50歳

2009年07月12日 | 雑感 -
マイケル・ジャクソンは、50歳で逝った。
世界中の人々の意見と一緒で、(私自身も)若すぎる死を悼みつつも、今は・・・
その一方で「これが彼の人生だったのだ」と受け容れ、そう感じるようになった。

稀有で、特別な存在であった彼を引き合いには出せないけれど・・・
50歳は(昔でいうと)「不惑」の年齢に匹敵する時期ではないかと、最近感じる。
日本の男性をみていると、40歳よりも50歳ぐらいの人のほうが、ある意味では
自分の「世界」をかためる時期だったり、将来の「生き方」に真摯に向き合い
自分の意志に忠実に(迷うことなく)進んでいるようにも感じる。
要するに、その人の人生が、明確化する時期というべきか・・・・。
厳しいようだが、40歳の人には、まだ「不惑」というには早いという印象の人が
多いような気がするのは、私だけだろうか・・・・。



こんなことがあった。
当時、45歳だった“歌を生業とする知人”から、聴いたことがある。
「50歳になると声がでずらくなるので、今、新しいことにチャレンジしたい!」
すでに大成功していたにもかかわらず、その時の彼の言葉には切実感があった。
自分のイメージや、仕事の内容についても、不安を抱えているようだった。
完全に「将来に対して、迷っている」と感じた。しかし、そんな時期を越えて、
今、彼は・・・50歳を越えても尚、素晴しい声で、ステージに立ち続けている。


50歳という年齢が、声帯や身体にどのような影響をあたえるのかは不明だが・・・
ボイストレーニングを重ねたクラシック(テノール)系の遅咲きの歌手は、
「50歳を越えてから、声の幅が広がった」と発言している珍しい人もいる。
詳しいことは、個人差もあるだろうし、全くわからないけれど・・・
「老化」を意識しないで頑張っている人も多いし、声の質は多少かわれども
死ぬまでコンサート活動を実践している歌手は多い。
歌は、声質だけではなく、表現力や個性などもあって、総合的に表現される。
だから、一概に、年齢からくる声帯の変化だけにこだわる必要はないだろう。


年齢が壁になることは避けられないが、どのようにとらえ、どのように付き合い、
どのように乗り越えていくのかが、大切なのではないかと感じる。



テレビで、「なつかしのメロディー」なんて番組を観ていると、明らかに
“声の質と、歌い方が、すっかり変わってしまった歌手”を観ることがある。
単に「歌う機会が少なくなった」というだけではない“下手さ加減”であり、
黄金期が思い出されて、「あえて録画映像を観たいなぁ」と感じることがある。
「あの人は今・・・」という企画意図であれば仕方がないが、「歌」そのものを
聴くための番組であるならば、その時代の映像そのものの方が説得力がある。
自分の思い出や、時代背景などもかぶさってきて、かなり情緒的になったり、
歌手や歌曲の“がさつな映像”が、あえて昭和を感じさせてくれたりするからだ。
それこそ、まさに「懐かしいメロディー」である。



人生80年――。
もし、本当に、そういう時代が到来したのであれば、50歳なんて「これから」だ。
若くはないけれど、年寄りでもない微妙な年齢であるように思う。
身体と心は連動するので、「心の持ちよう」で、かなりの違いがでてくるように
思われ、だからこそ・・・50歳という年齢に対しても恐れなど感じなくなった。
50歳を過ぎた先輩方の“活き活きとした生活”を見ると、勇気もいただける。

私も、そろそろ「これからの人生設計」を、明確化していきたいものである。