ガサゴソ、ガサゴソ
助手:あれ、博士! こんな夜遅くスーツケースに荷物を詰め込んで、一体何をしているのですか?
博士:3月と言えば別れの季節。ここ8年ほどずっと同じ場所で暮らしていたわけじゃが、ちょっとマンネリ気味な気がしてのう…
ちょっとオツムの方に刺激を与えるために、住環境を変化させてみようと思い、引っ越してみようかと思ったのじゃよ。
助手:えっー! それじゃこの研究所は一体どうなるのですか?
博士:取り敢えず、君がわしの代わりに所長として運営してくれんかのう~ わしが引っ越し先から原稿を送るので、それをブログにアップしてくれればいいのじゃ。
助手:わかりました。でも寂しくなりますね。
博士:今住んでいる場所は、わしが生まれ育った実家の隣町に当たるので、非常に思い入れも深いのじゃ。だから、必ずこの地に戻ってくるつもりじゃ。
あのユーミンも歌っておる。
アルバム、ミスリムの一曲目
“生まれた街で”
いつものあいさつなら どうぞしないで
言葉にしたくないよ 今朝の天気は
街角に立ち止まり
風を見送ったとき
季節が わかったよ
生まれた街の包い やっと気づいた
もう遠いところへと ひかれはしない
小さなバイクを止め
風を見送ったとき
季節が わかったよ
街角に立ち止まり
風を見送ったとき
季節が わかったよ
街角に立ち止まり
風を見送ったとき
季節が わかったよ
生まれた街が一番なのじゃよ。
助手:よくわかりました。生まれた街がやっぱり一番だと確信したらすぐに帰ってきてください。
それでは、餞別としてポール・シリーズ第4弾、アップル所属のアーティスト、メリー・ホプキンが歌ったGOODBYEを送ります。
1968年ポールのプロデュースによって制作された、シングル“悲しき天使”(THOSE WERE THE DAYS)が全英1位、全米2位の大ヒットを記録。(当時の 全米1位はビートルズのHEY JUDE)
翌年、“悲しき天使”を収録したアルバム、POST CARDを出す。(全英3位、全米28位と健闘)
そしてポール作のシングル第二弾、GOODBYEが全英2位、全米13位とチャートインしこれまたヒットを記録。(当時の 全英1位はビートルズのGET BACK)
バッド・フィンガーの1969年作のサントラ盤、マジック・クリスチャン・ミュージックに収録された、ポール作COME AND GET IT(全英4位、全米7位)と同じように、ポールのアレンジ通りに演奏もしくは歌唱すればヒット間違いなしと言う、至れり尽くせりの楽曲だった。
残念ながら、メリーはポールのポップ路線とは異なるフォーク調の曲を歌いたかったようで、ポールと袂を別つと急速に人気が下降していった。
博士:さすがは天才ポールじゃ。しかし、彼とてマンネリに陥る時もある。目先を変えて、アフリカはナイジェリアの首都ラゴスのEMIスタジオで制作したのが、レコードのA面全てシングル・カット可能な捨て曲なしのBAND ON THE RUNじゃった。
助手:博士もポールのように新しい土地で一皮むけて、またここに帰ってきてください。
博士:その通りじゃ! 健康たわしを使い、一皮でも二皮でもむけたいと思っているのじゃ。サウナでのヘチマを使った垢すりも気持ちがよく捨てがたいのう~
助手:ちょっと言っている意味が違うような?
Goodbye/Mary Hopkin
1997年のポールのソロ・アルバム、FLAMING PIEからシングル・カットされたヤング・ボーイと同じように、曲の出だしからメロディーを口ずさみながらすーっと入っていける曲といえば、やっぱりアナザー・デイだろう。
1970年のソロ・デビュー・アルバム、MCCARTNEYの不評を買った。
もともとMCCARTNEYが、ビートルズ末期に個人的に録音したアウトテークの寄せ集めって感じがあったから、もちろんメイビーアイムアメイズドのような名曲も収録されていたが、ビートルズ時代のポールの実力からすればガッカリする内容だった。
1971年にアナザー・デイはシングルのみで発売され、アルバムの不評を弾き飛ばす傑作だった。この曲の大ヒットにより(シングル・チャート全英2位、全米5位)、次作の大ヒット・アルバムRAMを生むための重要な継なぎであった言っても過言ではないと思う。
平凡な女性の生活を描写し、IT’S JUST ANOTHER DAY. (またいつもと変わらない日なんだ)と歌う。
そう、日々の暮らしは毎日が大体同じルーティーンの繰り返し。6時半に起きて、朝飯食って、トイレで爆撃、駆け込んだ駅のホームの前から二両目の三番目の扉の位置を示す場所に並んでいると、いつもよく見かけるおっさんや若いネーちゃんがスマホをいじっている…
今日こそ、何かいいことが起こらないかと密かに期待するものの、そんなことってそうそう起こり得ないものである。
しかし、日々の生活が単調であるなんて嘆くことなかれ。単調であるからこそ、些細な事でもいつもと違ったことに遭遇すれば 、その事がアクセントとなり、記憶として心に残っていくのである。
毎回違うことばかり起これば、何が一体特別なことなのかわからなくなり混乱してしまう。
博士:ウァオー! ウォシュレットの便座のヒーターがオフになっているじゃないか!
助手:冬も終わって、すっかり暖かくなってきたので、昨日はガス・ファン・ヒーターを押入れに仕舞い込み、便座のヒーターのスイッチもついでに切ったのですよ。
もう春ですからね~
博士:朝一はまだヒーターを入れておいてくれないと、便座の冷たさに思わず飛び上がってしまい、もう少しで大変なことになるところじゃった。
わしのアナザー・デイは朝一の快便から始まるのじゃ!
助手:ポールのアナザー・デイとはえらい違いの品のなさですね~
博士:それは仕方のないことじゃ。うら若き女性のストーリーとおっさんと爺さんの境目にいるわしのと比べれば、どうしてもエレガンスに欠ける。
と言う事で、今日も張り切ってアナザー・デイを! 何かいい事あるかも!
