CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

衝撃の超ヘビー・ロック?

2020年10月31日 | AMERICAN ROCK/POPS

19世紀中頃南北戦争が終わった頃、稀代のアウトロー、ジェシー・ジェームスが世に出てくる。

その荒くれたそのイメージを拝借したのかどうか、ジョー・ウォルシュが在籍した事で有名なハード・ロック・バンド、ジェームズ・ギャングが69年にYer’Albumを携えてデビューを飾る。

3枚のスタジオ・アルバムを出し、満を持してかってクラシック・ミュージックの殿堂とも言われたニューヨークのカーネギー・ホールでのライブを敢行し、その実況録音盤Live In Concertが1971年に出た。

当時のレコードに封入されていたライナーには“頭をかきむしる、衝撃の超ヘビー・ロック”てな文言が踊っているが、衝撃の超ヘビー・ロックなんて今は昔、音圧重視の音が巷に溢れていて今時超ヘビーって言われても流石にピンとこない。

更に頭をかきむしるって動作も、高性能なフケ取りシャンプーが世に出てあまり見かけることは無くなった。

ところでこのバンド、ギター、ドラムスとベースのシンプルなトリオ編成であるが、曲によってはキーボード、ドラムスとベース、またはアコギ2本にベースと楽器編成を変えてライブを行っている。 まあトリオなので手が足りないってのもあるが、限られた人員で一本調子なライブにならないよう演奏形態に変化をつける工夫が中々面白い。

ヒット曲、Walk Away入って、またジェフ・ベック時代のヤード・バーズ時代の作品、Lost Womanは18分弱にわたる熱演。

イーグルスの連中とは同じ事務所で仲が良かったって事でイーグルスに加入したジョー・ウォルシュ。

もっと歴史的にみれば、ジョー・ウォルシュが在籍していた頃のジェームズ・ギャングの初期3枚のアルバムのプロデュースをしていたのが、グリン・ジョンズに変わって3枚目のアルバムの途中からイーグルスのプロデュースを引き受けたビル・シムジク。(このライブ盤ではプロデュースはジェームズ・ギャング自身で、ビルはエンジニアを引き受けている。)

道理で、イーグルスの芸風が初期のライトなカントリー・ロックからジワリとヘビーな方向に変わって行ったのも納得。


フュージョン・ミュージックへの誘い

2020年10月26日 | JAZZ・FUSION

60年代末から70年代初期よく聴いてきたハードやプログレ系バンドらの出す新譜にそれほど新鮮味を感じなくなった70年代の中頃、フュージョン・サウンドに飛びついた。

そのはじめの一歩が、私の拙い記憶では、多分私の兄貴が友人から借りてきたレコードからカセットにダビングしてよく聴いていたコレ!

1976年に発売されたジョージ・ベンソンのポップなアルバム、Breezin'。

(グラミー獲得、売り上げは3xプラチナでベンソンの最も売れたアルバム。RIAAマークのついた再発盤)

このアルバムはそれまでジャズなどを全く聴かず、またジョージ・ベンソンって誰?てな認識を持っていた私に喝を入れた。

それまでのロック・ギタリストの早弾きとは全く異なるスムーズなギター演奏に感動!

学生だった当時、期末テストに備えて一夜漬けの勉強を終えた際、まだ車も人通りの少ない早朝、よく実家の自動車を借りてベンソンの曲を聴きながら近所を一廻り。

早朝の肌寒さと軽快なギター・サウンドに爽快さを感じた。

そして思い出すのが当時の試験勉強のスタイル。

出席を取らない授業は、結構スキップしていた記憶が…. そこで一般的なテスト対策は大学通りの文房具屋で売っていた講義ノートにお世話になった。

誰が制作したのかは定かではないが実際の授業の内容が事細かに記載してあって、それを参考に担当教授が著作しバカ高い値段で買わされたハード・カバーの教科書を初めて読んで行く作業が一夜漬けの定番だった。

