CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

昨日レリビーをレコードで聴いてオイラもふと思った

2024年05月09日 | 考察シリーズ

CDとレコード、同じタイトルの音源を聴いてみるとその音質は確かに違う。

もちろんどちらの再生音がいいかは個人の感性に委ねられるのだが、音を0と1の数字を組み合わせて数量化されたデータを非接触な光学的手法で読み取り再生するCDの方がやっぱり原音に忠実ですかね。

アナログの場合は、マスターの音源からラッカー盤にカッティングを施す際低域でのレコードの溝の振幅を抑え高域帯ではブーストする、いわゆるRIAAカーブの周波数特性を補正するフィルターが使用され、再生時はその補正を打ち消す逆作用のフィルター(フォノ・イコライザー)を使用して再生する。またカッティング・エンジニアによって独自に限られたスペースに最適にレコードの溝を切っていく作業もあるし、レコード針の形状や材質、カートリッジに取り付けられたカンチ・レバーの材質によってレコードの溝をトレースする能力も微妙に異なってくる。

それらの事を考慮するとアナログの再生音は原音(マスター)と異なっているのではないかと思える。

CDは20KHz以上の一般的に非可聴域に当たる高域をカットしているのに対してレコードはたとえ聴こえなくとも高域帯の音源も記録しているので音がいいと言っている人もいるが、これに関しては少々疑問に思う。レコードに関しては高域は大体15KHz程度まででその後減衰していくって話もあるのでそれほど音質に影響はないのではと考える。

そこで思ったのは、楽器などを演奏するとき倍音(ハーモニック)が生成され音質に奥行きが感じられる時がある。すなわち溝をレコード針で物理的にトレースする方式のレコード・プレイヤーが楽器のようなものと考えれば、楽器と同様に再生時に倍音が生成され心地よく聴こえるのかな? 

知らんけど…

おじ~いちゃん、おじ~いちゃん!ってば~ それって気のせいだって。

だってもう11KHz以上のモスキート音聞こえないんでしょ!

(でっ、モスキート音聞こえた? いや〜 ちょっと無理!)

むむ~ 確かに。

うんちくを垂れるには説得力がないほど聴力の劣化したオイラでした。


ビートルズとローリング・ストーンズ

2017年08月01日 | 考察シリーズ
このグループ何かといつも色々比較される。

1963年ビートルズがパーロフォンからメジャー・デビューを果たすと、翌年英デッカからストーンズもデビュー。

この2組のバンド・メンバー達がお互い対抗心の様なものを持っていたのかは定かではないが、少なくとも所属レコード会社セールス部門においてはかなり意識して競争していたように思える。

何しろ、両バンドとも流行の最先端を追いつ追われつでアルバムを次々と発売していったのである。

この関係はビートルズが1970年に解散した後も続く。

特に21世紀になってからの両バンドの旧音源の再発ラッシュはすごいものがある。

2002年、ストーンズは英デッカ( ABKCO)時代の音源をリマスターしSACDと通常のCDで再発。

2009年、ストーンズはストーンズ・レーベル時代の音源をリマスターし通常のCDで再発。

2009年、ビートルズがすべての旧音源をリマスターし、通常のCDのばら売り以外に、ステレオ・ボックスとモノ・ボックスを一気に出す。

2010年、ストーンズはデッカ時代(1964-1969)とストーンズ・レーベル時代(1971-2005)の2組のLPボックスを出す。

2012年、ビートルズも負けじとステレオ・リマスターLPをバラ売りとボックス・セットで販売

2014年、ビートルズはさらにモノ・リマスターLPをバラ売りとボックス・セットで販売

2016年、ストーンズはモノ・リマスターLPとCDの2種類のボックス・セットを販売

2017年5月、ビートルズはサージャント・ペパーズの50周年記念リミックス盤のCDボックス・セットと2枚組みLPを発売。


これで終わりと思いきや、

本日、海外から広告のメイルが届き、ストーンズがビートルズのサージャント/ペパーズに影響を受けた、サイケデリック・アルバム、THEIR SATANIC MAHESTIES REQUEST(魔王賛歌)の50周年記念ボックス・セット(モノとステレオ)を年末に販売するらしい。


現在は、両バンドともユニバーサル・レーベルの傘下であるので、かってのパーロフォンと英デッカの対決と言う構図はなく、ユニバーサルの一人芝居っていう感ではあるが、両バンドのファンであり多額のお布施を要求される彼らの音源のコレクター達は、何時までこんなことが続くのかとため息をつくことになる。

と此処で思い起こすのが、一つの楽曲。

ジョーンバエズが1967年のイタリアでのコンサートで歌った、イタリア語の曲、CERA UN RAGAZZO CHE ME AMAVA I BEATLES E I ROLLING STONES(邦題は確かビートルズとローリング・ストーンズだったような)である。

LIVE IN ITALYとして当時イタリアで発売された。日本盤はLIVE IN EUROPEと銘打たれ、ジャケと曲順が変更されて発売された。

日本でのコンサートを終えた後、イタリアに飛びコンサートの模様を収録したレコードを大昔に買った。そこでは、なんとディランの風に吹かれての一節をたどたどしい日本語の歌詞で披露している。

1960年代当時、果たしてどれほどのイタリア人が日本という国を理解そして認識していたかとなると心もとない。

イタリアの聴衆は、ヨーロッパから遥か彼方の国の言語に何じゃこれは!と反応したのではなかろうかと思うと、これのバージョンを最初に聴いた時は少し気恥ずかしい思いもした。

しかし今思えば、若い頃のバエズの美しいソプラノ・ボイスでディランの日本語盤の風に吹かれてが聴けるのは貴重な音源と思う。

話を元に戻して、そのビートルズとローリング・ストーンズについて書く。

日本盤はこの曲は、サイド2の最後の曲として納められていていた。

アルバムは日本の自宅にあるので、ライナーの翻訳を確認でいないのであるが、曲の内容は確か、ビートルズやストーンズのファンであった若者が、ギターを手放しベトナム戦争に駆り出されて行く話だった。

上官から命令でビートルズやストーンズを聴いたり歌ったりするのは止めろ。

そんな暇があれば、べトコンに向って機関銃をタッタッタッタッと発砲すべきだ!

そして、最後にその若者は戦地で死んでいくと言う悲しい話の歌だった記憶している。

明るいフォーク調のメロディーからはまったく想像出来ない。

本当に戦争となると、この歌のようにビートルズもストーンズもあったものではない。

などと8月を迎えてシリアスに考えてみた。

両グループの新しい音源を出し合う商売上での戦争なんて可愛いものだ。

コレクターとすれば、何とかお布施さえ捻出できれば、ハッピーになれる。



ジャケットを楽しむ、その2

2017年01月25日 | 考察シリーズ
1978年のブラック・サバス8枚目のアルバム、NEVER SAY DIE!