Paul McCartney - "Another Day"
1995年から96年にかけてのビートルズ・アンソロジー・プロジェクトを完成させた 後、その流れでELOのジェフ・リンやリンゴ・スター、そして60年台からの旧友、 スティーブ・ミラーらの参加によるアット・ホームな雰囲気で、大ヒットを狙うなどの野心的なものではなく、良い意味で肩の力を抜いて制作されたのが1997年のポールのソロ・アルバム、FLAMING PIEである。全英全米ともアルバムチャート2位に輝き、1989年のアルバム、FLOWER IN THE DARTと並んで高い評価を受けた。
その中で、個人的にピカイチな楽曲が、シングル・カットされたヤング・ボーイである。このアルバムに参加しているポールの息子、ジェームスに向けられて書かれたと思われる父親の愛情あふれた楽曲である。スティーブ・ミラーが絡むコーラス・パートがなんとも心地よい。
全英では19位と中ヒットしたものの、全米ではチャート・インしなかった。ここでもイギリス人とアメリカ人の好みの差が現れていて興味深い。
例によって拙い訳ではあるが、
YOUNG BOY
HE'S JUST A YOUNG BOY LOOKIN' FOR A WAY TO FIND LOVE.
IT ISN'T EASY, NOTHING YOU CAN SAY WILL HELP HIM FIND LOVE.
HE'S GOTTA DO IT FOR HIMSELF AND IT CAN TAKE SO LONG,
HE'S JUST A YOUNG BOY LOOKIN' FOR A WAY TO FIND LOVE.
彼は愛を見つけようとしている駆け出しの若者さ。
簡単じゃないし、彼に手助けしてあげることは出来ない。
こればかりは自身でやり遂げなければね、時間はかかるけどね。
彼は愛を見つけようとしている駆け出しの若者さ。
HE DOESN'T NEED ANOTHER HELPING HAND FROM SOMEONE,
BUT DON'T YOU THINK HE DOESN'T UNDERSTAND WHAT HE WANTS SOMEONE?
THOUGH INDEPENDENCE MEANS A LOT, HE'S GOTTA STILL BE STRONG,
HE'S JUST A YOUNG BOY LOOKIN' FOR A WAY TO FIND LOVE.
彼は誰かからの助けも必要とはしない。
だけど、 誰かを必要することを彼はよく理解していないとは思わないかい?
独立するって大変なことだけど、まあ彼は今まで通り強くあるべきだね。
彼は愛を見つけようとしている駆け出しの若者さ。
FIND LOVE, A PERFECT COMBINATION,
FIND LOVE, WHATEVER YOU DO.
FIND LOVE, A CAUSE FOR CELEBRATION,
THEN IT MIGHT COME LOOKIN', (LOOKIN') COME LOOKIN' FOR YOU.
愛を見つけなさい、素晴らしい組み合わせを
愛を見つけなさい、どんなものでもね
愛を見つけなさい、祝福する理由ってやつを
そうしてれば、向こうからやってくるさ、君を見つけにね。
WELL -
FIND LOVE, IN ANY SITUATION,
FIND LOVE, WHATEVER YOU DO.
FIND LOVE, A CAUSE FOR CELEBRATION,
THEN IT MIGHT COME LOOKIN', (LOOKIN') COME LOOKIN'G FOR YOU.
愛を見つけなさい、どんな状況でも
愛を見つけなさい、どんなものでもね
愛を見つけなさい、祝福する理由ってやつを
そうしてれば、向こうからやってくるさ、君を見つけにね。
HE'S JUST A YOUNG BOY LOOKIN' FOR A WAY TO FIND LOVE.
IT ISN'T EASY, NOTHING YOU CAN SAY WILL HELP HIM FIND LOVE.
HE'S GOTTA DO IT FOR HIMSELF AND IT CAN TAKE SO LONG,
HE'S JUST A YOUNG BOY LOOKIN' FOR A WAY TO FIND LOVE, YEAH.
FIND LOVE, A TIME FOR MEDITATION,
FIND LOVE, A SOURCE OF INSPIRATION,
FIND LOVE, INSTEAD OF CONFRONTATION.
FIND LOVE AND LOVE WILL COME LOOKIN' FOR YOU.
愛を見つけなさい、瞑想の時
愛を見つけなさい、閃きの源
愛を見つけなさい、対立する代わりに
そうしてれば、向こうからやってくるさ、君を見つけにね。
子供は親から見ると何時まで経っても子供の存在であって、危なっかしくて心配の種は尽きないが、いつも手助けばかりしていると、本人の成長のためにはプラスとならない。
親としてはなんとかうまくやっていけるようにと、 自身の経験を子供に対して色付けしていこうとするのであるが、余計な心配は無用!
ぐっと我慢して、遠くから眺めていれば、親の不安をよそになんとか自立してやっていける。
そういえば、私も右も左も分からなかった若い頃、足掻きながらも自身でなんとかやってきた。
とは言え、両親は無言ではあったが遠くからいつも見守ってくれていた。それが見えない力となって手助けしてくいたのは言うまでもない。
この歳になってようやくわかる、ポールのヤング・ボーイであった。
Paul McCartney - Young Boy
ブログを更新しようと思っていたのだが、この2、3日バタバタとしていたため、その思いも叶わなかった。
前の月曜日が、祝日であったから1週間が本当に短く感じられ、週末に突入し、あっと言う間に日曜日の夜になってしまった感がある。
現代人にとっては、時があまりにもゆっくり流れすぎると、こんなにのんびりとしていいものなのかと反対に不安を覚える。しかし 、あまりにもあっけなく1週間が過ぎ去るのも、これまた何かもったいないような気もする。
今日少し余裕ができたので、つい最近当ブログでアップしたART OF MCCARTNEYというアルバムを、アイチューンにリッピングして2枚のCDを連続で聴いてみることにした。
以前アップした記事では、各曲のアレンジはほとんど原曲に近いものであることから、これと言った特徴は見当たらないなんて偉そうに言い切ったのだが、今日再び聴いてみると、安心感を持って一緒になって歌っている自分がいた。
どうも、少し思い違いをしていたようだ。
プロデューサーの狙いは、ポールの楽曲を、カバーしたアーティストとファンが一緒に歌いながら楽しんで欲しいと考えて、この企画になったのではないかと考える。
全く別物の曲に聴こるようなカバーの仕方もあるが、そうすると一緒に歌えない。
人生の節目となる還暦ももう少しでやってくる今、時の流れが早く感じようが、それとも遅く感じようが、その流れの中で残りの人生をジタバタと過ごしていくのであれば 、やっぱり楽しいほうが良い。
カラオケ大会結構! 誰もが楽しめる、これがまさにプロデューサーが意図するところのARTなのでは…
ポールの名曲がぎっしりと詰まっています。
Steve Miller - Junior’s Farm
3月も終わりに近づき、日本特有の仕切りの単位である本年度も期末を迎え、 新しい年度が始まる。
年度の由来といえば、明治初期に、コメでの納税が3月末で4月から稲作が始まるための区切りとか、陸軍が4月に徴兵を始めたとか色々説があるようで。
それから、日本と同じ方式を取っているのが、イギリス、インド、パキスタンやカナダと旧英連邦の諸国が採用している。明治の初期にイギリスの制度を参考にしたのかも?
