CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

いつものハード・ロック

2024年10月20日 | American Hard Rock

60年代末から70年代にかけてツェッペリン、パープルやその他諸々の英ハード・ロック・バンドが台頭し少々押され気味だったアメリカン・バンドではあったが、その中で持ち前のハードなサウンドで気を吐いたのはグランド・ファンク・レイルロード。

1971年の5枚目のスタジオ・アルバムはE Pluribus Funkも米チャーチ5位まで上り詰める大ヒット。

ちなみにE Pluribus Unum(イー・プルリブス・ウーヌム)とはラテン語で“多数からひとつ”という意味で17世紀に制定されたアメリカ合衆国のモットーで、鷲がそのモットーが書かれた布を加えている図柄が国の認証とかコインのデザインに使用されているいて、のはよく知られているところ。 それを文字ってアルバム・タイトルをE Pluribus Funkとした。日本盤の邦題はそのような面倒な説明を避けるためか、2曲目に収録されているPeople,Let’s Stop The War、すなわち“戦争をやめよう”となった。 

(1971年プレス、米盤。シルバー・コインを模した変形ジャケ。そう、俺たちがアメリカ代表のハードロック・バンド!)

今回はカバー曲がない全曲マーク・ファーナーのオリジナルと結構制作のハードルが高かったものの、基本的にはトリオ編成のユニットでいつもながら愚直でシンプルなハード・ロックをわずか1週間程度で録音を完了させる離れ業をやってのけている。 

60年代半ば、ニューヨック・メッツのかっての本拠地シェア・スタジアムでビートルズが行ったコンサートにおける観客動員数の記録を上回るノリに乗った彼ら。

ライブに於いて観客を一気に乗せる技はシルバーでなくまさしくゴールド・コイン。

 


ジャーニー最終形態

2024年08月31日 | American Hard Rock

デビューはインスト・プログレ系で出発したジャーニーもメンバー・チェンジを繰り返し、ボーカルにスティーブ・ペリーが加入するとハードでキャッチーなメロディーで勝負するようになりポップ度に磨きがかかり人気も急上昇。

そしてキーボードに元サンタナ・バンドのグレッグ・ローリーに変わって最終ピースとも言えるジョナサン・ケインが加入したことによってジャーニーの最終形態がここに完成。

1981年の7枚目のスタジオ・アルバム、Escapeは発売すると直ぐに全米1位となりマルチ・ミリオンのセールスを達成しプラチナ・ディスクに輝くことに。

このアルバムは80年代の幕開けを象徴するようなポジティブな雰囲気を持つアルバムだった。

混沌とした70年代後半のディスコやパンク・ブームも去って、ロックもようやく新たな時代へと突入。80年代は誰もがメロディアスなロックをもっと楽しく味わうようになっていった。

ただあまりに世の中の動向を楽観視し背後でバブルがゆっくりと成長しコントロール出来ない大きさになっていく事態を誰しもまだまだ大丈夫って過信していた。

とは言え、個人的にはバブルが弾けるまでは本当に楽しかった80年代だった。


パリス、誰それ? ヒルトン?

2024年06月20日 | American Hard Rock

知っている人は知ってる。知らない人は、誰それ?

当時、なぬ~ 第二のZepか?って局地的に噂に登ったハードロック・バンド、パリス。

1974年、フリートウッド・マックを脱退したギタリストのボブ・ウェルチが元ジェスロタルのベーシスト、グレン・コーニックと元ナッズのドラマー、トム・ムーニーらとまさかのハードロック・トリオを結成。

そして1976年についにセルフ・タイトルのアルバムParisが完成。

当時70年代初期隆盛を誇ったハードロックも下火となりディスコやパンクがこの世の春を楽しんでいて流石のオイラもちょっとがっくりしていた頃、“ボブ・ウェルチ、よくやってくれた!”と普段涙を見せぬオイラも感涙に咽ぶ事に…

まあ、オイラを含む日本のロック・ファンには多少受けたかも知れないが、英米ではチャート・インすることもなく、同年矢継ぎ早に出したセカンド・アルバムも全く噂にも登らないほどの惨憺たるセールスに終わりバンドは解散。