ボーカルのオジーをアル中のためその前年解雇し、代わりのボーカリストを起用 したものの、今ひとつしっくりこなくて、オジーの再登板となった。

チャート的には全英12位、全米69位と振るわなかったし、楽曲も少しブラック・サバスとはイメージは異なったので、あまり評判のよくないアルバムとなった。

しかし、今聴くと、無茶苦茶批判されるほど悪くはない、個人的には結構いけてる ハードロック・アルバムだと思う。

ところで、このヒプノシスのデザインのジャケット、なんだか不気味で、鼻の頭に電線がコネクター接続されていて、鼻の両サイドに3本ずつチューブが繋がっている風貌で、戦闘パイロットというよりは、何か昆虫人間のエイリアンを想像してしまう。

そしてそのバック・グラウンドには、飛行機が写っている。

ジャケットの裏表を見ると、航空ファンであれば多分すぐに反応するのではないか。

ジャケット表のアメリカ空軍のマークとジャケット裏の飛行機のキャノピー(風防ガラス)の形状から、この飛行機はNORTH AMERICAN T-6、通称 TEXAN であるとすぐにわかる。


TEXANは1939年にプロト・タイプが完成し、第二次世界大戦や戦後各国で戦闘もしくは訓練用に使用された複座の単発機である。


ピストン・タイプの空冷エンジンに装着された丸みを帯びたエンジン・カウルは、零戦とよく似ていたので、戦後の戦争映画に登場した零戦は、大概TEXANがその役を果たした。

その昔、日米合作で製作された映画、トラ、トラ、トラ!に登場した零戦は、TEXANをアメリカで単座に改良したものを使用した。

トラ、トラ、トラ!の映画のパンフ、よくこんなものが家に残っていたものだと感心する。


下から、テキサンを改造した99式艦上爆撃機、テキサンを改造した零戦、そして黄色のテキサン。

ヒプノシスは、このデザイン以外に、アルバム・タイトルからインスピレーションが浮かんだのか、手術前の医師団のデザインも作成した。

ブラック・サバスは、最終的にこのパイロット・デザインを選択し、医師団のデザインは、レインボーの1981年のアルバムDIFFICULT TO CUREに使用された。


それからもう一つ不思議なことがあり、NEVER SAY DIE!の表のジャケットに何かゴーストのようなものがうっすらと写っているのである。

この写真ではよくわからない。確認するには米盤LPのジャケが必要。

しかしながら、じっくりLPのジャケットを眺めていても、輪郭がはっきりせず、何を意味するのであろうかよくわからない。

ちなみに、手持ちのCDのジャケットにはそれは写り込んでいない。誰か詳しい方いらっしゃれば、是非教えていただきたものだ。

それはともかく、レコードを聴かずとも、一杯やりながらジャケットだけでも結構楽しめるものだ。

ジャケットを楽しむ

2017年01月24日 | 考察シリーズ
今日少し時間が空いたので、ちっと車を飛ばして近所にできたハード・オフでレコード漁りを30分ほど楽しんだ。

昔は、ハード・オフの一枚 100円のジャンク箱を漁ると、結構掘り出し物に遭遇したのだが 、今やジャンク箱は本当にジャンク物ばっかりで1枚100円でも買う気のおこらない、ボロボロのレコードばっかり!

せっかく来たのに、手ぶらで帰るのもなんなので、ジャンク扱いでない中古レコードの売り場に来てびっくり。

ちょっと小マシなレコードを手に取ると値札が1500円とか2000円台とびっくり仰天。

専門の中古レコード・ショップ顔負けの、強気の値付けだった。

ジャケがしっかりし、さらに帯も付いていてそこそこ見栄えが良くとも、この価格設定はないんじゃないかと思ったけど…

帯なしでいいから、比較的ジャケットにダメージが少なく、傷の確認のためレコード盤を検品したもの3枚、値段が500円台ということもあり、ま〜いいかって感じで衝動買い。

CDでは紙ジャケとプラケースの通常盤を所有しているのだが、LPサイズの大きなジャケットは飾りにもなるので、ジャケ買いである。

オールマンの2枚組、イート・ア・ピーチ、ELPの恐怖の頭脳改革、そしてシカゴV。

イート・ア・ピーチは表がバカでっかいピーチを運ぶトラックのイラスト、裏は貨車に乗せられた細長い巨大スイカのイラスト。


これらを見ているとなんだか癒される。

そして、ゲート・ホールドのインナーも、メルヘンチックなイラストが全面に描かれていて、楽しい気分に成る。


恐怖の頭脳改革は、骸骨が機械で固定されているオドロオドロしたイラストだが、観音開きのジャケットを開けると、一転、ギリシャ神話に出てくるメデューサの登場 と相成る。


彼女と目を合わせれば一瞬で石になってしまうので、目を閉じた状態のメデューサでホッとする。

そして、シカゴVは壁の木の板にいつものシカゴのロゴが彫られているシンプルなもので、さらにゲート・ホールドのインナーは、壁の木の板にアルバムのクレジットだけの写真である。


このアルバムで注目するのは、各メンバーの大判のポートレイトが付録として付いており、若かったシカゴのメンバーの顔を楽しむ事が出来る。

ロバート(左)とピート(右)

特に、ピート・セテラなんかは、髭もじゃスタイルで写っており、後にAOR調の歌を歌っていた時と比べるとギャップが大きい。

70年代の初め頃、ロックはまだまだ反体制のヒッピーの文化を引きずっていたのだと、非常に興味深く感じられる。

ところで、この3枚のアルバムには全く傷が見当たらない。

大概多分数回程度聴いたのち、なぜか押入れ行きとなりなり、その後流れ流れてハードオフへと。

そして本日我輩の手に至り、長年の眠りから覚めたって感じですかね。

だけどメデューサだけはずっと眠り続けていてほしい。

万が一、石になったら大変。

ジャケット考察、USA vs TUNA

2017年01月23日 | 考察シリーズ
あ〜、目が疲れる。

昔は、裸眼で両目とも2.0を誇った視力を持ち、受験戦争を終えた後でも、視力は衰えなかった。

それほど勉強に励まなかったんじゃないの〜?と言われれば、頷くしかないが、それでもマンガ本は結構読んだ。

就職してからも、メガネのお世話になったことは一切なかったのだが、PCとインターネットの普及により、毎日目の前で画面と格闘しているとどうしても、まばたきが少なくなりドライ・アイとなった。

その後は、視力も年とともに低下し、今ではメガネがないと小さな文字は全く読むことができなくなってしまった。

本日所用で、街中に電車で出かけると、車内で数多くに人が一様にスマホと格闘しているのを眺める。若いときから、スマホばっかりいじっていると、普通よりもメガネのお世話になる時期が早まるのではないかと危惧する。

ロックの紙ジャケも小さいので、遠目に見ると何のアルバムだったか識別できないことがある。

キング・クリムゾンのライブ・アルバム、USAは1974年に出されたアルバム、STARLESS AND BIBLE BLACKと同じ編成でのライブの音源を収録している。全米125位とチャート的には振るわなかったが、録音状態も良く、彼らの力強い演奏が楽しめるアルバムである。

ジャケットは、ブルーのバック・グラウンドに金属製のコンサート・チケットのようなものを握り、それを高く掲げて いて、さらにチケットの上部が光り輝くデザインとなっている。


もう一つは、REO スピードワゴン の1978年のスタジオアルバムで、タイトルはYOU CAN TUNE A PIANO, BUT YOU CAN’T TUNA FISHだ。

ピアノのチューニングは出来るが、マグロ(TUNA FISH)はダメだ!、すなわちTUNEとTUNAの発音が似ていることからの駄洒落。全米29位とチャート的、大ヒットには至らなかったものの、後年大ブレークする前兆のようなものを感じさせる良いアルバムだ。

ジャケットは、これまたブルーのバック・グラウンドにTUNA FISHが金属製のTUNER(音叉)を上向きに咥えていて、さらに音叉の上部が光り輝くデザインとなっている。


この2枚を薄暗い部屋で遠くから疲れ果てた目でぼんやりと眺めると、どっちがどっちかわからなくなる。

PCの画面と格闘する時は、出来るだけまばたきを多くするよう意識し、目の焦点を近場ばかりに固定させるのではなく、たまには遠くの景色眺めることも必要だと思う今日この頃。

もう遅過ぎるってば! メガネのレンズ変えた方がいいんじゃない!