今日、市役所に所用で出かけると結構混雑していて、この時期、特に新卒の学生や転勤族たちの転籍が多いからそうだったのかもしれない。
日本にはお正月という一年の重要な区切りもあるので、考えようによっては、一年間に何と2回ものリ・スタートのチャンスがある 。1月からのスタート・ダッシュに失敗した人は、4月に気分を新たにリ・スタートなんて…
ところで、マーシャル・タッカー・バンドって聞いたことありますか?
オールマン・ブラザーズが所属したのと同じレコード会社、キャプリコーン・レーベルからデビューしたサザーン・ロック・バンドである。他のサザーン・バンドと比べると、ロック、ジャズ、カントリーそしてR&Bの要素が混ざり合い、長いインプロビゼーションも彼らの特徴で、数あるサザーン・バンドに置いて 非常にユニークな存在のバンドである。
そのマーシャル・タッカー・バンドが1974年にA NEW LIFEというタイトルの2作目のスタジオ・アルバムを出した。
一曲目のタイトル曲は、故郷に帰ってリ・スタートしたいというある男のストーリーをカントリー・タッチで演奏するのだが、フルートが絡むことにより特に後半の演奏場面ではプログレ風に聴こえる。
例によって拙い訳ではあるが…
A New Life
Hey, mister, got a road map?
I'm kinda lost
Gotta get to Georgia tonight
Don't care what it costs
Been down in Denver jail for four long years
And I'm so homesick I could die
旦那、ロードマップ持ってる?
道に迷ったみたいなんだ
今晩ジョージアに着かねばならない
いくらかかっても構わない
4年もの長い間デンバーの刑務所にいたんだ
死にたいぐらいのホームシックなんだ
Got a sweet woman back home
Waitin there for me
Least in all her letters, Lord
She said she'd be
Waitin there with open arms
Born new life for me
And I'm so homesick I could die
帰れば優しい彼女がいる
俺を待っててくれるって
彼女の手紙ではね
彼女は言ったさ
両手を広げて待っててくれるって
俺にとって新しい生活が生まれる
死にたいぐらいのホームシックなんだ
Shot a man in Denver
Over some money owed
So she told me
That I had to go
But I paid my time
And a new life is gonna be mine
デンバーで人を撃っちまった
金の貸し借りのもつれで
だから彼女は俺に逃げなければと言った
しかし、俺は俺自身の時間で償ったのさ
そして新しい生活は俺のものとなるのさ
3月31日と4月1日の間には何も特別なことがなくても、それを区切りとしてA NEW LIFEというものを味わってみたい。
過去の失敗をいつまでも引きずっていては前に進めない。失敗を精神的に100%清算できなくとも、何らかの区切りは必要であり、年度という制度は有り難いと思う今日この頃である。
Our finance department has processed your payment, unfortunately it has been declined. (当社の経理部門が御社に対する支払いの手続きを行っていたところ、残念ながら支払い停止となった。)
Please, double check the information provided in the invoice (attached to this mail) and confirm your details.( 当メイルに添付されている送り状に表記されている情報をもう一度調べた上で、御社の詳細を確認してください。)
Thank you for understanding.
(ご理解感謝します。)
と今日もまた英文でのジャンク・メイルが届く。会社に関するメイルだと早とちりして、添付のファイルを開ければコンピューター・ウイルスに感染しえらいことになる。
日本のジャンク・メイルもしばしば届くのであるが、大抵が架空のサイトの利用料未払いで、これ以上滞納すると裁判沙汰になると脅迫めいた内容である。心当たりのある人は、指定された番号にかければ、裁判を止めるための措置がなされるというお決まりの文言である。
もしくは銀行の名前を語り、架空のサイトに導きインターネット・バンキングのの暗証番号を抜き出す手口なんかのメイルもよく来る。
この手のジャンク・メイルにはもう騙されないのに、ご苦労様なことで、未だに懲りずに送り続けてくる。
1973年、ファンタジー・レーベルから突如発売されたのが、カントリーのカバーアルバムのTHE BULE RIDGE RANGERSだった。
プロデュースには、ジョン・フォガティーの名前が記され、また歌を聴いてもジョンのそれであった。
しかしジャケットを見ると、5名のカーボーイ・スタイルの人物が楽器を構えている。演奏者のクレジットの記載はなかった。
ジョンがメンバーを集めて新しいバンド、THE BULE RIDGE RANGERSをつくったのだろうか? 1972年にCCR名義で出したMARDI GRASはやっぱりCCRの最後のアルバムだったのか?