こんなことで単位が取れて卒業出来るのかと言えば、何事もなくトコロテンが押し出されるが如くいとも簡単に卒業。 

ただ、1年生と2年生の英語の授業全て“優”だったこの私が社会人になってから自腹で英会話学校に通うことに…

まあ当時の一般教養の英語の授業って非常勤講師が選定した英語小説をクラスの面々が順番に訳していく事なかれ的な内容だったし、訳本も大きな書店に行けば入手出来たので、ハッキリ言って“優”の評価をいただいてもなんの自慢にもならなかった。

卒業時はちょうどオイル・ショックの年で各企業は軒並み採用人員をカットした厳しい時であったが、そんな私でも何とかどさくさに紛れて社保完備の会社に就職できた古き良き時代だった。

それと比べると今の大学生、特に4年生はコロナのために厳しい来年度の就職戦線が控えていて、さらに大学のキャンパスの再開もいつになるやら。

メンタル的にかなりキツイのではないかと…

せめて心にBreezin'。

早く日本全土がコロナ禍の現状から解放されることを心から祈るのみです。

(1977年再発米盤、ジャズ系としては稀に見る大ヒット。)


80年代のネオなんちゃら

2020年10月24日 | BRITISH ROCK

1970年代中頃と言えばそれまでロック・ミュージックの主流であったハードやプログレ系のジャンルが新鮮味もなくマンネリ化してきた時期である。

そこに登場したのがセックス・ピストルズなるパンク・バンドでシンプルさや過激性を売りに登場し、1977年アルバム、Never Mind The Bollocks, Here's The Sex Pistolsでデビュー。

反体制的な歌詞で大きな注目を集めたのだが、あまりの過激さゆえ爆死。アルバム一枚を出して解散と短命に終わった。

ボーカルのジョニー・ロットンはあの有名な“ロックは死んだ”という言葉を残しバンドから脱退。

ハードやプログレ亡き後パンク以外ではディスコ・ミュージックが盛んとなり、夜な夜な各地のラウンジなどで盆踊り大会が開催されたった。

しかし70年代末期ごろになると、ポスト・パンクとしてポップ・ミュージックの新しい方向性を探るべく“ネオなんちゃら”ってジャンルが生まれ始める。

しかしこの手のジャンルはあまり詳しくはない。ロックが死んだ後フュージョン系に流れ、また80年代になって以前の様にレコードを買う事に興味を失ってしまった事も理由の一つ。

とは言え、我が家のレコード収納棚にも幾ばくかの“ネオなんちゃら”のレコード達が存在する。これらは私が買ったものではなく、多分当時私の兄弟が買ったものが紛れ込んでいたのではないかと。

では早速、“ネオなんちゃら”でも。

最初はネオ・ロマンチック派のABC。

ABCと言えば、私の年代なら、ABCを知っても、それだけ〜じゃ困りマス〜♪ なんていう教育系出版社のコマソンを思い出す。

1982年のデビュー・アルバム、The Lexicon Of Loveでブレイク。ルーツはロキシー・ミュージックだろうか? 同年代ではデュラン・デュラン辺りのサウンドでダンサブルな曲調が印象的。

お次は、ネオ・ロカビリーと呼ばれたストレイ・キャッツ。1981年イギリスでデビュー。ギター、ドラムスにウッド・ベースを加えたシンプルな三人組が80年代にレトロなロカビリー大会を開催するって感じですかね。

1982年に出たアメリカ初登場のアルバム、Built For Speed。イギリスで既に出された一枚目と二枚目のアルバムからの選曲プラス新曲のBuilt For Speedを加えたコンピ的なアルバム。

これ以外にも、レコードは持ってないけどネオ・アコなんてのもありましたっけ。

ところで“ネオなんちゃら”ってネオが付いていても私より下の世代の人から見れば、もう“ああ〜懐かしい”て感じるクラシック・ロックの域に入っちゃってるんですよね。

時の流れは早いもの。

60〜70年代のクラシック・ロックなんかばっかり聴いていると、

時代に取り残された化石人間って呼ばれちゃいそうで...

どぉ〜すりゃいいのさ、思案橋〜♪って口ずさんだりすれば、

“お前はもう死んでいる”って言われちゃいそうで...


