CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

トラファルガー

2025年02月15日 | BRITISH ROCK

本日は1971年、ビージーズのメジャー・デビューから数えて7枚目、またバリーと喧嘩して脱退したロビンがカム・バックして2枚目のアルバム、Trafalgar。

(19世紀初頭、ネルソン提督率いるイギリス艦隊がフランスとスペインからなるナポレオンの連合艦隊をトラファルガー岬沖海戦にて勝利した。)

アルバム全編はバラードで構成され少々地味、しかしながらシングル・カットされたHow Can You Mend A Broken Herart(傷心の日々)は彼らにとって初の全米1位を記録。ただアルバムは全米34位と中ヒット。更にイギリスのチャートではシングルとアルバムの両方が何故かチャート・インさえせず。

やっぱりバラードばっかりじゃ全体的に冗長な印象をもたらし売れ行きに影響したのかも….

かってイギリス軍は海戦では勝利したものの、本作のイギリスにおけるレコード商戦では敗北。


ロッドのソロ4作目

2025年02月13日 | BRITISH ROCK

第1期ジェフ・ベック・グループ解散後、ロッド・スチュワートとロン・ウッドは、スティーブ・マリオットの抜けたスモール・フェイセズのメンバーと合体しフェイセズを結成、また並行してロッドはソロ活動も行うことに。

そのソロ活動による第4弾のスタジオ・アルバムが1972年のNever A Dull Moment。

前作のEvery Picure Tells A Storyに収録されたMaggie Mayが大ヒットしアルバムも同様に大いに売れた。

同じ方向性で制作された本作も大ヒット。アルバム・タイトル通り、退屈さを感じさせない。

因みに個人的にはマーキュリー・レーベル時代のロッドの方が後のアメリカに進出したワーナー時代より好みかな。

アメリカに渡ってからはどうも売れ線を狙って妙にスマートにまとまり過ぎるって感があるのがオイラの見解。

マーキュリー時代の荒削りなロッドに一票!


甘美のハード・ロッカー!再び

2025年02月05日 | BRITISH ROCK

本日はロック・バンド、Mr. Bigに再登場してもらおう。エリック・マーチンがいたアメリカン・ロック・バンドMr. Bigではない70年代に登場した幻の英国ハード・ロック・バンド Mr. Bigの事である。

このブログを立ち上げた9年ほど前にこのバンドは一度登場しているがその時結構腐していたので、名誉挽回、汚名返上ってことで9年ぶりにそのレコードを再び手に取ることに。

バンドはギター・ボーカルそして作詞・作曲を担当のディッケン、ベースとツイン・ドラムスの変則的な編成の4人組ロック・バンドだった。1974年エピックと契約しシングルを出すものの不発。1975年EMIに移籍して出したのがアルバム、Sweet Silence。

ツイン・ドラムスが関わるハードな演奏にディッケンの少々ねちっこくしゃがれたボーカルが絡み独特な雰囲気を醸し出すWonderful CreationやSweet Silenceなんかがバンドの売りだが、それだけでなくスロー・バラード、カントリー、中華風、ボードビル調の曲などが散りばめられて収録されるなど工夫が凝らされていて悪くない。

残念ながらアルバムのライナーに記された”ビッグ・グループになることはもう既に運命付けられている”なる当時の宣伝文句を果たし得ることはなかった。

しかしながら改めてレコードを再生すれば買った当時の70年代の次から次に登場した新しいバンドでワクワクだった記憶が蘇ってくる。まあ悪しき思い出はなかった事として脳内で改竄されているのではあるが…

久々に甘味な思い出を味わわせてくれるハード・ロッカー達だった。


悪くはない

2025年02月04日 | BRITISH ROCK

10ccのメンバー達は60年代からそれぞれのバンドで活動しながら腕を上げてきた。そして70年代になって意気投合した4人が10ccを結成したが、当時は他のミュージシャンの裏方に回るセッション活動に時間を取られ、自身のバンド活動がおざなりとなっていた。

メンバーの一人、エリック・スチュワートの友人のジョナサン・キングがレコード会社、UK Recordsを設立した事を聞きつけ、新曲のDonnaのテープを送りなんとか契約に漕ぎ着ける事に。

そして1972年にDonnaがシングルとして発売されるとなんとUKチャート2位と人気を博し、翌年セルフ・タイトルのアルバムを出すことに。アルバムからカットされた3枚目のシングル、Rubber Bulletsがチャート1位に輝きアルバムも36位と幸先の良いスタートを切った。

