CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

年末に聴いてみるレコード 、最終回はこれダァ〜

2019年12月31日 | Southern Rock

年末シリーズ最終日はコレだ〜 と取り出したのがオールマン・ブラザース・バンドの1969年のファースト・アルバム。

1979年のキャプリコーン・レーベルからの再発日本盤です。

 

デビューといっても各メンバー既に別バンドにてプロ活動していたので、最初からエンジン全開の迫力ある演奏がわずか2週間で録音された。 

デュアン・オールマンはナッシュビルで5年間の契約でスタジオ・アーティストとしていろいろなアーティストのレコード収録に参加し、当然プロデューサーの指示によりコマーシャルな演奏を続けてきたことによるフラストレーションがたまり、その反動としてこのアルバムでは彼のギターが炸裂することになる。

いい湯だな〜♪ と日本ではなるのだが、アメリカではどうかな? 

残念ながら元々芸風がラジオ・フレンドリーとはいかずアルバムは商業的な成功は収めることは出来なかったが、この手のロックが好きな人々には大きなインパクトを残した。 

そう、サザーン・ロック・ファンならこれを聴かずして年を越せるか〜! 

聴かざる者は鞭打ちの刑じゃ〜!  

Tried to the whippin' post

Good Lord! I feel like I'm dyin'

 

と声を大にするほど大げさなものでも無いのですが…  おヒマなら是非ご一聴を。

 

それでは皆様良いお年を。

 


年末に聴いてみるレコード 、その8

2019年12月30日 | AMERICAN ROCK/POPS

続けて片付けをしていたところ、こんなものもヒョッコリと出てきた。 

1980年に出たダイアナ・ロスとシュープリームスのベスト盤、スーパースター・シリーズ。日本盤のライナーには1981年4月15日となっているから、おそらく日本では1981年に発売されたのだろうか? 

70年代初め頃隆盛を極めたハード・ロックもプログレもこの頃になると全くの衰退状態で、AORやフュージョン系を主に聴いていた。購入の経緯は今となっては定かではないが、多分それほど馴染みのない60年代のモータウン・サウンドでも聴いてみようかって軽い気持ちで購入したのだろう。 

表ジャケには歴代シュープリームスのメンバーの写真がレトロチックにコラージュされている。 

当方シュープリームスに関してはダイアナ・ロスのみ識別出来る程度なので、一体誰が誰だか?

ライナーによると

上段右から、フローレンス・バラード、シェリー・ペイン、ダイアナ・ロスにスゼイ・グリーン

下段に移って右から、リンダー・ローレンス、メアリー・ウイルソン、シンディー・バードソングにジーン・テレル。 

因みに、59年グループ結成時は4人組だったそうだが、モータウンと契約した60年代当初にはフローレンス・バラード、ダイアナ・ロスにメアリー・ウイルソンの3人組として再スタート。さらにダイアナは1969年末にグループを脱退しソロに転じたってことらしい…. 

このアルバムはダイアナが在籍して在籍いた頃のヒット曲を集めたもので、特にサイドー1は当時のヒット・メーカー、Holland-Dozier-Holland作による怒涛の大ヒット6連発が9分58秒切れ目なしで、さらにリズム・セクションを新たにディスコ・スタイルに差し替えてリミックスされノリノリである。 

また他の聴きどころはこのアルバムの締めの一曲、ダイアナ在籍中の最後の全米ナンバーワン・ヒットとして知られるSomeday We’ll Be Together。 

バック・コーラスがSomeday We'll Be Together歌う所にYes We Will, Yes We Willとダイアナの合いの手が入るところが妙に泣ける。



年末に聴いてみるCD、その7

2019年12月30日 | BRITISH ROCK

年末なので色々と片付けをしていたところ、2007年に発行されたローリングストーン誌の10月号がヒョッコリと出てきた。 

この手の若者向けの雑誌を12年前とは言え私との年齢的なギャップを考えると当時の私がこれを買うかなと言う疑問が生じるのだが… 

まあ、全く記憶にない中身でも覗いてみよう表紙を眺めると、そこには発行された年からさらに40年ほど遡ったRock In 1967と言う特集記事が….