秋の週末の夜の過ごし方

2020年10月23日 | JAZZ・FUSION

リラックス・モードの週末の金曜日、ジョー・サンプルで一杯。

ジャズ・クルセーダーズとは別のソロ・プロジェクトとしてトリオで録音された1969年のアルバム、Fancy Danceから数えて5枚目にあたる1981年のアルバム、Voices In The Rain。

いつもの華麗なピアノやエレピを中心としたメロディアスなインスト・ナンバーに加えて今回は女性ボーカルが入ったノリの良いラテン・タッチのBurnin’ Up The Carnivalとスキャット付きのShadowsの2曲が収録されている。

(このレコードは大昔シンガポールに住んでた時に買ったやつ。多分シンガポールでプレスされたのではないかと)

あの〜 水割りお願いします〜

焼酎しかないけど….

ウィスキーといきたいところだけど、 それでオーケー

グビッ、グビッ、グビッ、ウヒャー

てな事で秋の夜はさらに更け行く。


誰がB級やねん! その3

2020年10月22日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

70年代前半の頃と言えば英ハード・ロック黄金期。新しいバンドが続々。

本日は新鋭英ハード・ロック・バンド、Silverhead の1973年のセカンド・アルバム、16 And Savaged(アルバムの邦題は凶暴の美学)でも。

また16 And Savagedという曲がアルバムに個別に収録されていて、その邦題が “16才で犯されて”とこれまた少々過激な印象で当時このアルバムの購入に躊躇された紳士淑女のお方々も多かったのでは…

ジャケのデザインやリーダー格のボーカル、マイケル・デ・バレスから醸し出る妖気から何と無くグラム系のサウンドと想像するも、開けてビックリ、中身は英国の誇る純正ハード・ロック。

1曲目のHello New Yorkなんてキャッチーで凄くカッコ良い。

ただバンドはこの後当時日本限定で発売されたライブ・アルバムを出してあっけなく解散。

どの様な理由があったのか定かでは無いが、やっぱりアルバムの売れ行きに問題があったのだろう。

その理由としてバックの演奏が迫力にかけマイケル・デ・バレスの個性あるボーカルを生かしきれなかったのでは無いかと…

特にリズム・セクションが軽すぎ! もっとヘビーなサウンドで勝負しても良かったかな?

で、私の最終評価は、

あのディープ・パープルが所属するパープル・レコードからの発売は期待度満点のA級レベル + ハードさが足りぬプロデュースは C級評価 = B級となり、ここで巷の意見と一致する。

(日本は東芝がオデオン・レーベルから発売、当時結構プロモーションに力を入れていたこともあって日本では人気が結構あったそうな...)

Silverhead:誰がB級やねん! 毎度適当な事言って、このトウシロが!

どうもすいません。


秋の夜長はハードで行こう!

2020年10月21日 | AMERICAN ROCK/POPS

女性ハード・ロッカーのパイオニアといえばこのお方、スージー・クアトロ嬢。

ラジオでオン・エヤーされたCan The Canを初めて聴いた時はぶっ飛んだ。

ガールズ・バンドからスタートし、当時アメリカを訪問していたジェフ・ベックのマネージャーだったミッキー・モストから高い評価を受けたことで、彼を頼って渡英し1972年デビュー。

ファースト・シングルは空振りに終わったが、翌年のハード・ロック路線転向でのシングル第二弾Can The Canでブレイク。

(サデスティック・ロックの女王てな邦題で登場したLP。レザーのツナギの衣装から単純に妄想した様なタイトルで、なんと無く思慮不足って感じで残念!)

その後数年にわたってシングル・ヒット連発も、なぜか母国アメリカでの人気はイマイチだった。

確かにビートの効いたアップ・テンポな曲に於けるテンションの高いシャウトは彼女の最大の魅力と言えるが、それ一辺倒では単調でリスナーとして辛いものがある。

同じハードでもゆったり目のバラード系の曲をアルバムに織り交ぜればもっと充実したものになったのではないかと思える。

そしてCan The Canに続くシングル第三弾、48 Crashもキャッチーで破壊力抜群! 

一度聴いたら忘れない。

50年近く時が過ぎ去ろうとする今でも仏教のマントラの様に、48 Crash, 48 Crash, 48 Crash, 48 Crash チ〜ンと心の中で響き渡る。

 

そう言えば、あのお方も当時ジリ貧でアメリカから渡英し大ブレイクした様な….

