CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

渋いと言っても様々な意味合いが、DAVE MASON

2016年07月31日 | AMERICAN ROCK/POPS
渋いって意味を調べてみると、その用途は大体次のように分類されるのでは…

1.“渋いお茶”とか“渋柿”など、舌だけでなく口中の粘膜がしびれると言うような実際に体験する感覚

2.“渋い声”とか“渋いファッション”とか、一見地味ではあるが味わい深いと言う肯定的な印象

3.“渋い顔をする”とか“渋い客”だとか、不愉快、不満もしくはけちと言うような否定的な印象

70年代ロック界でに於いて、上記2の意味での渋いと称されるアーティストは、沢山存在すると思うが、個人的にはこのお方、DAVE MASONである。

60年代に結成されたTRAFFICと言うイギリスのロック・バンドで活躍したと思えば、1968年の2作目の途中で脱退。

その後、ROLLING STONESのBEGGARS BANQUETのアルバムのセッションに参加したり、アメリカン・バンド、DELANEY AND BONNIEのツアーに帯同したり、GEORGE HARRISONのALL THINGS MUST PASSのレコーディングにも登場と、裏方に徹し自身が前面に出ての活動が無かった。

その地味だった数年間を過ごした後、ようやく待望のソロ・アルバム、ALONE TOGETHERが1970年のブルーサム・レーベルより発売。

ソロ一作目としては成功

1971年にはMAMA’S & PAPA’SのCASS ELLIOTと共同でアルバムを作成。

何で、2作目が前作の勢いをさらに発展させたアルバムではなく、共作アルバムになってしまたのかね?
 
1972年には、半分がスタジオ、半分がライブのHEADKEEPERを発売Tとコンスタントなソロ活動を続けた。

一枚のレコードで、半分がスタジオ、の頃半分がライブ。ちょっと中途半端に感じる。

1枚目のALONE TOGETHERは中ヒットしたものの、その後尻窄みとなり、ブルーサムとの契約は切れた。

ブルーサム・レーベルと言えば、DAVEとの契約打ち切り後CRUSADERSや初期のPOINTER SISTERSなどジャズやソウルぽいアーティストが加入し、一定の成功を収めた。

だから、DAVEの音楽性が当時のレコード会社のマーケティングの方向性とはちょっと異なっていたかもしれない。

その翌年ブルーサムは、DAVEの反対を押し切りDAVE MASON IS ALIVEなるライブ・アルバムを発売。

一応このレコードは持っているが、あまり聴いた事がない。少し前日本で紙ジャケ仕様のCDが出たが、そのときは買っていない。現在プレミア価格がついてしまい、買おうにも買えなくなってしまった。

そしてDAVEは1973年にコロンビアと契約し、3枚のスタジオ・アルバムを出した。そして、彼のそれまでの活動の集大成として2枚組みライブ・アルバムを1976年に出した。

アルバム・タイトルはCERTIFIED LIVEと名付けられた。つまりその内容が当人によって承認済みのライブ盤と言うことである。


かってブルーサムから出されたライブ盤が本人の承諾がなかったにも関わらず発売されたため、よほど怒りを感じていたのか、このような当て付けと思われるアルバム・タイトルとなった。

中身はと言うと、バック・バンドとの息もぴったり、アコースティック・セットでの演奏もばっちり。スタジオ録音とは違い迫力がある。

前年の1975年、世界で1000万枚以上売れたと言われるFRAMPTON COMES ALIVEの成功によりレコード会社が2匹目のどじょうを狙った感はないとは言えないが、内容的にはまったく負けていないと思う。

FRAMPTON COMES ALIVEは楽曲の質、歌唱と演奏能力の高さもあったが、やっぱりピーターのモデルのようなルックスのよさも爆売れに寄与したかと... ハンサムはいつも得をする。

DAVEは現在も音楽活動を続けている。その息の長い活動こそが、渋さを持つ飽きの来ないアーティストとして認識されている証左ではないだろうか。

助手:まさしく、この人こそ渋いと言えるロック・アーティストですね。百千の使い捨てのポップ・ソングと違い40年以上たった今でも聴いても違和かがないと言うか…

博士:その渋いと言う言葉は、まったくワシの様な存在を形容しているとも言えるじゃろう。歳は取ったがそのかもし出す渋さは昔と変わらぬ。

助手:いや~、博士の場合は、どちらかと言うと、ジャンボ宝くじを大物狙いでバラで買って、300円の当たりくじさえかすりもしなかった時の表情に出る、“渋い”の方ですね。

さらにちょっと寄り道、禁煙とブログの関係って??

2016年07月29日 | 特になし
ネット・サーフィンしていると、“JTの調査では、成人男性の喫煙率が2016年の調査では30%まで減少した”という記事が、たまたま目に止まった。

私がタバコを吸い始めたのは大学に入った頃で、厳密に言えば20歳以下なのでお酒もタバコも駄目なわけだが、当時は高校を卒業し就職しや大学に進学すれば、なんとなく大人の仲間入りをしたとして20歳未満ではあったがあまりうるさくは言われない時代であった。

学食や喫茶店で、はたまた雀荘やパチンコ店で一服。

その当時、70年代半ばの頃は成人男性の喫煙率は75%ぐらいで、成人男性ほぼ全員が所かまわず吸っていたという感じ。

しかし21世紀になると喫煙率はさらに低下して50%以下になったと言われている。

タバコは健康に良くないのと、値段も昔と比べるとかなり上がり、喫煙出来る場所も緩やかではあるが制限され、はたまた周りの女性陣や子供達からは臭いなどと言われると、必然的に止めたほうがいいのかなというムードになっていった。

私も、就職してからは、結構ストレスがたまり、かなりスパスパとやっていたのだが、40代になって運動をほとんどしなくなったのもあっててブクブクに太り、個人の意思に反して生活習慣病軍団に入隊と相成ってしまった。

当然お医者さんからは、“止めたほうがいいよ”とアドバイスされ、一念発起しタバコをやめお酒も控え、さらにジョギングを始め現在に至っている。

日本では最近の禁煙奨励の包囲網により、サレンダーするお父さんが多く見受けられるようになったのだが、私の時代とは異なり最近の若い人があまり吸わなくなったのも喫煙率低下に繋がっているように感じる。