 

なるほど、この特集記事を読むために買ったのかもしれない。 

1967年といえば、アメリカではドラッグに影響を受けたサイケデリックなロックが流行っていたし、ヒッピーとかフラワー・ムーブメントなる言葉があったような。 

本日はビー・ジーズのヒット曲、Massachusetts。 

これは1968年ビー・ジーズがメジャー・デビューして2枚目のアルバム、Horizontalに収録されている。

(英盤のジャケ)

 

(アメリカ盤のジャケは鏡に映るビー・ジーズって事で左右が反対に)

当時サイケデリックとかフラワー・ムーブメントの中心と言えば西海岸のサンフランシスコだった。

 

Massachusettsの2番の歌詞には、次のような事柄が; 

ヒッチハイクでサンフランシスコに行ってみようと

やりたい事を得るためにね

でもそれでマサチューセッツの灯火は全て消えてしまった

その事によって君の元に戻って一緒にやって行くことに 

作者のギブ兄弟はマサチューセッツには行った事もなくその言葉の響きが心地良かったからだとも言われているが、この曲には当時の若者の行動に対するアンチテーゼなるものが歌詞に込めらているらしい。

つまり、新しいものにすぐに飛びつくのも悪くはないけど、何が正しいのか見極めるためにも今まで歩んできた道についてももう一度考えてみては?というような歌ですかね。 

確かにこの手のムーブメントは一過性の流行だったのであっさりと廃れてしまった。

それにしても、ビー・ジーズの連中サイケデリックなコスチュームで衣装でがっつりフラワー・ムーブメントに参加しているような雰囲気出でてますな〜

 


年末に聴いてみるレコード、その6

2019年12月28日 | AMERICAN ROCK/POPS

ねぇ〜 親方! 親方ってば! 前のアルバム結構売れたって聞いてますけど、もしそうなら俺たちの給料もチョッピリ上げて貰うわけに行きませんかね? 

そりゃまあ、このバンドは親方のギター捌きで成り立っているのは重々承知しているところではありますがね。 

でも俺たちだって結構いい味出してるって思ってんですけどね。 

もう少し色付けてくれれば有り難いんですけど。何しろもうすぐお正月ですから… 

何ですって! 俺たちの要望に沿って頂けるってことですか? 

親方、どうも有難うでござんす。パチパチパチ(拍手の音) 

 

てな会話があったかどうかは定かではないが、1977年のヒット・アルバム、Moon Flowerに続いて翌年出たのが彼らの10枚目のスタジオアルバム、Inner Secrets。

それまでのラテン・フュージョン系の音楽志向だったのが、前作からシングル・カットされたゾンビーズのカバー、She's Not Thereがヒットした事で気を良くしたのか、プロデューサーに当時ソウル系のヒット・メーカーだったデニス・ランバートとブライアン・ポッターをプロデューサーに迎え、ソウル系のカバーにロック色を強め最後にサンタナ御大のラテン色溢れるギター・ソロを振りかける味付となった。 

しかもシングル・ヒットを狙ってこのアルバムから計5枚のシングル、ダブりもあるが何と!全9曲中7曲がシングルのA/B面にそれぞれカップリングされ発売された。 

残念ながら、商業的には前作の全米10位と比べると全米27位で大成功とは言えなかったのだが、全体的にスムーズな流れで非常に聴きやすいアルバムである。 

この動きをサンタナとしては禁じ手と思ったそれまでのファンもいたかもしれないが、これはこれで良しだと思う。 

いゃ〜 親方俺たちのために気を使っていただいて有難うございました。これで年が越せそうです。

まあ数打ちゃ当たるじゃないですけど、トータルすればそれなりに上手くいったんじゃねぇですかね〜 

なに!このことは口外しちゃダメって? ようがす。決して口外するような事はありゃしません。全員肚の中に納めておきやす。

何しろ、アルバム・タイトルがInner Secretsですからね。

それでは全員瞑想!

