「鎮魂」の八月

2011年08月04日 | 出来事 -

私個人が「サッカー」というものに、より深く接したのは、
ワールドカップ・フランス杯の時だった。
その次が、日韓杯の時だったと思う。

松田直樹氏の訃報は、あまりにも突然で、あまりにも衝撃的で、
なでしこジャパンの国民栄誉賞と(同時ぐらいに)聞いただけに、
対照的すぎて、ショックが大きかった。

若すぎる。

それに、昨年からの流れを考えると、
あまりにも波乱に満ちた幕切れだ。

私にとっての松田選手は、トルシエ・ジャパンの「フラット3」に
象徴される存在だったように思う。
皆に「フラット3って何?」と聞きながら、試合を観ていたのを
思い出すからだろう。
情熱にあふれ、男気にあふれ、サッカーが大好きだっただけに、
まず「何故に彼が・・・」という印象がする。
当初、熱中症という情報もあったが、そうとは思えない。
納得ができずに、父の主治医だった医師に、単刀直入に聞いたところ、
「まさに、ごく稀なことで・・・あれは宿命としか言いようがない」
彼は、一人の医者の立場として、そう言った。

そうか・・・。 宿命だったのか・・・。


人の生死の境目は、本当に微妙で、私には・・・理解不能だ。

ミスターマリノスと呼ばれた男さえもが、30歳を過ぎたら、
容赦なく切り捨てられていくプロの世界――。

それにしても、ドラマチックすぎる松田選手の人生!
複雑だ・・・。




今月は、お盆もあるが・・・、原爆慰霊日や、母をはじめ、
私を取り巻いていた多くの「愛すべき人たち」が、突然に逝った・・・
そういう「月」でもある。

8月の第一週目だけでも「数人の方の墓前に参りたい」と思うぐらい、
私にとっては大切な「命日」が続く。
実際、今日:8月4日も、わが師の命日である。

しかし、今月は不規則で忙しく、思うようにならないのが、もどかしい。

心で手を合わせ、心で墓前をイメージして、弔いの念を送る・・・。
何年過ぎても、八月は落ち着きがないように感じるのは、こういう
理由があるからーかもしれない。
過去に縛られるのは嫌なのに、実際はこうして囚われてもいる。
しかし、忘れたくない人ばかりのため、私の「鎮魂の気持ち」が、
尋常ではないし・・・、結局は、せわしなく、めぐりめぐる八月である。

お世話になった師や、交友した人や、私を心から愛してくれた人や・・・
決して忘れたくない「大事な人」ばかりの命日だ。
生涯、大切にしたい思い出ばかりである。



人々が安全に暮らせる国

2011年08月04日 | 社会 -


かつて ・・・ この国は、「安全な国だ」と言われていた。

治安もよく、人々は親切で、食べ物は美味しくて、
どの国よりも暮らしやすいイメージの時代があった。
ところが、どうだろう。
今の「日本」という国に対する世界が感じるイメージは、
あまりにも広範囲に及ぶもので、非常に複雑なものだ。
情報が乏しい世界中の人々には、一言で表することは難しいだろうし、
感情面に至っては(おそらく)極端な意見があるだろうとは思う。

特に、日本の国民性は評価されているのに、政治界については
呆れられている状態で、将来の行く末を案じられている。

国民一人一人にいたっては、よりシリアスな状態だ。
なぜ、政治的リーダーがいないのか。
なぜ、東北の復興は進展しないのか。
なぜ、被災者は厳しい生活を続けなければならないのか。



困窮を極めた生活・環境から「復活」を遂げた日本人は、
明らかに“素晴らしい足跡”を 残してきた。
戦後からの復旧と躍進は、世界中に存在感をアッピールしたし、
経済や科学の世界でも、一目置かれる国だった。
それなのに、今は・・・完全に「迷い道」に入り込んだようだ。

度重なる電力会社による不穏なニュース。
今回の保安院のやらせ問題で、原子力行政への信頼は失墜した。

都内では、「脱原発」のプラカードが躍っている。
時には身動きができないぐらいの人があふれて、デモを繰り広げ、
それぞれの想いで、脱原発活動をしている人も少なくはない。


「安全だ」と言い続けてきた一部の電力会社の責任者をはじめ、
多くの関係者が画策してきた “世界的な原発ネットワーク” は、
これから、どこへ向かうのだろうか。
「安全だ」と言い続けてきた責任は、誰がとるのだろう。
これからの展望を、どのように思い描いているのだろう。



だるい身体を持たれかけさせる「確固たる信頼感」もないまま・・・
今日もまた、放射能に汚染された「我が愛する国、ニッポン」で、
生きていかなければならない現実。
この国が「安全」という神話のようなものを、再び手に入れることが
できるとしたら、それは、いったい「いつのことなのだろう」 ・・・と。


私は、なでしこジャパンのごとく、皆が「最後まで諦めない姿勢」で、
この大きな問題に取り組んでいけることを、ただ祈るのみである。