CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ジャーニー最終形態

2024年08月31日 | American Hard Rock

デビューはインスト・プログレ系で出発したジャーニーもメンバー・チェンジを繰り返し、ボーカルにスティーブ・ペリーが加入するとハードでキャッチーなメロディーで勝負するようになりポップ度に磨きがかかり人気も急上昇。

そしてキーボードに元サンタナ・バンドのグレッグ・ローリーに変わって最終ピースとも言えるジョナサン・ケインが加入したことによってジャーニーの最終形態がここに完成。

1981年の7枚目のスタジオ・アルバム、Escapeは発売すると直ぐに全米1位となりマルチ・ミリオンのセールスを達成しプラチナ・ディスクに輝くことに。

このアルバムは80年代の幕開けを象徴するようなポジティブな雰囲気を持つアルバムだった。

混沌とした70年代後半のディスコやパンク・ブームも去って、ロックもようやく新たな時代へと突入。80年代は誰もがメロディアスなロックをもっと楽しく味わうようになっていった。

ただあまりに世の中の動向を楽観視し背後でバブルがゆっくりと成長しコントロール出来ない大きさになっていく事態を誰しもまだまだ大丈夫って過信していた。

とは言え、個人的にはバブルが弾けるまでは本当に楽しかった80年代だった。


未だ見ぬアメリカ、Chicago VIII

2024年08月30日 | Chicago

シカゴ は1975年に8枚目のアルバム、Chicago VIIIを出しチャート・アクションが全米1位を記録。ただ当時の評論家からは少々地味だと辛めの採点だったような。

とは言え社会的風刺をたっぷり盛り込んだ歌詞をジャズ・ロックに乗せて歌いちょっぴり尖っていたデビュー当時の頃と比べるとシカゴもポップ志向を取り入れずいぶん丸くなったなって印象だった。

まあ泥沼に陥った懸案のベトナム戦争もようやく終結の目処が立ち、取り敢えず時代が変わったのだろう。

Old Daysと過去を懐かしみ一旦リセット、さて今後アメリカはどこに向かっていくのだろう?と未だ見ぬアメリカを見据えるバンドとしてのトランジション期のアルバムですかね。


ポールの50年ぶりライブ盤

2024年08月29日 | BEATLES-BADFINGER関連

本日は同じポールでもポール・マッカートニーの今年になって急遽登場したスタジオ・ライブ盤、One Hand Clappingでも。

(左手を上下に動かし見えない手とクッラップを試みるが、果たしていかなる音が生成されるのだろうか?)

メンバーが脱退し残りの3名で制作された前作バンド・オン・ザ・ランが大ヒット。今後は新規メンバーを加入させバンドとしてライブ・ツアーとニュー・アルバムの制作を考えていたのだろうか、新ウィングスのお披露目として1974年8月末、アビー・ロード・スタジオでスタジオ・ライブを敢行しその模様を撮影してテレビでオン・エヤーすることが計画された。

ところが何故かその映像はテレビで流れることはなくお蔵入り。

ちなみにレッド・ローズ・スピードウェイのアルバムを当時のライブ音源を幾らか収録し当初2枚組LPで発売する予定もそのアイデアが却下され、またバンド・オン・ザ・ランの後にレコーディングされた本作も日の目を見なかった。ビートルズの中では一番ライブが好きと思われるポールはさぞかし大いに落胆したのでは…

それでも2010年にアルバム、バンド・オン・ザ・ランのアーカイブ・シリーズが制作され音源の一部とその映像がDVD化されようやく日の目を見た。

そして、本年に増補改訂版として新たにミックスされた2枚組CDが正式に発売されることに。レコーディングからまさにちょうど50年経った今、当時の音源の全容が復活した事は50周年記念としてネタ的には少々弱いが、アルバム・タイトルのOne Hand Clapping 、禅問答における“片手の拍手”って矛盾する言葉に惹かれてつい買ってしまった。

それって一体どんな音なのかな?

禅の世界とは全く無縁のオイラには取るに多分足らない風切り音しか聞こえないかも。


ポールのソロ

2024年08月28日 | S&G and etc.

