偶然という恐しい出会い

2016年03月02日 | 仕事 -
今日、仕事上の出会いで、お初の邂逅で・・・
ちょっとばかり 雑談していたら、
「 実家がとても近い 」 ということが判明。
それで、相手のお父様の名前を聞いたら、
我が父からよく聞いていた名前で、
実に・・・まさに・・・仲の良いお友達だった。

こういうことって、あるんだ?!


   



過去にも、似たようなことがあった。
当時の会社で、来訪を受けて、名刺交換した。
珍しい名前だったので、顔を見たら面影があるので、
つい聞いてしまった。
「 もしかして、○○高校出身ですか? 」
相手はピクリと顔がゆがんで、じっと私の顔を 凝視!
「 もしかして、同級生ですよね? 」
私の名前を言ったら、 彼は 驚いて 納得!
高校一年のクラスメイトだったのだ。
私は それなりに お化粧していたから、
彼は わからなかったみたいだ。

偶然とはいえ、大学時代は頻繁に電話で話していたのに、
会っていなかったがゆえの気恥ずかしさ。

就職して、疎遠になって数年後、偶然の出会いとなった。
それも、仕事仲間としての出会い。

こういうことって、本当にあるんだよね。

面白いと思うょ・・・ホント。


日本の「美」と「美意識」

2016年03月02日 | 社会 -


東京オリンピックにむけて、さらに注目される 「 日本らしさ 」。

日本の 「 」 とは、いったいどのようなものなのだろう。

私の場合は、経験もしていないのに、郷愁を誘う雰囲気 に、
日本の原風景を感じたりするが、その「 原風景 」 そのものが、
今や イメージの世界でしかない


古びたものや、古めかしいことを美しいとするような意識は、
歴史上では俳諧や能楽の世界で重要視されるようになるが、
あらゆる日本の文化道の断片で 垣間見える。

現代も骨董品に人気があるのは、こういう意識があるのかも・・・。


対照的に思えるのは、
西洋文化の飾り立てることで 「 美 」 を表現するものと、
日本文化の飾らないことで 「 美 」 を表現するというもの。

かつて 仕事がらみで “ 私がいつも傍にいた人 ” は、
日本文化を 「 削ぎ落とされた文化だ 」 と
説明していた。
あの表現は 適切だったなぁ と、今になって 感じる。



」は、現代にも通じる美意識だと思うが、
はっきりとした意味は わからない。
「かっこいい」や「すっきりしている」、「おしゃれだ」とかかなぁ
とにかく、飾ることなく、すんなりと、美的感覚も シンプル な感じが、
まさに 私のイメージする 「 made in Japan 」 だ。





日本は、森林大国だったので、興味深い建築物や建具など、そして、
装飾品、日用品なども、昔ながらの木材でつくられているものが多い。
そういうものに、( 何故だか ) ホッとして 安心感を抱くのは、
私自身が 単純に “ 木材と近い関係にあった 日本人 ” だからだ。

木材と共に、文明を発展させてきた 日本人ならではの美意識 が、
私の根底に 残っているように思うのだ。