CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ノン・ストップ・ハードロック

2025年01月17日 | BRITISH ROCK

コレよ、コレ!

メタルなパープル、アトミック・ブルースのZep、そしてハードとくればThe Who!

本日は彼らの1970年のライブ・アルバム、Live At Leedsでも。

(1980年MCAレーベルから出た再発アメリカ盤であります。)

ロック・オペラ、トミーの後に出たからハードさが余計に際立って余は満足。当時のLPのサイドー1が4曲、裏面に2曲のたった6曲だけ収録と聴くまでは少々物足りなく感じたが、聴いてびっくり!これぞハード・ロックと思えたものだった。

後年、25周年記念としてCD2枚組がでて、CD 1には新たに曲が追加され13曲。またCD2にはトミーがライブで丸ごと収録の大盤振る舞い。ただロートルなオイラはオリジナル盤で迫力満点さを十二分に楽しめるって言うか、CD2枚を全曲ボリューム・マックスで聴く体力がない。

ピートのギターやロジャーのボーカルは勿論の事、トミーで少々抑え気味であったジョンの唸るベースとキースの乱れ打ちをこのアルバムで是非とも倒しんで頂きたい。


なかなか掴みどころの無い奴ら

2025年01月13日 | BRITISH ROCK

1967年、スティーブ・ウィンウッド、ジム・キャパルディ、クリス・ウッドとデイブ・メイスンの4名で結成されたバンド、トラフィック。スティーブの伸びやかなボーカルはもとより、当時の時代を象徴したポップでサイケデリックがかったバンド・メンバーによる自作曲も好評でそこそこヒットしていたが、2枚のオリジナル・アルバムを出してデイブ・メイスンがバンドから脱退。

その後スティーブもバンドから脱退しクラプトンやジンジャー・ベイカーらとスーパー・バンド、ブラインド・フェイス結成も、1枚のアルバムを出して会えなく解散。

スティーブは更にジンジャー・ベイカーの新たなバンド、ジンジャー・ベイカー・エア・フォースに暫し参加した後、トラフィックのメンバーだったジムとクリスのサポートを得てソロ・アルバムを制作する事に。

そしてJohn Barleycorn Must Dieと名付けられソロ・プロジェクトはトラフィック再結成のアルバムに昇格し、1970年に発売された。

(遅ればせながら2019年の再発LPを購入。70年代に聴いた頃にはピンと来なかったけれど、ようやく55年の時を経てオイラが追いついた。)

ジャズ系ジャム、トラッド・フォークにR&Bなど毛色の違った曲が配置され、当時のイギリスのボップやハード路線のロックとは方向性が違うしまたアメリカンナイズされたサウンドでもない。

一体トラフィックというバンドを一言でどう形容すればいいのか….

オイラとしてはシンプルに彼らをプログレ・バンドと呼ぶ。

当時のクリムゾンやイエスらは超絶演奏テクニックよるエッジの効いたサウンドが売りだったが、トラフィックの場合は何となくマッタリした感じの演奏で一発では刺さらない。

ただ何度も繰り返して聴いていくと、あら不思議!そのサウンドにどっぷり浸かってしまう不思議な作用が…


爽やかホリーズ

2025年01月06日 | BRITISH ROCK

60年代半ばごろ、イギリスのビート・バンドが大挙大西洋を超えて北米に襲来し、彼の地のポップ・チャートを制圧。当時ブリティッシュ・インヴェイジョンなどと呼ばれた、ビートルズをはじめとしてストーンズ、アニマルズ、デイブ・クラーク・ファイヴにキンクスなど軍団とでも呼べる破壊力があった。

日本ではビートルズのような圧倒的な人気はなかったが、調べてみるとグラハム・ナッシュがCS&Nに加入する直前の1968年に来日を果たしていた、ホリーズもブリティッシュ・インヴェイジョン軍団の一員だった。

本日は彼らの2007年に編纂されたCD2枚組のベスト・アルバム、The Hollies Finestでも。彼らの1963年から2006年までのヒット曲もしくは代表曲が収録されていてこれを聴けばホリーズの輪郭が掴める。

60年代の彼らの曲はビートルズやその他のバンドの曲に決して引けを取らない上質のポップ・サウンドを楽しめる。

スタジオ・アルバム制作においてその当時はやったサイケデリックなアプローチをとったアルバムの制作や、ディランのカバーでアルバム1枚を埋めたりと色々工夫してきたものの、ビートルズやストーンズのように革新的な進化を成し遂げ唯一無二のバンドに成長するまでには至らなかったかな?