山と言えば? もちろんあれ。

2016年07月13日 | 考察シリーズ
小頭:山!

下忍:川!

小頭:よし、部屋に入れ。お頭様にご挨拶じゃ! ところで首尾は上々かな?

忍者:どうも仲間内で裏切り者がいるみたいで... 早速、裏切り者を炙り出すため、ワナを仕掛けてまいりました。
一両日中には、誰が裏切り者か判ると思います。

頭:ご苦労じゃった。

下忍:お頭! それから、合言葉の“山と川”は裏切り者を通じて敵方に洩れているみたいでこれを使うのは危険です。

頭:なんじゃと! 合言葉が洩れておるじゃと! これは困ったのう。何かいい方法はないものか?

小頭:それでは、山と川”英語のに置き換えて、“MOUNTAINと RIVER”はいかがでしょうか?

頭:おお!それはよき考えじゃ。 奴等には英語はわかるまいて。

と発作的にブログの記事の連投。

山と来れば、やっぱり川!

と言っても、北島三郎の“川”ではない。

このお方、漢字一文字の題名の歌かなりお好きな様で。他には、谷、峠、竹、橋、祝、歩、斧などなど

やっぱり、洋楽のブログなのでRIVER!

1980年、ボスの愛称で呼ばれたブルース・スプリングスティーンの5枚目のオリジナル・アルバム。

なんと2枚組み計20曲のスプリングスティーン節のてんこ盛り。

もちろんアルバムは全米1位の大ヒット。計8枚シングル・カットされたうちの一曲、HUNGRY HEARTも5位にランク・インされ大ヒットした。

もちろん私もオン・タイムでレコードを購入、その後再発のCDも数種類購入しているファンなのである。

そのレコードは文句の付け所のないすばらしい物なのだが、中身が濃い過ぎて、歳を取った今2枚のレコードを連続して聴くのは中々厳しいものがある。

アーティストとしては“バラエティーにとんだ俺たちの作品数多く聴いてくれ”って事で2枚組みのレコードを出す。

ベスト盤やライブ盤の2枚組みはヒット曲のオンパレードの構成が出来るため、選曲には苦労しないわけだが、オリジナル2枚組みとなると、2枚のレコードの収録時間をスタジオ録音による新曲だけですべて埋めなければならない。

そのため2枚を連続して聴く途中で聴き手の集中が途切れないよう、アーティストもその構成に工夫を凝らすわけであるが、この作業中々難しいものがあるといえよう。

クラッシック・ロックの範疇で“リバー”以外で60-70年代の手持ちのオリジナル2枚組みレコードで思いつくといえば、

ビートルズのホワイト・アルバム


ストーンズのメイン・ストリートのならず者


エルトン・ジョンのグッドバイ・イエロー・ブリック・ロード


ジョージのオール・シング・マスト・パス


デレク・アンド・ドミノスのいとしのレイラ


ゼップのフィジカル・グラフィティー


ピンク・フロイドのウォール


フーのトミーと四重人格


フォーカスのフォーカス3


ディランのブロンド・オン・ブロンド


ハンブル・パイのイート・イット


アース・ウィンド・アンド・ファイヤーのフェーシズ


ジェネシスの幻惑のブロードウェイ


U2のラトル・アンド・ハム


クリームのウィ-ルズ・オブ・ファイヤー


トッド・ラングレンのサムシング・エニシング


フリートウッド・マックのタスク


ダン・フォーゲルバークのイノセント・エイジ


ELOのアウト・オブ・ブルー


スティービー・ワンダーのキー・オブ・ライフ

幾度も聴いて、収録曲全部をしっかりと覚えていると言えば、NO.9に若干問題はあるもののやっぱりホワイト・アルバムですかね。

ストーンズ、エルトン、ゼップ、ELOにジョージも問題なし。 それにトミーと四重人格もいけるかな?

それら以外は全曲覚えているかと言われると、苦しいかな?

下人:お頭! われら下忍で英語を理解し使いこなせる者は居りませぬが?

頭:仕方ないのう。それでは今回も北島三郎の演歌シリーズでいくとするか。

小頭:解りました。 谷!

下忍:峠! いや違った、橋!


マックについての考察、と言ってもハンバーガーやAPPLE PCのことではない

2016年01月28日 | 考察シリーズ
ボブ・ウェルチがバンドから去り、1975年バンド名をタイトルとしたFLEET WOODMACを世に出した。

1975年作 FLEET WOODMAC、全米1位

新生マックの売りは、三人のソング・ライター兼リードボーカルがグループに存在したことだ。それぞれの優れた作詞・作曲の能力に加え、 三者三様の個性的なボーカルにより、今迄のマックになかったバラエティーさが大いに受け大ヒットに繋がったと思う。

元気発剌スタイルのリンジー・バッキンガム、ハスキーでミステリアスな雰囲気を醸し出すスティービー・ニックス、そしてシンプルであるが味わい深いクリスティーン・マクヴィとこれだけ役者が揃えば、後は楽曲の出来さえ良ければ、これほどまでの大ヒットはともかくとして、過去の作品と比べればある程度のヒットは予測出来ただろう…

1979年スタジオ・アルバム、TUSKを出した後、バンドの活動を小休止し、リンジーとスティービーがそれぞれソロ・アルバムを出した。

リンジーのアルバムは少し自身のやりたかった事にのめり込みすぎて一般受けしなかったのか全米32位の中ヒット!

1981年作 LAW AND ORDER

スティービーは、マックの活動の延長にさらなる個性を出したのが、リスナーの嗜好にドンピシャで全米1位の大ヒットとなった。

1981年作 BELLA DONNA

クリスティーンは遅れて1984年に自身の名前を冠したソロ、CHRISTINE MCVIEを出し、安定の全米26位を記録した。

1982年作 CHRISTINE MCVIE

マック初期の主要メンバーだったピーター・グリーンの後を受け、1971年のFUTURE GAMEから正式メンバーとなり、バンドを脱退する1990年までの20年間、メンバーが何度も入れ替わろうともバンドを献身的に支えてきた彼女は、新メンバーになったリンジーとスティービーの派手さを落ち着かせるような楽曲を提供してきた。

個人的にはマックでの彼女の立ち位置を考えると、彼女のソロ・アルバムは少し地味な感じのアルバムになるのではないかと当時思ったが、それは杞憂であったと思う。

何故なら、シンプル・イズ・ベストという言葉があるように、楽曲はシンプルで少し淡白な雰囲気を感じさせるのだが、これが聴く者の心に落ち着きを与え、同じ楽曲を何度聴いたとしても飽きが来ない理由ではないかと…

