CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

いまだ健在

2025年02月07日 | URIAH HEEP

1972年のユーライア・ヒープは4枚目のアルバム、Demons And Wizardを出した。

この当時は半年毎に1枚のアルバムを出していて、彼らの創作意欲が結構高かった頃でアルバムの出来も良かった。

確か全英・全米チャートでそれぞれ20位と23位に食い込み彼らの一番ヒットしたアルバムだったと思う。

ゆったりとしたアコギの伴奏で始まる1曲目のWizardsの演奏に次第に厚みが加えられてゆき、2曲目のTraveller In Timeでさらにエネルギーが充填され、3曲目のEasy Livin’で爆発。

初めてこのLPに針を下ろした時ぶっ飛んだね。

この後数枚同傾向のアルバムを制作し人気を保持するも、時代の流行について行けず次第に勢いを無くしていった。

ただ当時の5人のメンバーのうちリーダー格のケン・ヘンズレーを含む4人がすでに鬼籍に入ってしまったものの、一人残ったギターのミック・ボックスが今だにユーライア・ヒープを率いて活動を継続しているのは流石にスゴイと言わざる得ない。


日本で大ヒット

2024年02月19日 | URIAH HEEP

洋楽のアルバムで欧米で大ウケしたのに何故か日本ではダメで、反対に欧米ではそれほどでもなかったのに日本で人気が出るケースもしばしば見受ける。

本日は1971年、ユーライア・ヒープも3枚目のオリジナル・アルバム、Look At Yourself(対自核)でも。

(US盤のジャケの目や鏡のデザインはUK・日本盤とは異なる。)

シングル・カットされヒットしたLook At Yourtselfを始め長尺曲のJuly Morningも印象に残る聴き応えのある作品となり、全英39位・全米93位と初めてチャート100位以内に進出しようやく注目を集める存在に。

更にわが国、日本ではレコード会社による邦題のネーミングなど攻めたマーケティングが功を奏したのか、オリコン5位を獲得しユーライア・ヒープのチャート最上位のアルバムとして知られている。

個人的には、July Morningのしっとり感が日本人リスナーの琴線に触れたのかも?って思うのだが....

 


軽量級ヒープ登場!

2023年07月07日 | URIAH HEEP

それまでの魔法使いや悪魔などを主題とする芸風から転換を試みるも、ちょっと停滞気味だったヒープ。

それでも1975年のReturn To Fantasyではブラス投入やブルージー曲などアメリカンナイズされたサウンドで新しい一面を披露し個人的には更なる飛躍を期待した。

そして翌年登場したアルバムがHigh And Mighty。

(第二次大戦のドイツ軍用拳銃、ルガーにウィングをつけ高空では無敵って表現したかったのかも... しかし短銃では破壊力に乏しい。)

このアルバムが登場した当時、特にケン・ヘンズレーが担当するヒープのトレード・マークとも言えるキーボード群の演奏がそれまでと比較すると引き気味でまたへヴィーでおどろおどろしいサウンドが明るめで軽過ぎ!って感じ、個人的にはちょっと拍子抜けだった様な...

ただアル中だったにも関わらずデビッド・バイロンのボーカルの仕上がりはさすが!

残念ながら、このアルバムを最後にアル中だったボーカルのデビッド・バイロンと前作から加入したばかりのベースのジョン・ウェットンがバンドから解雇もしくは脱退となり、メンバー・チェンジによってヒープは新たな転換を模索する事となる。

 


Look At Yourselfのシングルでも

2023年03月06日 | URIAH HEEP

1971年にユーライア・ヒープが3枚目のアルバム、Look At Yourself(対自核)を出した。

日本でも翌年の3月に発売され、オリコン5位とヒットしたアルバムとなり、そこからシングル・カットされたタイトル曲、Look At Yourselfも人気を博した。

(演奏時間はオリジナルの5分強から3分27秒に編集されている)

これが彼らにとって日本での初シングルだったと思う。レコード会社も気を良くしたのか、本国英国でシングル・カットされなかった10分強のJuly Morning(7月の朝)も同様に演奏時間を短縮した編集音源のシングルで発売。