それでも60年代から70年代にかけての彼らの爽やかなコーラスを伴ったポップ・ソングは一聴する価値は十二分にあると思う。


オアシスのシングル盤

2025年01月02日 | BRITISH ROCK

昨年末、オアシスの1995年のセカンド・アルバム、(What’s The Story) Morning Glory?を久々に聴き返してみて、割としっくり来たので彼らのCDを買ってみることに。

手に入れたのは2010年に発売されたイギリスで発売されたシングル盤を纏めたコンピアルバム、Time Flies…. 1994-2009。

彼らの奏でるシンプルかつパワー・ポップなギター・サウンドは何故か70年代のロック好きのオイラの心にジーンと響き結構刺さるね。

ただ一つだけ難を言うとすれば、60年代のヒット・シングルだと大体3分に収まり70年代になっても長い物でも4分強と割とあっさり完結し必要ならばリピートして聴くスタイルなのだが、オアシスのシングル盤って平均すれば4から5分、長いのとなると6分越えなのでロートルなオイラにとって曲によっては少々聴き疲れはすることかな… 

オジンの独り言でした。


あれから30年

2024年12月21日 | BRITISH ROCK

90年代のミュージック・シーンといえば、R&BやHip Hop系のミュージシャン達が全盛の時代。ロック系となるとオイラのようなクラシック・ロックを好む世代の嗜好に合うようなバンドを見つけ出すことは中々難しいかったが、そんな中で例外であったのがOasisだった。

ギャラガー兄弟を中心に結成されたバンドが1994年に出したファースト・アルバム、Definately Maybeは大ヒット、翌年のセカンド・アルバム、(What’s The Story) Morning Glory?で更なる世界的人気を獲得することになる。このセカンド・アルバムは全英1位・全米4位と大ヒットし、世界中で通算2200万枚の売り上げを記録し、彼らのキャリアのなかで最も売れたアルバムとなった。

当時彼らはビートルズのファンだと公言しており、ビートルズの影響も幾らか感じ取れる。例えば大ヒットしたシングルのDon’t Look Back In Angerの歌詞の中のI Start Revolution From My Bedなんて下りはジョン・レノンとオノ・ヨーコの一連の実験音楽のテーマを思い出させるし、音に関してもイマジン風のピアノから始まるなど、特にジョンの影響をただ受けているようだ。 

シンプルなギター・バンド編成のポップな演奏にオイラも70年代を思い出しつい引き込まれた。

この兄弟はいつも喧嘩していたような印象があって、結局バンドは解散となり非常にもったいないことになるのであが、数ヶ月前に再結成のアナウンスが出て来年にツアーをするらしい。

兄貴の歌うDon’t Look Back In Angerをお互い心に刻んで是非ともツアーを成功させて欲しいものだ。

アンガー・コントロールよろしく!


5年後で

2024年12月14日 | BRITISH ROCK

昨日自動車運転免許証の更新に行ってきた。

何しろ更新すれば5年間オイラの顔がずっと免許証の表を飾るので写真撮影の前に鏡を見て粗相のない様に臨んだわけだが、何故か前髪が片方によってしまってアンバランスな感じに。

取り直し出来ないので、これで5年間辛抱することに。

因みに更に長期のスパンで俺たちの10年後って一体どんなことに?って感じで1966年の結成時にTen Years Afterと名付けたバンドが….

