CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

Queen I

2024年11月21日 | Queen

戦慄の王女ってタイトルで、クイーンのファースト・アルバムが欧米のマーケットに半年ほど遅れの1974年3月にようやく日本で発売された。

なんでも歓喜と陶酔の世界に誘惑するニュー・ヘビー・ロック・グループ。ツェッペリンやD・パープルを生んだブリティシュ・ロック界期待の新星、クイーンてな売り文句で登場。ただ1974年頃と言えばハード・ロックも既に廃れ気味で、レゲエとかフュージョンとかロックに新たな方向性が生まれ始め、ちょっぴり遅れて来た野郎どもって感じだったかな。

クイーンは1971年にバンドが結成され、ある程度曲も完成されてたにも関わらず、それから2年経ってようやくファースト・アルバムが完成。更にイギリスの音楽評家からはしょんべん桶なんて意味不明の言葉で酷評されたっけ。

もう少し早くアルバム・デビュー出来ていれば、この時代を先取りしたファースト・アルバムもブレイクしたのではないかと。

因みにクイーン自体は1974年当時には実際のところかなり進化を遂げていて時代の先を走っていた。そのため日本では1974年の6月にセカンド・アルバムのII、年末にサード・アルバムのSheer Heart Attackと一年になんと3枚のアルバムが矢継ぎ早に登場することになり、リスナーは彼らが時代を追い越すポジションに既に辿り着いていたその実力をようやく認識したのであった。

そして、先月そのファースト・アルバムがリミックスされQueen Iとして発売された。

当時バンドが意図したサウンドにリミックスされたのが売りで、ドラムスの音が強調され、また他のサウンドもクリアでより立体的配置され現代的なサウンドに生まれ変わった。

オイラは当時受験の年ではあったもののクイーン初期3部作を聴きまくっていたことからオリジナルの音が少々籠り気味の印象だったにも関わらず今でも愛着がある。ただいつもの事ながら愚かにもついこれ買っちまった次第でありまして。

暇つぶしに、Lairって曲の波形を比較してみた。1986年位初デジタル化した時はフラットなトランスファーで音圧低め。2001年と2015年のリマスターは音圧は上がったものの、ラウドネス戦争終結後の21世紀のリマスターなので上品な味わい。今回の2024年のリミックス盤は波形がオリジナルとかなり異なっていてなんだか別物って感じですかね。

 


ウエスト・コースト・サウンドにロンドン仕込みのビートルズふりかけをまぶしてみると

2024年11月20日 | West Coast Rock

バンド自身でプロデュースされた1973年のアメリカの3枚目のアルバム、Hat Trickの売り上げが思った様に伸びす、翌年の4枚目のHolidayではジョージ・マーチンにプロデュースを依頼しロンドンでレコーディングされた。

出来上がったアルバムは、ビートルズの香り溢れるなんとも上品なアルバムに仕上がり、アルバムは全米3位、シングル・カットされたTin ManとLonly Peopleはそれぞれ4位と5位と大成功を納めた。

ちなみにジョージ・マーチンがプロデュースした主なミュージシャンと言えば、ビートルズやそのメンバーの作品を除くと主なところではアメリカ、ジェフ・ベックやチープ・トリックなどそれほど多くない。60年代にビートルズと共に築き上げた功績があまりにも偉大過ぎて、仕事を依頼しにくかったのかな….

ダメもとだったかは定かではないが、思い切って大物プロデューサーに仕事を依頼したアメリカの作戦勝ち。

アメリカの3人のメンバーに加えてドラムス担当のサポート・メンバーのラリー・ウィルコックスがジャケに初登場。


憧れの西海岸?

