さすがに三十年以上のつきあいだから宮沢章夫さんにはいろいろと思い出がある。
かなり前だったけど、心臓の手術をされて、そのときは首尾よくいっていたはずだったが……。
三十年前だと宮沢さんも私も三十代前半ということになる。
相当若かったはずなのだが、宮沢さんのことを思い出すとき、思い浮かべる顔は、若かった記憶の姿ではなく、「宮沢さんのあの顔」なのである。同時代だと、「若いときの顔」というものが、お互いになかったような気がするのかもしれない。
なんだか折に触れて、いろいろな話をした。運転免許を取られたのはけっこうな年齢になってからだった。誰を乗せたときにこうだった、などという話もいろいろ聞いた気がする。そんなことを不意に思い出す。記憶がランダムに出てくる。
盛岡での「劇作家大会」で、なんとアトラクションの「わんこそば大会」があり、なぜか「静かな演劇チーム」で参加していた宮沢さんが「しまった。寸前に〈わらじカツ定食〉を食べてきてしまった」と言いつつ、健闘したことも、なぜか思い出してしまった。
数年間、岸田戯曲賞の審査員でご一緒したこともある。ある年、私が強く推した戯曲を、宮沢さんも気に入っているはずだと思っていたら、意外な言葉が返ってきたことも、思い出した。具体的なその感想の言葉も。
訃報が届いてから世の中に公表されるまでが長かったせいもあるのか、どんどん思い出してしまうので、キリがない。
昨年暮れに、宮沢さんと、梅ヶ丘BOXで、長く話した。
そのとき、三十年前、宮沢さんの書き下ろし戯曲『蟹は横に歩く』初演(出演・宮城聰 演出・平田オリザ)の稽古も、同じ梅ヶ丘BOXで行われたことを、思い出した。
三十年前なのである。
いろいろ言葉にならない。
宮沢さんについては、「テアトロ誌」の次号でも触れているので、お目にとまれば読んでいただければと思う。