地味変:呼んだ?


秋の夜長に聴く一枚

2020年10月20日 | PROG ROCK

夕方5時を過ぎた頃にはあたりが暗くなり始め、気温もグッと下がって過ごしやすくなる秋の夜長にはこれですかね?

キング・クリムゾンの1971年に出た四枚目のアルバム、Islands。

ジャズやクラシック風味豊かな曲調で、全編比較的大人しめの構成で制作されたプログレ・ロック。それにかぶさるボズ・バレルのボーカルはやや控えめなながらも透明感を感じさせ、聴き手に安らぎを与える。

出来上がったアルバムはクリムゾンの中ではまだ方向性が定まらない過渡期の結構抑制的な作品ではないかと….

その反動がライブ・ツアーを収録したアルバム、Earthboundでの各メンバーの弾けっぷりに表れているような。

個人的にはコレ何度も繰り返し聴いてみると妙にツボにハマる不思議なアルバムで、攻撃的な曲も無く静かな秋の夜長をまったり過ごすにはうってつけです。

と解ったような、そうでないような独り言をつぶやいてみる。

1980年の再発日本盤、あまり夜遅くにSong Of The GullsやIslands聴いているとつい寝落ちしてしまう今日この頃。


渋〜い一枚

2020年10月19日 | AMERICAN ROCK/POPS

おいらは風来坊、誰にも縛られず自分のやりたい様にやるだけさ。

てな雰囲気漂うデイブ・メイソン。

トラフィックのセカンド・アルバム収録のFeelin’Alightでヒットをかっ飛ばしたもののバンドから脱退。その後1971年のライブ盤で一時出戻り即脱退。

トラフィックのもう一枚の看板だったスティービー・ウィンウッドとの相性が、両雄並び立たずとよく言われる様に良くなかったのだろうか?

もっとアメリカン・ルーツに根差した音楽活動として、デラニー・アンド・ボニーやデレク・アンド・ドミノスらのライブなどに参加。

さらにはジミヘン、ストーンズ、ジョージ・ハリソン、ポール・マッカートニー、エリック・クラプトン、クロスビー・アンド・ナッシュ、レオン・ラッセルそしてマイケル・ジャクソンなど数多くのアーティストのアルバム・セッションに神出鬼没の如く登場。

それに並行して自分でやるしかないとソロ活動も開始。

本作、It's Like You Never Left(忘れえぬ人)は、前所属のブルーサム・レーベルから心機一転し1973年のCBS移籍第一弾のアルバム。

(かっ、火事? ギターから煙が〜! 昔よう流行りましたね、弦に火を点けたタバコ挟むやつ)

確かにヒット・チャートを賑わす様なキャッチーな曲はないが、R&B、ソウル、フォークやブルースなど様々なジャンルのアメリカン・ミュージックを心地よく楽しませてくれる。

私的には、渋く哀愁漂う好アルバムであります。まあ少々地味だけど…

地味変:呼んだ?

呼んでません、あんたは忘れうる人!

(1973年発売の日本盤。)


思い出の一枚

2020年10月17日 | JAPANESE

先日中古屋さんで仕入れてきた。

レコード陳列棚で一際目を惹く黄色いジャケ。1987年に出た長渕剛の10枚目のオリジナル・アルバム、License。

今思えば歌詞に関して個人的に若干くさいって感じる箇所もあるにはあるが、概ね肯定的に受け入れられ更に日本語で歌われている故心にストンと落とし込むことが出来る。

またメロディーや本人の歌唱も割とシンプルかつストレートな作風であまり作り込み過ぎていないところに好感が持てる。

その昔、このアルバム、カセットで持っていてよく車の中で聴いた。ちょうどこの頃、前の会社を退職し新たなる方向に舵を切った頃で海外在住だった身もあって不安で一杯だった。