しかし後で、THE BULE RIDGE RANGERSは架空のバンドで、ジョンのワンマン・バンドと判った。ジョンにはきっちり騙された。
ジョンはマルチ・プレーヤだったから、セッション・ミュージシャンを使ったとしても、最小限で済む。
やっぱり、CCRでのメンバーとのごたごたは懲りたみたいで、アルバムを出すなら、セッション・ミュージシャンを使ってでも、ソロで出した方が揉めなくていいと学んだのであった。
アルバムは、全米47位、シングルのジャンバラヤは16位とカントリーのカバーアルバムとしては大健闘した。
後日、アルバムのジャケットには、JOHN FORGERTY/THE BULUE RIDGE RANGERSと表記され、正式にジョンのソロ・アルバムとされた。
皆様、くれぐれもジャンク・メイルには騙されないように。
Fogerty - Jambalaya (On The Bayou).wmv
最近何か気が晴れない。
細かな問題があちらこちらに見え隠れ、そんなことに気を取られあれこれ悩んでも、すぐに事態が好転することはないのだが。
学校を卒業し、私が初めて就職した会社の当時の社長さんが、“この世のことはこの世で解決する。”と口癖のように言っていた。大昔の話なのに、この言葉だけは今でもしっかりと覚えている。
まさしくその通りで、物事に何か問題が起きたとしても、それは最終的には何らかの形で落ち着くべきところに落ち着く。いくら悩んだところで、起きてしまった事は仕方がない。最善を尽くしたのであれば後はどっしり構えて結果を待つ以外することは事はないと…
しかしながら、若い頃であれば、どん底の状態であっても“将来こうであったらなー”と理想の夢を見る。しかし、歳を重ねてOLD MANの領域に近づくと、なんとなく先が見渡せるようになり、物事が現実的でないと思えばあっという間に、それは目の前から消え去る。
ニール・ヤングのHARVESTというアルバムに、OLD MANという曲がある。
老人が俺の生き様を見ている。
そう、あんたがかってそうだったように、今の俺も同じようなものさ。
一人で楽園なんかに入っちまうと考えることは二つ
失った愛とその代償
失ってしまわないようなものを俺にくれないか?
トスに使うようなコインじゃなくて
そうすりゃ、あんたの家に転がり込みに行くぜ
というような意味ではないだろうか?
何となく人生に対して冷めた感じをもった若者が何か生きるためのヒントのようなものを探し求めている様を表しているような…
それなら、自身の残された時間に於ける推測可能な将来について思い悩むのではなく、OLD MANが若者にポジティブな未来を夢見させるような何かに一役買ってみればどうか? そう、かっての社長さんが若かった私に金言を授けてくれたように。そうすりゃ、両者の憂いは解決の一石二鳥。
しかし、物事はそう簡単ではない。今のご時世若者に対して自慢話や説教臭い話はご法度。昔はああだったとかこうだったなんて話をすると相手が引いちゃいますから。
OLD MANアソシエーション代表:それじゃわしらに、どうしろって言うのかね?
通りがかりの人:その~、言葉は交わさず、歌詞通り、OLD MAN LOOK AT MY LIFEという感じで、少し離れて相手を眺め、その目で語り伝えるっていうのは?
OLD MANアソシエーション代表:しかし、もしその相手がヤンキーで、目と目があったと因縁をつけられ、避けきれないストレートを顔面に食らったならどうする?
通りがかりの人:歯医者に行って、保険治療でお願いしますって事になるかと~
アア~、このモヤモヤとした憂鬱感はいつまで続くのやら…
Neil Young - Old Man
このアルバムを買った人のレビューなんかを見ると、カバーがオリジナルとそう変わらないアレンジで、ポールの楽曲を使ったカラオケ大会というようなことが言われている。
すべての楽曲をRALPH SALLという人がプロデュースしていて、ほとんどの曲の演奏は、このアルバムを制作するためにプロデューサーが起用したハウス・バンド(ポールのツアー・バンドと同じ編成)によるものだ。
今回聴いてみると、同じバンドの演奏、すなわち楽器の編成も同じであるため、確かに演奏がどれも同じような響きに聴こえてしまい、これと言った特徴は見当たらない感想である。 また、各曲のアレンジは、ほとんど原曲に近いものであることから、参加したアーティストがアレンジを決定したのではなく、プロデューサーの方針でオリジナルを尊重する形で制作されたのではないかと推測するのであるが…
ギター中心のサウンドだったビートルズの初期の楽曲であれば、 曲のテンポや使用する楽器を変更したりすることで、割と簡単に原曲と異なるカバーのアレンジを制作出来るのでは? しかしポールのソロ時代の楽曲となると、シンプルに見えても、かなりの試行錯誤を重ねベストのものを制作している。計算し尽くされた曲のアクセントとなるフレーズを外してしまうと、全く別物の曲に聴こえてしまうだろう… 特に、BAND ON THE RUNやVINUS AND MARS/ROCK SHOWなどは組曲として楽曲のイメージが固定されてしまっているので、なかなかカバーし辛いと思える。原曲のアレンジをハードにするぐらいのものだろうか?
かって、HUMBLE PIEがSTREET RATSのアルバムでビートルズの曲を3曲カバーし、そのうちの2曲 WE CAN WALK IT OUTやDRIVE MY CARは歌詞がなければHUMBLE PIEのオリジナルのブルース・ナンバーと言ってもいいほど仕上がりだった。RAINだけがすぐにビートルズの楽曲だと反応出来た。
じゃあ何故このようなカバー・アルバムが制作されたのか?
ポールの楽曲はどこの誰がカバーしようとも、オリジナルとそれほど変わらないように聴こえる。つまりオリジナルのアレンジが一番良く聴こえるように計算し尽くされた芸術品であることを暗に証明したかったのでは?
そうこれこそがART OF MCCARTNEY!
今日の結論! オリジナルを聴きましょう!
多くのバージョンに関しては、
DVDは単に参加アーティストのインタビューみたいなものが約90分に渡って収録されているだけなので、多分一度見れば二度と見ないと思うのでボツ。
LPやUSBもこの内容では不要。
そして国内盤ボートラの井上陽水によるカバーも特に興味はない。
と言うことで、私はバック・グラウンド・ミュージックとして聴くため、一番安価な海外盤のCD2枚組を購入。
ちなみに、ポール関連の私的なオススメ・カバーと言えば、
PHOEBE SNOWのEVERY NIGHT
EARTH WIND & FIREのGOT TO GET YOU INTO MY LIFE
U2のHELTER SKELTER
GUNS N’ ROSESのLIVE AND LET DIE
GEORGE BENSONのTHE LONG AND WINDING ROAD
STACKRIDGEのHOLD ME TIGHT
FACESのMAYBE I’M AMAZED
皆さん非常に個性的なカバー制作されています。
一度聴き比べてみればいかがでしょうか?
