CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

最新リマスター、もう要りません~

2024年11月30日 | PROG ROCK

最新・究極のリマスターてな売り文句で70年代の作品が何度も再発されている。

80年代の初デジタル・マスター作成でのフラット・トランスファー、もしくは90年代ラウドネス戦争真っ盛りの頃のコンプレッサー掛けまくりによる最大音圧リマスターなどと比較すれば流石に違って聴こえるのだが、昨今のリマスターを比較するとなると絶対音感、はたまたどんな微細な音も聞き逃さない地獄耳の持ち主で無い限りどれもこれも同じに聴こえるのでは….

ピンク・フロイドのお化けセールスを記録したThe Dark Side Of The MoonなんてSACD登場!とか何十周年記念とかで何度もリマスターされている。

昨年50周年を記念してリマスター盤が登場したが、買うのをやめた。まあ心残りとしては5.1マルチ・チャンネルにリミックスされた音源を一度聴いてみたかったのだが、5.1の再生装置を購入する金もなく、そもそも集合住宅の小部屋ではそれらの装置するスペースがない。

一般的にピンク・フロイドの音源に関するリマスターといえば現時点ではジェームス・ガスリーによる1992ー94年にかけてのリマスター・プロジェクトと2011年のディスカバリー・プロジェクトの2択である。でっ、その両方を買い揃えてしまった鈍感なオイラでは、音源の再生に於いて多少の違いはあるのかも知れないが、言われてみればそうかなって程度ですかね。

昨日1年ぶりに友人と会って飯を食ったのだが、開口一番、髪の毛が~って言われた。かって黒々して逞しく密度も高かったのものの、歳を重ねればいつの間にか白髪が混じり細くなりまた作付面積も減ってくる。当然聴力なんぞ落ちて当たり前。

こんな場合は、もう商品のデザインの違いを視覚で楽しむしかないね。

1992年リマスター

2011年リマスター

1992年と2011年のリマスターの波形を一応比較してみると、

Timeの波形、2011年盤の曲の頭のSEのパートの半分が前曲のBreatheに組み込まれているのと、時計のアラーム音が小さく鳴るように編集されているのが特徴。

2011年盤のMoneyは後半に入ってから心持ち音圧を持ち上げているかな? 

ただ全体的を通して聴いてもオイラの耳ではほぼ違いは分からない。


マジカルな奴、その2

2024年11月29日 | BRITISH ROCK

キャット・スティーブンスのライブと言えば東京公演の模様を収録した1974年のSaturnightが思い浮かぶが、当時は日本のみの発売で収録曲も12曲と少々物足りなかった。

そうこうしているうちに1978年、キャットはユセフ・イスラムと名前を変えてイスラム教に改宗し表舞台から遠ざかってしまった。

ところが2004年に突如1976年の北米公演、アース・ツアーからのライブ音源が発売されMajikatとタイトルがつけられた。

ほぼ彼のベストの選曲とでも言える20曲がCDに収録され、スタジオ録音盤と比べてより力強い彼のボーカル楽しめる。

ところでこのアルバム・タイトルのMajikatって英語のMagicが訛った感じかな?

ファンにとっては、28年ぶりのマジカル的なリリースとなった。


マジカルな奴

2024年11月28日 | BEATLES-BADFINGER関連

中学生だった頃、我が家にステレオ・セットが登場し、ビートルズのレコード1枚ずつ順番に買っていった。

ラバー・ソウルあたりまではビートルズの順調に進化する様を味わっていたのだが、リボルバーあたりで一気に様相が変化し、1967年シングル・カットされたStrawberry Fields Foreverでビックリしたね。

それまでシングル・カットされてきた3分何がしかのラジオ・フレンドリーなポップ・ソングとは一線を画すようなサイケデリックかつ複雑な構成の曲だった。

その曲が収録されている米盤のマジカル・ミステリー・ツアーは買った当時ペバー軍曹のアルバムよりインパクトがあると感じ何度もリピートした記憶が…

当時日本で映画の映像を見ることが出来なかったが、アルバムにはカラー写真のブックレットが付いてきてこの映画のストーリーが何となく分かるのではあるが、サイケデリック満開のこのエクストラバガンザ風の裏ジャケの写真には一体何ごと?て感じで目が釘付けになった。

70年代初め頃に買ったアルバムだけれど、50年以上経った今でも違和感なしに聴けるってすごくない?