昔は、ちょっと格好をつけてやろうと、ツッパリ高校生が学校にタバコを持ってきて、生徒用トイレで吸っていた。

トイレの掃除当番になると、大の個室に吸殻か灰が残されていたのを見かけた記憶がある。

なにもタバコのにおいよりも酷いアンモニア臭満タンのトイレの個室で吸わなくともと思ったものだが、トイレの臭気でタバコの臭いをカモフラージュする目的もあったのではと考えられる。

今の若い世代は、タバコを吸うことでカッコをつけるなんて発想が無く、また喫煙が無駄遣いに思えるのではないかと…

此処シンガポールは、喫煙防止の最先端を言っている国で、タバコの吸殻を含むごみのポイ捨てで高額の罰金が課せられるのはよく知られた話である。

禁煙対策として、近年タバコを吸うことの出来る場所が厳しく限定され、公共の場所では指定された場所以外では喫煙することは出来ない。

また、タバコを吸えば病気になると言うことで、喫煙が原因だと考える病気のおぞましい写真をタバコのパッケージに印刷しなければならない。

この写真を凝視すると、ちょっとタバコを一服と言う気持ちは萎えるのではないだろうか。

極めつけは、タバコの値段が非常に高いこと。何しろ、マルボーロ、20本入り1箱で13シンガポールドル(約1040円)もするのだから。

そして正規で販売されているタバコにはSDPC(SINGAPORE DUTY PAID CIGARETTE、シンガポールのおける税金支払い済みのタバコ)マークが一本ずつ印刷され、このマークの無いタバコを吸っているところをたまたまその筋の人に運悪く見つかってしまうと、一箱に付き罰金500ドルが課されることとなる。

さらに入国の際、もし免税店で買ったタバコを持っていれば、一箱あたり200ドル課金されることとなり、この地でのタバコは非常にお金のかかる嗜好品となってしまった。

二日に一箱程度吸っていたタバコを止め20年近く経つと成ると、結構お金がセーブ出来たのではないかと思われるかも知れないが、私の場合そうでもない。

それまでタバコに使っていたお金は、禁煙の反動からなのか、徐々にCDの購入につぎ込まれるようになり、いまでは多くのCDやレコードに囲まれて生活する事態に発展した。

助手:なるほど。この地味なブログは、禁煙が引き金となってCDの大量収集病を発症、“それじゃその備忘録でも”って感じでスタートしたわけですね。

博士:その通りじゃ。

“風が吹いたら桶屋が儲かる”なんて今の若い人は理解できまい。

今後は、わしの新しい法則、“禁煙すればブログが始まる”を覚えていただきたい。

通りすがりの人:相変わらずつまらん!


またまたちょっと寄り道、日本人って...

2016年07月28日 | 特になし
部屋中に散らばった沢山のCDやレコードの中に埋もれて暮らしていた日本から離れて、早4ヶ月経つ。

CDやレコードが一枚も無く、もちろんそれらを再生するオーディオ装置も当然此処にはない。

あるのは、Window7を操る古いDELLのデスク・トップとロジテック社製(日本では、商標登録の関係でロジテックの商標は使えずロジクールと名のっている)の3000円程度の安物のPC用スピーカーを使って、ユー・チューブに登録されている音楽を聴くのが関の山。

以前のように、実際所有しているCD、レコードやPC内のハイレゾ音源を聴いたりそれらのジャケットを眺めながら何かを発見、至急ブログにアップなんて芸当は出来ない。

と言うわけで、今回もロックの話とは関係の無い話へよたよたと脱線。

海外で暮らしていると、本当に日本人に生まれてよかったと感じることが多い。全部が全部ではないが、昨今多くの海外からの観光客が日本を訪れ、日本での経験が肯定的に語られることを多く聞く。

日本人はそれらのことが当たり前だと認識しているので、普通だと感じるのかも知れない。

簡単な例として、感謝の意を表す際有難うの言葉に添えてペコリとお辞儀をする。

帰国すれば当然そのような対応は無く、日本では普段から敬意を持って対応されていると言う状況を非常に新鮮に感じるのかも知れない。

また、時間に関しても日本人は几帳面であり、朝夕のラッシュ時における電車やバスの発着は分刻みに設定され、それらは時刻表に記載され実際に何らかの事故が無い限りその時刻表通りに運行される。

これは世界何処の国に言ってもほとんど見られないようなシステムじゃないかと思う。

此処シンガポールでも、最先端の地下鉄網が完備され、地下駅ではプラットホームと線路の間にガラスの仕切りがなされ、車両はその扉が、その仕切り側に取り付けられている扉の位置にぴったりと止まるよう制御されている。

すなわち、またホームの仕切りによって、地下駅構内はホームを含めてすべて冷房を効化す事が出来、また乗客が誤ってホームの下に転落したり、走行する車両と接触することが無いようになっている。

このような最新設備を取り入れているシンガポールの地下鉄網でも、日本のような時刻表どおりの正確な分刻みの運行は取り入れられてはいない。

此処には市街の中心に同じプラットホーム上で、他の路線に乗り換えることの出来る駅が2箇所あるのだが、残念ながら、そこでは2路線の車両が同時に到着し必ず相互乗換え出来るような、日本のお家芸は見られない。

駅に到着し乗り換えようとすると、その列車は出発するためちょうど扉を閉め乗り換え不可能となり、次の列車を3-4分ほど待つこととなる。

ラッシュ時には3-4分間隔の運行で、それ以外の時間帯は5-6分と言うような時間感覚である。むしろ、これが普通なのでは?

国によって時間に対する観念が異なるので、相手方から日本人を見ると“そんなに急いで何処に行くの?”って感じかもしれない。

その昔、よくシンガポールの友人の結婚式に参加したのだが、その招待状には式は例えば5O'CLOCK SHARP(5時きっかり)なんて書かれていた。

当然の事ながらその時刻に名前が書かれたテーブルに着席すると、私一人なんて事がよくあった。

現在は、御呼ばれが無いのでよく分からないが、式場サイドも時間の管理にうるさくなり、昔のようにのんびりとした式の進行はなくなったのでは無いかと思う。

それはさておき、昔から日本人は勤勉でまじめであると言う印象から、日本人に頼めば仕事は間違いが無いというイメージが形成されているため、海外で働く日本人はその恩恵を受けていると言える。

しかしながら、つい先日そのイメージをぶち壊すことがあった。


ある小さな作業を日本人が経営してる会社に任そうと思い電話をする。

現地企業より料金は割高であるが、日本語でコミュニケート出来るのと、日本人の経営ということで作業にしっかりと対応するだろうと思った。

電話をかけると、日本語を話す女性が応対してきて、電話での確認は聞き間違いも有るので、メイルにて詳細を送って欲しいと言われたので、翌日仕事の内容確認のメイルを送った。

数日経ってもうんともすんとも言って来ないので、こちらから電話をかけると“すみません”とか“申し訳ありません”の一言も無く、メイルの受信履歴を調べるから、こちらのメアド教えて欲しいとのたまったのだ。

何でも、一日百本超のメイルを受信するので、こちらのメアドが無いとすぐに調べられないとか?

