現職の幹部自衛官が民進党の参議院議員に罵声を浴びせたことについて、
自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長が、
19日の定例会見で、
「いかなる理由があろうとも、許されないというのが私の立場だ」
と述べたという。
私はこれを電車内の字幕ニュースで見て「うーん」と唸ってしまった。
私の日本語感覚では、
「いかなる理由があろうとも、許されない」
というのは、それなりに正当な「理由」があるみたいに響いてしまうのだ。
「心情の自由はあるけど、口にしちゃダメ」というふうに受け止められてしまうのだ。
「そのような理由の発言なら、ただ「許されない」でなく、厳罰処分を以て自衛官の職を退かせる」
でないと、おかしい。
「私の立場だ。」もヘンだ。まるで、場合によっては違う立場も有り得るみたいではないか。
「隊員の規律の保持」を徹底していく、のであれば、
「いかなる理由があろうとも、言ってはいけないことを言った」ではなく、
「そのような言葉が出てくること自体で、その人は不適格」と断じるべきである。
国会議員に対し「お前は国民の敵だ」と脅迫することが
「理由があるのはわからんでもないけど、今は言っちゃいけないんだから、ダメ」
というふうに対処されているように、響いてしまう。
「組織として、自衛隊として、絶対に許さない」なら、罷免するだけだ。
統合幕僚長が「シビリアンコントロールが崩れているとは思っていないが、疑義が生じていることは謙虚に受け止めないといけないと思う」なら、「今は言っちゃいけないらしいことを外に口に出して言わない」という「隊員の規律の保持を徹底」ではなく、
「ダメだから失格」として、厳重処分をしてみせる以外はない。
「懲戒処分も含めて厳正に対処する」では、おかしい。
なにが「含めて」だ。
発言した3等空佐について、「今後の調査結果を踏まえて」などと含みを持たせることなく、クビにする以外の対処はあり得ない。
調査するとしたら、彼の仲間たちを洗い出し、彼らも排除することためのみのはずだ。
写真は、関東大震災直後の1923年9月3日、兵士達が主導して虐殺が行われた、東大島界隈の現在。
自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長が、
19日の定例会見で、
「いかなる理由があろうとも、許されないというのが私の立場だ」
と述べたという。
私はこれを電車内の字幕ニュースで見て「うーん」と唸ってしまった。
私の日本語感覚では、
「いかなる理由があろうとも、許されない」
というのは、それなりに正当な「理由」があるみたいに響いてしまうのだ。
「心情の自由はあるけど、口にしちゃダメ」というふうに受け止められてしまうのだ。
「そのような理由の発言なら、ただ「許されない」でなく、厳罰処分を以て自衛官の職を退かせる」
でないと、おかしい。
「私の立場だ。」もヘンだ。まるで、場合によっては違う立場も有り得るみたいではないか。
「隊員の規律の保持」を徹底していく、のであれば、
「いかなる理由があろうとも、言ってはいけないことを言った」ではなく、
「そのような言葉が出てくること自体で、その人は不適格」と断じるべきである。
国会議員に対し「お前は国民の敵だ」と脅迫することが
「理由があるのはわからんでもないけど、今は言っちゃいけないんだから、ダメ」
というふうに対処されているように、響いてしまう。
「組織として、自衛隊として、絶対に許さない」なら、罷免するだけだ。
統合幕僚長が「シビリアンコントロールが崩れているとは思っていないが、疑義が生じていることは謙虚に受け止めないといけないと思う」なら、「今は言っちゃいけないらしいことを外に口に出して言わない」という「隊員の規律の保持を徹底」ではなく、
「ダメだから失格」として、厳重処分をしてみせる以外はない。
「懲戒処分も含めて厳正に対処する」では、おかしい。
なにが「含めて」だ。
発言した3等空佐について、「今後の調査結果を踏まえて」などと含みを持たせることなく、クビにする以外の対処はあり得ない。
調査するとしたら、彼の仲間たちを洗い出し、彼らも排除することためのみのはずだ。
写真は、関東大震災直後の1923年9月3日、兵士達が主導して虐殺が行われた、東大島界隈の現在。