年末に聴いてみるレコード、その5

2019年12月27日 | West Coast Rock

今年もあとわずか。年末年始の挨拶で、やっぱり無精髭を晒すのはいかん! 

以前このブログで書いたと思うが、シェーバーの替刃のカートリッジが結構割高感あって頭に来てその時購入見送りとなったのであるが、やっぱり古くなった替刃だと上手く剃れないので高くとも替刃カートリッジを買っておこうと思い近所のドラッグ・ストアに駆け込めば、何と売れ切れてしまっているではないか! 

と言うことは新たに替刃付きのシェーバーもう一本買えってこと?

インクジェット・プリンターの交換インク・カートリッジと同様、シェーバーの交換カートリッジの値段もう少しなんとかならないのかな?  

このままではカートリッジ無しのシェーバーのコレクターになってしまう。 

こんな時いつまでたっても切れ味の衰えない優等生とでも称すべきこのアルバムを思い出す。 

そう!リズム・ギターのカッティングの切れ味最高なドゥービー・ブラザースの1973年にリリースされた3枚目のアルバム、The Captain & Me。

(馬車に乗るレトロな出で立ちのメンバーとまだ未完成ではあるが新しいフリーウェイのフライ・オーバーが対照的) 

前年に出たアルバム、2枚目のトゥールズ・ストリートを進化させ、完全にドゥービー・ブラザースのスタイルを確立させた。 

トム・ジョンストンとバンド内でのもう一人の作曲家パトリック・シモンズの異なった曲作りの対比も面白いし、シンセ導入で今までのバンド・サウンドに新たなイメージを植え付けるのにも成功しているのではないかと…

(Long Train Runnin'からChina Groveへと繋がるドゥビー節メドレーはいつ聴いても切れ味最高!)


年末に聴いてみるレコード、その4

2019年12月26日 | JAPANESE

あっ〜と言う間も無く、あと1日で今年のお勤めも終わりとなる。 

何故だかこの頃時間が過ぎ去るのが以前よりも特に早くなっているような感がある。 

会社にいるときは時間があっという間に過ぎても一向に構わないが、せめて自宅で音楽を聴くときぐらいはもう少しゆったりと時が流れて欲しいと思う。 

本日はかってゆったりしていた良き時代を懐かしみ珍しいアルバムでも。 

鈴木キサブロー氏がキサブロー名義で出した最初で最後のLP、Letter。

 

鈴木キサブロー氏と言えば80年代から90年代にかけて数多くの楽曲をこれまた数多くのシンガーにバラエティーに富んだ曲を提供し続けた売れっ子作曲家だった。WiKiを見ればああ〜あの曲はこのお方の作品なのかと驚く。 

ロックを中心に聴いているお前が何でこのLP持っているのと問われれば、実はその昔シンガポールで働いていた頃、日本の曲が懐かしくなって現地のレコード・ショップに飛び込んだところ見つけたのがコレ。 

曲調は浜田省吾風の和製アメリカン・フォーク・ロックと言うか、それともシティー・ポップ風とでも言えばいいのだろうか、歌謡曲とは一味違うアレンジ。付属の歌詞カードを見て発見したのは70年代西城秀樹のバック・バンドだった藤丸バンドとかShogunで活躍した芳野藤丸がギターを全編に渡って弾いているってことかな。 

残念ながらレコードは廃盤だし、CD化もされていない幻のアルバムなので是非聴いてみてと言えないのが難点。

レーベルは何とイーグルスとかジャクソン・ブラウンら多くのウエスト・コースト系ミュージシャン在籍のアセイラム!


年末に聴いてみるレコード、その3

2019年12月25日 | S&G and etc.

今日ってクリスマスの日だよね? 

