CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ネタ切れで困ったならHey Jude

2019年01月31日 | BEATLES-BADFINGER関連
このところバタバタしていたこともあったし、また特に書いてみたいネタも思いつかず、ブログの更新の頻度が低くなってしまった。

まあネタがなければ、無理に書く必要もないのではあるが、それでもどうしようかと思案しブログ編集の画面を見てみると“ブログ開設から1461日”なる記載が目に止まった。

つまり閏年を入れて4年経ったことになる。

大した内容でもないし、文章も初期と比べると少しばかり改善されたかなとは個人的に思いたいのだが、それでもまだまだ稚拙かな?

まあそれはさておき、筆無精にも関わらず我ながらよくここまで続いたものだと暫し感慨にふける。

今思えば、小学校時代歌謡曲やグループ・サウンズの曲を中心に聴いていた私をロックの世界に引き込んだのは、やっぱりビートルズ。

無理矢理ではあるが、本日はオリジナル・アルバムではないアメリカ独自編集のHey Judeでも。

Abbey Roadが1969年に世に出たのに、それ以前にレコーディングされていたGet Backがいつまで経っても完成しないことに苛立ちを覚えたキャピトル・レコードがその穴埋めとして1970年2月に北米で発売したアルバムがHey Jude。




アルバム未収録のシングルとユナイトから出たA Hard Days Nightのサントラのみに収録されていた既発曲をステレオ化したコンピ・アルバムだった。

ジャケットのデザインはアルバムのコンセプトが全く感じられない最後のフォト・セッションのものを流用した やっつけ仕事だったし、収録曲に関しても初期中期そして後期のヒット曲をただ年代順に並べただけで統一感には欠けていたのだが….

しかし、これはこれでよし!

何しろビートルズの芸風の変遷がわずか30分程度でわかると言う優れモノだからね。

流石アメリカ、新しいネタはなくとも、過去物件からなんとかネタを絞り出し掟破りのコンピ盤を強引にも制作してしまう。

ビートルズの新譜を待ちきれない北米のファンは既発曲のコンピとはいえこれを買わずにはいられなかっただろうし、イギリスでもアメリカからの逆輸入盤として結構売れたそうな。

さらに待望の新譜はタイトルがLet It Beに変更され、世に出たのはわずかその3ヶ月後。

このHey Judeの先行発売によって、両アルバムの売り上げをアップする相乗効果を狙っていたのではなんて思ってしまう。

今更ながら商売上手。

アメリカ盤Apple SW-365


盤に記載されたマトリックス・ナンバー(Side-1 SO-1-385-H5), Side-2 SO2-385 Z43# Bell Sound)を資料と照らし合わせてみると、このレコードは1970年の初盤ではなく、1971年にキャピトルのウインチェスター工場でプレスされた再発盤か? と細部の情報まで調べてみるのはビートルズのレコードだけだね。

今さら Kind Of Blue

2019年01月26日 | JAZZ・FUSION

Kind Of Blueと言えば、ジャズの帝王マイルスが1959年に録音した世界で通算1000万枚以上も売れた偉大なモダーン・ジャズ・アルバム。

マイルス、キャノンボール・アダレイに若き日のコルトレーンの管楽器3本に、ベースのポール・チャンバース、ドラムスのジャームス・コブ。そしてピアノにはビル・エバンスとウィントン・ケリーとジャズファンからしたらオール・スターの様な編成。

悪いはずがない。

てなことでLP愛好家を名乗るジャズ・トウシロの私も遅まきながら遂にこのLPを最近購入!

買ったのは、ディアゴスティーニ が出したJazz LP Record Collection 第1巻、お値段なんと税込で990円と破格。



このLPは確か2016年の 9月頃に出されたもので、あれから2年半近く立っている。

歴史的名盤でありLP価格としては非常に安価だったので、もう売り切れたものと思っていたら、意外やまだ在庫があったみたいで今回入手。

音に関しては、確か高性能オーディオをお持ちの通なお方達によるネットでのレビューでは、どうもやっつけ仕事で音質が良くないとの評価が下されていたような….

まあ同じボリューム設定でこのLPと手持ちのCDの再生音を比較すると、通常音圧が高く設定されているCDの音の方が第一印象はいいような気もするし、さらにCDと比較して、レコード再生時に起こる予期せぬプチ音に悩まされ精神衛生上良くない場合も….

