CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

HMロックと言えば、やっぱりこのお方達

2020年05月31日 | BRITISH ROCK

Wikiをチラ見すると、1969年に母体となるバンドが結成され、その後ジューダス・プリーストとバンド名を変更し、1974年マイナー・レーベルからデビュー・アルバム出す。

その後、芸風をハードからへヴィー・メタルに変えてゆき、名声を高め80年代にはバンド名のごとくまさにHMロックの教祖となる。

下積みが長かった分、年季の入ったサウンドはまさにHMロック界の老舗とも言える。

ハードとHMの区別となると色々諸説あるが、ブルースに電気的増幅効果を使って音を重くしたのがハード・ロックであって、HMはその延長としてさらにギターのカッティング数を増やし音と音の隙間を少なくする事で音源の重さを増やすとか、ボーカルのキンキン響くスクリーミングなんてイメージを持っている。

もちろんバラード系の曲もあるがスピード系の曲は具体的にはディープ・パープルのライブ・アルバム、Made In Japanに収録されたHighway Starをギア・アップしたような印象かな?

まあ個人的な思い込みはさておき、本日は彼らの頂点とも言えるアルバム、1982年の8枚目のスタジオ・アルバム、Screaming For Vengeance。

車にCDを積み込んで高速道路のランプ・ウェイ辺りからレッツ、ミュージック スタート。

博士:Electric Eyeを聴きながら加速し本線に合流。さらにRiding On The Windで追越車線に侵入し遅い車を次々と抜き去り、バラッド曲の頃には巡航速度に落ち着くてな走り方して見たいのう〜

助手:博士!それってチート無理筋のお話じゃ… だってホンダの原付じゃ高速走れませんから!

博士:そうじゃった、そうじゃった。しからば、カラオケでジューダスでも。

助手:あぁ〜 博士! 小指をピンと立ててマイク握っちゃ! それに指なしの手袋はめなきゃ。

博士:革のやつがないので、軍手でオケ?

助手:Screaming〜 Ah〜 ♪♪

今から40年ほど前、海外に住んでいたとき買った英盤。あの時ワシも若かった〜


ラテン・ロックと言えば、やっぱりこのお方達

2020年05月30日 | AMERICAN ROCK/POPS

デビュー・アルバムを引っさげてあのウッドストック・フェスに登場!

1969年のサンタナのデビュー・アルバムは、フェス参加の相乗効果もあってか全米4位を飾る大ヒット・アルバムとなる。

アルバムから二枚目のシングルとしてカットされたEvil Wayも8位と大ヒット。

一躍ラテン・ロックなる新たなカテゴリーのパイオニアとして頂点に立つわけでして…

博士:まあ多民族国家であるアメリカの場合、 遥か昔から数多くのヒスパニック系の移民が海を越え、また陸からもやってきて定住してきた歴史があるからのう〜 やっぱり、彼らがこの手の曲を聴くと血湧き肉躍ると言うか、勝手に体が動いてしまう。ポッと出て一夜にして人気が出るのはそのような下地が形成されていたかも知れん。

助手:日本の場合は、ラテン・ミュージックと言うとそれ専門の歌手や楽団は存在したが全体的に見ればマイナーだったわけで、大衆に認知されだしたのはムード歌謡グループがラテン・ミュージックの香り漂う歌謡曲を歌い出してからですかね?

博士:そう言えば昔々小指を立ててマイクを握り訳もわからず、コモエスタ、セニョリ〜タ〜♪なんてよく歌ったもんじゃ。

一般的な日本人がサンタナの曲が心に響いたのは、やっぱウッドストックじゃなくてDel Corazon〜♪あたりではなかったかのう….

(1977年の国内再発廉価盤、千五百円!って事で、我が家のラテン・ロック普及は一般家庭よりもかなり遅れていたと言える。私祈ってます〜とかあの〜街角〜♪のハッピー&ブルーじゃサンタナにつながらないってば!)

助手:あぁ〜 博士! もっと小指をピンと立ててマイク持たなきゃ!