本日は、彼らが出した1972年の7枚目のスタジオ・アルバム、Rock & Roll Music To The Worldでも。

アルビン・リーのギター・ソロが売りで、初期の頃と比べるとブルースやロックン・ロール色が濃い目の芸風に変わってきたね。

オイラとしてはあまり難しく考えることなくさらりと楽しめるアルバムに仕上がったので大歓迎。

ただ残念なことに10年になる手前の1974年に一度解散、その後再結成でライブを行ったりニュー・アルバムを出すもやっぱり彼らの活動の中心は1966−1974年の8年間だった。

因みに、自動車運転試験場で聞いた話によると来年の3月から運転免許書とマイ・ナンバー・カードとの統合がスタートされるそうな。

もし統合するとなるとアンバランスに写った写真と5年も経たずにおさらば出来るが、マイ・ナンバー・カード上の写真も余りいけてない顔しているし、またもし統合後マイ・ナンバー・カード紛失してしまったら、身分証明書、自動車運転免許証に健康保険証を一気に消失してしまうリスクも考えると….

てな事で、特に統合にタイム・リミットが無ければオイラはFive Years Afterで行こうと思う。


サブ・ウーファーの置き方とは?

2024年12月03日 | BRITISH ROCK

小さなスピーカー2本では迫力が出ない。

これは低音が足りずに全体的に音がフラットに聴こえるからだと思う。ウーファーの径の大きいスピーカーを使えばいいのだけれど、やはり集合住宅内で大きな音を出すのは憚られる。そこで低音のみを強調出来るサブ・ウーファーを今年買ってみた。

ただあまりに低音を強調し過ぎると上下両隣の住人の皆様に騒音を届けてしまう事にもなる。色々試行錯誤の上でサブ・ウーファーの音声がよく聴こえるように出来るだけ近場に寄せる事によって適切な音量に絞って聴けばいいのではないかと....

少し離れた床に直置きしていたウーファーを木の椅子に乗せて約45センチ持ち上げ、それを足元の近くに設置した。オーディオ・マニアではないので果たしてこれが正しい方法なのかは分からないが、全体の再生ボリュームを上げなくとも低音が強調されている様に聴こえる。

本日は久々にプロコル・ハルムの1973年の6作目のスタジオ・アルバム、Grand Hotelでも。

R&Bにクラッシック・ミュージックの要素を融合させた作風でデビューした彼らは、このアルバムでもゲイリー・ブレッカーの伸びやかなヴォーカルにロック・バンドの演奏と荘厳なオーケストラやコーラスのアンサンブルが上手く絡み合いその実力を遺憾なく発揮している。お馴染みのT.V. シーザーやスウィングル・シンガーのコーラス付きのファイヤーなど聴きどころ満載。

音量を絞っても低音が効いてていい感じかな。

小型スピーカーの左寄りの床に直置きだったのを、椅子に乗っけて前方にドド〜ンと進出!


マジカルな奴、その2

2024年11月29日 | BRITISH ROCK

キャット・スティーブンスのライブと言えば東京公演の模様を収録した1974年のSaturnightが思い浮かぶが、当時は日本のみの発売で収録曲も12曲と少々物足りなかった。

そうこうしているうちに1978年、キャットはユセフ・イスラムと名前を変えてイスラム教に改宗し表舞台から遠ざかってしまった。

ところが2004年に突如1976年の北米公演、アース・ツアーからのライブ音源が発売されMajikatとタイトルがつけられた。

ほぼ彼のベストの選曲とでも言える20曲がCDに収録され、スタジオ録音盤と比べてより力強い彼のボーカル楽しめる。

ところでこのアルバム・タイトルのMajikatって英語のMagicが訛った感じかな?

ファンにとっては、28年ぶりのマジカル的なリリースとなった。


懐かしのシングル盤

2024年11月13日 | BRITISH ROCK

1964年のデビュー・シングル、She’s Not Thereがヒットし注目を集めたイギリスのバンド、ゾンビーズ。日本でもカーナ・ビーツが彼らの曲、I Love You(好きさ 好きさ 好きさ)をカバーしてヒットさせた。続くシングルもヒットし順調に人気を得ていくも、1967年制作のアルバム、Oddessy & OracleをCBSレーベルで制作した後、バンド内の人間関係が悪化しバンドはあっけなく解散。

ボブ・ディランのアルバム・セッションに参加し名を売ったアル・クーパーがその頃CBSレーベルと契約を結び、バンドは既に解散してしまっがこの曲はきっと売れるとアルはレーベルにシングル・カットするよう進言したそうな。