またまたアーカイブ・ライブ盤

2024年11月27日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

昨年久々のスタジオ・アルバム、Hackney Diamondsを出したストーンズ、いつまでもお達者で何より。

ところで此処のところアーカイブ音源がオフィシャル化されガンガンと連発されているが、どれもこれも馴染みの曲ばかりでどうも食傷気味。

2002年9月からスタートした当時Licksツアーの一部として11月4日のLAのウィルターン・シアターでの公演の模様が今年の3月に思いがけなくリリースされたのだが、このライブ盤、Live At The Wilturnは少々趣が違う。

キャパシティーが2000席以下のウィルターン・シアターでの公演は巨大アリーナを巡るツアーと比較するとストーンズがもっと身近に感じられるし、今から20数年前の公演ということでまだまだ油の乗った演奏が楽しめる。

また傍を固めるお馴染みの面々、ベーシストのダリル・ジョーンズ、キーボードのチャック・リーベルにサックスのボビー・キーズらの主役を引き立てる演奏も中々よろし~ それに普段セット・リストに入っていないライブであまり耳にしない曲、Live With Me、No ExpectationやEverybody Needs Somebody To Loveなどが演奏されているのもちょっぴり新鮮かな。

ただいつまでストーンズ教にお布施しなければならないのだろうか? 

アーカイブ盤、永遠に出てきそうだけれど….

 


ブート・ライブ?

2024年11月27日 | West Coast Rock

2004年に突然発売されたカントリー・ロック・バンド、ポコのライブ盤、The Last Roundup。

ジャケ・デザインを眺めるといつもの馬の蹄鉄の上にPOCOと記されたお馴染みのロゴがなかったので、当時これってオフィシャルのライブ盤では無いと思ったものの、収録されている殆どの曲が彼らがABCレコードに移籍し発売された3枚のアルバムからされているのをみてつい買ってしまった。この頃の彼らの作品ってあまり売れなかったのだがメンバー4人が安定した演奏を披露し、オイラとしてはこれぞカントリー・ロックのポコって印象で以前のエピック時代の作品より断然いいと思っている。

購入してからアルバムのクレジットを読むと、その当時のプロデューサーだったマーク・ハーマンがABCレコードのためにプロデュースしたと書かれていた。即ちこれってまさしくオフィシャルのライブ音源で何らかの事情でお蔵入りしたものが約27年の時を経てようやく日の目を見たことに。

英文のライナーを読んでみると、1975年ABCレコード移籍第一弾のアルバム、Head Over Heelsが全米チャートで43位とまずまずの成果を収め更なる飛躍をと、1976年にRose Of Cimaronを出すも、旧レーベルのエピックが2年間のライブ・レコーディンを行ったPoco Liveを営業妨害的に同時期に出した。まあ同時期に発売したことで売り上げにその相乗効果が出ればよかったものの、何故かこの新譜はチャート83位と振るわなかった。前作よりポップなキャッチーさが少なめで全体的にカントリー寄りのサウンドが気に入られなかったのかも…

そこでポコの面々は翌年の作品、Indian Summerで何とか挽回を図る事に注力し、レコード会社もIndian Summerツアーでのライブ・レコーディングを企画した。

Indian Summerは57位と少しは前進したものの、ツアー終了後ベースのティモシー・シュミットがランディ・メイズナーの抜けたイーグルスへの加入を決め、またドラムスのジョージ・グランサムも他のバンドに加入するような話も浮かび上がり、残ったラスティー・ヤングとポール・コットンは新しいバンドを結成てな方向性を打ち出していた。

ポコが解散する状態でライブ盤を出すのも何だかな〜って事でお蔵入り。

ところが最終的にはラスティーとポールは新しいメンバー3名を加入させて新生ポコを結成し、1979年に完成したアルバム、Legendが全米14位、シングル・カットされたCrazy Loveも17位と大ブレークし1968年にバンドが結成して以来一番の売り上げを記録。

新生バンドの大躍進によって旧メンバーで録音されたライブ盤はイメージが異なる理由で発売されず忘却の彼方へと….

