Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

一生頼むことがないと思っていた天津飯を、初めて頼んだ

2024-12-27 | Weblog
劇場に入って仕込み中とかで、お弁当をいただくとき、何種類かを選べる場合がある。
最近の現場で、お茶場に電子レンジもあったので、「中華丼」をセレクトしたことがあった。そりゃ、とろみのある「中華丼」は、暖かい方がおいしい。ふだんはこういうときレンジは使わないのだが。
食事しながら、メンバーたちと「中華丼」談義になった。
「中華丼にはハズレがない」と主張する人もいた。
野菜が入っているから罪の意識がない、という人もいた。(どんな罪だよ)
そして話題は「天津飯」に移った。
実は私は、「天津飯」をほとんど食べたことがない。それこそ、何かの場に出されて、いただいたことがあったかもしれないが、ちゃんと憶えていない。
伝聞によれば、「天津飯」の上に載っているのは「かに玉」ということだったが、ホンモノの蟹が入っているかどうかはいささか疑わしく、「かにカマボコだった事件」もあったと聞くが、そもそもタマゴ比率が高く、「蟹の存在があなた方にわかるようになっていませんが、それが何か?」という姿勢であったように思われる。そして、あの中華の茶色い「あん」は、「中華丼」のときでさえ、「うーむ」となってしまう、甘すぎる、量が多すぎる、という場合が多く、あまり好んで食べたいと思ったことはない。あんにケチャップを入れている店もあるというおそろしい話も聞いたことがある。私はオムライスは好きだがそれとこれとは別問題だ。そして、「蟹」と言われても、私がそんなに「蟹」に対して執着がない(子供の頃にあまり食べたことのないものにはあまり関心が湧かないらしい)ということもある。
つまり、「あんな、あんかけ玉子の載っただけのどんぶり飯を、わざわざ食べるなんて」、という結論に落ち着いたのだと思う。他の食べ物が選べるなら、他のものを選ぶわけで、縁がないと思ってきた。
以上のような事情があったにせよ、その仕込み中の弁当時に私が、「おれは天津飯がわからないんだよな、ほとんど食べたことがない。自分は一生天津飯を食べないだろうなあ」と呟いてしまったところ、隣にいた俳優(女性)が、意外そうな顔をして、「天津飯、おいしいですよ」と言うのだった。
その件が心に残っていたのか、一ヶ月公演を続けている中、ふと、
「私の人生は、天津飯を食べないまま終わった一生ということになるのだなあ」
と思った。
で、終電近い時間に旅から帰った翌朝、二件の用事を片付けると、ちょうど昼飯時の終わり頃の時間帯だった。たまたま商店街にいて、目の前に地元の「町中華」の店があった。松本清張も来たことがあるという老舗だが、大衆的な店である。味に定評はある。
で、私は、入った。行列に3分ほど並んだ。ランチタイム終了の最後から四人目だった。
そして、一生頼むことがないと思っていた天津飯を、初めて頼んだ。
やはり、できたてで湯気が立っていて、タマゴの厚みも柔らかさも、申し分ない。
茶色い「あん」は、甘くなく、タマゴの味を引き立てる。
蟹はあるようなないような感じだ。
椎茸がひと切れ入っていた。
熱いは、うまい。食材どうしに熱の循環を感じた。
さすが町の老舗。うまかった。
シンプルさが命であり、タマゴとあんの質の高さがあれば、うまいに決まっている。
かに玉じたいは「芙蓉蛋」という中華料理だが、米飯に載せ、とろみのあるあんをかけたのは明治時代の日本で、日本発祥の中華料理だったのだという。
料理は工夫され発展していくが、華美に豪華になっていくのでなく、シンプルさに向かう、という道も,大切なのだろう。

今後、天津飯を一生のうちにもういちど頼むことがあるかどうかはわからない。
だが、その可能性は、出てきた。
何でもない町中華で、今後についての指針を得たような気がする。
こんな出来事も、なにか大切なことのように思えたので、こうして長々と書いている。
弁当どきに隣にいた、天津飯の好きな俳優(女性)に、感謝。


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