箱根駅伝はずーっと見ていましたが、
以下のエピソードを知った時に原晋監督の大ファンになりました。
何度読んでも涙が止まりません。
某大学の監督に読ませたい!(知っているとは思いますが・・・)
以下はコピー&ペーストです。
原監督の願い「神林には10区を…棄権しても構わない」
2021年の箱根駅伝では、青山学院大の主将、神林勇太の名前がなかった。11月時点での取材で、神林はこう話していた。 「今年は往路で勝負できたらと思ってますが、もしも僕が前回と同様、9区に回ったとしたら、チームとしては万全だと思ってください」 神林は12月29日の区間オーダーの発表の時には、補員に入っていた。1月2日、往路にも神林の名前はなかった。ああ、これなら9区に回るんだろうな……と思っていた。チームとして万全なのだろうと想像していたのに、青学大は往路で12位と出遅れた。なにか、歯車が嚙み合っていなかった。なにかがおかしい……と思っていたら、3日にも神林の名前はなかった。神林が走ったのは、9区の給水地点だけだった。青学大は総合4位に終わり、原晋監督と限られたメンバーがフィニッシュ地点の大手町に戻ってきた。事情が分かったのは、原監督と神林に話を聞いてからである。原監督は、思いを吐き出すようにこう話しだした。 「神林は12月に仙骨を疲労骨折していたんです」 MRI検査で骨折が判明したのは12月28日のことだった。そして30 日のミーティングで、原監督は部員を前に涙を流しながらこう話した。 「神林には10区を走ってもらいたい。もしも品川の新八ツ山橋で立ち止まって、棄権してしまっても構わない。来年、予選会からやり直したっていいんだ」 原監督はどうしても神林に走って欲しかったという。 「コロナ禍のなか、目標を見失いそうになりかねない1年でした。肉体的にも、精神的にもチームを引っ張ってきたのは神林でした。これは、神林のチームなんです。だからこそ、私は彼に走って欲しかった」 この監督の言葉に反応したのが神林本人だった。 「自分が走らなくても、青学は十分強いです。青学は優勝するチームですし、復路のメンバーが強いのは監督がいちばん分かってるじゃないですか。チームのために後輩を走らせてください」 神林の思いを受け、原監督は神林に給水係を頼むことにした。 「神林はこれで引退なんです。もう走れないんですよ。本来、箱根駅伝での給水や付き添いなどの役割分担は選手が決めるんですが、『神林には横浜の給水を頼みたい』と、これだけは学生たちにお願いしました。なぜなら、テレビに映るし、30mほどですが、いちばん長く走れるからです」 ミックスゾーンでは、原監督の思いが溢れていた。むしろ、その後にやってきた神林の方が、冷静だったかもしれない。 「いつもの年末は、選手の立場だったら本当に時が“秒”で過ぎていくような時期なのに、今回ばかりは1日が長くて、長くて」 神林の卒業後も、たびたび会う機会があるのは、私としてもうれしいことだ。
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