだった。ほとんど注目されなかった彼らが、ディランのMr. Tambourin Manをフォーク・ロック調に編曲し激動のミュージック・シーンに再挑戦する際、バンド名の改名も行った。

前身バンド名のJet Setからくる飛ぶってイメージを継承しBirdsとし、更に当時流行りのミス・スペルによる言葉遊びにて、彼らが影響を受けていたビートルズの場合はBeetlesがBeatlesってなる様に、iをyに変えてThe Byrdsここに誕生って感じかな?

本日は1992年に出た彼らの代表曲20曲が選曲されたベスト物のCDでも。

初期のフォーク・ロック時代のコーラス・アレンジメントから、サイケ時代を通り越してカントリー・ロックへと、更に後期のクラレンス・ホワイトのリード・ギターを中心にしたバンド・サウンドが味わえる。つまりyって数学的な変数として捉えるとメンバーの出入りによってyの値が変わりバンドのサウンドがその都度変遷していくって事ですかね。まさか?

それではその歴史を.....

デビュー当時の写真はビートルズを完全に意識した出立ち。左から、クリス・ヒルマン、ジーン・クラーク、ロジャー・マッギン、マイケル・クラークとデヴィッド・クロスビー。

時代はサイケデリックに!

オリジナル・メンバーはロジャーとクリスのみ。母屋を新加入のグラム・パーソンズ(中央)にほぼ乗っ取られた頃のカントリー・ロック時代。

グラムとクリスが去ってクラレンス・ホワイト、スキップ・バッテンとジーン・パーソン3名が新たに加わった4人組新生バーズ。

バーズ解散後、1973年にオリジナル・メンバーで再結成も船頭多くして船山に登るが如くアルバム1枚制作して解散。


バーニーは何処に?

2024年11月24日 | West Coast Rock

1971年、リンダ・ロンシュタットのバック・バンドとして活動を始めたイーグルス。当初は明るいカントリー・フレイバー漂うフォーク・ロックが芸風だった彼らも、そのサウンドは徐々にハードに、かつ翳りも加味された作風にと変化していった。

ファーストとセカンド・アルバムでプロデュースを任されていたグリン・ジョンズとバンドの方向性で対立を産み出し、サード・アルバム制作課程でそれまでの関係が崩壊し、新たにビル・シムジクをプロデューサーに迎え新たな路線を突き進むことに。

カントリー・フォーク・ロックのパイオニア、フライング・ブリトー・ブラザーズを経てイーグルスに加入したバーニー・レドンのバンドの音楽性はイーグルスの新たなそれとは少々相容れなかった様で、次第にバンド内での居場所がなくなり1975年の4作目のアルバム、”呪われた夜”を最後にバンドから脱退することに。

彼の書いたイーグルス時代の作品は結構好きで、例えばサード・アルバムに収録され、ブリトー・ブラザーズのリーダーで若くして他界したグラム・パーソンズのことを歌ったMy Manなんて涙ちょちょ切れるくらいいい曲なんだけれどね....

その後、彼はどうなったのか?

1977年に嬉しい便りが。

バーニーはSSWのマイケル・ジョージアディスと組んでニュー・アルバム、Natural Proguessをイーグルスと同じレーベル、アセイラムから出した。プロデューサーはなんとグリン・ジョンズが受け持った。

ただ、悪い出来のアルバムではなかったものの、その後のイーグルスの黄金期と比較するとやっぱり地味な印象だったかな。

その後バーニーはセッション・ミュージシャンとして数多くのミュージシャンのレコーディング参加したりまたプロデューサー業に携わって活動を続けていく事に。また1998年にはイーグルスがロックの殿堂入りを果たしバーニーもイーグルスのメンバーと再開し共に演奏し、更に2004年にマイナー・レーベルからソロ・アルバムを出し地道に活動を続けた。

今オジンになって思うのは、結果はどうあれ自身の思うままに納得して人生を歩むのが最終的には幸せなんじゃないかと... まして他人と比較する必要はないね。


ウエスト・コースト・サウンドにロンドン仕込みのビートルズふりかけをまぶしてみると

2024年11月20日 | West Coast Rock

バンド自身でプロデュースされた1973年のアメリカの3枚目のアルバム、Hat Trickの売り上げが思った様に伸びす、翌年の4枚目のHolidayではジョージ・マーチンにプロデュースを依頼しロンドンでレコーディングされた。

出来上がったアルバムは、ビートルズの香り溢れるなんとも上品なアルバムに仕上がり、アルバムは全米3位、シングル・カットされたTin ManとLonly Peopleはそれぞれ4位と5位と大成功を納めた。

ちなみにジョージ・マーチンがプロデュースした主なミュージシャンと言えば、ビートルズやそのメンバーの作品を除くと主なところではアメリカ、ジェフ・ベックやチープ・トリックなどそれほど多くない。60年代にビートルズと共に築き上げた功績があまりにも偉大過ぎて、仕事を依頼しにくかったのかな….

