本日、2投稿目。
インターネットが使えるこの世の中。
いろんな分野で技術・開発が進み便利になった反面 安全面が崩れると、そりゃぁ、もう怖い事になります。
映画の「ザ・インターネット」を見れば、「自分」を証明するデータがなくなった時の怖さが浮き彫りですもんね。
近代医療は進歩し続けます。
昔なら治らなかった病気が医療機器、技術の進歩によって完治し、更に寿命は長くなってきました。
延命機械を外したことで、ある外科部長が取りざたされてますが、「死」を何度も看取ってきた医療従事者ほど、「生と死」を深く考えるんですよね。
「生」とは何ぞや、「死」とは何ぞや…と。
私も色んな患者さんを看取ってきたこともあり、あの外科部長さんの気持ちはよく分かります。
延命装置をつけている姿が可哀想で「もう、外してください」と家族側から言われたとしたら、それは家族にとってのエゴだと思うし、一日でも長く生きて欲しいと「延命装置はそのままで…」と言っても、やっぱり、本人の意思が聞かれない以上、家族側のエゴになってしまう。
命を救うのが医者の仕事。目の前で死にそうな人を見れば、人として何もしないでいられないものです。
救う術を知っている、あるいは持っている医療従事者なら尚更のこと。
たとえ、「私がこういう状態になったら、延命治療はしないで」と親から言われてても、実際、そうなったら、何もせずいられるか…。
結局、延命装置をつけてしまえば、家族側のエゴになってしまうし…。
それに、一度延命治療をしたらそれを外す事は殺人になってしまいます。
外した方が本人にとっていいのでは…と思っても、“殺人者”という言葉に、延々と延命装置を付け続ける医療従事者も多いことでしょう。
尊厳死・安楽死という言葉がありますが、やっぱり、それも一歩間違えば殺人になり兼ねないというのが、難しいところですね。
奇跡を信じたい家族・医療従事者もいるでしょうが、現実を見てきた人ほど延命装置って誰のため? と考えてしまいます…。
ただ、奇跡的に命を取りとめたとして、社会復帰ができればいいですけど、一生寝たきり、看護が必要になる事だって少なくないと思います。
だからって、延命するな…とは言いませんが、「自然」を受け入れる事ってとても必要なんだと思います。
ムリヤリ生かされてる人って、今の世の中多いんじゃないのかなぁ…。
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