そう本日は12月25日であります。 

だけどかってのクリスマスって感じは全くしない。 

子供だった頃はクリスマスの定番と言えば四角い箱に入ったクリスマス・ケーキに赤い長靴に詰め込まれたお菓子のプレゼント。

仕事帰りの道中周りを見回してもクリスマス・ケーキを手に提げて家路を急ぐほろ酔い加減のおと〜さんの姿なんて全く見かけなかったし、赤い長靴も然り。 

時の流れを感じるね。 

 

明け方の4時

ギヨッとして目が覚め

欠伸を一発 

俺の人生なんて失せちまえ

心配したりはしない

なぜって?

何もかも色あせていってるからね

 

とポール・サイモンがStill Crazy After All These Yearの一節でそうつぶやくが如く歌う。 

クリスマスの日にこんなショボいムードの曲を聴いてみるのも今の時代なのかな?

ポールの1975年のグラミーを獲得した作品、時の流れに。

フィル・ラモーンと共同プロデュース。ヒュー・マクラッケンやスティーブ・ガッドなどニューヨークの凄腕セッション・ミュージシャンがバックアップ。ベースには何と後にクリムゾンに参加するトニー・レビンが! さらにバック・ボーカルにはフィービ・スノウーも登場と豪華。

 


年末に聴いてみるレコード、その2

2019年12月24日 | West Coast Rock

カントリー・ロックのパイオニア、ポコの3枚目のアルバムは1971年のライブ・アルバム、Deliverin'。

 

リラックスして聴けるカントリー・ロック。しかしライブにもかかわらず彼らの演奏技量は非常にレベルが高くまたメンバー全員が絡むコーラス・ワークもバッチリ決まっている。 

特にジム・メッシーナのソロ・ギターとラスティー・ヤングの時折オルガンのように聞こえるスティール・ギターの絡みなど非常に聴き応えあり! 

すんばらし〜の一言。

このアルバムを最後にジム・メッシーナはバンドから脱退し、ロギンス&メッシーナを結成

なんと!1973年発売のSQ音源じゃね〜の。

 

 


年末に聴いてみるレコード、その1

2019年12月23日 | BEATLES-BADFINGER関連

アップル・レコードのマネジメントと対立、レーベルをワーナーに変えプロデューサーにクリス・トーマスを迎え心機一転でスタートしたものの、新しいレーベルでも相変わらずのゴタゴタ続き。

アップル時代と同様この1974年にリリースされたバッドフィンガーのセルフ・タイトルのニュー・アルバムもレーベルよりまともなセールス・プロモーションを得られなかった。

 

デイ・アフター・デイのようなリスナーを一発でノック・アウトできるようなキラー・チューンはなかったけど、バッドフィンガーらしいパワー・ポップを楽しむことが出来る。 

今一度聴けば、やり方次第でそこそこ売れたのではないかと思われる内容で、本当に残念に思う。


まさかのジャーマン・プレス。いわゆるクリーム色のワーナー・レーベルに、透かしのワーナーのロゴが6個ぼんやり見て取れるので多分1980年代後半の再発盤だと思える。


年末の暇つぶし、その6

2019年12月21日 | 特になし

買わないという選択肢はないやろ〜と鶴瓶の畳み掛けるセリフについ。 

ここ何年間は全く買わなかったのに、このセリフには少々心を動かされたかな?

それまでは連番で10枚買って下一桁の当選が1枚、すなわち3000円購入に対してたった300円がデフォ。 

過去最高の当選金額は確か3000円だったかな? 換金した時真後に並んでいたどこかのおと〜さんが、スゲェ〜の一言。 

だけど計30枚、9000円分買ってその程度だからね〜 まあ、パチンコで負けが込んで有り金全部持っていかれるよりは少しはマシかも。 

前後賞含めた1等賞当選願って毎日朝昼晩とクジにロウソク立ててお祈りを捧げ、毎晩億万長者になった夢でもみようじゃないか… 

そう!これが空極の年末の暇つぶし。

(連番とバラ各10枚、懲りずに久々に買っちゃいました。)

(以前宝くじ売り場で貰った、ク〜ちゃんの宝くじ収納バックも準備万端。前回は宝くじを収納して拝んだのだがその念力が収納バッグに遮られてその効果は全くなく、敢え無く撃沈。今回はこの入れ物には宝くじを収納しないで、飾りとして横においておく作戦を取る。)