一気にユーライア・ヒープの名前がわが国のロック・ファンだけでなく、意外な人達にも知られる事に。

60年代、歌謡曲やアメリカの人気ポップなどのカバーを取り上げテレビのショーにも常時出演していたザ・ピーナッツ。

彼女達がライブでクリムゾンのエピタフをカバーしていたのは話に聞いていたが、なんとLook At Yourselfも歌っていたのであった。

オリジナルの演奏ではアフリカ系ファンク・バンドのオシビサのメンバーが曲のエンディングでパーカッションを叩き盛り上げるのであるが、ザ・ピーナッツのバージョンではオープニングにおいてパーカッションの乱れ打ちを聴く事ができる。

いや〜 ザ・ピーナッツってハードでプログレだったんですね。


今宵もまだまだ熱帯夜

2022年08月15日 | URIAH HEEP

1960年代中頃、ミック・ボックスとデビッド・バイロンが中心となって結成されたバンド、ストーカーズ、そのストーカーズが解散し、新バンド、スパイスが1967年に結成され、さらに1969年にはバンド名をユーライア・ヒープと改名。

別のロック・バンド、ゴッズからケン・ヘンズレーが加入し1970年バーティゴ・レーベルよりデビュー・アルバム、・・・Very Heavy ・・・Very Humbleが発売された。

このアルバムには、後にヒープの中心的存在となるケン・ヘンズレーの曲は収録されていない。多分ケン・ヘンズレーが加入するスパイス時代にアルバムの構想が既に寝られていたものと推測する。

即ち、後に魔法使いや悪魔などのアンダー・グラウンドのイメージでブレイクを果たすユーライア・ヒープのスタート・ラインは翌年のこの2枚目のアルバム、ソールズベリーから。

(UK盤ジャケ)

(USA盤ジャケ、アメリカではファースト・アルバムと同様このセカンド・アルバムも少々ゲテモノ扱いされていたような。)

このアルバムに収録された6曲中5曲の曲作りにケン・ヘンズレーが関わっている。唯一関わっていないのは、1曲目のBird Of Preyだけで、この曲はデビュー・アルバムの頃に作られた曲で、アメリカ盤のファースト・アルバムに別バージョンが収録されている。

16分以上に及ぶタイトル曲、Salisburyは当時としては管楽器を加えた実験的な作品でもう一息って感じではあるが、プログレチックでジャズっぽく私としては結構楽しめる。

日本ではアルバム、対自核の後に発売されヨーロッパでシングル・カットされヒットしたLady In Blackなんかも収録されていて結構人気のあったアルバムだったのではないかと。

これを大音量で聴けばその熱気で熱帯夜の暑さも吹っ飛ぶんじゃないかと?

でっ、涼しくなった?

でも壁の薄い集合住宅で窓を開けっぱなしにして大音量で聴いたら石が飛んできそう…

やっぱりエヤコン起動! キリッ。


70年代のイメージで

2022年03月16日 | URIAH HEEP

1995年、ユーライア・ヒープの通算19枚目のスタジオ・アルバム、Sea Of The Lightが出そのジャケはかって怪人シリーズを担当したお馴染みロジャー・ディーンによるものだった。

(イエスのアルバムなんかによく登場する“雲海に浮遊する岩”だけど、ただこれだけじゃちょっと地味すぎる。もうちょっと何とかならなかったのかと言いたい。)

ミック・ボックスとキーボードのフィル・ランゾンらの作曲チームだけでなく、かってミック・ロンソンと共にジギー時代のデビッド・ボウイを支えたベースのトレバー・ボルダーも4曲を提供、そのうちの1曲はボーカルも担当し彼にとっても気合の入ったアルバムとなった。

一聴してみると人気が出始めた70年代初頭頃の雰囲気がサウンドに表れていて往年のヒープ・ファンには歓迎されたそうな。

言い換えれば、1971−1972年にかけて制作され成功したLook At Yourselfからの3部作のイメージは如何に足掻こうとも逃れることは出来なかったとも言える…

1971年作、対自核

1972年作、悪魔と魔法使い ロジャー・ディーン作

1972年作、魔の饗宴 ロジャー・ディーン作


悍ましさ最強ジャケ大賞決定!

