CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

週末はドアーズでも

2024年05月31日 | AMERICAN ROCK/POPS

もう金曜日の夕方。

本当に1週間が過ぎるのが早く感じられる。

パンパカパ~ン、今週のハイライト!って言いたいけれど残念ながら毎日が平々凡々ではあまり記憶に残ることがなく余計に早く感じてしまう。

こんな時はせめて週末ぐらいまったりと過ごしたいと取り出したのがドアーズの1969年の4枚目のスタジオ・アルバム、The Soft Parede。

当時ジム・モリソンの精神的な不安定さもあってジムがレコーディング・セッションに欠席することも多くなり、代わりにギタリストのロビー・クリーガーがジム不在の間イニシアティブを取りアルバムの制作に大いに寄与した。

特にアルバムの半分を占める彼名義の作品にはストリングスやホーンを取り入れられ、それまでのドアーズのイメージとは一味違う結果となった。

よってロビーの作品はデビュー当時のガレージ・バンド的なイメージを少しばかり薄れさせそれまで尖っていた部分の角が少しばかり取れたような... 

ただ全米6位の大ヒットとはなったものの、このことがデビュー時代からのファンを失望させたそうな。

それでも今改めて聴いてみると、当時のサイケデリック感も味わえそのまったり感が心地よい。

これでオイラの脳内時計のスピードにも多少ブレーキが掛けられたかな?


ボーカリストはつらいよ

2024年05月30日 | LED ZEPPELIN関連

本日はレッド・ツェッペリンでも。

以前にもアップした1976年のライブ・アルバム、The Song Remains The Same(永遠の詩)を久々に聴いてみる。

1973年7月にマジソン・スクエア・ガーデンでの公演からの収録で、丁度5枚目のアルバムHouse Of The Holyが発売された時期にあたる。迫力のある演奏だが、ロバート・プラントのハイトーン・ボイスに少々翳りが。特にと一曲目のRock And Rollなんかは明らかにキーを落として歌っている。

1971年に出たスタジオ盤のイメージがあるから少し残念には思うが、これって楽器の奏者と違ってその時々の自身の声帯のコンディションが命のハイトーン・ボーカリストの宿命ですかね。

出来ればアルバム、IVが出た時期に聴いてみたかった。

ディープ・パープルの場合は、1972年の3月にスタジオ・アルバム、Machine Headが出て、名ライブ盤となったLive In Japanの録音は同年の8月だったことから、スタジオ盤同様その迫力が保たれているが、後年のライブ・アルバムでは流石のイアン・ギランもやっぱり四苦八苦している。

それでも、このアルバムが当時バンドにとっての唯一の正規ライブ盤だったから、公開された映画のサントラだったとしてもファンにとってはありがたい作品だったのは間違いない。


まあ肩の力を抜いて

2024年05月29日 | JAPANESE

本日は1992年5月に出た尾崎豊の最終アルバム、Confession Of Exitでも。何とこの作品が発売される直前にお亡くなりに…

名前は知っていたけれど、後追いで買ったのでその当時のことはよく知らないけれど、アルバムの副題に、“生きること、それは日々を告白して行くことだろう”って書いてあることから、人物像としてかなりセンシティブで自身のフィロソフィーで常々自身を律しないと前に進めない感じですかね。

三日坊主で無神経、都合の悪いことはすぐに無かったことにって感じで生きてきたオイラとは対極の存在。

まあ肩の力を抜いて彼の音楽を楽しみましょうって言ったら、尾崎豊を語る資格なし!て言われるかも…


ビートルズを語る資格なし! その2

2024年05月28日 | BEATLES-BADFINGER関連

昨日アップしたゴールド・パーロフォンのレーベルじっくり眺めていると、あれっ?

作者のクレジットがレノン・マッカートニーじゃなくてマッカートニー・レノンってなってるじゃないの。これって何かの間違い?

そう言えばその昔、ポール自身がほぼ単独での曲作りをしたビートルズの作品のクレジットをマッカートニー・レノンに変更するような事で一悶着あったような…

さっそくネットで調べてみると、初期に出たPlease Please Meのアルバムやシングルなどに記されたこの当時の表記は正式なものでそれが現在まで引き継がれている。そしてその後の作品のクレジット表記はレノン・マッカートニーに統一されたとのこと。

またポールがウイングス時代の1976年のライブ・アルバム、Wings Over Americaにおける自身がほぼ単独で関わったビートルズの作品5曲の表記をマッカートニー・レノンにしれっと変更していたことに始まり、2002年のライブ盤、Back In The USにおいても同様の改訂を行った事でヨーコ氏と対立を生んだそうな。そして翌年ポールが譲歩し現状を維持する事となった。

