CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

オイラのSSW入門は

2024年08月15日 | SSW

レコードで洋楽を聴き始めた70年代初め頃は、ビートルズ、サイモンとガーファンクルにカーペンターズなど定番のアーティストばかりだった。

ある日アニキが洋楽好きの友達からLPレコードを借りてきた。

その中の一枚がキャロル・キングの1970年のTapestry。

それまでの万人受けするポップ度全開のアーティストと違って彼女の紡ぐサウンドは当時中坊だったオイラには少々とっつきにくい大人びたものではあったが、何度も繰り返し聴いているうちに鈍感なオイラも遂に目覚めたね。

てな事で、この後エルトン・ジョンやジェームス・テイラーなどSSW系のアーティストをどんどん聴いていくことに。

ところでこのアルバムは、世界中で通算一千数百万枚と売れに売れたね。


哀しみのSSW

2024年06月01日 | SSW

本日は西海岸出身の女性SSW、カーラ・ボノフでも。

60年代リンダ・ロンシュタットとStone Poneysなるフォーク・ロック・バンドを結成し活動していたケニー・エドワーズ。しかしながらバンドは短命でリンダはソロで活動を始める。そしてケニーはアンドリュー・ゴールドやカーラ・ボノフらと新バンドを結成するも成功を収めるには至らなかった。

結局ケニーはアンドリューと共にリンダのソロ・アルバムにサイド・メンとして参加することに。その繋がりからカーラの1977年のソロ・デビュー・アルバムに収録されていたカーラ作の3曲がリンダの1978年のアルバム、Hasten Down The Windに収録されることに。

無名のソング・ライターから同じアルバムで3曲もカバーするのはそのイメージに染まりすぎて普通リスクがあるが、やっぱり曲の出来が秀逸だったのと曲自体がリンダのイメージにぴったりハマったことがそのリスクを上回ったと言える。

このカーラのデビュー・アルバムはすごくよく出来ていたんだけれど、カーラの個性がリンダを少しばかりソフトにした感じでリンダとかぶってしまったのが何とも残念。歌唱だけを比較すると、やっぱり西海岸の歌姫と呼ばれる第一人者のリンダに完全に食われちゃうからね。

やっぱり自作自演ではなくソング・ライターとして他のアーティストに曲を提供することに特化するか、歌うならもっと個性的な歌い方を何とか編み出すしか無かったのだろうね。


伝説のSSW、その2

2024年04月29日 | SSW

70年代ウエスト・コースト・ロックの宝庫と言われたデビッド・ゲフィンが設立したレーベル、アセイラムからのアーティスト第一弾として契約したのがシンガー・ソング・ライターのジュディ・シル。

その彼女のデビュー作は1971年のセルフ・タイトル・アルバム、Judee Sill。

清涼感漂うボーカルにアコギやストリングスなどを効果的に配置した温かみのあるサウンドが特徴で玄人筋には絶賛されたものの一般のリスナーに対しては思ったようには浸透しなかったそうな。

1973年のセカンド・アルバム、Heat Food以降は薬物中毒の弊害などもあって活動が途切れてしまい、残念ながら彼女は1979年にその生涯を終えることに。

ただ後年に彼女のアルバムが再発されることによって、それまでその存在さえ全く知らなかった、瑞々しいサウンドにつつまれた彼女の作品を後追いではあるが聴く事が出来たの幸運だったと思う。


大型連休がスタート、その2

2024年04月29日 | SSW

深夜の自宅警備員を続けながら、ふと思い立ったシンガー・ソング・ライターが英トラッド・フォークの第一人者でもあったサンディー・デニー。

フォーク時代のストローブスとのジョイント・レコーディングによりアルバムを制作後、フェアポート・コンベンションのオーディションに参加し加入が認められ3枚のスタジオ・アルバムを制作することに。

その後バンドから脱退し新グループ、フォザリンゲイを立ち上げるも1枚のアルバムを制作した後解散し、ソロ・デビューを飾る。

本日はそんな彼女の1972年の2枚目のソロ・アルバム、Sandyを聴いてみることに。

一般的に英トラッド・フォークと聞けばなんだか大木の年輪の如くその刻まれた歴史に重みを感じさせるのだが、本作はアメリカのフォーク・ロック・サウンド寄りの味付けで割と構える事なくリラックスして聴いていくことが出来る。