お袋さんは、随行するカメラマンと一緒に彼女の娘さんの住む玄関まで来てノックした、しばらくすると玄関口にその娘さんが現れ、お袋さんを見て、何でここにいるの!って感じで驚きの対面の場面だった。
しかし家政婦は、いや!私は見逃さなかった。室内から映像を取ろうとしていた別のカメラマンが扉を開けた室内側に写っていたのだ。すなわち、お袋さんが来ることがわかっているのに、あの大げさな驚き方。多分台本上の演出ではないかと思われる。しらけてしまって、チャンネルをすぐさま変えた。
アポなしの突撃取材なんて番組がよく見受けられるがある。まあガチの番組もあるのも確かだが、大体は、たとえ出演する役者が前もって訪問のアポを取らなかったとしても、番組スタッフが前もって話をつけている場合か多いのではないだろうか?
素人さんがいかにも初めて会ったように振る舞うのだが、あまりにも芝居じみている場合は取り直したり、もしくは場面をカットしたりとご苦労様なことである。
海外ロケの場合、スタッフの滞在日程が既に決まってしまっているので、その期間内に何らかの事情で予定通りの映像が取れない場合もあり得るので、あらかじめ用意した演出で期日内に話をまとめなければならないのは、致し方ないことかもしれない。
しかし、この手の番組は、出来るだけガチでいくか、演出とは思えないナチュラルに感じる設定で制作しないと、やっぱりやらせ感を感じしらけてしまう。
その反対に、いつもガチな演奏でライブを楽しませてくれるPFM、正式にはPREMIATA FORNERIA MARCONI、多分“金賞受賞のベーカリー、マルコーニ”とでも訳すのだろうか…
1970年にイタリアでデビューしたプログレ・バンドで、翌年の英国のロック・フェスティバルで認められ、1971年ELPのマンティコア・レーベルから世界デビュー。
アメリカでもライブを敢行しハイ・レベルな演奏は評価されたものの、残念ながら、世界的なブレークとはならなかった。やはりイタリアのバンドが英語圏で成功を収めるのは難しいのだろうか?
ネイティブ・スピーカーでない限り、歌唱のパートで、英語の歌詞であろうがその他の言語の歌詞であろうが特に異論をはさまない我が国のリスナーは、むしろイタリア語で歌われる、英語にはない独特の響きに魅力を感じてしまうことすらある。
というわけで、PFMは日本のプログレ・ファンにとっては結構人気のあるバンドだ。そのような中、2002年、彼らが1975年に続く2度目の来日を果たし、ライブ・レコーディングにより制作されたのがLIVE IN JAPAN 2002である。
このバンドの特徴は、バイオリンや時にはフルートなど電子楽器と違ったナチュラルな音を出す楽器が効果的に使われている。もちろん、同じような音を電子的にシンセサイザーなどで出力することも可能だろうが、特にバイオリンなどは人間が演奏している見た目の良さを強調することが出来、ライブでは特に印象に残る。
また、バンドも日本の聴衆をリスペクトしており、たどたどしいながらも日本語でMCをやっていて、もちろん演出の一部だとは思うが、演出を感じさせずにいかにも自然な形でアンコール曲を次々と演奏していく様に好感が持てる。
それに、キング・クリムゾンのライブと同じように、観衆のほとんどは日本の誇るプログレ好きおじさん軍団と思われ、整然とした分別のある態度でライブを楽しんでいるみたいでよろしー。
とは言え、加齢臭漂うおじさん軍団に囲まれるのは、朝の満員電車で十分。出来れば、花の香り漂う美女軍団の方に囲まれた方がいいな~♪
PFMのライブじゃちょっと無理か…
何ですって! お前は加齢臭だけでなく、おならの臭いもひどいって!
どうもすみません。
あれが、グーグルのストリート・ビュー用の写真を撮影して回る噂の自動車じゃないかと思った。
後日、PCでグーグル・マップを見ると、やっぱりその通り、私が写っていたのであった。
そして、つい先日グーグル・マップを何気に見ていると、あれ!いない。そう、また同じ通りを撮影車が撮影しながら通過して行き、新しい写真に切り替わったのである。
そこで写しだされた通りを進んでいくと、看板を外し閉店したあるレストランの写真があった。このレストランは、確か昨年末に閉めたみたいなので、と言う事は撮影車はここ1-2ヶ月前に通ったと思われる。
このレストランの隣にも、別のレストランがあったのだが、そこも同じ時期にやめてしまった。多分1年半もたなかったみたいだった。
両店舗とも行ったことはないのだが、味はそこそこだと聞いていた。やっぱり、値段が高すぎたのかなと思う。都心の一等地であれば、強気の価格設定でも結構お客さんは来るのであるが、郊外にある自宅の最寄りの駅近辺の立地では、やはり割高な価格設定では無理がある。味はレストランに劣るものの、たとえスーパーの出来合いの弁当でも自宅で食べた方が安上がりでリラックス出来るのでは?
店が移転であるならまだしも、廃業となると、店舗の改装費用なども無駄になるし、厨房の備品などは買取専門業者によって2束3文の価値となってしまう。
ふと周りを見渡すと、過去40数年に渡って集められた数多くのレコードやCDに埋もれて現在生活しているが、もしそれらを閉店レストランのように業者で処分するとなると、同じ運命になるかと思えガックリしてしまう。
ハード・オフなんかに行くとジャンク・レベルの中古レコードがわずか100円程度で販売されている。経年劣化でジャケットには多少のダメージがあるが、レコードの盤面には傷がほとんど見当たらない。また、レコードをかける時にレコード・プレーヤーのスピンドルの先に接触することによって出来るレーベルの穴の周りのヒゲもほとんど見受けられない。一枚100円で販売となると、仕入れは数10円以下か、最悪ただで引き取られていくことになるんだろうか…
昔から日本人は結構物を大切に扱うし、特に我々の世代は当時高かったレコードをぞんざいに扱うことはありえず、盤面のダメージを避けるために、買ってすぐにカセットにダビングして聴くことが多かったからかもしれない…
新しく買うにはお金もないし、保管するところもすでに満杯、それに買ってしまったら小言を言われそうだし…
そうだ! 今後はもう一切買わないで、古いのを何度も聴こうではないか!