2000年にラスティー、ポールとジョージの3人が再会し新たにベース奏者が加入しポコとして活動を再開、2002年に13年ぶりのスタジオ・アルバム、Running Horseを出したことから、もういいかなと2004年に蔵出しされたこのライブ盤が発売された。

ただ当の本人達は当時の記録があまり残っておらず、Rose Of Cimaronの最後に登場するストリングスのサウンドなんてあったっけ?てな落ちとなった。


ジギーとスパイダーズ

2024年11月26日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

1972年に発売されたデビッド・ボウイーの作品、The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And Spiders From Mars をレコードで聴いてみる。

平たく言えばジキーとスパイダーズの演奏によるSF的な近未来を描いたのコンセプト・アルバムだ。エルトンならベニーとジェッツかな。

当時日本における初回盤には英文タイトルを直訳した “屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群れ” なる意味不明な邦題が漏れなくついてきた。多分、時間的な余裕がなく海外から送られてきた音源と簡単な資料だけで制作を進めていかなければならなかった苦肉の邦題だったのだろう….

ちなみにその4年後ようやくオイラが手にした再発盤の邦題がシンプルにジギー・スターダストに改められた。

ただピンク・フロイドのAtom Heart Motherを原子心母、またユーライア・ヒープのLook At Yourselfを対自核としたりと意味不明でも何となくしっくりくるものもある。


これが例の幽体離脱現象か?

2024年11月25日 | ROLLING STONES関連

1967年に出たストーンズのサイケデリックな問題作、Their Satanic Majesties Requestを手に取る。

発売当時は一体なんじゃこりゃ~と非難の嵐が吹きまくったそうな。

彼らにしては“らしく無い”作風ではあるが、今これ全体を通して聴いてみると、曲が途切れなく続き何だか一つの物語を彼方からぼんやりと俯瞰しているような奇妙な感じに陥る。

何だかクセになりそうな。

この手のアルバムはやっぱり雑音無しの再生に限る。

てなことで音質が良いとされる2002年に出たSACDで鑑賞してみると、これがSACDの真の実力なのか、はたまたSACDと聞いてオイラの脳内にプラシーボ効果が発動されたのか定かではないが、結構クッキリ・スッキリのサウンドで楽しめた。


The Byrds を訳すと(改訂版)

2024年11月24日 | West Coast Rock

カタカナで書けば鳥の複数形の意味になるがネットで検索入れてみると、The Byrdsはアメリカのロック・バンド名、もしくは最後のsを取ったByrdは通常人名に使われるとのこと。

元々ジーン・クラーク、ロジャー・マッギンとデヴィッド・クロスビーの3名で結成した前身バンド名がThe Jet Setだった。ほとんど注目されなかった彼らが、ディランのMr. Tambourin Manをフォーク・ロック調に編曲し激動のミュージック・シーンに再挑戦する際、バンド名の改名も行った。

前身バンド名のJet Setからくる飛ぶってイメージを継承しBirdsとし、更に当時流行りのミス・スペルによる言葉遊びにて、彼らが影響を受けていたビートルズの場合はBeetlesがBeatlesってなる様に、iをyに変えてThe Byrdsここに誕生って感じかな?

本日は1992年に出た彼らの代表曲20曲が選曲されたベスト物のCDでも。

初期のフォーク・ロック時代のコーラス・アレンジメントから、サイケ時代を通り越してカントリー・ロックへと、更に後期のクラレンス・ホワイトのリード・ギターを中心にしたバンド・サウンドが味わえる。つまりyって数学的な変数として捉えるとメンバーの出入りによってyの値が変わりバンドのサウンドがその都度変遷していくって事ですかね。まさか?

それではその歴史を.....

デビュー当時の写真はビートルズを完全に意識した出立ち。左から、クリス・ヒルマン、ジーン・クラーク、ロジャー・マッギン、マイケル・クラークとデヴィッド・クロスビー。

時代はサイケデリックに!