その翌年の1974年にはセカンド・アルバム、Sheet Musicが登場し、これまた全英9位とさらに躍進することに。

ただ弱小レーベルからレコードを出すと、どうしてもマーケティングが弱い。一応販売ルートはイギリスがデッカ、アメリカはロンドン・レコードとストーンズと同じ販売ラインではあったが大手のレーベルが直接管理するバンドではなかったので、後一押しが足りないと10ccのメンバーは考えたのか、彼らは1975年大手のポリドール系のマーキュリー・レーベルに移籍して3作目のアルバム、Original Soundtrackの制作することに。

一方ドル箱の10ccが抜けると売り上げに影響が大きく出たのか翌年にUK Recordsはあえなく解散する羽目に。

その後80年代、10ccの初期2枚のアルバムはマーキュリー・レーベルが再発し、90年代になるとイギリスのキャッスル・コミュニケーションが再発の権利を獲得も、その後廃盤

ちなみに日本ではオリジナル盤はキング・レコードが出していたが、UK Recordsの解散によってその後は廃盤扱いとなる。2000年代になってテイチクがインペリアル・レコード名義で日本での再発権を獲得するも再発されたのはCDのみ。

このセカンド・アルバム、Sheet Musicを持っていなくて、いつか手に入れようとオリジナル盤の中古を探していたのだがコンディションが良くない割に結構な値付けされているので諦めていたところ、イギリスの再発専門レーベル、ノット・バッド・レコードがジョナサン・キングからの許諾を得て2014年に再発したので衝動的に買ってみた。

(赤丸に白抜きの宣伝文句が記載されているが、これがシュリンクの上に貼られたスティッカーではなくジャケに直接印刷されていて、ヒプノシスの渾身のデザインをぶち壊し)

(透けて見える黄色のカラー・レコードはジャケの色合いにマッチしていてNot Badかな?)

(OKの指サインがNot Badを意味している)

ジャケの仕様が完全にオリジナルに準拠していないのは残念だが、レコードは180グラム重量盤の黄色のカラー・レコードで針を下ろしても新品のレコードだけの特典とでも言えるビチパチ音が全くなくオイラは大満足。

社名通りノット・バッドなレコードだった。


まだまだ通過点

2025年01月27日 | BRITISH ROCK

そこそこの成功を収めた前年のコンセプト・アルバム、Eldoradoの作風を継承し更にポップになったのがELOの1975年の5枚目のスタジオ・アルバム、Face The Musicだ。

アルバムは全米8位、アルバムからカットされた2枚のシングル、Evel WomanとStrange Magicもそれぞれ10位と14位とアメリカでの大ブレーク寸前だった。

天邪鬼なオイラとしては、大成功前夜のまだまだ未完成な彼らではあるが何かヒントを掴んだこの頃が大好物。

大成功を一気に成し遂げてしまうと、レコード会社からの圧などもありどうしても次作の制作において冒険をする事なしに無難な方向へと妥協してしまう事が常である。

1977年のダブル・アルバム、Out Of The Blueで頂点を極め、その後のアルバム、DiscoveryやXanaduなんかは売れに売れたが、頂点を極めれば大体その後は下り坂、オイラとしては普通のポップ・アルバムって印象だった。

やっぱり成長過程のアルバムであったFace The Musicを聴いた後、次のアルバムでどんな新しい進化を見せてくれるのかって思うと当時ワクワク感で一杯だったね。


ノン・ストップ・ハードロック

2025年01月17日 | BRITISH ROCK

コレよ、コレ!

メタルなパープル、アトミック・ブルースのZep、そしてハードとくればThe Who!

本日は彼らの1970年のライブ・アルバム、Live At Leedsでも。

(1980年MCAレーベルから出た再発アメリカ盤であります。)

ロック・オペラ、トミーの後に出たからハードさが余計に際立って余は満足。当時のLPのサイドー1が4曲、裏面に2曲のたった6曲だけ収録と聴くまでは少々物足りなく感じたが、聴いてびっくり!これぞハード・ロックと思えたものだった。

後年、25周年記念としてCD2枚組がでて、CD 1には新たに曲が追加され13曲。またCD2にはトミーがライブで丸ごと収録の大盤振る舞い。ただロートルなオイラはオリジナル盤で迫力満点さを十二分に楽しめるって言うか、CD2枚を全曲ボリューム・マックスで聴く体力がない。