年末の暇つぶし、その5

2019年12月21日 | ROLLING STONES関連

ストーンズの英米日間のアルバム編集合戦は1967年前半に出たBetween The Buttonsを最後に一応収束する事になる。 

日本盤はアメリカ盤と少し異なる収録曲の英盤仕様で発売され、表ジャケのデザインは日本盤だけアルバムタイトルとバンド名の表記がデカデカと。

 

 

(ストーンズの面々には全く場違いに映るゴルフ場でのフォト・セッション)

同年末に出たTheir Satanic Majesties Request世界統一規格のアルバムが出てこの手の混乱は治るかにみえたものの、そうは問屋が卸さない。

 

ストーンズの場合はベスト・アルバムに関しては自由度が高くそれ以降も各国で独自編集され多くの種類が出されたのである。 

ビートルズの現役時代は、サージャント・ペパーズ以降はアメリカ編集のマジカル・ミステリー・ツアーが後年オリジナル盤として認識されたこともあって、発売形態はベスト盤も含めて割と統一があった。ただし、アメリカ編集のヘイジュードは禁じ手破りだった様な… 

それでは代表的な各ベスト盤でも眺めてみよう〜

ストーンズ最初のベストアルバム、Big Hits(High Tide And Green Grass)。アメリカでは66年3月に発売、イギリスでは66年11月にジャケ違いかつ収録曲も変更されて発売。

日本でも英盤の収録曲で発売されたが、表ジャケのデザインは英盤だけど裏はアメリカ盤を採用するサービス度は満点。

(英盤の表ジャケ・デザインを使用) 

(裏はアメリカ盤の表ジャケ・デザインを使用) 

しかしそれよりも先の同年の8月にザ・ローリング・ストーンズ・ゴールデン・アルバムなる日本独自編集のベスト盤が発売された。

(ブライアンのティアドロップ型ヴォックス・マークIVがユニーク) 

(アメリカ編集のFlowersが1967年7月に突如登場!)

(これが当時ロンドンでの最先端のファッション?)


(1969年に出たブライアン追悼のベスト・アルバム、Through The Past, Darkly。ジャケのデザインは英米日共通、しかしアメリカ盤は選曲が少し異なる)

これ以外にも各国でベスト盤がバンバン発売され、日本でもファンによるリクエストを参考に制作されたアルバムもあるみたい。

 

てな事で、程度の良い初回帯付き盤のレコード収集の完クリ目指すコレクターにとっては中々ハードルの高い作業となり、大量の諭吉さん緊急出動になるのは間違いない。


年末の暇つぶし、その4

2019年12月19日 | ROLLING STONES関連

ビートルズの初期の日本盤は東芝音工が販売の窓口独自にオデオン・レーベルを立ち上げ英パーロフォンや米キャピトルとは異なった独自の編集で売り出された。 

特に、デビュー・アルバムのMeet The Beatles、Second AlbumとNo.5はジャケ表の写真はキャピトル盤のそれを使っていたものの、選曲は日本独自とかなり攻めたし、レトロチックなハード・デイズ・ナイトのジャケも個性が感じられコレクターを喜ばせることに。 

しかしストーンズの場合は英米日独自の編集盤が巷に入り乱れさらに複雑なことになっていた。

アメリカ編集第4弾のアルバム、Out Of Our Headsは1965年の7月にロンドン・レーベルから発売。


オリジナル英盤のOut Of Our Headsは1965年の9月に発売された。


一方日本では、アメリカ編集盤に準拠した4枚目のアルバム、ステレオ・ザ・ローリング・ストーンズ 第4集(副題はアウト・オブ・アワーヘッズ) が1966年なって登場。

日本盤の場合は、ジャケに使用された写真が英米盤より結構優等生ぶったポートレイトが使用されたのが印象的だった。収録曲はアメリカ盤と同じ12曲だが曲順は少し異なり、大ヒット・シングル、Satisfactionがアルバムのオープナーに採用されているのがいかにも日本編集らしさと言うか... 