(I've Just Seen A Face、Blackbird、Yesterdayと他2曲がマッカートニー・レノンとなっている) 

なるほど、なるほど、全く知ら〜んかった。

また逆に、ポールが全く関わっていないジョンの作品でありプラスチック・オノ・バンドの第一弾シングル、Give Peace A Chanceにはポールに対しての何らかのオブリゲーションを感じていたのか、作品のクレジットにはレノン・マッカートニーの表記が…

Wikiには、1997年のコンピ・アルバム、Lennon Legendにおいてレノンの単独表記に改定された、とある。

めでたし、めでたし、でもこれも全く知ら〜んかった。

ところが1975年に出たジョンのコンピ・アルバム、Shave Fishの日本盤ジャケとレーベルのみに何とクッキリとレノンの単独表記が…

これは一体、ど~ゆ~事? ヨーコ氏繋がりで日本のメーカーだけが配慮したのか?

そんなことも今の今まで全く知らなかった不肖ビートル・マニアもどきのオイラじゃやっぱり“ビートルズを語る資格なし!”ってことですかね。


ゴールド・レーベルのモノラル盤持ってないヤツに、ビートルズを語る資格なし!

2024年05月27日 | BEATLES-BADFINGER関連

数ヶ月前に某音楽評論家が自身のSNSにアップしたビートルズの初回アルバムに関する投稿が音楽ファンの中でプチバズり。

なぬ~、ゴールド・パーロフォン・レーベルのイギリス初回モノラル盤のアルバム、Please Please Meを持ってないオイラは、ビートルズを語る資格なし!だって。

この方の軽い気持ちでアップした”語る資格はない”と言うパートが切り取られ独り歩きをしてしまったのが、他の人から反感を喰らってしまったのかな?

まあ、たとえ数十万円もするような希少性のアルバムを持っていたとしても、オジンになって聴覚の衰えてしまったオイラには猫に小判で、別時期の再発盤と比較してアレコレと講釈できる自信はない。それでも、資格なしと言われると少しは凹んでしまうのだが。

個人的には、その次に続く文脈で、何度も再発される同じCDを何回も買わないで、(値段は張るけれど)これ一発(ゴールド・レーベルのモノラル盤)で決めろ!って言っていることに関して、これ一発で決めるには金銭的に無理だが同じCDを何度も買わないと言う主張には同意。

再発盤の権利を高いお金を出して入手したからには、レコード会社としてもなんとか元を取らねばならないのは理解できるが、何十周年記念とかであまりにも数多くのリマスターやリミックスなど別バージョンが世に出回り、オジンの財布から搾り取る手法には問題ありかな…

チョット、チョット! カッコつけて講釈している割には、オタク結構再発盤買い集めてるよね。

面目ない、相も変わらず何十周年記念って麻薬のような言葉に弱くってね~

財布スカラカンなのにいつもレコード会社の宣伝文句に踊らされ、レリビーと自発的にお布施をするダメなオイラ。

これじゃ、ほんと、語る資格なし!

金のないオイラは10年前の再発ゴールド・パーロフォンで精一杯なんだけれど、これなら語る資格ある?


なな、なんと120万円!

2024年05月26日 | BEATLES-BADFINGER関連

先日ビートルズの日本で1965年に発売されたアルバム、Beatles For Sales(邦題はビートルズ ’65と銘打たれた)がとあるレコード・ショップのオークションでなんと120万円で落札されたとのニュースを見てびっくり。

ビートルズに詳しい方ならご存知とは思うけれど、当初日本盤はオデオン・レーベルから発売され日本独自規格の編集やジャケ違い、そして日本特有の宣伝文句の入った帯付きで販売されていた。

このアルバムも何度かの再プレスの際、帯のデザインが変更され、今回出品されたレコードには発売枚数が少なくほとんど見かけることのなかった茶色の帯ついていたことから希少性が高まり120万円の価値がついたそうな。

(これが茶帯のビートルズ ’65)

希少性で価値が上がるのは理解できるが、まさかの帯色違いでこのような値段がつくとは…

ビー・コレクター恐るべし!

