CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

カントリー・ロックは何処に?

2024年09月30日 | AMERICAN ROCK/POPS

70年代と言えばカントリー・ロック結構流行っていた気がするけれど、今じゃバーズやイーグルスなんかは懐メロ的存在で、ラスティー・ヤングやポール・コットンらが相次いで死去してしまったポコなんかもオイラのような年配のファンを除けば話題に上らないね。

80年代になって時代は変わり、アンクル・テュペロ、初期のウィルコ、カーボーイ・ジャンキーにジェイ・ホークスなどオルタナ・カントリー・ロック・バンドなんかが相次いで登場し話題を振りまいたんだけれど、そんな彼らもいつの間にか忘却の彼方。

これも時代の流れ、仕方がないのかな。

本日は1982年のポコのアルバム、Cowboys & Englishmenでも聴いて昔を思い出すことに。

アルバム・タイトル通り、メンバー構成がアメリカ人のラスティー、ポールとキーボード担当のキム・バラッドとイギリス出身のスティーブ・チャップマンとチャーリー・ハリソンからなる正統派カントリー・ロックが楽しめる。

当時ポコの売り出しに消極的だったMCAレーベルでの契約上の最終作で全10曲のうち7曲がカバーとポコとしては異例の作品ではある。

エバリー・ブラザーズ、ゴードン・ライトフット、ティム・ハーディンにJ.J. ケールらの渋めの曲をカバー。特にJ.Jの曲、Cajun Moonなんかはその後ライブで結構披露しているのでかなり彼らにとって思い入れのある作品かと感じる。

カバー曲が多いとは言え、しっかりコーラス・ワークやキレのいい演奏はいつも通りで決してMCAレーベル最終作のやっつけ仕事では無いと今更ながら思う。

まあ地味ではあるんけれど…


風向きは変わる

2024年09月29日 | AMERICAN ROCK/POPS

エアプレイン末期にジェファーソン・エアプレイン解散後、ポール・カントナーがソロ・プロジェクトを立ち上げグレース・スリックやクイックシルバー・メッセンジャー・サービスから末期エアプレインに加入したデヴィッド・フェインバーグがレコーディングに参加。

更にその後のソロ・プロジェクトはマーティン・バリンや新メンバーが加入しバンドに昇格、ジェファーソン・スターシップとして活動することに。

1974年のファースト・アルバム発売し、数枚のアルバム制作後にマーティン・バリンが脱退しエルビン・ビショップ・バンドからミッキー・トーマスら新メンバーが加入する第二期メンバー・チェンジがあったものの、北米では安定した活動を続けてきた。

本日は彼らの1982年の7枚目のオリジナル・アルバム、Winds Of Changeでも。

(いかにも80年代のコンピューター・グラフィックをジャケに採用。バンド・メンバーの写真はジャケ裏表にはなくかなり手抜き)

このバンドの売りのグレース姐さんとミッキーとの迫力あるツイン・ボーカルは健在し、アルバムはアメリカ・チャートで26位とそれなりの結果を残した。

ただ時は80年代に入り流行のトレンドは様変わりし、アルバム・タイトルをWinds Of Changeとしたのも時代の変化に即応する意識付けをしたのですかね? このままコンベンショナルなスタイルを継続していくと遅かれ早かれ時代に取り残されジリ貧なる恐れはあったかも…

そこで1984年の次作、Nuclear Furnitureに於いてプロデューサー、ロン・ネヴィソンのもと新進気鋭のミュージシャン・プロデューサーのピーター・ウルフをアレンジャーに起用しよりポップな80年代のサウンドを目指したものの、その方向性の違いに満足しなかった創業者ポール・カントナーが脱退しバンドは解散。

そして残ったメンバーで新バンド、スターシップを結成しそのポップ路線を継承し大ヒットを連発。

やっぱり、風向きは変わっていた。


ドラッグは危険

2024年09月28日 | BRITISH ROCK

1979年のアルバム、Black Rose制作後、ギタリストのゲイリー・ムーアが脱退。

その後新たにスノーウィー・ホワイトが加入し活動を継続しアルバムの制作にあたるもかっての輝きを取り戻すことが出来ず、スノーウィーが脱退。またドラック過剰摂取だったツイン・リードの相方スコット・ゴーハムも体調不良を起こす。

てな事でバンドの体をなさなくなってしまった英ハード・ロック・バンド、シン・リジーは解散を決定。

スノーウィーのかわりにシン・リジー解散後にホワイト・スネイクで名をなすギタリスト、ジョン・サイクスの加入で最後の一枚を制作することに。

それが1983年に世に出た彼らの最終かつ12枚目のスタジオ・アルバム、Thunder And Lightningだった。

(輸入盤で西ドイツ・プレス! ヨーロッパ、特にドイツや北欧の連中はハードやメタルが大好物)

