CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ご無沙汰LPでも、その6 敗れた亀はその後?

2019年09月28日 | West Coast Rock

1979年の2月頃、ロス・アンジェルスの大学に留学中の先輩がルーム・シェアをしていた下宿屋に転がり込んだ。 

ちょうど先輩は日本に一時帰国するとのことで、代わりに3週間ほど住む事になり、そのルーム・メイトは同じくロスの大学に留学していた私より年下のホセくんなる人物。 

直接確かめたことはなかったが、彫りの深い顔立ちでスペインと日本の混血らしいとは聞いていた。 

その彼の趣味はというと、サーフィンで真っ赤なフィアットのクーペにボードを積んで休日はあちらこちらでのビーチでサーフィンを楽しんでいるという、持たらず者遊ぶべからずという資本主義の厳しいルールをしっかりと学ばさせていただいた。 

ある日暇を持て余していた彼が、映画でも見に行こうと言ってきたので彼の車に乗っけてもらって着いたのはサンタモニカの場末の映画館。 

映画の題名は忘れたがなんでも、サーフィンのドキュメンタリー映画がリバイバル上映されるとの事だった。 

あいにくサーフィンには全く興味がなかったので、不覚にもうたた寝をしていたのかその内容は全く記憶に無い。 

彼の解説によると当時日本の純正サーファーやカッコだけの丘サーファー御用達のパブロ・クルーズのヒット曲、Zero To Sixty In Five(彼らの1976年お2枚目のアルバム、Life Lineに収録されている)がサントラとして使われていたそうな。 

パブロ・クルーズと聞けば、1978年の彼らの3枚目のヒットしたアルバム、World Awayだけは当時所有していたので、少しでも見ておけばと後で少しばかり後悔。 

てな事でその頃現地で買った、World Awayに続く1979年のアルバム、Part Of The Gameでも久々に。 

前作と同じポップなAOR路線を継承。内容は悪く無いのだが、なぜか当時このアルバムあんまり売れなかった。 

でもこのアルバム、音楽を楽しむだけでなく微笑ましいジャケのデザインにも目が行く。 

日本ではミドリ・ガメもしくはアカミミ・ガメと呼ばれ、日本固有の生態系に影響を及ぼすって事で緊急対策外来種に認定された亀さんがなんと賭け卓球をするという思いもよらないイラストが中々よろし〜

(試合開始、さあ張った、張った!)

(敗れた亀は、ラケットを叩き割る)

(帰りのバス停でションボリ)

(割れたラケットも打ち捨てて、故郷の水辺へと)

むむ〜 悲しみの結末であった。

 


ご無沙汰LPでも、その5 ヒュー (パッチ〜ン)

2019年09月27日 | Southern Rock

ローリン、ローリン、ローリン♪

ローリン、ローリン、ローリン♪

ローリン、ローリン、ローリン♪

ローハイド

ヒュー (パッチ〜ン 鞭の音)

とこの歌が流れれば、ピィーンと反応できるのは私を含めた年配の方々に限られるだろう。 

白黒テレビの時代、お茶の間の西部劇ブームでお馴染みのローハイド(Rawhideとは生皮の鞭で、この番組ではカウ・ボーイのスボンの上から着用する革製保護カバーの意味らしい)の主題歌で、隊長のフェーバーさんを補佐するまだマカロニ・ウエスタンに出る前の若き日のクリント・イーストウッドが出演していたっけ。 

しかし70年代のロック・ミュージックを愛する者としては、そう、サザーン・ロック・バンドの雄、マーシャル・タッカー・バンドの1976年の5枚目のアルバム、Long Hard Rideをすぐさま思いださなければならないのだ。

 

ジャケを見ただけでもRawhideの世界がそこに。 

このバンド、サザーン・ロック・バンドと言っても割とカントリー色が強く、ブルース系ナンバーを演奏しても他の南部出身のバンドの様なコテコテの仕上がりにはならない。 

これはリーダーであって、リード・ギターを担当するトイ・コルドウェルの奏法によるところが大きい。 

彼の軽やかなリード・ギターにサックスやフルートが絡みスッキリ爽やか感はさらに増す。

南部バンド特有の泥臭さは感じられないこのバンド独特の演奏が中々よろし〜。

 

 

Rawhide→ローハイド→ローハーイド→ロンーハーライド→ロンーハードライド→ロングハードライド→Long Hard Ride  バンザイ〜!! 