2022年03月13日 | URIAH HEEP

ユーライア・ヒープのアルバムのジャケ・デザインで悍ましさ最強を争うのはやっぱりこのアルバムとデビュー作の蜘蛛の巣男であろう。

1980年のアルバム、Canquest制作後オリジナル・メンバーかつバンドの大黒柱だったケン・ヘンズレーが脱退した事によってバンド結成時からのオリジナル・メンバーはギターのミック・ボックスを残すのみとなり、結局バンドは解散となった。

ミックは自身のバンドを結成するも、レコード制作となるとやっぱりヒープの大看板が必要ってことで、一時バンドを去った出戻りのドラムのリー・カースレイクを含めた新たなメンバーを集め新生ヒープを結成。

1982年に通算14枚目のスタジオ・アルバムは完成しアルバム・タイトル、Abominog(邦題は魔界再来)として世に出た。

ギャ〜、でっ、でっ、出た〜!

ケン・ヘンズレーが抜けたおかげで、新生バンドは思い切って芸風を転換。ハード・メタル系にポップな要素を散りばめた。

特にケンに変わって新たに加わったジョン・シンクレアのキーボード捌きはかってのヒープお得意の暗さが滲み出た時代のものとは違ってちょうどその頃アメリカで絶大な人気を誇ったジャーニーのようになんとなく明るさを感じた。

このアルバムはヒープと名乗っているが、ヒープと別物と考えた方がいいのかも、そしてジャケから滲み出る悍ましさを頭から排して聴けば結構イケるんじゃないのって思える。

ただこのジャケかなりインパクトはあるけどやっぱりアルバムの売れ行きに関してはかなり脚を引っ張ったとは思えるのだが…

悍ましさ最強ジャケ大賞次点はやっぱりこれ!ファースト・アルバムの蜘蛛の巣男

そして見事3位に輝いたのは、11枚目のアルバム、Innocent Victimの蛇か?マンガチックなイラストで描かれた蛇のドアップ顔がちょっととぼけた感じで悍ましさが若干薄まった。ただし蛇嫌いの人にとってはこれを大賞に押すかも。


忘れ去られたHeep

2022年02月12日 | URIAH HEEP

前年のアルバム、High And Mightyを最後にHeepの看板の一人とも言えたオリジナル・ボーカリスト、デビッド・バイロンが解雇されバンドを去る事に、またゲイリー・セインのステージでの事故死の後釜として加入したベースのジョン・ウェットンもHeepでは思い描いた居場所がなかったのだろうか去る事となる。

代わりのボーカリストとしてジョン・ロートン、更にデビッド・ボウイのジギー時代のバック・バンド、スパイダーズからベーシストのトレバー・ボルダーが加入。

新たなライン・アップで1977年に11枚目のオリジナル・スタジオ・アルバム、Fireflyを制作。

(このジャケのデザインが結構好きでジャケ買い。)

残念ながらこのアルバムはサード・アルバム、Look At Yourself(対自核)以降続いていた英国チャートに入ることはなかった。

ケン・ヘンズレーの作る曲のクオリティーが落ちたわけでもなく、また新加入のジョン・ロートンの伸びやかなハートーン・ボーカルも悪くない。

やっぱり1977年というパンクやディスコが全盛だった時代に彼らの作るハード・ロックがマッチしなかったのだろう。

個人的にはアルバム・タイトル曲のFireflyなんか、中々の力作だと思うのですがね...


