『五人の斥候兵』という映画がある。
昭和十三年日活多摩川映画製作。
監督は 田坂具隆。出演は、小杉勇/見明凡太郎/伊沢一郎/井染四郎/長尾敏之助、他。
脚本は荒牧芳郎。
昭和13年の中国大陸。直前の戦闘の被害で二百人が八十人になった部隊。前隊長が死んだため隊長に昇格した岡田が指揮を執る。前線の敵状偵察に出た五人の斥候兵は、敵に見つかり、なんとか逃走するが、木口一等兵だけが帰ってこない……。というのが、梗概。
作られたのは、日中戦争のさなか。公開は南京事件の直後。1938年のお正月映画。
なぜ私はこの映画を紹介したいのかというと、私が新作の演劇『サイパンの約束』の中でこの映画について触れるつもりだということもあるのだが、映画の中で新隊長が「戦中日誌」にこだわる件について、指摘してくれる人があって、あらためて思うところがあるからだ。
新隊長は直属の部下である軍曹にこう言われる。
「隊長殿は少しお休みにならないといけません。私は隊長殿がまだ寝ておられるのを見たことがありません。」
新隊長は答える。
「ありがとう、ふん、俺はな、陣中日誌が書けてないと、それが一番気になる。兵士たちの辛苦は、日誌だけは知っているんだ。日誌さえ書いてしまえば、俺はいつ死んでもいいと思う」
部下に「隊長殿、死なれてはたまるものですか」と言われて新隊長は笑い、
「俺は暇があると、日誌を繰り返して読むんだ。軍曹も読んでみるといい。……どんな苦しいときでも、勇気がわいてくるぞ。戦死した兵士たちの魂が自分に乗り移ってくるような気がするんだ。しかし「この戦いに於いて、誰々戦死す」と書くのは、本当に辛い」
ここで「戦中日誌」は、「戦死した兵士たちの魂」が記録されているものである。「兵士たちの辛苦」をその「戦中日誌」だけが知っている、つまり、兵士たちの生死をかけたアイデンティティーは、そうして「記録され、意義あるものとして人々に伝わる」ことによって証明されるということかもしれないのだ。
自衛隊のイラク派兵で、「日報」が処分されるということは、戦闘状態と隣り合わせにいたかもしれない彼らにとっての、「戦中日誌」が体現するもの同様の「生死をかけたアイデンティティー」を、消されてしまったに等しい。
死を賭してそこにいたのに、自分たちの活動や死の意味を、誰も正しく認識してくれない、ということになってしまう。
そう思うと、処分されてしまったという「自衛隊イラク日報」については、まずは必ず探し出して「開示」を迫ろうとするのが、当たり前なのではないか。
そして、安田純平さんが、拘束から解放された後、それまでに命がけで取材した記録類が返却されなかったことに怒っていると報道されたのだが、それは、当たり前だろう。
彼の「生死をかけたアイデンティティー」が、消されてしまったのだ。「真実」を伝えるという自身の存在証明たる職務を、果たせないのだ。
しかしもちろん、苦労は多いだろうし映像等がないため間接的な描写になる部分もあるであろうが、これから安田さん自身が、自分の言葉でその内容を紡いでゆくことは、できるはずだ。安田さんの存在は、生きた「戦中日誌」、“Walking Action Report” であるからだ。
で、この話には続きがある。
「真実」を記録する自分の仕事に「生死をかけたアイデンティティー」を持つのは、戦場にいた者だけではない。
「森友問題」で近畿財務局の職員だった男性が自殺した。公文書の書き換えがあったことを財務省は認めている。そして、この問題で犠牲者が出たのである。彼は「改ざんを指示され悩んでいた」と書き残し、自ら命を絶った。
この件について求められている「真相究明」は、とうぜん安倍総理に向かう。「私や妻が関係していたということになれば、これはまさに、これはもう、間違いなく総理大臣も国会議員も辞める」と、安倍総理自身が言っていたからである。
安倍総理の指示で国の土地を八億円引きの格安価格で売ったかどうかに関わる「学園との交渉記録」を、「廃棄した」と佐川宣寿元理財局長は国会で答弁した。
近畿財務局の職員だった男性が自殺したのは、その該当する「交渉記録」である公文書について、「改ざん」という、公務員である彼にとっては屈辱的な、自らのアイデンティティーを否定する行為に、加担させられたからである。
それは「日報」「陣中日誌」に虚偽を書けと強要されたに等しい。そしてその改ざん過程も含め、文書の存在自体が消されたのだ。
ほんらい「日報」も「公文書」も、「真実」が記されているはずだ。だからこそ、英霊も心安まり、隊長が繰り返し読んで士気を保つ価値がうまれる。「真実」に基づき正しく職務を果たしていれば、近畿財務局の職員も自らのアイデンティティーを保つことができたはずなのである。
そして、おそらく、『五人の斥候兵』に出てくる隊長は、もしもいまこの時代を生きていれば、「真実」を伝える安田さんの記録を、日本政府の事情で隠されねばならなかった自衛隊のイラク日報を、葛藤の末に虚偽であっても作り出すしかなかった近畿財務局の職員の報告を、必ず大切に聞くであろうと思う。
大切に受け取る者がいて、白日の下にさらされるときに、それが「真実」でなければならないという認識は、必ず再確認される。
近畿財務局の職員は、その力学に殉じたのだ。
安田純平さん、まぼろしのイラク日報に記された自衛隊員、「真実」を記録したかった近畿財務局の職員、それぞれの、「生死をかけたアイデンティティー」の希求を、思う。