だけど、マイルスなら So What!(それがどうした!)って言うかも知れない。

(So What)

私が買ったレコードは、再生音に関して特に問題は感じられなかったし、それにこの時節税込990円って日替わり定食にコーヒ一杯でなくなっちゃうから文句なし。

それにCD愛好家にとってはサイド1終了後の面倒な裏返し作業がレトロな私にはフィットする。

遅ればせながら有り難く拝聴させていただきます。


Ziggyの卒業アルバム

2019年01月18日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

1972年、デビッド・ボウイーはThe Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Marsと言う長いタイトルの5枚目のオリジナル・アルバムを出した。



性別不詳、無国籍、もしかしたら宇宙人かも?と言う架空の人物、Ziggy Stardustを演じツアーのステージで歌った。そして翌年もこのキャラクターの延長で、アルバムAladdin Saneを出した。

Ziggy Stardust Tourは1972年にアメリカで開始、そして同年の12月クリスマス休暇からUK Tourをキック・オフ。

ただ、ボウイーもこの独創的なキャラクターに縛られることによって芸風が定まってしまい、今後の活動に窮屈な思いをするのではないかとの危惧を感じたのだろうか?

1973年5月12日から始まった第三期Ziggy Stardust Tourの最終日だった7月3日、ロンドンのハマースミス・オデオン会場での最後の曲、Rock N Roll Suicideを歌う直前にZiggyの卒業を表明した。

このライブの模様は、のちに映画化するために撮影と録音がなされていた。

しかしボウイーがZiggyを卒業したかったのと当時の録音の音質が悪かったため、お蔵入りだったそうな….

陽の目を見たのは1983年で、ようやく2枚組LPが発売された。

この時は購入に至らず、手元にあるのは2003年にトニー・ビスコンティーが音質改善のリミックスを行った30周年記念盤である。


(クラムシェル・タイプのボックスにCD2枚と下記のオマケ収納)


(CDのレーベル、悪名高かったコピー・コントロールのロゴがクッキリと)


(ボウイーの最後のコンサートを報道する当時の新聞の切り抜き)


(入場チケットのレプリカ)

21世紀になってデジタル技術の進歩と共に、昔では到底不可能だった音質の改善が最も簡単に。

このリミックス・アルバム、The Motion Picture、Ziggy Stardust And The Spiders From Marsは中々良い音質で、さらにボウイーの1969年のSpace Oddityから1973年のAladdin Saneのアルバムまでのベストな選曲が楽しめる。

それにミック・ロンソンのリード・ギターも中々ヨロシイ〜

ただ、2003年当時はコピー・ガードの議論が盛んに行われていた頃で、CDはコピー・コントロール仕様の代物。

まあ、iTunesにも問題なくリッピング出来たし、うちのCDデッキで再生しても今のところコピー・コントロール仕様のマイナスの影響はないので特に気にすることもない。

博士:わしも作風を変えて、この不人気なブログから早く卒業宣言したいと思うのじゃが、どうすれば…?

助手:博士! 良い手が見つかりました。このブログのコピー・コントロール機能を停止し、他の有名ブログからの記事をコピーし貼り付ければ読者倍増ですよ!

そうすれば、Ziggy Stardustではなく、ブログ界で、“じきに〜 スターだ〜す”てなことに。

どうもスイマセン(初代林家三平調で)

それにしても、アイドル物の卒業アルバムと違って、収録から10年もかかっても卒業アルバム発売出来るとはすごい余裕だね。


(2015年発売のLP)


(CDと異なるLPレーベルのデザイン)


エリックさんからメールが?

2019年01月13日 | Jeff Beck, Eric Clapton and etc.

助手:たっ、たっ、大変です〜!

博士:大きな声を出しおって、一体どうしたのじゃ? 

君の大変です〜!は聞き飽きたぞ。

助手:それがですね、エリックさんから博士宛にメイルが届いてるんですよ。

博士:エリックさんって言われても、確か昔に、取引先にエリックという名前の人がいた様な….

だけど、今じゃその会社とも取引がなく没交渉になっておるがのう。

エリックさんって一体どこのエリックさん?

助手:結構有名なエリックさんですが….

博士:有名なエリックさんって、まさか、ビートルズ来日公演でMCを務めたE. H. エリックさんではあるまいの〜 

テレビの画面でしかお目にかかった事しかないし、既にお亡くなりになられているからそれは有り得ん!