カントリー・ロックと言えば、やっぱりこのお方達

2020年05月29日 | West Coast Rock

1970年のポコのセカンド・アルバム、Poco(通称オレンジ・ポコとも)。ランディー・メイズナーの脱退(クビ?)によって、新しいベーシスト、ティモシー・シュミットが加入し制作されたアルバム。

 

初期の代表曲、You Better Think Twice や18分に及ぶ大作、Nobody’s Fool/El Tonto De Nadie,Regresa(ちょっと意味不明のタイトルで、少々中弛みは感じないでも無いが、このプログレ・スタイルのカントリー・ロックとでも呼べば良いのだろうか、意欲作には間違いない)などが収録されたカントリー・ロックにおける重要な存在のアルバム。

1973年再発のUS盤、オレンジエピックのレーベル

このアルバムのさらに凄いところは、何気にティモシー・シュミットの直筆オートグラフがジャケ裏に!


腑抜けの昼寝会社員参上!

2020年05月28日 | JAZZ・FUSION

電車通勤になり早4日目。

ようやく以前のルーティーンに慣れてきたところ。

とは言え、テレワークの場合は通勤しなくて良いので朝9時までPCの前に鎮座していれば良いわけである。また小さい会社なので、テレワークといっても今流行りのZoomなんぞ使って会議するってこともなかったので、結構余裕。

しかしいざ通勤復活となると現実は小一時間を朝の通勤に取られることになり、今までの様にちょっと夜更かしなんかしでかすと朝体がついていかない。

ただ、コロナの影響で以前と比べると仕事のボリュームもダウン。それ故余計にウトウトしてしまいそうな。

これなんかバックでプレイされるとそのまま寝入っちゃうかも。

1977年のマイケル・フランクスの三枚目のスタジオ・アルバム、Sleeping Gypsy。

演奏はおなじみクルセイダーズのジョー・サンプル、ウイルトン・フェルダーやラリー・カールトンの面々に、デビッド・サンボーンやマイケル・ブレッカーらセッション猛者たちが集う。

かっちりしたバックの演奏とマイケルの少々頼りない空中浮遊ボーカルが何故か不思議とマッチしている。

博士:君! いくら暇だからといって仕事中に居眠りはダメじゃ!

助手:でも博士、このアルバム、スリーピング・ジプシーってタイトルでしょ?

博士:だから、どうだって言うの?

助手:その心は、スリーピング・ジプシー、スリーピング・ジムシー、スリーピング・ジムショー、スリーピング事務所、バンザイ〜

アントニオの歌、名曲でおます。


緑の使者参上!

2020年05月24日 | JAZZ・FUSION

これまでは週1−2の間隔で会社に車で出勤しそれ以外は自宅でテレ・ワークしてきたけど、明日からは電車で通ってみようと思う。

もちろん細心の注意を払ってですが。

外出時はマスク着用、石鹸液やアルコール・ジェルによるこまめな手洗い、イソジンでのうがいにリステリンを使って口腔内洗浄などなど。

今や外出自粛期間に習慣化されたルーティーンがどれか一つでも欠けると、多分多くの人たちが何かしらムズムズ感を…

そんなあなたお届けしたいのが緑の使者からのメッセージ。

クルセイダーズのキーボード奏者、ジョー・サンプルが1978年に出したソロアルバム、Rainbow Seeker。

当時はディスコやパンクなんかが台頭してきてハードロックは何処へと嘆いていた。

そんな時に飛びついたのが、クロス・オーバーとかフュージョンと呼ばれたジャンルでしたね。

よく聴きました。

本日再び登場! 

日本全土に早く緑のシグナルを行き渡らせて欲しい。


瑞々しい朝を迎えるために

2020年05月22日 | S&G and etc.

コロナ・ウイルス感染者数もここのところぐっと減って来てあと一息。

明日は週末の土曜日。

なんとなく心に余裕ってものが感じられ、明日の朝は久し振りに瑞々しい朝を迎えられるのではないか。

そんな時前祝いとして取り出しましたるが、サイモンとガーファンクルの1964年のメジャー・デビュー・アルバム、Wednesday Morning, 3AM。

(日本盤のジャケ裏、ニューヨークの地下鉄は真夜中でも運行)

スッキリした男性デュオのボーカルにアコースティック・ギターとダブル・ベースの伴奏とシンプルな佇まい。

(シンプルな出立ちのデュオ、ホント飾りっ気なし!)

