世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

歯軋りの日々

2014年03月11日 | Weblog
今週一週間、パートさんは有給休暇を取り、会社には来ない。
再来週、3日ほど来て、退職する。
私は制服の管理や出し入れ業務を彼女から引き継ぐわけだが、マニュアル書などは存在していない。
体で覚えるとか、職人技じゃねーか!?

それらの業務を、昨日から見よう見まねでやっているのだが、けっこう大変だ。
もう少し落ち着いたら、もっと効率的にできそうな部分にメスを入れられそうだが、今の時点では彼女の方法を行うのに必死である。
自分の従来の業務、人事部からの依頼、その他でパンク状態なのに、大きな仕事を与えられ、心身ともに死にそうである。
来週後半から新卒研修、制服の試着会、制服の手配もあるので、前代未聞のパニックが起こる模様・・・。


今朝、吉熊上司が、○○さん(私)に仕事をあまり振らないでと他の偉い人に言ってくれたそうで、だいぶ気持ちが軽くなった。

「そんな大したことしていないんじゃん」
と言われそうだが、ちりも積もれば・・・という言葉とおり、けっこう大変なのである。

よく残業をしていると社長に
「何してるんですか」
「急がないのであれば明日で良いですよ」
と言われる(私だけ)。

しかし、明日に伸ばした仕事は消えることなく引き続き存在するわけで。
明日は明日の仕事をしながら昨日残した仕事もしなければならないので・・・要するに雪だるま式になるんである。
そういうことを分かって言っているのだろうかと強い憤りを感じ、歯をギリギリとかみ締める毎日である。イライラする。



今日は必死で仕事を終え、歯医者に行く気満々であった。
ここ最近、体調が悪いと歯肉がムズムズするんである。
ムヒをすり込みたくなるぐらいのムズムズである。痛くはないのだが、気になって仕事に集中できない。
「歯肉 痒い」などという言葉でググったら、疲れると歯石がたまった歯肉に炎症がでることもあるらしい。

今まで行っていた歯医者さんの請求がだいぶ高額だということに気づき、もっと庶民的な歯医者を探していた。
会社近くの歯医者さんで庶民的な歯医者がヒット。

本日18:30で予約をしたのだが、17:55から打ち合わせが入り、打ち合わせの後、少し遅れる旨を歯医者に電話で告げた。
そしたら受付のおばちゃんの態度が超ウルトラ悪くて、行く気が失せた。メンタル大打撃である。
でも歯が痒いのも耐え難いので、ムスッとした面持ちで歯医者に向かった。イライラ。

私だって予約した時間に伺いたかったよ!!
でもさー仕方がないじゃないか。17:55に打ち合わせが入っちゃったんだから!!
きぃぃぃぃ!!!!

ムスっとしたまま保険証を受付に渡し、渡された用紙に症状を書く。
ムスっとしたまま促された椅子に座る。

人の気配を感じたので、振り向くと歯医者さんがいた。

げ!
びっくりしたー。
どんだけ気配消してるんだよ。


歯医者さんは「ずっとあなたが好きだった」の冬彦さんに激似で、風貌的に大超ヒット!!
よく分からないのだが、腕もいいんじゃないか。

ただ彼、声が小さいのである。
致命傷といってもいい。コミュニケーションが成立しない歯医者なんて今まで通院したことない。困るー。

私の口の中をいじくりながら彼は何かを言っているのだが、機械音もあってかほとんど聞こえない。
最初は聞き取ろうと必死だったのだが、面倒になり適当に「あい(はい)」とか言っておいた。

聞き取れた彼の話によると、どうやら、やはり歯石が悪さをしているらしい。
「歯磨きを丁寧にすることと、疲れない生活をしましょう」
と言われた。
そんな生活、可能なのだろうか。謎。
少なくとも今の私にはそんなもの、ない。

また歯磨きをする際にゴシゴシと洗うのもよくないらしく、歯肉が磨り減っていることを指摘された。
歯石とヤニを綺麗さっぱりと取ってもらった。これで大笑いができる。


さて、明日からまた残業が続く模様。歯軋りの日々。
できるだけストレスがないように生きたい。

頑張ろう。



忘れられないブログ

2014年03月11日 | Weblog
もし、私が死んだら、このブログはどうなるのだろうか。
たまにそんなことを考える。
おそらく、ずっとこのままネットの世界を漂うのだろうか。更新されることもなく。


東日本大震災の後、更新が途絶えたブログで忘れられないものがある。


ウェルシュコーギーがきた
http://ameblo.jp/x68030xvi/

飼い主いっしさんとコーギーの子犬こーちゃんのブログだ。
いっしさんは3月11日の石巻市で、小さいこーちゃんを抱いて避難する途中、津波に巻き込まれて還らぬ人となった。