電話の受け答えの対応の印象がよくなかったのと、メイルの受信の管理がよくないと判断し、こちらからの仕事の要請はその場で断った。

そうすると、すぐに折り返しの電話があり、こちらからのメイルを受信記録から削除する連絡があった。

すぐにこちらのメイル見つけることが出来るなら、メアドなんか聞くなよと突っ込みを入れたくなるし...

百歩譲ってこちらのメアド確認したいなら、こちらのメイルの受信を見落としていたわけだから、それを頼む前に何か一言あれば、こちらもそれ程頭に来ることは無かったのだが…

仕事依頼をキャンセルしたので、実績のあるローカルの会社に仕事を依頼のメイルを送信したところ、すぐに電話がかかってきた。

仕事のクオリティーの問題はのこるが、日系の会社に頼んでも結局現場の作業はローカルの人間に委ねる訳だから、まあたいした違いは無いと思い直す。

結局日系の会社より2割以上安く商談成立。

まあ、あまり人の事をとやかくは言えない私なのだが、その私も含めて、海外で生活する日本人は先人が苦労して築き上げてきた正のイメージを決して崩してはならないと強く思った。

いや待てよ… もし応対した女性が日本人ではなく、日本語を流暢に話すローカルの人であれば???

きっと、“このおっさん、いったいなんで怒ってんねん?”(関西弁の雰囲気で)と思うことだろう。

ちょっと寄り道、レッド・ブルの巻ってことで...

2016年07月27日 | 特になし
我々日本人にとって、エナジー・ドリンクと言えば、1962年、大正製薬から発売されたリポビタンDがやっぱりパイオニアであろう。

その存在を知ったのは、子供の頃、当時巨人軍の王選手がテレビのコマーシャルで宣伝していたためであった。

しかしながら、大人向けの医薬品に近い成分を持つ健康ドリンクとして販売されていたためどのような味をしていたのか確かめる事はためらわれた。

どんな味かが分かったのは、もう少し後の話で、高校生のとき風邪をひいて疲れたときや受験勉強をしている合間に、母親が買い置きしていたものをちょっと拝借って言う感じで飲みだした。

大正製薬のリポビタンDが非常に売れたので、同業者も同じような健康ドリンクってやつを売り出した。

例えば、中外製薬のグロンサン?もしくはグロモントだったけ?、田辺製薬のアスパラ(歌手の弘田三枝子が“アスパラでやり抜こう”と歌ってたような記憶が)、第一製薬のマミヤン(谷啓がテレビで、“マミヤン飲んで、行こうか~”なんて言ってた記憶がある、また小学校の同学年に、間宮って名前の子がいて、彼のあだ名は当然のごとく、マミヤンーだった)、その後チオビタ、アリナミンのドリンク、アルギンZ(タモリがコマーシャルに出ていたような?)、ユンケルなどなど、数多くの商品が出回って今に至っている。

その中では、やっぱりリポビタンDが一番印象に残っていて、特に勝野洋と宮内淳の太陽に吼えろコンビのコマーシャル、“ファイト~、イッパァーツ”は今でも思い出す。

個人的に残念だったのは、リポビタンDと同じ60年代に登場した大塚製薬のオロナミンCドリンクである。

そう! 関西の人気喜劇役者だった大村昆のきめ台詞、“うれしいとねぇ、めがねが落ちるんですよ~”と宣伝していたやつである。

このドリンクは炭酸で割っていたので、医薬品のようなイメージはなく清涼飲料として認識され、当時清涼飲料と言えばコカ・コーラやファンタなどで、子供心にそれらと比べると分量的に見劣りを感じたものだ。

また、“浪花千栄子でございます”のコピーで有名で、当時どんな皮膚疾患にも効果があるとされた万能軟膏、オロナインC軟膏とダブり、どうも飲料としてのイメージはあまり無かったような記憶がある。

此処シンガポールでも、健康ドリンクはよく飲まれており、70年代半ば頃からリポビタンDの現地生産が行われていて、リビター(利必大、LIVITA)と言う現地名で販売された。

ちなみに、私も80年代に此処に済んでいた頃は、仕事の合間によくお世話になった。

さて現在はと言うと、やっぱりレッド・ブルということになる。

もともとタイにあったローカルの健康ドリンクを、オーストリア人が見つけ、その海外販売権をタイの経営者から買って、レッド・ブルという商標でタイのメーカーと合弁事業を始め、当時ヨーロッパに無かった健康ドリンクを持ち込んで、この分野では世界一となり大成功を収めた。

此処シンガポールのスーパーでは、清涼飲料の棚に大まかに分けて2種類のレッドブルが置いてある。

一つは250MMLの細長い缶はヨーロッパのレッド・ブル社の製品で、もう一つの背の低い缶はタイのレッド・ブル社の製品となっている。

製造地によってその成分は異なるのだが、私としては価格の安いタイ製6缶パック(5.40シンガポール・ドル)、一缶あたり約72円のシルバー缶(25%シュガー・カット)なるものを愛飲している。

味はリポビタンDを参考にしただけあって、そんなに変わらないし、成分もビタミンB類やタウリン1000MMG配合とリポビタンDと同じようなものとなっている。

そして残念なことに、80年代によく見受けられたリビター(利必大)がいつも行くスーパーではまったく見かけない。

たぶん、レッド・ブルに此処10-20年の間にマーケットを奪い取られてしまったのであろう。

レッド・ブルは世界の数多くの著名なスポーツ・イベントに協賛したりして多くの広告費を投入し、後発ながらも一気にその知名度を世界的に広めた。

医薬関連の健康ドリンクは日本がパイオニアであったのに、海外での展開となるとその宣伝に派手さが欠けて、後手に回ってしまったことは否めない。

日本発の健康ドリンクを今後世界に広めるには、イチロー選手に50歳まで現役を続けてもらう事である。

そしてピート・ローズのメジャーでの最多安打記録を打ち破ってもらい、そこで一言、“サトーのユンケル飲んでます”とでも言ってもらうしか方法は無いのでは?