2024年11月17日 | AMERICAN ROCK/POPS

1971年にアルバム、Piano Manをヒットさせた後、NY出身のビリー・ジョエルはLAに移住して1974年に次作のStreetlife Serenadeを制作した。

NY出身のエリオット・マーフィーもブルース・スプリングスティーンと共にニュー・ディランとかディランズ・チルドレンなど称賛された1973年のファースト・アルバム、Aquashowを出した後、LAに在住しレコーディングを行う。

(ファースト・アルバム、Aquashow)

ゴードン・エドワーズ、リチャード・ティー、ジム・ゴードン、ネッド・ドヒニーにボビー・キンボールらLAの腕利きミュージシャンにサポートされたセカンド・アルバム、Lost Generationは1975年に完成。

(セカンド・アルバム、Lost Generation)

個人的には出来のいいアルバムだと思うけれど、やっぱり西海岸の開放的な明るさ感じられ何かがちょっと違うかな。

特にエリオットの場合は、ベルベット・アンダーグラウンドのライブ・アルバムに一文を寄稿しているぐらいルー・リードとの太い交流があり、NYのアンダーグラウンド・シーンにおける翳りなどの影響を結構受けている気がする。

残念ながらアルバム・セールスは思った様な結果を残すことができず、結局ビリー・ジョエルと同様にNYに戻り次作を制作することに。

例え西海岸が憧れの地であったとしても、ご両人にとってはNYの水が合っている。

そこが彼らの生活の地なんだな…


イエスの40周年記念ピクチャー・レコードを眺めて想う

2024年11月16日 | PROG ROCK

イエスのサード・アルバムを出した後バンドから脱退したキーボーディストのトニー・ケイはイエスの前ギタリスト、ピーター・バンクスが結成したバンド、フラッシュにゲスト参加し、その後自身のバンドを結成することに。

ジョン・アンダーソンがイエス結成前に所属したバンドのバンド・メイトだったベーシストのデイヴ・フォスターとトニーの二人はギタリスト、ブライアン・パリッシュとドラマー、ロイ・ダイクをリクルートして4人組バンド、バジャー(穴熊)を結成。

彼らのデビュー・アルバムはなんと1972年末のイエスの公演の前座として行われた公演から収録されたライブ盤、One Live Badgerである。

1973年に出たこのアルバム、ロジャー・ディーンによるアルバム・カバー・デザインや元イエス出身なんてイメージからプログレ・サウンドか?と当時思いきや、トニーのキーボードによるプログレの香りは少々あるものの実際はR&B寄りのガッツある演奏を披露している。

このアルバム制作の後、デイブとブライアンがバンドから脱退し新たなメンバーを加え翌年セカンド・アルバムを出す。芸風が完全にR&Bバンドへ変身するもあえなくバンドは解散と短命に終わった。

まあ、メンバーの個性がよりぶつかり合うロック・バンドってそんなもの。

ちなみに会社を新規に設立すると、大体6~7割が3年まではなんとか存続するも10年後となるとたった生存率はたった6%程度だそうだ。

それを思うと、従業員の入れ替わりは多々あるものの今でも活動しているイエス・カンパニーってすごいな~


反省の日々

2024年11月15日 | PROG ROCK

このところ、断捨離ってわけでも無いけれど少しづつではあるが、レコードやCDなどのコレクションから不要と思われる物を処分している。

オークションに出しても売れる気配がなく、送料が本体より高くなるものは一纏めにしてなんちゃらオフに持ち込み、また少しばかりでも価値のつくものはオークションかフリマに出し今月だけで3点お買い上げいただいた。

更に処分していこうと、レコード棚を見ているとピクチャー・レコードが見つかった。

こんなの買ったけ?と過去の記憶をたぐってみるも老化現象進行中のオイラとしては購入の経緯を思い出せない。

それが1978年に出たイエスの通算9枚目のアルバム、Tormatoのピクチャー・ディスク。

オリジナル発売当時はレコードは買っていなくて、遅ればせながら90年代にCDを買って聴いたTormatoの印象としてはパンク・ディスコ・ブームに沸く当時のミュージック・シーンを鑑みてプログレ特有の長尺曲は無くし、少しポップ寄りの聴きやすいだったかな? 

ただTormatoツアー終了後、次作のセッションを行った際、上手くいかずにジョン・アンダーソンとリック・ウェイクマンが脱退することになる、イエスにとっての区切りのアルバムでもある。

このピクチャー・ディスク、2018年に40周年記念として発売されたもので、そう言えば2017年に40周年記念として出たGoing For The One(究極)のピクチャー・レコードは買った記憶がある。

ただせっかく買ったのにレコード棚に埋もれているようじゃ鑑賞用の役も果たしていないことに…  何年か経ってオークション行きになるのかな。

ほんと無駄なものをその時のノリで買っちゃだめってこと。

これでイエスのファンでござい~と呟いたなら、トマトぶつけられるかもね。


振り返っちゃいけない!もう買っちゃったんだから

2024年11月14日 | AMERICAN ROCK/POPS

先日、レコード・メーカーがピクチャー・レコードは黒の通常盤とその音質を比較するべきではないと自白していた事を語ったが、じゃカラー・レコードはどうよ?