特に彼女の尊敬するアーチストがボブ・ディランてな事で、このアルバムでもディランを1曲カバー。アコギとペダス・スティールの伴奏をバックにカントリー・フォーク・ロックの味わい。

イギリスのフォーク・ロック、いいですね。


大型連休がスタート

2024年04月27日 | SSW

どこか旅行に行きたいと思っても残念ながら先立つものが欠落していて、いつものことながら休日出勤での自宅警備員の仕事に勤しむオイラ。

こんな時はレコードのジャケ裏の写真でも眺めて心を慰める。

あぁ、ジャマイカにでも行ってみてぇ~

そう取り出したレコードはキャット・スティーブンスのForeignerだった。

(このレコードを買ったのはずっと後で、1980年に出た再発盤だった。サイドー1はフォーリナー組曲1曲のみ)

(サイドー2のLaterなんて完全にソウルの味付け)

1973年の7枚目のオリジナル・アルバムで、変革を求めて過去のアルバムで大成功したアコギを中心としたフォークもしくはフォーク・ロックのスタイルを捨て去った。

これまでタッグを組んで来たプロデューサのポール・サミュエル・スミスから離れ、自身によるプロデュースにて新たに起用したセッション・ミュージシャンらとオイラの憧れのジャマイカで録音を敢行。

彼が当時興味を持っていた、アイザック・ヘイズやスティービー・ワンダーらの作る黒人のソウルやR&Bなどにかなり影響を受けた作品となった。

ただ以前のアルバムと同じようなサウンドを期待したファンからは失望の声もあり、前作と比べると売り上げは落ちた。

でもそんなの関係ない!

特にA面のフォーリナー組曲は約18分以上に及ぶ起伏のあるソウルフルかつファンキーさも持つ楽曲で楽しめる。彼の作品の中では異色のものとなったが、オイラはこのアプローチ結構好みである。

ジャケ裏の写真を眺めながらこのアルバムを聴き少しばかりでもジャマイカの雰囲気を感じ取れたので、旅に出掛けられずとも“じゃ~まぁいいか”って気分に…

なるわけ無いないわな。


伝説のSSW

2024年04月14日 | SSW

知ってる人は知っている、知らない人は知らない、南部のR&B系のシンガー・ソング・ライター、ダン・ペン。

本日は彼の1973年のデビュー・アルバム、Nobody’s Foolでも。

ちなみに70年代に出したアルバムはこれ一枚。元々はソング・ライターとして60年代から他のアーティストに曲を提供し生計を立ててきたことから、自作自演にそれほどこだわりは持たなかったのか、次回のソロ・アルバムはなんと90年代まで待つことに。

このアルバム、地味と言えは地味なんだけれど、じっくりと聴いていくうちになんだかまったりとした気分になって心地よい。

お急ぎで無いのなら一聴する価値はあるのでは…


メガ・ヒットの後は

2024年03月27日 | SSW

何事も一気に大ブレークしてしまうと、その次が困る。

さて次はどうしたものかとあまりに肩に力が入りすぎて思うような結果が出ず、3歩進んで2歩下がるってなことになりかねない。

シンガー・ソング・ライターのビリー・ジョエルは、1977年のStranger がアメリカだけで1000万枚を売り上げるメガ・ヒットを記録した後を受けて、次作が前作の二番煎じにならぬよう自然体で制作に取り組んだそうな。

翌年1978年に出来上がった作品、52nd Streetはより洗練されたアレンジメントで少々ジャズよりの良質な作品に仕上がった。売り上げは前作を越えられなかったもののグラミー賞受賞など2作連続で素晴らしい結果を残せたと思う。

サイドー1からBig Shot、HonestyにMy Lifeと続くシングル・ヒット3連発は圧巻。さらに急にトップ・スターに上り詰めた自分自身を初心忘れべからずと戒めているようなBig Shotは興味深く感じる。

ちなみにメガ・ヒットを記録したイーグルスのHotel Carifornia 、フリートウッド・マックのRumorやレッド・ツェッペリンのIVなどの後を受けたアルバムは同様に販売実績においていずれも前作を超えることはなかった。

ただ、個人的にはゼップのHouse Of The Holyは前作より革新的で好ましく思う。マックのTuskはビートルズ的に言えばホワイト・アルバムよりもアビーロードを目指す、すなわち1枚ものに集約すべきだったかな? そしてイーグルスのLong Runはちょっと空回り、またHotel Cariforniaよりはその前作のOne Of These Nightsの方がいいと感じるのだけれど...

