風化しない感覚と自覚

2011年08月16日 | 自分 -

一人ぼっちは、さびしい。
切なくなるし、身体が悪くなったりすると心細くなる。
しかし、悪いことばかりでもない。
昔のことや、現在のこと、あらゆる事態に対する感情・感覚が、
とても臨場感ある状態で、自分の中に残っていることである。

誰かが傍にいた時は、そういうものが早く忘れ去られる流れが
目の前にあり、自分の感覚や自覚も、他者の影響で違ったカタチに
なってしまうことが多かった。

一人でいる時間が多いと、それが風化することなく、
いつも味わえる余裕がある。
自分の中で、それを損なうことなく抱きしめていられるようだ。
何故かはわからないが・・・・。
それは、歴然と違うと思う。



今日は、母の命日。
あの時のことは、ずっと忘れずにいる。
看病した日々も、病院の雰囲気も、
疲れ果てて自分に自信を無くしてしまったことさえも・・・
一つ一つが断片的にしっかりと刻み込まれている。
母の寝顔も、最期の髪形も、母から言われた感謝の言葉も・・・。

ずいぶんと長い年月が経った。
だから、こうして、冷静に振り返ることもできるし、
母が残してくれた・・・数々の宝物を自覚することが可能だ。

「彼女は、本当に素敵な人だった・・・」。




   昨夜、「帰ってきたよコール」を、田舎の叔母にした。
   洋裁の達人である叔母から、突然言われたのは・・・
  「お母さんが使っていたクッションを、直してあるよ」。
   晩年の母の休み場所になっていた座椅子クッション!
   なだらかな曲線は、身体を横たえるのに最高だった。
   壊れてしまっていたのを切り張りして、カバーを付け、
   再生してくれたそうだ。
   納屋に埋もれていた廃棄物になりかかっていたものだが、
   どうしても捨てられずにいた。
   しかし、幸運にも、これで、また使うことができる。

   それを聞いたら、条件反射のように、うるっとしてしまった。
   まるで、晩年の母が生きていた環境が蘇ったようで、
   そして、母の遺品が再び息を吹き返したことが嬉しくて・・・。