助手:ほら、このメイルみてください。エリックさんってあの有名なギター弾きのお方ですよ。



博士:オォ〜! わしの誕生日を祝ってくれているではないか。

って言うか、エリックさん本人ではなく、エリック・クラプトンの運営サイトからじゃないの! そう言えば彼の再発LPを買った際にメルマガかなんかの広告をメイルで受け取る為に、こちらのメアドと誕生日記載したっけ。

助手:まあ、そう落ち込まずに、エリック・クラプトンの名前で律儀にメイルで誕生日を祝ってくれるだけでも嬉しいじゃないですか。

博士:それもそうじゃのう。

ところでメイルには、もし誕生パーティーに音楽用意してないなら、Spotifyで俺のグレーテスト・ヒッツ集でも探してくれって書いてあるのう。

てな事で、Spotifyを利用するのではなくここは手持ちのレコードでも。

1968年に出たクリームの2枚組、Wheels Of Fire。


(サイケなデザインのジャケ表、ジャケが初回盤のシルバーのフォイル仕様ならかっこいのだが、あいにく再発盤で、灰色のジャケ)


(サイケなデザインのジャケ裏)


(1987年に再発されたRSOレーベルからのLP、オリジナル・テープをデジタル化した音源をカットしプレスされた代物)

1枚目はスタジオ録音で、ブルース・ロックやサイケデリック調の当時巷で流行した曲が収録。

2枚目は全編ライブ収録で、長尺な曲が4曲のみ収録され、正しくこれがクリームだ〜!って感じの3人の白熱したハードな演奏バトルが繰り広げられる。

てな事で、誕生日にケーキ無しでクリームだけを焼酎で体に流し込むのは如何?


(いつもの麦焼酎いいちこ)


映画ボへミアン・ラプソディー? 今の所チンプン・カンプンであります。

2019年01月12日 | Queen

クイーンの映画、ボへミアン・ラプソディーが巷で大ヒットらしい。

その映画を見たかと問われると、まだデ〜スとなる。

映画館に行ったのはいつかと問われると、確か大昔に子供と一緒に行った特撮物デ〜スだった様な。

出不精なのと映画は最近はいつもネットで鑑賞てなことで、果たしていつのことやら。

それにもう一つ理由らしきものがあって….

クイーンは1973年、デビューした頃から好んで聴いていたのだが、実はオン・タイムでレコードを買っていたのは、1975年にでた4枚目のA Night At The Operaまで。

1976年のA Day At The Raceからクイーンのアルバムを継続して買わないようになった。

それまで彼らがアルバムを出すたびの衝撃と言うか驚きがA Day At The Raceあたりからあまり感じることなく、また彼らのその後の方向性とも何と無く自身の周波数が相容れない様になったからなのか….

70年代中盤頃になると、それまでのハード・ロックやプログレなんかも一様にマンネリ化し、ディスコ、モダーン・ポップやパンク系が社会の変化とともに湧き出てきた。

当の私はちょうど同じ時期に大ヒットしたジョージ・ベンソンなどのポップ・タッチのフュージョン系のサウンドへと流れた。

ベンソン以外には、ラリー・カールトン、マイケル・フランクス、スパイロ・ジャイラにデオダート、和モノではカシオペアやザ・スクエア辺りなどなど。

その後のクイーンの曲はたまたまラジオから流れてくるRadio Ga Gaの様なシングル曲を耳にするだけで、映画ボへミアン・ラプソディーの肝の部分、当時ライブ・エイドに至る辺りの活躍や内輪話なんかは全く知らなかった。

それが今回の映画館まで足を運んでまで見ようと言う気持ちが起こらない 一因なのだろうか?

で、クイーンのベストなアルバムはと問われると、1974年11月に出たハート直撃!Sheer Heat Attackデ〜スとなる。



彼女はキラー・クイーン
火薬、ゼラチン
レーザー・ビーム付きのダイナマイト
いつでもあなたの心を吹っ飛ばす保証付!


(サイドー1の2曲目がキラー・クイーン)

正しくフレディーはブラック・クイーンのイメージ。

これが私にとってのクイーンの完成形!

クイーンの絶頂期を知らぬオッサンの話でした。


(当時のライナー・ノート、叫び声がロジャーの担当! それから、当時公認のクイーン・ファン・クラブって大阪にあったんだ!)


プログレ祭り閉店ガラガラガラ〜!

2019年01月11日 | PROG ROCK
プログレ道を極める精神力もないヘタレなため、本日はもう少しリラックスして 聴けるアルバムを選んで見た。

2017年発売のリック・ウェイクマンのソロアルバム、Piano Portraits。


(なんと2枚組のLP!)