ボブ・ウェルチ在籍時の中期マックがなぜ成功に至らなかったというのは、ボブとクリスティーンの作る楽曲が双方ともシンプルというか落ち着いたイメージの曲調であったから、若干被っているようなイメージとなりバンドとしてバラエティーさを打ち出すことに欠けていたのが原因ではないか…

そのため、マックから離れ、パリスでのバンド活動を経由しソロになった時、今までになかった弾けたボブ・ウェルチが見られ、後日ソロでのヒットにつながったと思っている。

1976年作 PARIS、不死身のハード・ロックなり

但し、ボブにとってマック時代の曲かそれとも脱退してからのものが好みだったのかは判らない。しかしながら、大ヒットしたEBONY EYEを行く先々のコンサートやテレビ番組などでいつも要求され演奏するのは苦痛ではなかったかと…

ちなみに、クリスティーンはかなり以前にクリスティーン・パーフェクトという名義でソロを出している。マックのベーシストであるジョン・マクヴィーと結婚(その後離婚)してマクヴィーと苗字を変えたわけだが、このパーフェクトはどうも本名のようである。

日本風に書けば、彼女の本名は、完璧クリスティーンでとなる。音楽家としては、後期のマックで大成功を収め完璧と言えるが、もし音楽家でなかったなら… 

誰しもこの苗字の家系に生まれたなら、何をするにもさぞかしやりにくい事になっただろうなと思う。

Christine McVie - Got A Hold On Me

カバーも色々あるでよ~(南利明風に名古屋弁で、古~!)

2016年01月26日 | 考察シリーズ
少し以前に、マシュー・スィートが妻のスザンナ・ホフス(80年代に大活躍した女性バンド、バングルスのメンバー)と組んでカバー・アルバム、UNDER THE COVERSを2005年からシリーズで数枚出したことを紹介した。

UNDER THE COVERS, VOL. 1、60年代のカバーを収録

その仕上がりは、原曲の良さを引き出そうと考え、今風のアレンジでオリジナルに結構忠実に制作された。昔からロックをよく聴きこまれている諸兄にとっては”原曲に忠実なカバーは退屈だ”と嘆かれるかも知れないが、これはこれでアリだと思う…

ロックなるものが発展してきた60年代から80年代にかけて、素晴らしい楽曲が数多く存在し、少し大げさではあるが、これを知らずに生きていくのはなんともったいないこと。

未聴だった新しい世代の多くのリスナーに出来る限り、それらの良さを聴いて感じて欲しいという制作のコンセプトではなかったかと推測する。この様な音楽活動は重要で、カバーされた曲を聴いて原曲まで遡り、温故知新とでも言う状況を作るのは、音楽産業にとってもプラスとなるはず。

しかし通常ミュージシャンが新譜を出す場合、特にカバー曲であると強調しなければ、その新譜制作用として提供された外部の作者による書き下ろしの新曲と勘違いさられ、オリジナル作者にスポット・ライトが当たらない事も…

WITHOUT YOUという名曲は、1970年バッド・フィンガーのピート・ハムとトム・エバンスによって書かれた作品で、アルバムNO DICEに収録されていて、当初ビートルズの楽曲だと勘違いしたニルソンが、翌年自身のアルバムNILSSON SCHMILSSONでカバーし、シングル・カットされ全米と全英で1位を獲得した。

NO DICE、ニルソンのバージョンが大ヒットし本家より有名になったことから、ライブでは意地でもこの曲を取り上げなかったそうな…

NILSSON SCHMILSSON、ニルソンは個性的な歌手で、自作曲も出しまたランディー・ニューマンや他数多くのカバーも手がけているが、この曲の大ヒットでイメージとしてはWITHOUT YOUのニルソンとなっているみたい。

その20数年後の1993年、マライヤ・キャリーが、MUSIC BOXのアルバムでカバーし、そのシングルは全米3位全英1位を獲得と再び大ヒットとなる。しかしながら、特に当時大人気を誇ったマライヤの大ヒット曲だったから、多分一般のリスナーは原作者のピートやトム、そしてニルソンらのことなど知らなかったかもしくはそれほど関心がいかなかったケースだったのでは…

マライヤもこのアルバムの大ヒットで、その地位を築いたため、90年代でWITHOUT YOUと言えばマライヤとなる。

バッド・フィンガーの場合、プロモーションの不備などで制作したアルバムが不発だったり、不平等なマネージメント契約によりそこそこヒットしても実入りが少なかった現実に絶望し、また精神的に追い詰められ、ピートやトムは絶望し自殺してしまった。

そのため、たとえ後日彼らにスポット・ライトが当たったとしても、死去した後では複雑に感じるのだが…

これ以外にカバー曲を制作する手法として、ミュージシャンの音楽志向や楽器を操る技量を存分に取り入れることが挙げられる。そういった場合、原曲の主旋律や歌詞の断片などが時折現れる程度に原曲を崩すことになれば、一聴してもカバー曲かどうか直ぐに判らない事になってしまう。

最近買ったCDで、ジャズもしくはフージョン・ギタリストと称される、AL DI MEOLAがビートルズの曲を全編カバーした、2013年発売のALL YOUR LIFEなんかはそれにあたる。自身の名前に由来するのか、ラテン系のサウンドに影響を受けた様な演奏である。今回はエレキを使わずナイロン弦を張ったアコースティック・ギターとパーカッションでのシンプルな編成でビートルズの曲をカバーしている。

編成はシンプルでも、お得意の超高速弾きによってギターを演奏するので、彼のアレンジによるギター・サウンドの音譜が各小節にぎっしりと詰まっていてスカスカのイメージは全くないが、別物にも聴こえる。

初めてこのCDを聴いた時、2曲目AND I LOVE HERの1分37秒あたりで音飛びのように聴こえた箇所があったのだが? ユーチューブにアップされていた音源も同じ様に聴こえたし、その箇所をCDで繰り返して聴くうちに、多分超早弾きのギター奏法で旋律をくずしたため、そのように聴こえたのだと思うが? 

ロックでも、ハンブル・パイの1975年のスタジオ・アルバム、STREET RATSでWE CAN WORK IT OUT、DRIVE MY CARとRAINなどをカバーしているが、ボーカルのスティーブ・マリオットが原曲を崩しブルージーに歌いまくっているので、曲のクレジットにレノンーマッカートニーと記載されていなければ全く別物に感じる。

ハンブル・パイのA&Mレーベルの最終作、少しまとまりに欠けるがスティーブのソウル・フルなボーカルやベースのグレッグ・リドレーの力強いボーカルは聴きどころである。

まあ、これらは多くの人が知っているビートルズの楽曲をカバーしているので、オリジナルと異なるアレンジでも”なるほど”となるのだが、それ以外のアーティストの曲では、彼らの自作曲と勘違いされる可能性もなきにしもあらずとなる。それにしても、ビートルズのカバーはどのような形態であれ、興味を引くのは間違いがない。

そういやもう一つ忘れていた、ひどい痛みのあったバネ指治療の手術後に包帯でぐるぐる巻きにカバーされた私の左手。まるでドラえもんの手! 