ヒュー (パッチ〜ン) 

(不意に床を叩いた鞭の音に) あぁ〜びっくりした。 

くだらないダジャレおやめください〜

どうもすいません。


ご無沙汰LPでも、その4 ブルース・スプリングスティーンのChapter And Verse

2019年09月25日 | AMERICAN ROCK/POPS

60年代初期の頃のものだろうか? シボレーの2シーター・ビンテージ・コルベットにもたれかかってハイ・ポーズ。

 

(軽四大国の日本じゃ無理! この手の車買ったところで広い庭付きの家じゃないと車庫証明が取れないからね。) 

そして厚手のシャツに革ジャンを羽織り、下はジーンズと彼らしくいたってシンプル。 

顔には髭が見当たらないし、多分この柄のシャツはザ・リバーのジャケに写ったものと同じに見えるので、既にミュージシャンとして大成功を収めた頃の写真だと推測できる。

 

本日は2016年に出た自叙伝、Born To Runの発売に並行して出た副読本というかサントラ盤とでも呼べるアルバム、Chapter And Verse。 

1972年のデビュー・アルバム、Greeting From Asbury Parkから2012年のアルバム、Wrecking Ballに収められた自身にとって思い入れのある既出の曲に1966年から1972年のデビュー前の未発表曲6曲を加えた2枚組。 

ベストと呼ぶにはあの曲この曲が収録されていないので拍子抜けはするが、彼の40年以上の音楽活動をさらっとおさらいするのには役立つのではないかと….

(スリーブには時代を追って過去から現在までのスナップショットが掲載されていて、中々興味深い) 

彼の自叙伝も読まないのに何で買ったのと聞かれると、日本語版は上下巻合わせて5千円越え、英語版のペーパー・バックは千五百円程度、ただし、528ページもの英文を読み切る暇もないし、実力もない。 

つまり自叙伝とは関係なしに、この輸入国内仕様盤を買えば1000部限定でもれなくカラー・レコードがついてくるって言葉に踊らされ毎度の事ながら愚かにも買ってしまったわけで….

(茶色のカラーレコードって地味だね。ところでレーベルに写り込んでいるのは若きロックン・ローラーでロン毛のブルース氏。髪を黒く染めたピーター・フランプトンみたい) 

既発曲は何回も別のレコードかCDで既に聴いていて、デビュー前の未発表曲6曲をしばし聴いただけでお蔵入り。 

無駄遣いはたいがいにしときや〜 


ご無沙汰LPでも、その3 ブルース・スプリングスティーンのGreeting From Asbury Park

2019年09月24日 | AMERICAN ROCK/POPS

(1972年のデビュー・アルバム、Greeting From Asbury Park )

アメリカはニュー・ジャージ州で生を受け、その後東海岸に面した街、アズベリー・パークを拠点にバンド活動を行う。 

アズベリー・パークって聞くとニューヨーク市に隣接するような公園もしくは緑に囲まれた住宅地なんて思い浮かべる。 

一体何処にあるのかとグーグル・マップで検索すると、ありました!

予想と違ってニューヨークの中心であるマンハッタン島からローワー湾を挟んで直線で約60キロほど南下した海辺の田舎町。

(フリーホールドはブルースが少年時代過ごしたところ。)

 

この片田舎からいつかはビッグな存在になろうとライブ活動を続けていたところ、コロンビア・レーベルに見出され契約を勝ち取る。 

当時レーベルやマネージャーはボブ・ディランのようなシンガー・ソング・ライターに育て上げようとする意図があったものの、ニューヨークのスタジオに気の置けないバンドメンバーを連れて乗り込み、ロック仕立てのレコーディングを行う。

妥協の産物だったのか、Many Queen Of ArkansasとThe Angelの2曲はバンドを外したシンガー・ソング・ライター風の弾き語りとなっている。

メジャーからのデビューということでやや気合いが入り過ぎたのか、個人的に言葉の詰めすぎとか演奏のリズム構築にややオーバー・ロード気味感がある箇所も見受けられるが、それを差し引いても素晴らしいアルバムだと思う。

(ジャケ裏、サイドー1の歌詞がスリーブに目一杯言葉が詰め込んである) 

(紙ジャケCDの変形ジャケット、開けるとブルースからのご挨拶とサイドー2に目一杯詰め込まれた歌詞) 

 シングルカットされたBlinded By The Lightはヒットには繋がらなかったけど、ブルース・スプリングスティーンはアルバム主体のミュージシャンだから、個性を十二分に活かすアレンジがアルバム全体に施されてあればいればいいのであって…. 