ピートのギターやロジャーのボーカルは勿論の事、トミーで少々抑え気味であったジョンの唸るベースとキースの乱れ打ちをこのアルバムで是非とも倒しんで頂きたい。


なかなか掴みどころの無い奴ら

2025年01月13日 | BRITISH ROCK

1967年、スティーブ・ウィンウッド、ジム・キャパルディ、クリス・ウッドとデイブ・メイスンの4名で結成されたバンド、トラフィック。スティーブの伸びやかなボーカルはもとより、当時の時代を象徴したポップでサイケデリックがかったバンド・メンバーによる自作曲も好評でそこそこヒットしていたが、2枚のオリジナル・アルバムを出してデイブ・メイスンがバンドから脱退。

その後スティーブもバンドから脱退しクラプトンやジンジャー・ベイカーらとスーパー・バンド、ブラインド・フェイス結成も、1枚のアルバムを出して会えなく解散。

スティーブは更にジンジャー・ベイカーの新たなバンド、ジンジャー・ベイカー・エア・フォースに暫し参加した後、トラフィックのメンバーだったジムとクリスのサポートを得てソロ・アルバムを制作する事に。

そしてJohn Barleycorn Must Dieと名付けられソロ・プロジェクトはトラフィック再結成のアルバムに昇格し、1970年に発売された。

(遅ればせながら2019年の再発LPを購入。70年代に聴いた頃にはピンと来なかったけれど、ようやく55年の時を経てオイラが追いついた。)

ジャズ系ジャム、トラッド・フォークにR&Bなど毛色の違った曲が配置され、当時のイギリスのボップやハード路線のロックとは方向性が違うしまたアメリカンナイズされたサウンドでもない。

一体トラフィックというバンドを一言でどう形容すればいいのか….

オイラとしてはシンプルに彼らをプログレ・バンドと呼ぶ。

当時のクリムゾンやイエスらは超絶演奏テクニックよるエッジの効いたサウンドが売りだったが、トラフィックの場合は何となくマッタリした感じの演奏で一発では刺さらない。

ただ何度も繰り返して聴いていくと、あら不思議!そのサウンドにどっぷり浸かってしまう不思議な作用が…


爽やかホリーズ

2025年01月06日 | BRITISH ROCK

60年代半ばごろ、イギリスのビート・バンドが大挙大西洋を超えて北米に襲来し、彼の地のポップ・チャートを制圧。当時ブリティッシュ・インヴェイジョンなどと呼ばれた、ビートルズをはじめとしてストーンズ、アニマルズ、デイブ・クラーク・ファイヴにキンクスなど軍団とでも呼べる破壊力があった。

日本ではビートルズのような圧倒的な人気はなかったが、調べてみるとグラハム・ナッシュがCS&Nに加入する直前の1968年に来日を果たしていた、ホリーズもブリティッシュ・インヴェイジョン軍団の一員だった。

本日は彼らの2007年に編纂されたCD2枚組のベスト・アルバム、The Hollies Finestでも。彼らの1963年から2006年までのヒット曲もしくは代表曲が収録されていてこれを聴けばホリーズの輪郭が掴める。

60年代の彼らの曲はビートルズやその他のバンドの曲に決して引けを取らない上質のポップ・サウンドを楽しめる。

スタジオ・アルバム制作においてその当時はやったサイケデリックなアプローチをとったアルバムの制作や、ディランのカバーでアルバム1枚を埋めたりと色々工夫してきたものの、ビートルズやストーンズのように革新的な進化を成し遂げ唯一無二のバンドに成長するまでには至らなかったかな?

それでも60年代から70年代にかけての彼らの爽やかなコーラスを伴ったポップ・ソングは一聴する価値は十二分にあると思う。


オアシスのシングル盤

2025年01月02日 | BRITISH ROCK

昨年末、オアシスの1995年のセカンド・アルバム、(What’s The Story) Morning Glory?を久々に聴き返してみて、割としっくり来たので彼らのCDを買ってみることに。

手に入れたのは2010年に発売されたイギリスで発売されたシングル盤を纏めたコンピアルバム、Time Flies…. 1994-2009。

彼らの奏でるシンプルかつパワー・ポップなギター・サウンドは何故か70年代のロック好きのオイラの心にジーンと響き結構刺さるね。

ただ一つだけ難を言うとすれば、60年代のヒット・シングルだと大体3分に収まり70年代になっても長い物でも4分強と割とあっさり完結し必要ならばリピートして聴くスタイルなのだが、オアシスのシングル盤って平均すれば4から5分、長いのとなると6分越えなのでロートルなオイラにとって曲によっては少々聴き疲れはすることかな… 