ビートルズお前もか! いやー、これは初CD化。他のリイシューと訳が違うってことで...

2016年07月22日 | BEATLES-BADFINGER関連
助手:博士大変です! 

昨日、9月にZEPがTHE COMPLETE BBC SESSIONSなんての出すっていったら、さるお方達も未発表曲収録のライブ盤を9月に出すそうです!

博士:何? さるお方達って、一体何処のやんごとないお方なのじゃ?

助手:例のEU脱退を宣言したお国出身だそうで。

何でも、1977年にライブ・アルバムとして出した既出の13曲に加えて4曲もの未発表曲収録。

CDと2枚組みのLPとして出されると言うことで。

博士:4曲の未発表曲って一体なの曲なのか?

助手:それはですね、
You Can Do That
I Want TO Hold Your Hand
Everybody’s Trying To Be My Baby
Baby’s In Black
であります。

博士:なんと!それはいとしのビー様の1964年と1965年の夏の公演を記録したLive AT Hollywood Bowlじゃないか!

助手:同時にロン・ハワード監督も彼らの当時の公演を記録したドキュメンタリー映画、Eight Days Week-The Touring Years を出すみたいです。


博士:このレコードはわしも持っておって、毎回レコードでその演奏を聴くのも大変なので、ソフトを使ってMP3の変換し、PCに取り込みアイチューンで聴いておったのう。


つまり今回のリイシューは、過去の音源にリマスターとリミックスを加えさらにクリヤーな音質に仕上げ、初CD化されたことが目玉と言う事か!

助手:ジョージ・マーチンの息子のジャイルズが、アビ-ロードのスタジオで作業を手掛けたようです。

博士:となると、ファンにとって残る再発プロジェクトとなると、Let It BeのフィルムとオールディーズのCD化だけとなるのかのう~

助手:いやいや、まだまだ。

オリジナル・アルバム全作のリミックスでの発売が残っていますよ。

Beatles 1+でミックス音源を作成した時、他の音源のリミックスも手掛けたのでは無いかと?

きっと近い将来、リミックスの紙ジャケ・ボックス出てきますって!

博士:何年か前、ストーンズのハイレゾ未発表ライブ音源を、アーカイブ・シリーズと称してネットでのみ販売しておった。

言うまでも無く、すぐに飛びつきそれらすべてを購入したのじゃが、今ではそれらはCD、DVDそしてレコードとしてバンバン販売されておる。

そして今回のZEPとBeatlesの増量再発盤か~

何時までたっても、この業界は半世紀前のアーティスト達におんぶに抱っこなのかのう...フッ。

と業界を憂うような発言をしているが、本音は価格をもう少し安くしてもらうのと、この手のリイシューは予算の関係で一気に購入できないので同時期に出さないで欲しいと言うことであった。何しろCDとLPあわせた8枚組みのスーパー・デラックス・エディションがアマゾンの予約価格で1.5万円もするそうな。

まあ、お金に余裕が無いのであれば、買わなきゃいいだけの話であるが…

今日の結論:駄耳なんだから、リマスターやリミックスしてない手元にある古い音源で十分。キリッ。

いつもながら、しょぼい!


LED ZEPPELINのリマスター・プロジェクトに関する考察、その後

2016年07月21日 | LED ZEPPELIN関連
助手:博士! LED ZEPPELINのリマスター・プロジェクト完結して早くも1年経っちゃいましたね~

例のスーパー・デラックス・エディションのボックス・セットも、残り3作のうち結局買ったのはPRESENCEだけで、IN THROUGH THE OUT DOORとCODAは見送りとなり、無駄遣いコレクションも完結とはなりませんでしたね。

博士:ワシとしては、PRESENCEの“アキレス最後の戦い”で一応ZEPは完結したという考えを以前から持っていたこともあったし、コンパニオン・ディスクの内容もそれほどそそるものじゃなかったので、最後の2枚のボックス・セットに関してはどうしてもって感じではなかったのじゃよ。

それに、クイーンのボックス・セット買ってしまったから、予算がまったく無くなってしまったのも理由の一つじゃ。

助手:なるほど、なるほど。

博士:なるほどは一回でよろしー

ところで、昨年この記事をアップしたとき、ちょっと調子に乗りすぎて“劣化・ツェッペリン”なんて書いてしまって…

これを目にした熱烈ZEPアーミーの方々はさぞかし不満を感じられたことかも知れんの~

反省の日々じゃよ。

改めて、レッド・ツェッペリンは決して劣化しない、永遠に不滅だ!

助手:なんだか、何処かの球団みたいですね。

ところで、博士。9月にTHE COMPLETE BBC SESSIONSなんて出るのご存知ですか?

何でも、1997年に2枚組みCDで発売されたBBC SESSIONSの完全版だそうです。

1969年3月に録音され、マスター・テープから消去されたなんて話のある幻の音源で、今回その音源を1枚のCDにまとめて、前回の2枚のCDと一緒に3枚組みで売り出すみたいですよ。

ちなみに、3枚目のCDに収録される未発表曲は、
1. Communication Breakdown
2. What Is What should Never Be
3. Dazed and Confusion
4. White Summer
5. What Is What should Never Be
6. Communication Breakdown
7. I Can’t Quit You Baby
8. You Shook Me
9. Sunshine Woman
だそうです。

そのCD3枚組みに加え、ダウンロード・クーポンの付くLP5枚組も別に発売され、さらに3枚組みのCD5枚組みのLPと48ページのブックレットを加えたスーパー・デラックス・エディションも出るとの事です。

博士:何じゃと!

CDとLPあわせた8枚組みのスーパー・デラックス・エディション・アゲインじゃと!

