吉川英治文化賞の贈呈式に行きました。
受賞者の一人が、我らが下北沢の、劇場群のオーナー、本多一夫さんだったからです。
八つの劇場を抱える奮闘が評価されたのだ。
場違いなのですが、本多さんからご指名があれば、他に稽古本番などない限り、お祝いに馳せ参じましょう、
本多さん一つ目の劇場・ザ・スズナリができたのが1981年、三十七年前です。
私がスズナリデビューしたのは、その年です。
あのとき本多さんは四十六歳だったのですね。
今の私より十歳若い……!
お祝いの杯を近しい人たちと交わしながら、
演劇の楽しさ、なくなることのない夢、歳月の残酷さ、伝えていくことの難しさ、いろんなことをヒリヒリと感じます。
本多さんと同時受賞が、なんと、日本盲導犬協会。戌年の本多さんも喜んでおられたのかもしれない、ともあれ、しっかりとした盲導犬の闊歩する、珍しい授賞式でした。
そして、もう一人の受賞者が、写真画像再生の名手・村林孝夫さん。ちょっと説明しがたい感動的な仕事の方でした。
いろいろなことを知ることの出来た日でした。
で、本多一夫さんはこの賞をもらったことを機に(賞金を元手にということか?!)、早ければ年内にも、下北沢にもう一つ劇場を作るそうです。キャパ150、高さ5メートル。本多さんの下北沢九つ目の劇場。詳報はお待ち下さい。
なんだかいろいろなことを考えさせられると共に、我らが下北沢のことがこうして認められているということに、襟を正す気持ちにもなりました。
受賞者の一人が、我らが下北沢の、劇場群のオーナー、本多一夫さんだったからです。
八つの劇場を抱える奮闘が評価されたのだ。
場違いなのですが、本多さんからご指名があれば、他に稽古本番などない限り、お祝いに馳せ参じましょう、
本多さん一つ目の劇場・ザ・スズナリができたのが1981年、三十七年前です。
私がスズナリデビューしたのは、その年です。
あのとき本多さんは四十六歳だったのですね。
今の私より十歳若い……!
お祝いの杯を近しい人たちと交わしながら、
演劇の楽しさ、なくなることのない夢、歳月の残酷さ、伝えていくことの難しさ、いろんなことをヒリヒリと感じます。
本多さんと同時受賞が、なんと、日本盲導犬協会。戌年の本多さんも喜んでおられたのかもしれない、ともあれ、しっかりとした盲導犬の闊歩する、珍しい授賞式でした。
そして、もう一人の受賞者が、写真画像再生の名手・村林孝夫さん。ちょっと説明しがたい感動的な仕事の方でした。
いろいろなことを知ることの出来た日でした。
で、本多一夫さんはこの賞をもらったことを機に(賞金を元手にということか?!)、早ければ年内にも、下北沢にもう一つ劇場を作るそうです。キャパ150、高さ5メートル。本多さんの下北沢九つ目の劇場。詳報はお待ち下さい。
なんだかいろいろなことを考えさせられると共に、我らが下北沢のことがこうして認められているということに、襟を正す気持ちにもなりました。