本日は同じポールでもポール・サイモン、彼の1972年に出たセルフ・タイトルのソロ・アルバム、Paul Simonでも。

厳密に言えば1965年のイギリス録音のThe Paul Simon Songbookが彼のデビュー・ソロ・アルバムとなるのかもしれないが、それはS&G時代の曲の再録だった。即ちS&G解散後に全て新曲を収録して制作された今回のアルバムをソロ・デビューとする方が実質的にはしっくりくる。

基本的にはポールの手慣れたアコギ演奏を中心にしたバンド・サウンドで、アンデス民謡風を含むフォーク、ブルース、ジャズにレゲエとバラエティーに富んだ曲調に内省的な歌詞を被せてポールらしく軽妙にサラッと歌いこなしている。

S&G時代の残り香は感じさせるも、ソロ・アルバムだから当然なんだけれど、ポールの個性をより明確に浮かび上がらせそれまでの音楽活動とは一味違うポストS&Gの方向性を示している。


少々地味だけれど

2024年08月27日 | BEATLES-BADFINGER関連

本日は2005年に出たポール・マッカートニーのソロ・アルバム、Chaos & Creation In The Back Yardでも。

ポールと言えばシングル・ヒット間違いなしのポップな曲とおとなし目なバラッドなんかがうまく混ざり合った作風が売り。

ただ年齢を重ねるごとにウイングス時代に大ヒットした派手な仕掛けのポップ・ナンバーが少なくなり、このアルバムにも全体的には地味な仕上がりでかってのチャート・トップ・テン入りするようなシングルはなかった。まあ、何時までもバンド・オン・ザ・ランやビーナス・アンド・マーズのような作風は続けられないからね。

ちなみにアルバムのプロデュースはポールでもジョージ・マーチンでもなく、オルタナ・ロックに分類されるレディオ・ヘッド、ベックやREMなどのプロデュースで有名なナイジェル・ゴドリッチを起用している。

かってのアルバム、McCartneyのように今回ポールがほぼ一人で全ての楽器演奏する彼独自の創造性に新たに加えられたオルタナの風味がうまくマッチしていて、それまでのポールの作風とは一味違う新しい味わいが楽しめる。

地味なんだけれど何度も聴き返すとその良さがわかる。


8月になって

2024年08月23日 | Euro Pop

パリ・オリンピックが終了したその約1週間後、フランスの大スターだったアラン・ドロン氏が亡くなったと悲報が届いた。

70年代の頃は結構テレビで彼の古い映画よく見てたっけ。そして1973年の彼と女性シンガーのダリダとのデュエット曲、パローレ・パローレ(あまい囁き)が当時ラジオで結構オン・エヤーされていたのも思い出す。我が家にも何故か1枚存在する。

(何言ってるのか全くわからないけれど、おフランスって雰囲気はバッチリ)

ただ個人的に最もお世話になったのは、アラン・ドロンがTVコマーシャルに登場したレナウンのダーバン・ブランドの衣類かな。結構スーツ・タイやシャツなど揃えていた。

学生時代に教養課程で第二外国語にフランス語を履修したオイラ、フランス語の講師との何時も挨拶はComment allez-vous? Come ci Comm çaなる全くの初心者のレベル。それでもレナウンのコマーシャルでアラン・ドロンのキメ台詞、D’urban c’est l’elegance de l’homme moderneを今でも覚えている。

パリ・オリンピックが8月に終了するのは決定事項ではあるが、ドロン氏とレナウンが一緒にいなくなってしまったのはチョット悲しい。

ちなみにレナウンは2020年民事再生手続を開始するも、再生の見込みがないとの判断で同年の10月に破産手続きを開始、そして2024年8月に破産手続き終結と相成った。

オイラの昭和の記憶も霞んできたね。


EXPO’ 70?

2024年08月22日 | AMERICAN ROCK/POPS

手持ちのシングル盤、パラパラと眺めていたらこんなのが目に止まった。

1970年2月にシングル・カットされたベンチャーズのKyoto Doll(京都の恋)。

この頃はリード・ギターにノーキーに変わってマギーが、そしてキーボードにジョン・ダリルを加えた5人編成だった。

ちょうど同年3月に大阪万博が開催されるってことで、ジャケには万博記念年盤と記載されている。

ちなみにアメリカでも翌月発売され、そのタイトルはEXPO’ 70だったそうな。

EXPO’ 70と言えば確かアメリカ館に展示された月の石を一目見ようと長時間並んだけれど、いざ月の石の展示の前に来ると列の後ろから押し出されてあっという間に通り過ぎたような…

ああ懐かしい。

ところで、来年また大阪でEXPOあるけれどどうしようかね? 

