CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

10円レコード、その3

2024年10月04日 | JAPANESE

またまた懲りずに近所のなんちゃらオフに行って10円レコードを発掘。税込110円の値引きされた小さなシールが貼ってあった中古レコード群に狙いを定め、いつも通り必殺の100円の割引クーポン提示しレジのキャッシュ・トレーに10円玉一枚しっかり置いてまいりました。

キリッ。

本日発掘したのは、60年代末ごろから関西フォークをリードした五つの赤い風船のアルバム。

会員制のレコード・クラブちょして発足した、URC(アングラ・レコード・クラブ)レーベルではなく、ビクターが当時 “フォークの殿堂シリーズ”と銘打って彼らの作品をフォーク・アルバム第一集として1969年に出したもの。

(この空気排気口からして、新宿駅前?)

当時はベトナム戦争真っ盛りで結構反戦歌的なものがアングラ系フォーク・バンドによって結構レコーディングされていたね。洋楽専門に聴いていたオイラは70年代になって彼らの存在を知ったが、当時はちょっと一歩引いた感じの距離感だった。

確か90年代頃に彼らのベスト物のCDを買った筈がいつの間にか見当たらなくなり、今回懐かしさのあまりつい買ってしまった。

改めてレコードに針を落とすと、前の持ち主が結構聴き込んでいる感があって音はそれほど宜しいわけではないが、あの時代の雰囲気が朧げながら記憶に蘇る。


オイラの個人的な愛重盤

2024年09月12日 | JAPANESE

本日は邦楽のLP。

チューリップのメジャー活動10周年を記念して1981年に出たアルバム、The 10th Odysseyでも。

プロになってからのオリジナル・メンバーだった吉田彰と上田雅利が脱退し新メンバーが加入しての2枚目のアルバムで、ますます財津和夫のバンド内での存在感が更に大きくなってきた。

実は心の旅だとかサボテンの花だとか彼らの数々ヒット曲は知っていたけれど、ずっと洋楽ばっかり聴いていたので、彼らのレコードを買ったのはこのアルバムが初めてだった。

ジャケ・アートの印象や宇宙がなんちゃらって歌っている曲が収録されているけれど、基本的にはそんなイメージ抜きでまったりとしたアルバム全体の雰囲気が妙に気に入り心地よく聴くことができた。

就職して見習い期間もすでに過ぎ3年目を迎えた当時、就職先が小さい会社こともあってすでに実戦投入され気の抜けない毎日を送っていた。そんな時、多分洋楽ではなく日本語で歌われる少々緩めのミュージックの方が心が癒されると思ったのか結構繰り返して聴いた記憶が…

他の人がどう思おうと、あれから40数年たった今でもたまに聴く個人的な愛重盤であります。


デッド・エンド

2024年07月16日 | JAPANESE

70年代、日本語のオリジナル曲プラスあちらの曲を英語でカバーする構成の和物ポップ・アルバムはちょくちょく見かけた。

1977年発売のゴダイゴのセカンド・オリジナル・アルバム、Dead End、これは全く違うコンセプト!

もちろん海外進出って考えは頭にはあったのだろうけれど、何しろ日本のリスナーに対しても全編英語の歌詞によるオリジナル曲をぶち込んでアルバムを制作。自らのスタイルを貫いていくその姿勢に共感したね。

ただ日本の一般的なリスナーに浸透するにはもうひと工夫の仕掛けが必要。それが翌年のNTVのテレビ・ドラマ、西遊記のテーマ・ソングに採用されたモンキー・マジック。

歌詞が英語で歌われようが、やっぱりゴールデン枠に放映された人気ドラマとのタイ・アップはすごい破壊力で、ゴダイゴの人気は一気に上昇。

その点でモンキー・マジックと比べれば派手さはないものの、このアルバム、高い演奏能力に裏打ちされたプレグレ感が心地よい。

ブレイクする前夜の袋小路を彷徨っていたゴダイゴであった。


110円のLPに想いを寄せる

2024年07月06日 | JAPANESE

昨日大人買いしたレコードの1枚を紹介したい。

1977年のハイファイ・セットのサード・アルバム、Love Collection。

このアルバム当時大ヒットしたそうで、調べてみるとオリコン11週連続で1位を獲得し、先行シングルのモーリス・アルバートのFeelingsのカバーもヒットした。また松任谷由実の雨のステイションと中央フリーウェイを本家を超える歌唱力でカバー。もちろん本家の特徴のある声質での歌いっぷりは、それはそれで悪くはない。