助手:博士! さっき通販業者からザ・カーズのデビュー・アルバムのレコードの発送確認のメイル受け取りましたよ! これって、38年前にオリジナルのLP買って既に持っているんじゃないですか?
赤色のレーベルに、エレクトラレコードのEのロゴ
博士:いや~、その~、持っていることは持っているんじゃが、何しろ今回、5000枚限定プレスの青盤なのじゃよ。それでつい、ポチッといってしまったのじゃ~ 面目無い…
しかし、開封しないでしばらく置いておけば、値段が倍になるかもしれんぞ…
助手:相場をよく知っている人が価値を評価すればそうかもしれないけど、もし需要と供給の関係で誰も興味を示さなかったら、ハード・オフの一枚100円のジャンク・コーナー行きになりますよ。
博士:オー・マイ・ガー、世の中厳しいのう~
アルバム・タイトル:THE CARS
発売日:1978年6月
プロデューサー:ROY THOMAS BAKER、クイーンの初期作品のプロデュースで有名
チャート・アクション:アルバム全米18位、シングル(JUST WANT I NEED)全米27位
JUST WANT I NEEDのボーカルは作曲者のRIC OCASEKと思いきいや、実はベース担当のBENJAMIN ORRが担当、今まで知らなかった。
ジャケット・デザインはメンバーが考えた白黒写真のコラージュであったが、少し奇妙すぎたし数枚の写真がコピー・ライトに引っかかるかもしれないので、レコード会社がそのアイデアを却下。レコード会社主導で、ロシア人のモデルを使って作成。メンバーの当初のデザインはレコードのインナー・ジャケに使用される。
メンバーによって提案されたジャケットのデザイン
THE CARS ― Just What I Needed
クリーデンス・クリアーウォーター・リバイバルは60年代後期にデビューしたアメリカのルーツ・ミュージックを追求したカリフォルニア出身のバンドだ。
1967年セルフ・タイトルのアルバムでデビューし、大ヒット曲を連発し、一時はアメリカのビートルズと呼ばれるくらいの活躍をするも、1972年に7枚目のアルバムMARDI GRASを出して呆気なく解散してしまう。
バンド内で兄トム・フォガティと弟のジョン・フォガティの確執から、6枚目のアルバムPENDULUMを制作した後にトムが脱退したことが解散の引き金となり、もしそれがなければバンドは長く続いたのでは?
私も含めて当時はそのように単純に思っていた人も多かったみたいだが…
そのバンドの中心人物だったジョン・フォガティが、昨年自叙伝なる本、 FORTUNATE SON, MY LIFE, MY MUSICを出した。
短く抜粋されたものをネットで拾い読みしたところ、今まで聞いたことのある話や新しく出て来た話など興味深い内容だった。
CCRは、ジョン・フォガティのワンマン・バンドと呼ばれているように、楽曲の提供以外にもボーカル、そしてベースやドラムス以外の楽器などもこなし、さらにはアルバムのオーバー・ダブ、ミキシングそしてプロデュースとスタジオ・ワークまでこなしてしまう存在で、他のメンバーとの音楽の才能の差というものは誰が見ても圧倒的なものだった。
そのようなところから、ジョンと他のメンバーとのバンドな活動における確執が生まれたのだが、特に兄であったトムの場合、年下の弟ジョンがCCRの前身バンドから飛躍的に実力を伸ばし瞬く間にバンドの中心になってしまったことから、当然CCRの活動も今までの売れ筋であるジョン中心の方針に変更はなく、バンド内での自身の貢献とか存在感が無くなってしまったことに対して我慢出来なかったのかもしれない。
トムの脱退後、次作MARDI GRASのアルバムの制作で、他のメンバーから、ジョンのバック・バンドの様な存在ではなく、もっとバンド活動に貢献できるような役割をしたいとの要望を出され、ジョンはそれを受け入れた。
収録曲を3名から成るメンバーに平等に割り振り、それぞれ自作曲に各々がリード・ボーカルを担当する形式になったのであるが、ジョンの曲以外は見事にずっこけてしまったことから、遅かれ早かれジョンがバンドから脱退するかバンドの解散かという自体は避けられなかったようだ。
悲しきMARDI GRAS
また、CCRが大ヒット曲を量産し、予想外の大金がレコード会社、ファンタジー・レーベルに転がり込んできたことで、彼らはCCRから得られた利益を節税対策として一旦カリブ海に浮かぶ島国バハマのキャッスル信託銀行に預けいれた。その銀行に口座を作り資金をプールすることによって、会社側も将来CCRにとって良い条件の契約更改を提示し、利益を分配するという話であった。
ジョン曰く、何がファンタジーなもんか!
