Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

観るべき映画 『主戦場』

2019-04-13 | Weblog

『主戦場』は観るべき映画だ。

日系アメリカ人で YouTuber でもあるという監督が、「慰安婦問題」を捉えたドキュメンタリー。

「両論併記」的に始まるのだが、筋道を確実に通してゆくことで、とくに後半、結果として方向性が導き出され、「真実」であり「現状」を浮かび上がらせることに成功している。ある意味、当然のことをやっているようだが、独自の手法でもある。

この国に住んでいる人間たちが、いかに現実を見ないか、あるいは見過ごす振りをして誤魔化しているかを、あらためて思わざるを得ない。

この国の大マスコミは、日本会議の存在を批評的に扱えずにいるし、昨今の神社等の国家主義の流れの異様さを正当に批判できてもいない。個々の人間も、また然りだ。少なくとも言挙げすることから始めなければ。

 

監督・脚本・撮影・編集・ナレーション = ミキ・デザキ MIKI DEZAKI

シアター・イメージフォーラム等で、4月20日(土)より公開

http://shusenjo.jp/?fbclid=IwAR2TPEgzV9GdvL17QnNOfWvJ2RrN5bDdEbMe6b-BbLXwLu5ceHTSYsmQvRQ

 

以下は、11月に加筆。

川崎市の妨害と映画祭の蒙昧によっていったん上映中止に追い込まれたが、『主戦場』の〈しんゆり映画祭〉での復活上映が決まって、それはめでたい。
10月以来の騒動は、「表現の自由は守られた」「表現の自由を妨害することは、必ず市民・表現者によって粉砕される」という教訓として、記憶されるべきだ。
今後、表現の自由を守る側が検閲する側に対して「しんゆりと同じことになっていいのですか。表現の自由を守る人たちが黙っていませんよ」と抑止力として言えるだけの成果を、きょう、『主戦場』の上映の盛り上がりによって、より確実に獲得できたら、すばらしいことだ。
この件で尽力された皆さんに、感謝します。

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島次郎さんとの仕事 『ララミー・プロジェクト』

2019-04-13 | Weblog

島次郎さんとの幾つかの仕事を思い出す。

2001年初演の『ララミー・プロジェクト』は、舞台の形状を島さんと一緒に考える積み重ねが、スリリングだった。

最終的には、奥が斜面になっている舞台に大きな円筒形の枠を置き、舞台の奥も円形の一部のようなRにした。最初は円筒形は中身をくり抜く形ではなかった。くり抜くことを発見してからは、一気に話が進んだ。

全体を小劇場であるスズナリにぴったりのサイズにしたが、アメリカ西部を舞台にした劇(作=モイセス・カウフマン + テクトニック・シアター・プロジェクト 訳=常田景子)に見合った、広大なイメージを持つことができた。他に兵庫のピッコロ劇場など六都市で公演したが、じっさいに大きな劇場のときは、まさに広大な空間としての迫力を持った。

斜面に水平の円筒形だから、立ち位置によってその円筒造形物の高さが違う。椅子になったりテーブルに見立てたり塀になったり、様々な用途に使われたのだ。

その年、斜面に円筒形というパターンは島次郎さんの「マイブーム」になったのか、同年のその後の島さんの新国立劇場での仕事『コペンハーゲン』も、斜面に円筒形だった。

『ララミー・プロジェクト』の舞台は裸木の状態のままにした。その自然のままの匂い立つ素材感が、アメリカ西部のイメージに繋がる結果を得られたのが、なんとも不思議だった。

島さんは八十年代末にも裸木のままの抜き板をどの舞台でも使用するのが「マイブーム」だったときもある。ある年はどの舞台にも額縁があったり、またある年は、どの舞台にも屋根が必ずあった。この島さんの「マイブーム」に当たってしまうと、なかなかそれを譲らなかったりするので、説得するのがたいへんなこともあったのだった。

 

二十世紀の間は、劇団員であった加藤ちかに美術をやってもらうことが多かったので、島さんとの仕事の多くは二十一世紀になってからなのだが、八十年代からお話はしていたのである。

あれは十年ちょっと前だったか。私が一人でパリに行ったとき(『屋根裏』フランス版製作の時だと思う)、鵜山仁さんと島さんがちょうどパリに来ていて、三人で食事をしたことをふと思い出した。私は珍しく体調が悪くて、オニオングラタンスープしか注文しなかった。ご病気がわかって最初の治療を終えたばかりの島さんに、心配されたのだった。

 

島さんが亡くなられてから、なぜか島さんの声を思い出すことが多い。なぜだろう。

 

昨日は島さんのお通夜だった。お別れをしてきました。

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