ただマンフレッド・マン・アースバンドが何か高揚感をもたらすようなプログレ・ロック調にカバーしたバージョンは全米1位の大ヒットしたことから、オリジナルが不発だった原因は多分アレンジがシングル・ヒットにつながるノリを欠いていたのかな? 

もちろん当の本人はそれほど意識していないかもしれないし、また口に出さぬ苦労もあっただろうが、片田舎から20代の若者が大志を抱いて成功をつかむストーリーはいつ聞いても憧れる。 

それにひかえて当研究所の連中の覇気というものはいつの間にか霧の彼方に消えてしまい、あ〜歳を取ってしまったとネガティブな話ばっかり! 

もう一度気合いを入れてオール・ブラックスのディフェンス陣に突進してトライを勝ち取ってみろってば! 

ヒェ〜それだけはご勘弁を! 命がいくらあっても足りません。

少しでもかじったののならわかる、あの恐ろしさ。でもラグビー観戦なら楽しいですよ。

テレビでだけど。


ご無沙汰LPでも、その2 和製キャロル・キング

2019年09月24日 | JAPANESE

シンガー・ソング・ライター、五輪真弓の1972年のファースト・アルバム、少女。デモ・テープを聴いたキャロルキングが気に入ったみたいで、アメリカは西海岸、ハリウッドのスタジオで録音敢行。 

(英語でのクレジットの記載、アメリカでも販売しようと思ったのかね?)

プロデューサーやミュージシャンも現地調達で、キャロルキングも2曲ピアノを弾いているし、キャロルとかってCityというバンドで同僚かつ2番目の旦那となったチャールズ・ラーキーもベースで全面的にレコーディングに参加。

(アレンジャーの木田高介を除けば、全てあちらのお方々ばかり) 

60年代にジェリー・ゴフィンと共作で多くのヒット曲を作り、自身のアルバム、Tapestryが大ヒットしていた頃のキャロルに気に入られ海外レコーディングが実現したことから、後に箔をつけるために流行った凡百の海外録音とは一線を画し、正にパイオニアと言える出来事で和製キャロル・キングと当時呼称された所以だったのではなかったかと思う。 

今聴けば古いと言われるかもしれないが、デビュー・アルバムの初々しさ、そして淡々した歌唱は非常に好感が持てる。

(英語のクレジットでは、なわとびがSkipping Rope、朝もやの公園でがIn The Misty Morning、少女がGirl、雨がRain Drop、そして汚れ糸はBefore I Leaveとなるそうな....) 

この後数枚のアルバムの制作を経て、彼女は歌謡曲路線に軸足を向けヒットを飛ばす事となる。


あの頃君は若かった〜🎵

2019年09月16日 | AMERICAN ROCK/POPS

今週はもうネタ切れ感もあって、ブログ記事のアップも暫しお休みしようと思っていたところ、ネットの記事にふと目が止まる。 

アメリカのニュー・ウェイブ・ロック・バンド、The Carsのリーダー的存在だったリック・オケイセック氏がお亡くなりになったと… 

御年75歳だったとか。 

私の少年時代から青年時代だった、60年代から70年代にかけて活躍された方々が此処のところ相次いで鬼籍に… 

もうそれだけ時間が経過したのだと改めて自身の顔を眺めると、 かってロン毛でフサフサしていた頭頂地方に白髪の増殖と髪密度の低下によるかなりの劣化が! 

