帰宅途中の「原宿」駅近くで、どっかぁ~~~~ん!
花火があがったのは、何故? (20:30分頃かなぁ)
それも、いくつか・・・??
あのあたりの神宮花火は、8月1日ではなかっただろうかぁ?
今日は、あまりにも近くで花火があがったので、その爆発音に吃驚してしまった。
複雑な形はしていなかったけれど、非常にシンプルな色で、やっぱり、あれは
ちゃんとした「花火」だったと思う。
「暑いね」という言葉が乱立した今日、私は意外と「すっきりとした気分」で
仕事をしていた。
暑さには弱いし、毎年夏バテするけれど・・・
最近の私は、もっと違う問題で、かなり精神的にバテてたから・・・・。
しかし、今日は・・・とてもすっきりとして、わだかまりのない感じだった。
問題は確実にあって、その状態で放置しているだけなのだけれど・・・
自分の「こころ」の「うみ」のようなものが、何もない状態だったのだ。
「何故だろう?」そう思った。
結論は、非常に簡単だった。
執着を捨てたから・・・。
自分の中に巣つくっている期待や、未来に対する構想など、より具体化していた
様々な「我が財産のようなもの」を、一度捨ててみようと思ったから・・・だ。
頭を冷やしてみると、それに縛られて、自分を見失っていたように思う。
実現させたいという強い想い――
自分では「信念」と呼びたいと錯覚してしまうような、こりかたまったモノ。
すでに多少は、変形してしまっていたのかもしれない・・・ような歪な気持ち。
それを、すべて、捨ててしまったからだろう。
肩の力が抜けて、非常に元気になったような感じ(笑)。
サウナのあとの爽快感のような感じだった。
怒りがおさまり、他人には(非常に)シリアスに聞こえてしまうようなことが、
さらっと、言葉にできる“毅然とした我が態度”!
これには、自分でも驚いた。
その先にあるもの・・・・・それは、「優しさ」、「思いやり」のようなもの。
自分以外の人を、ねぎらえる余裕が生まれていたのだ。
これにも、本当に驚いた。
人に優しくできることのシアワセ!
いらいらしていたら、決してできなかっただろうと思う。
久しぶりに感じた「解き放たれたような充実感」だった。
うへぇ~~~
もっと早くに、捨てるべきだった。こんなに楽だったとは・・・・。
自分自身の中枢にも、今日は“大きな花火”が、あがったような気がしている。
裸一貫になって、純粋な心持で、今一度、「はじめればいいんだ!」
そんな明るい勇気が湧いてきた。
今日は、そういう意味では、再出発の記念日だ。
どっかぁ~~~ん! (祝いの花火デス!)