運転中に感情移入して一緒に歌えたことが、当時の新しい仕事に於ける精神的プレッシャーを幾分和らげる事に役立ったのではないかと。

カセットは音質劣化のためその後廃棄処分、つい先日その中古レコードに偶然遭遇。お値段税込で330円で、ほとんど聴かれてなかったのかジャケも盤もコンディション上々。

あれからそして先日30余年風のように過ぎ去ったが、メロディーは全曲覚えていて歌詞も所々一緒に歌えるぐらいに自然に口から流れ出てくる。

特に自伝的なタイトル曲のLicense、和風スプリングスティーンのような雰囲気を醸し出していてなかなか渋くてよろし気な …

親元を離れ 戸惑いながら月日は流れていった

薄汚れた都会のベランダから 見えない海を眺めた

俺は初めて 親父やお袋をたまらなく愛した

取ったばかりのカーライセンス

明日 羽田に迎えに行く〜♪

 

あまり親孝行出来なかった私としては本当泣かせる歌詞であります。


そんなん言われても、知らんがな〜

2020年10月16日 | CSN&Y

ネットのニュースによると、元バーズやCSN&Yのメンバーだったデビッド・クロスビーに対してバン・ヘイレンのファンから苦情が殺到したそうな。

あるファンがクロスビーにバン・ヘイレンの音楽的な才能について質問され、彼はMeh(別に)ってそっけなく答えてしまい、SNSなどで尊敬の念が無いとか憐れみの心を持っていないなどとこっ酷く叩かれた。

またジミー・ヘンドリックスがギターの世界を変えたのであって、バン・ヘイレンはNot For Meとも言ってしまい油を注いでしまった。

その後さらなる炎上を抑えるため、クロスビーはMehって言ったのは確かにクールじゃなかったと謝罪。

そしてエドワード・バン・ヘイレンが亡くなったことはその時点で知らなかった、またそもそも彼らとは活動するリーグとは全く違うことから、それほど関心を持っていなかったなどと釈明をしたらしい。

60年代半ば頃からクロスビーはバーズに在籍しビートルズなんかも結構影響を受けていたとされるフォーク・ロックをなるものを広め、後にスティーブン・スティルス、グラハム・ナッシュとニール・ヤングらとスーパー・グループ、CSN&Yを結成しそれを更に進化させ、非常に大きな影響をロック界に与えたと思う。

てなことで、本日はクロスビーのロック界での長年の偉業を称えるため、CS&Nの1969年のデビュー・アルバムでも。

(仲良し三人組。でもないか?)

1曲目のJudy Blue Eyes(青い目のジュディ)でぶっ飛びますね。ごまかしの効かないアコースティックの演奏をバックに革新的かつ圧倒的なコーラス・ワーク。続くMarrakesh Express(マラケッシュ急行)やサイドー2の1曲目Wooden Ship(木の舟)などなど聴き処満載。

バン・ヘイレンは確かに偉大なハードロック・バンドだけれど、彼らがバン・ヘイレンと名乗り活動をし始めた14−5年前から既に第一線で活動してきた人に対して個人的な事情をよく分からずに集中砲火を浴びせるのもリスペクトが感じられなく、何だかな〜…

私なら、そんなん言われても、知らんがな〜 って言っちゃうかも。

出来るなら天国にいるジミー・ヘンドリックスにどう思うか聞いてみたい気もする。

地味変:呼んだ?

お呼びでない!

(1971年、再発UK盤です。)


サンタナ・デビュー

2020年10月14日 | AMERICAN ROCK/POPS

60年代末頃、ビル・グラハムがオーナーのサンフランシスコ・フィルモアのお抱えバンドとしてライブ活動に励んでいたサンタナ・バンド。

いくら実力あったとしてもまだレコード・デビューもしていないローカル・バンドが1969年8月、ウッドストック・フェスの40万人の大観衆が集まった大舞台でまさか他の大物アーティストを喰ったと語られるすざましいライブを繰り広げた。

お陰でそのすぐ後に出た彼らのデビュー・アルバム、Santanaは大ヒット。

ブルース・ロックにアフロとラテンを融合させたその作風は新鮮だった。

中々よろし〜

(レコードはCBS/SONY設立10周年を記念した再発廉価盤、お値段1500円でした。)


昭和は遠くになりにけり

2020年10月13日 | JAPANESE

昨日、1960年代後半からから数十年にもわたって活躍された、作曲家の超大物、筒美京平氏が亡くなられた。

歌謡曲はもとより、演歌やアニソンなどなんでもござれでヒット曲量産、加えて編曲も手掛けるマルチな才能は凄い以外の言葉が思いつかない。それゆえ、筒美京平複数人説なんてのもあったそうな…