帯付きジャケは一般的な中古のレベルで、また盤面もキズなしでこの値段であれば問題はない。

少し前であれば邦楽のレコードは大体100円程度だったが最近はレコード再ブームの中アーティストによって300−500円の値付けとなっている。

ただいつかはこのブームも去り、またまた物置の肥やしに逆戻りか中古ショップへの流浪の旅に出るんだろうね。

オイラの場合は、オイラが長年にわたって集めたレコードのコレクションを家人の誰もが引き継ぐ意思はなく(まあ粗大ゴミですからね)、また鰻の寝床のような自宅にはさらなる収納スペースもなく中古ショップ行き確定。


Mannaのセカンド・アルバム

2024年06月19日 | JAPANESE

ここ最近80年代の日本発シティー・ポップスが再び注目を集め、なんとそれらの中古盤が発売当時の価格を上回るような結構な値段で取引されているそうな。

慢性金欠病に罹患しているオイラにはとっても手が出ない。てな事で本日は昔買った70年代末に登場したニュー・ミュージック系女性シンガー、Mannaのレコードでも。

1979年に細野晴臣らティン・パン・アレイ系のミュージシャンの洒落たアレンジのバックにデビュー・アルバム、Chabako Trickを制作。当時ラジオでオン・エヤーされていたYellow Magic Carnivalに登場するとぼけた感じに聞こえる柳昇さんのフレーズについ惹かれて買っちまった。

そして翌年にはセカンド・アルバム、Mannaを発売。当時局地的にオン・エヤーされていたTokio通信にこれまたハマってつい買っちまった。

アメリカン・ポップス調のふんわりとした歌いっぷりがこの人の特徴で、結構癒されます。

ただ彼女のソロ・アルバムはこれら2枚しか出なかって、もう少し続きが聴いてみたかったね。

ちなみに歌謡ポップの第一人者である筒美京平氏の作品が4曲入っている。

 


まあ肩の力を抜いて

2024年05月29日 | JAPANESE

本日は1992年5月に出た尾崎豊の最終アルバム、Confession Of Exitでも。何とこの作品が発売される直前にお亡くなりに…

名前は知っていたけれど、後追いで買ったのでその当時のことはよく知らないけれど、アルバムの副題に、“生きること、それは日々を告白して行くことだろう”って書いてあることから、人物像としてかなりセンシティブで自身のフィロソフィーで常々自身を律しないと前に進めない感じですかね。

三日坊主で無神経、都合の悪いことはすぐに無かったことにって感じで生きてきたオイラとは対極の存在。

まあ肩の力を抜いて彼の音楽を楽しみましょうって言ったら、尾崎豊を語る資格なし!て言われるかも…


オイラのアイドル

2024年05月13日 | JAPANESE

本日は70年代アイドルのシングル盤を取り上げてみる。

オイラがファンだった南沙織の1972年の4枚目のシングル、純潔でも。

この頃は今とは見違えるくらいの純情な少年だったわけで、彼女のような少し年上の憧れのおね~さんに、よく歌の文句じゃないけれど"好きよ”なんて言われたら卒倒してしまったのではないかと…

今年の初めにお亡くなりになった旦那の篠山紀信氏と結婚した時は、オイラのアイドルが行っちまった~と悲しんだけれど、個人的には篠山氏の週刊誌に掲載された激写シリーズをよく立ち読みさせてもらい大変お世話になったこともあって、まあ仕方ないのかと複雑な気分でもあった。

ところで、洋楽好きのオイラからしたら、この曲を聴くといつも思い出すのが北アイルランドのR&Bシンガーのヴァン·モリソンが出した1971年のアルバム、Tupelo Honey。そのアルバムからシングル·カットされたWild Nightのイントロにクリソッじゃねぇ!