カバーも色々あるってばよ~(今回は渦巻きナルト風に )と言ってもこの手のカバーは、2度と御免被りたいものである。

We Can Work It Out - Humble Pie

今日ちょっと思った事

2015年08月30日 | 考察シリーズ
サイモンとガーファンクルの明日にかける橋のCDを取り出し久しぶりに聞いてみた。昨年発売のボックス・セットで復刻された紙ジャケットのやつ。

1970年発売されたこのアルバムは、アメリカイギリスだけではなく欧米各国ではチャート1位を獲得(日本、オリコン11位)。

また、アルバムからカットされた4枚のシングル(ボクサー・明日にかける橋・セシリア・コンドルは飛んでいく)は、それぞれ7・1・4・18位と大ヒットを記録。

改めてその内容に触れるまでもなく、多くのリスナーが賞賛した素晴らしい内容の大ヒットアルバムだった 。

少し状況は異なるが、ビートルズがアビー・ロードを出した時のように、完璧なアルバムを作ってしまうと、 リスナーは次作にさらに進化したアルバム、最低でも同等レベルのものを期待するのは常で、 その制作にかかるプレッシャーは並大抵のものではなくなる。

息抜きがどうしても必要となり、バンドであったら、全てをやり尽くしたと言うような理由で解散もしくは活動停止と成る。また、ディープ・パープルのように、メンバーを入れ替えて 目先をかえ、バンド存続を計る例もあるが、そのような努力をしてもどこかで バンドを継続していく事に行き詰まる。

その観点から考えると、ストーンズというバンドは、すごいバンドだと思う。

彼らが新しいアルバムを制作する毎に、前作を超えて進化しなければならないというプレッシャーがあったかどうか、知る術はないが、ベガーズ・バンケットを出した頃から、それまでの音作りではなく原点回帰を目指したように思えるのだが…

その後に出すレコードは、その時々のトレンドは消化吸収し、ストーンズなりの解釈で楽曲に表現するのだが、基本的にはやっている事はそれほど変わってはいないように感じる。すなわち少し言葉は悪いかもしれないが、“偉大なるマンネリ”とだ思う。

マンネリとは、英語のマンネリズム(形式もしくは様式主義)が日本語になったもので、日本的な意味としては“飽きが来る”とか“ネタ切れ”とかの否定的な意味に使用される場合もあるが、マンネリこそが長続きの秘訣であると思う。

日々の生活は、マンネリの連続で特別の出来事はそれほどない。変化の連続で毎日が充実しているなどと言う人もいるが、それはあくまでも対応の出来る変化に対してである。もし対応する事のできない大きな変化が連続してその身に起きる事になると、大抵の人はプレッシャーに押し潰され事になるのでは…

あまり意識しないで ルーティーンに沿った行動で、日々の時間を着実に消化していく事により、長続きが出来るでは?

ところで昨今の紙ジャケCDは完全復刻を目指していて、このCDにも米オリジナルのレコードに添付されていたと思われる、インナーが再現されている。それの裏を読むと、

インナー表

インナー裏

THE BEST FOR LESS
録音された媒体(メディア)の中では、レコードは最高の品質であり且つ安価である。
オープン・リール・テープは、音質は良いが値段が高く、コンパクト・カセットはオープン・リール・テープと比べると、当時音質的にはまだかなり差があったのと、また再生装置であるコンパクト・カセット・デッキが一般に普及していない高価なものだった。

THEY ALLOW SELECTIVITY OF SONGS AND TRACKS
再生するためセットされた面において、トーン・アームを移動させるだけで、好きな位置から瞬時に再生出来る。

THEY’RE THE TOP QUALITY IN SOUND
表面上は1948年に導入された当時の技術にみえるが、数え切れない進化した技術の導入により、音楽再生媒体としてLPレコードはベストの品質であると言える。

THEY’LL GIVE YOU HOURS OF CONTINIOUS AND UNINTERRUPTED PLEASURE
オート・チェンジャーのレコード・プレーヤーを使用することにより、数時間の再生継続がレコード交換の手間なしに楽しむことが出来る。
昔、数枚のLPレコードがセットできたオート・チェンジャー・プレーヤーのことであろう。再生が終了すると、トーン・アームが元の位置に戻り、上から別のレコードが一枚ずつ落ちてきて再生をスタートするやつである。

THEY’RE ATTRACTIVE, INFORMATIVE AND EASY TO STORE.
オープン・リール・テープと比べて、収納に場所を取らないのと、ジャケットのデザインを楽しんだり、ジャケ裏に記載された曲の情報や解説を読むことが出来る。

IF IT’S IN RECORDERD FORM, YOU KNOW IT’LL BE AVAILABLE ON RECORDS
音楽だけでなく、映画、コンサート、ドラマなどの長時間の記録可能な音源であれば、それらはLPレコードという形で発売され、手に入れる事が出来る。

THEY MAKE A GREAT GIFT
思い出になる贈り物にはぴったり。

などなどと記載されていて、デジタル時代到来のはるか昔の、60年代から70年代にかけてのレコードの時代がよく表現されている。

アナログ・サウンドの波形にほぼ近似させる事の出来るデジタル・ハイレゾ音源の登場によって、LPレコードの優位性はあまりなくなったにも関わらず 、LPレコードは今でも細々ではあるが製造されてる。

当然、小さなCD紙ジャケから得られる事のできない、 オリジナル・ジャケットのアートを楽しむ事や、記載されているデーターを読んだり出来る利点があるのもその理由の一つだが、それ以外にレコード音源の再生準備における余計な手間や再生装置のある室内でしか聴く事の出来ない不便さなどを、懐かしみまた楽しんでいるのでは…

シンプルなハイレゾ音源の再生においてマンネリを感じ、不便で手間の掛かるアナログ再生に回帰しているのだろうか?

レコードというメディアがCDの登場で完全になくなるのかと思いきや、趣味とは便利さや効率などでは捉えられない奥の深い世界であると感じる今日この頃でした。

リックって誰よ?、1973年のこと

2015年07月28日 | 考察シリーズ
1973年の多分11月頃?だと記憶しているのだが、リンゴスターの話題の新譜、“RINGO”が発売されたので早速近所の行きつけのレコード屋に出かけた。レコードの購入後レコード屋のオヤジと色々世間話をしていると、同じような年代の学生風の女の子がやってきて、リック・ウェイクマンとストローブスというバンドの“砂時計”というアルバムを買ったのだった。


リックって誰だっけ? そのストローなんたらって何処のバンド? そういえば、リックってイエスでキーボード弾いているんだっけと、思い出した。

リックは凄いテクニックを持った奏者でナンタラカンタラ…、それに引き替えリンゴの音楽はナンタラカンタラ…と言ってきて、そこでその女の子となんやら口論があったような。レコード屋のオヤジが “音楽の趣味は人それぞれ” って言ってその場を収めたような記憶も。

件の“砂時計”というアルバムは、リックのソロ・アルバム、“ヘンリー八世の六人の妻”と同様に当時イエスのメンバーとして来日した記念盤として日本のみで発売されたコンピ盤であったような気が? レコードの帯にあった、”リック・ウェイクマンとストローブス”というのは実際の彼らの立ち位置を示していたのではない。このアルバムは、リックがストローブスのメンバーとして在籍していた時代に発売された2枚のアルバムから計6曲と、ストローブスのリーダーであったデイブ・カズンズのソロ・アルバム制作に参加した中からの1曲を収録したのであった。すなわち、リックのキーボードの演奏が特に目立っていた曲を集めたものだった。