まあ、あくまでも個人的な意見では有りますが...


全編通してスムーズな味わい

2024年03月09日 | SSW

本日はジェイムス・テイラーの4枚目のアルバム、One Man Dogでも。

このアルバムには比較的短い曲ばかり全18曲収録されていて、フォーキーでジャージーでブルージーで時折ファンキーとそれぞれバラエティーに富んだ音作りとなっている。

前作に収録されたYou’ve Got A Friedndの様なとびっきりの作品が収録されていないので1曲だけ取り上げれば確かに地味に感じるかも知れないが、全編を通して聴いていくとそれぞれ異なった味わいのある曲が次々と登場し飽きが来ない。


素人が聴くブルー

2023年12月11日 | SSW

数多くの批評家やリスナーから高い評価を受けたSSWのジョニ・ミッチェルの1971年に出た4枚目のアルバム、Blue。

ハイトーンの美声を武器に個性ある節回しで歌う恋愛物を含む私小説的な作品の数々。シンプルで控えめなバック・バンドと彼女の独特なチューニングのアコギとピアノは彼女のボーカルをより際立て、玄人受けする独特な響きの作品に仕上がっている。

ただ、この分野のトウシロのオイラがこの作品にすんなり入っていけるかって問われると、正直なところ難儀な話。

願わくは心持ちメロディアスな味付けだったらって思う次第。

玄人衆からは何言ってんだ~、このヤロ~!って咎められるかもしれないけれど…


猫から犬へ

2023年11月13日 | SSW

キャロル・キングの1971年の大ヒット作、Tapestryに続いたのは同年末に出たソロ第3弾、Music。

 

全世界で通算3000万枚売れた前作と比べると確かに地味に感じるかも知れないが、寒かった冬が過ぎ去り木漏れ日に溢れた部屋でピアノを弾くその姿は明るく、爽やかにMusicを奏でる。

お供もツンデレの猫から今回人懐こい犬へと変わり、より親しみを感じさせる


見た目ブルーだけれどほっこりさせる奴

2023年10月18日 | SSW

1968年、ジェームス・テイラーはビートルズのアップル・レーベルから有望な将来を掲げてデビューを果たしたものの、素人経営によるアップル・コープスの大混乱で契約が打ち切られ、翌年アメリカに戻りワーナー・レーベルと契約。

その第一弾のアルバムが1970年のSweet Baby James。

同じくアップルから弾き出されたピーター・アッシャーがプロデュースしたアルバムはフォーク、カントリーにブルースが混ざり合ったソフト・ロックなサウンドに仕上がり非常に聴きやすい作品となった。

このアルバムが全米3位の大ヒットとなり、ジェームス・テイラーは一躍トップアーティストの座を掴むことに。

ところでロンサム・カーボーイ、スウィート・ベイビー・ジェームスはいつになったら幸せを掴めるのだろうか?

 


Back To Earth

2023年07月01日 | SSW

日本全国至る所に神社仏閣が存在し、また八百万の神と言われるほど神様の種類がかなり充実している我が祖国。にも関わらず信仰心という観点から考えると、勿論熱心な信者の方々もいらっしゃるが、一般的には困った時の神頼みとか形だけってのが一番多いですかね。

イスラム教に改宗しミュージシャンの活動の停止を宣言したキャット・スティーブンス。当時そのニュースを知ってビックリしたね。

1978年、キャット・スティーブンスの名義で発売された最後のアルバム、Back To Earth(原点に帰るって意味ですかね?)が出た。

人気が出る前から絶頂期のキャットのアルバムのプロデュースを手がけてきたポール・サミュエル・スミスが久々に登場。初期のフォーク・ロック時代の味わいが戻って来ただけにここで活動停止とは残念だった。