いまいちインパクトがなかったのか、セール的には惨敗。失意のポールはイギリスへと旅立ち、アートは大学に戻ることになった。

しかしプロデューサー独断によって制作されたSound Of Silenceのエレキによるフォーク・ロック・バージョンがまさかの大ヒット!

彼らは一躍スターとなり、このアルバムも再評価され数年後チャート・インすることとなる。

でも真夜中に音量を絞って聴くならば、エレキ・バージョンよりこのフォーク・バージョンがオススメ。

し〜んとした空間になんとも温かみのある音が彼方から聞こえてくる感じがなかなかよろし〜

懐かしきトラッド・フォークの数々、ご賞味あれ!


世の中お金がないとね〜

2020年05月17日 | AMERICAN ROCK/POPS

のっけのBack Together Againから黒人ボーカル・グループと見紛う雰囲気のソウル・アルバム。後半若干ロックンが登場するけど。

ホール・アンド・オーツのアトランチック時代から数えて通算5枚目で前作同様クリストファー・ボンド・プロデュースのオリジナル・アルバム、Bigger Than Both Of UsがRCAレーベルから1976年に登場。

実は彼らの作品はデビッド・フォースターがプロデュースしたニュー・ポップ路線の次々作からレコードを買い始めたのだが、後年ブルー・アイド・ソウル路線が売りだった時代のものを聴いてみるとコレが中々よろし〜わけで。

You're rich girl and you've gone too far

君はリッチな娘、手の届かない所に行っちゃった

'Cause you know it don't matter anyway

とにかくそんなの気にしないみたいだからね・

You can rely on the old man's money

だって、奴の金に頼れるから

You can rely on the old man's money

奴の金に頼れるから

It's a bitch girl but it's gone too far

ちょっとアバズレだったけど、手の届かない所に行っちゃった

'Cause you know it don't matter anyway

まあそんなの気にしないみたいだからね

Say money, money won't get you too far

金でそうなったんじゃないって!

Get you too far

そうなったんじゃ…

 

シングル・カットされ全米1位に輝いたRich Girlの一節の素人超訳。

まあ世の中金じゃないって綺麗事言うけど、やっぱりお金だって事がヒシヒシと感じられる恨み節。

ところで特別給付金の10万円っていつ貰えるのかな?

貰ったら久々に外でたこ焼き食って、散髪屋に行って、それから通販でバーゲン価格で1枚レコードでも買ってみようかな?ってRich Girlとは多分桁が違ってしょぼい支出計画ではあるがちょっとニンマリ。

(1982年の再発廉価盤、お値段千八百円でした。)

あの〜 申請書出さないと貰えないよ。

えっ!申請書って?


トム・ペティー・フリーク増殖計画

2020年05月16日 | AMERICAN ROCK/POPS

緊急事態宣言の解除地域に居住していないので、まだまだモヤモヤした気持ちではあるが、毎日ネットのサイトに上がる感染者数が減っていくのを見るとあと少しですかね。

本日は雨模様。

このどんよりとした雰囲気は好みじゃないけれど、今回恵みの雨というべきか、この際空気中に浮遊する全ての有害ウイルスを雨で地面に叩き落としていただきたく。

朝からゆくあてもなく暇を持て余し、しからば最近お無沙汰音源でもとCD収納棚をしばしガサゴソ。

ありました〜! 本日はトム・ペティー。

彼の1993年に出たCD、Greatest Hitsでも。

1976年のTom Petty & The Heartbreakersデビューからソロ・アルバムを含む1993年迄の活動期における主要な曲、全19曲が収録されている。