リックは多作で100枚ほどのソロ・アルバムをコンスタントに制作し続けてきたが、それらの売れ行きよかった時期は70年代まで、その後はほとんどがチャート・インしなかった。

金と時間の余裕のあるリック親衛隊の様なファンでないと、その全てのアルバムを所有する事は難度が高い。

かく言う私も彼の最後の購入したソロ・アルバムはA&Mレーベルからのソロ第5弾、1976年のNo Earthly Connectionまでだった。



そうこうしてるうちに、時は流れ再び手にした彼のアルバムがこれだった。

久々にイギリスでチャート・インし、なんと6位まで上り詰め復活を遂げた。

タイトルのPiano Portraits如く、ピアノ一台でリックが好む 、クラッシック、ポップ、ジャズからロックまで過去の名曲をカバーする内容。






もちろん収録された中で10CC のI’m Not In Loveの様に制作サイドからのゴリ押しもあった様な….

しかしながら、そんな裏話があったとしても、全体的に素晴らしい仕上がりだと思う。

リックの華麗なピアノは、あのエルトン・ジョンも通っていたロンドン王立アカデミー仕込み。

ただ当時彼のピアノ奏者としての腕は評価され、デビッド・ボウイー、ストローブス、その他のプロのレコーディング・セッションに参加していたことに関し、学校サイドもそれをよしと言う立場をではなかったことからアカデミーを中退したとか。

リックはビートルズがとても好きなのか、トリビュート・アルバムも出しているし本作でもLucy In The Sky With Diamond付きのHelpとEleanor Rigby の2曲を華麗にカバー。

さらにZepの天国への階段、ボウイーの初期の曲、Life On MarsとSpace Oddity(Life On Marsのカバーは初めて聴いた時は直ぐにボウイの曲とは気付かなかった)やホルストのI Vow To Thee My Countryもカバーして聴き処満載。

新年のスタートから心が洗われるってことで…

ありきたりのプログレ祭り開催! その2

2019年01月03日 | PROG ROCK
プログレ道を極めるには半端な気持ちでは達成できない。

プログレ四天王やその周りの関連バンドだけでも数多くのオリジナル・アルバムを出していて、さらに同じアルバムのリマスター盤とかリミックス盤を加えると膨大な数の音源が存在する。

これらの音源を聴き比べるだけでもかなりの時間が取られるし、ヨーロッパ各国、アメリカやその他の国出身のバンドまで手を拡げるともうお手上げ。

私の様なトウシロ・プログレ・リスナーは、深みにはまらぬ様 駄作もあるけどプログレ四天王あたりをうろつき廻っているのが無難かも。

本日は先ずこの一枚から。

リック・ウェイクマンのA&Mレーベルからのソロ第二弾、1974年の地底探検(Journey To The Centre Of The Earth)。


(2009年に出た紙ジャケSHM-CD、お値段なんと2800円! SHM-CDも解説書も要らないからもっと安くしてくれて〜の!)

ロンドン交響楽団をバックにオペラチックなロックをライブで演奏。これが当たって全英1位・全米3位を獲得。累計1500万枚も売れたそうな。

お次はイタリア代表、PFM。

マンティコア・レーベルからの2枚目、蘇る世界のイタリア盤。


(2004年イタリア盤紙ジャケCD、お値段2100円)

イタリア盤の原題はL’Isola Di Niente(無の島)、しかし邦題は“蘇る世界。

世界に向けピート・シンフィールドが翻訳した英語盤も発売されたが、私としてはイタリア語で何を歌っているかは全く判らないが、何となくイタリア語で歌う方が彼らの曲にフイットしている様な....


(2008年英語盤紙ジャケCD、解説書なしの紙ジャケで何とお値段1500円! 昔は良かった。)

英語盤はThe World Become The Worldというアルバム・タイトルで、邦題はイタリア盤と同じ蘇る世界。

英盤はイタリア盤より一曲多く収録され、その一曲が蘇る世界(The World Becomes The World)と言うタイトルだった。

にも関わらず、イタリア盤には蘇る世界(The World Becomes The World)が収録されていないにもかかわらずアルバムの邦題が“蘇る世界”とは此れ如何に?

それはさておきお次は、イギリスのプログレ・バンド、カーブド・エヤの1972年の作品、ある幻想的な風景(Phantasmagoria)。


(2000年プラケース入り輸入盤、ジャケ表)


(ジャケ裏)

カーブド・エヤと言えば、紅一点のボーカリスト、ソーニャ・クリスティーナやバイオリン担当のダリル・ウェイで有名であるが、モンクマンのシンセによるアンサンブル も見逃せない。

それにOver And Aboveの様なミニマルな演奏のカンタベリー・ジャズロック風の曲も捨て難い魅力がある。

最後は 、オランダのグループ、フォーカス。

1973年に出したらライブ・アルバム、At The Rainbow。


(2008年紙ジャケCD、解説書なしの紙ジャケで何とお値段1500円! 昔は良かった。)


(オリジナルLPと同じ変形ジャケ再現。お見事!)