もちろんオイラの家にもありますBeatles For Sales(ビートルズ ’65)。但し東芝音工、多分1969か70年プレスのアップル・レーベル黒盤、当時のお値段2000円なり。もちろん帯は当家の仕来りによってあっさり廃棄処分。

個人的には英国初回プレスならいざ知らず、まあ同じ日本プレスだから茶色帯の盤と音質的にはそう変わらないと思うけどね。


マーシャル・タッカー・バンドの2枚目

2024年05月25日 | Southern Rock

サザーン・ロック・バンドの代名詞と言えばオールマン・ブラザーズやレイナード・スキナードなんかがすぐに浮かぶが、このバンドも忘れてはならない。

60年代にトイ・コールドウェルが中心となったトイ・ファクトリーが原型で、兵役のため一時活動を停止したトイが兵役終了後70年初めにマーシャル・タッカー・バンドと改名し活動を再開。

1973年にオールマン・ブラザースと同じキャプリコーン・レーベルからデビューし、翌年に出したのがセカンド・アルバム、New Life。

カントリーやブルースを基調としたロック・サウンドではあるが、泥臭さやねちっこさは感じられないカラッとした演奏で時折管楽器からのジャズ・フレイバーを漂わすのがこのバンドの特徴で他のサザーン・バンドとは一味違う。

シングル・ヒットをそれほど意識しない制作志向なので、まあ地味と言うかリラックス出来る落ち着いた仕上がりですかね。

21世紀になって四半世紀に達しようとする今、70年代のこの手のバンドを愛聴する人がいるのかな?

やっぱり今は、Hey Yo! Yo, Yo〜🎶 ですかね?


フォーカスの2枚目の思い出

2024年05月24日 | PROG ROCK

久々にフォーカスのセカンド・アルバムでも聴いてみることに。

1969年にオランダでバンドが結成され、1970年に彼らのファースト・アルバムが完成。翌年にシングル・カットされたHouse Of The Kingがヨーロッパでヒットし注目を集めた。

同年リズム・セクション2名のメンバー・チェンジを経てセカンド・アルバム、Moving Waves が出た。

シングル・カットされたHocus Pocusの度肝を抜くようなサウンドが受けてインターナショナル・デビューを果たすことに。

確かにHocus Pocusは大きなインパクトを持つ作品ではあるが、このアルバムの本質はその他の曲に宿る。

ELPの奏でるクラシック風作品やジェスロ・タルの庶民的トラッド系作品とは異なり、更に時代を遡った中世ヨーロッパ風の格調高いクラシックにロックやジャズが融合した少々クリムゾンの香りも漂うハイブリッド・サウンドが売りで、今でも新鮮に感じる。

そう言えば、当時1学年上の先輩がヤン・アッカーマンのソロ・アルバムが出たとのことで電車2本乗り継いで街中の一番でかいレコード・ショップに買いに行くって...

この頃オイラはプログレに詳しくなく、ヤン・アッカーマン? それ誰?でしたね。


第2期ジェフ・ベック・グループ、スタート

2024年05月23日 | Jeff Beck, Eric Clapton and etc.

1969年、第1期ジェフ・ベック・グループは解散。

かねてからバニラ・ファッジのティム・ボカートとカーマイン・アピスのリズム・セクションに前メンバーのロッド・スチュワートをボーカルに起用する新バンドの構想を持っていたジェフ・ベックであったが、不幸にもジェフが交通事故に遭い重傷を負ってしまったことからその計画は頓挫することに。

その後怪我が癒えたジェフは新たなメンバーをリクルートし第2期ジェフ・ベック・グループをスタートさせる。

そして1971年にアルバム、Rough And Readyがついに完成。

ボーカルのボブ・テンチとベースのクライブ・チャーマンらによるソウル・ファンクの味わいにコージー・パウエルのロック・ビートなドラミングとマックス・ミドルトンの結構ジャズっぽいピアノ・タッチが混ざり合い、それにジェフの縦横無尽なギター・プレイが加わるとそこはもうクロス・オーバーな世界!

番外編のBBAでの活動を除けば、このアルバムは後のフュージョン期へのプリュードだったと思える。

特にマックス・ミドルトンの発見はジェフにとって大きかったのではないだろうか。


伝説の島、アヴァロン

2024年05月22日 | Euro Pop

1982年に出たロキシー・ミュージックの通算8枚目のスタジオ・アルバム、Avalon。

10年以上にわたる活動において途中に解散し活動が中断したものの、めでたく再結成され、以前よりポップ度も上がり彼らの集大成とでも言えるアルバムになった。

いかにも80年代の作品と言えるこのほんわかとした感じが病みつきになる。

ちなみに、ここでのアヴァロンって英国アーサー王にまつわる伝説の島のことらしい。道理でジャケには甲冑を纏い右手にはファルコン、そして彼方の沖を眺める戦士の後ろ姿が…