これは以前にここでアップした通り、レコードの原料はポリ塩化ビニールが主剤となる合成樹脂で色は透明。塩ビの素材は柔らかいので通常材質の強度を増すために透明な樹脂にカーボンを加える事によって黒盤となる。一般的にカーボンの添加によって強度が増したレコード盤は、低域がタイトに聴こえるそうな。一方カラー・レコードは透明な塩ビ樹脂に適切な顔料を混ぜて合わせる事によって製造され、材質の強度の関係から黒盤と比べて音質がマイルドに聴こえるらしい。

つまり一概にカラー・レコードの音質が悪いというわけではなく、聴く人によって好みが別れるのでないかって意見を述べた。

じゃあこのカラー・レコードはどうなの?と取り出したのがボストンの1978年のセカンド・アルバム、Don’t Look Back。

ファースト・アルバムの大成功で途切れないツアーの合間にレコーディングされ完璧主義者のトム・シュルツにとってはやっつけ仕事感があったかもしれないがこのアルバムも結構売れたね。

今回の盤は2020年に再発専門レーベルのフライデー・ミュージックから発売されたもので、トランズルーセント、ブルー・アンド・ブラック・スワールって記載されていて、半透明なベースに青と黒の顔料が部分的に吹き付けられ飛び跳ねている感じでプレスされている。

(この色のアレンジには全く美意識が感じられないように思うのだが...)

半透明な箇所と青もしくは黒の顔料が混ざってプレスされている箇所は厳密に言えば若干ではあるが材質が異なり、再生に影響があるのでは?

まあ実際のところは音質の差異なんて無視できる仕様なんだろうけれど...

限定盤ということで通常盤よりお値段が少々高いので、オイラとしてはやっぱり視覚による鑑賞一択。

時折思い立ったように盤を取り出し、ターン・テーブルに一旦セットし暫しじっくりと眺めるも再生はせずにまた元のジャケに逆戻りと何とも奇妙な光景で、盤のミント・コンディションを維持しながら将来のアンティーク的な価値が爆上げするのを待つって感じかな?

ただ将来今のレコード・ブームも去り、かってCDがレコードをマーケットから駆逐し始めたCD黄金時代の頃と同様にまたまた中古レコードが2束3文で取り扱われる可能性の方が大かもね。


懐かしのシングル盤

2024年11月13日 | BRITISH ROCK

1964年のデビュー・シングル、She’s Not Thereがヒットし注目を集めたイギリスのバンド、ゾンビーズ。日本でもカーナ・ビーツが彼らの曲、I Love You(好きさ 好きさ 好きさ)をカバーしてヒットさせた。続くシングルもヒットし順調に人気を得ていくも、1967年制作のアルバム、Oddessy & OracleをCBSレーベルで制作した後、バンド内の人間関係が悪化しバンドはあっけなく解散。

ボブ・ディランのアルバム・セッションに参加し名を売ったアル・クーパーがその頃CBSレーベルと契約を結び、バンドは既に解散してしまっがこの曲はきっと売れるとアルはレーベルにシングル・カットするよう進言したそうな。

それが1968年のゾンビーズのシングル、Time Of The Seasonだった。

サイケデリックがかったR&B調のこの曲は全米チャートで見事1位を獲得し、当然レーベルから解散を翻意するように説得されるも、リーダだったロッド・アージェントは首を縦に振らずバンドが復活することはなかった。

結構多くのミュージシャンにカバーされていて、今でもカッコイイ曲だと思っている。


正直な記述

2024年11月12日 | BEATLES-BADFINGER関連

ポールとウィングスのアルバム、Band On The Runのピクチャー・レコードが1978年にキャピトル・レーベルでプレスされた。しかし当時は購入には至らず、15−6年前にようやく中古でゲット。