なんでも累積売り上げがアメリカだけで1200万枚以上と言うから“凄い!” の一言。

後にレーベル移籍後、数曲を入れ替えてGreatest Hitsのタイトルで再発されたり、2017年お亡くなりになられた後、アンソロジー物のCDや過去のオリジナルLPなども発売されたが、活きの良かった若き日のトム・ペティーを堪能するとなるとやっぱりこのアルバムとなる。

残念ながらこのお方、前述通りアメリカでは超人気ミュージシャンなのだが、日本ではそうでもない。

彼の独特の歌い回しとか声の質に地味さを感じるのかね〜 個人的には渋いと感じるのだが…

アメリカン・ロックを聴いてみよう〜友の会の末席を預かる年配者としては“ぜひ今一度聴いて頂きたい!”の一言。

もしかして聴かず嫌いだったかも。

取り敢えずこのCDを聴いてピピッとくれば単品を購入し、さらにビビッとなればシリーズを揃えていただく。

そして、ここにトム・ペティー・フリーク一名様御誕生〜!と相成る。

なん〜ていくわけないか。

雨の日の妄想でした。


チェックのシャツ着た魔術師だってば

2020年05月15日 | BRITISH ROCK

ロリー・ギャラガーのライブアルバム、Check Shirt Wizard Live In '77。

ロジャー・グローバーがプロデュースしたハード・ロック路線の前作、Calling Card発売の翌年のツアーから収録された。

ギンギンにギター弾きまくっています。

高校時代のクラス・メートが、TattoやIrish Tour 1974なんかを褒めちぎっていたのだが、当時はロリーって誰よ?て感じでまだそこまで手を広げていなかったのと、受験の年だったのでついに聴かず仕舞いだった。

それから数年経って、ようやく手にした初めてのロリーのアルバムがCalling Card。

てな訳でずっと前から気になっていたCD、ついにポチッといきました。

本日届いて今聴いている最中。

非常によろし〜

あれからかなりの年月が過ぎ去ったけれど、渋〜いロック通だった彼は元気にしてるだろうか? きっとこれを買って聴いていると思う。

オォ〜! 2枚目のCDはのっけからアコースティック・ブルースやってるじゃん。

チェックのシャツ着た魔術師、これまた非常によろし〜

トランクス・スタイルのチェックの柄パン履いておるワシとはどえらい違いじゃのう。


古いプロテスト・ソングでも

2020年05月11日 | AMERICAN ROCK/POPS

60年代から70年代初めにかけて政治的抗議のメッセージを歌にしたプロテスト・ソングなるものが盛んに歌われた。

その頃はまだ幼稚園から小学校に通った時代だったので当時の世情なんて全く理解できていなかったし、70年の激しかった安保闘争が終結するといつのまにかどこかへと霧散してしまった記憶が。

そのプロテスト・ソングを今一度。

We shall overcome, We shall overcome

We shall overcome someday

Oh deep in my heart I do believe

We shall overcome someday

日本では“勝利を我らに”と呼ばれ、元歌は黒人霊歌だったのをフォーク・シンガーのピート・シガーらがプロテスト・ソングとして生まれ変わらせ世に広めた。

これを聴いて今の心境は、早くコロナに打ち勝ってまた今までの生活を取り戻したいって感じですかね。

本当、

I do believe

We shall overcome someday

です。

ジョーン・バエズの1967年5月、ちょうど今から53年前のイタリアでのライブ

ギター1本とソプラノ・ボイスで聴衆を魅了

日本公演の後だったことから、ディランの“風に吹かれて”をイタリアの聴衆の前で日本語で披露

サイドー2の5曲めにWe shall overcome登場!


ケチャップ、ドバドバドバ

2020年05月10日 | PROG ROCK

ギァ〜! 目玉焼きにチョッピリかけようと思ったケチャップがドバドバドバと、その跳ねっ返りが白いTシャツに飛び散る。

ケチャップをしばらくの間使っていないと、瓶の出口あたりが少し固まっていて出が悪い。そこで瓶のお尻をトントンと叩いていると中身が一気にドバドバドバ。 

このアルバムもそんな感じかな?