第三者の目には後期高齢おっさんもしくは前期新米おじ〜さんと写っているのかと思えば、ホント!あの頃が非常に懐かしくかつ愛おしくなるね。 

1978年5月末、The Carsは満を持してデビュー・アルバムを出す。

そのアルバムからからJust What I Neededがシングル・カットされその後大ヒットした。

 

その当時、一年間アルバイトで貯めたお金で7月頃語学研修と称して2ヶ月ほど初めてアメリカにフラフラっと行ったわけだが、この曲はよくラジオから流れていたのを覚えている。 

帰国前に買って日本に持ち帰った懐かしのアルバム。本日リック氏に哀悼の意を表し久々にターン・テーブルへ。 

むむー、 フサフサしたロン毛が頭頂部に目一杯仲良く存在していた頃が懐かしく蘇るではないか。 

語学研修そっちのけで、まあ上っ面だけではあるが、音楽を含めたあちらの文化や生活様式とかを堪能した。 

この時将来になんの不安も感じなかった呑気な青年は、この後まさか海外で数十年も働くキッカケになるなどとは当時思いもよらなかったわけで... 

改めてリックさん、RIP


ジャケでドッキリさせよう〜って魂胆ですかね?

2019年09月14日 | PROG ROCK

いらっしゃいませ、エマーソン様 

いつものお席でございますね。

ミラー・ボールの反射が届かない奥まったボックス・シートに3名様ご案内〜! 

なんて会話があったかどうかは定かではないが、70年代当時のディスコ・ブーム、いかにもディスコで踊ってひと汗かこうかと言う様な出立ち。 

コレを知ったら全日本プログレ愛好友の会の会長が卒倒するかも… 

1978年のエマーソン・レイク・アンド・パーマーのスタジオ・アルバム、Love Beach。

 

(シャツの胸元がはだけたワイルドな出立ちの3人組、遥か彼方水平線に沈む夕陽を眺めながら微笑む姿が何とも...)

作品としてはライト級で緊張感が足りないって意見もあるが、いつも通り確かな演奏技術と作曲能力は折り紙つきで安定感もあり、通して聴いて決して駄作とは思えない。 

しかしこのジャケ・デザインとアルバム・タイトルのLove Beachなんとかしてくれよ〜って意見は当時からあったはず。

ところでLove Beach のタイトル決定の経緯に関しては、Wikiを見ても日本語版と英語版では全く異なる見解が…. 

個人的には、このアルバムの制作でアトランティック・レーベルとの契約が切れるいわゆる10月にあるプロ野球の消化試合のようなもので、当然注目度は下がることから、アトランティックとしては、この場違いなジャケ・デザインとアルバム・タイトルで反対に注目を集めさせようと半ばヤケクソ気味に決定した様な気も...

 

(夕陽はすでに西の彼方の水平線に没したというのに、腰まで使ってハイ、ポーズって何かの罰ゲームかね?)

契約消化のアルバムといえば、既発曲を再録したりアウト・テークを持ってきたりと結構手抜きのアルバムが存在する。

それらを考慮すれば全曲オリジナルの新曲で、しかも全編20分にも及ぶと言う大作、Memories Of An Officer And A Gentlemanを含むこのアルバム、結構良心的だったと言っても良いんじゃね〜 

そう言えば、80年代にAn Officer And A Gentlemanって映画があって、当時これから付き合ってみようかって思ってた人と一緒に映画館で見た頃の甘酸っぱい記憶がふと蘇る…. 

えっ、お前の話なんかどうでもいいって?  

どうもすいません。 


やっぱりコレはジャケ買いでしょう。

2019年09月14日 | AMERICAN ROCK/POPS

知っている人は知っているけど、知らない人は全く知らない、孤独な(私の勝手なイメージ)シンガー・ソング・ライター、エリオット・マーフィー。 

1973年にアルバム、Aquashowでメジャー・デビュー。 

ボブ・ディランとの共通点を見出され、当時ブルース・スプリングスティーンと共にディランズ・チルドレンなどと称され将来を期待されたお方であった。 

同じロックン・ロールでもブルースの芸風は一般アメリカ人好みの元気はつらつ!陽のイメージがあり、片やエリオットの場合は何と無く陰りのある印象を受けた。 

その差がその後の人気の格差に繋がり、ブルースは大スターに、エリオットは自身に最もフィットする環境を求めてパリに活動の拠点を移すことになった。

そんな彼の1976年通算3枚目のアルバム、Night Lights。

モノクロの早朝のNYのタイムズ・スクエアを背景に、シャツとジーンズだけ淡目の青色で着色されたエリオットの姿がくっきりと浮かび上がる。

(カメラが悪いのか撮影者がダメなのか、青い色がうまく表現出来なくてごめんなさい。)