ただボブ・ウェルチがパリスのサード・アルバムとして準備していたプロジェクトが翌年ポップなソロ・アルバム、French Kissとして生まれ変わり全米12位の大ヒットとなった。

ポップさに磨きがかかったとは言え芸風はそんなに変わらないのに、世の中本当に解らないものだ。


ゴジラー1.0

2024年05月03日 | American Hard Rock

ゴールデン・ウィーク後半戦に突入するも自宅警備員の仕事に邁進する相変わらずなしけたオイラ。

室内でずっと燻ってちゃいけないと思うも、暇つぶしにアマゾン・プライム・ビデオでもとついPCのスイッチをオン。某企業のセールス・プロモーションでアマゾン・プライムの年間会員の特典をもらっちゃったので結構利用している。

でっ、なんとあのゴジラー1.0がプライム・ビデオもう登場。

いゃ~、アカデミー賞を受賞したVFX凄かったです。

ハリウッドみたいにお金を湯水のように投入し時間を掛ければかなりのものが出来るらしいが、限りのある日本映画の予算内であのクオリティーはすんばらし~

てな事で無性に聴きたくなったのがブルー・オイスター・カルトの通算6枚目のアルバム、1977年発売されたSPECTRES(スペクター)。

チャート・アクションは前作、Agent Of Fortune (ビルボード全米32位)を上回ることは出来なかったが、作風はハードの中にポップさが溢れる前作の延長で手堅くまとめられている。

そのアルバムの中で1曲目のシングル・カットされたGozillaがやっぱり印象的。

特に間奏での、“臨時ニュース申し上げます。”、“ゴジラ が銀座の方に向かってます。”とか、“大至急避難してください。” などアメリカ訛りの日本語でのアナウンスが入っている事や、ゴジラが街を破壊する様子が歌われ、“歴史は繰り返す。いかに自然(ゴジラ)が人類の愚かさを際立たせのか?”と教訓めいた言葉で締めくくられていて旧作ゴジラをかなりリスペクトしているところが伺える。

ゴジラって海外の人が認識できる有名な日本語の一つとなっていて、幼少の頃から親に連れられて映画館で初期のゴジラ・シリーズをオン・タイムで見てきた者からすれば今回のアカデミー賞獲得は誇らしくも感じる。


今宵もハード・ロックで、その2

2024年04月23日 | American Hard Rock

マウンテンを聴けばやっぱりグランド・ファンクも登場してもらわないと片手落ち。

本日はグランド・ファンク・レイルロードの1969年に出たセカンド・アルバム、Grand Funkからシングル・カットされた英バンドのアニマルズのカバー、Inside Looking Outでも。

このシングルはイギリスのキャピトルがカットしたもので、アメリカ以外の欧州各国や日本などで発売された。

このシングル何がすごいって、曲の長さが何と9分半超え(B面のParanoidも8分弱の長尺曲)で盤の回転スピードは33-1/3と当時日本で流行った4曲入りコンパクト盤と同じ設定なのにお値段は通常のシングル盤と同じというなんだか得した気分になる優れものの仕様。

(G.F.R.故に成しえる画期的長時間シングル33回転、実に9分37秒!!てなキャッチ・コピーが泣けるね。)

(東芝EMI/オレンジ・キャピトル製なので1973ー4年頃の再発盤だと思う。)

ちなみにレーベルの縁ギリギリまで攻めたカッティングのため、ターン・テーブルのオート・リフターをオンに設定すると最後まで聴けずにアームがポップ・アップする難儀な仕様でもある。

グランド・ファンクの魅力は長尺曲にあり!って感じのシングル盤ですね。

 


今宵もハード・ロックで

2024年04月22日 | American Hard Rock

60年代末頃と言えば、ハード・ロックのジャンルではクリームやツェッペリンなど英国勢が隆盛を誇っていた。

それに対するアメリカからの回答がグランド・ファンクやマウンテンだった。てな事で本日はマウンテンでも。

1969年、クリームのプロデューサーだったフェリックス・パパラルディがギタリストのレスリー・ウエストのソロ・デビューのプロデューサー且つ演奏者としてアルバムを制作。ライブ活動を経て、フェリックスとレスリーがタッグを組んで4人編成のバンド・プロジェクトに昇格しマウンテンがここに誕生。