過去の音源も今回リマスターされるのかも知れんが、心の中では今回の未発表音源はCD1枚の発売で充分だと思うのじゃがのう~

今回もスーパー・デラックス・エディションと言う言葉に心が揺さぶられる博士であった。

まあ、お金がなければ買わなきゃいいだけの話ではあるが…

川からオリジナル2枚組みレコードへ その3

2016年07月16日 | AMERICAN ROCK/POPS
今週は何をトチ狂ったのか、連投に継ぐ連投で、記事を毎日アップ。

前回、ジョンの2枚組みアルバムで真打登場と書いてしまったが、この一連のオリジナルアルバム・シリーズのトリを務めることが出来るのは、やはりこのお方しかいない。

1969年当時60万ドル(当時のレートは1ドル=360円の時代で、円換算で2億1600万円、高額と言われたあのZEPでさえもアトランティックとの契約金は20万ドルだった。)という破格の高額契約金でコロンビア・レコードとサインしたブルース・ロック・ギタリストのスーパー・スター。

そうジョニー・ウィンター。

彼のセカンド・アルバム、セカンド・ウィンターは当時2枚組みで出された。

とは言っても、音源がカットされたのはレコードのサイド1,2と3のみでサイド4はブランクとなった。

サイド1と2にカバー曲を収録し、サイド3には自作曲4曲。

なんとも清いアルバム編成ではないか!

個人的には退屈に感じるであろう曲や不必要に長尺と思われる曲で無理やりレコードの4面すべてを埋める必要は無いと思う。

もちろん発売されたすべての2枚組みがそうだとは思わないし、同じ曲を聴いても人それぞれ感じ方も違う。

だから、今回声を小にして言ってみた。

当時は、このレコードは買わなかった。

と言うか、歌謡曲や洋楽ではビートルズや、S&G、ストーンズなどに関心を寄せている中坊では、ジョニーのブルース・ギターの真髄を理解するなんってのは不可能。


2004年になって、レガシー・エディションとして出された2枚組みのCDをようやく買った。これには、ボートラが2曲追加され、2枚目のCDには1970年のロイヤル・アルバート・ホールでのライブ音源が収録。

そのため、当時の3面のみの2枚組みのレコードの面影はまったくなくなっており、このCDで初めてセカンド・ウィンターのアルバムを手にした人にとっては、当然“なんとも清いアルバム編成ではないか!”なんてまったく感じないわけで…

やっぱり、この件、声を小にして言う他ない。


川からオリジナル2枚組みレコードへ その2

2016年07月15日 | 特になし
更なる記載洩れ発見。

学生時代だった70年代、金もないのに結構LPレコード買っていたんだと、我ながら呆れるばかり。


エルトンの2回目のオリジナル・ダブル・アルバム、ブルー・ムーブス:前回の2枚組み、グッドバイ・イェロー・ブリック・ロードと比べると、ネタ切れというか、曲によっては少し冗長な印象があり、レコード2枚分をオリジナル・ソングだけで完璧に埋まらなかったと感じる。

シングルのLPでまとめた方がよかったのでは…

このアルバムは最初CD化されたとき、収録曲を削り1枚物で再発された。後のリマスター盤でオリジナルの2枚組みにCDも戻った。

誰しも同じような印象をこのアルバムに持っていたのだろうか?


ディランのセルフ・ポートレート:発売時は、これも2枚組みだった。のっけからの女性コーラスに驚き、ほんとにディランの作品なのかと戸惑う。このレコードはオン・タイムでは購入しなかった。後に1枚ものCDで再発されたのを購入。


イエスの海洋地形学の物語:当時3枚組みのイエス・ソングスを聴いてぶっ飛んだ記憶がある。その感動を再びと期待し、このアルバムの購入に踏み切ったわけだが... 

レコード4面に各1曲のみ収録、長尺4曲のみという大胆な構成。

これは、ソフト・マシーンのサード・アルバムと同じ構成ではあるが、彼らのジャズによくあるミニマルな演奏、所謂気楽に聞き流す箇所がこのイエスのアルバムにはなく、ずっと集中して聴いていなければならないので、一気に2枚は骨が折れる。

結局よく聴いたのは。1面と4面だった。

これも1枚物にまとめたほうがよかったのではなかったかと?


それから渋いところでスティーブン・スティルスとマナサスってのもあった。ジャケをよく見ると、駅の構内でメンバーの写真が撮影され、マナサスというのは駅の名前だと分かる。このアルバムもCD化されたとき1枚物で再発。

それから、スタジオ録音プラスライブと言う変則盤からは、


ピンク・フロイドのウマグマ:持っていることは持っているが、ほとんど聴いたことがない。この手の2枚組みは、時間によっぽど余裕が無いと通して聴くことは難しい。


サザーン・ロックの雄、マーシャル・タッカー・バンドの3枚目:スタジオ録音の1枚目はカントリー・フレーバーの楽曲など少し大人しい印象。しかしライブ録音の2枚目を聴くと大迫力でぶっ飛ぶ。

当時同じバンドとは思えなかった。


そして真打はジョンのサムタイム・イン・ニューヨーク・シティー:政治色満開で聴くことにつらいものがあった。

WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD“女は世界の奴隷か!”って口ずさむのもなんだか~ 特に奴隷としてTHE NIGGERと言う単語をつかっているが、個人的にこのNIGGER と言う響きがね~

そしてSUNDAY BLOODY SUNDAY“血まみれの日曜日”って楽曲で追い討ちがかかる。

まあ、気軽に聴くことを拒絶しているアルバムの様な... 

そしてライブでのヨーコ氏のボーカル、かなり苦手!

いやー、二枚組みのオリジナル・アルバムの制作って本当に難しいものですね~ と急に水野晴朗調になって今回は終わる。

川からオリジナル2枚組みレコードへ

2016年07月14日 | Chicago

昨日夜遅く記事をアップした時、疲れていたのか思い起こす事が出来ずに結構抜け落ちていたアルバムがあったので追加。

なにしろ現物のレコードが此処にないので、か細い記憶を頼りにしたところ、案の定、年齢から来るものなのか、記憶喪失まではいかずとも結構失念して抜け落ちていた次第。



シカゴのI(CTA アルバム)、II、IIIとVII:これらのアルバムが最初に出てこなければ、シカゴ・ファン失格!
I(CTA アルバム)、II、IIIは当時お金がなかったので購入できず、VIIはサイド1全面のジャズ風の楽曲が肌に合わず購入しなかった。後にCD化されてすべて購入。今ではジャズ風の曲、まったく問題なく聴ける。


ソフト・マシーンの3:当時はジャズが苦手で購入しなかった。後にCD化されて購入。ロックのリスナーとしてはミニマルな演奏が好きか嫌いかで評価が分かれる。CD再生中にで二ー三秒早送りしても、未だ同じフレーズを繰り返し演奏しているので、退屈なお方は端折って聴くって方法も...