このブログを知ったのは震災後だが、「死」と「ブログ」を思い出すとき、アクセスしてしまう。

いっしさんが撮った写真の一枚一枚が、こーちゃんへの優しいまなざしと重なる。
どうか天国でいっしさんとこーちゃんが笑顔でいられますように。
そう祈る。

そして、飼い犬に愛情を注いでいた「日常」の中に、死はまるで落とし穴のように存在している・・・そう強く実感する。

あの日、亡くなった多くの方がそうだったに違いない。
死とは無縁の、・・・無縁と思っていた日常が、津波により一瞬でさらわれる残酷さ。

命って、本当に尊いものだと深く思う。



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あの日

2014年03月11日 | Weblog
あの日から3年。
東日本大震災から今日で3年が経過した。
早いような遅いような。複雑な気持ちだ。


あの日、私は一人で東京国際フォーラムで開催されていた東証IRフェスタに行った。
「あー、帰社してレポート書かなければなあ」
など思いながら歩いていた。
有楽町駅に向かっていたとき、2:46・・・頭上のビルのガラスが一斉に揺れた。
ガタガタ・・・ガタガタガタガタッ・・・。
何これ地震?マジ?
立っていられないという揺れをはじめて経験した。
周囲の人も立ち止まって辺りを見渡していた。

ガラスの音は次第に大きくなっていく。
あーあーあーあーあー!!!!!!
このガラスが割れたら、私に刺さるじゃん!!
でも・・・逃げたいのに逃げられない。腰が抜けてしまったのだ。

揺れがおさまり、とりあえず有楽町駅に向かうも、予想通り、電車は止まっていた。
携帯電話が使えないので、インズの公衆電話で会社に連絡をしなければと思う。
公衆電話は大行列ができていた。
大通りをサイレンを鳴らしながら消防車が過ぎていく。
余震のたびに、「今、揺れていますよね」と見知らぬ人と確かめ合う。

電話はパートさんが取った。
他の社員は地震後、店舗に出払ったもよう。
「とにかく身の安全を確保して」
とパートさんに言われ、電話を切った。


これは暫く帰れないなと思った私は、座れる場所を探して徘徊したが、どこも閉まっていた。
16:00頃、辛うじて空いている店でラーメンを食べた。別にお腹は空いていなかったのだが「長期戦になる。何か食べておかないと」と本能が私に訴えていた。

銀座は人で溢れていた。食糧確保をするべく銀座小劇場の近くのコンビニへ行ってみたが、食料はほとんど売れてしまった。タバコ2箱とお茶とうまい坊本を買って、再び徘徊。
吉熊上司の携帯にようやく電話がつながった。
「今日は無事に帰れることだけを考えろ」
とのこと。

交通会館へ行き、皆がそうしているように、私も地面に座り込む。
難民。
そう、あの日私は確かに難民だった。
帰宅難民なんていう言葉は知らなかったが、ビル内で座り込む人たちを見て、「難民」という言葉が私の頭にひらめいた。


18時。空いているルノアールを発見。とりあえず一服。
そして、徘徊中にもらった号外を読む。
ことの大きさを知る。東北で何か大変なことが起こっているらしい。
そして、どうやって帰ろうか考えていた。

19:30、ルノアールから追い出される。
再び徘徊。ビックカメラで携帯電話の充電をしてもらう。

多くの会社員と思しき人々が、それぞれの家と思しき方向に歩いていた。
いいな、歩いて帰れるだなんて。
私も歩いて帰ろうかと一瞬思ったのだが、体力的に無理であるし、第一方向音痴じゃないか。却下。


もう一度、国際フォーラムに行ってみようとなぜだか思い、行ってみると、IRフェスタの隣の部屋が避難所になっていた。
とりあえず暖かい。
「避難所はこちらですよ。奥から座ってください」
という誘導に従い、入場。

室内には私のような帰宅難民で溢れていた。

IRフェスタでもらった新聞を尻に敷き、体育座りをした。
足ががくがくだった。
いつ帰れるのかわからないが、「なんとかなるべ」と思い、ブログ更新、読書などをしていた。

余震のたびに、室内は皆の驚く声がこだました。

隣に不安げな表情で座っているのは学生服を着た青年。
彼は千葉県に帰りたいと言っていた。
余っている新聞紙を彼に分け、「お互い帰れると良いですね」などと話した。

22時、アナウンスが、地下鉄が動き出したことを告げた。
脳内に描いた拙い路線図・・・あ、私、帰れるかも・・・家から2番目に近い地下鉄の駅に。
新聞紙を高校生にあげ、私は地下鉄の駅に向かった。

途中、耳が不自由な方に避難所の場所を訊かれ、案内をした。
筆談というものを初めてした。

地下鉄の駅に着いたが、構内は人で溢れかえっていた。
沈没前のタイタニック状態である。
ローズにはジャックがいたが、私は私しか頼れないことを強く実感し、すし詰め状態の電車に身をねじり込んだ。

23時半、目的の駅に到着。
0時、帰宅。
汚い部屋がもっと汚くなっていた。
埃っぽい中、吉熊を抱きしめ「怖かったね、ごめんね」と声をかけた。
お湯が出ないので、東京ガスのHPを確認すると、安全装置が作動したことを知った。
でも風呂に入る気にもなれず、余震の中、そのまま寝た。


あの日のこと。
ざっと思い出すとこんな感じだ。

記憶の輪郭が淡くなっていることに、3年の月日を思う。


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