口論の事はさておき、特殊なコンピ盤の場合、普通メーカーからの取り寄せとなって試聴が全くできないリスクがある状態で、十代の若い人が迷いもなくかなりディープな分野を聴いていたことに今更ながら感心するのだ。

今回のキーワードは、レコード屋のオヤジが“音楽の趣味は人それぞれ”。タイトルにあるリックもリンゴもストローブスは残念ながら登場しません。また次の機会に。

というわけで、ロックではなく純日本的なフォーク歌謡ソングの代表である、1976年に発売された因幡晃の“何か言い忘れたようで…”を紹介します。このアルバムは、オリコン週間チャート2位を獲得、その後約2年間、オリコンのLPチャートにランクインした彼の大ヒット・デビュー・アルバムです。

“わかってください”というヒット曲のように、女性サイドからの思いを歌う曲が結構あり、ハード・ロックを聴いている人からすれば四畳半的サウンドが弱々しいと感じるかも。しかし、よく聴きこむと曲自体は良く出来ており、また情感を込めてしっかり歌われており、それに結構はまってしまう。

現在、因幡晃のオリジナル・アルバムはCDを含めて廃盤となっているみたいで、購入するのは難しいかもしれないが、もしレコード・プレイヤーを持っているなら、LPの中古が割と簡単に入手可能。私もこの中古LPを100円で購入した。

ベスト盤で“わかってください”のようなシングル・ヒットした曲を聴くより、オリジナル・アルバムのみに収められている何気ない曲に惹かれことが多く、これらを聴くと、なんだか70年代にタイム・スリップしたような感じがして、懐かしい気分になる。

年をとったのでしょうかね?

貴方のいない部屋 因幡晃

ひとりごと、ホントの独り言

2015年06月27日 | 考察シリーズ
先日アップした記事に、コメントをいただき再生装置の更新について少し触れられていたので、今日はそのことのついて書いて見ます。

再生装置の更新とは、一部の例外を除いて通常グレードアップを図るという意味で、現在のシステムより高価な装置の購入となります。

もちろん、スピーカーのグレードを上げ、それに見合う出力のアンプを使えば、音がよくなるのは間違いではないでしょう。しかしながら投入した資金がグレードアップに見合うものか、正確かつ客観的な判断を下すことは、難しいと思います。

例えば実勢価格が10万円だったセットを30万円のものに更新した場合、 新しい再生装置から出てくる音が3倍の価値になると言うと、それを比較する指標がないため、誰も客観的に断言は出来ないからです。

再生装置の実質的な性能と個々が実際に聴いた上での主観的な評価のコンセンサスが一般の評価として下されると思います。

ここで、主観的にと記述したのは、音の良し悪しを決定するのが人それぞれの感覚に依存するからです。

CDのデジタル音源がCDプレーヤーのD/Aコンバーターでアナログ電気信号に変換され、プリメイン・アンプ経由でスピーカーにそれらの信号が送られ、それが振動板を揺らせ空気中を伝わります。

ここまではみんな同じ条件ですが、音は内耳で電気信号に変換され、神経を通り脳に伝わり音を認識します。すなわち、内耳における変換能力は人それぞれです。また神経を通り脳に送られる信号はスピーカーから発せられる音だけでなく、それ以外にも様々な情報が脳に伝達されています。すなわち、 聴く人個々の状態によって聴こえ方も異なってくるのでは?

上には上がありますが、今の音で特に問題がなければそれで良いのではないかと、常日頃自身に無理やり言い聞かせています。汗~

本当は、JBLの大口径のウーファでぶっ飛ばされたいよ~

やっぱり、最新のサラウンドで音の立体感を楽しんで見たいよ~

助手:博士! 2015年の上半期の錬金術計画、ほとんど失敗に終わりました。 ジャンボに当たりなし。海外投資信託で若干のアガリはありましたが、投資金額があまりに少なすぎたのと、リスクを恐れた円建ての債権だったので、20%のキャピタルゲイン税を払うと、ほぼ全額がいつも行くスターバックのコーヒー代に消えてしまいました。

博士:なんじゃとー! ジャンボ全滅か! ここ何年もの間、この近辺で高額当選者がおったと言う話はとんと聞いておらんのう。

本当に億が当たった人なんておるのかのう? 当選者の話なんて全部作り話だったりして。

助手:2015年の下半期の錬金術計画いかがなされます?

博士:よし。次は最近よく宣伝されているBIGでいってみよう。早速、研究のためJリーグの試合点けてくれたまえ。

助手:あのー ケーブルテレビ契約していないのですが。

二人言、CDって一生モノ?

2015年06月26日 | 考察シリーズ
前回に続き今回も音響エンジニアでもない人間が“知ったか”レベルで記事をアップしています。もし、この方面の知識に明るい方で、記事の内容に間違った解釈や専門用語の誤用など気づかれたなら、その旨ご指摘ください。宜しくお願いします。

博士:前回デジタル・ハイレゾ音源に付いて触れたのじゃが、通常ネット経由でPCにダウン・ロードするか、もしくはSACD、DVDやBLUE RAYなどのディスクを購入する事で音源が入手できる。

これらの音源が永久に保存できるのか?というと、そうでもない。

ハード・ディスクに記録されている音源は、なんらかの物理的な原因でハード・ディスク自体が破損すると、記録されたデータが取り戻せない時があるからのう。また、SACD、DVDやBLUE RAYなどのメディアでは、記録面になんらかのダメージがあれば、読み込みが不可能となってしまうのじゃ。

助手:そう言えば、CDが売り出された当時、その音源は永久だって聞いた事がありますよね。

博士:現実はどうじゃ? 80年代に売り出されたCDの幾らかは、どうゆうわけか、湿気が記録面に入り込み、腐食して記録面が剥げて いるのもあるのう。

これはストーンズの、1986年に旧西ドイツでプレスされたCDじゃがディスクの外周側からポツポツと剥げてきとる。

ポリグラムによる。旧西ドイツでのプレス

外周の記録面が剥がれている。

幸い、CDの場合はレコードと反対で、内側から外に向けて記録されているので、現在の外周のダメージが記録面に到達しない限り、今の所再生は可能じゃ。

助手:1986年製造ですから、30年の間にこんな風になるのですね。
現在製造されているCDはどうなんですかね? 30年経てば同じように劣化していくんでしょうか?