ピクチャー・レコードは音が悪いとよく言われているのと中古で買ったこのレコードもコンディションがそれほど良さそうには見えないので、額に入れて壁にかけていた。ところが昨今南海トラフ地震が来るってってよく言われるようになって、安全のために額から外してレコード棚に保管していた。

久々にこのレコードがオイラの目に留まったので、じっくり観察するとなんとUS盤ってことでHelen Wheelsがサイドー2の真ん中に収録されているじゃない!せっかくなので、Helen Wheelsだけ聴いてみる事に。

むむ〜 やっぱり音圧が低くイマイチ迫力に欠けると感じる。

細かいことが気になるオイラは更にジャケの裏をじっくり観察。

何と!限定版ピクチャー・レコード、サウンド・クオリティーは通常盤と比較されるものではないって堂々と書いてあるじゃん。

やっぱり音悪いんだ!


売り上げ下降、問答無用の契約終了

2024年11月11日 | AMERICAN ROCK/POPS

1971年エピック・レーベルからセルフ・タイトルのアルバムでデビューを果たしたREO スピードワゴン。

70年代の後半頃から人気を確立させ始め、80年代になって大ブレークし、あまりに売れすぎてジャーニーやトトなどと一括りに産業ロックの雄って揶揄されたほど。

1987年のアルバム、Life As We Know Itでその勢いを落とすものの、アルバム・チャートでは28位とマズマズの出来。ただ何があったか定かでは無いが本作の後に70年代の売れなかった頃から全盛期を共にしたギターのゲイリーとドラムスのアランがバンドから脱退。

新規にメンバーが加入し6名で活動を開始し、1990年に出来上がったアルバムが通算13枚目のスタジオ・アルバム、The Earth, A Small Man, His dog And A Chicken。

(何故かルネッサ〜ンス〜 チンのおじさんが...)

ただアルバム・チャートは全米129位と振るわずズッコケてしまった。

このアルバムを聴いて、作風は親しみやすいバラードやポップなロックとそれまでのアルバムと変わらず、いい出来だと思う。

(ケビン・クローニンをはじめお馴染みの共作としてトム・ケリーやダイアン・ウォーレンなどの外部作曲家の名前もあり、それなりの質は保たれている。)

まあ90年代に入ってリスナーの嗜好も変化していくし、それまでの彼らのブレークが余りに大きすぎたので次のアルバムに求められる要求のレベルも更に高くなり平均点のアルバムじゃ物足りなく感じた事による反動なのかな?

このアルバムの不発により約20年の長きに渡ったエピックとの契約も延長される事なく終了した。

世の中、厳し~


Nomadness

2024年11月09日 | PROG ROCK

デイブ・カズンズ率いる英フォーク・グループ、ストロベリー・ヒルズ・ボーイズが結成されたのは1964年のことで、その3年後にはトリオ編成のストローブスとして英A&Mからメジャー・デビュー。

70年代になってキーボードにリック・ウェイクマンを擁し従来のフォーク・ロック路線にプログレ風味が加わった。リックのイエスに加入によりキーボードを新たにリクルートし更にプログレ化に拍車が掛かりアメリカでもぼちぼち人気が出始める。

そして1975年、英プログレ・バンド、ストローブスの8枚目のスタジオ・アルバムとして出たのがNomadness。

プログレ・ロック時代を支えてきたキーボードのジョン・ホーケン(初期のルネッサンス在籍)が脱退し, 正式メンバーは4名となった。

このアルバムには計10曲が収録されていて、今回はそれまでのテーマに沿った物語的組曲はなくなり、またそれまでのバンドの方向性であったダイナミックなプログレぽさがやや薄らいだような....

Nomadnessって放浪者って意味があり、それ故現状放浪中ってことで一旦立ち止まってさまざまなスタイルの曲を5分以内にコンパクトかつ丁寧に作り込みそれらを全方向に向かって発信を試みる一品料理集って感じ。(ジェネシス風アップ・テンポなロック、シンプルなロックン・ロール、フォーク、ブルース、カントリー、フォーク、ポップ、プログレ風フォーク、フォークに最後はプログレ風ロックとバラエティーに富んでいる。)

残念ながらその構想があまり刺さらなかったのか、このアルバムは本国イギリスではチャート・インせずアメリカでも前作の47位から147位に後退と売り上げ的には精彩を欠いた。