まあそんなこんなで、この曲今でも結構印象に残っている。

私愛してる〜 彼も感じてる〜 恋は大事ね〜 🎶

本当、大事ですよ。


たまにはしっとりと

2024年05月10日 | JAPANESE

中島みゆきのカバー第一人者といえば研ナオコ。

彼女の名前を知ったのは1972年のシングル、京都の女の子。大ヒットにはならなかったけれど、当時小ヒットしたぐらいは売れたと記憶している。そして1975年の宇崎竜童が彼女のために書き下ろした愚図もよかった。

そしてその後彼女は中島みゆきの作品をカバーしていくことに。

本日は1978年に出た中島みゆきの作品のカバー集、Singer Naoko VS Writer & Composer Miyukiでも。

それにしても歌が上手いと思う。他のアイドル系歌手もカバーしていたけれどレベチだったね。

当時はテレビでコメディアンヌを演じお茶の間に笑いを振り撒いていたのをよく目にしていたのでこのアルバムを聴いて改めてそのギャップに驚く。

欲を言えば、このアルバムの後に出した中島みゆき作のシングル、ひとりぼっちで踊らせてが収録されていたら完璧だったのに。


Time Out!

2024年03月24日 | JAPANESE

1989年の6作目のイギリス録音のアルバム、ナポレオン・フィッシュと泳ぐ日と1992年の8作目の矢野顕子やヨーコ・オノ親子らがレコーディングに参加した話題作、Sweet16に挟まれ少々地味に感じられた佐野元春の1990年のアルバム、Time Out!。

世の中色々あって内向きになることも多々あるけれど、肩の力を抜いてやり過ごせばきっとBig Timeが訪れる。そう精神的にオイラも大人になった。

Time Out!

一回休みの癒しのアルバムですかね。


和物ロック

2024年03月15日 | JAPANESE

久々に尾崎豊の1990年の5枚目のスタジオ・アルバム、誕生(Birth)を取り出す。

今から34年前、彼が亡くなる2年前の24歳で作り上げたこの作品はCD2枚組にびっしり収録された結構なボリュームとロック・サウンドをバックにしたパワフルな歌唱は、オイラにとっては超ヘビー級な存在で今でも圧倒される。

ただ歌詞の内容からして歌っている本人も相当プレッシャー感じていたのかな。

あまりに繊細で神経すり減らしちょっと生き急いだ感はあるね。

たまにはオイラみたいにもっと能天気にふわっと生きて行くのもアリかも...

まあ、あんたはいつも能天気だったって言われそうだけれど...


オイラのニュー・ミュージック原点、その2

2023年12月18日 | JAPANESE

個人的に和物の原点となるアルバムと言えば荒井由美以外にこのアルバムも忘れてはいけない。

1973年の師走、ちょうど50年前の今頃に出たお化けアルバム、井上陽水の氷の世界。なんでもLPの売り上げが初めて100万枚を超えた記録を打ち立てた。

当時音楽好きの若者がいた家庭ではほぼ一家に一枚って感じで、そのためかどこの中古ショップでもよく見かけるアルバムでもある。

(陽水の変貌って帯に書かれたキャッチ・フレーズが目を惹く。)

(ロンドンでの一コマって感じの写真ですかね? 電話していないのにボックスに入ってかけてるポーズ、あるあるネタ)

過去の2枚のスタジオ・アルバムよりも曲によってはロック色が強まりオイラのアンテナにも引っ掛った。

井上陽水はビートルズを結構気に入っていた様で、このアルバムでも幾らかの曲をわざわざロンドンまで出向いて、あのビートルズやその他有名ミュージシャンが使ったトライデント・スタジオや別の著名なアドビジョン・スタジオなどで現地のミュージシャンとレコーディングしたそうな。

サイドAはアップ・テンポの“あかずの踏切”から2曲目の“はじまり”更にフォーク調の“帰れない二人”へとシームレスに繋がってゆき、4曲目ではワルツ調の“チエちゃん”のそしてロックな“氷の世界”へと目まぐるしく展開していく構成が芸風は違えどやっぱりビートルズを意識していたのかな?

