ネットで広がる“論争”には、時折ものすごく驚かされることがあります。
“へぇ~~”とかいう驚きではなく、“は…?”という驚き…。
この“ごちそうさま論争”もそのひとつでした。
外食をした後、お店の人に“ごちそうまでした”というのは間違っているとか、言う必要ないとか、言う人は貧乏人とか恥ずかしいとか…。
いやぁ…驚きです。
そういう思考の人が、“言う必要ない”という事を“常識”と思っているという事に。
いや別にね、“言う必要”はないですよ。
でも、言う人の事を恥ずかしいってどういう事…?
意味が分からん…。
お金を払っているから“ごちそうさまでした”と言う必要はない、というのが主な理由みたいですけど、その考えって“お客様は神様です” “お金を払えば何をしてもいい” という考えにつながっているような気がします。
接客業が嫌だという人が増えているのは、そういう考えの客が増えたからだと思います。
そういう人と付き合ったり結婚したりしてもそう。
“自分の方が稼いでいるんだから”
“稼いでない奴が家事育児をするのは当たり前だ”
“オレ(私)が稼いできた金だから、相手が作ったものを食べる時に“いただきます”や“ごちそうさま”って言う必要なんかないだろ”
──などなど、誰かが何かをしてくれたことに対する“感謝”の気持ちも“労う”気持ちも持たない。
そんな家庭で育った人は、また同じ考えの人間になるんですよ。
子供が同乗している車から、運転席側の窓からごみを捨てるとか…そんな家庭で育った人がポイ捨てに罪悪感を抱くわけがない。
“ごちそうさま”を絶対に言う必要があるわけじゃないですけど、“言う必要がない” “言うなんて恥ずかしい”とか言う人が増えた世界より、作ってくれた人に“ありがとう” “ごちそうさま”と言える世界の方がみんな幸せな気持ちになるのは間違いないのに…と思うのは私だけでしょうか?
そういう考えの人は、自分の子供がその職場で働いていてもそう言うんでしょうかね?
“ごちそうさま、おいしかったよー”って言う必要もないし、“お金を払っているんだから当然”だと言うんですかね。
“ごちそうさま”と言えよ、とは言いませんが、それでもその子供がお客さんから“ごちそうさま、おいしかったよ”と一言あっただけで嬉しい気持ちになった、次も頑張ろう…という気持ちになったと言われたら──…それでも“言うのは恥ずかしい”とか“言う方がおかしい”と思うのでしょうか?
私自身、面倒臭がり屋ですからね…子供の頃に見ていた親の付き合い方は無理だし、疲れるから嫌です。
でも今の世の中はギスギスし過ぎて嫌です。
何でもネットでできるようになって便利になったと言うけれど、ある側面では“便利だから”と、お役所仕事も個人がしているようなものなので、実質、面倒な部分が増えている気がします。
受験の申請も各家庭で、スクールランチも各家庭で、何かあれば自己責任になっていくんですよね。
マイナンバーカードの件もそう。
義務でも強制でもないのに、国の汚いやり方で作らざるを得ない、連携せざるを得ない状況に持って行き、でも何かあって財産が詐欺で奪われても“作ったのは本人” “連携したのは本人”──…だから自己責任で国は補償しない…って、なんかもう、生き方が面倒で嫌です。
まぁ、話はちょっと飛びましたが…。
要は、“いただきます”も“ごちそうさま”も“ありがとう”も、“言わなきゃいけない”とマナーやルールや法律で決まっているわけじゃないですけど、“少しの思いやり”と“相手の立場に立った思考”があった方が、優しい人であふれ、優しい世界になるんじゃないかってことです。
私だったらそういう世界で生きたいですね。