個人的には氏の歌謡ポップ路線が特に好みだ。

それまでのグループ・サウンズによる日本語で歌われた洋楽カバーを進化させたかのような、洋楽風のリズムやメロディーを歌謡曲に落とし込み泥臭さを抑えた作風は爽やかさを感じさせる。

助手:博士、こんなの発見しました。

博士:オォ〜! これは1971年ごろに出た南沙織さんのデビュー・アルバム、17才ではないか。懐かしいのう〜 

(いつ購入したのか記憶にないのだが、シングル・ジャケット仕様なのでデビューから数年後再発されたものを買ったようだ)

助手:サイド-Aの有馬三恵子/筒美京平のオリジナル6曲の対になるのが、サイドーBが洋楽の名曲カバーです。

(カントリー・ポップのローズ・ガーデン、フレンチ・ポップのそよ風に乗ってとオー・シャンゼリゼ、フィル・スペクターの娘ロニーがリードをとるロネッツのビー・マイ・ベイビー、英ポップ・バンドのカプリコーンのハロー・リバプールに千昌夫のカミさんだったジョーン・シェパードの歌うサマー・クリエーションの6曲)

博士:彼女はバイリンガルってことで洋楽ポップスを英語でさらりとカバーし、洋楽ポップスもこなせる事で当時の他のアイドルとは一線を画す魅力があったと思っておる。

助手:彼女だから出来る洋楽カバーをアルバムに混在させてもそれほど違和感を感じさせないってことは、筒美氏の作曲レベルが高いって事ですね。

博士:その通りじゃ。

ところで、昨日夕刻散髪屋に行ってきたんじゃが、店内に流れる音楽は今流行りのJポップ。 

メロディーはやたら低音ビートの効いたアレンジで少々不明瞭の上、一体何を歌ってたの?とツッコミを入れたくなるような歌い回し。

むむ〜

まあ、時代についていけない冴えないおっさんの僻みかも知れないけどね。

ところで青春モノもので憎めない脇役を務められた森川正太氏もお亡くなりになったそうで、昭和は更に遠くになりにけりってところですかね。


ロックの殿堂、2020

2020年10月12日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

い先日Rock & Roll Hall Of Fameの2020年受賞が発表された。

今年アーティスト部門では5組選ばれたそうですが、その中で我が全日本クラシック・ロック聴くだけ友の会の70年代部門で推薦リストに入っているグループ、ドゥービー・ブラザーズとT.レックスが遂に選出!

特にドゥービーズが今まで選出されなかったことが、ずっと由々しき問題だと思っていたが、今回選ばれたことでその憤りもは少しは収まったかと…

ただ、T.レックスの場合はアメリカでは大成功したとは言えないので、そんなものかとは思ってはいたが、それでも歴代の受賞者と比較するとやっぱり遅かったと個人的には感じる…

それはさておき、今宵は殿堂入りのお祝いを兼ねて、T.レックスのベスト盤でも。

(2016年、英Demon Recordsから出た編集ベスト盤)

リスナーの記憶に残るようなギター・リフやシンプルなフレーズの繰り返しの手法などが使われていて、また飽きのこないようにどの曲も比較的短く2から3分程度の長さに編集されている。

英シングル・ヒットの王様ですかね。

助手:ついに殿堂入りかですね。いや〜 少々遅かった気はしますが喜ばしいことですね。

博士:ワシなんか、40数年前にすでに何度も殿堂入りを果たしておる! キリッ

助手:えっ! 本当ですか?

 

いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。

本日お足元の悪い中、娯楽の殿堂!当ホールにご来店いただきまことにありがとう御座います。

どちらのお客様も、日頃鍛えたその腕と粘りそして根性を発揮していただき、ドンドンバリバリお出しくださいませ!