さらにアメリカでは第5弾としてアルバム、December's Childrenが1965年11月に出たが、そのアルバムに関連する日本盤は発売されなかった。

 

そして1966年4月英編集のアルバム、Aftermathが発売された。

 


続いて1966年6月アメリカ編集の第6弾としてアルバム、Aftermathも発売。


 

真打の日本盤の5枚目のアルバムは、ステレオ・ザ・ローリング・ストーンズ 第5集(副題はアフターマス、余波) が登場したのだが、このアルバム、アメリカ編集のアルバム、Aftermathではなく不思議なことに英盤のAftermathと同じ曲目を採用し1966年7月に発売された。

 

ハッキリ言ってもう何が何だかという不規則な編集スタイルが各国で取られたので、当時のファンも一体どれのアルバムを買えば良いのか混乱したのではないかと…

 


年末の暇つぶし、その3

2019年12月16日 | ROLLING STONES関連

第二弾のアルバム、12x5からわずか5ヶ月のインターバルで3枚目のアルバム、The Rolling Stones,Now!!が1965年の2月にロンドン・レーベルから発売。

 

まだR&Bのカバー曲が12曲中7曲とアルバムの半分以上を占めるのであるが、このアルバムからシングルカットされたジャガー・リチャードのオリジナル、Heart Of Stoneはそこそこヒットしストーンズのオリジナリティーが徐々に現れて来たというところであろう。 

一方日本では、アメリカ編集盤に準拠したサード・アルバム、The Rolling Stones, Vol.3が登場。即ち収録曲はアメリカ盤と同じ12曲で曲順も同じ。

 

 (タイトルは単にTHE ROLLING STONES Vol.3で帯には注目の最新アルバムはこれだぁ 〜!!と記載された) 

でもやっぱり一番の肝は、ジャケ裏の当時の解説書。 

今回はストーンズのメンバーのガール・フレンド事情なる記事がライナーに。

女性週刊誌のゴシップ記事の様な内容に驚く。 

ただ60年代当時と言えば海外旅行は金持ちが利用するだけで、一般的には海外の情報は雑誌やテレビのニュースぐらいでしか知り得ない。 

若い女性ファンの関心を掴むには、音圧がどうとか使用ギターのモデルがこうとかではなく、バンド・メンバーに関するこの手の情報を書き込むことが必須であったと容易に考えられる。

 

ビルとチャーリーは既婚。

ミックのガールフレンドの正体は秘書、ブライアンのガール・フレンドはモデル。そして、ケイス、否!キース・リチャードもソフィア・ローレン似のどこかのお嬢さんと付き合っているらしいとの事。

まあ、はっきり言ってどうでもいいって気はするのだが...


年末の暇つぶし、その2

2019年12月15日 | ROLLING STONES関連

1964年の5月の末日アメリカでデビュー・アルバム出てから5ヶ月足らずの10月に第二弾のアルバム、12x5がロンドン・レーベルから発売。

 

鉄は熱いうちに打てとは言うが、そのデビュー・アルバムの熱気がまだ全米に完全に行き渡っていない 時点での素早い第二弾の投下。 

すなわちビートルズのアメリカ編集盤と同様に、英盤のアルバム2枚とアルバム未収録シングルからアメリカでは3枚のアルバムが制作出来た。 

これはアメリカのレコード産業界の当時の規制によるもので、一枚のアルバムに最大12曲までしか収録が認められなかった。その規制に掛けたのかどうかはわからないが、タイトルの12x5は5人のメンバーが12曲演奏すると言う事らしい。 

オープニングはチャック・ベリーのAround And Aroundで、一作目と同じ収録されたほとんどの楽曲がアメリカのR&Bのカバーだった。

 

(タイトルは単にTHE ROLLING STONES Vol.2で帯には大躍進ローリングストーンズの最新盤!!と記載され翌年の1965年に発売)

 

(フリップ・パックのジャケをミニチュア・サイズで再現。ただし糊代は粘着性を保つためレコードのジャケより幅が広くなっている。今回の収録曲と曲順はアメリカ盤と同じ、言い換えれば日本人向けに一発でアピール出来るメロディアスな曲がなかったからなのか?)