オリジナル・メンバーはロジャーとクリスのみ。母屋を新加入のグラム・パーソンズ(中央)にほぼ乗っ取られた頃のカントリー・ロック時代。

グラムとクリスが去ってクラレンス・ホワイト、スキップ・バッテンとジーン・パーソン3名が新たに加わった4人組新生バーズ。

バーズ解散後、1973年にオリジナル・メンバーで再結成も船頭多くして船山に登るが如くアルバム1枚制作して解散。


バーニーは何処に?

2024年11月24日 | West Coast Rock

1971年、リンダ・ロンシュタットのバック・バンドとして活動を始めたイーグルス。当初は明るいカントリー・フレイバー漂うフォーク・ロックが芸風だった彼らも、そのサウンドは徐々にハードに、かつ翳りも加味された作風にと変化していった。

ファーストとセカンド・アルバムでプロデュースを任されていたグリン・ジョンズとバンドの方向性で対立を産み出し、サード・アルバム制作課程でそれまでの関係が崩壊し、新たにビル・シムジクをプロデューサーに迎え新たな路線を突き進むことに。

カントリー・フォーク・ロックのパイオニア、フライング・ブリトー・ブラザーズを経てイーグルスに加入したバーニー・レドンのバンドの音楽性はイーグルスの新たなそれとは少々相容れなかった様で、次第にバンド内での居場所がなくなり1975年の4作目のアルバム、”呪われた夜”を最後にバンドから脱退することに。

彼の書いたイーグルス時代の作品は結構好きで、例えばサード・アルバムに収録され、ブリトー・ブラザーズのリーダーで若くして他界したグラム・パーソンズのことを歌ったMy Manなんて涙ちょちょ切れるくらいいい曲なんだけれどね....

その後、彼はどうなったのか?

1977年に嬉しい便りが。

バーニーはSSWのマイケル・ジョージアディスと組んでニュー・アルバム、Natural Proguessをイーグルスと同じレーベル、アセイラムから出した。プロデューサーはなんとグリン・ジョンズが受け持った。

ただ、悪い出来のアルバムではなかったものの、その後のイーグルスの黄金期と比較するとやっぱり地味な印象だったかな。

その後バーニーはセッション・ミュージシャンとして数多くのミュージシャンのレコーディング参加したりまたプロデューサー業に携わって活動を続けていく事に。また1998年にはイーグルスがロックの殿堂入りを果たしバーニーもイーグルスのメンバーと再開し共に演奏し、更に2004年にマイナー・レーベルからソロ・アルバムを出し地道に活動を続けた。

今オジンになって思うのは、結果はどうあれ自身の思うままに納得して人生を歩むのが最終的には幸せなんじゃないかと... まして他人と比較する必要はないね。


ようやく天候が季節に追いついたかな

2024年11月23日 | PROG ROCK

11月初旬は季節外れの暖かい日が続いたが、ここの所気温も平年並みとなり地域によっては降雪といよいよ冬支度の時期を迎える。

夕方5時を過ぎた頃にはあたりがすっかり暗くなり、気温が下がり始めた日没後に南西に一際輝く星を発見、あれは金星?

星空を眺めているとふとキング・クリムゾンが1971年に出した4枚目のアルバム、Islandsを聴いてみたくなる。

ジャズ、フォークやクラシックが混ざり合うヨーロッパ的プログレ・サウンドが全編に収録されていて、後にバッド・カンパニーの立ち上げにベーシストとして加入する新加入のボズ・バレルがここでは透明感漂うボーカルを披露し、メル・コリンズの操る管楽器やロバート・フィリップのギターも抑え気味。

攻撃的な曲が見当たらずアルバム全体に漂うまったりした雰囲気はこれから訪れる季節によりフィットしているかな?


Meet The Beatles!