それまで築いてきた生活の糧を全て投げ出して信仰の世界に入っていくなんて、法事で有難い念仏を唱えていただいているのにも関わらず、5分も正座して足が痺れ出すと早く終わらないかなとつい心で拝んでしまう私にはなんとも想像のつかない世界。

私なんか、買ったジャンボ宝くじを当たるようにと拝み倒し、結局全部ハズレでBack To Earth、現実に帰るって感じですかね。


個性的なウエスト・コースト系シンガー・ソング・ライター

2023年06月21日 | SSW

リンダ・ロンシュタット繋がりで本日はウエスト・コーストのシンガー・ソング・ライター、ウォーレン・ジヴォンのアセイラム・レーベル時代の4枚のアルバムをコンパイルした1986年発売のベスト・アルバムでも。いい歌詰まってます。

(骸骨マークに挟まれた副題、A Quiet Normal Lifeは一体何を意味するのか? 何かの皮肉?)

(謎めいたジャケ・デザイン、十字マークの盾を持った骸骨軍団は一体何を意味するのか? )

日本では多分リンダ・ロンシュタットが彼の曲、Mohammed’s Radio、Poor Poor Pitiful Meと他何曲かをカバーしたことでその名が知られていると思う。

シカゴ生まれだが、幼少時はカリフォルニアで育ち高校時代に音楽活動をスタート。高校を中退しニューヨークに行き彼の地でセッション・ミュージシャンとして活動。その後西海岸に戻り、1970年にソロ・アルバムを出すも不発。

1976年ジャクソン・ブラウン・プロデュースによるセカンド・アルバムでようやく注目を集め表舞台に登場。

(1976年のセカンド・アルバム、Warren Zevon)

いい歌沢山作っているのに、日本でそれほど知られていなかったのは、やっぱり歌いっぷりがウエスト・コースト系シンガーの中では個性的って形容すればいいのか、ぶっちゃけ地味だったせいなのかな?

その後、数年おきにアルバムをコンスタントに出し続けて精力的に音楽活動に携わってきたものの、2003年に56歳で病死。

遺作は2003年のThe Wind。

風のように去っていった。


キラー・チューンはやっぱりLonger

2023年05月28日 | SSW

アメリカのシンガー・ソング・ライター、ダン・フォーゲルバーグは1978年、ジャズ・フルート奏者、ティム・ワイズバーグとコンビを組んで出した前作、Twin Sons Of Different Mothersが米チャートでトップ・テン入り。

更にその翌年6枚目のソロ・アルバム、Phoenixはさらなる飛躍遂げた貫禄の一枚となり、名実共にトップ・アーティストの仲間入りを果たす。

ただ何故か来日公演はなかった。後に出た彼のライブ盤でもでもいい味出していたのにね。

魚が大海を泳ぐ以前から、鳥が飛ぶよりもさらに高く星が天界に輝く以前から、ずっと君を愛していた。

そんなん言われたら、惚れてまうやろ~


昔々のお話

2023年04月29日 | SSW

いゃ~ 今じゃ昔と比べて見る影も無くなった年老いたあっしではありますが、こんなあっしにも皆さんと同じように少年時代ってなものがあったんですよ。

確か担任が新米の女の先生だったから調子に乗っておちょくり過ぎた様な? そこに生活指導の先生がやってきて私を含む悪ガキどもはボコボコに成敗されて、更に親は学校に呼び出され後でコッテリ絞られた様な思い出も…

歯を食いしばれ!って言われてすぐにビンタが飛んできたり、硬い表紙の出席簿で頭を叩かれたり。

今じゃそれらは御法度ですが、昔は結構普通でしたね。

それはともかく個人的には学校生活の楽しみはやっぱり毎年行われるクラス変えでしたかね。

学年一の可愛い子と同じクラスになり、そして席替えで隣に座り彼女とMy Dear Friendになれたらな~って妄想をしてみたり。

そんな甘酸っぱかった香りを今でも思い起こさせてくれるのが、SSWのロボの1972年のシングル、I’d Love You To Want Me(片想いと僕)。

ああ~それから、心配しないでください。

いちびりはとっくの昔に卒業しました。