世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

2009年07月11日 22時27分33秒 | Weblog
絵画を観て泣きそうになったのは、いつ以来だろうか。
今日は久々に、そのような気持ちになった。

ゴーギャン展
@東京国立近代美術館

ゴーギャンっていったら、ゴッホのお友達だった人でしょ?
そんな知識しか持ち合わせていなかった。
しかし、彼が元証券マンだったことを知り、彼についての興味が湧いた。
脱サラして画家になり、家族を捨ててタヒチへ。
そんな彼の、孤高の自分探し。

どうしても観たかった絵がこちら。
日本初公開だそうだ。

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」


人生を画面右側から左側の流れで表現。
右端の赤子(生)、
禁断の果実を取る女性(人生における誘惑の象徴)、
果実を貪る子供、
そして左端で蹲る、死を悟った老婆(死)。

右手後方の洞窟内にいる女性二人は、陰鬱な描写がなされている。
これは西欧文明(二人が着用している服=文明)での苦悩を象徴し、手前で素肌を見せて楽しげにお話をしている女性たちと対比させている。
そんな「生」を見守る、後方に佇む石像。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

この哲学的をもいえるゴーギャンの問い掛けに、暫し、考え込んでしまった。
でも分からない。

どこから来たのかも、
自分が何者なのかも、
どこへ行くのかも、
分からない。

だからこの絵に引き込まれるんだと思う。
とても大きな絵で、この絵だけのために一室が設けられていた。
全体の青が女性たちの肌の色を引き立たせていて、とても印象的だった。
帰宅してからもこの絵のことばかりを考えてしまう。
余韻強すぎ。

ゴーギャンはタヒチに渡り、数々の絵画を残した。
力強いタッチの絵からは南国の熱気までも伝わってきそうだった。

「野性」を追い求めたゴーギャンの芸術に触れ、
私の中の「野性」が芽生そう。



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