個人的には、それまでの女性モデルを起用したセクシー・シリーズのジャケの方がよかったんだけれどね。


ポコのレガシー

2024年05月21日 | West Coast Rock

1982年MCAレーベルからアトランチック・レーベルに移籍したポコだったが、レコード会社とバンドの各々の目指す方向性に齟齬があったのか、特に1984年に出たアトランチックからの2作目、Inamorataでは70年代のカントリー・ロックの代表的なバンドとは思えないような作風だったし、売り上げも惨憺たる結果となった。

各メンバーはバンドから脱退し、ほぼ閉店休業という状態が続いていたのだったが、急に当時オリジナル・メンバーでポコ再結成なるニュースが飛び込む。

1969年のデビュー・アルバム、Pickin’ Up The Pieces当時のオリジナル・メンバーが集まり、さらに当時アルバム完成する直前にバンドから去ったランディー・メイズナーも参加!って本当に驚いたね。

元バァファロー・スプリングフィールド組のリッチー・フューレイとジム・メッシーナ、ペダル・スティール・ギターを弾くラスティー・ヤング、ドラムスのジョージ・グランサムにランディーが集結しポコ通算19作目のアルバム、Legacyが1989年にRCAレーベルから出た。

カントリー・ロック一辺倒ではなくメンバー個々が持ち寄ったバラードやAOR的な作品も収録され、かってのレガシーを受け継ぐ清涼感あふれる作品となった。

興味深かったのは、ランディー・メイズナーが歌った、Nothin’ To Hide(リチャード・マルクス作)。この曲がランディーがイーグス時代に歌ったパワー・バラード、Take It To The Limitによく似ていたのと、イーグルスにランディーと入れ替わって参加したティモシー・シュミットが今回のプロジェクトに参加しなかった事ですかね?さらにジムに変わってポコの参加しラスティーとバンドを長きに渡って支えてきたポール・コットンが何かの事情で参加出来なかったことは残念だった。

また特筆すべきは、今回集まったメンバーがデビュー・アルバムから唯一オリジナル・メンバーだったラスティーをリスペクトした形で、集まったメンバー達による主導権争いもなく和気藹々とアルバム制作されたように感じてなんともほっこりした気分に。

ラスティー、ポールそれにランディーが亡くなってしまった今思えば、この再結成プロジェクトがこのアルバム1枚で終了したのも非常に残念だった。

もう少し彼らのレガシーを味わいたかったね。


発見!!

2024年05月20日 | AMERICAN ROCK/POPS

本日はTotoの1981年の3枚目のアルバム、Turn Backでも。

シンプルなジャケ・デザイン。一部には手抜きって声も?

 

1978年のデビュー・アルバムではポップ・ロック、バラードにインストなどなんでもやりますって感じのバラエティーに富んだ名刺がわりの作品だった。

翌年のセカンド・アルバムはこんなのも出来ますよってプログレ風のトータル・アルバムを制作。

そして3枚目はハード・ロック系のアルバムと色々趣向を変えて活動してきた。ただ残念なことに彼の地では目立ったシングル・ヒットがなく少々地味なアルバムと捉えられ、全米チャートは41位と前作(37位)や前々作(9位)より売り上げを落とす無念な結果に。

レコード会社からはやりたいようにやればと声をかけられたけれどヒット作がなけりゃ契約はそこで打ち切りってプレッシャーをかけられたそうな。そして起死回生の4枚目のアルバムToto IVがバカ売れしたことによって一安心。

一方日本ではこの3枚目のアルバムに関してはアメリカの反応と異なりオリコン3位とヒットし、かく言う私も当時買ったレコードが手元にある。

前年の日本公演が大成功に終わったのと、また日本人にとって親しみのあるバンド名もそれに寄与したのではないかと。

ところでこのアルバムに関してよく言われているのが手抜き感あふれるジャケ・デザイン。個人的にはなんでコレなのかと昔から違和感を持っていたのだが、アルバム・タイトルのTurn Backから閃いた! 

イラスト制作時にTurn Back! 即ちジャケを180度回転させると見るとしっくりくる。

この筆を用いて制作されたイラストは左から右、上から下へのナチュラルな筆の流れとその捌きは書道の世界。

山の上に浮かぶ白地に赤い一の字、つまり日本のファン、あなたたちは一番!とリスペクトしているかのような...