LPレコード一枚分お収録で少し物足りないが、彼らの既出3枚のアルバムの代表曲が簡単に聴くことが出来るし、またHocus PocusやSylviaの高速バージョンも楽しめる ので、時間に余裕のない人がフォーカスを知るには持ってこいのアルバム。

4枚のCDを立て続けに聴くとやっぱり歳のせいか疲れがドッと。

やっぱり、プログレ道を極めるには半端な気持ちでは達成できないね。

ありきたりのプログレ祭り開催!

2019年01月02日 | PROG ROCK
お正月ということでテレビを見ていて、どこもかしこもお笑い番組、駅伝や高校ラグビーなどのスポーツ中継さらにひな壇芸人オン・パレードのバラエティーと顔ぶれは少し変わるものの毎年同じ様なネタで飽きてくる。

そこで久しぶりにプログレ祭り開催。

今回はプログレ四天王に登場していただくことに。

プログレと言えば音源だけでなく、バンドのコンセプトに影響を受けたジャケットのデザインも凝ったものが多く、その芸術性を味わうには大きなLPサイズのジャケに限る。

しかしながら音質に関しては新品のLPでさえ製造過程で発生してしまった小傷やレコード盤の反りによってなんらかのノイズを発生する場合がある。

特に静寂な演奏場面におけるノイズ発生は、プログレ・サウンドを楽しむ者にとっては精神衛生状良くない。

てな事で、今回はリマスター音源を収録したCDに登場していただく事に。

オープニングは、イエスの危機。




(2003年ライノ・ワーナーによるリマスター輸入盤。ボートラがもれなく付いてきてお得感あり。)

2番手を飾るのは、ELPの展覧会の絵。




(2008年英サンクチュアリー・マンティコアによるCD2枚組デラックス盤。3種の展覧会の絵を堪能することが出来る。)

お次に控えるのは、ピンク・フロイドのザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン。


(2011年リマスター ・ディスカバリー・ボックスからの一枚。リマスターはなかなかの出来。)

そして、今回のトリはキング・クリムゾンのキング・クリムゾンの宮殿に勤めていただく。


(2006年の紙ジャケ国内盤。何とCDの16ビットを超える20ビットでの再生可能なHDCD仕様!しかし専用プレーヤーを持ち合わせていないので敢え無く撃沈。CDとして再生。)

いずれのアルバムも、定番中の定番でベタな選択ではあるが、個人的には過去何回も聴いている思い入れのある作品群なので安心の一言。

しかし私の世代よりかなり下の方々は、これらを聴いて古いと感じるかもしれない。

時代と共に感性も変化し、50年前は新しい刺激的なサウンドと捉えられていたのが、今じゃね〜

だからと言って、古い音源を現代風に無理矢理リミックスするのもなんだかなぁ〜

ヘッド・フォンで神経を集中して古典落語の馴染みのネタを聴くのではなくて、とりあえずは聴き処のツボは外さずなんとなくバック・グラウンドで流し聴きするのが今時ではないのかと思った次第。

まあ、人それぞれだけれど....

影分身のジャケ考

2019年01月01日 | 特になし
元バーズのRoger McGuinn、1973年のデビュー・ソロ・アルバムのジャケは影分身仕様である。


またポルナレフの日本盤のアルバムも同じ手の物だった。


ロジャーのアルバムが1973年6月で、ポルナレフのアルバムが確か1973年の11月頃で、アルバムデザインが日本人だったことから、ポルナレフのは多分パクリってことに….

両者のレーベルは、ロジャーがCBSソニー、ポルナレフがEpicと同じソニーのグループであることから、当時は特に問題は出なかったのかと….

70年代のポルナレフのアルバムのCD化は、所属レーベルの権利関係がクリアーになっていなかった様なので、中々再発されなかった。

1999年に日本では、ワーナー・グループのWEAがこのアルバムのCD化に関する 権利を獲得しようやく再発された。

その際のジャケのデザインがこれ!


再発CDのライナーノートによると、 これが1973年にフランスで発売されたLPのジャケのデザインらしい。

CDの背面の写真は、ポルナレフが赤坂見附?の道路のセンターライン状にペタッと座り込んでいる写真が….

こちらの写真の方がかなりシュールで、影分身ジャケよりはいいんじゃないかと個人的に思う。

デッ、影分身さらにないかと探したら、

YMOの増殖でした。