やっぱり一番の肝は、ジャケ裏の当時の解説書。

そこにはお楽しみの各メンバーのスペックが記載されたツッコミどころ満載のリストが....

(全員体重は70キロ以下、身長も180cm以下と以外にもドデカサイズのメンバーはいない。子供の頃白人のイメージとしたらせが非常に高いってイメージあったんだけどね。ところでケイス・リチャードって誰やねん!)


年末の暇つぶし、その1

2019年12月15日 | ROLLING STONES関連

今日は12月15日。 

あっと言う間に月の半分が消化され年末に突入することになる。

今年一年何かやり遂げたことはあるのかと問われると返答に困る。 仕方がないと言えばそうなのだが、いつもの様に流されるまま何となく暮らして来たからね〜 

そんな中、暇つぶしで始めたこのブログが長続きしているのを手前味噌ながら褒めてあげたい。

50年ほど前から惰性で集め始めた音楽メディアも溜まりに溜まって再び手に取る事もなく長い間収納棚の隅でくすぶっていたところに、ブログで再び陽の光を当てるのだからあたかも人格が生じたかの如くさぞかし彼らも喜んでいるのではないかと思うのだが…. 

本日は何人かの諭吉さんの出動をお願いして無理やら手に入れたストーンズの開かずのボックス・セットでも。  

ストーンズ関連は、レコードも幾らかはあるがABKCO時代のものは、2002年リマスターされSACD化された時一通り買い揃えた。しかし、2008年にアメリカ編集のアルバムの紙ジャケCDプラス日本盤のデフ・ジャケがおまけで付いてくるボックス・セットが発売され、このデフジャケ目当ての購入衝動が抑えられなくなり無理して買ってしまった。

 

しかしボックス・セットなんていちいち取り出してプレーヤーで再生するのは面倒で箱は開けたもののそれぞれのCDはシュリンクが付いたままで収納棚で永き眠りにつくことに。 

今回これではいかんと思い立ちCDの方は同じ音源が既にSACDで存在するので割愛し、デフ・ジャケだけでも改めて鑑賞しようではないかと…. 

このデフジャケ思いのほかオリジナルに準拠して作られていて、程度の良い帯付きオリジナルの日本盤を集めるとなると結構な数の諭吉さん出動となるので、これはこれで資料的に結構存在価値はあるのではないかと個人的に思う。 

まあ、ガチなストーンズ・マニア友の会の方々からすればくだらん!と一笑されるかもしれないが、まあ当方の暇つぶしとして当ブログにアップすることに。 

本日は第一弾として、1964年のデビュー・アルバムから

(アメリカ編集盤は1964年5月、ロンドン・レーベルからEngland's Newest Hit Makersのタイトルで発売。シュリンク剥がしていないので画像が鮮明でない。汗)

(オープニングはバディー・ホリーのNot Fade Away)

(日本での発売は英デッカではなく、アメリカ盤と同じロンドンレーベルでキングレコードが販売を担当、タイトルは単にTHE ROLLING STONESで帯にはこれがリバプールサウンドの決定盤!!と記載)

(フリップ・パックのジャケをミニチュア・サイズで再現。ただし糊代は粘着性を保つためレコードのジャケより幅が広くなっている)

(歌詞カードも再現されている。収録曲はアメリカ盤と同じも、曲順が異なり比較的日本のリスナーには受け入れ易いオリジナルのTell Meがオープニングを担当)

(やっぱり一番の肝は、ジャケ裏の当時の解説書。ミックにはロンドンでチョクチョクデートする人がいるとか、ビル・ワイマンの数学が得意だった事からお金の数えるのに役立っているなど、更にはケイス・リチャードって誰やねん!とツッコミどころ満載)