ジョンの加入でバンドのハードさが更に強調されチャート的にもイギリスで4位と復活しまずまずの出来、シン・リジーとして有終の美を飾った。

ただバンド創設かつ中心メンバーだった肝心のフィル・ライノットもドラック中毒だったことから86年に死去し、彼のその後のソロ活動やシン・リジー再結成期待の目を摘んでしまうことに。


ロック・ドラマーのソロ・アルバム

2024年09月27日 | BRITISH ROCK

本日は第二期ジェフ・べック・グループやリッチー師匠率いるレインボーでドラムを叩いていたコージー・パウエルのレインボー脱退直前の1979年のソロ・アルバム、Over The Topでも。

普通はメロディーに意識が行きがちな中、それを凌駕しうる勢いで演奏するコージーのドラミングに注目。

ただ周りに独りよがりの演奏をされるとドラマーのリーダー・アルバムが成立しなくなるので、そこはコージーを良く知るミュージシャン達が上手くコージーを盛り立てている。

レインボーや晩年のパープルでのキーボード奏者のドン・エイリー、ベースにはご存知ジャック・ブルース、更に元ジェフ・べック・グループのマックス・ミドルトン、ハンブル・パイのクレム・クレムソンにゲイリー・ムーアら腕達者揃いである。

アルバムはUKチャート34位、シングル・カットされたTheme Oneは62位と上出来!


悪くは無いけれど….

2024年09月26日 | BRITISH ROCK

本日はご存知スコットランド出身のハード・ロック・バンド、ナザレスでも。

彼らは常にアメリカの音楽マーケットを意識して活動を継続してきた。そして、更なるステップ・アップとして1979年のアルバム、Malice In Wonderlandにプロデューサーとして元ドゥービー・ブラザーズのギタリストだったジェフ・バクスターを起用。

そして1980年の彼らの12作目アルバム、Fool Circleでもジェフを引き続いてプロデューサーに起用し、更に元ビートルズのアルバムにエンジニアとして関わったジェフ・エメリックをこのアルバムにエンジニアとして起用する米英折衷の不思議な組み合わせとなった。

(水陸両用、今からアメリカに行ってきます!)

本作にはレゲエにクラプトンのカバーで有名なJ.J.ケール作、Cocaine(Live)とちょっぴりアメリカ志向が感じられるが、全体的にはハード・ロックやパワー・バラードをダン・マッカファーティーが独特な個性で歌い上げるいつものスタイル。

チャート・アクションも英米それぞれ60/70位と変わらず、何とかやってますって感じで少々マンネリ気味だったかな。

この後もナザレスはアルバムを継続に出し活動していくも、オイラとしてはこのアルバムが彼らをフォローしてきた最後のアルバムとなった。


ちょっと拙速だったか? 残念!

2024年09月25日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

ロジャー・マッギン、クラレンス・ホワイト、スキップ・バッテンとジーン・パーソンによる4人組バーズの最終アルバム、Farther Alongが1971年11月にアメリカで発売された。

前作のByrdmaniaxの発売から僅か6ヶ月という短いインターバルでの発売となった。

前作の制作においてプロデューサー、テリー・メルチャー主導のオーバ・ダブがメンバーの賛同を得ずに加えられた事によって、メンバーが反発。バーズ本来の音楽性とは異なると言うメンバーの考えからそのイメージを回復するため、大至急ニュー・アルバムを制作することに。

1971年7月にイギリスのフォーク・フェスにバーズが参加する事になり、その合間を縫って急遽ロンドンのスタジオで新曲の録音を5日間で完成。テープをアメリカに持ち帰り最終のミックス後、11月にアルバム発売となる。

ただアルバムは全米152位・全英はチャート・インしなかった事から失敗作と見做された。

アルバムは十八番のカントリー・フォーク・ロックからチャック・ベリー風のロックンロールとバラエティーに富んでいてシンプルなバーズのバンド・サウンドが楽しめる作品ではあるが、個人的にはこのアルバムの早期製作の引き金となった前作の独断的なオーバー・ダブに関する彼らの不満がちょっぴりオーバー・リアクション気味だった様にも感じる。

アルバム収録時間がたった32分と後何曲かはアルバムに盛り込める余地があるので、もしシングル・ヒットが期待できるバーズらしさが出た曲を数曲盛り込めば状況は一変したのでは無いかと。