こっ、こっ、これは〜  エリオットを知らなくともついジャケ買いしたくなる様な衝動が〜 

とは言え、実は翌年にRCAレーベルからCBSに移籍して出たアルバム、Just A Story From Americaを買うまでは私も彼の存在を知らなかったので、その様な場面には遭遇しなかった。 

90年代に局地的にCD化され再発された様だが、廃盤となり入手不可能と思いきや、なんと日本限定で2008年に紙ジャケCDが出たのにはビックリ、早速購入した。 

で中身はと言うと、NYの夜の世界にうっすらと輝く灯りのもとで語られるストーリーを綴った様な雰囲気が中々よろし〜 

1曲目のDiamond By The Yardはのベースによる出だしからなんだか同じニューヨーク出身のベルベット・アンダーグラウンドの匂いが…

それもそのはず、何故だかエリオットは、彼らの1969ライブのアルバムに印象的なライナー寄稿していたし、前作はルー・リードがプロデュースすると言う話もあったそうな。それに、ベルベットのメンバーだったダグ・ユールがこのアルバムでギターを弾いている。

 

(マーフィーさんいらしゃいました)

2曲目のDeco Dance、客演でビリー・ジョエルが弾くピアノも雰囲気が出ていて、コレまたよろし〜

そして、彼のロックン・ロールは淡々と続いていく。

ブルースの1975年のBorn To Run

それに続いて、同じCBSレーベルから1976年に出たJust A Story From America。モノクロ写真を使ったブルースのアルバムをかなり意識したデザインのジャケ。



まあ、ジャケ買いと名前買いの両方ですかね。

2019年09月13日 | BEATLES-BADFINGER関連

1973年4月末にアメリカで発売されたアルバム、Red Rose Speedwayからわずか7ヶ月の同年12月に発売された、Band On The Run。 

当時は曲作りのアイデアが泉の様にどんどん湧き出てきて、ポールが絶好調だったのがわかる。 

よく出来たポップ・アルバムでタイトル曲で得意の組曲調のBand On The Runを始め、その他のどの曲を取ってもシングル・カット出来る様なレベルの高い出来である。 

またジャケもドラキュラ役がトレードマークのクリーストファー・リーや、大脱走とか荒野の7人などの映画で名脇役を演じていたジェームス・コバーン(アメリカ版007とでも言うべきか、電撃フリントの映画では主役をやっていたが...)、そしてその他著名人らしき人物を起用したジャケはなかなか洒落ている。

 

まあ強いて言えば、アルバムのサイドー2が4曲のみの収録で、サイドー1の豪華さと比べると見劣りがするし、また個人的には少々お遊びが過ぎるPicasso’s Last Wordsはもう少し短く編集しても良かったのではなかったかと…

 

アメリカ盤にはシングルのみで発売され大ヒットしたHelen Wheelsをサイドー2に収録され、多分両サイドのバランスを取ろうとしたのだろうか…

アメリカらしく感じられ興味深い。

(25周年記念のCDセットにはHelen Wheelsが8曲めに収録されている



ジャケ買い? いいえ今回は名前買いです。

2019年09月12日 | West Coast Rock

このアルバムをジャケ買いするかって聞かれたら、ちょっと無理かな? 

何しろ、ジャケの裏表にはバンド名の記載もなければアルバム・タイトルも無い。 

全体的に地味な砂色の色を背景にやる気のない様な4人のおっさん達がフレームに収まる。

しかも遠くからの撮影なのか解像度の低いボンヤリとした仕上がり。 

これではジャケを見て購入意欲が沸くはずもない。 

1976年のある日、ポコの新譜、Rose Of Cimarronが出たというので早速レコード・ショップに赴き、そのアルバムを手に取ったときその様に感じた。

 

(インナースリーブの黒縁の集合写真、本当地味!)

デビュー当時の看板だったメンバー、ジム・メッシーナやリッチー・フューレイらリーダー的存在がバンドから抜けて地味な存在になった彼らではあったが、いなくなるとかえってバンドとしてのまとまりはよくなり、各メンバーの個々の頑張りで時代の流行に媚びない好アルバムを作り続けて来たと言う印象。

私はすかさず購入。 

で中身は? 