リック・ウェイクマンの1973年のソロ・デビュー・アルバム、ヘンリー八世の六人の妻。

(二千円だったファースト・プレス盤ではなく、二千三百円時代のLPです)

それまでずっと温めていたアイデアを一気に解放!

ストローブスからイエスに加入しすでに大活躍していたわけであるが、グループ内での演奏となるとグループとしてのコンセプトが存在し想い通りにキーボードを弾きまくるのは憚れる。

やっぱりソロ・アルバムを制作しないとね。

イエスやストローブスのメンバーがバックを務めてリックが自由自在にキーボードを操る様はファンにとっては極上のひと時。

ただリックにとって忘れてはならないのが、1970年のストローブスのライブ・アルバム、Just A Collection Of Antiques And Curios(骨董品)。

オリジナル・メンバーになったばかりのリックではあるが、このライブでかなり自由にキーボードを弾かせてもらいキーボードの天才の片鱗を見せつけた。

(With the Beatles風にリックさん写ってますね)

この時の快演がなければイエスに加入の話とか、またその3年後にケチャップ、ドバドバドバのソロ・アルバム制作にそうすんなりとはいかなかったと個人的に思う。

一方天才でない私のような一般的庶民は結構頻繁にドバドバドバの儀式に遭遇する...

花王ブリーチ使って漂白しておくか。


まったりとカントリー・ロックでも

2020年05月09日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

本日も緊急事態宣言延長による外出自粛要請を守り家から一歩も出ず、まったりと過ごす。

さらにまったりムードを補強ってことでThe Byrdsの1968年のアルバム、Sweetheart Of The Rodeo(ロデオの恋人)でも。

前作、The Notorious Byrd Brothers製作時に、デビッド・クロスビーが脱退、そしてアルバム完成後にドラムのマイケル・クラークが脱退と、ついに残り2名のThe Byrdsとなってしまった。

(左から、新加入のドラム担当のケビン、新加入のグラム、そしてロジャーとクリス)

そこでカントリー系のミュージシャン、グラム・パーソンを加入させ、そして彼の意向を大幅に取り入れ次作のアルバムの制作ベクトルはカントリー・ミュージックへと 。

因みに交通事故から復帰したディランは1967年にカントリー系フォーク・ロック・アルバム、John Wesley Hardingを制作。同年Buffalo Springfield も傑作アルバム、Buffalo Springfield Againを世に出し、さらにディランは更にカントリー寄りのアルバム、Nashville Skylineを1969年に出す。

これらのムーブメントが、カントリー・ロックという新しいジャンルを広め、CS&N、Neil Young、Poco、The EaglesやLoggins & Messinaなどが続くこととなる。

この新生Byrdsのアルバム、Sweetheart Of The Rodeo は大ヒットというわけには行かなかったものの、後のフォロワーに大きな影響を与えたアルバムの一つといえる。

収録されているYou Ain't Going Nowhereって歌のタイトルじゃないけれど、どこも行く宛が無い今日この頃!

(一曲目にシングル・カットされたディラン作のカントリー・ナンバー、You Ain't Going Nowhereが収録されている)


ヨーロッパ特急

2020年05月07日 | PROG ROCK

ドイツのテクノ・ポップのパイオニア、Kraftwerkの元かつ創設メンバーだったフローリアン・シュナイダー氏がお亡くなりになった。

時代の最先端を行くシンセによる無機的かつシンプルなフレーズの繰り返しが延々と続き、ヒット・チャートに登場するような一般受けする芸風ではなかったが、ミュージシャンや評論家からは結構肯定的な支持を受けていたと思う。

本日は追悼の意として1977年彼らの傑作、Trans-Europe Expressでも。

(向かって右から2番目がシュナイダー氏)

明るい未来を映し出すような端整な顔つきの4人組のレトロ風ポートレートはジャケ買いしたくなるほど心をくすぐる。

レコードに針を落とすと、其の単調な展開に私のハート・ビートも呼応してやがて穏やかなウエーブに。

そして心に平安が訪れる。

ただ、あまり何度も繰り返し聴き込むとついうっかりと居眠りしてしまうかも…

(パープル・キャピトル・レーベルは1993年の再発盤)


レリビー

2020年05月06日 | BEATLES-BADFINGER関連

1970年5月8日金曜日、明後日の金曜日に英盤発売50周年を迎えるアルバム、Let It Be。

早いもので、あれからもう50年も経ったのか。

他のアルバムはまだ小さかった事から後追いで聴いたためそれぞれの発売時の記憶は全くないが、Let It Beだけはおぼろげな記憶が …

確かテレビのコマーシャルで見たような… Let It Beの映画の宣伝だったか、それとも東芝のステレオ・セットの宣伝かなんかで登場したんだっけ?