誰がB級やねん! その2

2020年10月09日 | BRITISH ROCK

英ハードロック・バンド、Heavy Metal Kidsの1974年のアトランティック・レーベルから出たデビュー・アルバムがこれ。

(ヘビー・メタルといっても後のヘビ・メタの意ではなく、バンド名のHeavy Metal Kidsの由来はある小説からの引用らしい。)

その後数枚のアルバムを出して80年代に活動停止。21世紀になって再結成され活動しているとのことだが、Heavy Metal Kidsとしてはやっぱり1985年に亡くなったボーカルがゲイリー・ホルトンの時代がキモですかね。

人によって好みの別れるところだが、個性ある嗄れた声でストレートにシャウトするロック・ボーカルが心地よい。個人的には何度聴いても飽きがこない。

特に初期のレオ・セイヤーを彷彿させる物悲しい雰囲気を漂わせるスロー・バラード、It’s The Sameのような曲でその特性を発揮されるのではないかと…

このデビュー・アルバムは注目を浴びたもののヒットには至らなかった。だが、単にB級バンドと短絡的に判断するのも如何なものかと。

このアルバムはジャガーズのカバー、キサナドゥの伝説やカーナービーツのカバー、オーケーなど60年代にヒットさせたデイブ・ディー・グループのデイブ・ディーがプロデュースした。

デイブ・ディーといえば、当時バンド活動を終えてアトランティック・レーベルのA&Rマネージャーに就任し、AC/DC、ボニーMやゲイリー・ニューマンらを発掘した人物だった。その彼が見込んだHeavy Metal Kidsは当然Zeppも所属したメジャー・レーベルと契約するぐらい将来期待された存在だったことは間違いない。

セカンド・アルバムの制作において、デビュー・アルバムで集めた注目度をさらにブーストさせるための方向性を見失った事が原因でブレーク出来なかったのではと個人的に思う。

私の最終評価は、

A級レベルのアトランティックとの契約 + 第二段ブースター点火失敗によるC級評価 = B級となり、ここで巷の意見と一致する。

Heavy Metal Kids:誰がB級やねん! 毎度適当な事言って、このトウシロが!

どうもすいません。


コレクター泣かせの再発盤、メイン・コース

2020年10月08日 | AMERICAN ROCK/POPS

ビー・ジーズはビートルズの生みの親ブライアン・エプスタインの命を受けオーストラリアに飛んだ新米社員ロバート・スティッグウッドとの契約によって世界デビュー。レコードはポリドール(アメリカではアトランティック・レーベルの子会社だったATCO)から出た。

そして1973年 にマネージャー兼プロデューサーだったロバートスティッグウッドが立ち上げた赤べこを模したと言われるデザインのRSOレーベルに移籍。

80年代になって、ロバート・スティッグウッドと金銭面で揉めて訴訟となりレーベルから離脱、そして1987年には心機一転ワーナーに移籍。残念ながらワーナー時代の3部作はそれまでの勢いをなくし、再度ユニバーサル系ポリドールに出戻ることとなる。

弟のモーリスが物故したことから活動停止していたところ、2006年にワーナー系のリプリーズから旧譜が再発されることに。

(お陰でもう再発はされることは無いと思っていた1969年の名盤Odessaが、オリジナルのベルベット仕上げのジャケを模した三枚組のCDボックスで2009年に再発されコレクターを喜ばせた。)

少し前に海外のネット・ショップから案内のメイルが入り、ビー・ジーズのレコードが一部再発されたとの事。その写真を見るとパープル・カラーのレーベル。これは一体?と思い調べてみると何と2016年にビー・ジーズの旧譜の発売をユニバーサル系EMIの米子会社キャピトルと契約したのこと。

今回ビー・ジーズの1975年のMAIN COURSEが再発されたのでいつもの悪い癖発動!ついポチっしまった。

かってのイージー・リスニング調のフォーク・ロック路線からの転換ということで当時流行りのR&Bやディスコ路線に切り替え流試行錯誤をし、それをさらに磨きをかけたところアメリカで大ヒットしたアルバムで結構気に入っている。

助手:博士! またまたの無駄遣いおめでとう御座います。

博士:これはレーベルが変わっての再発じゃ! 将来きっと価値が上がるから心配しない!

助手:それって、いつものJive Talkin’(与太話)ですかね〜?

Ja Ja Ja Jave Talkin'〜 ♪