ビー・ジーズのオデッサ:当時は地味な印象で購入しなかった。数年前に発売された3枚組みのCDボックスを購入。このアルバム発売の数年後、小さな恋のメロディーと言う映画のサントラに数曲がこのアルバムから使用され、日本でシングルが後付けという感じで大ヒットした。彼らの大爆発を体験するにはサタデーナイト・フィーバまで待たねばならない。整列して踊るって言うのは、まさにアメリカの盆踊りと言えよう。


ELPのワークス・ボリューム1:当時、このレコードは購入しなかった。後にCD化されて購入。3枚組みのライブ・アルバムを発売後、一休みと言う感じの印象。


ディランのベースメント・テープス:当時、このレコードは購入しなかった。後にCD化されて購入。オリジナル・アルバムと言うよりは、ディランの音楽活動の資料って感じの内容。いくつかのいい曲がアルバム内に散りばめられてはいるが、はっきり言って、ディランの超ファンでない限り退屈するかも?


キンクスのプリザベーション第2幕:以前のキンクスと比べたら、ちょっと違う方向にディープにはまったと言う感じで、当時購入はしなかった。再発のCDを買う予定だったが、どう言うわけか、毎回CDを購入する際、このアルバムの事を失念しいまだに購入ならず。
じゃ、レコードもCDも持ってないのに何でこの場にリスト・アップしちゃうの? 今後また失念しないように、メモっておくと言う事で...

それから、スタジオ録音プラスライブと言う変則盤からは、


キンクスのこの世はすべてショー・ビジネス:ライブのほうは少し中途半端で正直拍子抜けの感があるが、スタジオ録音の楽曲に関しては、それなりにクオリティーが保たれていると思う。


サンタナのムーン・フラワー:ライブとスタジオ録音がうまく噛み合って中々よろしー



オールマン・ブラザーズ・バンドのイート・ア・ピーチ:スタジオ録音にフィルモアイーストのライブの未発表曲をカップリング。再発CDではあの33分のも及ぶ長尺のマウンテン・ジャム(レコードではBとDの2面にぶった切られている)がレコードをひっくり返さずとも一気に聴ける。おおー、未だマウンテン・ジャム延々とやっているな。ちょっとトイレにでもいってこよう!



バーズのアン・タイトルド:当時、このレコードは購入しなかった。後にCD化されて購入。この盤の場合、スタジオ録音の楽曲はおまけで、“霧の8マイル”に代表されるライブ録音された楽曲がこのアルバムメインとなる。
 

小頭:谷!

下忍:橋! ん~、お頭! これって、確かにサブちゃんの歌のタイトルを使ったもので、“谷”に架かる“橋”という意味の合言葉だと思うのですが、北島三郎の演歌シリーズでいくとすると、どうも曲がマイナー過ぎると思うのですが…

頭:しからば大ヒットしたご当地ソングで! しかも新幹線で二つの地方が繋がっているのじゃ!

小頭:函館!

下忍:薩摩! オーこれなら、二曲とも聴いたことがあります。納得。


山と言えば? もちろんあれ。

2016年07月13日 | 考察シリーズ
小頭:山!

下忍:川!

小頭:よし、部屋に入れ。お頭様にご挨拶じゃ! ところで首尾は上々かな?

忍者:どうも仲間内で裏切り者がいるみたいで... 早速、裏切り者を炙り出すため、ワナを仕掛けてまいりました。
一両日中には、誰が裏切り者か判ると思います。

頭:ご苦労じゃった。

下忍:お頭! それから、合言葉の“山と川”は裏切り者を通じて敵方に洩れているみたいでこれを使うのは危険です。

頭:なんじゃと! 合言葉が洩れておるじゃと! これは困ったのう。何かいい方法はないものか?

小頭:それでは、山と川”英語のに置き換えて、“MOUNTAINと RIVER”はいかがでしょうか?

頭:おお!それはよき考えじゃ。 奴等には英語はわかるまいて。

と発作的にブログの記事の連投。

山と来れば、やっぱり川!

と言っても、北島三郎の“川”ではない。

このお方、漢字一文字の題名の歌かなりお好きな様で。他には、谷、峠、竹、橋、祝、歩、斧などなど

やっぱり、洋楽のブログなのでRIVER!

1980年、ボスの愛称で呼ばれたブルース・スプリングスティーンの5枚目のオリジナル・アルバム。

なんと2枚組み計20曲のスプリングスティーン節のてんこ盛り。

もちろんアルバムは全米1位の大ヒット。計8枚シングル・カットされたうちの一曲、HUNGRY HEARTも5位にランク・インされ大ヒットした。

もちろん私もオン・タイムでレコードを購入、その後再発のCDも数種類購入しているファンなのである。

そのレコードは文句の付け所のないすばらしい物なのだが、中身が濃い過ぎて、歳を取った今2枚のレコードを連続して聴くのは中々厳しいものがある。

アーティストとしては“バラエティーにとんだ俺たちの作品数多く聴いてくれ”って事で2枚組みのレコードを出す。

ベスト盤やライブ盤の2枚組みはヒット曲のオンパレードの構成が出来るため、選曲には苦労しないわけだが、オリジナル2枚組みとなると、2枚のレコードの収録時間をスタジオ録音による新曲だけですべて埋めなければならない。

そのため2枚を連続して聴く途中で聴き手の集中が途切れないよう、アーティストもその構成に工夫を凝らすわけであるが、この作業中々難しいものがあるといえよう。

クラッシック・ロックの範疇で“リバー”以外で60-70年代の手持ちのオリジナル2枚組みレコードで思いつくといえば、

ビートルズのホワイト・アルバム


ストーンズのメイン・ストリートのならず者


エルトン・ジョンのグッドバイ・イエロー・ブリック・ロード


ジョージのオール・シング・マスト・パス


デレク・アンド・ドミノスのいとしのレイラ


ゼップのフィジカル・グラフィティー


ピンク・フロイドのウォール


フーのトミーと四重人格


フォーカスのフォーカス3


ディランのブロンド・オン・ブロンド


ハンブル・パイのイート・イット


アース・ウィンド・アンド・ファイヤーのフェーシズ


ジェネシスの幻惑のブロードウェイ


U2のラトル・アンド・ハム


クリームのウィ-ルズ・オブ・ファイヤー


トッド・ラングレンのサムシング・エニシング


フリートウッド・マックのタスク


ダン・フォーゲルバークのイノセント・エイジ


ELOのアウト・オブ・ブルー


スティービー・ワンダーのキー・オブ・ライフ

幾度も聴いて、収録曲全部をしっかりと覚えていると言えば、NO.9に若干問題はあるもののやっぱりホワイト・アルバムですかね。

ストーンズ、エルトン、ゼップ、ELOにジョージも問題なし。 それにトミーと四重人格もいけるかな?