しかしながら、CIAやアメリカの大金持ちの御用達銀行であったキャッスル信託銀行は、彼らの多くの秘密資金を管理していたことから、脱税の調査としてアメリカの国税局が査察を行った。それが影響したのかどうか、結局1977年に銀行は倒産し、口座にプールされた利益はどこかに消えてしまったようだった。
その件に関してジョン達は訴訟を起こし、1978年から始まった裁判は1983年に結審し、ジョン達の勝訴となったものの、裁判所からの命令で被告側から受け取るべき金額は、ほとんどを取り戻すことが出来なかったようだった。
また、ジョンを除く他のメンバー達がファンタジー・レーベルの経営者SAUL ZAENTSと組んで、CCR名義で録音された音源のコピーライトを握り、ジョンがその音源を許可なく使えないこととなり、これまた訴訟となる。
訴訟続きのジョンもかなり頭にきていたみたいで、1985年発売のアルバムCENTERFIELDに納められた“MR.GREED”(ミスター守銭奴、多分ファンタジーの経営者、SAUL ZAENTSのこと)や“ZANZ KANT DANZ”(SAUL ZAENTSとキャッスル投資銀行のBURTON KANTERの名前をもじったタイトル)という曲で彼らを揶揄った。これも訴訟沙汰に発展したようだ。
CENTERFIELD、野球の中堅手
現在ユー・チューブで見られる1993年のHALL OF FAMEでCCRが受賞した時のスピーチーの映像が見られる。その映像では、ジョンとメンバーだった2人、そしてトムの息子の4名が受賞の喜びを壇上からスピーチしたのだが、その際、ジョンのスピーチは当たり障りの無いもので、他のメンバーといがみ合っているような雰囲気もなく大人の対応をみせていた。
ところが、CCRのヒット曲を演奏する際は、ジョンはブルース・スプリングスティーンとロビー・ロバートソンら共演し、またドラムとベースもセッション・ミュージシャンが担当するという奇妙な光景だった。
実はジョンが元メンバーとは絶対に共演しないと主催者に前もって要求していたためで、主催者は妥協案として、オリジナル・メンバーの代わりにブルースとロビーとの共演を提案したとのこと。
元メンバーだったダグ・クリフォード(ドラムス)とスチュ・クック(ベース)の2人は、1976年ジョンによく似た歌い方をするドン・ハリソンを見つけ、彼ら2人が加わった4人編成のドン・ハリソン・バンドを結成し、CCRの初期のようなうねりのあるR&Bサウンドを披露したのだが、ブレークには至らず2枚のアルバムを出した後、解散。
ドン・ハリソン・バンド、ファースト
ドン・ハリソン・バンド、セカンド
やっぱりジョンの楽曲がないとどうにもならないと悟り、1995年には、彼らは新たなCCRすなわちCREEDENCE CLEAREWATER REVISITEDなる懐メロバンドを結成し、ジョンが作曲した曲で各地を演奏して回り始めた。
ジョンとしては、懐メロバンドを結成するのであればCREEDENCEの名前を使用しないでほしいと申し入れたのだが、決着が付かずさらなる訴訟と発展した。一審はジョンの勝訴となったが二審では、ジョンの敗訴となる。
まあ、ジョンの立場から書かれた本なので、相手の言い分もありそれらも聞かなければ公平性を欠くことにはなるのだが、現時点で何らかの訴訟になっていないことから、この自伝が大体真実を描いているのではないかと …
それよりも、よくこれだけ訴訟に明け暮れたにもかかわらず、ジョンはその間を縫って聴きごたえのあるソロ・アルバムを出し続けたものだと感心さえしてしまう。
BLUE MOON SWAMP、ジョンのソロ、いい味出ています
ゴタゴタ話だけではなく、当時のロック・シーンについての興味深い話も収録されていると思うので、是非日本語版で発刊して欲しいと思う。
確実に言えることは、バンド内で一人だけ飛び抜けた存在になるとどうしても周りとの軋轢も出てくるだろうし、同時に予想外の大ヒットの連発により大金が動いたことも、一連の訴訟騒動の原因であるだろう…
一般人の我々とすれば、そのようなシチュエーションに遭遇することはまず有り得ないのでまあ安心といえよう。
通りすがりの人:ジョンさん!CREEDENCE CLEAREWATER REVISITEDの件控訴しないのですか?
ジョン:しねーよ。時間の無駄。これからは、俺は彼らの存在自体について知らんぷりするのさ。
通りすがりの人:なるほど、なるほど。
ジョン:“なるほど” は一回で十分!
それはともかく、CCRは弁護士を太らすために存在したバンドと言えるな~ 今のご時世、訴訟まみれのブラック、いつも正義が勝つとは限らね~
清らかな水が復活することは、もうねーな~
レコードの裏表合わせて収録時間が30分に満たない手抜きとも思われても仕方のないMARDI GRASは、ジョンにとってはCCRのカタログには入れてはいけない作品だったかも。ダグとスチュの作品を平等の名の下にアルバムに受け入れたのはジョンとしては大失敗だった。
2008年の40周年記念の再発CDではMARDI GRASを除く6枚のアルバムが、ボブ・ラドィックによる最新リマスターでボーナス・トラックがついた。MARDI GRASは発売されなかった。 翌年イギリスより出た40周年記念の紙ジャケ・ボックスにはMARDI GRASも付いてきたが、解説なし、ボートラなし、おまけに2008年リマスター音源ではないようだ。
2008年の40周年記念の再発CD、最新リマスター盤
イギリスより出た40周年記念の紙ジャケ・ボックス
悲しきMARDI GRAS、解説も曲の詳細の記載もブックレットにはない。
博士:さっき買って来て聴いてみたよ。なんと、数えてみたらこのアルバムで32枚目のソロ・スタジオ・アルバムで、ライブ、サントラそしてコンピ盤全て入れれば膨大な数のアルバムを出したことになるのう。
ファースト・ソロのEMPTY SKYを1969年に出してから45年以上第一線で活動してきたのには恐れ入るわい。
日本では、EMPTY SKYは翌年の1970年に出されたのじゃが、その頃は、中坊で学校のクラブ活動に身を入れすぎて、エルトンなんて歌手全く知らなかったぞ。ただし、IT’S ME THAT YOU NEED(イエス・イッツ・ミー)はエルトンが歌っていたとは知らずにラジオで聞いたことがあったような…
わしの場合は、そのデビューから2-3年経った頃の後追いのファンじゃな。
助手:今回のアルバムはいかがでした?