知らんけど。


我が家の古~いCD

2024年05月20日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

1972年のデビッド・ボウイの5枚目のアルバム、Ziggy Stardustは重要なアルバムと認知され過去何度も再発されている。

CDに関しては1984年にRCAから初めて発売された。マスター・テープの音源をデジタル化しカセット・テープに落としそれをCDにトランスファーしたものらしい。ちなみにデジタル技術黎明期だった80年代は取り敢えずやっつけ仕事のCD化てな事で、音質のよくないCDも多々見かけた。

1990年に入るとアメリカのRykodiscがRCAからマスター・テープを借りてリマスターを行い、ボートラが6曲追加されたRyko/EMI盤の登場となる。

1999年に再度リマスターされたCDが登場。またアルバム30周年記念として2002年にリマスター、そして2012年にも40周年記念盤としてまたまたリマスター盤が登場。

これだけ新規にリマスター盤が登場するともう何が何だか…

個人的には1990年のRyko盤が迫力を求めた音圧重視のリマスターとは一線を画した抑え気味の丁寧なリマスターが施されていて悪くないと感じる。また年を経るごとに劣化するマスター・テープのことを考えると、まあプラシーボ効果なのかもしれないが、後年のリマスター盤よりもまだテープ劣化による歪みが少なく原音により忠実な感じがするのだが…

盲目的に最新リマスター盤を賞賛するのではなく、たまには昔買ったCD聴いてみると音が案外良かったなんて発見があるかも。

それに古いCDを買取屋に持って行っても、レアなものでない限り1枚10円ぐらいだからね。

1990年のスターマンと2002年のスターマンの音源を比べると、ほぼ同じような波形で1990年のほうが若干絞り気味。2002年盤は早くフェード・アウトする。

どちらの音も悪くないと思う。


一見して地味〜なのだが....

2024年05月18日 | AMERICAN ROCK/POPS

 

80年代のロックといえば、聴かせるだけでなくMTVや映画のサントラとして見せる要素が加わり、更にロックと言ってもテクノ、R&B、ヘビメタなどなど様々な方向性が次々と生まれてゆき混沌としていた印象が。

その中で70年代のロックの延長として活動を続けてきたのがHuey Lewis & The Newsだ。

70年代に別バンドで活動を続けてきたヒューイ・ルイーズが英国にわたりエルビス・コステロのバックを務めたり、彼の地でアルバムを出し活動を続けた。

バンドが解散後アメリカに戻りHuey Lewis & The Newsを結成し1980年にファースト・アルバムを出すことに。

そして1983年に3枚目のアルバム、Sportsで大ブレーク。アルバムが単に全米1位を獲得しただけではなく、あのマイケル・ジャクソンのスリラーに次いで年間チャート2位ととんでもなく売れた。

ミュージック・ビデオに登場しヴィジュアル系で売り込むのとは対極的な地味な6人組だし、またキャッチーなシングル曲がアルバムの大ヒットに繋がったわけではもなく、このアルバムが全体の内容で評価された事はオイラからすればアメリカの良心とでも言えるね。

この後、映画Back To The Futureのサントラに起用されたThe Power Of Loveの大ヒットでバンドは頂点を極めることに。また、このアルバムに収録されたI Want A New Drugと翌年の映画、Ghost Bustersのサントラに使われたのレイ・パーカー Jr.作の表題曲が似通っているってことで提訴し法廷外で非公表の金銭的解決に決着したそうな。

地味変:地味が一番!

地味頁:おっしゃる通り!


電気の武者

2024年05月17日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

あれっ? 車のドア・ロックが解除されない。所用で車に乗ろうとガレージに向かって、電子キーをポチっと押したもののなんの反応もない。

そういや電子キーのボタン電池長いこと替えてなかったと思い出し、すぐに近所のスーパーでボタン電池を購入。

再度ポチッとボタンを押すものの全く反応なし。

こっ、こっ、これってまさかの車載バッテリーご臨終のお知らせ? 

ここのところ全く車に乗る機会がまったく無かったので少しバッテリーが弱り気味だったのは自覚していたが、まさか今日がその日だったとは…

近所の修理屋さんの手がたまたま空いていたので、バッテリーの緊急チャージをお願いし交換も頼んだところ、バッテリーの在庫がなく取り寄せってことで、急遽近隣のなんちゃらバックスまで直行し新しいバッテリーと交換する羽目に。結局半日が吹っ飛び予定のスケジュールはメチャクチャ。

さらにバッテリーの取り替えは作業費を入れて税込お値段31,450円也。ガッビーン!、まだ月末まで2週間ほどあるのに…

こんな時、電気の武者ならバッテリーが弱っていてもスパーク・プラグによる点火一発でエンジン始動!

んなわけない。別に体が帯電しているわけじゃなく、ボランさん単にアコギをエレキに持ち替えただけ。

T.Rexと名前を改めて1971年に出た2作目、Electric Warrior(電気の武者)は全英1位に輝き、フォーク時代のアンダー・グラウンドから地表に登場し一気にトップに駆け上がった作品。

ボランさんの相変わらずお気楽な調子にオイラの怒りモードも多少は解消されたかな?

結構結構。