また急いでアルバムを制作したからなのかは分からないが、ジャケのデザインもやっつけ仕事感漂うセピア色の全くアピールしない地味なやつ。

方向性は間違っていなかったので、もう少し時間をかければよかったのに…

アルバムの売れ行きが芳しくなく、初回プレスが少なかったのか アメリカでは "Requested By Popular Demands"と記載されたLimited Editionの再発盤LE10215が後に発売された。

それにしてもレーベルが地味な焦茶色と相変わらずアピールしていない。

 


残念な45回転LP盤

2024年09月24日 | AMERICAN ROCK/POPS

昨日は7インチ、331/3回転コンパクト盤だったので本日は12インチ、45回転LP盤について語ってみる。

1.12インチの45回転は通常の331/3回転と比べて周速が早いため針の盤面のグルーブをトレースする距離が長くなり、再生時の情報量がより密になる。

2.通常1枚のLPが2枚に分割されて収録されることになり1面あたりの曲数が少なくなる事によってカッティング・グルーブをより左右に振ることのできるスペースに余裕が生まれ、よって音量を好みにしたがって増やすことも可能となる。

3.一面当たりの曲数が減ることによってレコードの内周の近く迄カッティングする必要がない事から、内周歪みによる雑音を極力減らすことが出来る。

4.その他の要因もあると考えられている。

これらのことから45回転LP盤の音質は優れていると言われる。

ただ通しで聴くなると、結構短時間でLPをひっくり返したり2枚目のLPと交換したりと結構面倒な手間がかかり、上質な音の余韻をしっかり味わおうにも全体を聴き終える頃にはその印象が薄れ "あれっ、何だっけ?" てな事になりかねない…

オイラみたいなものぐさ太郎には、やっぱりCDかPCにダウン・ロードしたデジタル音源を聴くのが無難ですかね。

フリートウッド・マックの1975年のセルフタイトルアルバム、Fleetwood Mac。

ボブ・ウェルチ脱退の後、リンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスが加入し3者3様のオリジナル曲にそれぞれの個性溢れるボーカルがマッチし一気に全米1位を獲得する大ヒット作品に。この45回転盤はライノによって2012年に再発されたもの。

再生される音は多分重厚に聴こえる気はするものの、聴力の落ちたオジンの耳には45回転という売り文句によるバイアス効果も影響するしているかもしれない。

3曲聴いたら、ハイ裏返しの忙し無い仕様となっている。

 


残念なコンパクト盤

2024年09月23日 | Chicago

シングル・レコードはすぐに曲が終了するので忙しないし、LPの値段は高いし全ての曲を聴いてみたいって感じでもない。

そんなあなたに手軽に楽しめる4曲入り7インチ、331/3回転コンパクト盤は如何?てな感じで当時販売されていたのか定かではないが、我が家にも幾らかのコンパクト盤がある。

3年ほど前にターン・テーブルを新調した際、寝落ちして針が無音部分のデッド・ワックスを無限に周回するのはやっぱり精神上良くないので某メーカーのオート・リフト・アップの機能付きの機種を購入。

ただ7インチ・コンパクト盤で2曲のトータル演奏時間が思ったより長くてレーベルの際までカットされるていると、2曲目の最終局面でトーン・アームが自動的に持ち上がり演奏終了となる場合がある。

どのような形でオート・リフト・アップ機能を発動させるのかよく判らないが、多分昔のメカニカルな装置ではなくなんらかの電子制御的なものなのだろうか?

マニュアルを見ると ”レコード盤により、演奏途中でリフト・アップする場合がある” 更に “そのような場合はその機能をOFFに設定する(リフト・アップの機能を諦めろってこと?)” って記載されている。またそのON-OFFスイッチがターン・テーブルの後部の手が届き難い厄介な場所にあって、現状の配置では簡単に切り替えできない。

YouTubeでは工場設定のオート・リフト・アップ機能を解除し再設定する裏技なんかがアップされているが、もしそれで故障すると大きめの小包にしてメーカーに修理依頼のため発送する面倒な事に。

もう触らぬ神に祟りなしって事で、コンパクト盤はお蔵入り。

Aサイドのトータルの演奏時間は2曲で9分57秒。2曲目のListenの終盤でアームが上がり演奏終了。長尺の曲は初期のシカゴらしいと言えばらしいのだが、残念無念。

Bサイドのトータルの演奏時間は2曲で9分37秒。多分同じようなことに....