翌年にアルバム、Climbing!が完成しアルバムは全米17位を記録し、シングル・カットされた彼らの定番、ミシシッピ・クイーンも21位とヒットした。ただ単に押しのハード・ロックだけでなくアコギにサイケデリックそしてメロディアスなFor Yasgur’s Farmなど結構バラエティーに富んでいる。

いいと思います。

 


ギター・ロック・バンド、その2

2024年04月04日 | American Hard Rock

ギター中心のロック・バンドでもイギリスとアメリカでは芸風が大いに異なる。

能天気などと形容する怒られるかもしれないが、細かいことは気にせず明るくガンガンとノリの良いギター・リフを弾きまくり、爽快感が漂うアメリカン・ロック。

本日は1973年のモントローズのデビュー・アルバム、Montrose(ハード⭐︎ショック!)でも。

ロニー・モントローズのハードなギターと後にヴァン・ヘイレンの2代目ボーカルとなるサミー・ヘイガーのパワフルな歌いっぷりが売り。

これ聴きゃ、嫌なこと忘れてすっきりしますよ。


Fandangoで行こう!

2024年04月01日 | American Hard Rock

1973年の前作、Tre Hombresの全米8位と大ヒットを受けて1975年に地位固めと言える4作目のアルバム、Fandango!を出したZ Z Top。

このアルバムも全米10位と大ヒットしテキサスのローカル・バンドから全国区へと。

ライブ録音とスタジオ録音が片面づつ半々の変則アルバムではあるが、売りはやっぱり彼らの熱狂的なライブの触りをぜひ味わってもらおうって意図ですかね。

今日から4月。気温も上がって春真っ盛り。

ワイルドになったオイラはストレートで泥臭いテキサン・ロックでFandango(馬鹿騒ぎ)!


ワイルドで行こう!

2024年03月31日 | American Hard Rock

On Your Feet~ (立ち上がれ!)

Or On Your Knees~ (さもなくは、跪け~)

Here! They are amazing Blue Oyster Cult! (我等が教祖様、ブルー・オイスター・カルトの御成りじゃ~)

(BOCの1975年の4枚目のアルバム、On Your Feet Or On Your Knees は2枚組ライブ盤。全米22位を記録しついにアンダー・グラウンドの境を越えて地上に降臨!)

(ベースを含めた5本のギターでステージ狭しと大暴れ!)

ニューヨーク・パンクの女王と呼称される直前のパティ・スミスによる芝居がかったMCに続き、バンドの定番中の定番のナンバー、Bone to Be Wildが演奏され魔界の集会は盛り上がり頂点に達する。

本家のステッペン・ウルフを凌駕する迫力かつスピード感溢れる演奏。

ここのところ気温も上がり春めいてきた。

そろそろギアをシフトしてアゲアゲで行こうじゃないの。

いつの間にかオジンになってしまったけれど、ワイルドに生まれ変わり、硬派として生きていくのじゃ~!


クラシック・ロック・フロム・カナダ

2024年03月28日 | American Hard Rock

カナダにもたくさんの著名ミュージシャンがいるけれど、人口の少ないローカルのマーケットだけじゃ大きな成功は望めない。

古くはニール・ヤング、ジョニ・ミッチェルやゴードン・ライトフットらがアメリカに進出し大きな人気を得た。

ゲス・フーも同様にアメリカのマーケットでブレークしたカナディアン・ロック・バンドのひとつである。

60年代中頃にメンバーが固まり活動していたが1968年にアメリカ大手のRCAと契約を交わしたことでより知られるようになった。

メンバーの中核をなすのはバートン・カミングスと後にBTOを結成するランディ・バックマンのソング・ライター・チームであり、1970年に出したAmerican Womanが大ヒット。ただこの後ランディーがバンドから抜け人気も下降気味となり1975年バンドは解散。

その彼らの最も成功を収めた1968年から1970年の頃の活動を切り取ったのが1971年のコンピ・アルバム、Best Of The Guess Who。

日本ではシングル・ヒットしたAmerican Womanぐらいでそれほど知名度も高くないのだが、このベストものを聴けばそれまでの印象はガラッと変わるのではないかと。


シンプル・イズ・ベスト

2024年03月26日 | American Hard Rock

レッド・ツェッペリンのアメリカ公演の前座を務めたグランド・ファンク・レイルロードがツェッペリンを食ってしまったなんて話がライナー・ノートに書いてある。

やっぱりアメリカの聴衆は不要な飾りを省いた明快さをハード・ロックに求めるのだろうか?