それら以外は全曲覚えているかと言われると、苦しいかな?

下人:お頭! われら下忍で英語を理解し使いこなせる者は居りませぬが?

頭:仕方ないのう。それでは今回も北島三郎の演歌シリーズでいくとするか。

小頭:解りました。 谷!

下忍:峠! いや違った、橋!


山と言えば?

2016年07月13日 | American Hard Rock

“暑い日々は続くよ、何処までも”なーんて言ってたら、今朝は激しいスコール。

雷もなって窓を開けると風も結構吹き込み、気温も30度を下回る27度。

エアコンの効いている部屋から外に出ると、やっぱり湿気があってムッとするのだが、久々の30度割れということで、雨に濡れなきゃ快適。

昨日は、夏となるとやっぱり海や山ってイメージがあり、海を代表するサーファー物を取り上げた。

そこで今日は、山!

と言っても、北島三郎の“山”ではない。

やっぱり、洋楽のブログなのでMOUNTAIN!

1969年、ギタリストのレスリー・ウエストに、かってクリームをプロデュースしたフェリックス・パパラルディが興味を持ったことから、レスリーのソロ・デビュー・アルバム、MOUNTAINにプロデューサーかつ演奏者として参加した。

そしてその後、バンド結成にいたったのはよく知られている。

と言うことで、バンド形態での実質的なデビューは翌年のアルバム、CLIMBING!であった。

当時の邦題は“勝利への登攀(とうはん=高い山によじ登ること)”で、“勝利への”と言う言葉がこのアルバム関して何を表すのかいまいち意味不明。

また“攀”なんて漢検1級の試験に出てくるような代物で、普通この一文字だけを見て一回で正確に読んだり、書いたりは出来ないだろう。

多分購入者の注意を引くために、当時少し大げさな邦題を付けたのだろうと思う。

日本での特殊な事情はさておき、アルバムは全米17位を記録し、シングル・カットされた彼らの定番、ミシシッピ・クイーンも21位とヒットした。

個人的には、レスリーのギターの音色を最大限に生かすために、他の楽器が主張し過ぎないような控えめのアンサンブルが採用されたと感じる。またクリームとは違い、キーボード奏者を加入させたのは厚みのある音作りの上で効果的だった考える。

レスリーのハードな演奏スタイルが、その後出てくる多くのギタリストに影響を与えたのは勿論だが、CDであれば6曲目に収録されている、レスリー爪弾くギター中心のインスト・ナンバー、TO MY FRIENDなんかも後のZEP IIIあたりのアコースティックなサウンドに影響を与えたのではないかとも思える。

それから、インパクトのあるアルバムのアートワーク。

真っ黒に塗りつぶされた、いかにも呪われたような印象のある山に立ち向かう、預言者、卑弥呼のような女性が描かれているような?

しかしながら、山の後ろから後光が射しているような風景が描かれているので、単にその女性が日の出を祝っているだけなのかもしれないが…

見る人によっていろいろな想像を浮かべさせるこの絵を描いたのは、フェリックス・パパラルディのかーちゃん、ゲイルだ。

そして1983年フェリックスは、まさか、彼女によって射殺されてしまったのだ。

フェリックスは当時愛人を持っていたとされ、その恨みで射殺されたのでは?と言う疑いも当初あったようだが、最終的に事故と言うことで、過失致死の刑でゲイルは数年の刑務所に服役、出所後長い月日がたち、2013年にゲイルは死去したようだ。

この事件によって、ゲイルが施したいくつかの印象的なアートワークは、MOUNTAINの各々のアルバムになんとなく暗い影を落としているような気もする。

しかし、このアルバムの中身はその後のロックのお手本となるすばらしい出来。

エヤコンの効いた部屋で暑気払いの目的で聴くにはうってつけかも。

但し部屋にエヤコンがないと、より暑苦しくなってちょっと厳しいかも…

ところで、昼過ぎには雨も上がり、なんと夕方の気温は上昇して29度。ギャー!


暑い日々は続くよ、何処までも。

2016年07月12日 | West Coast Rock

昨日、日本の親戚からラインのメッセージが入ってきて、用件以外に近況が記されていた。

何でも、最高気温が35度近くに到達したとの事、そう言えばネットのサイトにある天気予報でも、梅雨明け宣言は未だ出されていないものの、関東以西の地域では軒並み最高気温が30度を超える猛暑となっている様で。

先月こちらでも家族全員が風邪(たぶんウイルス性?、何故なら市販の風邪薬は効果がなく、抗生剤の投与により全員回復)に罹り、気温が高いため汗ビッショリで、咳は止まらぬは微熱は続くはそれは大変だった。

これからさらに暑くなり体力も奪われていき、うっかりすると夏風邪なんてことになる。このブログを呼んでいただいている皆様も、暑い中での健康を保つため、是非御自愛を。

ところで、夏となるとやっぱり海や山ってイメージがあり、洋楽ではビーチ・ボーイズを筆頭に昔からサーファー物の楽曲がアメリカの西海岸中心に流行った。今はレゲエかも?

1978年と言えば、私は未だ学生でアメリカの西海岸を短期間ふらふらとしていた時で、8月頃は連日パブロ・クルーズの4枚目のアルバム、WORLD AWAYS(全米6位)からカットされたシングル曲がラジオからよくオン・エヤーされていた。

LOVE WILL FIND AWAY(全米6位)
DON’T WANT TO LIVE WITHOUT IT(全米21位)
I GO TO RIO(全米46位)

一曲目のWORLDS AWAYからエンジン全開!