オジンはやっぱり70年代のハードロック

2022年01月15日 | URIAH HEEP

イギリスのハードロック・バンド、ユーライア・ヒープの5枚目のアルバム、Magician’s Birthdayは彼らの全盛期だった1972年に出た。

このアルバムが彼らの最高傑作に押すというファンもいれば、前作、Demons & Wisardsの二番煎じだと言う人もいる。

当時人気もそこそこ出始めた彼らのスケジュール・ブックはツアー日程でかなり埋め尽くされていたようだから、時間的に余裕がなく多少やっつけ仕事になっていたかも知れない。

ただ傑作だからといって何度も同じものを聴くのも飽きちゃうし、その日の気分次第で色々聴けばいいのではないかって思う。

因みに全盛期70年代当時のメンバーはギタリストのミックボックスを除けばリーダーのケン・へンズレー、リー・カースレイク、ゲイリー・セイン、ボーカルのデビッド・バイロンに8枚目のReturn To Fantasyから途中加入したジョン・ウェットンらはすでに鬼籍にお入りになられたとの事。

その彼らを偲んで久しぶりにターン・テーブルに載せるてみる。

オォ~ 懐かしのハードロック! レトロチックなおどろおどろしさで中々いいじゃん。

私の70年代と言えばちょうど中学から大学卒業までのの10年間、後にも先にもこんな楽しかった時期はなかったね。

ちょうどその頃に親しんだハードロック、確かに今でもオジンと周波数一致してま~す。


ちょっと見落とし、幻想への回帰

2021年03月28日 | URIAH HEEP

かって記事にアップした1975年発売のユーライア・ヒープのスタジオ・アルバム8作目のRETURN TO FANTASY(幻想への回帰)

実はこのアルバム発売当時レコードを所有していたのだが、いつの間にか行方不明になり再発CDを購入。

しかしどうしてもレコードでもう一度買ってみたいと何時もの病気が発症するも、中古ショップでなかなか見つからない。

(レコード・アルバム購入の特典は内ジャケ見開きにメンバーのポートレイトが漏れ無くついてくる。)

ヤフオクなんかでもたま〜に見かけるも、帯付きのコンディションの良いものなら数千円で更にゆうパックの送料が千円と当時の新品価格を軽〜く上回る。

つい最近とある中古ショップを徘徊していると、ありました。500円の安いやつが!

アメリカ盤だけど安かったからまあいいっか!てなことで購入。

(北米ではワーナーがブロンズレーベルの発売元。しかしウエストコーストのパームツリーのレーベルはドゥービーを思い起こし、ヒープには合ってない様な)

このアルバムからドラッグ中毒で解雇されたベースのゲーリー・セインに代わりクリムゾンにいたジョン・ウェットンが加入。

ただ加入した時点ですでにアルバムに収録する曲は出来上がっていたので、彼の存在感はこのアルバムではあまり感じられない、って言うかこの後ブライアン・フェリーのバンドに参加したりウィシュボーン・アッシュに加入したものの便利屋扱いって感じで、大ブレイクは自身のバンド、エイシア結成まで待つことに。

アルバムの中身はヒット曲の“安息の日々”調のRETURN TO FANTASYから始まり、いつも通りのヒープ流ハード・ロック。

裏面には一味違うブラスの入ったアップテンポのPRIMA DONNA、軽いブルージーなバラードYOUR TURN TO REMEMBER、そしてスティールギターの様な音色を楽しむWhy Did You Do などアメリカマーケットを意識した曲が収録されている。

イギリスではチャート7位にランク・インしそこそこヒット。肝心のアメリカでは85位とブレイクせず。

と6年前に書いた記事でおさらいも終了したところでレッツ・プレイ・ミュージック!

ところで老化現象で聴力の衰えた私の中古レコードの楽しみ方と言えば、CD再生では絶対味わうことの出来ないいつ登場するかわからないプチ音のスリルを味うことですかね。

私:オォ〜! このレコードにはキズも見当たらずプチ音なしでお買い得! 

博士:オタクの目は節穴かな? ちゃ〜んとキズ入っておるぞ!

私:ああ〜 よく見るとジャケの端にノコの跡がありますね。

博士:大量の売れ残りの在庫を処理するためカット盤にしてバーゲン価格で当時販売されたのじゃ。

私:むむ〜 やっぱりアメリカじゃ思ったほど売れなかったってことですかね? 