博士:それはメーカーに聞いてみないとわからん事じゃ。80年代CDのプレスはヨーロッパであれば、レーベルに関わらず結構旧西ドイツのポリグラムで行われていた記憶があるのじゃが。現在ではあちこちにプレス工場が新設され、新しい技術を使った生産設備が導入されていると思うので、あまり心配する事もないのかもしれない。

助手:そう言えば、昔のCDのジャケットにはAAD、ADDとかDDDの表記がありましたね。80年代といえば、ほとんどがA(アナログ・レコーディング)、A(アナログ・マスター)でD(デジタル変換)でしたね。

博士:その通り。LPの音をCDで復刻する場合、LP用のアナログ・マスター・テープからD/Aコンバーターを用いて16ビットのデジタル音源に直接変換させるのじゃ。 昔のCDは音量(音圧)レベルが低く設定してあったので、今のCDと比べると音量が少なく頼りない印象を受けるし、また当時のD/Aコンバーターの性能が悪かったので、多分LPよりも音は悪かったのでは?と言っておる人もいるのじゃ。

今では、LP用のアナログ・マスター・テープをデジタル・レコーダーでハード・ディスクにトラック・ダウンする際、リミックスや手直しをしてデジタル・マスターを作成する。それを16ビットに変換しCDを作るので、以前と比べるとよりクリヤーな音になったのじゃ。

助手:と言うことは、80年代に出された海外プレスのAAD編集のCDは音質面や劣化の問題から考慮し、購入は避けたほうが良いかもしれませんね。

博士: 一概には言えないが、その方が無難じゃな。少なくともワシが所有している80年代旧西ドイツのプレスCDは、ストーンズに限らず同じようなダメージがあるからのう。もちろんワシが買ったのだけがそうなのかもしれないが?

80年代のCDは、LPのレコードを忠実に復刻するということで、CDの記録エリアが余っておっても、LPが2枚組なら、CDも2枚組と今の紙ジャケ復刻のように凝っておったし、またCDの価格も結構高かったので、記録面にダメージを発見すると非常に残念な気持になるのう。ELTON JOHN の80年台プレスの2枚組GOODBYE YELLOW BRICK ROADがそうじゃった。(現在のスタンダードのCDは1枚にLP2枚分が収められている。)

現在生産されているCDなどのメディアの品質が改善され半永久的な寿命があることを祈るのみじゃ。もし、今集めているCD全てが同じように劣化することになれば、目も当てられんわい。まあ幸い、80年代のCDが30年以上経って現在散見される程度の劣化のスピードであれば、ワシが生きている間は大丈夫かもしれんがのう。

助手:それよりもあと10年も経てば、16ビットを再生する時代遅れのCDプレイヤーなんてなくなるかも知れませんよ。

博士:いや、 色々と利害関係があるから、そう簡単に全てが全く新しい技術に一気に変わる事はないじゃろう。我々が考えているよりも、案外科学の進歩は遅いと思うよ。

スタンリー・キューブリックの“2001年宇宙の旅”を見てみたまえ。1968年に公開されたこのSF映画では、21世紀初頭において月面に基地がすでに存在し、コンピュータHALを搭載した有人宇宙船が木星付近まで行っておる。

現実を見てみたまえ。2015年の段階で、月面基地はおろか、映画に出てきた大型宇宙ステーションもない。10名足らずの乗組員の小さな国際宇宙ステーションが地球の周りをぐるぐる回っているだけじゃからのう。

ハイレゾ音源がネットで配信されているにもかかわらず、CDよりさらに古い規格のレコードのプレスが最近増えている。ハイレゾ音源であれば、音の劣化はなくハード・ディスクさえあれば、収納スペースの問題もない。再生するのに手間がかかり不便で、且つ再生するごとに盤面が劣化するレコードが今になって好まれるとは。

人間とは時に非合理的な行動をする事をあえて好む不思議な生き物じゃ。


1988年アメリカプレスのCD。内側から記録面が劣化している。5-6年目にポリーカーボネートに劣化したところを赤のサインペンでなぞってみた。
これからすると劣化した箇所少しづつであるが広がっているみたいである。この場所にはデーターが記録されていないので、CDの読み取り可能。


二人言、おっさんやじいさんにハイレゾ音源って必要?

2015年06月25日 | 考察シリーズ
最初に、音響エンジニアでもない人間が“知ったか”レベルで記事をアップしています。もし、この方面の知識に明るい方で、記事の内容に間違った解釈や専門用語の誤用など気づかれたなら、その旨ご指摘ください。宜しくお願いします。

それでは、始まり、始まり~

博士:今朝は、晴れた天気で清しい風が吹き込み気持ちいいのう。

このような時は、たとえAMラジオでも、好きな曲が流れてくれば素晴らしく聴こえるものじゃ。反対に1本100万円もするようなスピーカを組み合わせた高額のオーディオセットを持ってしても、 寝起きに無理やり音楽を聴かされりゃ、それは単なる雑音じゃからのう。

助手:近頃ネットなんかで販売されたり、高額のボックッス・セットを購入すればおまけで付いてくるハイレゾの音源ですが、実際の所どうなんですかね? 一体何人の人が、ハイレゾ音源が既存のもより素晴らしいと実感できるのでしょうかね?

博士: 客観的に通常のCDの音源のスペックはサンプリング周波数が44.1kHz、ビット深度が16、周波数レンジ20Hz-20kHzそしてダイナミックレンジが96dBじゃ。

対するハイレゾ音源は、サンプリング周波数が48kHz/96kHz/192kHzあるいはそれ以上、ビット深度が24/32、周波数レンジ20Hz-88kHz(192kHzの場合)そしてダイナミック・レンジが146dB(24ビットの場合)だから、数値的には当然ハイレゾが勝っておる。

まあ、サンプリング周波数を拡大する事によって、人間が聴こえない音も取り込み自然さを出すこと、そしてビット深度を増やすことにより、アナログ音源のスムースな波形に近づけることなどが、優れた音源という考え方なのじゃろう。

助手:つまり、数値で比較させることによって、スペックの高いハイレゾ音源が通常のCDの音源に勝っていると誰にでも即座に客観的に判断させたい意図があるのですかね?
まあ、車のスペックの比較とおなじようなものですね。

博士: その通り、車の最大限のスペックを実感するには、サーキットのコースを走るしかないし、また最大限のスペックを操れる運転技術があっての事じゃ。

CDの場合は大体22kHz以上の音をカットするのじゃが、儂みたいに歳を取ると、聴力は落ち16kHzの音ぐらいがギリギリじゃから、サンプリング周波数を拡大する事が果たしてどれだけ意味があるのかのう? まして、アナログの波形に近づけた音は、デジタルで原音再生という意味で、それが本当に聴いていい音なのかの判断もつかんし。

助手:最近ではデジタル技術が進み、レコードやテープの再生で起こる雑音を消せるだけでなく、リスナーの好みに合わせて音を加工しているみたいですね。

博士:昔のCDの音は今と比べてレコーディング・レベルを低く設定したものじゃった。CDに収録できるダイナミック・レンジ内に曲を収めないと、音量がピークを越えた場合音が歪むからのう。

昨今のCDの音は、パンチのある音が良い音だと考えレコーディング・レベルを上げる。ダイナミック・レンジに収まることが出来ず歪む可能性がある箇所には、録音時にコンプレッサーやリミッターなどをかけて加工し音の歪みをなくし雑音を排除する。原音再生とは相反する事じゃと思う。

助手:ステレオ・コンポなどについているラウドネスのボタンも、音量が少ない時でも、加工する事により高域/低域の音を補正して派手にするから、同じような考えですね。

博士:デジタル・ハイレゾ音源を高額の再生装置でアナログ原音再生という試みは、趣味としてそれに投資できる金が潤沢にあるなら第三者が口を挟む事もない。まあ、我々一般庶民はカジュアルに聴いていて楽しめることがベストの音だと思う。また加工された音も、それが良い音に感じるかどうかは本人次第じゃ。

助手:じゃ、博士は同じアーチストの音源をいろいろ持っているのはどうしてですか? 