グランド・ファンク・レイルロードのレッド・アルバムとも呼ばれる1969年のセカンド・アルバム、Grand Funkはまさにその求められているものをしっかり表現していた事がバンドの成功に繋がった。

シンプルでハードなインプロヴィゼーションに時折サイケデリックな香りも漂い60年代末という時代を感じさせてくれる。

オレンジ・キャピトル・レーベルの1978年の再発国内盤。


BTO

2024年01月22日 | American Hard Rock

カナディアン・ロック・バンドのゲス・フーを脱退したランディー・バックマンが自身の兄弟とC.F.ターナーらと共に1973年に結成したのがバックマン・ターナー・オーバードライブ。

同年末には早くも彼らのセカンド・アルバム、IIが登場し全米4位と大ブレーク。

アルバムは基本2本のエレキ・ギターを中心にカラッとしたハードロック・サウンドが続くも、一本調子な雰囲気を変えるためなのかフロントの3人が曲ごとにボーカルを交互にとり、また軽いラテン・タッチの演奏を曲間に挟む事によってちょっぴりリラックスさせるアクセントとなっている。

豪快でスッキリさせるサウンドで個人的には大好きなバンドであるが、今やこの手の音を出すバンドって全く見かけないね。


明るいカルト集団

2024年01月07日 | American Hard Rock

60年代後半に前身バンドが結成され活動を続け、1972年にコロンビア・レーベルからブルー・オイスター・カルトとしてデビュー。

本日はその彼らの1973年のセカンド・アルバム、Tyranny and Mvtation(Mutation)でも。

特徴としてはアップ・テンポの曲に速弾きのギターが絡む芸風のハード・ロックで、元祖ヘビメタ・バンドの一つに数えられる。

当時アメリカのブラック・サバスとして売り出されたみたいだが、英国独特の翳りのあるウエットな雰囲気やおどろおどろしさを感じさせなく、アメリカン・バンドらしいカラッとしたハードなサウンドが売りだと思う。


マウンテン3

2023年12月25日 | American Hard Rock

1971年と言えばハード・ロック・ファンにとっては前年に続いてレコード豊作の年だった。

先日のグランド・ファンクのSurvivalだけでなく、すぐに思いつくだけでもツェッペリンのIV、フーのWho’s Next、ユーライア・ヒープのLook At Yourself、ディープ・パープルのFire Ballにウィシュボーン・アッシュのPilgrimageなどなど。

ガキの小遣いだけではとてもじゃないけれど一式揃えることは出来ない。当時買いそびれたレコードは働き始めてからぼちぼち集め出す事に。

そう言えばこのアルバムも買いそびれたうちの一つ。

アメリカのハード・ロック・バンド、マウンテンの1971年の実質的なセカンド・アルバム(レスリーのソロ・アルバムをカウントすれば通算3枚目となる)Nantucket Sleighride。

Travelin’ In The Dark(暗黒への旅路)のイントロは全日本ハード・ロック協会の初級検定イントロ・クイズに出してもいいぐらい印象的(もし存在するなら)。

ただこのアルバム当時買いそびれてしまって、その後忘却の彼方へと。

ところが2008年にソニーから紙ジャケ仕様のリマスターCDが出たので購入。

 


8月のジングル・ベル

2023年12月24日 | American Hard Rock

そう言えば今日はクリスマス・イブ。

オイラもマウンテンがらみでクリスマス・ソングでも。

マウンテンがクリスマス・ソング?

1974年マウンテン再結成でのライブ・アルバム、Twin Peaks(異邦の薫り)で確かに。

4曲目のレスリー・ウエストによるギター・ソロでトラックの最後の方でジングル・ベルが...

この公演確か1973年8月の日本公演だったのに何故かジングル・ベル?