ただ、素朴な疑問として・・・
「何故、日本に原爆が投下されたのだろう 」・・・と。
政治的な理由とか、そういう意味ではなく、
もっと抽象的な観点で、因果のような “判然としないこと” を、
ただ、素朴に感じるのだ。
終戦直前の「投下された原子力爆弾」により、
当時の広島に生存していた人の半分近くが、その命を落とし・・・
それは、それは、悲惨な現実が、実際にあった。
そして、今・・・
世間の賛否両論のターゲットとなっている「原発」問題。
天災の津波とは全く違う論点として、人災の原発問題については、
限りなく議論の余地がある。
今回もまた、大きな日本列島を襲った大事件となった・・・。
ウランが もたらした科学の力は、あらゆる方法論を通って、
我々人間界に(様々な)影響を与えている。
この地球にも、破壊的な事実を残すこととなった。
それも、「我がニッポン」に、再びの・・・「正念場」を、
与えてしまった。
「何故、また日本だったのだろう 」。
恨み事ではなく、ただ、ただ、素朴な疑問として・・・
感じてしまう私がいる。
試練と言うならば、試練だし・・・
必然的な結果だと言えば、その通りでもあり、
これからの国民総出の「意見交換」が必要になってくる問題だ。
原爆投下という過去を持つ・・・世界で唯一の国が・・・
また、最高レベルの原発事故を誘発してしまった。
「何故、また日本だったのだろう 」・・・と。
二ヶ月前に、訪問した広島では、ホテルの部屋から、ずっとずっと
原爆ドームを、飽きるほど眺めていた。
寝られなかった私は、夜があけるのを、穏やかな状態で待ちながら、
暖かい飲み物を片手に、ずっと、ずっと、見つめていた原爆ドーム。
三時間のあいだ、椅子に座り、身動きもせず・・・見つめていた。
部屋から見られるように、意図的に、そういうホテルを予約したが、
広島に滞在した三日間に至っては・・・予想通り、ずっと、ずっと、
原爆ドームを、見つめることになってしまった・・・。
おそらく原爆ドームを見ながら、感じたい何かがあったのだと思う。
実際、一つだけ・・・降りてきたような感覚があったのは事実だ。
原爆ドームの周囲には、悲惨な過去を忘れてしまったかのように、
高層ビルが立ち並び・・・ドームだけが異質な空気を出していて、
まるで“浮き出ているかのような空間”だった。
風化したとは思えない現実が、原爆ドームには残っているのに、
歴然とした周りの環境との不釣り合いは、違和感さえも感じる。
しかし、それだけの落差ある風景があるからこそ・・・・
原爆ドームが顕著に存在感を誇示しているように思ったのだろうか。
どちらにしても、今の日本は・・・山も海も、川も、空気も・・・・
昔のような清らかな美しさをなくしてしまったのは、事実である。
私たちは、また、ゼロの地点から、いや・・・ゼロ以前の地点から
はじめなくてはならないのだ。