博士:その通り。さらにカット盤故、日本での中古価格も安く設定されたってことかのう〜!

私:ガクッ、道理で安かったわけ。もうノコの跡は本人の幻想で無かった事にてお願いしま〜す。


Demons And Wizards(悪魔と魔法使い)

2020年11月06日 | URIAH HEEP

ユーライア・ヒープのケン・ヘンズレー氏が亡くなられたというニュースが…

1945年生まれ、今年で御歳75歳だった。

最近盛んに50周年記念なんちゃらって宣伝文句でロックのメディアが再発される。

60年代末から70年代初め頃に活躍した人達が当時20代から30代だったとすれば、あれから50年も経てば体のどこかにガタが来る年齢に達し、いつまでもForeverというわけには行かないようで…

ただ彼らが残したレコードは今尚現役、当時を10代で過ごした私のようなロックファンは彼らの功績を後世に語り継いで行く使命と言えば少々大げさではあるが、微力ではあるがこの弱小ブログでもこのバンドに関してさらなる何か発信していければと思う。

ヒープと言えば当時中坊だった私は1971年のアルバム、Look At Yourself(対自核)で彼らを初めて知る事となりケン・ヘンズレーが操るハモンドの演奏に度肝を抜かれた記憶がある。

ただアルバムを1枚選べと言われれば、過小評価された感のある1973年の Sweet Freedomも捨てがたいが、やっぱり1972年のDemons And Wizards(悪魔と魔法使い)ですかね。

(オリジナルのアートワーク)

(2018年再発盤のアートワーク)

(ロジャー・ディーンの描く宇宙)

アコースティック・ギターの演奏で静かにゆっくりと幕が開き、ミディアム・テンポのハードなTraveller In Timeに続いて駄目押しとなるアップ・テンポのEasy Livin(安息の日々)、これら3連発でもう完全に非日常的なヒープの世界に。

Demons And Wizards、ホントいいですな〜

えっ、レモンにデザート?

あんたも結構ガタきてるね〜

RIP


何を寝ぼけた事を!

2019年09月03日 | URIAH HEEP

かの天才落語家だった故枝雀師匠がよく言っていた言葉に、笑いは緊張と緩和の理論で成り立つ。 

緊張とは通常の状態ではない事で、緊張している状態においてそれを普通の状態に緩和させるオチがその後に控えていると認識した時点で笑いが起こると自分なりに解釈している。 

すなわち、ずっと緊張した状態が継続しオチが来ることを予測できなければ笑えない。 

ライブの公演でもアンコールには一般的にはよく知られた定番の曲が使われ、いざ馴染みのイントロが始まるだけでコンサート中張り詰めていた気持ちも一気に緩和され満足感を得る。 

1973年に出たユーライア・ヒープのライブ・アルバムはまさしくそれを実践しているように思えるのだが….

 

悪魔とか魔法など非日常的なテーマを陰りのあるハモンド・オルガンとこれまた明るいとは言い難い不安を醸し出すようなコーラスにバッキングされた曲が連続するセット・リストにより、観客はコンサート中ずっと緊張を強いられる。 

そこで彼らはこの緊張を緩和させるため、コンサートを締めくくりに聴き慣れたロックンロール・メドレーを演奏。 

よって気分転換が図れた観客はハッピーな気分になり家路につく。 

ヒープのファンにはこのロックンロール・メドレーがチンタラした雰囲気で、ヒープのイメージを壊すという人もいるが、寝ぼけたことを言っちゃいけない。 

彼らが目指したのはやっぱり規模の大きいアメリカのマーケットでの成功で、アメリカ受けするようなオリジナルの曲作りやアメリカ人なら誰でも知ってるロックンロール・メドレーをコンサートの締めに演奏するのは必要不可欠だったと思うのだが.... 

このライブ・アルバムのCDが1989年にアメリカのマーキュリー・レーベルから出た時、オリジナル2枚組LPの収録時間が当時のCD一枚分の許容量を超えていたため已む無くロックンロール・メドレーをカットされた。

90年代になって技術的に収録許容量を増やすことができたため、ロックンロール・メドレーが復活収録されアメリカのヒープ・ファンもさぞかし喜んだのではないかと…. 

