世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった ~カウラ捕虜収容所からの大脱走~」

2008年07月08日 | Weblog
かつて第二次世界大戦で兵役についていた朝倉憲一(山努)は、孫娘・舞(加藤あい)に連れられ、オーストラリア・シドニーの西320kmにあるカウラ(Cowra)という小さな町にたどり着いた。
事情を何も知らない舞は、憲一が何故今ここに来たのか、何をしに来たのかわからないまま、目の前に広がる何もない荒涼とした大地に呆然とする。
憲一は“ある想い”を胸にこの地にやってきたのだった。その昔、自分が”捕虜”として過ごした地、カウラに。

64年前、ここで起きた出来事。そして、届けられなかった戦友の想い――

――昭和19年1月。 夏九八五三部隊に所属する兵長の朝倉憲一(小泉孝太郎)は、上官の嘉納二郎伍長(大泉洋)と共にニューブリテン島で連合国軍と戦っていた。
悪化する戦況。食料も尽き、仲間ともはぐれ、何十日もひたすら逃げ続けることしか出来なかった2人の前に、ある日、連合国軍の海兵隊が現れる。
ついに、ここで殺されてしまうのか。
それとも捕虜となり辱めを受けるのか――
当時、日本政府は日本兵の捕虜は存在しないと公表していた。捕虜になることは“戦死”つまり、“死”として家族にも伝えられていた。
「生きて虜囚の辱めを受けず。死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」
――叩き込まれた「戦陣訓」が憲一の頭をよぎる。これからどんな苦難が待ち受けているのか、どんな残酷な方法で処刑されるのか。いっそ殺してくれ、と懇願する憲一だったが、その願いは聞き入れられないままオーストラリアへと連行されてしまう。
そうしてたどり着いたカウラ第12捕虜収容所で、憲一は“思いもよらない光景”を目の当たりにする。
野球、麻雀、花札をはじめとする遊びに興じる日本人捕虜たち。十分な食事、そして十分すぎる自由。
捕虜に身をやつす自分が、この体たらくで良いのか。生き恥をさらしながらもおめおめと生きていていいのか、それとも潔く自決すべきなのか――答えのない自問を繰り返す憲一だったが、数ヶ月前までの激戦が嘘のように、ただただ、のどかな時間が流れていくのだった。

ところが、ある日、黒木(阿部サダヲ)という軍曹たちが新たに捕虜としてやってくる。
「生きて虜囚の辱めを受けず。死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」
――平和な日々の中で憲一たちが忘れかけていた、あの「戦陣訓」を声高に叫ぶ黒木たち。
自分は今、何をすべきなのか?
それまでの安穏とした日々が少しずつ、変わっていく。
そして、1944年8月のある満月の夜――(番組HPより)




死への突撃。
次々に銃で打たれて倒れる人々を見ながら、涙が止まらなかった。

今まで大泉洋という人については興味がなかった。
「生きていればいいことあるよ!生きようよ!」
と、いち早く帝国軍人モードから抜け出してそう言い放つ二郎役の大泉洋。快活な様子がとても魅力的だった。
毎日、届くはずもない手紙を愛する妻へしたため、人として生きることを望んでいた二郎。
およそ64年前、そのような「生を望む」という思想は非難される時代だった。だから二郎の言動はさぞかし勇気のいったことだっただろうと思う。
突撃の賛否、彼は班の中で唯一「×」をつけた。
トイレットペーパーで生死の賛否を問うっていうシチュエーションがかなり悲しい。

次郎とは対照的だったのが軍曹役の阿部サダヲ。
「きっさ~ま!」
と白目を剥く帝国軍人を見事に演じていた。エキセントリックな様子が怖くて、今夜、夢に出てきそうだ…。


寝食に不自由がなく、しかも強制労働もない捕虜生活。
麻雀、喫煙、飲酒、野球、…塀の中では何をしても自由。

「なのになんで?わざわざ大脱走?」
と、どうしても思ってしまう。

たぶん、30歳の私ぐらいの年齢が、「どうして?」と思いつつも、軍陣訓に縛られた当時の日本兵の思いを汲み取れるギリギリの年齢だと思う。
自分の命をあっさりと日本に捧げる意識というものは、でも、やはり理解できない。

しかし、突撃した人の、「日本にいる愛する人を守りたい」、または「立派な戦死」を成し遂げたいという思いは絶対にバカにしてはならないと思うし、心の中で静かに受け止めなければならないことだと思う。


改めて、平和な世の中に生まれてきて良かった。




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あやみ母子、我が実家に来るの巻

2008年07月08日 | Weblog
中学時代からの友達、あやみちゃんと娘さん(もうすぐ二歳)が我が実家に来たらしい。

あやみちゃんから、たくさんのメロンをいただいたらしく…恐縮。

あやみちゃんの娘さんと最初に会ったのは、彼女がまだお腹の中にいるときだった。
あの命がすくすくと育っている…母から送られた写メを眺めながら…嗚呼、生命の神秘を感じてしまった。

「娘さん、すっごくいい子だった。あやみちゃんもちゃんとお母さんしていた」
と、我が家の母もしきりに喜んでいた。

娘さんは庭の池で泳ぐ金魚に餌付けをして楽しんだそうだ。

その様子を妄想し、心が和んだ。

あやみちゃんと娘さん。よかったらまた来てくださいな。
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クマ石

2008年07月08日 | Weblog
「クマ医師」ではなくて、「クマ石」


後輩男子と一緒に退社。
途中、墓石屋さんを通りかかったとき、クマ石を教えてくれた。

親子シロクマが、写真家・星野道夫さんの写真に似たポーズで佇んでいた。

可愛い!
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