ダメもとだったかは定かではないが、思い切って大物プロデューサーに仕事を依頼したアメリカの作戦勝ち。

アメリカの3人のメンバーに加えてドラムス担当のサポート・メンバーのラリー・ウィルコックスがジャケに初登場。


ロスでの一コマ

2024年10月15日 | West Coast Rock

一般的にロサンジェルスと言えばカリフォルニアのサンシャインに溢れ年中温暖な過ごし易い気候、そして近代的な高層ビル群やパームツリーが立ち並ぶブルバードや数多くの観光スポットなど魅力的な都市だ。大リーグ中継で見ていても感じられる良さげな環境。

ところがどっこい、関東平野と同じ面積で人口1000万にもなるロサンゼルス・カウンティーは場所によって随分と印象が異なる。郊外のミドル・アッパークラスの住む地域と人種の坩堝とも言える庶民の街、ダウン・タウン地区は完全に別物。

そんなダウンタウンの一コマを思い出させるのがジャクソン・ブラウンの1976年のアルバム、The Pretenderのジャケかな。

(ジャケの写真を囲うダーク・グレーの縁取りによって暗さ増し増し)

このアルバムの制作段階においてジャクソンの妻が自殺すると言う悲劇があって、その心苦しさを吐露する姿がアルバムの随所に窺える。

神よ、起こった事に対して吹っ切れず自身を偽って生きるこのPretenderをどうかお救いください。

ロサンジェルスの明るいイメージとは相反する苦悩に満ちたアルバムでした。


長〜いお付き合い

2024年10月11日 | West Coast Rock

1972年、ポコのリーダーだったリッチー・フューレイが自信を持って完成した5枚目のアルバム、A Good Feelin’ To Knowが米チャート69位と思ったよりも伸びずリッチーはかなりガッカリ。

そんな失意の状態の時、アセイラム・レーベルの社長デビッド・ゲフィンからSSWのJ. D. サウザーと元バーズとフライング・ブリトー・ブラザーズのベーシストだったクリス・ヒルマンらとの新規バンド結成のオファーが届いた。結局翌年の次作、Crazy Eyes制作後ポコを離れそのオファーを受けることに。

その事をメンバーには多分アルバム制作時にバンドが空中分解するのを避けようと考えたのだろうか、アルバム完成寸前までメンバーに打ち明けなかったそうな。

リーダーが去り残った4人のメンバーでその後どのように対応するか話し合い果敢にもバンド存続の結論を出した。そして完成したのが1974年の彼らの通算7枚目のアルバム、Sevenだった。

(レコード・ショップでは見かけなかったので、日本ではあまり売れない事を見越して当時日本盤はプレスされなかったかも? かなり後にレガシー・レーベルからCDで再発され、あまりの懐かしさに即購入)

そのCD音源を一聴して、基本的に作風はあまり変わっていないが何としてもバンドを存続させようとする力強さは伝わった。

1曲目のポール・コットンの作品からエンジン全開でハードな演奏をスタートさせコーラスもバッチリ。またティモシー・シュミットの作品、Just Call My Nameなんかは彼のAOR系の作風のイメージを覆すソリッドなアレンジで驚いた。

このアルバムは米チャートでは68位と伸び悩んだらしいが、従来からのファンは彼らの意気込みに対して応援しなくてはと思ったかも....

オン・タイムで聴いていなかったオイラもポール・コットンがバンドから脱退する前の2005年の最後のライブ・アルバム、Bareback At Big Skyまで長〜いお付き合い。

イーグルスよりも何故か応援したくなるバンドなんだね。


これじゃ無い!

2024年10月09日 | West Coast Rock

1979年スタジオ・アルバム、Long Runを出し翌年にライブ・アルバムと立て続けに作品を出したイーグルスはかっての爽やかな感じのウエスト・コースト風から翳りのあるサウンドへと徐々に変化していき、少々煮詰まった感もあったのか解散を決定。

その後各メンバーはソロ活動をしたり、他のアーティストのレコーディングなどに参加したりと活動を続ける。

中心メンバーだったグレン・フライはリラックスした感じのオールディーズ調の初のソロ・アルバム、No Fun Aloudを1982年に出し、80年代には更に2枚のスタジオ・アルバムを出した。

そして1992年には4枚目のソロ・アルバム、Strange Weatherではグレンはキーボード奏者のジェイ・オリバーと組んで殆どの楽器を操りアルバムを制作する。特徴としてはシンセを使った打ち込みサウンドが全編を覆うかっての面影はあまり感じられないAOR系のサウンドに様変わり。