我が家にも当時買った2枚組のLPが存在する。

 

ベース・ラインとハモンド・オルガンが印象的って言うか、ロックンロール・メドレー結構いいじゃないの。 

まあ、ヒープの売りは元々ベースとキーボードに酔っ払っていない時のボーカルぐらいだけど... 

あれ? このLPは国内盤じゃないね! 

確か、このアルバム近所の小さなレコードショップで買った記憶があるから、輸入盤じゃなかったはずだけどね〜 

通りすがりの人:何を寝ぼけた事を!遠い昔の記憶なんてあてになんかなりませんからね。 

(先代の三平師匠風に)どうもすいません〜 

三平師匠の掴みの客いじり、このお方も天才でした。


ヒープとアリス

2019年07月04日 | URIAH HEEP

もうね、俺たち教育委員会に何を言われようとドンドンやっちゃうからね〜 

と出たアルバムが、1972年のSchool's Out(学校なんて糞食らえ!)。

 

そしてさらにパワー・アップしたのが、1973年のアルバム、Billion Dollar Babies。

(ビリオン・ダラー札が入ったヘビ皮の財布を模したジャケ) 

ヒープが魔法使いとか悪魔なんかを登場させてオカルトチックな魔界ロックで北米マーケットでの成功をなんとか収めようと踠いていた頃、アメリカじゃご存知アリス・クーパー一座の破茶滅茶ロック・ショー!が大ヒット! 

札束の中に目の周りをアリスの様に黒のペイントで塗って悪魔っ子の様な裸の赤ちゃんを抱いたブッとんだジョークの様なメンバーの記念撮影。

 

Raped And Freezin’とかI Love The Deadの様なタイトルを見ただけで物議を醸しそうな楽曲群をノリの良いロックにのせて煽りまくる。 

過激かつ非現実的な世界を構築し、現実逃避とまではいかないものの日常生活でフラストレーションの溜まった若年層の連中を虜にするのには充分。 

さらにオイラ大統領になりたいって言ってるんだってば! 投票よろしくね〜

さすがエンターテイメントのお国アメリカ、見せ方がお上手。 

ヒープ:なるほど、単におどろおどろしいだけじゃダメなのね。それだとカルトなファンしかなびかないし….

(1973年、ヒープが過去に出した5枚のアルバムの集大成の的なライブ・アルバムが出た〜) 

なぁ〜んて話があったかどうか定かではないが、彼らのライブ活動にアクセントをつけるためにアメリカの聴衆を意識したロックンロール・メドレーなるものが彼らのライブに登場!

(サイドー4の4曲目に収録されている) 

当時賛否両論だったけど、ケン・ヘンズレーの操るキーボードの響きが時折ヒープらしさを醸し出し、私はこれ結構気に入っている。 

ヒープとアリス、特に両者の繋がりはないのだけれど、同時期に活動していた個性的なバンドだったと思い起こす。



ジャケを楽しむ、ヒープの場合

2019年07月03日 | URIAH HEEP

助手:レコード・アルバムの楽しみと言えば、その音楽だけではなくジャケのデザインにもありますね。 

博士:その通りじゃのう〜 

わしの場合は、単なるアーティストのポート・レートよりは、アルバムに関連してなんらかの意味が込められたイラストとかコラージュなんかに興味がいく。 

助手:今ではジャケのデザインも世界的に統一されましたが、60年から70年代にかけてアメリカ編集とヨーロッパ編集でジャケのデザインだけでなく、曲目が変わったり曲順が入れ替わったりして別のアルバムの様に見えましたね。 

博士:今回はユーライア・ヒープの初期の作品にスポットを当ててみようじゃないか。 

助手:1970年のデビュー・アルバム、Very ‘Eavy Very ‘Umble。

これって、Hが省略されていて、Very Heavy Very Humbleと読むんでしたっけ。 

博士:とてもヘビーで、とても地味ってタイトル、まあ地味っていうよりはサウンドは簡素つまりシンプルって感じかのう〜

 

英盤のジャケは、廃墟になった洋館を探索していて、ふと気になった物置の扉を開けると、デタッ〜!