もう長時間並ぶのはコリゴリだけれど。


たまには酔いどれてみたい

2024年08月21日 | AMERICAN ROCK/POPS

その昔、プライベートや仕事上の接待などでよくお酒を飲んだな~

しかしながら、歳をとるにつれて疲れが残り体に変調をきたす。ある日血液検査を受けてみると、ALTとかガンマなんちゃらなど肝機能の数値が軒並み大幅に基準値を超すことに。

流石にこれはいかんと禁煙と禁酒とまではいかずともかなりアルコール摂取量を減らすことに。

あれから数十年たち、それらの数値を基準値になんとか押し込んでいるオイラである。キリッ。

習慣とは恐ろしいもので、今ではチェイン・スモーカーだったオイラがタバコを吸いたいと思うことはなくなり、お酒もほとんど飲むことは無くなった。

本日はデビュー・アルバムから比べるとさらにディープな世界へ導かれる1976年のトム・ウェイツのライブ盤を挟んで4枚目のアルバム、Small Changeでも。

実年齢にそぐわない嗄れた声での印象的なジャズ・ボーカルは訳詩をみないと一体何歌ってんだかわからないのだけれど、酔いどれストーリーの雰囲気は感じられる。

このアルバムを一人聴いていると、今宵は一緒に酔いどれてみたい気分。

チョット一杯何かもらえる?

へーい、ただいま!

何これ?

ホット玄米茶で。来週血液検査でしょうが?

OMGosh!。


ピクチャー・レコード

2024年08月20日 | BEATLES-BADFINGER関連

8月8日、日向灘で起こった地震に関連して臨時情報が出た。

遠く離れたこの地でも揺れが観測されオイラの相方はそれを瞬時に感じ取ったものの、鈍感なオイラは速報でそれを知ることに…

それから1週間以上が経って取り敢えず一安心。とは言え地震は何時何処で起こるかわからない。

我が家でも安全点検してみることに。

目についたのがガラス・カバー付きの額に入れて壁に飾っていた数枚のピクチャー・レコード。もし大きな揺れで壁から外れ床に落ちればガラスが粉々になって大惨事てなことになりかねないので壁から外すことに。

通常のレコードのプレスとは違う方法で製造されているピクチャー・レコードはよく音質が悪いとよく言われているので、それに従い我が家でも鑑賞用として額縁に挿入。

ただ、何が原因でそのように言われているのかネットで調べてみるも、通常のレコードと比較して何かが足りないってな主観的な意見が述べられているだけで、データを付けた客観的な説明が見当たらない。

本当のところどうよ!

久しぶりに地上に無事生還したピクチャー・レコードを水拭きして埃をとってターン・テーブルに乗っけてみた。

(1978年に出たビートルズのペパー軍曹のLP)

ちゃんと音が出てるし問題なく楽しめる。まあ地震の揺れを感じ取れなかった低感度なオイラの主観的な意見ではありますが…

個人的にはピクチャー・レコードやカラー・レコードの欠点と言えば、もし盤面に雑音を発生させるような傷があってもそれの位置を特定することが困難で、その箇所をある程度修復させるためのオイラの必殺技、爪楊枝の奥義が使えないって事かな。

1979年に出た英盤のペパー軍曹。レコードのジャケ写真と同じ縮尺のピクチャーが挿入されている。

かなり昔に中古で買ったのだけど、一見してわからない傷があって再生時にプチ音の連続。これは本当にビジュアル観賞用となった。(泣)


テクノ系は苦手

2024年08月19日 | Jeff Beck, Eric Clapton and etc.

ジェフ・ベックの1999年のWho Else!から始まったエレクトロニカ・テクノ・インスト路線も2003年のアルバム、Jeffで三部作として完結。

その存在自体が唯一無二なる偉大なギタリスト、ベック先生の作品ゆえ粗相の無い様漏れなくお付き合いさせていただいた。

テクノ系がちょっぴり苦手なオイラでもこの3連発はガツーンと来たね。

ただオイラ的には第二期ジェフ・ベック・グループあたりのロック・サウンドが一番合っているね。


1986年、ジャクソン・ブラウン

2024年08月19日 | West Coast Rock

1986年の頃って何をしていたのかな?

あまり記憶がない。

調べてみると、ウクライナがまだソ連邦の一部だった頃で、チェルノブイリの原発で放射能が漏れた事故があった。それから38年経った今、ソ連が解体されその内のロシアとウクライナが戦果を交えているなんて当時一体誰が想像できただろうか?

さらにアメリカの大統領はロナルド·レーガンがその職についていて、宇宙を舞台にした戦いをするためスター・ウォーズ計画なるものがあった。

そんな緊迫した世界情勢で我が国ではバブル景気なるものが始まり浮かれ気分だったけ。

本日はジャクソン・ブラウンの1986年の作品、Lives In The Balanceでも。

80年代に突入してから時代の変化を感じ取り作風も70年代の内省的なフォーク・ロックからもう少しロックよりになったかな? また歌詞はこのアルバムからより政治的なものに変わった。ただ政治的な歌詞となるとそれをジャクソン・ブラウンに求めていないリスナーはやっぱり敬遠し、アメリカでは売り上げを落としたみたい。