イーグルス時代からのファンだった人は “これじゃ無い!” と見向きもされなかったのかアルバムはチャート・インせず営業的には失敗作となった。

Strange Weather、個人的にはそれほど悪くは無いと思うのだけれど。

打ち込みはグレンのイメージとは異なった感もあるが、やっぱり収録された15曲中5−6分超えが8曲とちょっと冗長気味でくどかったのか? もう少し短めに編集すれば印象は変わったかも…

その後再びイーグルスを再結成し1994年にスタジオとライブ音源が混じり合ったアルバム、Hell Freezes Overを出し復活を遂げる。

やっぱり、彼らはソロよりもバンドとして活動した方がよかったみたい。


イーグルスのライブ

2024年09月04日 | West Coast Rock

本日はイーグルスの超名盤、Hotel Californiaでも。と言っても今回のお目当ては2017年に出た40周年記念盤にボーナスとして収録されたライブ音源。

1976年10月のロス・エンジェルスでのライブ公演から10曲が収録されている。

ちなみにHotel Californiaのアルバムが発売される2ヶ月前のライブということで未だ世に出ていない新曲の演奏はスタジオ録音のそれに近く初々しさが感じられるが、個人的な注目ポイントは3枚目のアルバム、On The Borderからそれまでブートのライブ音源からしか聴く事の出来なかったJames Dean、Good Day In HellとAlready Goneの3曲が正規に収録されていること。

イーグルスのハードな面が楽しめる。


1986年、ジャクソン・ブラウン

2024年08月19日 | West Coast Rock

1986年の頃って何をしていたのかな?

あまり記憶がない。

調べてみると、ウクライナがまだソ連邦の一部だった頃で、チェルノブイリの原発で放射能が漏れた事故があった。それから38年経った今、ソ連が解体されその内のロシアとウクライナが戦果を交えているなんて当時一体誰が想像できただろうか?

さらにアメリカの大統領はロナルド·レーガンがその職についていて、宇宙を舞台にした戦いをするためスター・ウォーズ計画なるものがあった。

そんな緊迫した世界情勢で我が国ではバブル景気なるものが始まり浮かれ気分だったけ。

本日はジャクソン・ブラウンの1986年の作品、Lives In The Balanceでも。

80年代に突入してから時代の変化を感じ取り作風も70年代の内省的なフォーク・ロックからもう少しロックよりになったかな? また歌詞はこのアルバムからより政治的なものに変わった。ただ政治的な歌詞となるとそれをジャクソン・ブラウンに求めていないリスナーはやっぱり敬遠し、アメリカでは売り上げを落としたみたい。

ちなみに38年経った今、彼の歌詞と答え合わせをしてみると、相変わらず世界のどこかでドンパチやっていて何も変わっちゃいないね。


爆音の次には

2024年07月18日 | West Coast Rock

久々にジャクソン・ブラウンの1973年の2枚目のスタジオ・アルバム、For Everymanをターン・テーブルの上に。

爆音のハード・ロックを聴いた後はやっぱり癒しの曲に限る。

多分日々の苦悩や葛藤など内省的なことが歌われているのだろうが、英語が不得手なオイラとしてはそんな内容は関係なしにこの淡々とした穏やかな歌いっぷりに癒される。

発売当初に買った今手持ちの盤は初期のプレスのUS盤でその音質を割と気に入っていたのであるが、2曲目の途中に3発のプチ音が連続で入っていていい雰囲気がぶち壊し。

めぼしい傷は見当たらないのでプレス時に何か異物が混ざってしまったのだろうか?

それから50年、今ではプチ音なんか風流だねって脳内変換ができるオイラとなった。

まあ進化したと言うよりは劣化したってことですが...

いい曲ばっかり!


ポコのレガシー

2024年05月21日 | West Coast Rock

1982年MCAレーベルからアトランチック・レーベルに移籍したポコだったが、レコード会社とバンドの各々の目指す方向性に齟齬があったのか、特に1984年に出たアトランチックからの2作目、Inamorataでは70年代のカントリー・ロックの代表的なバンドとは思えないような作風だったし、売り上げも惨憺たる結果となった。

各メンバーはバンドから脱退し、ほぼ閉店休業という状態が続いていたのだったが、急に当時オリジナル・メンバーでポコ再結成なるニュースが飛び込む。

1969年のデビュー・アルバム、Pickin’ Up The Pieces当時のオリジナル・メンバーが集まり、さらに当時アルバム完成する直前にバンドから去ったランディー・メイズナーも参加!って本当に驚いたね。