 


オイラのニュー・ミュージック原点

2023年12月17日 | JAPANESE

60年代末から70年代初期の日本のフォークやロックって言えばテレビで一般ウケする歌謡曲寄りのアーティスト以外はまだまだアンダー・グラウンドって感じでたまにラジオでオン・エヤーされる程度だった。

洋楽を主に聴いていたオイラはそれほど和物には興味が無かったけれど、荒井由美のデビューによって徐々に日本のアーティストにも興味を持つ様に…

個人的に和物の原点となるアルバムと言えば、彼女のファースト・アルバムのひこうき雲も捨て難いが、やっぱり1974年のミスリムを推す。

(なぬ〜 秘技、幽体離脱?)

それまでの歌謡曲にないメロディーやアレンジメント、更に彼女の初々しい歌唱が新鮮に感じた。

まさしくオイラにとってニュー・ミュージックだった。

ただ、次作のコバルト・アワー以降のアルバムは、確かにアーティストとしてのキャリアを重ねるごとに更に進化したのかも知れないけれど、それほど興味を持つことはなかった。

やっぱり初期の頃の初々しさからくる透明感を求めていたのかも…


アリスとの遭遇

2023年10月24日 | JAPANESE

先日、谷村新司氏が亡くなった。

アリスがレコード・デビューしたのは、ちょうど私が高校生だった頃。

ロックばっかり聴いていたので日本のミュージック・シーンには疎かった私だが、当時レコードの貸し借りがクラス内でよく行われていて、ニュー・ミュージック系フォーク全盛時代だった頃の拓郎、陽水とかアリスのLPレコードをレコード・ショップがくれる厚手の紙袋に入れてクラス・メートが大事そうに抱えていたのを横目で見ていた。

そう、クラス内ではカミング・アウトしない人を含めてもロック派は圧倒的にマイナーな存在で少々肩身の狭い思いがあったかな。

そんな私だったが、徐々に聴くジャンルを広げて和物も聴くように。

アリスは1976年の“今はもうだれも”や“遠くで汽笛を聞きながら”が収録された5枚のスタジオ・アルバム辺りから全国的に認知され、1978年の“冬の稲妻”で大ブレーク。テレビのヒット・パレードでよく見たっけ。

本日は1973年の彼らのセカンド、Alice IIでも。

(手持ちのLPは1975年の再発盤)

まだまだアンダー・グラウンドの時代だった彼らだが、それほど大仰な歌詞もなく素直で初々しさが残る作風は割とお気に入り。

ちょっと早過ぎたね、チンペイさん。

合掌。


懐かしのレコード

2023年09月08日 | JAPANESE

1969年、アメリカの女性フォーク・デュオとして日本デビューしたベッツイー&クリス。

北山修と加藤和彦コンビのペンによるシングル第一弾”白い色は恋人の色”は大ヒット。

辿々しい日本語での歌唱がより初々しさを感じさせる。

白い色って汚れのない色。何か忘れていたものを思い起こさせる。

オイラにもこんな真っ白い時代があったんだ。

(当時日本コロンビア系列のデンオン・レーベルから発売された。そのデンオン、今じゃデノンと名乗っている外資系の音響製品製造の会社だ。)

 


久保田早紀

2023年09月06日 | JAPANESE

80年代前半にかけてシティー・ポップ系のサウンドで人気のあったSSW久保田早紀。

1979年にアルバム、夢がたりでデビュー。シングル・カットされたオリエンタル・エキゾチックな香りを醸し出す異邦人が大ヒットし人気を博す。

因みに1984年の結婚後に久保田早紀としての活動を停止し、その後は本名久米小百合で教会音楽家として活動再開ってWikiに書いてあった。

我が家にも彼女の古いCDのベスト・アルバムがある。

CDジャケに1992年の日付が表記されていたのでもう30年ほど前に買ったものだろう。80年代当時、テレビのCMでよく聴いた異邦人とオレンジ・エアメール・スペシャルをもう一度聴いてみたいと思い多分買ったのかな…

買ったは良いけどほとんど聴かず放置していたCD棚から発見!

ヒット曲はもとより全体的にしっとりしていい感じ。

昔はよかったなんて言うとオジンの戯言って言われるかも知れないけれど、本当にいいんだから。