最近たまにノマドって言葉聞くけれど、確たる方向性を見出せず何となくフワリと生きて来きて現状オジンになってしまったオイラにはそれって結構親近感ある言葉ですね。


細かい事が気になるオイラ

2024年11月08日 | AMERICAN ROCK/POPS

1982年のフェアウェル・ツアーのアルバム発表後、ドゥビー・ブラザースは解散。

その後完全に健康を回復したリーダーのトム・ジョンストンがレギュラーで復帰し1989年のドゥビー・ブラザースの再結成アルバムがキャピトル・レーベルから出て全米チャート17位と一定の成功を収めた。そしてその2年後の1991年、通算11枚目のスタジオ・アルバム、Brotherhoodが出たもののアルバム・チャートは82位と振るわず、この後キャピトル・レーベルとの契約も打ち切られる事に。

全体的に地味な印象を受けるが、何度も聴き込んでいくと初期の頃のドゥビー・ブラザースの雰囲気は十二分に味わえオイラとしては悪い印象は全く感じない。

そんな事よりもっと気になる事が…

CDの制作工程を区別するSPARSコードが設定され、初期のCD生産の頃は、過去にアナログで録音・ミックスしたマスター・テープをデジタルに変換する方式がAADと記載され、ミックスする段階でデジタルの方式を取ればADD。後に一連の工程が全てデジタルで行われる場合はDDDと記載されるも、その方式が一般的になる90年代にはいつの間にかDDDの表記はわざわざCDに記載される事がなくなった。

因みにこの90年代初期にプレスされたCDには何とDADと記載されている! なぬ〜 この表記初めて見た。

デジタルで録音し、それをアナログでミックスし、デジタル・マスタリングでCDが完成って事ですかね?

一体どのような状況になればDADって工程を選択するのかな? 

誰か教えて!


レコード鑑賞でのメリット

2024年11月07日 | AMERICAN ROCK/POPS

久々にミート・ローフの曲をレトロチックに楽しもうととターン・テーブルにレコードを置く。

ロッキー・ホラー・ショーなどのロック・オペラのステージで頭角を表し、作曲家のジム・ステインマンと組みトッド・ラングレンによってプロデュースされた1977年のロック・オペラ、Bat Out Of Hell(地獄のロック・ライダー)で大ブレーク。

初年度の全米アルバム・チャートは13位止まりだったが、このアルバム毎年売れ続け現在全世界の累計売り上げが4千数百万枚とピンク・フロイドの狂気、AC/DCのBack In BlackやイーグルスのGreatest Hitsらと肩を並べるメガ・ヒットを記録する。ただ何故か日本では人気がなかったね。邦題の地獄って言葉にネガティブな反応があったのかも?

全編で約46分のこのアルバムをCDでも所有しているが、一気に聴くとオジンのオイラは連続するそのパワーに圧倒され疲れてしまう。

レコードを表から裏にひっくり返すのは面倒なんだけれど、その最中に一息入れ新鮮な気分で名バラードのTwo Out Of Three Aint’s Badから楽しめるのはいい感じ。

ちなみにこの曲の邦題は “66%の誘惑”ってなっているが、一体何のこと? 

直訳すれば2/3あれば悪くない、すなわち物事なんでも100%完璧に求め過ぎるより多少不便でも案外馴染んでしまうレトロなオイラのことかな?


Pretty Things

2024年11月06日 | EURO ROCK

プリティー・シングスというバンドをご存知だろうか?

1963年結成されたR&B系の古参バンドで、60年代末には時流に乗ってサイケデリック調のアルバム数枚を出しそこそこ知名度があった。

70年代になってレコード会社との契約が切れてしまったものの、ジミー・ペイジと旧知の中だったこともあり、ジミーが彼らに救いの手を差し伸べめでたくツェッペリンが持つレーベル、スワン・ソングと契約成立。

本日は彼らの1974年スワン・ソングからの第一弾のアルバム、Silk Torpedoでも。

ワンピースのミニを着用した女水兵らしきカワイ娘ちゃんが魚雷艇から発射された魚雷にちょこんと座っているあり得ない光景に、当時思わずジャケ買いしてしまったオイラであった。