前作のよりもカントリー色が強くなって売上チャート面では前作の後塵を拝したものの、個人的には私の好みのど真ん中を貫くカントリー・ロックの名盤だと思う。

 

過去の名声を参考にしてバンド名だけでアルバムを買うと、時折期待外れの出来に遭遇することもあるが、時代の流行とは無関係のポコの場合、今レコードに針を下ろしても古さを感じさせない。

それはね、あんたが古い人間だからそう感じるのでは?と言われれば、まあ一言もないのではあるが....


ジャケ買い その2

2019年09月12日 | PROG ROCK

おとぎ話か童話に出てくる様な様々な顔が描かれたジャケ。こちらも無性に引きつけられる魅力がある。  

1970年のキング・クリムゾンの2枚目のスタジオ・アルバム、In The Wake Of Poseidon。

 

ファースト・アルバムの二番煎じだとか言われているが、例えそうだとしても構わない。 

何しろジャケ買いですから。

じゃあ中身はどうなの?

お嫌いですか?

いいえ、お好きです。

 


ジャケ買い

2019年09月11日 | PROG ROCK

両親が差し出すぬいぐるみや花に全く興味を示すことなく、少年は老人が翳す煌めく宝石を一心に見つめる。

その少年の如く、このアルバム・ジャケに魅入られ即買いしてしまった記憶が。

1971年のムーディ・ブルースのスタジオ・アルバム、Every Good Boy Deserve Favour(童夢)。

 

(見開きジャケの内側のパレードの様子)

中身は癒し系プログレとでも言えばいいのか構えずに聴けて、彼らの表現する独自の世界を十二分に楽しめる。

(1974年の来日公演の後に買った記憶が。ブルーのスレッショルド・レーベルは再発盤。)

(メンバー5人が何気にパレードに混ざって行進している。)

ジャケ買いも中々よろし〜

 


久々のドライブでライブ・ストック発見!

2019年09月08日 | AMERICAN ROCK/POPS

無ければいざという時に不便を感じるかもしれない、かと言って使う頻度が多いかと言えばそうでもない。 

そう自家用車のことで、近所に電車が通っているので都心部に出るときはいつも電車を利用する。 

何しろ、時間キッチリに到着するし駐車場の心配もない。

街中の駐車場の使用料って結構いい値段するし、また時間によってはなかなか空きスペースが見つからないので、出て行く車がないかと目的地の周りをグルグル何度も走り回り時間の無駄。 

とは言え、あまり乗らないとバッテリーが弱くなってしまって、エンジンがかかり難い状態なる。一度、立体駐車場でバッテリーが完全に上がってしまったことがあって大変な目にあったことがある。 

てなことで、平日仕事関係でほとんど使うことがなくても、少なくとも週一である程度の距離は走ってやることにしている。 

本日は車で近所をぐるっと一周。そして馴染みの中古屋にフラフラフラと引き寄せられた…. 

掘り出し物発見!

先日話をアップしたばかりのロイ・ブキャナンのアルバム、1975年の日本盤Live Stockを発見、なんとお値段消費税込みで五百四十円!

(真っ青な空の下、古めかしい肉屋さんが... なんとなくヒプノシスの世界のような。オーストラリアはニュー・サウス・ウェールズ州に実在する同姓同名のロイ・ブキャナンのショップ) 

驚いたことに、このレコードほぼ新品のコンディションで、ジャケ表面は指紋もなく綺麗で角うちもなく帯とライナー・ノートにもシワなし、さらに持ち帰って再生しても雑音皆無。

(廃業したレコード屋の古いストックを新古品として販売したのかも?) 

すでに昔に買った輸入盤のCDは持っているのに、なんで同じ内容のレコード買っちゃうの? この無駄遣い野郎!と謗りを受けるかも…. 