元バァファロー・スプリングフィールド組のリッチー・フューレイとジム・メッシーナ、ペダル・スティール・ギターを弾くラスティー・ヤング、ドラムスのジョージ・グランサムにランディーが集結しポコ通算19作目のアルバム、Legacyが1989年にRCAレーベルから出た。

カントリー・ロック一辺倒ではなくメンバー個々が持ち寄ったバラードやAOR的な作品も収録され、かってのレガシーを受け継ぐ清涼感あふれる作品となった。

興味深かったのは、ランディー・メイズナーが歌った、Nothin’ To Hide(リチャード・マルクス作)。この曲がランディーがイーグス時代に歌ったパワー・バラード、Take It To The Limitによく似ていたのと、イーグルスにランディーと入れ替わって参加したティモシー・シュミットが今回のプロジェクトに参加しなかった事ですかね?さらにジムに変わってポコの参加しラスティーとバンドを長きに渡って支えてきたポール・コットンが何かの事情で参加出来なかったことは残念だった。

また特筆すべきは、今回集まったメンバーがデビュー・アルバムから唯一オリジナル・メンバーだったラスティーをリスペクトした形で、集まったメンバー達による主導権争いもなく和気藹々とアルバム制作されたように感じてなんともほっこりした気分に。

ラスティー、ポールそれにランディーが亡くなってしまった今思えば、この再結成プロジェクトがこのアルバム1枚で終了したのも非常に残念だった。

もう少し彼らのレガシーを味わいたかったね。


地味なバンドも聴いていく

2024年04月10日 | West Coast Rock

元ピュアー・プレイリー・リーグのクレイグ・フラー、元ブラッド、スウェット&ティアーズのスティーブ・カッツ、元ベルベット・アンダーグラウンドのダグ・ユールにSSWのエリック・カズらが合体して誕生したグループがアメリカン・フライヤー。

まあスーパー・グループと呼ぶには少々役者不足かもしれないが、彼らのデビュー・アルバムはジョージ・マーチンがプロデュースした1976年のセルフ・タイトル・アルバム、American Flyerだった。またそのアルバムにはエリックとリビー・タイタスの共作でリンダ・ロンシュタットがカバーしたLove Has No Prideも収録されていて、知る人ぞ知るって感じで当時音楽雑誌なんかで取り上げられていた記憶が… 結果、全米チャート80位と小ヒット。

本日はその翌年に出た彼らの第二作でもあり最終作となった、バンドとケン・フリーセンなる人物との共同プロデュースによるSprit Of A Womanでも。レコーディング・セッションにはリンダ・ロンシュタット、JDサウザー更にサックス奏者のボビー・キーら有名どころも参加したそうな。

ただ本作は残念ながらほとんど話題にも登らず、全米チャートも171位と大幅に後退してしまった。ちょうどその頃彼らを引っ張り出したユナイテッド・アーティスト・レーベルの社長が交代し、新社長からは以前よりサポートが受けられなかったこともその原因のひとつかも...

改めて聴いてみるとAOR路線の上質なフォーク・ロックでいい感じ。

ウエスト・コースト系のロックが好きなら気にいるかも。

 


爽やかウエスト・コースト・ロック

2024年04月05日 | West Coast Rock

ウエスト・コースト・ロックを象徴する爽やかさの見本とでも言うべきアルバムがこれ!

アメリカの1975年に出たGreatest Hits-History。

1972年のデビュー・アルバムから通算5枚目までのオリジナル・アルバムから選曲。しかもHolidayとHeartの2枚のアルバムをプロデュースしたジョージ・マーチンはこのベスト・アルバム制作において初期3作から選曲された曲も全てリミックスした事によって、アルバム全体に統一感がもたらされた。

アルバムは全米チャート3位だったが、アメリカだけで400万枚以上売れた大ヒット・アルバム。

これ聴きゃ、嫌なこと忘れて心癒されますよ。


ザ・シンガー

2024年03月10日 | West Coast Rock

リンダ・ロンシュタットはシンガー。

外部の作者の作品を彼女の優れた歌唱力でカバーする。

本日は彼女の1976年の6枚目のソロ・アルバム、Prisoner In Disguiseでも。

ニール・ヤング、ジェイムス・テイラー、ローウェル・ジョージ、スモーキー・ロビンソン、J.D.サウザー、ホランド・ドジャー・ホランド、ジミー・クリフにドリー・パートンらの有名どころの作品を曲をそつなく歌いこなす。

彼女の歌いっぷりとヒットのツボをしっかりと押さえたプロデューサーの意図がぴったり噛み合わさり、またベテラン・セッション・プレイヤーによる演奏も素晴らしく、特にアンドリュー・ゴールドの演奏における八面六臂の働きも見逃せない。

おかげでアルバムは売れに売れた。

カバー曲を提供した作者もウハウハだったのでは…