 

 


秋の夜

2024年09月22日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

雨がパラついたおかげか、夜になって少々冷んやりしてようやく秋らしくなる。

そんな静寂な夜のひと時を楽しんでいると、突如遥か彼方からのバイク集団の爆音によってぶち壊される。

昔は奴らは結構スピード出して公道をぶっ飛ばしていたけれど、今じゃ改造マフラーをつけスピードはさほど出さずにエンジンを吹かしてただ爆音を出しまくるって感じかな。

ただスピードを出さずともバイクの爆音はやっぱり近所迷惑。

そんな時はヘッド・フォンを装着してこれでも聴いて爆音を楽しんでほしい。

(ディープ・パープルの1972年のライブ・アルバム、Live In Japan)

(1973年の再発盤、パームツリー・レーベル、捨て曲なしの2枚組で当時3400円でした。)

どうしてもバイクの爆音って言う人は、シカゴのデビュー・アルバムに収録されたFree Form Guitarがお薦め。


ザ・バンドのサード、いい感じ

2024年09月22日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

ザ・バンドと言えば流行歌と比べるとルーラルで地味目のロックンロールで、曲によってはちょっぴり教条的に感じるなんてイメージが先走る。

しかしじっくり聴き込む事によって、後からその良さがジンワリやって来る。

彼らの1970年の3枚目のアルバム、Stage Frightはいい感じ。

全2作よりはサウンド的には割と明るめで馴染み易く感じる。それゆえ内省的な歌詞とは相反すると言う評論家もいて彼らの評価はやや低めだったそうな。

まあ、英語がネイティブの如く操れないオイラにとっては第一印象のサウンドが命。The WeightやI Shall Be Releasedのような突き抜けた重量級の曲が入っていない分、案外全体的にリラックス聴けて問題なし。

米盤はセピア・カラーのモノクロ・ポスターがジャケに覆われた形て販売された。

やっぱり地味なんだな。


1973年

2024年09月21日 | BEATLES-BADFINGER関連

1973年と言えばビートルズ・ファンのオイラにとっては豊作の年だった。

6月にポールのRed Rose SpeedwayとジョージのLiving In The Material Worldが日本ではほぼ同時に発売され、11月にはジョンのMind Game、更に年末のリンゴのソロ・アルバム、Ringoと元メンバー4人の揃い踏み。

当時のLPレコードの価格は2000円。今の価値に換算してみると、2020年の平均消費者物価指数を100とすれば1973年と2024年はそれぞれ38.6と105.6。即ち105.6/38.6=2.73倍となる。

当時、部活で忙しかった高校生のオイラとしてはアルバイトも出来ず、唯一の収入源が親からの小遣いのみ。そのお高い新譜のLP買っちゃうとその月は部活が終わっての帰り道にコーラ1本を味わう細やかな幸せも我慢せねばならなかった。

しかしながら我が家にはその4枚のレコードが同年に存在する事に...

たぶん正月のお年玉で返すからと口約束手形を切って親から融通してもらったのかも....もちろんその手形が不渡りになったのは言うまでもない。

今年は発売50周年としてMind Gameが既に発売され、Living In The Material Worldの記念盤も11月に登場するとのこと。

ちなみに既に発売されたジョンのアルティメイト・セットが3万円前後でジョージのスーパーなんちゃらセットが114.99ポンド(約22,000円ぐらい)って、そんな強気の価格設を見ればもう買えない人は買わなくてもいいよってって感じかな。

更に不渡り手形を受け取ってくれる相手ももういないし当時発売されて50年以上一緒に生きてきたかと思えば、ジョージ仰せの通りここらがマテリアルな世界からスピリチュアルな世界に鞍替えする潮時なのかも?


またまた10円レコード

2024年09月20日 | AMERICAN ROCK/POPS

近所のなんちゃらオフに久々に行ってみました、

ジョン・デンバーの1974年のGreatest HitsのLPの税抜500円と書かれたスティッカーの上に税込110円と値引きされた小さなシールが貼ってあったのを目敏く発見。

帯付きのジャケはダメージなくレコードの盤面にもスクラッチが見当たらなかったのでコンディション的には良と判断。

ちなみにこのベスト・アルバムは収録曲11曲中7曲を気合を入れ直して再録したものでなんと世界中で1千万枚ほど売れた大ヒット・アルバム。

オイラもその昔下手くそなギターをボロンと鳴らしカントリ~ ロード🎵 テイミ~ ホ~ム🎶って歌ってましたっけ。

CDで音源をすでに持っているけれど、敬意を表してゲット!