でもこのアルバムのジャケの写真が大好きで、LPサイズのジャケはなかなかの迫力。また当時のライナーも読めると無理やり言い聞かせ速攻で食いついてしまった 。

従順な家畜の如く餌の誘惑に抗うことの出来ない懲りないおっさんでした。 

まあいいっか〜


チョコレートの誘惑

2019年09月07日 | Chicago

1976年に発売されたシカゴ通算10枚目のアルバム(カーネギーホール・ライブとベスト盤を含む)、Chicago X(邦題カリブの旋風)。 

(おせんにキャラメル、シカゴのチョコはいかがすっか〜) 

何処がカリブの旋風って言いたいところだが、多分ロバート・ラム作のAnother Rainy In The New York Cityがラテン・タッチのポップ・ナンバーだから安易にアルバムの邦題として付けられたのかなと考える。 

このアルバムの肝は、Chicago V辺りから徐々に政治的なメッセージを減らしてきて、このアルバムで完全にAORの路線にシフトした事だろう。

 

特にその極め付けは、ゴディバの上品な甘さ味わえるような魅力を持つピート・セテラ作、大ヒット・ナンバー、If You Leave Now。

 

この曲の大ヒットにより、チョコレートの甘い誘惑に完全にハマってしまったレコード会社は、その後同様の売れ線バラッド・ナンバーをバンドに作るよう圧力をかける事になる。 

その是非はともかく、If You Leave の大ヒットはピートにとって後日バンドから脱退しソロ活動をやって行く考えにかなりの自信をもたらしたのではと思う。 

そう甘い物好きにはチョコレートの誘惑には抗えない。 

でも食べるならせめてシュガー・レスのビター・チョコでカロリー控えめに。


妄想、ギタリスト選考委員会の内幕

2019年09月06日 | ROLLING STONES関連

1974年12月、ロッテルダムの某所 

ギタリスト選考委員会:本日は忙しいところお集まり頂き誠に有難うございます。 

さてミック・テイラー氏の後任リードギタリスト選考の件ですが、本日書類選考の結果を報告させて頂きます。

えぇ〜、ベック氏とギャラガー氏は、ギター・テク問題なしですが、どちらかと言えばソロ・アーティストって感じの芸風がバンド内のバランスを崩してしまうとの事で、書類選考の段階で不適当と判断。 

また、某メンバーが推していたところのフランプトン氏もビジュアル的にストーンズのイメージにはちょいと違うのではないかと言う事で書類選考通過に到りませんでした。 

それでは本日は2名参加で第一回選考実技テスト開催したいと考えます。

また第二回目は後日随時開催ってことで…

それでは張り切ってどうぞ〜!

てなアナウンスがあったかどうかは定かではない。 

ストーンズの1976年スタジオアルバム、Black And Blueは 1974年の末から1975年にかけてベース・トラックが録音されその後1975年のツアー後オーバー・ダブを加えて1976年初頭に最終ミックス・ダウンされたようだ。

(メンバーの顔がどアップされていて非常に暑苦しい) 

 

そのレコードのスリーブに印刷されたデータによると、

ロン・ウッドが1974年12月のセッションでCherry Oh Baby、1975年4月にはHey Negritaでエレキ・ギターを披露。

そしてハーヴェイ・マンデルが1975年3月にHot Stuff、さらにMemory Motelでエレキ・ギターを披露。

ウェイン・パーキンスが1975年3月にHand Of FateとMemory Motel(アコースティック・ギターのみ)の演奏に参加、1974年12月にFool To Cryでエレキ・ギターを披露。 

1984年に出版されたストーンズ本によると、キースはミック・テイラーに5年間本当に楽しんで演奏できたと感謝の意を表す電報を退団後に送ったそうな。

(全面英文なので必要なところだけ斜め読み、あとは写真鑑賞)

ロックン・ローラーとは言い難いが彼のブルース・ギタリストとしての確かな技術とコンサートでの控えめな演奏スタイルに好感を持っていたのであろうか…. 

ただ、彼の後任に同様なギター名人をと言う考えはどうもなかったみたいで、今回技量という面では他の候補者よりは劣るかもしれないが、キースと組んで一番やりやすい人選で古くからの知り合いのロン・ウッドがストーンズの正式メンバーに選ばれたのではないかと。 

特にコンサートでのFaces仕込みのロン・ウッドの弾けっぷりはストーンズに新たな方向性を見出させた。 

折からのパンク・ブームで、もうIt’s Only Rock N Rollだけじゃ立ち行かなくなり、基本的には従来のストーンズではあるがレゲエやジャズ風な楽曲を取り入れ一味違う何らかのアクセントを付けたのがこのBlack And Blue。 

黒と青って色彩的にも地味なイメージで、アルバムも一聴したぐらいではこれまた地味と感じるかもしれないが、彼らにとってターニング・ポイントとなった重要なアルバムだと思っている。