サウンドは基本的にアメリカ向けの70年代ポップ・ロック路線のアルバム。

ちなみにアルバムのテーマ曲でもあるSingapore Silk Torpedoって曲は1954年ごろの古きよき時代のシンガポールに寄港した水兵さんがバーで酔っ払っていたら絹のようなしなやか容姿を持つダイナマイト・レディーに骨抜きにされ撃沈したって与太話で、コレぞ男の世界、ん~マンダム! 更にAtllantaとかBelfast Cowboysなるご当地ソングも2曲収録されていて、クール・ファイブも真っ青。

ただ売り上げとなると全米チャート104位とズッコケてしまい、ペイジさんの面目丸潰れ。

とは言え、このレコードが醸し出す70年代の古き良き時代のまったりしたロックは嫌いではない。


イエス様、オイラの願いを叶えておくれ

2024年11月05日 | PROG ROCK

先日イエスのBig Generatorを何度かリピートして聴いていると、なんだかイエスの王道的なアルバムを聴いてみたくなった。

スティーブ・ハウに代わってトレバー・ラビンが仕切っていた頃のイエスが邪道だと言うわけではないが、イエスと言えばやっぱりシンフォニックなサウンドってイメージが一番にある。

個人的に最もイエスらしかった頃と言えば、やっぱり1971年のサードアルバム、The Yes Album、同年のFragile(こわれもの)と翌年に出たClose To The Edge(危機)あたりではないかと。その証左としてどの年代のライブでもこれらのアルバムに収録されている曲が必ず演奏される。

しかしながら、ハード・ロックに夢中だったオイラとしては一番刺さったイエスのアルバムといえば1973年のライブアルバム、Yessongsですね。ライブでの高度かつエキサイティングな演奏はやっぱり魅力的。

このライブ盤の音質がどうのこうのって言う上級リスナー様がいらっしゃるが、音に鈍感なオイラは特に気にならない。むしろクリスの太いベースとアランのバスドラなど低域をブーストしてドンシャリ気味で聴いてみるとスタジオ盤では決して得られない破壊力を堪能することが出来る。

しかしながら仕切りの壁がペラペラなオイラが住んでる集合住宅でコレをやると苦情が殺到間違いなし。

願わくは騒音苦情無縁の家に一度は住んでみたいものだ。

お願いする相手が違うような.....


産みの苦しみ

2024年11月04日 | AMERICAN ROCK/POPS

スリー・ドッグ・ナイトといえばダニー、コリーのチャックの3人のボーカリストがフロントマンとなり自前のバンドがバックを固める編成となっている。特徴としては他のアーティストのカバーが基本で、3人のボーカリストがそれぞれ気に入った曲を発掘し彼ら3人の総意に基づいてアルバム収録曲が決定される。

特に新人アーティストに関する目利きがよく、彼らによって取り上げられた曲がヒットする事が多く新人たちのオリジナルのバージョンも同様に注目を集めさせる有難い存在だった。

特にエルトン、ハリー・ニルソン、ランディー・ニューマン、ポール・ウィリアムスにラス・バラードらはかなりその恩恵を受けた。

本日はスリー・ドッグ・ナイトの1974年の8枚目のオリジナル・アルバム、Hard Laborでも。

(中々難産みたいで....)

(おぉ〜!出てきた、出てきた、ニュー・アルバムだぁ〜!)

(カルテの特記事項にはStrangest Birth on Recordだって。やっぱり普通じゃなかったんだ!)

このアルバムではアメリカではまだ無名だったレオ・セイヤーのThe Show Must Go Onを取り上げ全米4位のヒットとなり、レオの後のアメリカ進出に道筋をつけた。

とは言え、毎回同じ趣向だとやっぱりリスナーに飽きられるリスクもあるってことで、今回プロデューサーにラズベリーズや後期のハード・ポップ時代のグランド・ファンクのアルバムをプロデュースしたジミー・イエナーを起用し、売れ線のポップ・アルバムとして手堅くまとめ上げられた。

全盛期と比べると人気に少々翳りが出始め出した頃とは言え、アルバムは全米20位とまずまずの出来。

コンスタントにヒット・アルバムを作っていくって中々大変な事で、それ故Hard Laborってアルバム・タイトルが付けられたのかな?