2024年11月22日 | BEATLES-BADFINGER関連

某ECサイトを見ていると、つい最近ビートルズの米編集盤のモノ・レコードが結構いい値段で発売されていた。

因みにCDのフォーマットでは2004年にCapitol Albumsってタイトルで当時の米編集でのステレオとモノ・ミックスの2種類の音源を収録したCDのボックス・セットが発売され、2014年にも同じ様な企画のUS AlbumsなるCDのボックス・セットが再登場し、もうお腹いっぱいって感じだったね。

それらの更なるダメ押し企画として今回モノ・レコードが販売された。 高額でマイケル・ジャクソンから版権買ったのだから、商品化出来る物ならなんでも出しておこうって感じかも知れないけれど、果たして買う人いるの?って印象。

ステレオ盤なら英盤とのテイク違いや、米盤編集における疑似ステレオ録音やあたかもお風呂場で歌っているかのようなエコーましましの音源を聴いてニンマリ出来るけど、今回もの音源だから一般人には以前再発された米盤のCDで事足りる。

かく言うオイラも米盤LP所持しているものの、後追いで買った再発盤ゆえビンテージ的な価値は無い。

それでも、キャピトル・レーベルから米盤が出てはや60年にもなるのに、いまだにガンガンと再発されることに対して敬意を表して本日は米盤、Meet The Beatles!でも聴いてみようじゃないの。

レーベルはオレンジ・キャピトルの1976年の再発盤。いつもはジャケを手に取って眺める程度でほとんど針を落としたことがないので、盤のコンディションは悪くない。

因みに米盤編集は当時の国内法の規制によって両面合わせてMax12曲の収録に限られ、このアルバムの片面の収録曲はたった12−3分程度。もしその間トイレにでも立ったなら、演奏はもう終盤に差しかかるぐらいで我慢すべきかどうかその忙しなさがまたなんとも言えないね。


Queen I

2024年11月21日 | Queen

戦慄の王女ってタイトルで、クイーンのファースト・アルバムが欧米のマーケットに半年ほど遅れの1974年3月にようやく日本で発売された。

なんでも歓喜と陶酔の世界に誘惑するニュー・ヘビー・ロック・グループ。ツェッペリンやD・パープルを生んだブリティシュ・ロック界期待の新星、クイーンてな売り文句で登場。ただ1974年頃と言えばハード・ロックも既に廃れ気味で、レゲエとかフュージョンとかロックに新たな方向性が生まれ始め、ちょっぴり遅れて来た野郎どもって感じだったかな。

クイーンは1971年にバンドが結成され、ある程度曲も完成されてたにも関わらず、それから2年経ってようやくファースト・アルバムが完成。更にイギリスの音楽評家からはしょんべん桶なんて意味不明の言葉で酷評されたっけ。

もう少し早くアルバム・デビュー出来ていれば、この時代を先取りしたファースト・アルバムもブレイクしたのではないかと。

因みにクイーン自体は1974年当時には実際のところかなり進化を遂げていて時代の先を走っていた。そのため日本では1974年の6月にセカンド・アルバムのII、年末にサード・アルバムのSheer Heart Attackと一年になんと3枚のアルバムが矢継ぎ早に登場することになり、リスナーは彼らが時代を追い越すポジションに既に辿り着いていたその実力をようやく認識したのであった。

そして、先月そのファースト・アルバムがリミックスされQueen Iとして発売された。

当時バンドが意図したサウンドにリミックスされたのが売りで、ドラムスの音が強調され、また他のサウンドもクリアでより立体的配置され現代的なサウンドに生まれ変わった。

オイラは当時受験の年ではあったもののクイーン初期3部作を聴きまくっていたことからオリジナルの音が少々籠り気味の印象だったにも関わらず今でも愛着がある。ただいつもの事ながら愚かにもついこれ買っちまった次第でありまして。

暇つぶしに、Lairって曲の波形を比較してみた。1986年位初デジタル化した時はフラットなトランスファーで音圧低め。2001年と2015年のリマスターは音圧は上がったものの、ラウドネス戦争終結後の21世紀のリマスターなので上品な味わい。今回の2024年のリミックス盤は波形がオリジナルとかなり異なっていてなんだか別物って感じですかね。

 


ウエスト・コースト・サウンドにロンドン仕込みのビートルズふりかけをまぶしてみると

2024年11月20日 | West Coast Rock

バンド自身でプロデュースされた1973年のアメリカの3枚目のアルバム、Hat Trickの売り上げが思った様に伸びす、翌年の4枚目のHolidayではジョージ・マーチンにプロデュースを依頼しロンドンでレコーディングされた。