それが1968年のゾンビーズのシングル、Time Of The Seasonだった。

サイケデリックがかったR&B調のこの曲は全米チャートで見事1位を獲得し、当然レーベルから解散を翻意するように説得されるも、リーダだったロッド・アージェントは首を縦に振らずバンドが復活することはなかった。

結構多くのミュージシャンにカバーされていて、今でもカッコイイ曲だと思っている。


この曲なしには語れない

2024年10月26日 | BRITISH ROCK

ここのところ、発掘しされた日本で流行った70年代洋楽ヒット・シングル集のCDの何度か聴き返して楽しんでいる。

やっぱり70年代の曲は肌に合う。それもそのはずオイラの楽しかった青春時代の中心だったからより思い入れがある。

本日はそのCDに収録されていなかった、ハリー・ニルソンのWithout Youでも。

1971年にアップル・レーベルから発売されたバッドフィンガーのアルバム、No Diceに収録された曲で、メンバーのビート・ハムとトム・エバンスによるお互いのアイデアを折衷した作品となった。

ニルソンはカバーするに値する素晴らしい曲と思い当初ビートルズの曲だと思っていたそうな。

彼は激しいピアノ・ソロなんかを用い荒涼した情景をイメージするアレンジを当初検討していたが、プロデューサーのリチャード・ペリーに説得されポール・バックマスターによるストリングスをバックに重厚なバラードに変換された。

コレが功を奏し全米・全英1位の大ヒット。このシングルを収録した1972年のニルソンのアルバム、Nilsson Schmilssonも全米3位の大ヒット。更に90年代になってマライヤ・キャリーに再カバーされコレまた大ヒット。

ただ残念なのは、この曲を書いたお二人が後に悲劇の死を遂げた事。

ビートルズ解散後闇雲に手を広げ過ぎて収拾がつかなくなったアップル・レーベルによるバンドに対する仕打ちや、バンドと契約したマネージャーの裏切りなどトラブルを数多く抱え込み、思ったようにバンド活動に専念出来ず行き詰まり最悪の事態となってしまった。

思うに、問題は彼ら自身がバッドフィンガーとして作り出した曲の素晴らしいさをよく理解していなかった、もしくは気付いてないなかった事ですかね。

もしWithout You以外にも他のアーティストに曲を提供し別アレンジでカバーすれば同様に大ヒットし、別の人生があったかも….


ソロ活動大繁盛

2024年10月12日 | BRITISH ROCK

第1期ジェフ・ベック・グループ末期にバンドから脱退しロン・ウッドと共にスモール・フェイセズのメンバーと合体しフェイセズを結成。

並行してソロ活動も開始し、1971年の3枚目のソロ・アルバム、Every Picture Tells A Storyで大ブレイク。

全英・米のチャートでそれぞれ1位を獲得、またシングル・カットされたMaggie Mayも同様にそれぞれ1位に輝く。レコーディングにはフェイセズのメンバーも参加。

ハスキーでかつ圧倒的な歌唱力でパワフルなロック・ボーカルだけでなく出身地スコットランドの郷愁を誘うようなフォーキーな味わいもこなすバランスの取れた作品となった。

ただソロがあまりにも売れ過ぎてフェイセズの活動が少々疎かになったのと、レコード会社もセールス第一主義でロッドのソロ活動を優先しフェイセズがあたかもロッドのバック・バンドのような扱いになり、そのせいでベースのロニー・レーンがフェイセズから脱退したのは残念。

まあロッドと比べると確かに地味だけれど、結構味わいのある作品をバンドに提供していたと思うのだが…


ドラッグは危険

2024年09月28日 | BRITISH ROCK

1979年のアルバム、Black Rose制作後、ギタリストのゲイリー・ムーアが脱退。

その後新たにスノーウィー・ホワイトが加入し活動を継続しアルバムの制作にあたるもかっての輝きを取り戻すことが出来ず、スノーウィーが脱退。またドラック過剰摂取だったツイン・リードの相方スコット・ゴーハムも体調不良を起こす。