丸刈りの少年が、意味も理解せずレリビ〜、レリビ〜ってステレオの前に鎮座してお経を唱えるが如く一緒に歌った。

あれから50年経って今一度ステレオの前で歌おうではないか!

レリビ〜、レリビ〜 ♪♪

容姿は変わったけど、発音は変わりばえしないね。

Let It BeのLPレコードの価格がまだ二千円だったあの頃


どうもすいません アゲイン

2020年05月04日 | BEATLES-BADFINGER関連

どうもすいませんと言う言葉は私がつまらないダジャレを披露したとき反省の弁としてよく登場する。

まあ私の場合は、地位も名誉もないので割とすんなりと反省の意を表せるのだが、そうでない立場のお方ならは躊躇する時もあるだろう。

ビートルズのアメリカ・デビューにあたって、ビートルズが所属したレーベル、パーロフォンの親方に当たるEMIがアメリカにおける販売の窓口だったキャピトル・レコードと契約の話を持ちかけた時、アメリカ人らはビートルズなんてアメリカじゃ流行らねーよと契約拒否。

仕方がないので、1963年アメリカでのシングル第一弾、Please Please Me、さらに英国でのデビュー・アルバムだったPlease Please MeはタイトルをIntroducing The Beatlesとしてマイナー・レーベル、Vee Jay Recordsからプレスされることに。

当初はそれほど反響がなかったものの、第二弾シングル、She Loves Youがこれまたマイナー・レーベルのSwan Recordsから発売された辺りからあれよあれよとチャートを駆け上り全米1位に輝く頃には様変わり。

キャピトルは早速ビートルズ・サイドと契約締結し、2作目のアルバム、With The Beatlesにアルバム未収録のヒット・シングルを加え、曲数と収録曲数を削減したアメリカ編集のMeet The Beatlesを発売。その後はご存知のようにアメリカでもトップ・スターの地位を築いて行く事に。

ただキャピトルとしては、ビートルズのアメリカ・デビューを自身の読みの甘さからVee Jayに持っていかれた事に忸怩たる思いがあったに違いない。

てなことで、Vee Jayが持つデビュー・アルバムやシングルの権利が消滅した1965年にデビューの編集物アルバム、The Early Beatlesを急遽発売。

(オレンジ・キャピトル・レーベルは1976年の再発盤)

そのアルバムの裏に記述された解説文には、

彼らは別のレコード会社より登場したが、今回初めてキャピトルより登場!

誇りと喜びをもって、エンターテイメントの歴史において前例のない現象をもたらしたビートルズの数々のレコーディングと共にキャピトルのカタログに加わる事になる。

てな意味の文言が。

流石に当然初期の見立てが間違っていたなどの弁はなく、しら〜っとビートルズの功績を持ち上げている。まあ大手の会社だからごめんなさ〜いと素直に言えないのはなんとなくわかる。

ただ反省どころか、

The Early Beatlesなら Early Beatles時代の写真使えばいいのに、1964年似のアメリカン・ヒット11曲、今キャピトルで!と言うキャッチ・コピーと一緒に英国で発売された最新アルバム、The Beatles For Saleの裏ジャケに使用された、4人組がぼんやり空を眺める気の抜けた様な写真を借りてきて手抜き感満点。

まあ売れりゃなんでもいいのよ、毎度あり〜 ビートルズ!って事ですかね。

 

ナヌ〜! こんなキレの無いダジャレを言うためにこんな回りくどい話を!

いつもの事で、どうもすいません。