出来上がったアルバムは、ビートルズの香り溢れるなんとも上品なアルバムに仕上がり、アルバムは全米3位、シングル・カットされたTin ManとLonly Peopleはそれぞれ4位と5位と大成功を納めた。

ちなみにジョージ・マーチンがプロデュースした主なミュージシャンと言えば、ビートルズやそのメンバーの作品を除くと主なところではアメリカ、ジェフ・ベックやチープ・トリックなどそれほど多くない。60年代にビートルズと共に築き上げた功績があまりにも偉大過ぎて、仕事を依頼しにくかったのかな….

ダメもとだったかは定かではないが、思い切って大物プロデューサーに仕事を依頼したアメリカの作戦勝ち。

アメリカの3人のメンバーに加えてドラムス担当のサポート・メンバーのラリー・ウィルコックスがジャケに初登場。


憧れの西海岸?

2024年11月17日 | AMERICAN ROCK/POPS

1971年にアルバム、Piano Manをヒットさせた後、NY出身のビリー・ジョエルはLAに移住して1974年に次作のStreetlife Serenadeを制作した。

NY出身のエリオット・マーフィーもブルース・スプリングスティーンと共にニュー・ディランとかディランズ・チルドレンなど称賛された1973年のファースト・アルバム、Aquashowを出した後、LAに在住しレコーディングを行う。

(ファースト・アルバム、Aquashow)

ゴードン・エドワーズ、リチャード・ティー、ジム・ゴードン、ネッド・ドヒニーにボビー・キンボールらLAの腕利きミュージシャンにサポートされたセカンド・アルバム、Lost Generationは1975年に完成。

(セカンド・アルバム、Lost Generation)

個人的には出来のいいアルバムだと思うけれど、やっぱり西海岸の開放的な明るさ感じられ何かがちょっと違うかな。

特にエリオットの場合は、ベルベット・アンダーグラウンドのライブ・アルバムに一文を寄稿しているぐらいルー・リードとの太い交流があり、NYのアンダーグラウンド・シーンにおける翳りなどの影響を結構受けている気がする。

残念ながらアルバム・セールスは思った様な結果を残すことができず、結局ビリー・ジョエルと同様にNYに戻り次作を制作することに。

例え西海岸が憧れの地であったとしても、ご両人にとってはNYの水が合っている。

そこが彼らの生活の地なんだな…


イエスの40周年記念ピクチャー・レコードを眺めて想う

2024年11月16日 | PROG ROCK

イエスのサード・アルバムを出した後バンドから脱退したキーボーディストのトニー・ケイはイエスの前ギタリスト、ピーター・バンクスが結成したバンド、フラッシュにゲスト参加し、その後自身のバンドを結成することに。

ジョン・アンダーソンがイエス結成前に所属したバンドのバンド・メイトだったベーシストのデイヴ・フォスターとトニーの二人はギタリスト、ブライアン・パリッシュとドラマー、ロイ・ダイクをリクルートして4人組バンド、バジャー(穴熊)を結成。

彼らのデビュー・アルバムはなんと1972年末のイエスの公演の前座として行われた公演から収録されたライブ盤、One Live Badgerである。

1973年に出たこのアルバム、ロジャー・ディーンによるアルバム・カバー・デザインや元イエス出身なんてイメージからプログレ・サウンドか?と当時思いきや、トニーのキーボードによるプログレの香りは少々あるものの実際はR&B寄りのガッツある演奏を披露している。

このアルバム制作の後、デイブとブライアンがバンドから脱退し新たなメンバーを加え翌年セカンド・アルバムを出す。芸風が完全にR&Bバンドへ変身するもあえなくバンドは解散と短命に終わった。

まあ、メンバーの個性がよりぶつかり合うロック・バンドってそんなもの。

ちなみに会社を新規に設立すると、大体6~7割が3年まではなんとか存続するも10年後となるとたった生存率はたった6%程度だそうだ。

それを思うと、従業員の入れ替わりは多々あるものの今でも活動しているイエス・カンパニーってすごいな~