博士:昔のようなノリの良いアルバムだと評価する人も数多くいるようだ。しかし、辛口と思われるかも知れないが、わし的にはアルバムの内容は、まあ及第点レベルじゃないかと考えるのじゃ。
年をとれば仕方のないことなのだが、残念ながらオナラの音を除いて、ほとんどの人の声は衰えてしまうのじゃ。
エルトンとて例外ではなく、ここ10年ほどに出たアルバムにおいては、70年代全盛期頃のファル・セットを含めた高い声は出なくなり、低音一辺倒の歌唱になってしまっておる。
アルバム、MADMAN ACROSS THE WATERの頃のポール・バックマスターの重苦しいストリングスに負けない熱唱、DANIELのサビの部分の裏声、SATURDAY NIGHT’S ALIGHT FOR FIGHTINGでのロック調シャウト、そしてアップ・テンポの楽曲などを、昔のクオリティーを期待するにはちょっと厳しいかのう。
そうなると、今出せる声量や音域に従って、自身が十分消化できるテンポの楽曲を作曲しそれを歌唱すると、どうしても似たり寄ったりになりがちじゃ。
だから最近の新譜のアルバムが出たとしても、曲のイントロを聴いただけで、どのような感じの曲になるか、なんとなく推測出来てしまうのじゃよ。いい意味で期待を裏切るような事があまり無いのが残念といえば残念じゃよ。
助手:じゃあ、今回のCD制作に関して、なにかターゲット的なものが設定されているのですかね?
博士: 最近洋楽を聴くことに目覚めた中高生や20から30代の若い世代が挙ってこのCDを買うことは多分ないと思うのだが。
わしらが中高生の時は、若いエルトンがとびきりのバラッドやロック・ナンバーをガンガン歌っていたので、当然その世界に引き込まれたのじゃが…
助手:となると、70-80年代からエルトンのアルバムをずっと聴いてきた40代以降のファンに向けたものですね。まあ、長年ファンを続けてきた人ならば、エルトンが元気で新譜を出したり、ライブ活動をやってくれるのであれば、1986年のアルバムLEATHER JACKETSのような駄作でない限り、躊躇しないでこのCDを買っちゃうのではないかと言う事ですかね…
博士: デビューからLEATHER JACKETSも含めた殆どのアルバムを漏れなく購入してきた身としては、やっぱり往年の名曲に匹敵するような曲が入ってないかと、新譜が出ればつい期待をしてしまうのも事実じゃ。
いつかグッドバイ・イエロー・ブリック・ロードに匹敵する、誰もがその出来に唸ってしまうようなアルバム… もちろん過去の成功にしがみ付くことなく、いい作品を是非作って欲しいと思うのじゃよ。
助手:なるほど、なるほど。ファンの気持ちって結構複雑なんですね。
博士:“なるほど”は一回でよろしー だけど、エルトンの新譜は最低5回は聴いてほしいのう。
デビッド・ボウイーが亡くなって、来週で2カ月となる。時が過ぎ行くのはなんと早きこと。
久々に手に取った彼のアルバムが1978年のライブ盤“ステージ”。
基本的に、グラム時代を締め括った“ダイヤモンドの犬”以降のアルバム、ヤング・アメリカンからヒーローまでを中心とした選曲されているのだが、そこに唐突ではあるが“ジギー・スターダスト”からも5曲が披露され、ノスタルジックな味わいも楽しんでもらおうと言う構成になっている。
プラスティック・ソウルやベルリン時代からファンとなりコンサートに来た人もいるかも知れないが、当然昔からファンだった人もそこに来ていただろうと思うわけで、 やっぱりライブには馴染みの曲も必要と考えたのだろう。
昔、よく尖っていると言われたアーティストであれば、“古い曲はやらねーよ、新しいのを楽しんでってくれー”と我儘を言ってしまうのだが、さすがはボウイー、よく分かってらっしゃる。
オリジナルは2枚組のレコードとして発売され、景気付けという意味なのか、懐かしのジギーからの5曲が、一枚目のサイドー1、すなわちアルバムの頭にすべて収められている。実際のコンサートのセット・リスト通りにベルリン時代の楽曲からスタートするアルバム編集となると、全体的に暗く地味に聴こえるのではと危惧したのだろうか?
2005年にボーナス・トラックを付けリマスターされたCD2枚組が発売された。それは、コンサートのセット・リスト通りの収録に変更され、一曲目のインスト・ナンバーのワルシャワがクラッシックの序曲のように静かにゆっくりと進行し、コンサートが始まる。
やはりコンサート通りの進行で収録されたCDは臨場感があり、徐々に盛り上がっていく様子が伝わるのではないかと…
アルバム・チャートを見ると、全英5位を獲得したのだがアメリカでは44位と振るわなかった。
1974年に“ダイヤモンドの犬”のツアーの模様を収録した“デビッド、ライブ”が8位だったことから、どうもアメリカ人は派手なボウイーを好むようであり、ヨーロッパのリスナーとの嗜好の違いがチャート・アクションによく表れていて興味深い。
ちなみに、発売当時購入したのはEMIから出たヨーロッパ仕様のCDで、米盤(バージン・レーベル)に付属していたブックレットはなく、蛇腹式の特殊パッケージの裏表に写真や解説を載せている。
また、英EMI盤は当時悪名高かった、コピー・コントロール・CD(CCCD)での販売で、意図的に間違ったエラー訂正コードをCDのデーター内に埋め込み、従来のCDプレーヤーの読み取り補正を十分に機能させない仕組みとなっていた。(読み取りエラー仕向けてPCにリッピングさせない仕組み)
当方所有のPCではこのCCCDは問題なくアイチューンに取り込むことが出来たのだが、それらの音源のデーターが正確にリッピングされたかどうかは定かではない。
10数年前、違法ダウンロードによりCDの売り上げが落ち込むことを業界は恐れ、CCCDなるものが登場したが、今や16ビットのCDは時代遅れの規格で、さらにハイレゾ・ダウン・ロードでさえ手間になるとのことで、ストレージ不要のストリーミング配信が今後主流となるかもしれない時代へと突入した。
10年ひと昔とはよく言ったもので、当時の最新のコピー防止機能を持ったCCCDの登場なんて今は昔、ボウイーのこのアルバムを手に取ると、時が経つのはあっと言う間だと実感する。
“ステージ”ってアルバム、ついこの間買ったような気がするのだが…