博士:痛いとこをつくのう~

儂の場合は単に所有欲を満たす事から得られる快感を楽しんでおるだけじゃよ。レコード会社の陰謀にまんまとのせられているのじゃ。だって、普段聴くのは取り出しにくいボックスや紙ジャケには入っているメディアの音源じゃなくプラケースのCDかPC内のMP3じゃからのう…汗


此処にも有りますね~ CDとそれ以上のスペックのハイレゾ音源を聴き分けることできますか? 私は、前もって言われれば、なるほどそういうものかと思う程度です。

シリーズ その3 家族からゴミ扱いされている音楽メディアの収納に関する考察

2015年06月07日 | 考察シリーズ
助手:博士! 空のCDのプラケース言われた通りに捨ててきました。いざプラケースだけを捨てるとなると、結構嵩張るものですね。大きな紙袋を満杯にして、2つ分捨てたんですけど、プラケースの数にしてみると大したことがなかったですね。

博士:ご苦労じゃった。我がロック研究所はウサギ小屋ならぬ、ネズミ小屋であるから、これ以上研究資料のCDやレコードを増やしながら保管することは難しくなったのう~

助手:ところで空のCDのプラケースは、不燃ゴミの分別でいいのでしょうね、博士? もし間違っていたら、収取車は引き取らずにそのまま置いって行ってしまいますよ。

博士:分別の判断は地方自治体で異なっておる。CDやCDのプラケースの場合、容器包装リサイクル法の対象外じゃから、“プラ”と入る分別のロゴが商品に記載されていないため、各地方自治体の判断によって可燃ゴミもしくは不燃ゴミと分別されるようじゃ。また、最近CDのプラケースをリサイクルと分別して独自に収集する自治体も出てきたようじゃ。リサイクルのためのプラケースを粉砕する技術が確立されたようじゃのう。

助手:なるほど。廃棄品を埋め立てに使ったり、焼却処分にしてCO2を増やすよりはいいですね。他の自治体がそれに追従していないのは、やはりまだリサイクルとしての処理は結構お金がかかるということでしょうか? ところで、プラケースをとった裸のCDと解説書などはどうしたのですか?

博士:スリムにCDを収納できるソフトケースを買ったのじゃ。たまたまある雑誌の広告を見て、わしはフラッシュ・ディスク・ランチなるものを購入したのじゃが、それ以外にも文具メーカのコクヨの製品やタワレコ・オリジナルやいろいろ目的や使い勝手に応じてそれぞれの商品がショップやネットで購入できるぞ。



最初に、プラケースを外して中身を分解


これがフラッシュ・ディスク・ランチなるもので、塩ビ製?のような蓋つきの外袋とCD収納用の不織布内袋


最初に、裏ジャケを両サイドの背インデックスを内側に織り込み、外袋に挿入。


残りの、CD入りの不織布内袋、表ジャケットを入れて、外袋の蓋を内側に織り込み完成。紙ジャケCDの雰囲気
但し、塩ビ製?のような蓋つきの外袋の寿命がどの程度なのか長く使わないとわからない。昔、レコード購入のサービスとしてレコードショップがくれた厚手の塩ビ製のカバーは、寿命が来るとパリパリになった。もちろん、フラッシュ・ディスク・ランチの蓋つきの外袋がそれと同じであるとは言えず、多分日本における高度な化学分野の進歩により、原材料の成分が改善され寿命が以前のものと比べものにならないぐらい伸びているものと推測はできると思います。

これに切り替えたおかげで、今まで17枚しかはいらなかったCD棚のマス目に約50枚ほど入るようになったのじゃ。

レギュラーサイズのCDケースが17枚収納


約50枚が収納できた。

助手:だけど、背帯が見えなくなったので、どこに何のCDがあるか見つけ難くなりましたね。

博士:確かに。年をとると記憶が悪くなるので、CDショップなんかで使っているインデックスの仕切り板でも使ってみようかのう。

それから、タダでさえ収取した膨大なレコードやCDを家族からゴミとみなされている状況では、それらを部屋のあちこちに平積みにして置いておくと、ゴミ箱行きになりかねん。常時きっちり収納が出来る環境を構築せねばならん。

いらないものは中古ショップに売って処分してもいいのだが、それらを正当に評価する知識を持ち合わせていない店員が担当すると、目も当てられんわい。貴重なレコードやCDがジャンク扱いの買い取り価格10円もしくはそれ以下の世界になってしまう。

と、いつになくシリアスに頭を悩ませる博士でした。まあ、プラケースをCDの一部として思いれを持つ人は、廃棄処分になかなか踏ん切りがつかなく、この手のスリム収納作戦の実行は不可能でしょうね~

何ですって? ”うちは、あんたが住んでいるようなネズミ小屋じゃないから、プラケースを処分する必要はない!” それは失礼いたしました。



サントラとは? その2

2015年03月20日 | 考察シリーズ

助手:博士! こんなサントラのCDを棚から見つけましたよ。

博士:おお~、これはエリック・クラプトンが制作したサントラじゃないか。こんなのいつ買ったんじゃろう? 全く記憶にないんじゃが。

助手:えーと、映画の題名はRUSHと言って、1992年の映画ですね。麻薬取り締まりの囮捜査に関わる警察官の話ですね。なんでも、当初トム・クルーズに主役の話が行ったのですが、麻薬関連の映画は出たくないと断ったみたいですね。それから、あのオールマン・ブラザーズのグレッグ・オールマンが脇役の出演でクレジットされていますね。

博士:ほ~、そんな映画があったとは知らなかったのう。君、それじゃこのCDそこのプレイヤーでかけてみたまえ。いやそれじゃない、それはプレステ2じゃ。
(博士は、未だにプレステ2で初代地球防衛軍のゲームを楽しむとのこと。EDF, EDF, EDFバンザイ~、何のこっちゃ?)

助手:1から7曲目までは、エリック作のインスト・ナンバーで彼のバンドをバックにつけてギターを弾いていますね。8曲目は歌物HELP ME UPで、エリックがボーカル、9は約10分に及ぶブルース・ナンバーDON’T KNOW WHICH WAY TO GOで、あの有名なブルース・ギタリスト、バディー・ガイがボーカルとギターを担当、エリックも一緒にブルース・ギター弾きまくっています。トリの10曲目は、グラミー賞をとったTEARS IN HEAVEN。

博士:TEARS IN HEAVENはこのアルバムからシングルカットされたのか~ 知らんかったわい。
インスト・ナンバーはこの映画を見ていないから、曲のタイトルを見てもピーンとこないんじゃが、演奏そのものは、及第点以上じゃ。それに最後の歌物3連発は、まことによろしい。この3曲だけで買いじゃ。

助手:いやー、もう既に買ってここにありますが。
皆さんも、一度CDの置いている棚を探してみてください、忘れ去られたCDがひょっこり出てきて、今日1日を清々しい気分にさせてくれるかも知れません。

博士:おおー 今日は美しく締め括ったのう。まるで、体育祭の組体操で三点倒立が一発で決まったような清々しさじゃ。


歌もの3曲のクレジット