1979年の2月頃、ロス・アンジェルスの大学に留学中の先輩がルーム・シェアをしていた下宿屋に転がり込んだ。
ちょうど先輩は日本に一時帰国するとのことで、代わりに3週間ほど住む事になり、そのルーム・メイトは同じくロスの大学に留学していた私より年下のホセくんなる人物。
直接確かめたことはなかったが、彫りの深い顔立ちでスペインと日本の混血らしいとは聞いていた。
その彼の趣味はというと、サーフィンで真っ赤なフィアットのクーペにボードを積んで休日はあちらこちらでのビーチでサーフィンを楽しんでいるという、持たらず者遊ぶべからずという資本主義の厳しいルールをしっかりと学ばさせていただいた。
ある日暇を持て余していた彼が、映画でも見に行こうと言ってきたので彼の車に乗っけてもらって着いたのはサンタモニカの場末の映画館。
映画の題名は忘れたがなんでも、サーフィンのドキュメンタリー映画がリバイバル上映されるとの事だった。
あいにくサーフィンには全く興味がなかったので、不覚にもうたた寝をしていたのかその内容は全く記憶に無い。
彼の解説によると当時日本の純正サーファーやカッコだけの丘サーファー御用達のパブロ・クルーズのヒット曲、Zero To Sixty In Five(彼らの1976年お2枚目のアルバム、Life Lineに収録されている)がサントラとして使われていたそうな。
パブロ・クルーズと聞けば、1978年の彼らの3枚目のヒットしたアルバム、World Awayだけは当時所有していたので、少しでも見ておけばと後で少しばかり後悔。
てな事でその頃現地で買った、World Awayに続く1979年のアルバム、Part Of The Gameでも久々に。
前作と同じポップなAOR路線を継承。内容は悪く無いのだが、なぜか当時このアルバムあんまり売れなかった。
でもこのアルバム、音楽を楽しむだけでなく微笑ましいジャケのデザインにも目が行く。
日本ではミドリ・ガメもしくはアカミミ・ガメと呼ばれ、日本固有の生態系に影響を及ぼすって事で緊急対策外来種に認定された亀さんがなんと賭け卓球をするという思いもよらないイラストが中々よろし〜
(試合開始、さあ張った、張った!)
(敗れた亀は、ラケットを叩き割る)
(帰りのバス停でションボリ)
(割れたラケットも打ち捨てて、故郷の水辺へと)
むむ〜 悲しみの結末であった。