ちなみに38年経った今、彼の歌詞と答え合わせをしてみると、相変わらず世界のどこかでドンパチやっていて何も変わっちゃいないね。


オイラの夢

2024年08月17日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

1968年のアルバム、Sweetheart of The Rodeoで新加入のグラム・パーソンにかき回された感のあったバーズ。

アルバム完成後はオリジナル・メンバーのロジャー・マッギン除いて以外全員がバンドから脱退。

アルバム制作時のセッションギタリストだったクレランス・ホワイトらを含む4人が新たに正式メンバーとして加入し、4人組となってスタートした。

そしてバースとして通算8枚目のオリジナル・アルバムで4人組としては2枚目のアルバム、Ballad Of Easy Riderが1969年末に完成。

フォーク系のカントリー・ロックは派手さはないけれど心に染みて結構癒される。ちなみにロジャー作(ディランも曲作りに関与)のタイトル曲が映画、Easy Riderのサントラに収録され映画の大ヒットによってこのアルバムもそこそこ売れたそうな。

このBallad Of Easy Riderを聴くと、特にさしたる目的もなく自由気ままにアメリカの大地を貫く一本道を大型バイクでイージー・ライダーのように風の如く駆け抜けてみたくなる想いが沸々と湧き上がる。

原付免許しか持ってないオイラだけれど…


Don’t go sleeping with the past!

2024年08月16日 | ELTON JOHN

無敵の70年代と比べると、80年代は少々息切れした感のあったエルトン。

声帯に異常をきたしたり、ゴシップ記事に悩まされたりはたまたアル中に陥いったりと色々あった80年代。築き上げてきた名声に応え続けるための精神的なプレッシャーは半端でない。

そんな逆境にもめげず1989年に出た通算22枚目のアルバム、Sleeping with The Past は80年代に出た代表作とも言える好アルバムに仕上がった。

(このアルバムは君に捧げる、バーニー...)

60年から70年代のR&Bを下敷きにして出来上がったこのアルバムはエルトンにとって精神的なプレッシャーを跳ね返すリラックスした作品となった。

過去の思い出に浸っていちゃダメなんだ!

って気づかされた。

バーニーに感謝!


Long May You Run

2024年08月15日 | CSN&Y

1974年、CSN&Yのツアー終了後、彼ら4人は新たなアルバムの制作に取り掛かるも何故か険悪なムードで完成に至らず空中分解。

1976年になってスティーブン・スティルスとニール・ヤングの2人が活動をスタートさせ、そのレコーディングにクロスビーとナッシュが加わりCSN&Yの再結成かと思いきや彼らがレコーディングの途中で抜けてしまい、結局Stills-Young Bandという形でレコーディングを継続するも、その後スティルスとヤングが仲違いしアルバム1枚を残してバンドは解散。

特にスティルスとヤングはバッファロー・スプリングフィールド結成時から活動を共にしお互いをリスペクトし合っていたと思っていたのに、彼らの仲もかなりセンシティブだったみたいで…

このアルバム、スティルスが提供した曲がちょっと弱いけれど、二人のほっこりしたコーラスを売りにしたタイトル曲Long May You Runはなんでもニールが以前持っていた車を題材にした作品だそうで、これ1曲だけでもオイラとしては感涙ものです。

 

Long May You Run

俺たちはあれこれ一緒にやってきたっけ

今なお出てくる思い出の詰まったトランクを持って

苦難の中で、やるべき事を見つけてきた

ずっと走り続けられますように…

 

ずっと走り続けられますように…

たとえ変化 がやってきたとしても

日差しのもと光り輝くクロームの心を持って

ずっと走り続けられますように…

 

1962年のブラインド・リバーだったね

元気一杯の君を見たのは

長い下り坂でシフト・ギアがオシャカになったのが懐かしい

ずっと走り続けられますように…

 

君は、今じゃビーチ・ボーイズの虜になっているんだろうね

“キャロライン・ノー”を歌いながら

ガラ空きの海辺の道を車で突っ走る 

波乗りに間に合うように


オイラのSSW入門は

2024年08月15日 | SSW

レコードで洋楽を聴き始めた70年代初め頃は、ビートルズ、サイモンとガーファンクルにカーペンターズなど定番のアーティストばかりだった。

ある日アニキが洋楽好きの友達からLPレコードを借りてきた。

その中の一枚がキャロル・キングの1970年のTapestry。

それまでの万人受けするポップ度全開のアーティストと違って彼女の紡ぐサウンドは当時中坊だったオイラには少々とっつきにくい大人びたものではあったが、何度も繰り返し聴いているうちに鈍感なオイラも遂に目覚めたね。

てな事で、この後エルトン・ジョンやジェームス・テイラーなどSSW系のアーティストをどんどん聴いていくことに。

ところでこのアルバムは、世界中で通算一千数百万枚と売れに売れたね。