当時英盤はフィリップス・レーベルの参加だったヴァーティゴ・レーベルから発売され、例の眩暈(Vertigo)のレーベルで有名

 

マーキューリー・レーベルから発売された米盤のジャケは、ウィングのついたムカデの化け物が描かれている!これはちょいとひどいかも。 

レコード・ショップでムカデの化け物のジャケのレコードを買うにはかなり躊躇すると思うのだが…

個人的にはどっちもどっちではあるが強いて言えば蜘蛛の巣男デタッ〜!の方がまだマシの様な気持ちも…


助手:1971年のセカンド・アルバム、Salisbury。 

博士:Sailsbury と言えば、ロンドンから西に200キロの田舎町。16分強にも及ぶプログレ大作(途中でジャージな演奏が登場)のタイトル・チューン、Salisburyが収録されておるのう〜

 

英盤のジャケは、タミヤの1/35スケールのミリタリー・キットのお世話になった者であれば一目でピンとくる、英陸軍所属のチーフテン戦車!なんでもSalisbury郊外に基地があるらしい。

 

米盤のジャケは、これまたひどい! 真っ赤な背景に不気味なエイリアンらしきイラストが。

ウィングのついたムカデの化け物もひどかったが、このイラストもヒープのイメージを変な方向に貶めた様な….

当時、ヒープはアメリカ・マーケットで色物扱いされていたと勘繰りたくなる。 


助手:1971年のサード・アルバム、Look At Yourself。 

博士:アメリカ人もようやく気がついたのか、ヒープのイメージの統一を図ることになるのう。

 

英盤のジャケは、青い縁取りの壁掛け鏡。その上に2つの瞳がこちらを睨みつける。

 

米盤のジャケは、ドレッサーの上に置く様な角度の調節できる回転式鏡。その上に2つの瞳がこちらを睨みつける。 


助手:ようやくここに来て、アメリカのマーケットがヒープを真面目に取り上げようとしたのですかね? 翌年の次作、Demons & Wizardsではロジャー・ディーン作の同じジャケ・デザイン採用となりましたからね。

 

博士:これでわしも安心した。何しろ、アメリカ公演で前座のヒープが当時イギリスでは無敵のT.Rex喰っちまったからのう〜

(記事では、もっとヒープをと叫ぶ観衆のチャントに、T.Rexは二度とヒープとの公演は一緒に行わないと言ったとか)


めでたし、めでたしと昔話を思い出したみたいで...


俺は俺、ケン・ヘンズレー

2018年08月31日 | URIAH HEEP
もう一枚我が家には ドイツのリイシュー・レーベル、Repertoire Records から1992年に再発されたCDがある。マイナーなアルバム故、2000年以降までは再発されなかったように記憶している 。

1973年ユーライア・ヒープのキーボード・プレイヤー、ケン・ヘンズレーのソロ・アルバム、Proud Words On A Dusty Shelf (邦題は“誇り高き言霊”で結構秀逸な邦題だと思う)。




ちょうど、ヒープの5枚目のスタジオ・アルバム、Magician’s Birthdayと同時期に制作された。ケンが時折披露する美しいピアノ・バラード系のRainが両方のアルバムに収録。

助っ人は、ヒープからドラムスのリー・カースレークとベースのゲーリー・セイン、それにセッション・ベース・プレーヤーは一名、 残りの ボーカルとキーボードやギターの演奏はケンが担当するこぢんまりした編成だった。

アレンジは、ヒープでは前面に出てくるB3ハモンドの音色も控えめで全体的にスリックなプロダクションとなっている。

また最後の曲、The Last Timeにはスティール・ギターが登場するカントリー調の曲で、ヒープのイメージとは大きくかけ離れている。

ヒープはヒープ、俺は俺って感じかな?

いゃ〜 ロックって本当にいろいろあるもんですね〜