オジンの独り言でした。


あれから30年

2024年12月21日 | BRITISH ROCK

90年代のミュージック・シーンといえば、R&BやHip Hop系のミュージシャン達が全盛の時代。ロック系となるとオイラのようなクラシック・ロックを好む世代の嗜好に合うようなバンドを見つけ出すことは中々難しいかったが、そんな中で例外であったのがOasisだった。

ギャラガー兄弟を中心に結成されたバンドが1994年に出したファースト・アルバム、Definately Maybeは大ヒット、翌年のセカンド・アルバム、(What’s The Story) Morning Glory?で更なる世界的人気を獲得することになる。このセカンド・アルバムは全英1位・全米4位と大ヒットし、世界中で通算2200万枚の売り上げを記録し、彼らのキャリアのなかで最も売れたアルバムとなった。

当時彼らはビートルズのファンだと公言しており、ビートルズの影響も幾らか感じ取れる。例えば大ヒットしたシングルのDon’t Look Back In Angerの歌詞の中のI Start Revolution From My Bedなんて下りはジョン・レノンとオノ・ヨーコの一連の実験音楽のテーマを思い出させるし、音に関してもイマジン風のピアノから始まるなど、特にジョンの影響をただ受けているようだ。 

シンプルなギター・バンド編成のポップな演奏にオイラも70年代を思い出しつい引き込まれた。

この兄弟はいつも喧嘩していたような印象があって、結局バンドは解散となり非常にもったいないことになるのであが、数ヶ月前に再結成のアナウンスが出て来年にツアーをするらしい。

兄貴の歌うDon’t Look Back In Angerをお互い心に刻んで是非ともツアーを成功させて欲しいものだ。

アンガー・コントロールよろしく!


5年後で

2024年12月14日 | BRITISH ROCK

昨日自動車運転免許証の更新に行ってきた。

何しろ更新すれば5年間オイラの顔がずっと免許証の表を飾るので写真撮影の前に鏡を見て粗相のない様に臨んだわけだが、何故か前髪が片方によってしまってアンバランスな感じに。

取り直し出来ないので、これで5年間辛抱することに。

因みに更に長期のスパンで俺たちの10年後って一体どんなことに?って感じで1966年の結成時にTen Years Afterと名付けたバンドが….

本日は、彼らが出した1972年の7枚目のスタジオ・アルバム、Rock & Roll Music To The Worldでも。

アルビン・リーのギター・ソロが売りで、初期の頃と比べるとブルースやロックン・ロール色が濃い目の芸風に変わってきたね。

オイラとしてはあまり難しく考えることなくさらりと楽しめるアルバムに仕上がったので大歓迎。

ただ残念なことに10年になる手前の1974年に一度解散、その後再結成でライブを行ったりニュー・アルバムを出すもやっぱり彼らの活動の中心は1966−1974年の8年間だった。

因みに、自動車運転試験場で聞いた話によると来年の3月から運転免許書とマイ・ナンバー・カードとの統合がスタートされるそうな。

もし統合するとなるとアンバランスに写った写真と5年も経たずにおさらば出来るが、マイ・ナンバー・カード上の写真も余りいけてない顔しているし、またもし統合後マイ・ナンバー・カード紛失してしまったら、身分証明書、自動車運転免許証に健康保険証を一気に消失してしまうリスクも考えると….

てな事で、特に統合にタイム・リミットが無ければオイラはFive Years Afterで行こうと思う。


サブ・ウーファーの置き方とは?

2024年12月03日 | BRITISH ROCK

小さなスピーカー2本では迫力が出ない。

これは低音が足りずに全体的に音がフラットに聴こえるからだと思う。ウーファーの径の大きいスピーカーを使えばいいのだけれど、やはり集合住宅内で大きな音を出すのは憚られる。そこで低音のみを強調出来るサブ・ウーファーを今年買ってみた。

ただあまりに低音を強調し過ぎると上下両隣の住人の皆様に騒音を届けてしまう事にもなる。色々試行錯誤の上でサブ・ウーファーの音声がよく聴こえるように出来るだけ近場に寄せる事によって適切な音量に絞って聴けばいいのではないかと....