これらのヒット曲を聴くまでは、不覚にもパブロ・クルーズと言うバンドをまったく知らなかったのであるが、日本なんかでは結構サーファーご用達のバンドだったようで、特に彼らの1976年発売のアルバム、LIFE LINEやシングルのZERO TO SIXTY IN FIVEなんかが人気をより盛り上げたようだ。

ジャケットに写る彼らの姿を見ると、まさしくサーファー関係者といっても間違いは無い風貌と言えよう。

この御仁達こそ真のサーファーの香りが...

また、1973年結成のハワイ出身のバンド、カラパナなんかもデビュー当時からサーファー達に人気があったバンドで、1975年からオリジナル・アルバムを3枚出し、1977年には4枚目のMANY CLASSIC MOMENTSと言うサーファーの映画のサントラ担当した。

1976年セカンド・アルバム、KALAPANA II、このアルバムは後追いで、CDで購入

これまた不覚にも、このバンドの存在も知らなかったのである。

そして、当時ロス・アンジェルスの下宿屋に居候していたとき、日系ハーフのルーム・メイト(男)が、映画に行こう!と言って、現地の映画館で観たのがこの映画、MANY CLASSIC MOMENTSだった。

ドキュンメンタリー・タッチで世界各地でのサーフィンの風景を撮影し、まとめた内容だったとおぼろげに記憶しているが、ほとんどその映画のことは頭に残っていない。

当時サーフィンに興味が無かったことから、たぶん映画館では寝ていたものと思われる。

1979年の日本編集のベスト・アルバム、カラパナの存在を知らなかった反省を込めたのと、白のセパレーツにローラー・スケートを履いたオネーさんの後姿に見とれてレコードを購入。トリオ・レーベルだった。

当時の私を含めたヤングの服装はと言うと、ボルト・マークにバック・プリントが施されたT-シャツかアロハ、そして下はジーンズにレインボー・カラーのビーチ・サンダルと言うどことなく胡散臭い偽サーファーのいでたち。

サーフィンも出来ないのに何とか格好だけでも真似ようとしていた。今から思えばなんとも間抜けに思える。

じゃあ、今はどうかというと、くそ暑い毎日が続く中、家にいるときは半パンにランニング・シャツがほとんど。

これじゃエヤコンの無いフード・コートで火鍋を持って調理に励むおっさんとほぼ同じ。

歳をとれば、もう見てくれには気にしないようになるのであろうか?

いや!ランニング・シャツはやめて、OPのT-シャツなんか羽織って、昔の暑かった夏を懐かしんでみようかなんて思う今日この頃であった。


寝言は寝て言え! I’M ONLY SLEEPING

2016年07月07日 | BEATLES-BADFINGER関連
先月の中ごろ、家族全員が風邪をひいてしまって本当に大変だった。

それから3週間ほど経ち、風邪の症状もまったく無くなり健康体に戻ったはずなのだが、どうもなんとも言えない倦怠感がまだ残っている。

従ってブログの記事をアップしようと思うものの、そのような気分にならない。

やっぱり、毎日続く熱帯夜にエネルギーを吸い取られてしまうのだろうか? 

熱帯夜といえば、夜の気温が25度以下にならないと言う定義である。赤道直下の熱帯地域に属する国なので、基本的に一年中熱帯夜。

夜間に雨が降れば気温はなんとか27度ぐらいまでまで落ち、なんとか耐えられるレベルにはなるのであるが… 

特に夜中に30度を下回らない、所謂超熱帯夜が続くとかなり堪える。

日本で熱帯夜といえば、本州では年間の平均で30-40日程度で、これを何とかやり過ごすと涼しいあのすばらしい秋がやってくる。

この地に移住してきて既に3ヶ月と1週間となる。すなわち日本で年間に経験するの熱帯夜の日数の倍以上の日々をすでに過ごした事になる。

9年前にこの地に住んでいたときは、体にこたえるほど暑いとさほど感じなかったのだが、やっぱり歳を取り相対的に体力が低下したのと、日本に住んでいた9年間に体が四季のある日本の気候に完全に順応してしまい、今回連続して続く熱帯夜に耐えられなくなってしまったのかもしれない。

日本に住んでいると当たり前のことやら特に気に留めないことなど、いざ外に出て暮らすとなるとそれらのことが有難く思える今日この頃である。

と、弱気な寝言のようなことを書き綴ったのであるが、寝言と言うと二つの意味がある。

すなわち、本当に寝ている最中に発する寝言、英語で言えばTALKING IN SLEEPと、“寝言は寝て言え”に代表されるはちゃめちゃな言動、英語で言えばNONSENSEにあたる。

この二つの意味を、一つにまとめて歌っているスーパーな曲がある。

ご存知アルバムREVOLVERに収録されている 、ジョン・レノン作のI'M ONLY SLEEPINGである。

眠たいから寝かしてくれと、本当に眠たそうに歌うジョンの歌唱スタイルに、これまたジョージの眠けをさらに誘うようなギター。

まったくTALKING IN SLEEPだと言える。

そして、
EVERYBODY SEEMS TO THINK I'M ONLY LAZY
I DON'T MIND. I THINK THEY'RE CRAZY
RUNNING EVERYWHERE AT SUCH SPEED
TILL THEY FIND THERE IS NO NEED

みんな俺のこと怠け者だと思っているようだが
気にしないよ。俺はやつらがクレイジーだと思っている。
必要と無いと判るまで、
そのスピードでどこであろうと走り回っているんだからね。

ジョンの場合は、ビートルズで既に天下を取っているわけだから、“スゲー、何て革新的な歌なんだ!”ってもてはやされるわけだが、一般の人が会社でこれを言えば、そうはいかない。

歌のごとくYOU'RE LAZY!って言われることは間違いなし。

私の相方によると、私も就寝中にたまにムニャムニャと寝言を言っているようだが…

本人にとって幸せな夢を見ている際に発せられる寝言が害もなく一番のように思える。

但し、夢の中に出てきた架空の女性の名前なんぞうっかりと口にしてしまうことになれば、それが無意識であろうが無かろうが、後で相方に尋問されこってりと絞られるのでご注意を。

The Beatles - I'm Only Sleeping