100円の割引クーポンを持っていたので、レジのキャッシュ・トレーに10円玉一枚しっかり置いてまいりました。

キリッ。


老けないボウイ

2024年09月19日 | BRITISH ROCK

1997年にデヴィッド・ボウイが出した通算20枚目のスタジオ・アルバム、Earthling。

なんとドラムン・ベースにループ・サンプリングとバリバリのエレ・ポップに挑戦。

90年代は丁度サンプラーを多用したファンク系エレ・ポップ、ジャングルと呼ばれたジャンルが局地的に流行っていた頃だったので、このアルバムが出た時はそれほど物珍しい存在ではなく、全英・全米チャートでそれぞれ6位・39位とボウイのアルバムとしてはちょっぴり物足りなかったような。

しかしそれから四半世紀経った現在改めて効いていると時代のギャップを感じさせないぐらい。これが当時御歳50歳の作品だったとはとても思えないぐらい若々しさを感じる。

やっぱりボウイが演るからいいんだね。


イタリアのチョコレート・キングス

2024年09月17日 | PROG ROCK

PFM(Premiata Forneria Marconi)といえば70年代から活動を開始したイタリアのテクニカルな演奏が売りのプログレ・バンド。イエスやディープ・パープルらのイラリア公演の前座を務め、ELPの目に止まり彼らのマンティコア・レーベルと契約し世界進出することに。

1975年の5枚目のアルバム、Chocolate Kingsは3枚目の英語の歌詞によるアルバムだった。

このアルバムにはベルナット・ランゼッティがボーカルに起用されジェネシスのような雰囲気を出している。またバンド結成時から独自の色合いを出したマウロ・パガーニーの弾くバイオリンもこの後彼がバンドから脱退することで聴き収めとなる。

ちなみにオイラがチョコレートって聞くと、同じ昭和でもまだ生まれていなくて実体験はないが、その昔第二次世界大戦後日本にやってきた進駐軍がチョコレートをばら撒いたなんて話を思い出す。敗戦国とすればちょっと屈辱を感じるかもしれないけれど、甘~いチョコレートんの誘惑には勝てず、ギッ・ミー・ア・チョコレートって言って子供達が兵隊たちに群がってっていたそうな。

敗戦の憂き目を見た国民は致し方ないと思いながらも記憶から消し去ろうとするが、ところ変わればまた違った反応も。

敗戦した枢軸国のメンバーのイタリアでも同じことが起こっていたそうな。

しかしこのイタリアでは一プログレ・バンドがアメリカをチョコレート・キングスと揶揄する。マンティコアと世界進出の契約を結ぶも、そんなの関係ないやと世界最大の音楽マーケットのアメリカに対してかっての王様も今や落ちぶれ醜態を晒しているて高らかに歌う…

まあ日本人は対外的に言いたいことを言わず何れ解ってくれるだろうと奥ゆかしさがありすぎかな。

オイラの数少ない経験からしても、海外に出ると主張しないとスルーされるのがオチ。

昨今の外交なんか見ていると、一番弱い対応である遺憾砲だけでは舐められちゃいますよ。

ぶくぶくになったアメリカのシンボル、マリリン・モンローをジャケに使って揶揄っているのが斬新的。

日本じゃまず出来ないね。

ちなみに、マリリンの変わり果てたイラストのイタリア盤ジャケはやっぱりまずいとなって、アメリカや日本では星条旗のパッケージの板チョコのイラストに差し替えられレコードの販売も翌年に延期されたとな。


スティーブ・ミラー・バンドって?

2024年09月17日 | AMERICAN ROCK/POPS

60年代にスティーブ・ミラー・ブルース・バンドとしてブルース・ロック中心の芸風からスタート。

そしてボズ・スキャッグスが加入時の頃にスティーブ・ミラー・バンドと改名しキャピトル・レーベルと契約。

当時流行りのサイケデリック・ムーブメントの影響を受け、1968年にファースト・アルバムを出しその後幾度かのメンバー・チェンジを経て中堅バンドとして活動を続けてきた彼らであった。

そして1973年に出したよりポップ志向のアルバム、The Jokerが全米2位となる大ヒットとなり遂にブレークを果たす。

本日はThe Jokerに続く1976年の9枚目の作品、Fly Like An Eagleでも。

(左利き用のジミヘン・モデルのストラトを右利き用に弦とストラップを付け替えたちょっと不思議な光景)

(30周年記念盤のCDにはボートラが、そしてDVDもおまけでついてくる。)

シンセのイントロに続くアルバム・タイトル曲、Fly Like An Eagleはファンキーなエレ・ポップ、ブルースを基調とした曲、またキャッチーで軽快な曲にオールディーズなど盛り沢山な内容となっていてこのアルバムも大成功(全米3位)を収める事に。

ただあまりにバラエティーに富んだ芸風なのスティーブ・ミラー・バンドを一言でと問われるとこれが中々難しい。

あぁ~、アブラカダブラの人?