少し離れた床に直置きしていたウーファーを木の椅子に乗せて約45センチ持ち上げ、それを足元の近くに設置した。オーディオ・マニアではないので果たしてこれが正しい方法なのかは分からないが、全体の再生ボリュームを上げなくとも低音が強調されている様に聴こえる。

本日は久々にプロコル・ハルムの1973年の6作目のスタジオ・アルバム、Grand Hotelでも。

R&Bにクラッシック・ミュージックの要素を融合させた作風でデビューした彼らは、このアルバムでもゲイリー・ブレッカーの伸びやかなヴォーカルにロック・バンドの演奏と荘厳なオーケストラやコーラスのアンサンブルが上手く絡み合いその実力を遺憾なく発揮している。お馴染みのT.V. シーザーやスウィングル・シンガーのコーラス付きのファイヤーなど聴きどころ満載。

音量を絞っても低音が効いてていい感じかな。

小型スピーカーの左寄りの床に直置きだったのを、椅子に乗っけて前方にドド〜ンと進出!


マジカルな奴、その2

2024年11月29日 | BRITISH ROCK

キャット・スティーブンスのライブと言えば東京公演の模様を収録した1974年のSaturnightが思い浮かぶが、当時は日本のみの発売で収録曲も12曲と少々物足りなかった。

そうこうしているうちに1978年、キャットはユセフ・イスラムと名前を変えてイスラム教に改宗し表舞台から遠ざかってしまった。

ところが2004年に突如1976年の北米公演、アース・ツアーからのライブ音源が発売されMajikatとタイトルがつけられた。

ほぼ彼のベストの選曲とでも言える20曲がCDに収録され、スタジオ録音盤と比べてより力強い彼のボーカル楽しめる。

ところでこのアルバム・タイトルのMajikatって英語のMagicが訛った感じかな?

ファンにとっては、28年ぶりのマジカル的なリリースとなった。


懐かしのシングル盤

2024年11月13日 | BRITISH ROCK

1964年のデビュー・シングル、She’s Not Thereがヒットし注目を集めたイギリスのバンド、ゾンビーズ。日本でもカーナ・ビーツが彼らの曲、I Love You(好きさ 好きさ 好きさ)をカバーしてヒットさせた。続くシングルもヒットし順調に人気を得ていくも、1967年制作のアルバム、Oddessy & OracleをCBSレーベルで制作した後、バンド内の人間関係が悪化しバンドはあっけなく解散。

ボブ・ディランのアルバム・セッションに参加し名を売ったアル・クーパーがその頃CBSレーベルと契約を結び、バンドは既に解散してしまっがこの曲はきっと売れるとアルはレーベルにシングル・カットするよう進言したそうな。

それが1968年のゾンビーズのシングル、Time Of The Seasonだった。

サイケデリックがかったR&B調のこの曲は全米チャートで見事1位を獲得し、当然レーベルから解散を翻意するように説得されるも、リーダだったロッド・アージェントは首を縦に振らずバンドが復活することはなかった。

結構多くのミュージシャンにカバーされていて、今でもカッコイイ曲だと思っている。


この曲なしには語れない

2024年10月26日 | BRITISH ROCK

ここのところ、発掘しされた日本で流行った70年代洋楽ヒット・シングル集のCDの何度か聴き返して楽しんでいる。

やっぱり70年代の曲は肌に合う。それもそのはずオイラの楽しかった青春時代の中心だったからより思い入れがある。

本日はそのCDに収録されていなかった、ハリー・ニルソンのWithout Youでも。

1971年にアップル・レーベルから発売されたバッドフィンガーのアルバム、No Diceに収録された曲で、メンバーのビート・ハムとトム・エバンスによるお互いのアイデアを折衷した作品となった。

ニルソンはカバーするに値する素晴らしい曲と思い当初ビートルズの曲だと思っていたそうな。

彼は激しいピアノ・ソロなんかを用い荒涼した情景をイメージするアレンジを当初検討していたが、プロデューサーのリチャード・ペリーに説得されポール・バックマスターによるストリングスをバックに重厚なバラードに変換された。

コレが功を奏し全米・全英1位の大ヒット。このシングルを収録した1972年のニルソンのアルバム、Nilsson Schmilssonも全米3位の大ヒット。更に90年代になってマライヤ・キャリーに再カバーされコレまた大ヒット。

ただ残念なのは、この曲を書いたお二人が後に悲劇の死を遂げた事。

ビートルズ解散後闇雲に手を広げ過ぎて収拾がつかなくなったアップル・レーベルによるバンドに対する仕打ちや、バンドと契約したマネージャーの裏切りなどトラブルを数多く抱え込み、思ったようにバンド活動に専念出来ず行き詰まり最悪の事態となってしまった。

思うに、問題は彼ら自身がバッドフィンガーとして作り出した曲の素晴らしいさをよく理解していなかった、もしくは気付いてないなかった事ですかね。

もしWithout You以外にも他のアーティストに曲を提供し別アレンジでカバーすれば同様に大ヒットし、別の人生があったかも….