てな事でバンドの体をなさなくなってしまった英ハード・ロック・バンド、シン・リジーは解散を決定。

スノーウィーのかわりにシン・リジー解散後にホワイト・スネイクで名をなすギタリスト、ジョン・サイクスの加入で最後の一枚を制作することに。

それが1983年に世に出た彼らの最終かつ12枚目のスタジオ・アルバム、Thunder And Lightningだった。

(輸入盤で西ドイツ・プレス! ヨーロッパ、特にドイツや北欧の連中はハードやメタルが大好物)

ジョンの加入でバンドのハードさが更に強調されチャート的にもイギリスで4位と復活しまずまずの出来、シン・リジーとして有終の美を飾った。

ただバンド創設かつ中心メンバーだった肝心のフィル・ライノットもドラック中毒だったことから86年に死去し、彼のその後のソロ活動やシン・リジー再結成期待の目を摘んでしまうことに。


ロック・ドラマーのソロ・アルバム

2024年09月27日 | BRITISH ROCK

本日は第二期ジェフ・べック・グループやリッチー師匠率いるレインボーでドラムを叩いていたコージー・パウエルのレインボー脱退直前の1979年のソロ・アルバム、Over The Topでも。

普通はメロディーに意識が行きがちな中、それを凌駕しうる勢いで演奏するコージーのドラミングに注目。

ただ周りに独りよがりの演奏をされるとドラマーのリーダー・アルバムが成立しなくなるので、そこはコージーを良く知るミュージシャン達が上手くコージーを盛り立てている。

レインボーや晩年のパープルでのキーボード奏者のドン・エイリー、ベースにはご存知ジャック・ブルース、更に元ジェフ・べック・グループのマックス・ミドルトン、ハンブル・パイのクレム・クレムソンにゲイリー・ムーアら腕達者揃いである。

アルバムはUKチャート34位、シングル・カットされたTheme Oneは62位と上出来!


悪くは無いけれど….

2024年09月26日 | BRITISH ROCK

本日はご存知スコットランド出身のハード・ロック・バンド、ナザレスでも。

彼らは常にアメリカの音楽マーケットを意識して活動を継続してきた。そして、更なるステップ・アップとして1979年のアルバム、Malice In Wonderlandにプロデューサーとして元ドゥービー・ブラザーズのギタリストだったジェフ・バクスターを起用。

そして1980年の彼らの12作目アルバム、Fool Circleでもジェフを引き続いてプロデューサーに起用し、更に元ビートルズのアルバムにエンジニアとして関わったジェフ・エメリックをこのアルバムにエンジニアとして起用する米英折衷の不思議な組み合わせとなった。

(水陸両用、今からアメリカに行ってきます!)

本作にはレゲエにクラプトンのカバーで有名なJ.J.ケール作、Cocaine(Live)とちょっぴりアメリカ志向が感じられるが、全体的にはハード・ロックやパワー・バラードをダン・マッカファーティーが独特な個性で歌い上げるいつものスタイル。

チャート・アクションも英米それぞれ60/70位と変わらず、何とかやってますって感じで少々マンネリ気味だったかな。

この後もナザレスはアルバムを継続に出し活動していくも、オイラとしてはこのアルバムが彼らをフォローしてきた最後のアルバムとなった。


老けないボウイ

2024年09月19日 | BRITISH ROCK

1997年にデヴィッド・ボウイが出した通算20枚目のスタジオ・アルバム、Earthling。

なんとドラムン・ベースにループ・サンプリングとバリバリのエレ・ポップに挑戦。

90年代は丁度サンプラーを多用したファンク系エレ・ポップ、ジャングルと呼ばれたジャンルが局地的に流行っていた頃だったので、このアルバムが出た時はそれほど物珍しい存在ではなく、全英・全米チャートでそれぞれ6位・39位とボウイのアルバムとしてはちょっぴり物足りなかったような。

しかしそれから四半世紀経った現在改めて効いていると時代のギャップを感じさせないぐらい。これが当時御歳50歳の作品だったとはとても思えないぐらい若々しさを感じる。

やっぱりボウイが演るからいいんだね。